--年--月--日 (--:--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2009年01月01日 (15:49)

賀正


















スポンサーサイト
カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2008年09月18日 (15:38)

更新の休止

しばらく更新はお休みします。
なお、以下のブログで更新は続けています。
Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
http://ameblo.jp/renshi

INNOVATION OF PHILOSOPHY: NEW PLATONIC SYNERGY THEORY
http://protophilosophy.noblog.net/
カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2006年09月11日 (08:34)

同一性自我狂気病、自我精神病(自己愛性人格障害)について:超越論的構造におけるポストモダン事象

自己愛性人格障害という名称は、生ぬるいと思う。自我狂気病と見るのが正しいと思う。現代、この自我狂気病ないし自我精神病が蔓延している。この自我精神病について、再考したい。
 先に、「揺らぎのない芸術は情操を高めない」というタイトルで、記事を引用したが、自我狂気病は、確かに、「揺らぎ」がない。「揺らぎ」とは、本来、メディア界がもたらすものである。だから、これまで、差異(メディア界)を否定・排除・隠蔽する同一性中心自我の様態にぴったりとあてはまると言えよう。
 これまで理論的解明をしてきたが、やはり、この絶対的否定の原因が、よくわからないという思いがするのである。というか、不思議な感じがするのである。
 とまれ、具体的な事象で考えよう。揺らぎの有無が出たので、考えると、現在、流行しているような若者の歌には、揺らぎが欠落している。そう、若者だけでなく、いわゆる、演歌歌手の歌にも、揺らぎが欠けている。いわば、頭だけで歌っているのである。頭とは、この場合、近代的自我の頭と考えられるのである。差異・メディア界の揺らぎがないのである。これは、音楽で言えば、直接的に、響きの質の問題である。響きの質に揺らぎがないということである。共振シナジー相が排除されているということである。
 どうも、何か洗脳されている向きがあるのである。本当の歌を、生産せずに、同一性の似非歌を生産しているのである。これは、当然、同一性の自我を発生させることになる。
 ここには、観念の問題がある。言語観念である。思うに、観念は、二つはある。メディア界的観念と言語観念である。(イデアとは、本来、前者である。これは、ヴィジョンに近い観念と言えよう。また、私が先に、ウィーンフィルとベルリンフィルの相違について述べたが、ここの問題と一致する。)言い換えると、差異観念と同一性観念の違いである。結局、歌の観念が、現代、後者、同一性観念になっているということである。歌の声が、同一性観念になっているということである。これは、結局、貨幣と同じである。
 
ナルシス
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Narcissus.jpg

 同一性自我狂気病は、正に、近代主義の帰結と言えよう。この大本は、プロテスタンティズムと言っていいだろう。また、デカルトのコギトの半面の同一性からである。そう、超越論的同一性なのである。形而上学的同一性なのである。単なる現象界の同一性ではないのである。これこそ、デリダが問題にした「ロゴス中心主義」である。カント哲学の超越論的形式と等しいだろう。超越論的同一性形式と言ってもいいだろう。これは、ヒエラルキー的同一性秩序をもつものである。つまり、同一性が高位・優位にあり、差異が低位・劣位にあるという価値観である。これは、メディア界の対極性・極性を分離二元論にしたものとも言えよう。プラスとマイナスが対極を為していたが、同一性化とは、プラスを優位とし、マイナスを劣位としたのである。しかし、本来両者が極性を為していたのである。例えば、天と地との分離的二元論であるが、本来、天と地とは、対極性で一体のものである。正に、陰陽を形成していたのである。つまり、プラス・エネルギーが作用・作動して、陰陽が分離して、陽が陰に対して、優位に立ったと言えよう。ここで、留意すべきは、陰が否定されたのではなくて、差異が否定されたことである。対極性が否定されたことである。天と地との二元論は、天を優位にしても、地を優位にしても、同形である。ここにあるのは、差異、差異共振、差異極性の否定である。
 しかし、これまで、述べたように、マイナス・エネルギーが作用すると、再び、差異が発動するようになるのである。これは、超越論的領域に起こるのである。つまり、超越論的同一性形式の場に、差異が発生するのである。つまり、それまで、同一性の構造であった場(超越場、内在超越場)に差異の構造が発現するのである。これは、たいへんの事態である。つまり、それまで、アリストテレス的形式論理学の「帝国」に、対極性・即非の論理学・ターシャム・オルガヌムが出現するからである。これは、大事件である。正に、革命的事件である。この差異再発の事件こそ、ポスト近代の事象であると考えられるだろう。当然、自我は、混乱するのである。自我に差異という怪物が急襲したのである。これが、本当のポスト・モダンの意味である。いわゆる、ポストモダンは、真正のポスト・モダンの応急処置のようなものではなかったか。真正ポスト・モダン(ディープ・ポストモダン)とは、ニーチェ哲学のような事態であり、フッサール現象学の探求に存する。
 とまれ、超越論的構造における差異の再出現という大事件によって、近代的自我は混乱、カオスの状態に陥るのである。私見では、これが、「自己愛性人格障害」の本体ではないかと思えるのである。近代的自我、同一性中心自我にとって、在り得ない、不可能な事態が発現したのである。差異の力動、エネルギーが再発動・駆動したのである。この差異の発動が、近代的自我・同一自我に否定されて、反動狂気となっているのである。つまり、差異を否定しようとする憎悪・暴力・攻撃がここにあるのであるし、また、この、正に、反動暴力が、狂気凶暴な傲慢さを発生させていると考えられるのである。即ち、高位・優位の同一性自我は、差異を否定することで、成立・確立するのだが、しかし、ポストモダン事象によって、差異が再発動して、この前提が危うくされているのである。つまり、同一性を否定する差異の事象が再発現したのである。当然、同一性は、この差異を激しく否定する。蛇蝎のごとく、忌み嫌うように憎悪するのである。つまり、ポストモダン事象において、近代的自我は、分裂症、二重人格になるのである。高位・優位の同一性自我と同列の、対等の差異自我が発生するのであるが、前者が後者を否定・排除・隠蔽しようとするのである。そう、抑圧するのである。しかし、自己に存在し、また、進展するものを抑圧するので、当然、病理的になるのである。この差異への抑圧が反動病理になるのであり、これが、「自己愛性人格障害」として発症しているのだと考えられるのである。そして、唯物論的資本主義は、差異知性・差異教養・差異理性を排除しているので(ヴァンダリズム、石原都知事の都立大破壊)、この近代的自我狂気病は、治癒方法を喪失して、蔓延するのである。
 結局、近代的自我が否定した差異を肯定することが治癒につながるのである。そう、先に流行したポストモダンではだめである。DD/PS(DDPS)理論こそ、これを完遂できる理論と考えられるのである。つまり、流行したポストモダンは、DD/PS理論から見ると、メディア界に達したが、イデア界を捉えていないのであり、そのため、同一性構造から真に脱却できなかったのである。いったん、イデア界に達することから、純粋なメディア界に達することができるからである。不連続的差異の共立するイデア界に回帰して、純粋メディア界が生起するのである。これが、純粋ポストモダン、純粋ポスト構造主義である。

p.s. 同一性自我について、新たに考えると、これは、本来、差異自我が、同一性自我へと、いわば、転移ないし投影しているのである。同一性自我の投影像である。神話のナルシスであるが、水面に映る自我像とは、正に、同一性自我像であり、差異自我自身が自身をこれに投影しているのである。つまり、これは、まったく幻想・幻像なのである。差異自我自身が、同一性自我の仮面(パーソナリティ)をつけている、かぶっているからである。差異でありながら、同一性であると過信、盲信、妄信しているのである。つまり、同一性自我は、もともと、幻影・虚偽・虚構・欺瞞・虚栄的なのである。
 プラス・エネルギーの時は、これが、能動的であるからいいが、ポストモダン事象においては、仮面の具合が悪くなるのである。仮面の下の、真相が剥き出しになろうとするのである。仮面破壊が生起するのである。これに対して、同一性自我は、反動的に抑圧するために、病理・狂気的になるのである。「自己愛性人格障害」を哲学するとこうなるだろう。ナルシス

カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2005年10月09日 (01:30)

デモクラシーとインターネット:言葉と叡知実践:ソフィオプラクティス

先の選挙に関係してわかったように、マスコミ(テレビや大手新聞)が、御用メディアであることであり、インターネットにおいて、デモクラシーが生きているということである。もっとも、ネットでも、洗脳されたものは洗脳されたままであったが。
 今日、確かに、映像(テレビ、映画、DVD等)の力は大きく、出版は不振であるが、活字文化は、実は、ネットで一種蘇っていると言えるのではないだろうか。出版文化が今危機にあると言えるだろう。私は自分では活字人間、本好きとは思っていないが、アトランダムなかなりの蔵書がある。しかし、大事なのは、言葉よりは、真理だと思う。知恵だと思う。だから、私自身は、活字人間、本人間ではないと思っている。ビブリオマニアではなくて、フィロソフィア人間である。そう、ソフィア愛人間である。
 何が言いたいのかと言うと、様々なメディアを通して、ソフィア(知恵)をもち、実践することが大事だと思う。フィロソプラクティカルである。西欧近代は、グーテンベルグの活字印刷から始まったと言えるだろう。しかし、今日、言葉やメディアを通して、叡知実践をもつことが必要になっているのではないか。マスコミが御用メディアになっているのは、単にメディア業に過ぎず、叡知実践を忘却しているからだろう。言葉より、ソフィオプラクティスと言いたい。
カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2005年10月07日 (18:39)

著名発明家が予測「人類は最先端技術と『融合』する」(上)

著名発明家が予測「人類は最先端技術と『融合』する」(上)
Mark Baard

 マサチューセッツ州ケンブリッジ発――レイ・カーツワイル氏が人類の未来について記した新刊書、『シンギュラリティーは近い』(The Singularity Is Near)に収められた写真には、書名を記した広告をぶら下げたカーツワイル氏(写真)が写っている。

 「この写真は、私が言っていることと、[キリストの再臨を信者たちが街頭で呼びかける]千年期の予言との、表面的な類似性を茶化したものだ」と、カーツワイル氏は説明する。

 カーツワイル氏は、新著の書名で、「シンギュラリティー(特異点)が近く到来する」と呼びかけている。同氏はこの本の中で、そう遠くない未来に、テクノロジーと生物学は1つにまとまり、非生物学的な生命を生み出すだろうと予測しているのだ。

 カーツワイル氏は9月29日(米国時間)、『テクノロジー・レビュー』誌がマサチューセッツ工科大学(MIT)で開催した『未来技術会議』で講演を行なった。その中で、カーツワイル氏は、「遺伝子工学(G)、ナノテクノロジー(N)、ロボット工学(R)」、すなわち「GNR」が数十年後に1つにまとまり、寿命を延ばし社会を向上させると考える根拠を説明しようとした。

 人工知能の専門家、発明家(独自に開発したシンセサイザーは有名)、未来学者などいくつもの顔を持つカーツワイル氏は、MITのクレスギ講堂で行なったこの講演で、パラダイムシフトを特徴とするテクノロジーの発展は、人間の生物学的進化のペースに匹敵する、急激なペースで進んでいると語った。

 人類がGNRの進歩の恩恵を受ける日も近いと、カーツワイル氏は話す。

 カーツワイル氏は実際、人類は「今後15年間、自分の体を大事にすること」によって、こうした進歩に備えるべきだと提案している。15年後には、新しいテクノロジーによって寿命の延長が始まり、われわれは21世紀の終わりまで生きられるようになり、さらには永遠の寿命を手にするかもしれないというのだ。

 これが途方もない発言に感じられるなら、カーツワイル氏の予言には輝かしい実績があることを考えてみてほしい。

 カーツワイル氏は20年前、インターネットの前身である『アーパネット』が急激に発展すると予測した。「われわれは(以前にも)この種の急激な進歩は経験してきている」と、カーツワイル氏。

 そしてこれからも、生物科学と通信において同様の急激な変化を見ることになるだろうと、カーツワイル氏は語る。

 「やがては、われわれはこれらのテクノロジーと融合するだろう」と、カーツワイル氏は予測する。そして、その時点――シンギュラリティー――では、人間は不死になり、思いのままに姿かたちや環境を変えられるようになるだろうと、カーツワイル氏は考えている。

 「シンギュラリティー以降は、人間と機械の区別も、物理的現実と仮想現実の区別もなくなるだろう」と、カーツワイル氏は自著の中で述べている。

 カーツワイル氏は、シンギュラリティー以降の世界がどのような姿になるか、明確に思い描いているわけではない。だが同氏は、ワイアード・ニュースとのインタビューで、「身体と脳による制約から解放されることは想像できる。人間が即座に物理的形態を変えられるようになることが考えられる」と語った。

 カーツワイル氏のシンギュラリティー理論の中心にあるのは、パラダイムシフト、すなわち従来の通念を変える新たな発見だ。

 たとえば、そうした劇的な変化が、新薬を発見し開発する創薬の科学を発展させることになる。

 「今日、市場に出ている薬品の多くは、古いパラダイムに基づいている」とカーツワイル氏は話す。「血圧を下げる物質を見つけるために、1万種類もの化合物を試している。しかも、こうした薬品にはどんな副作用があるかわからない」。しかし、生物学が発展し、情報技術に変わりつつある――バイオテクノロジーと呼ばれるようにもなった――ため、今後は人工知能がよりすぐれた薬物療法を開発できるようになるだろうと、カーツワイル氏は語った。

(10/11に続く)

[日本語版:近藤尚子/高森郁哉]
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20051007301.html
カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2005年10月07日 (11:17)

こちらのブログに引っ越すことにしました。

アメブロが混雑して、接続がしにくいので、
こちらをメイン・ブログにすることにしました。
http://ameblo.jp/renshi/
カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)

2005年08月15日 (04:55)

初めまして

これから、差異共存資本主義というものを考えたいと思っています。

とりあえず、私のHPを御覧ください。リンクにある
『ソフィオロジー(叡智学)へ向けて』がそうです。
http://ameblo.jp/renshi/
カテゴリ : ブログ記事のURL コメント (0) トラックバック (0)
プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

Appendix


ブログ内検索
RSSフィード
リンク
このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。