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2010年03月24日 (20:02)

日本の政治の時代遅れ:未だに封建/近代主義だ:知の貧困が政治・経済・社会の貧困をもたらす

オバマ大統領はアフガン問題では戦争屋路線であるが、それとは別に、国内では、自由共同体主義(Kaisetsu氏のリベラル・コミュニズム)を志向して いる。
 これは、既述したように、米国の伝統的民主主義への回帰なのである(参照:トクヴィルの『米国の民主主義』)。伝統への創造的回帰である。
 しかるに、現代日本の民主党政治はどうだろうか。そこには、美辞麗句による売国・亡国的政治があるのである。
 結局、真の合理性が欠落しているのである。真の合理性とは、Media Point Rationalismである。不連続的差異(共振)的合理性である。
 米国と日本のこの相違の原因は何だろうか。結局、教養・知性の問題である。
 米国は今や、差異=精神を見ているのであるが、日本は未だに同一性=物質のみを見ているのである。

Obama signs landmark health bill President Barack Obama sealed the first triumph of his young presidency when he signed historic healthcare legislation into law, realising a goal that had eluded generations of Democratic leaders
http://link.ft.com/r/19JYUU/26VECR/P3KPK/267R62/9Z71UB/1G/h

哲学と科学の融合としてのPS理論
テーマ:プラトニック・シナジー理論
哲学なき科学は盲目であり、科学なき哲学も盲目である。
 PS理論は、哲学と科学のピュタゴラス/プラトン的現代的融合である。しかしながら、正確に言うと、仏教を中心として宗教も入るのである。しかしなが ら、仏教は精神哲学と見るのが的確である。
 とまれ、哲学とは、PS理論が明らかにしたのは、それが、精神的知性の論理学であるということである。そして、精神とは超越的エネルギーであり、ここ で、自然科学と結合することができるのである。
 超越的エネルギーは電磁波と関係するのである。これは、PS理論のMedia Pointの概念に基づくのである。
 言い換えると、精神的エネルギーが虚数によって数理化されたことがブレーク・スルーなのである。近代合理主義においては、精神と物質は二元論化されて、 別々のものとされたのである。
 とまれ、精神(=電磁波)が原因で物質が生まれるというプラトニズム的視点が現代的に確認されたのであり、脱近代、すなわち、トランス・モダンの視点が 明確に生まれたのである。即ち、近代の終焉であり、新たな東洋の誕生である。

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2010年03月05日 (23:00)

『大学・中庸』は智慧・叡知の書であり、大古典である:中国の基底にある母権文化を評価する必要がある

テーマ:日本ルネサンス:西洋を包摂した新東洋文明

以下、現代語訳部分を中心に読了したが、朱子(朱熹)の注釈部分は未読である。
 注釈者・翻訳者金谷治氏の方針は、朱子によって権威づけられた読みを排除して、『大学』と『中庸』本来のテクストに戻って読むことであり、それが管見ながら、大成功を収めたと考えられる。
 とまれ、画期的、ブレーク・スルー的な読解である。端的に言えば、儒教・儒学は、朱子路線によって改変されているということだろう。あるいは、孔子路線によって。
 私見では、この智慧の書の読み方は、基底の母権文化と上層の父権文化との二重性に注意する批判的リーディングである。中国の古典には、以前『論語』について述べたように、基底に母権文化があるのであり、その上に父権文化を戴いているのである。
 思うに、『大学』も『中庸』もベースは母権文化の叡知である。それを父権的にアレンジしているのが見えるのである。これは、ギリシア神話や記紀や聖書等と共通する事態であると考えられる。
 とにかく、この書は智慧・叡知の書として今日でも役立つものである。

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トランス・モダン的漢籍:『大学・中庸』:有徳から富が生まれる
テーマ:読書案内

これまで儒教というと、孔子が中心となってきたが、この『大学』は数章を読んだだけだが、実にトランス・モダン的哲学・思想となっている。有徳から富が生まれるのであり、逆ではないというのである。思うに、この道徳的経済論が日本の伝統的経済を生んできたと言えよう。漢籍はすばらしい。温故知新。

Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

大学・中庸 (岩波文庫) (文庫)
金谷 治 (翻訳)

カスターレビュー

大学・中庸ともに平易な現代語訳が、充実した注を伴って解説されており、容易に理解できます。難しい書だと構えて読む必要はありません。両者を合わせても分量は短く通読も容易です。“大学”は己自身を収めて(修己)こそ、人を治める(治人)ことができることを述べており、人の上に立つ人間であれば(親であれ、上司であれ)必読の書と言えます。修己には自分のおもいを誠実にすることが必要で、それは自分で自分をごまかさない、自ら欺くことがない(その独を慎む、慎独)ということであると述べています。“中庸”は、誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なりの言葉に代表されるように、人間の本性である“誠”に従う道を示します。至誠の人は、他人はおろか物の本性をも十分に発揮させることができ、天地自然の造化育成を助けるまでの天地と並ぶ存在になると説きます。大学・中庸とも解説が素晴らしく、成立の歴史的背景が詳述され、原文の意味は勿論、それ以降の朱子学者の解釈、江戸時代から近現代の解釈を比較しており、学問的に高い信頼の置ける名著と言えます。

訳注者の金谷治氏自身が解説で述べているように、本書の意味は、「儒教」というよりは「朱子学」のなかで特別なテキストとされてきた「大学」「中庸」の二書に、朱子以前の古義を追求する読みをした、という点である。単に儒教=朱子学入門として本書を読むならば、島田虔次氏の訳注本(朝日古典選)のほうがよい。評者は島田氏の本を先に読み、その後でこの金谷氏のものを読んだので、朱子の注釈によらないこの本の読みは新鮮で興味深かった。というのは、朱子はこのテクストを、オリジナルな意味を尊重するよりは、自らの哲学体系の構築のために利用しているからである。しかし、江戸期には朱子学が公式の学問として採用されたために、朱熹の読みがむしろ正当の読みとされてきたことは注意すべきだろう。
 「大学」は、天下を治めるためには一身を治めることがすべてである、とする、道徳的政治観を述べた本。「中庸」は、前半が「中庸の徳」を持つことがいかにむずかしいか、後半が「誠」、すなわち「性」に従い修養することの大切さを述べた本である。

大学・中庸は、論語、孟子とあわせて四書をなす。日本人の民族思想を知る上で四書五経は避けてとおれないので、ともかく、一度は目を通しておきたいと思い、手に取った。

大学・中庸はもともと礼記49編の一部で、宋代(13世紀)に朱子が再評価して、論語・孟子とともに新儒教(=宋学=朱子学)の聖典としたものだそうだ。朱子はとくに大学への思い入れが深く、原文に大幅に手を加えて改変したばかりでなく、死の三日前まで自身の注釈書に筆をいれ続けたという。

しかし、朱子の「大学」には江戸期から解釈に誤りがあるとして批判も多く、本書では朱子の書き直した大学ではなく、もともとのテキストをとりあげ、原文、読み下し文、訳文という体裁で解説を加えたものだそうだ。

内容はむろん、一読したくらいでちゃんと理解できるものではないが、江戸期の小学生がこういうものを教科書として読んでいたのかと思うと、正直驚いてしまう。仁であれ、義であれ、子供でも教えればわかる、ということだろう。
武家の子どもが立派な口上を述べて切腹する話が新渡戸の「武士道」にあるが、大人の教養書である四書五経を子供のうちから暗記させるような教育方法でこそ、子供にして大人社会での美しい身のこなし方を身につけることが可能になるのだろう。
翻って現代を見るに、ここ150年ばかりの科学の知識は教えても、悠久として受け継がれてきた数千年の知恵は教えない。そんな嘆息を覚えた。

儒教『四書』の中に含まれる、素晴らしい名著です。特に、倫理道徳を重んじながらも、どこか軽やかな《自由さ》と、大らかな《優しさ》が感じられる所が、非常に素晴らしいです。でも、一つだけ言うなら、朱子による『大学章句』と『中庸章句』は、少し違うと思います。朱子の文章には、本文の持つ《自由さ》や《優しさ》が、ほとんど感じられません。むしろ、朱子独特の《排他心》の強さには、正直言って疑問を感じてしまいます。私は、朱子の文章を抜いて、本文だけを読んでいますが、その方が本文の意味をよく理解できると思います。やはり、教育関係者には心の狭い人が多い、ということでしょう。でも、本文は素晴らしいので、読む価値は十分あると思います。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10472416895.html

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金谷治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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金谷 治(かなや おさむ、1920年 2 月20日 - 2006 年 5 月 5日 )は、日本の東洋学者。専門は中国哲学、特に中国古代思想史 。三重県 伊賀市 出身。長男は金谷茂則(大阪大学 大学院工学研究科生命先端工学専攻教授)。
業績 [編集 ]

現行の岩波文庫 版で『論語 』および『孫子 』・『荀子 』・『荘子 』・『韓非子 』・『大学 、中庸 』の訳注書を刊行。講談社学術文庫 で、『易の話 易経 と中国人の思考』・『淮南子 の思想 老荘 的世界』・『老子  無知無欲のすすめ』<訳註解説>・『孔子 』<伝記研究>を刊行した。

主著に『管子 の研究 中国古代思想史の一面』(岩波書店 )

論文集に『金谷治中国思想論集』全3巻(平河出版社 )、『秦漢思想史研究』(東洋學叢書 平楽寺書店 )
略歴 [編集 ]

* 1944年東北帝国大学 法文学部支那哲学科卒業。指導教授は武内義雄 のち講座を継いだ。
* 1946年旧制弘前高等学校 講師
* 1948年東北大学 法文学部講師
* 1950年同大文学部助教授
* 1961年文学博士
* 1962年同教授
* 1975年から1977年まで同文学部長
* 1983年東北大学 名誉教授。追手門学院大学 文学部長
* 1990年追手門学院大名誉教授
* 2002年日本学士院会員
* 2003年勲二等瑞宝章
* 2006年5月5日、腎不全 により死去。叙正四位

著書 [編集 ]

* 「老荘的世界 淮南子の思想」 平楽寺書店 1959 、「淮南子の思想」講談社 学術文庫、1992
* 「秦漢思想史研究」 日本学術振興会 1960 <東洋學叢書>平楽寺書店 1992
* 「孟子 」 岩波新書 1966 復刊1988ほか
* 「論語の世界」 日本放送出版協会(NHK ブックス)1970、のち新装版 
* 「易の話」 講談社現代新書 1972、同学術文庫 2003
* 「孔子 人類の知的遺産4」 講談社 1980、同学術文庫 1990
* 「死と運命-中国古代の思索」 <法蔵選書37>法蔵館  1986 
* 「管子 の研究 中国古代思想史の一面」 岩波書店 1987
* 「老子 <無知無欲>のすすめ」 講談社(中国の古典) 1988、同学術文庫 1997
* 「老荘を読む」 大阪書籍(朝日カルチャーブックス) 1988
* 「中国思想を考える 未来を開く伝統」 中公新書 1993
* 「中国古代の自然観と人間観 金谷治中国思想論集 上巻」 平河出版社 1997
* 「儒家思想と道家思想 金谷治中国思想論集 中巻」 平河出版社 1997
* 「批判主義的学問観の形成 金谷治中国思想論集 下巻」 平河出版社 1997
* 「論語と私」 展望社 2001 論文集
* 「孫臏兵法 ―もうひとつの<孫子>」 ちくま学芸文庫  2008(初版は東方書店 1976) 
* 「中国における人間性の探究」(編著) 創文社 1983
* 「諸子百家争鳴」<共著>中公クラシックス 別冊、中央公論新社  2007

 元版は「世界の名著 諸子百家 」

訳注ほか [編集 ]

* 「孟子 」  <中国古典選>朝日新聞社 1955-1956

新訂版・第5巻 1966、文庫版が、同・朝日文庫全2冊 1978

* 「荀子 」 岩波文庫 全2冊  1961-1962 原文記載なし
* 「荀子」 <全釈漢文大系 7.8>集英社 佐川修と共訳著 1973-74、新版1981
* 「論語」 岩波文庫 1963 新訂版 1999、ワイド版2001
* 「孫子」 岩波文庫 1963 新訂版 2000、ワイド版2001
* 「荘子 」 岩波文庫全4冊  1971-1983、ワイド版1994
* 「韓非子 」 岩波文庫全4冊  1994
* 「大学・中庸 」 岩波文庫 1998、ワイド版2003

旧版は<世界古典文学全集18> 筑摩書房 1970

* 「唐抄本 鄭氏注論語集成」 平凡社 1978 編著
* 「荻生徂徠 集」<日本の思想12> 筑摩書房 1970 編著

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%B0%B7%E6%B2%BB 」より作成
カテゴリ : 思想史家 | 日本の東洋学者 | 日本学士院会員 | 1920 年生 | 2006 年没

朱子
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朱子像
儒教
儒家思想
仁 義 礼
孝 忠
中庸
儒学者
儒学者一覧
経書
《四書 》《五経 》《十三経 》
儒教の歴史
孔子
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儒家八派
孟子 荀子
焚書坑儒 五経博士
訓詁学
玄学
宋学:
理学 朱子学 陽明学
漢学 :考証学
今文学派
新儒家
関連項目
三孔 孔子弟子
書院 国子監
科挙 諸子百家
表 ・話 ・編 ・歴

朱子(しゅし)は中国 の宋代 の儒学者 である朱熹(しゅき 1130年 10月18日 (建炎 4 年9 月15日 ) - 1200 年 4 月23日 (慶元 6年3 月9日 ))の尊称。

姓 は朱、諱 は熹、字 は元晦または仲晦。号は晦庵・晦翁・雲谷老人・滄洲病叟・遯翁など。また別号として考亭・紫陽がある。謚 は文公。

徽州婺源(江西省 )の人。南宋 の建炎4年(1130 年 )、南剣州尤渓(福建省 )に生まれ、慶元 6 年(1200 年 )、建陽 (福建省)の考停にて没した。儒教の体系化を図った儒教の中興者であり、いわゆる「新儒教」の朱子学 の創始者である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90

2010年02月27日 (13:02)

身体と物質:生命的有機体と物質:生命的有機体経済と共同体通貨/共同体銀行

この問題については既述済みであるが、やや曖昧な感じがあるので、再考したい。
 結局、身体とは、Media Pointから生起する生命的有機体である。生命的有機体は当然、物質(追記:これは不正確である。以下、説明するように、⇒+1において、⇒と+1[物質]とは不可分であるからである。だから、正確に言えば、生命的有機体における同一性・物質的様態であり、それは生命的有機体と不可分の表層なのである。後で、さらに検討したい。)を内包する。しかしながら、生命的有機体は物質そのものではない。何故なら、それはMedia Pointのエネルギーに賦活されているからである。
 つまり、身体=生命的有機体とは、⇒+1である。それに対して、物質は端的に+1である。
 今日の唯物論的生命科学は、⇒(精神的生命エネルギー=「アニマ」)を認識せずに、単に物質的エネルギーを見ているのである。
 問題は、⇒+1の意味である。⇒と+1は不可分と見るべきである。これを可分できると考えるのは、やはり、唯物論的である。
 つまり、⇒+1においては、物質とは近似値的に存するのであり、純粋に物質としては存していないのである。
 だから、薬や食物というのは、外在的には物質(追記:ここは不正確である。食品は物質というよりは、有機体である。しかし、一般的には、不生命的有機体である。つまり、⇒のエネルギー作用が抑止された有機体である。)であるが、体内においては、⇒+1の生命的有機体の機構に入り、生命的有機体化されると考えられる。つまり、薬も食物も⇒+1へと転化されると考えられるのである。
 これを経済に適用すると、有機的経済とは、⇒+1であるが、今日の不兌換通貨は+1である。これは、実に、差異共振資本経済には不適格である。何故なら、⇒と+1は不可分だからである。
 ということは、有機的通貨が必要なのである。差異共振通貨、共同体通貨が必要なのである。
 例えば、やはり、無利子通貨か減価通貨、あるいは、銀本位通貨が必要であるし、また、差異共振銀行、共同体銀行、有機体的銀行が必要であろう。共同体のための資本経済になる必要があるのである。金儲けのための資本主義は、本末転倒である。

参考:
イスラム銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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イスラム銀行(イスラムぎんこう)は、イスラム (イスラム教 )の教義、慣行に基づいて運営される銀行 のこと。イスラム教徒(ムスリム )は、シャリーア (イスラム法)において利子 を取ることが禁止されているため、基本的に無利子の金融機関として運営される。
イスラム銀行の前提 [編集 ]

イスラムでは、利子(リバー と呼ばれる)を取って金銭を貸すことを禁止するクルアーン (コーラン)の言葉に従って、シャリーアにおいて利子の取得が禁止されている。したがって、理屈の上ではイスラム共同体 の間で利子を取る銀行は存在不可能であるため、イスラム圏 においては、いわゆるイスラム銀行が各地に存在し、この記事において述べられるような営業を行っている。

ただし注意せねばならないのは、このような業務を行う銀行が誕生したのは近代以降であるという点である。それ以前には、シャリーアにおける利子禁止規定は、ヒヤル (奸計)と呼ばれる抜け穴によって巧みに回避し、実質的には有利子金融が行われていた。そのため、「イスラム社会には無利子金融しか存在しない」と簡単に言ってしまうことはできない。現在でもトルコ・アルバニアなどでは有利子金融が存続している(リバー 、利子 、ヒヤル などについては該当記事参照)。
概要 [編集 ]

イスラム文化における経済は、それ自体「イスラム経済」の名で呼び考察するに足る。ただし特別な経済体制があるという意味ではなく、「アッラー の御心にかなう経済」ということである。イスラムの経済価値の根本には、『この世は神が作った世界であるから、世界のすべて(人もモノも金銭も)の所有権は神にある』というムスリムの思想が存在する。無利子の金融の他に、イスラム経済の特色と言える要素として、喜捨(ザカート 、サダカ )などがあり、イスラム銀行はそれらも背景にしている。
運営 [編集 ]

イスラム銀行は、ウラマー (シャリーアの知識を備えた知識人、学者)からなるシャリーア評議会を持ち、評議会の勧告に従って金融活動を行う。実際の運営においては、シャリーア評議会も柔軟な解釈を行っており、ほとんど他の銀行と異ならない業務を行っている銀行もある。
業務内容 [編集 ]

イスラムでは、「利子」は否定されるが、「利潤」は認可され、推奨される。ゆえに、イスラム銀行は、シャリーアの認める範囲内で「利潤」を最大限追求し、現代資本主義の世界に適用することを目指すことを掲げている。また、利益の配分方法は、「銀行と事業家の間では1対2」「銀行と預金者の間では2対 1」あるいは、アル=バラカ・トルコ銀行の場合「銀行2割、預金者8割」とされる。
基本的なサービス [編集 ]

イスラム銀行は、下にあげるようなシャリーア上の商業・金融契約の制度を援用し、利子を獲得することなく利潤をあげ、一般の預金者を含む出資者に還元する。

ムダーラバ
ムダーラバ (mudāraba) は、出資者(ムダーリブ、 mudārib )が、信頼すべき商才や手腕の持ち主と認めた事業家(ダーリブ、 dārib )に資本 を全額出資するパートナーシップ契約のことで、すべてのイスラム金融の基本となる契約形態で、イスラム銀行以前から広く行われている。
ただし、ムダーラバ契約のみでは、複雑化する西洋型を中心とする現在の経済・金融には対応できない。それに、個人の小口預金者には、このような「ハイリスク・ハイリターン」な契約を結ぶことは不可能である。そこで、銀行の介在する「二重のムダーラバ関係」などが登場することになる(ムダーラバ 参照)。
ムラーバハ
ムラーバハ (murābaha) とは、ある財 を、購入した際の原価 よりも高い代金によって転売する形態の売買のことで、購入者が、原価と代金の差額を了解し、差額を転売者の売却益として納得した上で契約が結ばれることを前提とする。
イスラム銀行ではこのシャリーアの制度を利用し、設備・備品を希望する顧客に代わって、それを銀行が購入し、顧客に渡す。このとき、「手数料」を上乗せして分割払いあるいは後払いとする。こうすることによって、銀行は利子ではなく、売却益として顧客から利益を受けることができる。イスラムにおいては利子は否定され、利潤は肯定・推奨されるが、この「手数料」は「利潤」と見なされうる。
ムシャーラカ
ムシャーラカ (mushāraka) は、資本の出資者と労働 を提供する事業家が、共同出資により事業の共同経営を行い、ここで生じた利益を契約時にあらかじめ決められた比率によって、もしくは損失が生じれば出資比率に応じて、それぞれ配分する契約形態のことである。
イスラム銀行においては、銀行と企業・個人の出資者が提供する資金によって共同資本をつくり、出資者全てがその経営に関わることを前提とする制度として運用される。
ムシャーラカの特徴は、資金の提供者もまた事業の組織や経営に参画し、事業主も一定の支出をするところにあり、発言権は概ね出資比率に準ずる。ムシャーラカによる共同プロジェクトが軌道にのったとき、主として資金を提供した側は、その出資分を処分してプロジェクトから手を引いても良く、また共同経営を継続しても良い。ムダーラバでは資金提供先の選択が限定的になる傾向があったのに比べ、相手方も一定の出資力があることを前提とするこのムシャーラカでは、その傾向がある程度は緩和されることが期待される。
イジャーラ
イジャーラ (ijāra) は、賃貸借 契約を意味するアラビア語 。シャリーアにおいては、物件に対する所有権は、その物を所有し最終的に処分する権利(ラカバ (raqaba) 、所有権)と、その物を利用しそこから得られる利益を独占する権利(マンファア (manfa'a) 、用益権)の2つから成り立つと考えられており、イジャーラ契約とはすなわち所有者である賃貸者から賃借者への用益権の移転である。西欧型経済におけるリースに相当する。
イスラム銀行においては、顧客の求めに応じて銀行が設備等を購入し、顧客に賃貸して使用料を取るリース として運用される。「売り切り」と「リース」の違いが、ムラーバハとイジャーラの違いと言える。
イジャーラ・ワ・イクティーナ
「顧客に賃貸して使用料を取る」まではイジャーラ(リース)と同じであるが、顧客は、銀行に口座を開設して積立てる、いわば「リース購入」である。この積み立ての積算が、購入代金プラス手数料(コミッション)の額となったところで、当該物件の(用益権に加えて)所有権が顧客に移る。この場合も、コミッションは売却益であって利子ではない。
この方式の特徴は、ここで開設した口座が当座勘定ではなく投資勘定として開設され、積み立てる間の「投資の配当」が、顧客の収入になる点にある。
カルド・ハサン
カルド (qard) は、借主が貸主の所有物を消費した上で、同種同等の物を貸主に返還する貸借契約のことで、「消費貸借」とも訳される。カルドがシャリーアに照らして合法となるには、返還される物件が、借りた物とまったく同種・同等でなければならず、貸主が貸し出したことによって利得を得てはならない。このような合法と見なされるカルドのことを、カルド・ハサン (qard al-hasan) と言う。
イスラム銀行においては、「人道的」無利子ローンとして活用される。この契約においては、借主はあらかじめ定められた期間内で貸主に返済することになる。むろん、銀行側には利益は全くない。金融機関によっては一定額の「手数料」を徴収するところもある。これは金額に連動したり、期間に随伴したりすることはない。10万でも100万でも、手数料の額は同じということになる。(先述した『利子』の定義「金額」「期間」「定率」を参照。つまり、利子の定義には当てはまらないという理屈になる)
しかしこれには異論もある。「『定額の手数料』は『定額の報酬』に通じ、『定額の報酬』は『定率の利子』に通じるため、カルド・ハサンは完全に人道的にゼロ・コミッションでおこなうべき」、と主張する先鋭的な学者もいる。手数料の問題に限らずイスラムの無利子金融の具体的在り方については、ウラマーの間でも統一見解がなく、法学派 などによって食い違う見解が併存している場合が多い。
サウジアラビア の例では、(完全な)無利子貸し付けをおこなっている一般商業銀行はない。いずれも定率のサービスチャージ(手数料)を課しており、これも銀行と借り手の“交渉”で決まる(この点がシャリーアで禁じられたリバー、すなわち“定率の利子”とは異なる、との理由)のが一般的であるという。個人や法人から融資の申請があったとき、専門の調査機関が申請者の信用や業績などの調査を行う。また、担保や保証人などのリスク回避の手段を講じた後に、貸付金から手数料などをあらかじめ差し引いた金額を申請者に渡すことになる。

歴史 [編集 ]

シャリーアの規定に則って無利子の金融をおこなう「無利子銀行」が初めて試みられたのは、1950年代 のパキスタン においてであった。このころパキスタンでは、イスラムの教義を国家運営に適用しようとする動きが強まっていた。

「1950年代末にパキスタンの一地方で、敬虔なイスラム教徒地主たちを中心に無利子の預金を集め、貧困なイスラム教徒農民に農業改善資金を無利子(運営経費を賄うため少額の手数料を徴収)で貸し出す無利子銀行が開設された。この銀行は、無利子で融資を受けたい希望者は数多くいたのに対し、無利子で預金してくれるものは一回だけはお付き合いで預金してくれるだけで、後がつづかなかったことが主因で、やがて運営に行きづまり、崩壊してしまったといわれる」[1]

続いて登場したイスラムの教えに適う金融機関は、エジプト に現れた。

1. 1963 年 :ミトル・ガムス貯蓄銀行開設。

アフマド・エミル=ナガルという人物が、理想と同胞の便宜を図るために設立した。この銀行は成功したが、その理由としては、借り入れ希望者に、少額の定期預金を義務化したことが挙げられる。これにより預金量が増大し、安定した経営が成立した
(1~3年返済の比較的短期のローンが中心。この時点での形態では、ムダーラバ方式(後述)に基づいていなかった)。

2. 1972 年 :公的資金を導入し、ナセル社会銀行設立。

上記貯蓄銀行(のちに合併)で築いた資本と、公的資金を資本金として設立。この公的資金の支出は、アフマド・エミル=ナガルの考えが、新しい時代の「イスラム社会主義 」を標榜する大統領ナセル の考えと合致したことから成立したといわれる(「イスラム」と「社会主義・共産主義」は、理想社会を構築しようとする思想や弱者救済などの点からも、「似ている」とも言われるが、後者が宗教を禁止しているなどの点で明らかに相反する。ナセルは良い所のみ選んで取り入れ、「プロレタリア独裁・反宗教・私的所有権否認・暴力革命」を否定した「イスラム社会主義」の実現を図った。ナセルはいわゆる「イスラム原理主義 」に対しては抑圧的であった)。ナセル社会銀行は、発足したとき既にナセル病死(1970年 )の後であり、敬意を込めて彼の名を冠することになった。同行は1980年代 には、預金残高は2億ドルを越え、全国に数十の代理店を有する金融機関に成長した。

また1970年代 以降、西側金融の枠組みで運用される潤沢なオイルマネーを活用して、アル=バラカ銀行、ドバイ・イスラム銀行、イスラム諸国会議機構 (OIC)の拠出によるイスラム開発銀行、ファイサル・イスラム銀行などが設立され、イスラム復興 の潮流に乗って、1990年代 までに、イスラム圏のみならず世界中に広まった。銀行・金融会社などを含め、無利子を標榜している銀行や投資会社は全世界に200以上あり、総資産は1160億ドル(95年ベース)、年率15~20%で成長している。

イスラム銀行は、当初は国際金融システムの中で特異な金融機関と見られがちであったが、のちには国際通貨基金 (IMF) が公認する銀行システムのひとつとなっている。
有利子金融との接点 [編集 ]

現代の世界金融市場の主役の一つとなっているヘッジファンド や、先物取引 のような金融システムは、イスラムにおいては基本的に認められない。イスラム銀行の立場としては、実体経済と遊離したデリバティヴ(金融派生商品)は「言語道断」であり、同時に先物取引もクルアーン(胎内にいる子の価値を見越して母ラクダの売買をしてはならないという規定)により禁止されている。

小国の経済を食い荒らす「マネー」の動きを危険視するのはイスラムに独特のものではなく、非イスラム圏の研究者の中にも存在する。また、現代において無利子金融を行おうという発想もイスラムに独特のものではない。そもそもが古来より禁止ないし制限が加えられていたわけであるが、それの復活というわけではなく、現代の時代状況下においての脱資本主義的な研究・検討、そして地域通貨 運動などに見られる実践がなされている。

また、西洋経済の中心たるアメリカ合衆国 の最先端技術の集積地であるシリコンバレーの成長を支える原動力は、イスラム金融に似ている(ベンチャー企業 記事参照)。というのも、投資家は企業家に出資するとき、「融資」ではなく「株式の購入」という形態を取るため、起業家には「元本保証」や「利潤確保」の義務が生じない。また、投資家が資本分散によって危険を避ける点、担保ではなく人物と経験を評価することによって投資するかどうかを決める点なども、ムダーラバ契約を思い起こさせる。

主な相違点としては、融資ではなく株式購入であること、投資家は株主であるため会社の運営に対して口出しできることなどが挙げられる。また、詳しい資料はないが、ムダーラバの長距離キャラバン交易の成功率は、少なくとも現代ネットベンチャーの「約20%」という数字よりは大きかったであろうと思われる。このエンジェル←→ベンチャーの関係は、まさにムダーリブ←→ダーリブの関係を思わせ、しかも銀行の扱う二重ムダーラバよりも遥かに、預言者ムハンマドがおこなっていたような「ムダーラバの基本形」に近い、似ている、とすら言えるかもしれない。世界経済をリードする集団と言えるアメリカ、シリコンバレーのベンチャー企業群は、実は「有利子経済」ではなく「無利子経済」の恩恵によって爆発的成長を遂げたものと言うことができるだろう。

かつてアル=バラカ・グループは西洋型金融の中心地であるロンドン の金融街にも進出していたが、ここからは撤退している。ただし逆に西洋系の銀行の中にも、イスラム圏においてはムスリム向けの無利子金融商品(上述のイスラム金融の基本に則ったもの)を提供したり、イスラム銀行を子会社に持つ試みがなされはじめている。また一方、イスラム金融機関の中でも国・地域によってシャリーアの解釈に偏差が見られる。

こういった点からも分かるとおり、イスラム無利子金融と、有利子金融とは、根本的に対立するものではない。また、上述のとおり、名目や立脚点が異なっていようとも、その内実において非常な類似が認められる。この両者の間に根本的な差異が存在するという前提は、成り立ち得ず、これらの要素は「イスラム的(と仮に呼ぶ)」と「西洋的(と仮に呼ぶ)」、二つの極の間でスペクトル を成している、と考えることもできるだろう。

勃興の背景 [編集 ]

利子禁止あるいは制限規定は人類の歴史の中でなにも特異なものではなく、通時的・通文化的に見られるものであり、そして現代日本において自明のものとされる(アメリカ主導の)規制のゆるやかな「自由競争体制」こそが、むしろ特異な状態と言えるのかもしれない。いっぽう現代イスラム圏の人々はなぜ無利子経済体制を選んだ(選びつつある)のか。ヨーロッパも、中世 には旧約聖書 から導かれる利子禁止(制限)規定が、表向きなりとは言え社会を覆っていた点においては同様である。それがなぜ、ヨーロッパでは利子つき金融が、それも複利計算のもとに認可されてその後の経済発展の基盤を築いているのに対し、イスラムの諸国では近現代に入って逆に、それまで見過ごされて来た利子つき金銭貸借が、シャリーア(イスラム法)の厳密な適用によって排除されようとしているのかについての検討が必要である。

クルアーンにおいて禁じられている「リバー 」という単語を、「利子 」一般ではなく、特に「高利」のみを指す言葉であると解釈すれば、ヨーロッパ型の金融システムを、躊躇なく導入することが可能となるにも関わらず、その方法を採用しない理由については、研究者によっても見解が分かれる。仮に「リバー」が「利子」すべてを指すとしても、それまで通りヒヤル を用いて実質的な有利子金融を実行すれば良いとも言える。ただこれは、単純な金銭貸借契約においてすら、二つの随伴する契約を結ぶことになり、さらに権利関係が複雑になるような金融商品や、保険契約、先物取引などには対応仕切れないという欠点を抱えていることもある。そもそもこうしたイスラム銀行が、中世においては登場せず、現代に入って登場・発展してきた理由を探ることが、その本質を知る手がかりとなる。

1. 「ムスリムだから」

もっとも一般的な、あるいは門外漢にも分かりやすい説明としては、「ムスリムであるから、クルアーンにしたがって利子は受け取らない。だから、無利子銀行に預金するのだ」という説明がなされる。ただし、例えばムスリムであっても、大っぴらに飲酒することが抵抗なく行われる土地、社会もあるので注意が必要であろう。
既に述べたように、最初期無利子銀行の失敗例もあるから、ムスリムであるから当然のように彼らは無利子銀行に預金するのだろう、という論理のみでは無利子銀行の成長・拡大を語るには無理があろう。また、それに、かつてヒヤルが認められていたことの説明がつかない。
無論、「ムスリムだから、無利子」というこの要素は少なくとも建前としては根本的なものであり、無利子銀行の誕生以前は金融技術の未発達によってリバーのない銀行が成立しえず、ムスリムたちは仕方なく預金を自分のところにしまい込むか、あるいは有利子の銀行に預けていた、とも言い得るのだが、基本的にはこの理由のみをことさら重視することはできない。

2. 「植民地化とオスマン帝国の解体」

世界史を俯瞰(ふかん)する視点からは、次のような解釈が導かれる。19 世紀 からイスラム世界の各地で進められてきたヨーロッパ列強による植民地化は、20 世紀 においてオスマン帝国 の敗北と解体、それによる旧オスマン領アラブ諸国 の植民地化によって頂点に達した。このインパクトが世界のムスリムに大きな影響を与え、それまでとは違う形の「イスラム世界」の認識が形成され、強大なヨーロッパと改めて直面しなおすことで、ムスリムとしての自覚が再認識された。
また、1924年 のオスマン朝のカリフ制の廃絶は、植民地化の中でもカリフの権威にすがってイスラム世界の一体を意識しようとしていたインド亜大陸 や東南アジア のムスリムにも、「正当な」ウンマ (イスラム共同体)の消失を明確な形でムスリムに突きつけることになったが、これによってむしろムスリムたちは「イスラムの世界」と自己の立脚点の再認識をおこなうこととなり、それがムスリムに、一つ一つの教義を再確認し、遵守する方向性を持ったと考えられる。

3. 「アラブの『動かす』文化」

また、片倉もとこ『「移動文化」考』のように、文化間の差異に着目しこれを理由の一つとして挙げる著作もある。
日本にも「流るる水は腐らず」という諺 があるが、中東では古来より、「留まる水は濁る」とでもいうべき、“動かずにあるものは不浄”という思想がある。遊牧民 は水や牧草の都合によってキャンプ地を定期的に移動するが、アラブ遊牧民の場合は、そういった条件が変わらずとも一定の期間が過ぎると移動することがあるという。たとえそれによって水場から遠くなるとしても、である。
同様に経済についても、動かさない金銭は不浄であるため、富豪は金銭を蓄え込まず、貧しい人に差し出すことによって社会に還流させようとする思想がアラブ社会に存在する。
しかし、ここでの問題はアラブのみに留まらず、東南アジア、そして世界全体のイスラム銀行に及ぶため、アラブの文化のみで語ることはできない。ただ、現代につながる無利子金融が成立し発展してきたのはまさにアラブの地であり、《移動文化》の担い手らによって無利子銀行が先導されてきたことは事実である。

4. 「宗教的背景」

上掲の説に似るが、ムスリムであるがゆえに教条を遵守するというのではなく、現状イスラム諸国で喜捨や断食が真面目に行われ、輸送手段の発達にも助けられて巡礼者が爆発的に増大しているように、3の説よりも広範かつ漠然とした要素と言える。
慣習による互助的システムを、機能が似ているからといって発端の異なる無利子金融と短絡的に結び付けることには疑問が残る。

どれかの説が決定的なものというわけではない。ただ、「動かす」ことを文化的背景とするアラブ世界で、ムハンマドのもたらしたイスラムによって、従前よりも強化・明文化された互助システムが慣習として広がって定着し、近代のイスラムの「危機」に対してかえって「ムスリム」としての意識が明確化し、イスラム圏に導入された近代西欧の金融技術を応用して無利子銀行が作られ、信仰やオイルマネーに支えられて拡大してきた……というように、複合的要因として考えるのが適切であろう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E9%8A%80%E8%A1%8C

2009年08月14日 (15:52)

精神分析批判:「死の欲動」(「破壊衝動」)説批判:負のエネルギーの賦活と東洋的身体論

精神分析批判:「死の欲動」(「破壊衝動」)説批判:負のエネルギーの賦活と東洋的身体論

テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画

先に麻薬のもつ自己破壊性を考え、それからの連想で「死の欲動」のことを想起した。そこで、以下のように考えてみた。

フロイトの精神分析はPS理論によってたやすく乗り越えられると考えている。簡単に言うと、近親相姦欲望ではなく、差異共振根源的志向性を考えればいいと思うのである。「母」とは、Media Pointであろう。
 とまれ、いちばんの問題は、フロイトが晩年に立てた「死の欲動」説である。これをどう見るのか。以下の説明では、それはひとつは原初への回帰を意味するとある。ならば、それは、思うに、Media Pointへの回帰ではないのか。ならば、どうして、破壊的になるのか。(今、ふと想起したのは、うつ病にも「死の欲動」があるのではないのかということである。)
 いわば、生の欲動とは、⇒+1と+1である。一般には、若い頃は、これが過剰にあると言えよう。しかし、年齢を重ねると、エネルギーが枯渇するようになる。直感では、いわば、逆作用で、+1⇒の事象が生起するようになるのではないのか。この+1⇒が、「死の欲動」に相当するのではないのか。
 しかしながら、もしそうならば、上述したように何故破壊的になるのか。それは、端的に言えば、その逆エネルギー(負のエネルギーと仮説する)は、虚数・虚軸に関わるもの、超越性に関わるものなので、実数・実軸、即ち、同一性・自我・物質の「作用」を超越しているために、それを破壊する作用をするのではないのか。
 少し言い過ぎたかもしれない。正確に言えば、負のエネルギーは、正(生)のエネルギーとは異質なものであり、後者を乗り越える(トランスする、超越する)と考えられるので、もし、主体が、負のエネルギーに対する適切な対応をもつ「認識」をもっていなければ、それに圧倒されてしまうことは考えられることであり、この圧倒されるという事態が「死の欲動」(破壊衝動)として表出されるということではないだろうか。
 そして、負のエネルギーへの適切な対応をもつ「認識」がある場合は、「死の欲動」(破壊衝動)ではなく、「新生の欲動」(創造衝動)となるのではないだろうか。(思うに、これは、超越衝動と呼んでもいいものである。)
 このように見ると、かなり事柄が明快になってきたのではないだろうか。そう、近代主義は、負のエネルギー=新生の欲動=創造衝動=超越衝動=「宗教衝動」を抑圧してきたのであり、そのために、それが反動的に「死の欲動」(破壊衝動)として表出したのではないのか。
 では、負のエネルギーに対する適切な対応をもつ「認識」とは端的に何であろうか。それが正に東洋的身体論であると思う。禅であれ、ヨーガであれ、気功であれ、負のエネルギーを適切に感受し認識するための方法であると考えられる。(もっとも、現代では、それに批判哲学・超越論的哲学を組み込む必要があるが。)
 後期近代の問題は、精神力学(精神エネルギー論)的には、この負のエネルギーの積極的な取り込みの方法の解明にあったと言えようが、西洋文化の文脈においては、同一性が支配的なので、ほとんど挫折したと言えよう。即ち、とっかかかりは、ニーチェ、フッサール、ウスペンスキーであったが、ハイデガーの同一性思想の影響を受けていたために、ポスト・モダンの試みはほぼ頓挫したのである。
 思うに、東洋思想・文化は、根本的に負のエネルギーに取り組んでいると考えられる。仏教・禅はその結晶である。正確に言えば、正のエネルギーと負のエネルギーとの関係の解明を志向しているのである。そして、これの究極的な解明が即非の論理である。
 ということで、これで、フロイトの「死の欲動」説批判がなされたとしよう。

追記:麻薬・覚醒剤のもつ破壊作用から本件のテーマを想起したのであり、それに返って言えば、麻薬・覚醒剤問題とは、精神的には、主観的には、負のエネルギーの創造的取り込みの問題であるのであり、それを可能にする哲学・認識が必要とされているだろう。先に、麻薬的感性主義は、ロマン主義であると言ったのが、それは連続的であるので、闇に入り込むのである。「死の欲動」は正しくは新生のエネルギー、創造のエネルギー、超越のエネルギーであることを認識することが、麻薬・覚醒剤的ロマン主義からの脱却・エクソダスである。今日の退廃した社会は、PS理論を必要としているのである。ポスト・モダン的ダーク・ワールドからトランス・モダン的ライト・ワールドへと転換することをもたらす理論である。
 
 
参考:
デストルドー
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デストルドー(英語 : Destrudoまたは英語 : Death drive、ドイツ語 : Todestrieb)とは、フロイト の提唱した精神分析学 用語で死 へ向かおうとする欲動のこと。タナトスもほぼ同義で死の神であるタナトス の神話に由来する。
訳語の問題 [編集 ]

フロイトはTodestriebと対のようにLebenstriebという語を用いたが、日本語ではともに「死の本能」「生の本能(エロス )」と訳されることが多い。しかしながら本能 には「遺伝 的に組み込まれた行動パターン」という意味合いが強くTrieb[1] をそのように訳すのは誤解を招きかねない面があり、彼は本能Instinktと別に、自我 に対して何かに駆りたてさせる衝動 という意味でTriebを使ったとされる。英仏訳でも誤りが指摘され、訂正が施されたが日本語訳ではまだ「本能」と訳されている事も多い。日本語訳でも広まりつつある欲動または衝動の訳語に意義があるのは、それにより本人の葛藤 に焦点が当てられることになるからである。患者はしばしば「死にたい」という言葉を発するが、「死の本能」でなく「死の欲動」と訳すことにより、「死にたい気持ちに駆られる」と言わしめるもの、フロイトが「生の欲動」「死の欲動」の二元論で説明しようとしたものは臨床現場で頻繁に聞かれる「死にたい気持ち」と「生きたい気持ち」の間の葛藤としてうまく機能するのである。

フロイトの説 [編集 ]

「死の欲動」概念を展開する前のフロイトは、「愛する者の死を願う」といった両価的感情を伴う[2] 殺害願望から自殺 を説明しようとした。つまり「攻撃性(Aggression)」の内向という解釈であるが、この時点では説自体は「生の欲動」の従属的位置にとどまる。一方彼の「破壊性(Destruktion)」という言葉も混乱を招きやすかった。

フロイトが最初に「死の欲動」という語を用いたのは1920年 に著した『快楽原則の彼岸』であり、人間の精神生活にある無意識 的な自己破壊的・自己処罰的傾向に注目した。この時期に彼の考え方は「快楽が生」から「死の欲動との闘いが生」へと大きく転換したとされる。彼は神経症 における強迫観念 、第一次世界大戦 帰還兵の心的外傷 のフラッシュバック現象 、少女の「いる・いない」遊び観察で見られた不快なはずの母の不在の反復などから、従来の持論であった快感原則からは説明できない心理を見出した。

以下、『死の欲動―臨床人間学ノート』112~114項から、フロイトにおける「死の欲動」の要約を抜き出す。

自我が抵抗しがたい衝動である。
衝動の存在に通常自我は気付きにくく、無言の内に支配される。快楽原則に従わず反復そのものを目的とし、エネルギーが尽きるまで繰り返される。それは強大なエネルギーで日常的なものではなく、自我はその前に無力である[3] 。
最も蒼古的(原初的)な欲動である。
死の欲動は個体発生上、最も古い欲動とされた。退行の究極点であり生命発生以前の原初への回帰を目的とする。それは生死や存在非存在の区別もなく明示的言語で表現するのは困難なので「死」というメタファーでフロイトは命名した。ただし人間の「死」のイメージとは関係なく非生命に向かうという意味でしかない。欲動はこの地点から巨大な破壊エネルギーを手に入れる。
「悪魔的」な生命の破壊衝動である。
自己と他者の区別無く反復強迫的に無意味に生命破壊を目指す[4] 。また「生の欲動」に先立つ。フロイトは死の欲動をエロスによって容易に懐柔されることはないと考えた。憎しみのような攻撃的衝動はエロスの一属性としても理解し得るが、愛と憎しみを超えたところに破壊衝動を想定した。

後継者の発展 [編集 ]

Federnは最重度のメランコリー に「死の欲動」が観察されるとし、同様の指摘はしばしばなされる。しかし大勢ではフロイトの「死の欲動」概念は後進者の間でも批判が多く、考えの一部を取り入れた学者達により新たな展開がなされてゆく。継承発展させた人物はメラニー・クライン 、ジャック・ラカン が代表的である。

後世への影響 [編集 ]

フロイトに先立ちニーチェ が「神の死」を言明し、当時楽観主義は知識人の間では既に力を失っていた。フロイトの思考の変遷も悲観的な世界情勢と無縁ではなかったであろう。彼は第二次世界大戦 の戦禍を見ずに亡くなったが、はからずもその後ヒロシマ ・ナガサキ への核爆弾 の投下、ホロコースト などが起こって破壊衝動を「予言」したような形になり、水爆 開発などで現在では計算上は人類を複数回滅ぼせるほどの大量破壊兵器 を所持していることが明らかになっている。後世多くの精神分析家が「死の欲動」論を援用してこのような人間の暗黒面の解明に切り込んだ。

文化ではアニメ『新世紀エヴァンゲリオン 』(1995年)などでも取り入れられており、これには20世紀末 の状況が反映されているとする見方もある[5] 。→終末もの 、セカイ系

脚注 [編集 ]

1. ^ 心的な欲求、衝動 。深層心理学 の「心のダイナミクス」の項を参照せよ。
2. ^ ここにコンプレックス などといった複雑な概念が介在する
3. ^ フロイトはそこに大戦の根源的衝動を見た。
4. ^ フロイト自身は「一時的マゾヒズム」といった観念を引きずり、理論を完成させずに死去したため、矛盾がなくなるよう敷衍していると思われる。
5. ^ 島田裕巳『終末論と世紀末を知るために』エンカルタ百科事典[1]

参考文献 [編集 ]

熊倉伸宏『死の欲動―臨床人間学ノート』新興医学出版社、2000年 ISBN 4880024236

関連項目 [編集 ]

* リビドー
* 自殺
* 暴力
* エロティシズム

執筆の途中です この「デストルドー」は、心理学 に関連した書きかけ項目 です。この項目を加筆・訂正 して下さる協力者を求めています 。(PJ 心理学 )
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BC " より作成
カテゴリ : フロイト派心理学 | 自殺

2009年07月26日 (23:13)

PS理論と「わたし」の解体:個とは何か:「空」としての「魂」:トランス・モダン仏教誕生

PS理論から見ると、「わたし」は解体するが、その代わりに、Media Point的基底が残る。それは、いわば、原自己と原他者との極性様態である。「わたし」は、原自己と原他者との極性に還元されるのである。これは、フッサールがノエシス・ノエマと呼んだものに近い。ただし、フッサールは、原自己と「わたし」との区別が明確ではなかったように思われる。
 そう、言い換えると、「わたし」は、量子論的様態に還元されてしまうのである。言い換えると、「空」の様態に還元されるのである。(そして、先の差異共振資本主義の考えに戻ると、資本主義も「空」に還元されると言える。いわば、「空」としての資本となるのである。ここから、差異共振資本主義、トランス・モダン資本主義が生起すると言える。)
 問題は、「空」と個との関係である。「わたし」は還元されて、個となるが、この個は、+iであり、また、「空」であるのではないだろうか。愚樵氏的に言えば、+iが自由であり、「空」が自在となろう。
 今はここで留める。

追記1:「わたし」は仮象となるのである。

追記2:ゾロアスター教を称揚したが、思うに、トランス・モダンは仏教復興ともなるのである。
 上述したことから、Media Pointの「空」が核心であり、原自己+iが個である。そして、同一性である「わたし」は仮象である。すると、正に、現世は「空蝉」である。そして、「空」である「魂」が輪廻する可能性があると思う。これは、いわば、永遠である。
 人間の苦とは、同一性である「わたし」において生じるのである。そして、俗世とは、同一性=「わたし」が実体化した仮象の世界である。
 だから、若くして亡くなった者も、本来、永劫の「空」=「魂」であるのである。
 とまれ、トランス・モダン仏教の誕生である。

2009年05月30日 (12:49)

道教復興:下丹田(肚)の復権

東洋思想とは、身体思想である。これによって、西洋思想との区別が自明である。
 しかるに、近代日本、とりわけ、戦後日本は、東洋思想を切り捨てたのである。
 伝統的日本文化は、肚の思想をもっていた。これは、道教で言えば、下丹田の思想だと思う。因みに、道教では、上丹田(頭)ー中丹田(心臓)ー下丹田(肚)の身体性を説いている。(インドのヨガでは、七つのチャクラを説いている。)
 作業仮説するが、PS理論の+iが上丹田であり、-iが下丹田であり、Media Pointが中丹田はないだろうかと思うのである。
 今日、下丹田-iが喪失されていると思う。近代合理主義=近代的自我は、これを否定してきたと考えられる。そして、現代日本人の堕落が生じたのである。

追記:時間がないので、精緻に考察できないのが残念である。私が問題にしたかったのは、「近代化」は、中丹田から上丹田へかけての意識形成を行い、下丹田を抑圧・排除しているということである。
 つまり、中丹田に関わるので、Media Pointはそれなりに存するが、しかし、下丹田が排除されているために、Media Pointが上丹田的な同一性と連続化していると思われるのである。つまり、利己主義化された中丹田になっているのである。
 下丹田を「啓蒙」化するならば、中丹田は、超越化されるようになると考えれる。そこで、下丹田の差異と上丹田の同一性が衝突するのである。しかしながら、中丹田ー下丹田の領域と中丹田ー上丹田の領域は不連続であるとして、絶対的に切断することで、この衝突は、「調和」されるようになると考えられるのである。
 思うに、下丹田とは、小宇宙・ミクロコスモスだと思う。いわゆる、神秘主義は、ここから発するだろう。
 とまれ、余裕のあるとき精緻に考察を行いたい。
 
参考:
丹田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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丹田(たんでん)は、内丹術 で仙人 になるための霊薬 仙丹を練るため気 を集め練る体内の部位。東洋医学 における関元穴 に相当し、へその下3寸(へそと恥骨稜の間を5寸とする)に位置する。

意味は気 の田 のこと。古くは『素問 』遺篇本病論に「神游上丹田」、邊韶の書『老子銘』に「存想丹田」、張仲景の『金匱要略 』にもみられる。これらは後漢 (3世紀前半)の書として伝来するが、文献学的には唐代以後のものである。内丹術では、気を材料として下丹田を炉とみなし、呼吸 をフイゴとして仙丹を練る。なお女性の場合は乳房の間の膻中穴 を炉とする。

解剖学 的には該当臓器などはないが、心身医学 の領域では、自律神経 の働きと免疫 機構の関係が注目され、太陽神経叢 が丹田に相当すると考えられている。

丹田は男性での名称で、両眉の間にある上丹田、心臓の下にある中丹田、ヘソ下3寸(約9cm)にある下丹田などがある。上丹田は、鼎、泥丸(ニルヴァーナ(涅槃 )の漢字の音訳)という。下丹田は地、臍下丹田(せいかたんでん)、気海丹田(きかいたんでん)などとも呼ばれ、単純に丹田と言った場合、下丹田のことを指していうことが多い。丹田の概念はインドのヨーガ思想を模倣したものと言われる。

関連項目 [編集 ]

* 呼吸法
* 調和道丹田呼吸法
* 腹式呼吸
* 肥田春充
* 肥田式強健術

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B9%E7%94%B0 " より作成
カテゴリ : 錬丹術 | 身体論

身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生

身体感覚を取り戻す―腰・ハラ文化の再生
齋藤 孝/著 NHKブックス



◆ 日本は「腰肚(こしはら)文化」


日本の伝統的な文化は「腰肚文化」に集約されるのではないでしょうか。

腰や肚は精神的なことも含んでいますが、その基盤には腰や肚の身体感覚が実際にあるのです。

「腰をすえる」や「肚を決める」は、文化によって身につけられる身体感覚です。

腰と肚の身体感覚が強調されることにより、からだの「中心感覚」が明確にされるのです。
http://blog.livedoor.jp/longpa/archives/11396692.html
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