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2012年04月14日 (19:48)

四次元モデル:x軸、y軸、z軸、α軸:下降次元変換:凸α*凹α⇒凸(+1)⇒凹z、凹y

テーマ:Neo-PS理論

α軸:凸α*凹α⇒凸(+1)を凸k*凹k⇒凸(+1)とする。

z軸:凸z*凹z⇒凸(+1)を凸j*凹j⇒凸(+1)とする。ただし、これは自己差異共振という理想態である。自我主導が普通なので、凸j*凹凹j⇒凹(-1)が通常態である。

y軸:凸i*凹i⇒凸(+1)はこのままであり、陰陽の氣の方程式である。

x軸:これは、ただ、凸(+1)と凹(-1)の並立する実軸である。
 
そして、四元数からi 2 = j 2 = k2 = ijk = -1ということになる。
 問題は、四つの軸の関係である。media pointでは、交差するだろうが、そのとき、どういう力学が作用するのか。というか、もともと四つの軸が存するのか。それとも、根本のα軸のみが最初に存して、その後、残りの三つの軸が形成されたのか。
 凹(-1)が自我で、凸(+1)が自然自体(物質と精神の共振体)ならば、それは、当然、他の軸、超越論的な軸から形成されたものである。だから、派生態である。
 残りのy軸(氣軸:エーテル体軸)とz軸(自己軸)はどうなのだろうか。
 直観では、原初はα軸しかなかったように思える。そこから、z軸やy軸が派生したように思う。
 ならば、その力学はどうなるのだろうか。
 先に指摘したが、

凸α*凹α⇒凸z*凹z



凸α*凹α⇒凸y*凹y

のようなものが成立すれば、いいのである。(凸z*凹z⇒凸y*凹yはないと推測する。)
 このいわば、降下的次元変換は差異共振では形成されない。違う力学が必要である。
 差異共振によって形成されるx軸とα軸の形成する平面を直交する軸が形成されればいいことになる。
 以下の図のように、フレミング右手の法則に類似した力学ははたらけばいいのである。即ち、磁界の方向がα軸凸αで、導体の動いた方向がx軸凸(+1)であり、電流の流れる方向が凹zとなる。
 そして、それぞれの方向の反対(対極)を考えれば、α軸の凹α、x軸の凹(-1)、そして、z軸の凸zが形成される。
 興味深いのは、z軸においては、凸z(陽)ではなく、凹z(陰)が形成されることである。そう、電流は電子(負電荷)であるから、これなりに合理性、整合性があると言えようし、また、母権的自己ないしは原始差異共振を考えると、それは凹z主導なので、これに合致することになるのである。
 結局、

凸α*凹α⇒凸(+1)⇒凹z

というような数式になる。
 次に、y軸であるが、これも似たような視点でいいのではないだろうか。即ち、

凸α*凹α⇒凸(+1)⇒凹y

である。やはり、凹y(陰)が形成されるのである。陰陽の氣であるから、陰が先行するのはまことに的確である。
 今はここで留めるが、後で、精緻にこの力学の方程式を解明したい。
 

Flemings_Right_Hand_Rule.png


フレミングの右手の法則
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2012年02月26日 (02:45)

不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質

不連続的差異論とPS理論を再検討する:自我と同一性と物質
テーマ:不連続的差異論とPS理論

不連続的差異論のポイントは、ある自己差異が他者を認知するとき、通常は他者を自己同一性化してしまい、他者の差異を無視することである。
 自己差異A、他者差異Bとすると、AはBの認識に当たり、AをBに投影してしまうのであり、Bは否定されるのである。
 この場合、Aは自我であり、また、自我同一性である。AによってBは否定されるのである。
 しかし、不連続的差異とは、B自体を肯定することである。だから、AはBであり、同時に、Aである。いわゆる、即非様態である。
 このとき、Aは自我ではなく、自己である。
 そう、Aが自我となり、他者Bを自己同一性化するとき、それが、A*B⇒+1であろう。+1が自己同一性、自我となるだろう。
 Aは原自己ないし原自我であり、+1が自我である。しかし、それは、また、自己同一性である。
 例えば、Bを樹木としよう。Aは樹木を認識する。それは、自己同一性化であり、その+1はB=樹木である。だから、Bは物質ということではないだろう。Bは現象である。
 では、物質とはどうなのか。
 端的に言えば、ある数量化が必要である。他者Bを数量化ないし、抽象的数量化する必要がある。
 だから、A自体に数量的認識、抽象的認識が必要である。
 それは、先の言語についての検討からわかることは、凸iの分析的認識性に拠るということである。
 つまり、A自体は、単に、感覚的に現象認識するだけでなく、現象を抽象的数量的に認識するということになる。
 だから、自我と物質とは⇒+1として重なるようになるとは言えよう。
 しかしながら、感覚的具体的同一性認識と抽象的数量的同一性認識は異なるのではないだろうか。
 端的に言えば、感覚と数量の違いがあると思える。
 感覚は具体性をもっているが、数量はあくまで、抽象性である。
 そう、正に、具体的同一性と抽象的同一性の違いである。
 だから、問題は、⇒+1としたとき、両者の違いが区別できないことである。
 思うに、凸i*凹i⇒凸(+1)と凸*凹⇒凹(-1)があるのかもしれない。
 これは作業仮説的であるが、前者が具体的同一性、後者を抽象的同一性と考えることができるかもしれない。
 だから、感覚的現象は+1であり、抽象的現象である物質は-1となる。光は+1であり、闇は-1である。
 では、そうしたとき、精神はどう記述できるのだろうか。つまり、差異共振精神、即非精神である。
 それは、今の直観では、ガウス平面に直交する垂直軸(z軸)で表記されるように思われる。
 同一性はx軸の+1と-1で表記され、差異共振、即非様態はz軸の凸jと凹jで表記されるのではないだろうか。
 思うに、差異共振、即非様態であるが、凸iが主導的な場合は凸jに、凹iが主導的な場合は凹jになるのではないだろうか。
 そう、つまり、差異共振、即非様態でも凸i主導と凹i主導がありえるように思えるのである。つまり、差異共振とは本来、凹i主導であるが、それが一端成立すると、凸i主導と凹i主導の両面があるように思えるのである。そう、差異共振の極性論理(即非論理)である。
 今はここで留める。







差異1*差異2*差異3・・・差異nの連結
テーマ:media point

不連続的差異論からPS理論(ガウス平面的複素数精神理論)に移行したとき、本件の多重差異の連結の様態が見落とされるような印象をもった。
 もっとも、media resonanceの概念でそれは説明できるように感じたが。
 とは言え、少し、多重差異の問題を少し考えたい。直観では、これこそ、双極子としての多重差異の問題ではないだろうか。
 cosθk+i*sinθkとcos(θ+π)k+i*sin(θ+π)kの双極子において、多重化が生じるのではないだろうか。
 すなわち、

{cosθ1+i*sinθ1, cos(θ1+π)+i*sin(θ1 +π}*{cosθ2+i*sinθ2, con(θ2+π)+i*sin(θ2+π}*
・・・・・{cosθn+i*sinθn, cos(θn+π)+i*sin(θn+π}

となるのではないだろうか。
 どうも、これが有機体や生命体を形成する要素ではないだろうか。
 今は提起だけである。 







初期PS(PPS)理論から見た人間認識図の様態
テーマ:media point

今は簡単に記すに留める。
 凸i*凹i⇒+1であるが、先に+1が光と述べたが、⇒が光であり、+1が物質かもしれない。
 そして、凸iの支配による自我方程式は凸i*凹凹⇒-1であり、-1が自我である。
 そのように見ると、第一象限が自然界であり、第二象限が自我的言語生活世界である。
 そして、第三象限が腹黒い世界、悪の世界である。そして、第四象限は、直観の世界である。


2010年07月18日 (14:01)

新PS理論:PS理論と不連続的差異論の統一:差異共振・即非(MP2様態)と差異共立(MP1様態)

以下、PS理論を『嵐が丘』の主人公の意識に適用したものであるが、確かに、PS理論は明快に解明できるのである。
 先の試論(エッセイ)に拠れば、差異共振とは、MP2(虚軸のMedia Point、ゼロ点)を中心とする差異転換の様態を表わしているのであり、差異共立はMP1(実軸のMedia Point、ゼロ点)を中心とする差異並立の様態を表わしているということである。そして、即非とは差異共振を意味していると述べた。
 しかしながら、差異共振=即非において、差異とは当然、不連続的差異=絶対的差異であるから、A(不連続的差異=絶対的差異)=非A(不連続的差異=絶対的差異、正確には、他者である)となるのは、矛盾である。
 そうすると、やはり、差異共振=即非においては、不連続的差異=絶対的差異が対象となるのではなく、連続的差異、相対的差異が対象となっていることになるだろう。
 結局のところ、不連続的差異論において、差異共立が解明されたが、それは、MP1における不連続的差異=絶対的差異の様態の解明であったと言えよう。
 そして、PS理論では、差異共振=即非、即ち、MP2における連続的差異=相対的差異の様態(陰陽性)が解明されたと言えよう。
 そうすると、両者を統合する理論が必要となるのである。思うに、統一理論を新PS理論とすれば、明快である。つまり、不連続的差異論と(旧)PS理論の統一理論としての新PS理論である。
 ただし、MP1からMP2への質的転換を明確にしないといけないのである。つまり、不連続性から連続性への質的転換が生起していることを確認しないといけない。言い換えると、共立から共振への質的転換である。

追記:新PS理論によってこそ、D. H. ロレンスやルネ・マグリット、他の真に先駆者の作品が解明、理解されるだろうし、また、当然、自然の解明がこれまで以上に明晰になる。
 簡単に言えば、自然とは、不連続的差異=絶対的差異の共立が、連続的差異=相対的差異へと質的転換し、連続的差異共振化して、同一性=物質として産出されるものと言える。
 また、マイナス1と不連続的差異=絶対的差異共立との関係については、後で再考したい。 
 結局のところ、不連続的差異論はトランス・モダン的であるが、PS理論はポスト・モダン的であったのである。ただし、PS理論において、差異がガウス平面化されたのは、画期的であったと言えよう。
 ところで、新PS理論における自己認識方程式であるが、それは、

凸i#凹i⇒凸i*凹i⇒+1

でいいだろう(ただし、#は共立、*は共振の記号である)。しかしながら、*に共立、⇒に共振の意味をもたせるなら、従来通りに、

凸i*凹i⇒+1

で済む。

 
****************

『嵐が丘』:キャサリンの「私はヒースクリフ」の自己認識方程式

キャサリン(初代)の「私はヒースクリフ」という言葉は哲学的には何を意味しているのか。
 これは「わたし」は「他者」と一体であるということとは異なるのである。何故なら、そこには、「わたし」という主観性がまだ強く残っているからである。
 しかしながら、キャシーの言葉は主観性ないし主体性はヒースクリフに存するからである。つまり、「他者」に重心があるのである。
 これは、ドゥルーズ&ガタリの生成変化説から言えば、キャシーがヒースクリフに生成変化したということになる。意識の上であるが。
 しかしながら、自己認識方程式、即ち、

凸i(原自己)*凹i(原他者)⇒+1(自 己同一性:自我)

の視点から見ると、それは、原他者に傾斜した様態であり、それが、+1(自己同一性:自我)と一致していることになるだろう。即ち、凹i(原他者)=+1(自己同一性:自我)である。「わたしはヒースクリフ」の言葉に当てはめると、「+1(自己同一性:自我)は凹i(原他者)」となろう。
 しかしながら、正確に言うと、 根本方程式は、

凸i(原自己)*凹i(原他者)⇒+1(同 一性)【自己同一性であり、他者同一性である:あるいは、物質である】

である。
 つまり、同一性が帰結するのであり、そこに、本件の場合は、ヒースクリフが入るのである。
 言い換えると、

凸i(原キャシー)*凹i(原ヒースクリフ)⇒+1(ヒースクリフ)

となる。ただし、凹i傾斜があるので、それを太字(ボールド)にし、帰結をイタリックにすると、

凸i(原キャシー)*凹i(原ヒースクリフ)⇒+1(ヒースクリフ)

となる。
 これが、『嵐が丘』の初代キャサリンの心、精神の様態の方程式である。
 では、ヒースクリフの心はどうなるかと言えば、

凸i(原ヒースクリフ)*凹i(原キャサリン)⇒+1(キャサリン)

であり、凹i(キャサリン)に傾斜しているのであり、その帰結は、キャサリンという同一性であるが、キャサリンがリントンと結婚して、いわば、奪われたので、ヒースクリフは、空(くう:ゼロ:Φ)となった凹i(原キャサリン)を満たすために、非理性的な復讐鬼となるのである。
 しかしながら、当然、その絶対的空虚は埋まらないのであり、復讐は永遠に続くはずのものである。
 しかし、キャサリンが亡霊としてヒースクリフの心に出現したので、空虚が埋められたので、また、同時に、キャサリンの心も満たされたので、上記の二つの方程式は完結したと言えよう。
 即ち、

凸i(原キャサリン/原ヒースクリフ)*凹i(原ヒースクリフ/原キャサリン)⇒同一性(ヒースクリフ/キャサリン)

が形成されたのである。
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sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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