2009年11月07日 (15:02)

シューマン『ピアノ・コンチェルト』の分析:シューマン音楽の霊性

YouTubeは以下で見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10382781687.html

以下、最初のYouTubeの7分52秒以降(二番目のものは、7分18秒以降)を聴いていただきたい。そこに、私が感じるシューマン音楽の優れた霊性があるのである。
 非常に興の乗った箇所である。繰りかえしもある。とまれ、そこでは、音形は、波のように繰りかえす流麗なフレーズと鋭いリズムが交差するものである。
 ポイントはメロディーの様態とリズムの付け方である。盛り上がる強い調子とほぼ同時に引くような止める調子が共存しているのである。
 簡単に言えば、個の強い意志の主張があるが、同時に、個は引くのである。これは、+iの意志と-iへの志向性と言えるように思える。
 つまり、強い+iと他者-iへの志向性、これによって、この箇所において、シューマンは、差異共振性を形成していると考えられる。そのために、ここでは、超越的調和が発現していると考えられる。これが、私のいうシューマン音楽の霊性である。
 そうすると、音形Y1と音形Y2があるが、これは、Y1=i、Y2=-iである。
 そして、これを対話連鎖させるのである。すると、

Y1*Y2⇒Y3*Y4⇒Y5*Y6⇒Y7*Y8⇒・・・

となる。もっとも、これは、(+i)*(-i)⇒の差異共振の対話連鎖である。だから、

(+i1)*(-i1)⇒(+i2)*(-i2)⇒(+i3)*(-i3)⇒(+i4)*(-i4)⇒・・・

となるのである。
 これが、シューマンの奇跡的な名曲ピアノ・コンチェルトのもつ霊性の方程式ではないだろうか。

Argerich - Schumann's Piano Concerto in A minor Op. 54 Pt 4-4


Argerich & Tilson-Thomas/SFSO - Schumann concerto, movt. III


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Argerich & Tilson-Thomas/SFSO - Schumann concerto (movt. I)

2009年11月06日 (20:54)

精神的フィルターの視点から諸事を考察する:シューマン音楽と遺伝子と資本主義

精神的フィルターの視点から諸事を考察する:シューマン音楽と遺伝子と資本主義

テーマ:Media Point/精神的フィルター

先にシューマンの音楽の霊性について考察すると述べたが、簡単に述べたい。
 シューマンの音楽は、直感では、霊的音色・彩りがあるのである。これは、虚軸的調和である。しかし、虚軸だけでは、音楽はできない。実軸性があるのである。これが通常の音階や和音や律動等である。簡単に言えば、音符の音である。
 それを、Y1, Y2, Y3・・・としよう。例えば、Y1とY2が共振すると、Y1*Y2*Y3⇒X1+X2+X3となるとしよう。
 左辺は差異共振であり、虚軸・虚数性、即ち、超越性である。しかし、⇒X1+X2+X3は、通常の音符の音の構成である。物質的な音の構成である。ドレミである。
 私見では、シューマンの音楽は、左辺を美しく歌わせているのである。
 というか、左辺と右辺との微妙なズレを響かせているのである。つまり、虚数性と実数性の絶対的平行性をもって、音楽を創造しているのである。この二重性が見事に展開しているのが、シューマンの音楽であると考えられるのである。

Martha Argerich plays Schumann piano concerto - medici.tv


Schumann: Piano Concerto / Mitsuko Uchida · Simon Rattle · Berliner Philharmoniker


バッハだと明らかに、虚数性の調和が明確である。対位法に拠る。モーツァルトだと、両辺が重なるような感じであるが、しかし、結局は、左辺と右辺は不連続なのである。重なっているようだが、実際は、乖離していると思われる。
 さて、次に、遺伝子問題を考えよう。
これまで、思えば、精神と物質を連続的に捉えた向きがある。しかし、今や、両者が絶対的に異なることが確認された。
 つまり、精神的情報がある。これを、Y1*Y2*Y3とする。そして、これが、精神的フィルターを通過すると、X1+X2+X3となるとしよう。
 即ち、

Y1*Y2*Y3⇒X1+X2+X3

となる。思うに、⇒に位置に精神的フィルターを置けるだろう。精神的フィルターをsfと表記すると、

Y1*Y2*Y3⇒sf⇒X1+X2+X3

となる。そして、虚軸と実軸を区別すると、Imaginary⇒とReal⇒とする。略して、I⇒、R⇒とする。すると、

Y1*Y2*Y3(I⇒)sf(R⇒)X1+X2+X3

になるとしよう。
 これでは見にくいので、I⇒を⇒、R⇒を→とする。

すると、


Y1*Y2*Y3⇒sf→X1+X2+X3

となる。
 精神であるが、それは、sfの左側であり、身体ないしは物質はsfの右側である。
 簡単に、

精神sf物質

である。
 そして、遺伝子であるが、それは、明らかに、物質的遺伝子であり、それは、sfの右側である。否、→である。
それに対して、個人の才能や性格等の「遺伝子」ないしは、精神的遺伝子は、⇒ではないだろうか。
 また、話題の幹細胞であるが、それは、→の位置にあるのではないだろうか。
 思うに、精神や知性を涵養するのは、左辺の差異共振性を発展・進展させることではないだろうか。唯物論教育だと、左辺が発達しないのであり、右辺の物質的側面が発達して、精神が同一性化(アンラ・マンユ化)するのではないだろうか。悪霊の誕生である。
 ここで、資本主義について言えば、右辺中心の教育の結果が、デリバティブやサブプライム等によるリーマン・ショックである。同一性資本主義、モダン/ポスト・モダン経済である。
 しかしながら、左辺を涵養し、かつ、両辺のバランスを取る教育をすると、差異共振資本主義、トランス・モダン経済(自由共同体主義=リベラル・コミュニズム)になると考えられる。
 思うに、伝統的な日本的資本主義とは、トランス・モダン経済の要素をもっていたが、新自由主義という絶対的同一性資本主義を支持した結果、日本経済は破滅的状態に陥ったと考えられる。

追記:大事なことを述べるのを忘れていた。それは、電磁波のことである。
 量子力学は、量子をいわば、精神的フィルターの右端で把握していると思えるのである。つまり、精神から物質への変換点のいわば、物質的側面で捉えているのである。それで、粒子の問題が生じるのである。
 しかしながら、精神的フィルターの左端ないしは虚軸部で捉えれば、量子は十全に把捉されると考えられるのである。つまり、精神としての量子である。後で、もう少し述べたい。
 
参照:

精神的フィルター(semantic filter )
http://philosophy.blogmura.com/tb_entry100416.html
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

2009年11月04日 (11:21)

検討問題:精神的フィルター:心身的フィルター

精神的フィルターSemantic Filterという概念は、実に多くの難問を解決する指導的・創造的概念と考えられる。
 古代において、霊spiritと魂soulを区別するが、これも、この概念で説明できよう。また、「気」の問題も説明できるし、エロスの問題も説明できる。
 つまり、霊が主であり、魂が従であるということで、霊主魂従が成り立つと考えられる。
 「気」の場合、霊的「気」と魂的「気」があるのであり、前者は、精神的であり、後者は身体(「物質」)的と考えられる。
 また、近代性もこれで説明できる。近代合理主義は、+1と-1が結合したものと考えられる。つまり、+iと-iを即非ではなく、二項対立化させて、+1に-1の枠組み(フレーム)を与えたものではないだろうか。
 言い換えると、絶対的差異(絶対的他者)の「論理」(即非的論理)を、同一性の論理に、錯誤的に変容させているということである。つまり、近代的主観(主体、自己)は、根底から錯誤的様態にあるということなのである。(持論は、近代的自我は狂気であるということである。)
 現実である絶対的差異(絶対的他者)を知覚せずに、同一性という「妄想」で着色しているのである。現象的同一性と抽象的同一性の両面で、そうしているのである。これは、実数論理、線形論理である。
 思うに、近代の論理的源泉であるが、それは、ヤハウェ一神教とアリストテレス論理にあるだろう。構造主義もここに源泉があるだろう。
 では、この同一性論理を解体する「仏教」はどうして成立したのだろうか。色即是空、空即是色というテーゼには、明らかに、同一性論理の切断があるのである。また、禅仏教にもある。
 同一性に執着する論理を断ち切っているのである。これは、思うに、ヨーガ等の瞑想に源泉があるのではないだろうか。内的自己を探索して、そこに、外的自己の世界(物質的世界)とは別の世界(精神的世界)があるのを発見したということだろう。そして、内的自己と外的自己の著しい「差異」を捉えて、同一性論理を破砕したということではないだろうか。
 不連続性の論理は、端的には、仏教から発していると言えよう。
 今はここで留める。

追記:ゾロアスター教は、同一性論理をアンラ・マンユ(悪霊)として、捉えていると言えよう。思うに、東洋の思想が、一神教の思想に対面したときに、脱同一性ないしは反同一性の論理が生まれたのではないだろうか。

2009年11月02日 (21:13)

父権性と母権性の即非統合について:又は新多一神教:双神教・双権主義:ゾロアスター教の新エポック

テーマ:ゾロアスター教とトランス・モダン

先ず、整理しよう。
 母権的多神教の場合、本来、差異共振性が精神的フィルターによって連続化して、堕落する。つまり、偶像崇拝が起こる。
 それに対して、ヤハウェ的一神教が起こり、その超越性は、連続性を切断する。つまり、超越神と現象界が絶対的に切断されて、分離するのである。
 この事態を作業仮説的に、+i→⇒-1と考える。
 問題は、ヤハウェが「我あり」I amという神であることである。これは、自己存在の神ということである。+i⇒+1が現象的ないしは、物質的自己存在であるなら、+i⇒-1は非現象的自己存在と言えるのではないだろうか。つまり、観念抽象的自己存在ではないだろうか。この問題はおいておこう。
 ここでポイントは、現象的連続性が切断されたことである。しかしながら、思うに、逆に、⇒-1に転化したことで、抽象的同一性に連続化していると思えるのである。
 つまり、ヤハウェ一神教は、絶対的には、切断が起きてはないのである。
 とまれ、-i(他者)を否定・抑圧・排除しているので、-i的反転(逆転)のエネルギーが発動すると考えられる。
 これが、先の考察からは、イエスのエネルギーを意味する。つまり、差異共振の復活・復興・再生を意味する。
 問題は、⇒-1と活性化された(+i)*(-i)⇒+1が衝突することである。つまり、ヤハウェ一神教と新多神教ないしは新母権性が衝突することである。
 そして、この衝突を、繕っているのが、三位一体という観念・ドクマ・イデオロギーと考えられる。つまり、それは、折衷であり、妥協に過ぎない。しかも、キリスト教の場合は、「父」ヤハウェ⇒-1が「子」イエス⇒+1よりも、主導的なのである。
 問題は、トランス・モダンの今日・現代である。イエス的反転が今日、進展したと考えられる。つまり、ヤハウェ一神教性が、新差異共振性(新多神教、新母権性)によって、超克されたと考えられるのである。それは、理論・哲学的には、後期デリダの哲学、不連続的差異論、そして、PS理論が意味するものである。
 言い換えると、絶対的差異、絶対的他者が、精神的フィルターの具象且つ抽象的同一性から独立したということである。つまり、精神的フィルターの束縛・拘束・桎梏から脱却・脱出したということである。
 根源(アルケー)への回帰である。もっとも、ここで、核心的に重要なポイントは、不連続性の認識である。もし、この認識がなければ、知は曖昧なままである。
 いったい、不連続性の認識とはどういう力学性をもつのか。それは、端的に、精神的フィルターからの切断の力学を意味すると言えよう。つまり、無意識的に、意識は、精神的フィルターに絡み取られている。しかし、意識が不連続性を認識すると、精神的フィルターの連続的接続性から離脱するのである。
 つまり、意識による差異的反転(イエス的反転)を不連続化することで、精神的フィルターの連続的接続性を破壊・解体して、差異と意識を分離するのである。
 後者の意識とは、いわゆる、知的自己である。言語的自己である。これを同一性自己と呼んでいいのか、微妙である。この知的意識は、不連続である絶対的差異、差異共振性、即非性を認識しているものであり、いわば、絶対的差異を包摂した知性である。だから、これは、同一性自己と呼ぶのは絶対に不可能である。
 ここにおいて、絶対的差異、超越的差異、差異共振と外界的感覚・知覚・言語的知性(数理知性を含めて)との対話が行われていると考えられる。
 いわば、直感・直観があり、それと外界的感覚・知覚・言語的知性との絶えざる対話・ポリフォニーが行われているのである。それは、虚数的超越性と実数的現象性との対話的生成と換言できる。また、Media Point的対話と言える。つまり、Media Point的四元・五元的対話である。
 では、ここに新しく生まれた精神とは宗教・ジェンダー的には、何なのであろうか。思うに、超越的多神教であり、超越的母権主義である。一神教的多神教であり、父権的母権主義である。あるいは、逆も真である。
 とりあえず、双神教、双権主義とでも呼ぼう。あるいは、共神教であり、共権主義である。ここで、やはり、ゾロアスター教が決定的な意義をもっていると言える。

2009年11月01日 (00:21)

検討問題:精神的フィルター又は精神的言語フィルター:多神教⇒一神教⇒新多神教:ver2

今日、多神教と一神教における違いをあれこれ考えていたが、前者の場合は、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1で記述できる。
 問題は、精神的フィルターの存在である。これまで、差異共振現象が多神教であると考えた。即ち、例えば、「わたし」は「鳥」であり、且つ、「わたし」は「鳥」ではない、という事象=心象が生起する。
 しかしながら、このとき、精神的フィルター(精神的言語フィルター)によって、言語も形成されるのである。
 つまり、精神的フィルター(精神的言語フィルター)によって、差異共振現象が実は、連続化されるのである。だから、「わたし」は「鳥」であるということが、いわば、粘着的に強化されるのである。いわば、情緒主義化が生起するのである。癒着である。
 思うに、偶像崇拝はこの帰結のように思えるのである。
 そして、これに対して、ヤハウェの一神教の意味があるのである。つまり、堕落した多神教、連続化した多神教に対して、超越的切断を提起したのだと考えられる。
 そして、ヤハウェであるが、これは、確かに、超越性から発しているが、+iに極端に傾斜していると考えられる。
 端的に、Media Pointが源泉であるが、+iに極端に傾斜しているということである。そのため、他者-iを否定して、⇒-1になるのではないだろうか。
 多神教は本来、⇒+1であるが、ヤハウェ一神教の場合、⇒-1になると思われるのである。
 しかしながら、源泉はMedia Pointで同じである。だから、両者の神話においては、神話要素が共通すると考えられるのである。「蛇」、「生命の樹」、「楽園」、等である。
 つまり、ヤハウェ一神教は、母権的多神教の内在的反転のように思われるのである。つまり、メビウスの帯のように、両者、一如であるということである。
 思うに、ヤハウェは、+i⇒-1ではないだろうか。これは、抽象的同一性という精神的フィルターを形成するのではないか。
 そして、次にキリスト教であるが、それは、ヤハウェ一神教への反転のように思える。つまり、⇒+1である。一種、多神教的である。しかしながら、問題は、この反転は、「父」ヤハウェからの反転であり、「父」の精神的フィルター(精神的言語フィルター)が影響しているのではないだろうか。
 それが、ヨハネの福音書の「はじめにコトバありき」に残像しているのではないだろうか。
 つまり、本来、キリスト教的反転とは、多神教だったはずであるが、それ以前の文化文脈がヤハウェ的一神教なので、その影響を受けて、一神教性を残しているのではないか。一神教の精神的フィルターから脱却できないままだったのではないだろうか。
 これは、理論的というよりは、経験的な問題ではないだろうか。
 しかしながら、キリスト教であるが、本当に、反転しているのか。どうも、十分な反転ではないように思えるのである。中途半端なのである。本当の反転ならば、脱一神教とならなくてはならないからである。
 とりあえず、不十分な反転としておこう。そうならば、十分な反転が次に起るはずである。それが、完全な脱一神教・新多神教となるはずである。
 不十分な反転をいちおう、Burgeoning -iによるものとしよう。Strong +iとBurgeoning -iが存するのである。これは、共振もあるが、やはり、強意の+iが支配しているのである。
 そして、Strong -iが発動するときがくるのである。それによって、新しい差異共振(新多神教)が生まれるのではないだろうか。
 以上は思考実験である。後で整合的に考察を行ないたい。

追記1:以上の記述は、便宜的なものであり、整合性を無視している。つまり、キリスト教の中途半端な反転という発想が便宜的なのである。
 やはり、理論的には、正式な反転と見るべきである。そして、そこで、精神的フィルター(精神的言語フィルター)を考えるべきだろう。
 つまり、「父」の精神的フィルターがあるので、キリスト教本来の母権主義・多神教・異教性が否定されると見るべきではないだろうか。+i⇒-1の精神的フィルターである。
 つまり、⇒-1(ヤハウェ)と⇒+1(イエス)の両面が発生して、分裂しているのではないだろうか。
 前者は戦争を志向し、後者は平和を志向するということではないだろうか。
 西洋において、歴史上、大革新的変化は、やはり、ルネサンスである。ここで、個が覚醒するのである。これは、Media Pointの覚醒である。つまり、それまでは(例えば、中世)、限られた個人による覚醒はあったが、ルネサンスにおいて、社会的な覚醒が発生したと考えられる。
 しかしながら、やはり、問題は、精神的フィルターである。精神的同一性フィルターが強いために、ルネサンスは、遠近法を生み出したと考えられる。イタリアという母権主義の強い土地であっても、精神的言語フィルターが強固なために、覚醒は、同一性へと展開して行ったと思われる。
 フィレンツェにおいて、フィチーニが中心となり、プラトン研究が復興し、ネオ・プラトニズムが生まれたが、結局、絵画では、遠近法が中心になっていくのである。
 より正確に言えば、虚軸性と実軸性の両面の活性化があったが、精神的フィルターのために、連続的に、実軸性(遠近法)へと傾斜していったと考えられる。
 そして、西欧近代主義が生まれるのである。それは、精神的フィルターが強く働いているのである。
 しかし、同時に、Media Pointの動きもあるのである。
 そのようにみると、キリスト教的反転が今日でも、作用しているのかもしれない。つまり、母権的・多神教的・差異共振的反転である。
 その帰結が「聖霊」主義ということではないだろうか。それは、また、ゾロアスター教主義である。
 とまれ、結局、本文で述べたことのままである。

追記2:追記1で述べたキリスト教とは、明確にいうならば、イエス教である。イエス個人本来の宗教であり、ヤハウェ的一神教の影響を受けていないものである。

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キリスト
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

キリストは、ヘブライ語 のメシア (מָשִׁיחַ)のギリシア語 訳 Χριστος (christos)(クリストス、フリストス[1] )からの、日本語における片仮名表記。

基督、クリスト、ハリストス 、クライストとも表記される。

ヘブライ語での意味は「油を注がれた(塗られた)者」「受膏者」。古代イスラエルにおいては、王や祭司などの即位に際して頭に油を塗る儀式があった。ここからキリスト教において救世主 との意味が派生した。


Christ
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This article is about the Christian theological role. For other uses, see Christ (disambiguation) .
Christ the Saviour (Pantokrator), a 6th-century encaustic icon from Saint Catherine's Monastery , Mount Sinai .

Christ is the English term for the Greek Χριστός (Khristós) meaning "the anointed ".[1] It is a translation of the Hebrew מָשִׁיחַ (Māšîaḥ). The term "Christ" was a title rather than a proper name. In the four gospels in the New Testament , the word "Christ" is nearly always preceded by the definite article ("the Christ").[2] For centuries the Jews had referred to their expected Deliverer as "the Anointed."[3] The term "Christ" carries much of its original Jewish meaning of "Messiah "―"one [who is] anointed" or appointed by God with a unique and special purpose (mission ) on Earth.[4] It was later in the first century that the title gradually became a proper name, and the expression "Jesus Christ " or "Christ Jesus" became only one designation.[3] Jesus is a central figure in Western civilization .

The area of Christian theology focusing on the nature of Jesus as the Christ, particularly with how the divine and human are related in his person, is known as Christology . A central doctrine within the Trinitarian (Nicene) interpretation is that God took human form in the body of Jesus, "the Christ," and accordingly "Christ" is or was both fully human and fully God.[5] Following from this association between God and Jesus, many Christians believe that belief in Jesus either qualifies them as inheritors of a special privilege or else provides for them a conceptual interface to God's being, such that translates to having a greater "personal relationship" with God . Further, these concepts of personal connection with God have claimed relevance to spiritual concepts including salvation , God's love , divine providence , and divine illumination .

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メシア
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

メシアは、ヘブライ語 のマーシアハ(משיח)の慣用的カナ表記で、「(油を)塗られた者」の意。メサイア は、Messiah の英語発音。


概説 [編集 ]

出エジプト記 には祭司が[1] 、サムエル記 下には王が[2] 、その就任の際に油を塗られたことが書かれている。後にそれは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な救済者を指すようになった。ユダヤ教 におけるメシア(w:Jewish Messiah )はダビデ の子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす存在とされている。

メシアに対応するギリシャ語 はクリストス(Χριστος)で、「キリスト 」はその日本語的表記である[3] 。キリスト教徒 とイスラム教徒 はナザレのイエス がそのメシアであると考えている。イエスをメシアとして認めた場合の呼称がイエス・キリスト である。但し、メシアの捉え方は両者間で異なっている。詳しくは後述。

各時代にメシアを称した者(保守派や、大多数の者からは「偽メシア」ということになる)は、当然ユダヤ教 内部でも解釈が分かれ、分派を形成した。また、これに賛同したキリスト教 徒・イスラム教 徒もいた。また、こちらも当然ながらユダヤ教からはイエスは偽メシアとして見られている。メシアニック・ジュダイズム のようにユダヤ教を自称し、ユダヤ教的様式の典礼を実践しつつイエスをメシアと認める教派も存在するが、彼ら自身を除いて主流派ユダヤ教やキリスト教両者側からもユダヤ教ではなくキリスト教の一派と認識されている事の方が多い。

イスラーム でもユダヤ教、キリスト教からメシアの概念は継承されており、アラビア語 で「マスィーフ」( مسيح masīḥ)と呼ばれ、イエスのことを指す。イスラームにおいてはイエス自身は預言者 にして預言者ムハンマド に先行する「神 (アッラーフ )の使徒 とされており、また神が派遣したメシアであることも認識されている。クルアーン の記述から「マスィーフ」(救済者、メシア)はダビデ の子孫から出現するとされ、人々の苦難から救済しアッラーフ (神)の支配を確立する者としている。終末 のときに神の代理人として出現し偽メシアを討伐するといい、これらもユダヤ教、キリスト教のメシア像から受継がれている。イスラームにおいて「マスィーフ」はキリスト教の救世主であるのに対し、イスラム共同体 における救世主は「マフディー 」(「正しく導かれる者」の意味)と称する。単に「アル=マスィーフ」(al-Masīḥ)、「マスィーフッラーフ」( مسيح اللّهMasīḥ Allāh ;神のメシア)と呼ぶ場合、イエス自身を指す尊称である。

Messiah
From Wikipedia, the free encyclopedia

Messiah (Hebrew : מָשִׁיחַ, Modern Mašíaḥ Tiberian Māšîªḥ; in modern Jewish texts in English sometimes spelled Moshiach; Aramaic : משיחא, Greek : Μεσσίας, Syriac : ܡܫܺܝܚܳܐ, Məšîḥā, Arabic : المسيح‎, al-Masīḥ, Latin : Messias) literally means "anointed (one)".

In Jewish messianic tradition and eschatology , messiah refers to a future King of Israel from the Davidic line , who will rule the people of united tribes of Israel [1] and herald the Messianic Age [2] of global peace. In Standard Hebrew, The Messiah is often referred to as מלך המשיח, Méleḫ ha-Mašíaḥ (in the Tiberian vocalization pronounced Méleḵ haMMāšîªḥ), literally meaning "the Anointed King."

Christians believe that prophecies in the Hebrew Bible refer to a spiritual savior, partly evidenced in passages from the Book of Isaiah : "Therefore the Lord himself will give you a sign: The virgin will be with child and will give birth to a son, and will call him Immanuel,"[Isa. 7:14 ] and "He was pierced for our transgressions, he was crushed for our iniquities; the punishment that brought us peace was upon him, and by his wounds we are healed,"[Isa. 53:5 ] and believe Jesus to be that Messiah (Christ ). The (Greek ) Septuagint version of the Old Testament renders all thirty-nine instances of the Hebrew word for anointed (Mašíaḥ) as Khristós (Χριστός).[3] The New Testament records the Greek transliteration Μεσσίας, Messias twice in John [Jn. 1:41 ] and [4:25 ]

In Islam , Isa (Jesus) is also called the Messiah (Masih),[4] but like in Judaism he is not considered to be the literal physical Son of God or God the Son .

Messianic Age
From Wikipedia, the free encyclopedia

Messianic Age is a theological term referring to a future time of peace and brotherhood on the earth, without crime , war and poverty . Many religions believe that there will be such an age; some refer to it as the "Kingdom of God ".
[edit ] Terminology: "messianic" and "eschatology"

In the context of "Messianic Age", the earliest meaning of the word "messianic" is derived from notion of Yemot HaMashiach meaning "The Days of the Messiah", that is, the Jewish Messiah , meaning "related to the Messiah" (See also Messiah ). Messiah comes from a Hebrew word meaning "The Anointed One", i.e., a person who is "specially appointed and empowered". Originally this phrase--the "anointed one"--referred to either a king who was anointed with Holy anointing oil as part of what might be understood to be his coronation ceremony, or a kohen. After the destruction of the Israelite kingship and Davidic line with the destruction of the First Temple in 586 B.C.E., Biblical figures began to write of a yearning for the "mashiach" to return. Originally, however, this only meant a yearning for a return to the Davidic kingship and the just rule and (Israelite) national independence that such a thing connoted. Over time, however, as a return to independent rule became increasingly distant-seeming, hopes for a new "anointed one" to come and liberate the people from their current, dismal conditions took on a decidedly more transcendent cast, eventually morphing into the "Messiah" (that word, an Anglicanization of "moshiach") known to Judaism and Christianity--that is to say, the Divine messenger who will come and herald God's world to come/future age.

Eschatology is an area of religious scholarship that deals with prophecies about "the end of the current age" of human civilization.
[edit ] Judaism, Christianity, Islam and Bahá'í

Jewish , Christian , Zoroastrian and Islamic eschatology teach that there will be a "Messianic Age" when the Messiah will come and bring peace and prosperity to the earth. Although the Hebrew Bible , also known as the Old Testament , and the New Testament both describe such a period, the term "Messianic Age" does not appear in the Hebrew Bible nor in the Apocrypha and is called the "Millennium" in the New Testament. The "Messianic Age" in Islam is described in the Hadith . In the Bahá'í Faith , the "Messianic Age" refers to a 1000-year period beginning with the Declaration of Bahá'u'lláh in 1863. Bahá'ís believe the period of peace and prosperity is gradually unfolding and will culminate in the appearance of 'The Most Great Peace'.

"http://en.wikipedia.org/wiki/Messianic_Age "

2009年10月31日 (22:26)

検討問題:精神的フィルター又は精神的言語フィルター:多神教⇒一神教⇒新多神教

今日、多神教と一神教における違いをあれこれ考えていたが、前者の場合は、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1で記述できる。
 問題は、精神的フィルターの存在である。これまで、差異共振現象が多神教であると考えた。即ち、例えば、「わたし」は「鳥」であり、且つ、「わたし」は「鳥」ではない、という事象=心象が生起する。
 しかしながら、このとき、精神的フィルター(精神的言語フィルター)によって、言語も形成されるのである。
 つまり、精神的フィルター(精神的言語フィルター)によって、差異共振現象が実は、連続化されるのである。だから、「わたし」は「鳥」であるということが、いわば、粘着的に強化されるのである。いわば、情緒主義化が生起するのである。癒着である。
 思うに、偶像崇拝はこの帰結のように思えるのである。
 そして、これに対して、ヤハウェの一神教の意味があるのである。つまり、堕落した多神教、連続化した多神教に対して、超越的切断を提起したのだと考えられる。
 そして、ヤハウェであるが、これは、確かに、超越性から発しているが、+iに極端に傾斜していると考えられる。
 端的に、Media Pointが源泉であるが、+iに極端に傾斜しているということである。そのため、他者-iを否定して、⇒-1になるのではないだろうか。
 多神教は本来、⇒+1であるが、ヤハウェ一神教の場合、⇒-1になると思われるのである。
 しかしながら、源泉はMedia Pointで同じである。だから、両者の神話においては、神話要素が共通すると考えられるのである。「蛇」、「生命の樹」、「楽園」、等である。
 つまり、ヤハウェ一神教は、母権的多神教の内在的反転のように思われるのである。つまり、メビウスの輪のように、両者、一如であるということである。
 思うに、ヤハウェは、+i⇒-1ではないだろうか。これは、抽象的同一性という精神的フィルターを形成するのではないか。
 そして、次にキリスト教であるが、それは、ヤハウェ一神教への反転のように思える。つまり、⇒+1である。一種、多神教的である。しかしながら、問題は、この反転は、「父」ヤハウェからの反転であり、「父」の精神的フィルター(精神的言語フィルター)が影響しているのではないだろうか。
 それが、ヨハネの福音書の「はじめにコトバありき」に残像しているのではないだろうか。
 つまり、本来、キリスト教的反転とは、本来、多神教だったはずであるが、それ以前の文化文脈がヤハウェ的一神教なので、その影響を受けて、一神教性を残しているのではないか。一神教の精神的フィルターから脱却できないままだったのではないだろうか。
 これは、理論的というよりは、経験的な問題ではないだろうか。
 しかしながら、キリスト教であるが、本当に、反転しているのか。どうも、十分な反転ではないように思えるのである。中途半端なのである。本当の反転ならば、脱一神教とならなくてはならないからである。
 とりあえず、不十分な反転としておこう。そうならば、十分な反転が次に起るはずである。それが、完全な脱一神教・新多神教となるはずである。
 不十分な反転をいちおう、Burgeoning -iによるものとしよう。Strong +iとBurgeoning -iが存するのである。これは、共振もあるが、やはり、強意の+iが支配しているのである。
 そして、Strong -iが発動するときがくるのである。それによって、新しい差異共振(多神教)が生まれるのではないだろうか。
 以上は思考実験である。後で整合的に考察を行ないたい。

追記:以上の記述は、便宜的なものであり、整合性を無視している。つまり、キリスト教の中途半端な反転という発想が便宜的なのである。
 やはり、理論的には、正式な反転と見るべきである。そして、そこで、精神的フィルター(精神的言語フィルター)を考えるべきだろう。
 つまり、「父」の精神的フィルターがあるので、キリスト教本来の母権主義・多神教・異教性が否定されると見るべきではないだろうか。+i⇒-1の精神的フィルターである。
 つまり、⇒-1(ヤハウェ)と⇒+1(イエス)の両面が発生して、分裂しているのではないだろうか。
 前者は戦争を志向し、後者は平和を志向するということではないだろうか。
 西洋において、歴史上、一つの革新的変化は、やはり、ルネサンスである。ここで、個が覚醒するのである。これは、Media Pointの覚醒である。つまり、それまでは(例えば、中世)、限られた個人による覚醒はあったが、ルネサンスにおいて、社会的な覚醒が発生したと考えられる。
 しかしながら、やはり、問題は、精神的フィルターである。精神的同一性フィルターが強いために、ルネサンスは、遠近法を生み出したと考えられる。イタリアという母権主義の強い土地であっても、精神的言語フィルターが強固なために、覚醒は、同一性へと展開して行ったと思われる。
 フィレンツェにおいて、フィチーニが中心となり、プラトン研究が復興し、ネオ・プラトニズムが生まれたが、結局、絵画では、遠近法が中心になっていくのである。
 より正確に言えば、虚軸性と実軸性の両面の活性化があったが、精神的フィルターのために、連続的に、実軸性(遠近法)へと傾斜していったと考えられる。
 そして、西欧近代主義が生まれるのである。それは、精神的フィルターが強く働いているのである。
 しかし、同時に、Media Pointの動きもあるのである。
 そのようにみると、キリスト教的反転が今日でも、作用しているのかもしれない。つまり、母権的・多神教的・差異共振的反転である。
 その帰結が「聖霊」主義ということではないだろうか。それは、また、ゾロアスター教主義である。

2009年10月31日 (20:09)

検討問題:イデア対子の回転と超越神

今は、ざっと記すに留める。

Idea Polarity=[conθ+(i・sinθ)]*[-conθ-(i・sinθ)]

ただし、

θ=1/2πk
kは実数とする。
Idea PolarityをIPと表記する。

そして、

k=0のとき、 IP=(+1)*(-1)⇒-1
k=+1のとき、IP=(+i)*(-i)⇒+1
k=+2のとき、IP=(-1)*(+1)⇒-1
k=+3のとき、IP=(-i)*(+i)⇒+1
k=+4のとき、IP=(+1)*(-1)⇒-1

となる。

kが偶数のとき、同一性=物質
kが奇数のとき、差異(共振)=精神
となるのではないだろうか。

もっとも、k=1から始めるのが適切だと思う。

ところで、積と商を入れると、
kが偶数のときは、両者、-1であるが、
kが奇数のときは、+1と-1に分化する。
 
思うに、奇数のときに、4元的共振が生起して、創造的になるのではないだろうか。偶数のときは、二元共振であり、それは、唯物論的ではないだろうか。
 
とまれ、以上の発想の原基は、⇒+1が多神教的であり、反転の⇒-1が一神教というものである。

************************

さて、次に、超越神について簡単に考えたい。
 例えば、ヤハウェは、直感では、⇒-1であるが、果たして、-1が超越性を意味するだろうか。
 やはり、(+i)*-(-i)⇒-1において、強意の+iがヤハウェではないだろうか。では、⇒-1とは何か。 
 それは、先に述べたように、抽象的同一性ではないだろうか。つまり、ヤハウェは、Strong +iであるが、その結果は抽象的同一性である。つまり、これこそ、物質性ではないだろうか。+1の場合は、具体性がある同一性ではないだろうか。
 例えば、杉の木という同一性が+1ではないだろうか。そして、重さという同一性が-1ではないだろうか。これは検討課題である。

2009年10月30日 (18:56)

差異共振価値としての資本主義の富:差異共振経済へフィードバックするトランス・モダン経済

テーマ:トランス・モダン経済:差異共振資本経済

これは、まったく同感である。持論であるが、資本主義の富とは、哲学・科学的には、差異共振価値であり、それを、差異共振創造的に配分する必要があるのである。そうでないと、同一性価値に陥って、破局(不況、恐慌)になるのである。これは、熱力学的に説明できるだろう。あるいは、カオス理論的にである。
 つまり、差異共振価値という富を差異共振「生産」へとフィードバックしないといけないのである。

追記:
労働*資本*情報(知識・知恵・才覚・イノベーション等)⇒差異共振価値だろう。
 これは、

(Capital=+i)*(Labour=-i)⇒(Difference Resonance Value=+1)⇒Difference Resonance Distribution

となるだろう。そして、*はInformation Communication Technologyである。言い換えると、Media Point=Semantic FilterがInformation Communication Technologyである。
 
即ち、

C*L⇒DRV
 
ただし、*=ICT

である。

or

C✇ICT✇L⇒DRV

となるかもしれない。✇は、三つ巴共振を意味する。

追記2:
より正確に記述すれば、

(Capital=+i)*(Labour=-i)⇒(Difference Resonance Value=+1)⇒Difference Resonance Distribution=(Capital1)*(Labour1)⇒Capital2*_Labour2⇒・・・

即ち、

C✇ICT✇L⇒DRV1(C1✇ICT1✇L1)⇒
DRV2(C2✇ICT2✇L2)⇒DRV3(C3✇ICT3✇L3) ・・・

である。

**********************

自分たちの税金を上げよというドイツ富裕層の人々に学ぶ New!!
これは興味深いニュース。ドイツの富裕層には自分たちの豊富な財力の一部を国と国民のために使ってもらいたいと思っている人たちがこれだけいるということですね。日本の富裕層にもこういう外国人富裕者の爪の垢を煎じて飲ませたいくらいです。

●AFPBB News
「税金をもっと上げて」、ドイツ人富裕者グループが財産税の再導入を求める
2009年10月23日 13:15 発信地:ベルリン/ドイツ
http://www.afpbb.com/article/economy/2655621/4798164

【10月23日 AFP】裕福なドイツ人のグループが、ドイツを金融危機から立ち直らせる力になりたいと、財産税の導入を求める活動を展開している。独紙ターゲスシュピーゲル(Tagesspiegel)が伝えた。

 嘆願書にはこれまでに44人が署名した。この嘆願書はグループのウェブサイトに掲載されている。

 署名した1人、元医師のディーター・ケルムクール(Dieter Kelmkuhl)さん(66)の試算によると、50万ユーロ(約6900万円)以上の資産を持つドイツ人220万人が今年と来年、その財産の5%の税金を納めれば、国庫に1000億ユーロ(約14兆円)を提供できるという。

 グループは1997年に廃止された財産税を再導入し、税率は最初の2年間は5%、その後は廃止時の税率だった1%にすることを提案している。ドイツはキャピタルゲインには現在も25%の税金をかけている。

 ケルムクールさんは、ドイツ国内で貧富の差が拡大し国の財政も厳しい中、政府が金融機関の救済や景気回復のため数十億ユーロ(数千億円)の支出に踏み切ったことをみて、「今こそ富裕層が祖国を助ける時だ」と考えたのだという。

 米国には約700人の裕福な米国人が所属する団体「公平な経済のための連合(United for a Fair Economy、UFE)」が存在するが、ケルムクールさんはドイツ版UFEが誕生することを望んでいるという。

 ペーター・フォルマー(Peter Vollmer)さん(69)は、自分には必要ない多額の資産を相続したので請願書に署名したと語っている。(c)AFP

【参考】財産税の再導入を求めるグループのサイト(ドイツ語)

(引用ここまで)

財産税の再導入を求めることによってドイツの富裕層は祖国つまりドイツの人々を助けようとしています。これぞ税金の機能 の一つである「富の再分配」そのものです。アメリカの富裕層にもそういう考えを持つ人々が数百人いるとのこと。ドイツやアメリカにもお金を使いたがらない富裕層はいるのでしょうけど、このように「富裕層にもっと税をかけよ」と主張する富裕者もまたいるわけですね。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1492.html
村野瀬玲奈の秘書課広報室

2009年10月30日 (18:53)

有機物のらせん現象と二分の一π(パイ)振動

以下、Kaisetsu氏が時間システムについて定義されているが、有機物の時間システムは、らせん現象を見事に説明するものと考えられる。つるまき植物、蕨・薇のらせん、巻き貝、つむじ、そして、おそらく、渦巻星雲や台風や竜巻等の自然現象も説明できるのではないだろうか。
 そう、Media Point的振動とも言えるだろう。
 また、無機物の時間システム(π振動)であるが、それは、有機物の腐敗過程・死の過程を説明するだろう。
 また、そうならば、健康と病気についてもこの視点から解明できるだろう。つまり、病気は、有機物の時間システムに無機物の時間システムが混入することではないのか。この点は検討課題である。免疫は、Media Point的エネルギーであろう。それを、無機物の時間システムが破壊するということではないだろうか。

************************

三、存在と非存在の「振動」は次のように数的に表現できる。
⇒(有機物の時間システム) -1,-i,1,i,-1,-i,1,i,-1,-i,1,i,-1,-i,1,i・・・
 ◆今後、二分の一π(パイ)振動(或いは、四分の一回転)と呼ぶこともある。
⇒(無機物の時間システム) -1,1,-1,1,-1,1,-1,1,-1,1,-1,1,-1,1,-1,1・・・
 ◆今後、π(パイ)振動(二分の一回転)と呼ぶこともある。


再掲示: 時間の根源に関する基礎的な一定の結論 in 2007.09.16 Sunday

参考:
【精神的フィルター(semantic filter )の接触部分】⇒指し示しの一方通行性⇒時間の起源
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 
************************

螺旋
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

螺旋
巻き貝 類の多くは螺線構造をもっている

螺旋(らせん)とは、3次元曲線 の一種で、回転しながら回転面に垂直成分のある方向へ上昇する曲線である。螺線(らせん)とも。英語ではヘリックス (helix)、形容詞はヘリカル (helical)。「螺」は「ラ」「にし」と読み、タニシ (田螺)やサザエ (栄螺)のような巻き貝 の貝殻 を意味する。

2次元曲線の渦巻 も螺旋・螺線と呼ぶことがある。渦巻と区別するために、3次元曲線の螺旋を弦巻線または蔓巻線(つるまきせん)と呼ぶことがある。

数学の世界においては、慣用的に螺旋を弦巻線、螺線を渦巻線の意味で使っている[1] 。

以下では弦巻線(ヘリックス)について述べる。
螺旋の例 [編集 ]

* ねじ の山と溝
* つる植物 のつる
* 螺旋階段
* コイル
* コイルばね
* 螺旋状の分子
o DNA分子
o アミロース 分子(でんぷん の一種)
o タンパク質 のαヘリックス 構造
* スクリュー やプロペラ の軌跡
* 三色ねじり棒 (理容店 の看板 )

ねじ


つる植物 のつる


クレモナ 塔の螺旋階段


コイルばね

アミロース
渦巻と螺旋 [編集 ]
螺旋を平面に投影すると渦巻となる。

渦巻と螺旋との比較
渦巻 螺旋(弦巻線)
英語 spiral helix
次元 2次元曲線 3次元曲線
例 蚊取り線香 (一様螺線 )、アンモナイト の殻(対数螺線 )、ロールケーキ アサガオ のつる 、コイルばね (常螺旋 )、DNA (二重螺旋 )、ねじ 山

スパイラルとヘリックスの混同は英語でも見られるが、日本語とは逆に、本来ヘリックスであるものがスパイラルと呼ばれることが多い。たとえば、螺旋階段は英語ではspiral stairwayである。

螺旋を平面に投影すると、渦巻の一種の双曲螺旋となる。
数学的表現 [編集 ]

媒介変数 \theta \, を使って次のように表せる。

x = a \cos \theta \,
y = a \sin \theta \,
z = b \theta \,

円筒座標 を使えば、もっと単純に表せる。

r = a \,
z = b \theta \,

回転する模様として [編集 ]

螺旋は回転させると、その方向に応じて上昇、あるいは下降して見える。床屋 の看板やコマ の軸の模様に多くの例がある。
象徴としての螺旋 [編集 ]

螺旋は、運動性や生命力を感じさせる面があるので、芸術作品などにおいては、様々な意味を込めた象徴 、シンボル として用いられることも多く、作品のタイトルとなっている例も多い。(→螺旋 (曖昧さ回避) )

また、基本的には繰り返しの構造でありながら、同じ位置をたどらず、例えば無限に上昇する構造を歴史 や生命 になぞらえる例もある。

なお、無限上昇のカノン は別名を螺旋カノンと言い、一つの旋律が繰り返す際に少しだけ音程を高くして始まるようになっており、繰り返すにつれてどんどん音程があがってゆくものである。バッハの「音楽の捧げもの 」にその例がある。実際には1オクターブ上がったところで終了させるか、そこでもとの音に戻って終了させる。もちろん実際に無限に上昇するのは不可能であるが、コンピューターミュージックなどで音程があがるにつれて音量を抑え、旋律の音程があがるにつれて1オクターブ下に新しく旋律を追加するようにすれば、無限上昇を実感できる。
文献 [編集 ]

1. ^ 岩波書店 『岩波数学辞典 』第4版

関連項目 [編集 ]

* 右巻き、左巻き
* 二重らせん
* マルウィヤ・ミナレット

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9E%BA%E6%97%8B 」より作成
カテゴリ : 曲線 | 立体図形 | 数学に関する記事

Helix
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This article is about the shape. For other uses, see Helix (disambiguation) .
A helix constructed in brick .
Crystal structure of a folded molecular helix reported by Lehn and coworkers in Helv. Chim. Acta., 2003, 86, 1598-1624.
A natural left-handed helix, made by a climber plant.

A helix (pl: helixes or helices) is a special kind of space curve , i.e. a smooth curve in three-space. As a mental image of a helix one may take the spring (although the spring is not a curve, and so is technically not a helix, it does give a convenient mental picture). A helix is characterised by the fact that the tangent line at any point makes a constant angle with a fixed line. A filled in helix, for example a spiral staircase, is called a helicoid [1] . Helices are important in biology , as the DNA molecule is formed as two intertwined helices , and many proteins have helical substructures, known as alpha helices . The word helix comes from the Greek word ἕλιξ.
Types

Helices can be either right-handed or left-handed. With the line of sight being the helical axis, if clockwise movement of the helix corresponds to axial movement away from the observer, then it is called a right-handed helix. If anti-clockwise movement corresponds to axial movement away from the observer, it is a left-handed helix. Handedness (or chirality ) is a property of the helix, not of the perspective: a right-handed helix cannot be turned or flipped to look like a left-handed one unless it is viewed through a mirror, and vice versa.

Most hardware screws are right-handed helices. The alpha helix in biology as well as the A and B forms of DNA are also right-handed helices. The Z form of DNA is left-handed.

A double helix typically consists geometrically of two congruent helices with the same axis, differing by a translation along the axis, which may or may not be half-way.[2]

A conic helix may be defined as a spiral on a conic surface, with the distance to the apex an exponential function of the angle indicating direction from the axis. An example of a helix would be the Corkscrew roller coaster at Cedar Point amusement park.

A circular helix has constant band curvature and constant torsion . The pitch of a helix is the width of one complete helix turn, measured along the helix axis.

A curve is called a general helix or cylindrical helix[3] if its tangent makes a constant angle with a fixed line in space. A curve is a general helix if and only if the ratio of curvature to torsion is constant[4] .
[edit ] Mathematics

In mathematics , a helix is a curve in 3-dimensional space. The following parametrisation in Cartesian coordinates defines a helix[5] :

x(t) = \cos(t),\,
y(t) = \sin(t),\,
z(t) = t.\,

The helix (cos t, sin t, t) from t = 0 to 4π with arrowheads showing direction of increasing t.

As the parameter t increases, the point (x(t),y(t),z(t)) traces a right-handed helix of pitch 2π about the z-axis, in a right-handed coordinate system.

In cylindrical coordinates (r, θ, h), the same helix is parametrised by:

r(t) = 1,\,
\theta(t) = t,\,
h(t) = t.\,

The above example is an example of circular helix of radius 1 and pitch 2π.

Circular helix of radius a and pitch 2πb is described by the following parametrisation:

x(t) = a\cos(t),\,
y(t) = a\sin(t),\,
z(t) = bt.\,

Another way of mathematically constructing a helix is to plot a complex valued exponential function (e^xi) taking imaginary arguments (see Euler's formula ).

Except for rotations , translations , and changes of scale, all right-handed helices are equivalent to the helix defined above. The equivalent left-handed helix can be constructed in a number of ways, the simplest being to negate any of the x, y or z components.

The length of a circular helix of radius a and pitch 2πb expressed in rectangular coordinates as

t\mapsto (a\cos t, a\sin t, bt), t\in [0,T]

equals T\cdot \sqrt{a^2+b^2}, its curvature is \frac{|a|}{a^2+b^2} and its torsion is \frac{b}{a^2+b^2}.



equals T\cdot \sqrt{a^2+b^2}, its curvature is \frac{|a|}{a^2+b^2} and its torsion is \frac{b}{a^2+b^2}.
[edit ] Examples

In music , pitch space is often modeled with helices or double helices, most often extending out of a circle such as the circle of fifths , so as to represent octave equivalency .


・・・・・

Retrieved from "http://en.wikipedia.org/wiki/Helix "

2009年10月29日 (17:16)

天地創造と精神的フィルター:「水」/「大空」と豊穣なる大河(海)の『-i』

以下のようにKaisetsu氏が精神的フィルターに関して、新たな独創的知見を展開されているが、この「『-i』の豊穣なる大河(海)」という言葉を見て、創世記の冒頭部分の言葉を想起したのである。
 この箇所は奇妙である。「水の中に大空があれ」、あるいは、「大空の下に来る水」と「大空の上に来る水」等の箇所である。
 以前、天地創造については、PS理論からざっと説明したことがある。「水」は一見、-iであり、神霊は+iのようであるが、それより、「水」がMedia Pointであり、神霊は+iではないのかと考えたのである。
 しかし、今、ふと浮かんだのであるが、やはり、神霊を+i(陽)、水を-i(陰)にした方がいいのではないだろうか。そして、両者の共振によって、光⇒+1が生まれるというのはわかりやすい。
 また、「水の中に大空あれ」であるが、この「水の中の大空」とは、Media Point(=精神的フィルター)の虚軸部ではないだろうか。そして、これが、「水の上に来る大空」となり、Media Pointの実軸部が「水の下に来る大空」(後、地となる)ではないだろうか。
 とまれ、「大空」とは、絶対的な裂け目と思われる。そして、「水」は端的に、-iであり、Kaisetsu氏の説く「豊穣なる
大河(海)」に当たるのではないだろうか。
 今はここで留める。

************************

『-i』の豊穣なる大河(海)⇒精神的フィルター(semantic filter )の接触部分
 この稿は、次の続きである。

2009.10.29 Thursday
精神的フィルター(semantic filter )の構造について

 この istructure323 図に於いて、

 





 虚数部分の凸部分と実数部分の凹部分の接触点は

 (+i)*(-1)⇒-i

となる。

 一方、

 虚数部分の凹部分と実数部分の凸部分の接触点は

 (-i)*(+1)⇒-i

となる。(接触の計算は積・除である。)

 つまり、虚数世界と実数世界の即非領域は、全て、(-i)で埋め尽くされているのである。

 (-i)で埋め尽くされた深い裂け目が、虚数世界と実数世界との接合エリアであり、これが、「精神的フィルター(semantic filter )」の本質である。

 虚数世界と実数世界は、絶対的差異であり、決して、連続していない。深い深い裂け目である。この深い深い裂け目が、(-i)で埋め尽くされているのである。豊穣なる(-i)の大河である。深い深い裂け目は、不連続であり、海とも言えよう。(-i)は潮である。この意味で、(-i)の「豊穣なる海」とも表現できる。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=810202
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

*******************

参考:

天地の創造

1:創世記 / 1章 1節

初めに、神は天地を創造された。

2:創世記 / 1章 2節

地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。

3:創世記 / 1章 3節

神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

4:創世記 / 1章 4節

神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、

5:創世記 / 1章 5節

光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。


神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」

7:創世記 / 1章 7節

神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。

8:創世記 / 1章 8節

神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。

9:創世記 / 1章 9節

神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」そのようになった。

10:創世記 / 1章 10節

神は乾いた所を地と呼び、水の集まった所を海と呼ばれた。神はこれを見て、良しとされた。

http://www.bible.or.jp/vers_search/vers_search.cgi

JBS 財団法人日本聖書協会

************************

聖書: 「新世界訳聖書」

創世記 1:1-31

1 初めに神は天と地を創造された。

2 さて,地は形がなく,荒漠としていて,闇が水の深みの表にあった。そして,神の活動する力が水の表を行きめぐっていた。

3 それから神は言われた,「光が生じるように」。すると光があるようになった。 4 そののち神は光を良いとご覧になった。そして神は光と闇との区分を設けられた。 5 そして神は光を“昼”と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と呼ばれた。こうして夕となり,朝となった。一日目である。

6 次いで神は言われた,「水の間に大空が生じ,水と水との間に区分ができるように」。 7 そうして神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった。 8 そして神は大空を“天”と呼ぶことにされた。こうして夕となり,朝となった。二日目である。
9 次いで神は言われた,「天の下の水は一つの場所に集められて乾いた陸地が現われるように」。するとそのようになった。 10 そして神は乾いた陸地を“地”と呼ぶことにし,水の集まったところを“海”と呼ばれた。さらに神は[それを]良いとご覧になった。
http://www.watchtower.org/j/bible/ge/chapter_001.htm

エホバの証人: ものみの塔協会公式ウェブサイト
プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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