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2014年08月22日 (23:06)

欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について

欠陥人類について:他者の存在しない、あるいは、こころの存在しない、自我欲望存在について

テーマ:PS陰陽論:ガウス平面と陰陽論の統合

やはり、人類には、まったく異なる二種類の存在があると思う。これまで、父権的人類と母権的人類と分けてきたが。
 別の分け方では、自我中心人類とこころ中心人類である。
 金融資本主義は前者が支配しているのはわかりやすい。
しかし、大衆はこころ中心人類というよりは、カメレオン的で、御都合主義で、中心的理念はないだろう。いわば、混合的人類である。
 とまれ、自我中心人類であるが、欲望・感情(シュタイナー的にはアストラル体)と自我が結合しているのであり、こころの領域が排除されているというか、非存在なのである。
 そう、シュタイナー的には、アーリマン(自我)とルシファー(恣意)の結合であろう。
 この他者が完全に欠落しているというのは、すごいと言えよう。自我完結主義である。自我の欲望・都合で、他者存在を無視して、行動するのである。專葬邪が典型である。
 問題は、この自我中心主義と金融資本主義(賤民資本主義)が結合しているという事態である。
 自我や同一性主義であるから、他者を否定するし、また、欲望・感情をともなうので、同一性が徹底化すると言えよう。
 正に、悪魔・悪霊的存在である。
 とまれ、こころの欠落、陰陽調和的こころのまったき欠落があるのであり、いわば、欠陥人類である。
 この欠陥人類はいったい何なのだろうか。
 完全に、いわば、ガン細胞の増殖である。
 数字的合理主義は優れているのは認めなくてはならない。
 ただ、それだけである。中味がないのである。量的であり、質がないのである。
 数量的合理主義ロボットである。しかし、反感は猛烈である。
 そう、量的合理主義的悪魔ロボットである。
 彼らを覚醒するのは、至難の業である。
 悪霊とどう付き合うのかである。
 思うに、悪霊のエサを断てばいいのではないだろうか。
 金融資本というエサを断つのである。
やはり、減価貨幣は有力である。
 
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2014年07月13日 (07:01)

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2013年11月12日 (02:25)

有機体物質と気的身体

私は以下の有機体的健康法を否定しないが、根本的ではないと思う。
 私はまだ、氣と有機体物質の関係を知らないが、根本は氣的身体にあると考えている。
 氣的身体理性をベースにして、有機体物質の摂取をすべきかと思う。
 思うに、都市生活をしていると、氣的身体理性を理解するのは難しいと思う。端的に、都市には、氣は極めて少ないからである。
 私は約30年間東京暮らしをした後、現在の森が近くにある場所に住んで約4年5ヶ月になる。
 森の中で長く過すことで、氣によって生きることを体得したのである。これはある意味で不思議なことである。実家は田舎であり、田畑や海川のあるところであるが、そこで、氣を感じてはいたが、氣的身体理性という視点には達しなかったのである。
 それはおいておいて、氣的感性をベースにして、他の健康法を取り入れているのが、今の私のライフスタイルである。

* 「うつ」「 高血圧」に効果 GABAがおいしくなって再ブーム
http://gendai.net/articles/view/life/145812
* 1年でγ―GTP半減例も…しじみ汁はやっぱり肝臓に効く
http://gendai.net/articles/view/life/145814

日刊ゲンダイ ゲンダイネット

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2013年10月09日 (02:25)

何故音楽を聴くのか:生命感と氣

I Need You - America


何故音楽を聴くのか:生命感と氣

ある意味で、音楽を聴いて、つらい浮世をしのいできたと言えよう。音楽には生命感があると直感された。
 しかし、今は、太陰氣学から、よい音楽には氣があると言える。
 おそらく、すぐれた芸術には氣があるだろう。
 とまれ、私の氣の発見は、そんなに古くはない。
 1990年代、ニューエイジブームがあった。新宗教ブームもあった。
 否、それ以前に、そう、80年代前半か半ばに氣について、私は読書していた。(追記:気功ブームがあった。)

気・流れる身体/平河出版社

¥2,100
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 しかし、観念から実感になったのは、もっと後である。
 両親の介護のため、長く住んでいた東京から田舎(農村地帯)へ帰省したとき(平成10年頃か)、実家の部屋の中で、はたと何かを感じたのである。東京にはない何ものかが部屋の中に存在している(充ちていると言えようか)と感じたのである。氣だと思った。
 それが実感としての最初の氣である。しかし、まだ、証拠が足りないと思い、感覚を研ぎ澄ますようになった。
 そして、今や明瞭に氣が存すると唱えるのである。
しかし、神秘的感性はもっと古くからある。中学生の頃、通学路の田んぼの緑に私の心は溶け入ったのである。
 最近は少ないが、死者への霊感はあった。
ところで、オカルトoccultという言葉はよくない。本当は、目に見えない隠れたというような意味である。
 紫外線、赤外線に倣って、感覚外性、感外性とか言う方がいいだろう。
 神秘性は感外性(感覚外性)である。(追記:超感覚というと胡散臭く聞こえるだろう。だから、感外性、感覚外性がいい。)

追記:モーツァルトの音楽を雌牛に聴かすとお乳がよく出るようになるとニュースにあったが、(牛が)モーツァルトの音楽は氣に満ちていると思えば、納得できることである。ただし、アルファー波云々は逆だと思う。氣波動が物質的には、アルファー波的になるのであり、逆は成立しないと思う。

追記2:飯山仙翁が実践しているように、日光には、強度の氣があると私は思っている。光は氣である。人工照明ではなく、自然光である。

追記3:ユング心理学と東洋思想を研究していた湯浅泰雄氏の氣の研究も氣の超越性の認識を私に踏み切らせたものである。そう、私は以前はマルクス主義者で、唯物論者であった。


Mozart, sym 41 Jupiter Frankfurt Radio Symphony Orchestra conducted by Paavo Järvi


参考:
第15回「東洋医学と磁気(1)」
-東洋医学の経絡は「気」の流れか? 生体磁気との関連に世界が注目!-

http://www.tdk.co.jp/techmag/magnetism/zzz15000.htm

「気」とは何か―人体が発するエネルギー (NHKブックス)/日本放送出版協会

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気・修行・身体/平河出版社

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2013年05月01日 (23:16)

エウレカ!:日本そして地球世界の超危機の本質:仁・倫・道命美日本・世界・宇宙革命進化へ

テーマ:仁・倫・道命美日本世界宇宙革命進化

D.H.ロレンスの『ヨーロッパ史の大変動』を読んでいるが、たいへん面白い。というか、精神が激しく刺激される名著である。
 とまれ、ローマ帝国やヨーロッパ初期におけるキリスト教の歴史は実に刺激的である。政治が腐敗し、道徳・希望をもっていたのは、キリスト教だけであったということは、それなりに知っていたつもりであるが、改めて確認して、刺激を受けた。
 そう、キリスト教が勃興した理由は、道徳の問題なのである。
これは正に、今日の日本の問題に当てはまると感じた。キリスト教云々ではなく、道徳の有無の問題である。
 今日、日本の超危機の原因は、道徳・倫理の欠落にあるとはっきりと見えたのである。目から鱗が落ちるように明確に見えたのである。
 私の個人的、社会的周囲の問題も、それであることがわかったのである。悟ったのである。
 日本の政治、経済、司法等の腐敗の原因は道徳心の欠落にあるのである。結局、我欲我執で、倫理を捨て去っているのである。言い換えると、悪魔に魅入られているのである。
 そう、日本社会全体において、道徳・倫理・人道の欠落・欠如・欠損が見られると思う。
 悪魔が取り憑いているのである。そう、私自身の悩みも理由がわかった。私自身における倫理・道徳・人道の欠落があり、それを悟らせるために、苦悩してきたと思えるのである。エウレカ!である。
 そして、引いて言えば、地球世界の超危機の本質も同じである。これは、悪魔的金融資本主義に拠るのである。経済システムがエゴイズム・悪魔主義なので、必然的に人間も無道徳・無軌道になるのである。無道・無法・無徳の世界である。
 エゴイズム資本経済から、共同体資本経済へと進化する必要がある。
 そのためには、先ず、物質主義科学・哲学を乗り越える必要がある。そのために、不連続的陰陽論は役に立つのである。
 これまで、陽=自我としてきたが、実はこれは近似値的である。本当は、自我は超陽である。超陽としての自我があり、それが、陰である他者を排除するのである。超陽とは悪魔(アーリマン)である。
 ポスト唯物論であり、陰陽論のルネサンスが必要である。それもプラトン哲学と結びついた陰陽論であり、また、不連続的差異論をベースにした陰陽論である。つまり、

不連続的陰陽イデア論=不連続的差異論+陰陽論+プラトン哲学
 
である。
 この認識革命をともなって、経済革命も為されなくてはならない。簡単に言えば、陰陽論経済というものが考えられるのである。それは、共同体資本経済である。自然の枠組みにおける資本と労働の共振経済である。
 今はざっと指摘するに留める。

追記:現代日本人の表情や姿が空ろであったり、醜いのは、道徳心が抜けているからである。仁美、倫美、道美が欠落しているのである。
 集団主義が個の自立を阻害しているのである。自我はあるが、個がないのである。
 私が今、感じていることを一言言えば、果たして、近代において、どれほど、日本における独創的な文化があるのか。
 愚痴になるので、これ以上言わない。
 結局、どうして、日本人は倫理・道徳を喪失したのか。これは私自身を含めて問うことである。
 思い浮かぶのは、科学・技術と結びついた資本主義の物質主義に染まってしまい、自我中心主義になって、仁美を喪失したと思うのである。道徳・倫理は躓きの石である。私は大いに躓いた。誰が躓かないだろうか。
 そう、倫理・道徳において、イエス・キリストは生きているのである。キリスト教は仁美・倫美・道美教である。

追記2:仁美、倫美、道美もいいが、仁命、倫命、道命の方が的確だろう。あるいは、仁命美、倫命美、道命美である。

追記3:自我は超陽であると言ったが、視覚主義、視覚中心主義も一種、超陽であろう。あるいは、自我よりも、強く超陽かもしれない。これについて少し考察してみよう。
 視覚はほとんど自我と結びついていると言っていいだろう。光の問題であり、光は陽が陰に自己反射したものであり、それは、同一性の枠をもっているのである。つまり、陰自体は知覚できないのである。そして、自我は超陽であるから、陽の光を誇張する傾向にあると思われる。つまり、反射鏡である陰を離脱して、陽の光を独り歩きさせてしまう傾向が出てくると思われるのである。言い換えると、根源の陰陽共振を阻害して、超陽としての光の帝国が生じるように思えるのである。
 そう、正に、光の帝国主義である。陰である他者が排除され、道徳・倫理が喪失されるのである。
 自我=超陽の光の支配に拠る、根源・本質を喪失した、無道・無軌道・無徳の世界の出現である。端的に、人間は悪魔(アーリマン)化するのである。
 とまれ、視覚主義の悪魔主義を矯正するには、やはり、陰=肚への回帰が必須である。
 陰陽イデア体(頭・胸・肚の三位一体)としての主体を形成する必要があるのである。


参考:
D. H. ロレンスの『欧州史における動き』のエピローグは現代日本人へ ...
http://d.hatena.ne.jp/antares/20110926

2011年9月26日 ... 以下、Google BooksからD. H. ロレンスの学校テキスト用の欧州の歴史の一部を読む
ことができる。実に洞察力に満ちた、 ... D.H.ロレンスのヨーロッパ史のうねり D.H.
ロレンス、D.H. Lawrence、 増口 充 (単行本 - 2000/3). 新品 : ¥ 5,040 ...

D.H.ロレンスのヨーロッパ史のうねり/鳥影社
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2012年08月14日 (18:35)

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2011年03月25日 (00:13)

エウレカ!:風向が極めて重要である:ほとんど悟りである:悟りとは直観だ

テーマ:三千世界の立替え立直し:艮うしとらの金神

3月24日21時現在、福島原発付近の風向は北西の風であり、いわば、「神風」である。
 今日は、私が予測した通り、放射能風(造語)は、少なかったと直感された。なぜなら、爽やか大気だったからだ。そう、私は自分の(気的)身体が放射能のセンサーになると思った次第である。
 呼吸器系、循環器系が弱い(弱かった:心臓手術した)私は、空気、大気、「気」に敏感である。
 本当に今日は久しぶりにさわやかであった。冒頭に述べたが、明日は関東は「神風」状態で、放射能風は少ないだろう。
 ところで、私が思ったのは、この放射能風であるが、偏西風のある日本において、それは、東へと進み、米国を直撃するということである。
 そう、広島、長崎の、いわば、仇討ちである。米国が放射能汚染される可能性はあるのである。
 シュタイナーの霊学では、悪徳のブーメラン効果ということが説かれている。悪事した人間には、後で、悪事に相当するものがお返しに来るということである。 
 私は時間をかけて観察した結果、それは、(かなり)法則的である。米国は日本に悪事を働き、今や、ブーメラン効果で放射能風の直撃を受けるのではないだろうか。
 広島の原爆、長崎の原爆のブーメラン効果で、福島の原発事故が米国の原爆となるのではないだろうか。

* 関東地方の風向:気象庁
* 福島第一、第二原発の避難半径地図と風向き:マピオン
* HAARPグラフ(現状)
* 福島県の風向
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2011年03月14日 (00:31)

東日本大『神』災(日本大『神』災・平成大『神』災)と太陽系差異共振的気エネルギー的地震仮説

テーマ:マニ教とPS理論:光と闇の陰陽双極子

今回の大『神』災は、リーマン・ショックに並ぶ、否、それ以上の影響力を世界史・人類史においてもつと思われる。
 原発路線がこれで崩壊したのであり、当然、それと一体のグリーン路線も崩壊したのであり、また、近代西洋の人間中心主義が崩壊したのであるから。
 先に、ポスト・オクシデント(ポスト西洋)と言ったが、正に、そうであるが、今は、出西洋、Exoccident(エクソクシデント)と言いたい。
 とまれ、主題はそれではなく、先に、触れた太陽系的『気』エネルギーによる地震仮説である。
 先のは、まったく、思考実験であり、あくまで暫定的である。本日、考えたのは、太陽の『気』エネルギー(陰陽エネルギー)を中心とした太陽系ベクトル・モード的地震仮説である。
 即ち、太陽を凸i*凹iと表現すると、凸i*凹i⇒凸において、⇒がベクトル・モードとなり、凸が表現体である。端的に、凸は太陽系である。
 すると、太陽ベクトル・モードに太陽系の諸惑星(小惑星や月を含めて)が形成されることになる。
 ここで、考察を簡潔にするために、太陽と太陽ベクトル・モードにおける地球(あるいは、地球と月)の関係を考える。
 太陽ベクトル・モードは、太陽陰陽『気』エネルギーによって形成されるのであり、太陽陰陽『気』エネルギーが活性化するとき、当然、恒常的な関係が変化して、その活性化に即した太陽ベクトル・モードのためのエネルギーが発生すると考えられる。
 最近は太陽活動が盛んであり、来年は黒点が最大化する。それは、太陽陰陽『気』エネルギーの賦活と考えると、当然、太陽ベクトル・モードのエネルギーが活性化して、地球へのエネルギー、『気』エネルギーが活発となり、そのため、地球のマグマ等の活動に影響を与えると考えられる。その結果、火山噴火や断層の活性化による地震が増大すると考えられるだろう。
 だから、結局は、太陽陰陽『気』力学を明確にすることで、地球での地震発生のメカニズムが明らかになるのではないだろうか。それは、当然、月との関係も考慮に入れなくてはならないが。
 思いつきであるが、地球と月との関係は、太陽と地球との関係との相似で説明できないだろうか。そう、ここで、フラクタルの考えが基本になるようである。
 今はここで留める。
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2010年10月21日 (09:07)

「偽装自我」と「真正な無我」:+1凹i*+1凸i=+1の民主党指導層?

以下、生成門氏の偽装自我VS真正の無我の視点は興味深い。
 これは、意識と無意識(潜在意識)にも関係しよう。私は民主党の左派的人間の自我とその反動性の力学をどう解明しようかとは感じていたのでもあった。
 言うことと為すことがまったく乖離し、正反対になっている民主党の指導部であるが、それは偽装自我の視点で説明できよう。他者、凹iが欠落しているのである。正確に言えば、-1凹i(第三象限)の他者である。だから、他者偽装するのである。「コンクリートから人へ」。
 思うに、純粋な(?)自我の人は、+1凸i(第一象限)であり、他者偽装しない。ストレートである。他者偽装するのは下心があるからである。それは、+1凹i(第四象限)であろう。これが、他者偽装するのである。
 そう見ると、民主党指導層は、+1凹i(他者偽装)と+i凸i(自我)の二重人格であると言えよう。選挙では、前者が前面に出て、後者を引っ込める。そして、選挙に勝つと、逆転して、前者が消えて、後者となる。
 かれらに「個」ないし真正の無我がないのは、-1の超越性が欠落しているからである。つねに、二重性を使い分ける、悪賢い人間なのである。しかしながら、真実、真理は、-1の領域ないし第二象限か第三象限に存するのである。故に、彼らは愚鈍・愚劣でもあるのである。
 意識と潜在意識で言えば、意識が自我であり、潜在意識が偽装他者である。
 ここから、ペテン師の真相がわかる。偽装他者(偽装自我)を使って、欺し、自我利益+1を獲得するのである。
 外交もこの面が強いだろう。ただし、常に、-1をもっていないと、見透かされ、馬鹿にされる、民主党指導層のように。小沢一郎が一目置かれるのは、あるいは、恐れられるのは、-1、ないしは、第二象限と第三象限があるからである。誠意、誠実さとは-1に拠るのである。
 ここから、政治教育がはっきり認識される。プラトン哲学も、-1の認識を目指したものと言えよう。

参照:人間認識図(by Mr Kaisetsu)
人間認識図

********************

本来、+1凹iは自我の対称性である無我ですから、無我の心-1凹iの反転した現れのはずですが、+1凸iの自我から反動した+1凹iは、無我ではなく擬装自我なのです。つまり無我のように見えて真正の無我ではなく、恨みを抱えた自我なのです。

+1の反動

+1凸i=自我→(反動)→+1凹i=無我(擬装自我)

-1からの反転

-1凸i(凹i?)=無我の心→(反転)→+1凹i=真正の無我


擬装自我と真正の無我の心との戦いが、この物語の主人公チュモンの生き様であり、テーマでもあるのです。

無我の心とは-1凹iであり、それを反転した+1凹iが真正の無我の自己であり、自我+1凸iから反動したのが+1凹iの擬装自我なのです。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100098199050

* チュモンというベクトル・モード(1):恨みは進化の原動力 (1)

シムダンス「四次元能」

参考:
東明聖王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
曖昧さ回避 この項目では、歴史上の人物について記述しています。この人をモデルにしたドラマについては「朱蒙 (テレビドラマ) 」をご覧ください。
東明聖王
Goguryeo-monarchs(1-6).PNG
各種表記
ハングル : 동명성왕
現地における漢字 : 東明聖王
現地語読みの片仮名 表記: トンミョンソンワン
英語 : Dongmyeong-seongwang
表 ・話 ・編 ・歴

東明聖王(とうめいせいおう、(紀元前58年 - 紀元前19年 )は、高句麗 の初代国王(在位:紀元前37年 - 紀元前19年 )であり、東明王とも呼ばれる。姓は高、諱 は朱蒙(しゅもう、주몽、チュモン)または鄒牟(すうむ、추모、チュム)、衆解(しゅうかい、중해、チュンヘ)とされる[1] 。天帝の子を自称する解慕漱 (かいぼそう、해모수、ヘモス)の子、または扶余 の金蛙王 (きんあおう、금와왕、クムワワン)の庶子とされる。扶余の7人の王子と対立し、卒本(チョルボン 遼寧省 本渓市 桓仁 )に亡命して高句麗を建国し、初代の王となった。
建国神話 [編集 ]

「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、扶余・高句麗・百済 に共通して見られるが、歴史的にみれば扶余建国神話の東明と高句麗始祖の朱蒙とは別の人物だと見当がつく。しかしながら東明伝説も朱蒙伝説も筋書が構造的に共通するところが多く、その特徴は檀君 神話と同じく、王の政治的権威の源泉を天に帰属させながら、農業生産を左右する水の神霊の権威を同時に主張することである。ここでは高句麗の建国神話を『三国史記 』に基づいて記述する。扶余の建国神話については後述。百済の始祖神話については、「温祚王#建国神話 」を参照。
天の神の子 [編集 ]

朱蒙は河伯 (ハベク、水神)の娘である柳花(りゅうか、ユファ)を、天帝の子を自称する解慕漱(かいぼそうヘ・モス)が孕ませて出来た子と言う。父の怒りを買って扶余 王の金蛙の所へ送られた柳花を金蛙王が屋敷の中に閉じ込めていると、日の光が柳花を照らし、柳花が身を引いて逃げても日の光がこれを追って照らし、このようにして柳花は身ごもり、やがて大きな卵を産んだ(古代朝鮮では卵は神聖なものとされており、この話は朱蒙を神格化するためのものであると考えられる)。金蛙王はそれを気味が悪いとし、豚小屋などに捨てさせるが、豚がおびえて近かづかなかった。金蛙王はあらゆるところに捨てようとしたが、鳥が卵を抱いて守った。終いには自らで壊そうとしたが硬くて壊せなかった。数日後卵が割れ、男の子が生まれた。それが朱蒙である。
金蛙王の7人の王子たちとの対立 [編集 ]

朱蒙の名の由来は東扶余の言葉で弓 の達人と言う意味である。朱蒙は名のとおり、弓の達人であったために7人の王子に睨まれた。

朱蒙が20歳になったとき烏伊・摩利・陝父(オイ・マリ・ヒョッポ)の家臣ができた。ある日その3人と一緒に狩に出かけた朱蒙は金蛙王(クムワ)の7人の王子と出会ってしまった。王子たちは1匹の鹿 しか捕まえられなかったが、朱蒙は6匹の鹿を捕まえた。王子たちは落ち込んだが、もう一度狩りをすることになった。王子たちは朱蒙たちの獲物を奪い、朱蒙たちを木に縛って王宮に帰ってしまった。朱蒙は木を引っこ抜き、縄を切って3人の家来たちを助け、王宮に帰った。これを知った、7人の王子たちは父である金蛙王に讒言し、朱蒙を馬小屋の番人にしてしまった。

母親である柳花は朱蒙を脱出させようと考え、良い馬を選ばせることを決心した。そして朱蒙はある馬屋に行って幾多の馬に鞭を振り回し、その中で一番高く飛び上がった馬の舌に針をさしておいた。その馬はまともに食べることができなくなり、痩せて格好悪くなってしまった。金蛙王がその馬を朱蒙に与えた後、朱蒙は馬の舌からやっと針を抜き出し、三日間にわたってその馬に餌を食べさせた。
亡命と建国 [編集 ]

朱蒙は烏伊・摩離・陝父らとともに旅に出た。淹水(鴨緑江の東北)まで来たときに橋がなく、追っ手に追いつかれるのを恐れて、川に向かって「私は天帝の子で河伯(水神)の外孫である。今日、逃走してきたが追っ手が迫ろうとしている。どうすればいいだろうか」と言った。そうすると、魚や鼈(スッポン)が浮かんできて橋を作り、朱蒙たちは渡ることができた。朱蒙たちが渡り終わると魚たちの橋は解かれ、追っ手は河を渡れなかった。さらに進んで卒本に至って都邑を決め、漢 の孝元帝 の建昭 2年(西暦紀元前37年 )、新羅 祖の赫居世 21年の甲申歳(紀元前37年)に国を建て高句麗 とした。即位直後より辺方を侵略した靺鞨 族を討伐して高句麗の民とし、沸流国松譲王の降参を受け、太白山(白頭山 )東南の荇人(ヘンイン)国を征伐し、紀元前28年には北沃沮 を滅亡させた。
王位の継承 [編集 ]

紀元前19年5月、王子の類利(るいり、ユリ、後の瑠璃明王 )がその母(礼氏)とともに扶余から逃れてきた。朱蒙はこのことを喜び、類利を太子として後に王位を受け継がせた。同年9月に朱蒙は40歳で亡くなり、龍山に葬られて諡 号を東明聖王とされた。
建国の年 [編集 ]

『三国史記 』高句麗本紀に広開土王 は東明聖王の12世孫とするが、好太王碑(広開土王碑 )では好太王は鄒牟王の17世孫とする。このことから高句麗の建国となった甲申歳を紀元前277年にする説もある。また、『三国史記』は新羅 王室に連なる慶州金氏 の金富軾 が編纂したものであり、新羅中心主義的な記述とするために高句麗の建国年を新羅の建国よりも後にした、との見方もされている。
扶余の建国伝説との比較 [編集 ]

『後漢書 』夫余伝に見られる建国神話は、以下の通り。

昔、北方に索離国という国があり、王の婢が言われなく身籠ったため、王はこの婢を殺そうとした。婢は「天空に神聖なる気が立ちこめ、私に降り注いだために身籠ったのです」と答えた。王はこの婢を軟禁し、後に男子が生まれた。王はこの子を豚に食べさせようとして豚小屋の前に置いたが、案に相違して豚は息を吹きかけてその子を守ろうとし、死ぬことがなかった。王は今度は馬小屋に持っていったが、馬も同じようにその子を守ろうとした。王はこれは神意を表すものと思い、その母を許してその男子を東明と名づけた。東明は成長して弓術に優れたので、王は東明の勇猛振りを恐れて、これを殺そうと考えた。そこで東明は南方へ逃走し、掩水に至った。川に向かって東明が弓を射ると、魚や鼈が浮かんできて橋を作り、東明はこれに乗って渡り逃れることができた。そして夫余の地に至って王となった。

「扶余の始祖としての東明」の伝説は、古くは『論衡 』吉験篇に見られる。また、『三国志 』夫余伝が『魏略 』からの孫引きとして伝えており、これらの史書の中の高句麗伝では、始祖伝説は見られない。『魏書 』に至って扶余伝はなくなり、代わりに高句麗伝のなかで高句麗の始祖伝説が伝えられるようになった。その伝説の骨子は、元来の東明伝説(扶余の建国神話)に、河伯(水神)の外孫であること、卵生であること、という要素が加わって、高句麗が扶余から出たこと、名を朱蒙とするというものである。また、東明伝説において東明が弓術に優れていたとするのと呼応するように、「朱蒙」という語は「善射」を意味する、とも書かれる。後に高麗 の時代になって、『三国史記 』(1145年 撰上)では、高句麗の始祖を「諱 が朱蒙、諡 が東明聖王」とするようになり、高麗の詩人である李奎報 (1168年-1241年)の叙事詩「東明王篇」(1194年 )においても、高句麗の始祖を東明王と同一視するようになった。さらには『三国遺事 』の時代になって民族的統合の象徴として檀君 に系譜化され、「東明王である朱蒙は檀君の子である」とされるようになったと考えられている。

従来より、扶余の東明伝説と高句麗の朱蒙伝説との共通構造から、両者の民族的同一性が唱えられてきた。しかしこれらの始祖伝説は単純に同一とはみなせず、高句麗の始祖伝説には南方系の卵生型説話の要素を含んでいることや、広開土王碑 文や『魏書』高句麗伝には「東明」の表現が見られないことなどから、東明伝説の構成を元に高句麗独自の概念を踏まえた始祖伝説が形成され、後には『三国史記 』には東明聖王と朱蒙とが同一視されたもの、と考えられている。
陵墓 [編集 ]

東明聖王の陵墓は平壌市 の東方25Kmの地点に推定陵墓が存在し、東明王陵と称されている。元来は集安 にあったものを、平壌遷都とともに遷されている。1993年 5月14日 に金日成 の指示により整備が行われ、敷地面積約220ha、王陵区域、定陵寺区域、陪墳区域が整備された。陵墓は1辺32m、高さ11.5mであり、周囲には中門、祭祀堂、石像などが設けられている。玄室内部には29種の壁画が描かれている。
東明聖王が登場する作品 [編集 ]

* 朱蒙 (テレビドラマ) (2006年、演:ソン・イルグク )

脚注 [編集 ]

1. ^ 高句麗語 に声調 があったかわからないが、中国語 とベトナム語 において「蒙」字は平声 東韻で、「解」字は上声 蟹韻で読まれている。

参考文献 [編集 ]

* 『三国史記 』第2巻 金富軾 撰 井上秀雄 訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
* 『朝鮮史』 武田幸男 編、山川出版社<新版世界各国史2>、2000 ISBN 4-634-41320-5

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表 ・話 ・編 ・歴
高句麗王 (初代:前37年 - 前19年 )

東明聖王 / 瑠璃明王 / 大武神王 / 閔中王 / 慕本王 / 太祖大王 / 次大王 / 新大王 / 故国川王 / 山上王 / 東川王 / 中川王 / 西川王 / 烽上王 / 美川王 / 故国原王 / 小獣林王 / 故国壌王 / 好太王 / 長寿王 / 文咨明王 / 安臧王 ‎ / 安原王 / 陽原王 / 平原王 / 嬰陽王 / 栄留王 / 宝臧王
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2009年12月27日 (20:40)

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