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2012年05月02日 (21:28)

思考実験:電磁波と物質:現象光と超光:二つの太陽:現象太陽とdark sun

これまでの考えによれば、電磁波は物質形成力学と関係する。

つまり、凸i*凹凹i⇒凹(-1)の物質方程式と関係する。

私の考える光は実際のところ、超光であり、凸i*凹i⇒凸(+1)の右辺である。これは精神的光である。

それに対して、物質的光、現象的光(電磁波)があり、それが、物質方程式と関係するということである。

そう、先にmedia pointが視覚であると述べたことをここで取り上げたい。

つまり、media pointにおいて、同一性の光(現象光)と差異の光(超光)が併存しているのであるが、物質感覚は同一性の光を基礎としているのであり、差異の光を感知、認知しないのである。

また、現象光凸iが自乗して、⇒凹(-1)の物質になると思われる。

E=mc^2は、このことと関係するように思われる。もっとも、cは現象光である。そして、Eは物質エネルギーである。

それに対して、凸i*凹i⇒凸(+1)の超光は、dark energyをもつように思われるのである。

 思うに、現象光凸iが現象太陽であり、凹iがdark sun、霊的太陽に相当する。そして、超光は現象太陽と霊的太陽の差異共振によって発生するということになる。「光」と「闇」、陽と陰との差異共振によって、超光(超越光)が誕生するのである。


追記:以下の現代物質科学による宇宙の解明であるが、やはり、唯物論ではその謎は解けないだろう。根源は精神である。「光」と「闇」であり、それが、差異共振して、超光を創り出す。そして、「光」の自乗で物質、物質エネルギーを産み出すのである。

 「光」は実に二面的なのである。一方では、超光、霊光を創出するが、他方、自乗して物質形成をするのである。その点で、「光」は善であり、悪である。

参考:

* 宇宙を解き明かす
神の素粒子

http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/0803/feature04/
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2012年02月01日 (14:12)

自己と自我:虚数(精神)濃度と連続/不連続概念

自己と自我:虚数(精神)濃度と連続/不連続概念

テーマ:media point

最近、自我病とでもいうべき問題を抱えている人が多いと感じたので、この点を復習になるが簡単に述べたい。
 端的に、問題点は連続性にあるのである。つまり、原精神、本精神、純精神の凸i*凹i(陽*陰)の二元性が実MP(精神的フィルター)によって、連続化されて自我が形成されるのである。
 本来、凸iと凹iは不連続であるが、それが、現象化したときに、連続態となるという倒錯を帯びるのである。つまり、現象存在としての人間は本来、本来の自己精神を喪失した存在なのである。これは、仏教等や哲学が説いてきたことであるが。
 ここでだいぶ以前に述べたユング心理学批判を再説するのは意味がある。
 ユング心理学のキー・ポイントは自我と自己(無意識、魂)との融合、結合、統合を説き、それが、個性化であるという点である。
 しかし、自我と自己との融合は、PS理論の視点からは、連続性を意味するのである。自我と自己という本来、不連続なものを連続化するのがユング心理学なのである。それは、精神を分裂させたままにするだろう。批判はここで留める。
 さて、PS理論では、自我と自己(ないし個)との不連続性を説くのであり、また、自己精神の凸i*凹iの陰陽的二元論、極性論を本来的なものとして考えている。
 前提は不連続性である。それは、自我と自己(個)とを能動的に切断することを意味している。これは、精神力学である。
 だから、PS理論的精神様態とは、自我的側面(物質的側面)と自己(個)的側面の二面性が併存しているのである。しかし、これは分裂ではない。
 何故分裂ではないかと言えば、自己本来の基盤、差異共振性を基礎して、その上に自我機能をもつからである。主は自己(個)であり、従は自我である。
 以上、簡単にPS理論的自己哲学を説明した上で、今日蔓延する自我病(造語)について簡単に述べよう。もっとも、以上の説明に既に答えは出ているが。
 結局、自我病とは、精神の極性を否定して、自己が連続化していることにある。つまり、自己の自然の現象態のままであり、自己陶冶を行っていないのである。
 他者である凹iが原自我・純自我の凸iに連続的に服しているのである。そのために、他者を暴力的に自我同一性化してしまうのである。つまり、他者を否定するのである。
 これは、ホッブズの万人の万人に対する戦争状態である。現代日本の社会生活、日常生活は完全にこのようなものとなっている。もっとも、少数の目覚めた(「ブッダ」)人たちがいるが。彼らが地の塩である。
 自我病の人が他者を自我中心的に攻撃するのである。それで、社会関係がささくれ立つのである。そして、自我(複数)がバラバラに存在して、社会はもはや共同体としての機能を喪失して、「民主主義」的権力が自我利益を出汁にして支配しているのである。
 自我人(造語)は、基本的には愚劣なので、自我を支配する権力者を選ぶのである(典型が小泉元首相)。そう、自我は正に、無明なのである。真理が見えていないのである。
 とまれ、連続性の誤謬と不連続性と差異共振性の基本的真理を説いたが、これとKaisetsu氏の虚数(精神)濃度概念はどういう関係になるだろうか。
 結局、不連続性/差異共振的自己の人間は虚数(精神)濃度が高い人(高濃度)であり、連続性の自我の人間はそれが低い人(低濃度)と言えるだろう。
 しかし、両者にはアルカリ性と酸性の違いがあるように、決定的な質的差異がある。
 不連続性/差異共振的自己(個)の人間はいわば、絶対的的高濃度人間と言えるのではないだろうか。あるいは、超越的高濃度人間である。
 水の三態で言えば、気化した人間であり、氣的高濃度人間とも言えよう。
 あるいは、光のモードで言えば、純光(*純闇)の人間と闇の人間の違いとなるだろう。
 とまれ、時代は明白に黙示録的様相を呈してきた。光の人間と闇の人間に明確に分かれてきた。
 最後に一言言うと、女性は本来、凹iをベースにしているので、不連続性/差異共振性を先天的にもっていると考えられる。しかし、男性主義・父権主義支配のために、それを否定して、自我主義に染まっている女性が今日多数であると思われる。
 しかし、本来的なものはいつまで否定されているわけではない。それは時代の力によって、新たに目覚めると考えられるのである。
 そう、女性ルネサンスである。
 
追記:自我病についてもう少し説明する必要がある。それは、うつ病とも関係する。つまり、自我的同一性が強力で、精神(精神魂)を否定すると、その否定された精神が反動的に自我を突発的に発作的に、そう狂気的に襲うと考えられるのである。近代的自我、近代合理主義がハイパーになった今日、否定、排除された精神(精神魂)が否定的衝動となって自我を襲うのである。それは端的に狂気である。
 その反動的精神力学であるが、それは、精神の極性力学が否定されているために、その極性力学が否定的エネルギーとなって自我を襲うと考えられるのである。
 うつ病の場合は、積極的な精神極性力学が否定されたままで、氣的エネルギーを喪失していると考えられる。しかし、今言ったことからわかるように、うつ病は攻撃的エネルギーを潜在していると考えられるのである。あるいは、鬱状態と反動的衝動が併存していると考えられる。
 結局、時代は精神の覚醒を要請していると言えよう。大都市はきわめて危険である。それは、物質支配であるからだ。
 自然のもつ精神エネルギー(氣)の環境に生きるべきである。機械物質文明は精神エネルギーを排除しているので、自我病を蔓延させている要因である。


追記2:不連続的切断に関してであるが、思うに、私が問題にしている自我病はとりわけ近代教育を受けた人間の陥る症状(広義の精神病)ではないだろうか。もっとも、連続的様態は自然状態であるが、同時に、差異共振の「光」の種子もあるだろう。つまり、精神の自然状態は、原始差異共振様態と連続態が併存しているのではないだろうか。
 しかし、近代教育を受けると、原始差異共振様態が否定されて、連続態が一般的になり、自我病を発症するのではないだろうか。
 結局、この場合、精神を不連続化させて、新たに差異共振精神を形成する必要があるだろう。これは、いわば、トランス・モダン的精神形成である。
 これは虚数(精神)濃度を高くするものではある。しかしながら、高濃度と低濃度には上述したように、質的差異がある。これをどう捉えるのか。
 どうも、閾値があるのではないだろうか。例えば、水の三態において、一気圧では、ゼロ℃で氷結し、百℃で気化する。この場合、ゼロと百が閾値である。
 虚数濃度の場合にはpH7(中性)が閾値と考えられないだろうか。それより高い濃度が精神的人間で、低い濃度が物質的人間である。
 というより、不連続化/差異共振化とは、最高虚数(精神)濃度ではないだろうか。
 そして、生成門氏のオイラーの公式的複素数精神マップ(と呼ぶことができよう)で実数部ゼロのときが不連続化/差異共振化様態と言えるだろう。
 とまれ、不連続化/差異共振化は極限化であり、絶対化、超越化であると言えよう。それは、Kaisetsu氏の唱えるZ軸=超越軸の形成と通じるのではないだろうか。純光と純闇が即非的に共振する純粋様態である。超越光様態である。



Living In The Material World


George Harrison - The Light That Has Lighted The World (demo / Living In The Material World)

2011年12月27日 (10:45)

悪、詐欺・ペテン、騙し等とは何か:第一象限の自我と第四象限の物質的欲望の癒着

テーマ:evilness, egotism

悪は腹黒い。言うことと行なうことが真逆である。言葉ではAと言い、行為は反Aである。
 問題は利己主義である。これは、人間認識図では第四象限に属する。
 結局、精神が物質化したとき、人間は物質的欲望に捉えられる。それが、第四象限に属するだろう。
 しかしながら、自我凸iは悟性作用から、自己を「善」として捉える。この「善」意識は、思うに、差異共振のもつ善かに基盤があるだろう。しかしながら、自我的「善」に、即ち、独善になってしまっているのである。
 とまれ、物質世界の人間は、第四象限の物質的欲望と第一象限の自我(独善的自我)をもつのである。
 後者は独善的なので、前者のために、嘘言を吐くことに良心の呵責はないのである。むしろ、自己は正しいと考えているのである。
 これが悪、詐欺・ペテン、騙しの様態の解明である。
 MS党はこれらのタイプの人間の巣窟である。

追記:では、精神はどこに存するのか。media point、差異共振性に存する。これを覚醒させるのが「教養」である。知的魂の養成が必要なのである。理系的文系、文系的理系、文理融合教養が必要なのである。
 この教養がないために、M党は狂っているのだ。とりわけ、魂の養成を怠った輩の巣窟である。そう、端的に言えば、優れた芸術を体験してこなかったのである。また、宗教にも触れてこなかったのである。
 そして、何よりも哲学を経験しなかったのである。

追記2:また、自然・宇宙的体験が欠落していると考えられる。M党員は都市型であり、自然・宇宙的精神体験がないはずである。

人間認識図
人間認識図

2011年10月30日 (00:56)

自我意識から自己認識へ:自我鏡面を打ち破り、内的他者へ:PS理論の自己認識方程式

以下、粗削りであるが、自我意識から脱却して自己認識に至る方法を説いた。PS理論のABCである。

resurrection
neomanichaeist resurrection

これを概念的というより、直観的に洞察するとき、言い換えると各人の内的経験・体験に即して感得するとき、世界が変わる。(完) @neomanichaeist PS理論はこれを自己認識方程式として定式化。i*(-i)⇒+1、又は凸i*凹i⇒凸である。正負の虚数の積が実数の+1となる。

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resurrection
neomanichaeist resurrection
@
PS理論はこれを自己認識方程式として定式化。i*(-i)⇒+1、又は凸i*凹i⇒凸である。正負の虚数の積が実数の+1となる @neomanichaeist 自我と内的他者との陰陽的対極・両極・双極性が確認できるのである。それがプラトニック・シナジー理論(PS理論)の根本原理の一つ
11分前 お気に入りに登録 返信 削除
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resurrection
neomanichaeist resurrection
@
PS理論ではこの不連続化が決定的ポイントである。その後、自我と内的他者との陰陽的対極・両極・双極性が確認できるのである。それがプラトニック・シナジー理論(PS理論)の根本原理の一つ。 @neomanichaeist 内的他者に到達する為には、自我と内的他者を不連続化する必要。
14分前 お気に入りに登録 返信 削除
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resurrection
neomanichaeist resurrection
@
コギト・エルゴ・スムは典型。内的他者を否定した自我存在論理だ。内的他者に到達する為には、自我と内的他者を不連続化する必要。 @neomanichaeist 近代主義は内的他者を否定して、自我同一性の論理、又は物質の論理だけを見ているのであり、利己主義となり、万人の万人に対する戦争
17分前 お気に入りに登録 返信 削除
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resurrection
neomanichaeist resurrection
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近代主義は内的他者を否定して、自我同一性の論理、又は物質の論理だけを見ているのであり、利己主義となり、万人の万人に対する戦争 @neomanichaeist 内的他者は実は超越的絶対的他者である。それは自我の論理では理解されない。自我は恐怖で逃避したくなるだろうがそこに至福がある
21分前 お気に入りに登録 返信 削除
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resurrection
neomanichaeist resurrection
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内的他者は実は超越的絶対的他者である。それは自我の論理では理解されない。自我は恐怖で逃避したくなるだろうがそこに至福がある @neomanichaeist 内的鏡面を破壊して、その内奥にある内的他者との対話から自己認識が始まるのである。内的他者こそ、真の自己の原基であり、個である
24分前 お気に入りに登録 返信 削除
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resurrection
neomanichaeist resurrection
@
自己認識に達するには、この内的鏡像を突き破る必要がある。内的鏡面を破壊して、その内奥にある内的他者との対話から自己認識が始まるのである。内的他者こそ、真の自己の原基であり、個である @neomanichaeist 自我は自己自身を否定する内的鏡像をもち、それを外的他者へ投影する
27分前 お気に入りに登録 返信 削除
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neomanichaeist resurrection
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自我は自己自身を否定する内的鏡像をもち、それを外的他者へ投影する。内的鏡像は自己否定像であり、その外的他者への投影が他者への攻撃性、敵対性、憎悪となる @neomanichaeist 自我同一性を内的他者に押しつけて、そこに鏡像、自我鏡像を作る。それは、否定的な自我像である
30分前 お気に入りに登録 返信 削除
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neomanichaeist resurrection
@
自我同一性を内的他者に押しつけて、そこに鏡像、自我鏡像を作る。それは、否定的な自我像である。その否定が外的他者へ投影されるのだ。否定性は先ず自我による自己自身の否定 @neomanichaeist 補足すると自我が自我を内的他者に押しつけて鏡像を作るのでありそれを外的他者に投影
32分前 お気に入りに登録 返信 削除
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neomanichaeist resurrection
@
補足すると自我が自我を内的他者に押しつけて鏡像を作るのでありそれを外的他者に投影 @neomanichaeist 日本人の自我の問題は、単純に解明できる。自我/内的他者が自己であるが、内的他者を認識することはせず、自我が内的他者に投影して、それを外的他者に映しているのである。
36分前 お気に入りに登録 返信 削除
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resurrection
neomanichaeist resurrection

日本人の自我の問題は、単純に解明できる。自我/内的他者が自己であるが、内的他者を認識することはせず、自我が内的他者に投影して、それを外的他者に映しているのである。内的他者(差異)を自我化して、それを外的他者に投影して、外的他者も自我化=同一性化するのである。自我同一性反射全体主義

2011年09月03日 (18:29)

検討問題:核融合や生体内原子転換をPS理論で解明する

テーマ:科学研究

生体内原子転換や(常温)核融合についてであるが、直観では、PS理論で解明できると思うのであるが、今は漠然と予見を書く。
 
〔i1*(-i1)〕*〔i2*(-i2)*・・・・・〔in*(-in)〕⇒+1(?)

最も単純化して、

〔i*(-i)〕*〔i*(-i)〕⇒+1

を考えよう。これは以下の参照から陽子-陽子連鎖反応に相当する。
 わかりやすくするため、序数化しよう。

〔i1*(-i1)〕*〔i2*(-i2)〕⇒+1      (A)

そして、変形する。

〔i1*(-i2)〕*〔i2*(-i1)〕⇒+1  (B)       

これは、最初の陽子と二番目の陽子が、+と-で牽引した状態を意味する。つまり、核融合である。そして、A式とB式は異なるということである。
 AからBへの転換において、二つの陽子が重水素になるとき、陽子の固有エネルギーが奪われて、陽電子とニュートリノを放出すると思われる。つまり、陽子の結合エネルギーが核融合で解体されて、陽電子とニュートリノとして放出されたというように考えることができるだろう。
 この核融合であるが、通常、高エネルギー状態でなされるとして、実験されているが、常温核融合や生体内原子転換を考えると、高エネルギー状態は必要ではないということになる。
 PS理論から言えば、media point同士の融合があればいいのである。そう、同一性(物質体)の力を解体する差異共振エネルギーがあればいいというように思われる。
 直観では、なんらかの方法で、二つの陽子を十分接近させれば、同一性力を解体して、差異共振である核融合、ないしは、生体内原子転換はなされると思われるのである。
 今は予備考察のみである。
 
 


参照:
陽子-陽子連鎖反応 [編集 ]

次の、軽水素(陽子、p)どうしが直接反応する水素核融合を、陽子-陽子連鎖反応 、p-pチェインなどと呼ぶ。太陽で主に起こっている核融合反応である。

(1) p + p → 2H + e+ + νe

2つの陽子が融合して、重水素 となり陽電子 とニュートリノ が放出される。

(2) 2H + p → 3He + γ

重水素と陽子が融合してヘリウム3が生成され、ガンマ線 としてエネルギーが放出される

(3) 3He + 3He → 4He + p + p

ヘリウム3とヘリウム3が融合してヘリウム4 が生成され、陽子 が放出される。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E6%A0%B8%E8%9E%8D%E5%90%88

参照2:

原子核融合
原子転換:Biological transmutation

プロ整体師を目指すなら

2011年09月02日 (18:23)

検討問題:光自己認識方程式と生命体:光と闇への螺旋的回帰:光・父と闇・母の対称的一致

Kaisetsu氏は以下のように定式化した。

凸光の自己認識方程式
凸(+1)⇒i/i⇒(i/1)*(1/i)⇒凸(+1)

私が、今日ふと思ったのは、植物の種子形成はi/1ではないかということである。生成門氏はi/1を子⇒母と説明した。そして、1/iが母⇒子である。
 植物の生長は初期、前期は1/iが主導的であり、蕾をつけ、花を開き、結実する後期の過程は、i/1が主導的ではないかと思うのである。つまり、生長前期は母⇒子の過程が主導・優位的であり、生長後期は子⇒母の過程が主導・優位的になるということである。

言い換えると、種子とは次世代を生む物質体であり、それは、根源への回帰と考えられるので、上記のように考えたのである。すなわち、前期プロセスが精神⇒物質であり、後期プロセスは物質⇒精神ということである。

この二重螺旋の様態を植物ないし生命体の螺旋的回帰と呼んでもいいだろう。母への回帰、あるいは、精神(霊)的回帰である。つまり、種子の中に遺伝子として、精神(霊)的情報が形成されるということである。(思うに、獲得遺伝というはある。個体は「経験」をmedia pointに「スキャン」していると思われるのである。この点は既述した。遺伝子情報とはi*(-i)のmedia point recordではないだろうか。)

さて、そのように考えると、問題は、螺旋的回帰、精神(霊)的回帰とは、精神としての光へと回帰であることをどう考えるのかということである。

当然ながら、この場合、回帰は母への回帰であるが、iへの回帰は母ではなく、父である。この齟齬をどう解消するのか。

ここで単純素朴な事実に即して、考えてみよう。結実した実・果実は、そのままにしておけが、当然ながら、地上へと落下・降下するのである。それは、←の方向、重力の方向である。

つまり、⇒が天への方向ならば、←は地への方向であり、それは、凹(-1)を志向しているのではないだろうか。あるいは、media pointである。

直観で言うと、光の自己認識方程式は、闇の自己認識方程式を示唆しているのである。精神としての光は父であるが、螺旋的回帰は母への回帰であり、それは-iを示唆するのである。

思考実験ないし作業仮説であるが、i/1は-i/iを示唆しているのである。そして、



-i/i⇒i/(-i)⇒凹(-1)



となる。

 とまれ、単純に考えれば、精神としての光i(陽:光と陽を今は同一視している。後で再考したい)は、当然、陰陽体から母としての闇-iを対極的に帯びているのである。

だから、光の自己認識方程式とは実質的に闇の自己認識方程式を内包していると言えるのではないだろうか。先に、その点について言及したのであるが。(参照:http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11002414895.html)

言い換えると、光は同時に闇を形成しているのである。光と闇は一体であるということである。思うに、一種の「鏡の国」がそこにはあると考えられる。否、「不思議の国」かもしれない。

問題は上下(天地)反転と左右反転の問題に関係してくると考えられる。⇒凸を天の方向とすれば、←は地の方向であるから、それは、上下(天地)反転となる。しかしながら、PS理論が薄平面では、左右反転となるのである。

また、上記で、iを光と呼んだことも関係している。すなわち、iを天=父、-iを地=母と上記では直観されているのであるから、結局、天地は実軸なのか、虚軸なのか、それとも両方なのか。それとも、両方以外なのか。

どうも発想の転換が必要のようである。ここでも思考実験であるが、iへの回帰とは、反時計回りπ/4回転ではないだろうか。そうならば、天は⇒の実軸から虚軸へと変換すると考えられるのである。そして、また、同時に、-iも喚起されているから、時計回りπ/4回転も生起していると推察できるのである。

そうならば、結局、天地は垂直に捩れるのである。そう、垂直の捩れが端的に、天の方向ではないだろうか。同時に、地もそうである。

そう見ると、これまで、iを陽とし、凸(+1)を光と峻別したが、iが光に生成することはまったく問題がないことになる。すなわち、陽⇒光⇒陽であり、陰⇒闇⇒陰である。端的に、



i⇒凸⇒i



-i⇒凹⇒-i



である。

 今はここで留めておく。

2011年05月04日 (08:11)

試論:陰陽調和と陰陽差異(不均衡)の関係について

先に、人間とそれ以外の自然物との構成の違いについて簡単な仮説をたてた。【シュタイナーの精神学とPS理論:人間と自然:陰陽差異と陰陽調和 http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1701.html】自然の場合は、陰陽調和があり、人間においては陰陽差異、つまり、陰陽不均衡があるというものである。
しかし、人間の場合は当然、自然の要素と人間の要素が組み合わさっているのであり、その力学を解明する必要がある。言い換えると、陰陽調和と陰陽差異をどう重ねるのかということである。
有機体としての人体は陰陽調和で説明できると見ていいだろう。端的に言えば、動物の身体があるのである。では、動物の陰陽調和体と精神・認識の陰陽不均衡体はどう組み合わされるのか。
作業仮説は、動物的陰陽調和体が突然変異で、陰陽差異化したということである。つまり、陰陽調和体と陰陽不均衡体が重なったというのではなく、前者が後者へと突然変異したと見るのである。しかしながら、その突然変異は前者を基盤として残すようにして、生起したと見るのである。即ち、動物的陰陽調和体が基盤となり、その上に陰陽不均衡体(陰陽差異体)が形成されたということである。
では、前者と後者の関係はどうなるのだろうか。それは、即非関係ではないだろうか。動物的陰陽調和体であり、且つ、同時に、陰陽差異体であるという絶対的矛盾があると考えられる。わかりやすく作業仮説を立てるなら、陰陽調和体の遺伝子に陰陽差異体の遺伝子が付加されたと言えるのではないだろうか。
感覚的に言えば、「厚み」が生じたということになるのではないだろうか。あるいは、立体的になったと。直観では、なんらかの捩れが生じたと思えるのである。即ち、陰陽調和体が捩れて、陰陽差異体(陰陽不均衡体)を上部に形成したというイメージが浮かぶのである。
それはなんらかの固定化と言えるかもしれない。以前、陽の極大化(「太陽」)と陰の極大化(太陰)の状態が固定化したという仮説を述べたことがあるが、このイメージと捩れのイメージを重ねてもいいかもしれない。
そう、簡単に言うならば、陽の極大化と陰の極大化が、なんらかの突然変異で、固定化して、それが陰陽差異の遺伝子となったとことになろう。
とまれ、人間の場合、とりわけ、男性の場合は、陽の極大化の固定化の陰陽不均衡化を考えることができる。
ならば、陰の極大化とは何を意味するのだろうか。直観で言うと、それは、イエス・キリストの様態ではないだろうか。他者のまったき肯定である。私の考える、新母権主義に通じるかもしれない。また、それは人間認識図では、第三象限へと通じる様態と考えられる。人間、とりわけ、男性の陽の極大化の陰陽不均衡(差異)様態に対して、それは、陰陽調和・均衡へと向かう力学を形成すると考えられるのである。差異共振への転換である。そこにこそ、不可視の光があるのである。
さて、以上、本件の問題についての暫定的な解明を行ったことになる。

2011年04月19日 (19:38)

水素:原子方程式(仮説):陽子(凸i)*電子(凹i)⇒水素(凸:+1)

テーマ:科学研究

水素は陽子と電子から成る。
 ここで、閃きから言うと、陽子は陽電荷をもち、電子は陰電荷をもつので、陽子を凸i、電子を凹iと作業仮設する。
 
陽子(凸i)*電子(凹i)⇒水素(凸:+1)

ということになる。
 ならば、陰陽論における「陽」を陽子、「陰」を電子と仮説することができる。
 問題は、中性子であり、中間子である。
ウィキペディアには次のように書かれている。

「中性子は、電荷 がゼロ(中性)の原子より小さな粒子で、質量 は1.674 927 211(84)×10-27kg (939.565 346(23)MeV)[[1] ] であり、同じ核子である陽子 よりわずかに大きいだけである。そこで、陽子と中性子をあわせて、アイソスピンが1/2の核子 と呼び、+1/2の状態が陽子、-1/2の状態が中性子であるとする。

直径は約1fm。原子核の外ではわずかな例外を除いて中性子は不安定であり、陽子と電子 および反電子ニュートリノ に崩壊する。平均寿命 は886.7±1.9秒(約15分)、半減期 は約10分。

\mathrm{n}\rightarrow\mathrm{p}+\mathrm{e}^-+\bar{\nu}_e + 0.78\,\mathrm{MeV}

同様な崩壊(ベータ崩壊 )が何種類かの原子核においても起こる。核内の粒子(核子)は、中性子と陽子の間の共鳴 状態であり、中性子と陽子は互いにパイ中間子 を放出・吸収して移り変わっている。中性子はバリオン の一種であり、ヴァレンス・クォーク模型 の見方をとれば、2個のダウンクォーク と1個のアップクォークで構成されている。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%80%A7%E5%AD%90


「中性子は不安定であり、陽子と電子 および反電子ニュートリノ に崩壊する」と書かれている。

 これから推察できるのは、中性子とは水素の変異体ではないかということである。

 そうならば、基本、原型は水素であるということになるのではないだろうか。しかし、問題は、反電子ニュートリノである。これはいったい何か。

 直観では、PS理論の凹に関係するのではないだろうか。これは留めておく。

 とまれ、中性子を作業仮説的に、水素に還元するならば、水素以外の原子は水素の変容と見ることができるのではないだろうか。それも作業仮説とする。

 直観では、水素と水素の変容としての中性子との結合が水素以外の諸原子となる。この力学については今はおいておく。

 そうすると、結局、原子は水素に還元される。だから、やはり、


陽子(凸i)*電子(凹i)⇒水素(凸:+1)


が基本となる。

 では、これは何を意味するのか。

 少し視点を変えると、原子核はどう説明されるのか。当然、陽子(凸i)が原子核となる。これを帰納すると、すべての原子核は凸iで記述される。

 ならば、自己認識方程式凸i*凹i⇒凸(+1)は、原子方程式とも見ることができる。

 では、media pointは何になるとかと言えば、それは中間子ではないだろうか。

 そうならば、中間子=media pointにこそ、超越的存在が作用していることになるだろう。

 そう、『気』とはこの中間子を指しているのではないだろうか。

 今はここで留める。

 

2011年04月11日 (23:06)

仮説:『科学』とは何か:物質的法則は絶対的であり、基準値はそれに準拠するものと考えるべきである

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)

放射能の基準値を日本政府は変化させたし、また、食品に関して、米国と日本では数値が1ケタことなるのである。
 基準値を簡単に変更できるものなのだろうか。それは、原則としては、絶対的基準ではないだろうか。
 ここで、科学を哲学してみよう。
 物質科学を対象とする。例えば、水の氷点と沸点は、それぞれ、零度と百度であることは常識である。勿論、気圧が関係するが、ここで無視する。
 その物質科学の法則は、物質領域においては、絶対的である。それは、相対的なものではない。
 PS理論から見てみたい。
 いったい、物質世界の法則とは何か。物質は凸ないし+1とPS理論では表記する。
 では、そこに法則があるのだろうか。それは当然、違う。凸、+1は、物質的現象であり、法則ではない。法則は、数式を使って、表記される。
 水の例を考えよう。化学記号はH20である。これは、物質であり、凸、+1に属する。
 しかし、氷点や沸点は、凸、+1からは説明できないだろう。水とは、PS理論では、Hプラス・イオンとOマイナス・イオンが差異共振したものである。それは、虚軸に存するのである。即ち、Hプラス・イオンは凸iとなり、Oマイナス・イオンは凹iとなる。これは、虚数である。
 氷点や沸点とは虚軸において形成されるものと考えられる。即ち、差異共振エネルギーが減衰すると、氷点となり、結氷して個体になるのであり、差異共振エネルギーが増加すると、沸点となり、水蒸気という気体になるのである。
 だから、法則は差異共振エネルギーが発動する、虚軸に存することになる。即ち、凸i*凹i⇒が法則である。
 そして、これは、一種の超越数であろう。当然、実数ではないのである。
 これは、差異であり、絶対的ということである。
故に、放射能汚染に関する基準値であるが、それは、当然、物質的法則に基づくものであるから、絶対的なものでなくてはならない。もっとも、知見の発展によって、絶対的数値は変動するだろうが、性格はあくまで、絶対的である。
 故に、日本政府のように基準値を簡単に、便宜的に変更するというのは、反科学的ということになるだろう。
 まったく、恣意的、ご都合主義である。これは、自己保身に根差した、利己主義的態度であり、科学を辱めるものであり、また、人命の軽視、無視につながるものと言えよう。


参考:
170ベクレル以上で輸入規制=食品中のヨウ素検出で―米国

2011年3月29日16時55分


 【ワシントン時事】米食品医薬品局(FDA)の広報担当者は28日、福島第1原発の事故に関連し、日本からの輸入食品について、1キロ当たり170ベクレルを上回る放射性ヨウ素131を検出した場合には輸入を差し止めるとの規制方針を明らかにした。生鮮食品など保存期間が短いものは業者側に引き取りを求め、冷凍食品などについては一時保管し、基準を下回った場合には米国内での流通を認めるケースもあるとしている。

 FDAによると、米国では放射性ヨウ素131に対する規制として、食品については1キロ170ベクレルを政府による「介入レベル」と規定、国民が大量摂取しないようにするための保護措置を講じる。ただ、この介入基準を上回る量を摂取した場合に健康に影響が出ると認定しているわけではないという。

 日本はヨウ素131について、飲料水は1キロ当たり300ベクレル、野菜類は同2000ベクレルを暫定規制値としている。 



[時事通信社]

http://www.asahi.com/international/jiji/JJT201103290068.html


【DOL特別レポート】
放射能汚染を巡る日本人の誤解と政府の説明責任――チェルノブイリの惨状を知る被曝治療の権威ロバート・ゲイル博士に聞く   2011.04.06
http://diamond.jp/articles/-/11772




きゃな
AmberSambo きゃな

『避難の指示もなく「安全」と言い続けた政府が、事故から1カ月もたって突如出した、あいまいな指示』(安全)と(大丈夫) ←聞けば聞くほど不安になる言葉になっちゃった… 悲しいね。
http://twitter.com/#!/AmberSambo

2011年02月27日 (20:28)

精神と自然Ⅱ:「わたし」と気:内的な灯火と否定=不連続化による超越化

精神と自然Ⅱ:「わたし」と気:内的な灯火と否定=不連続化による超越化

テーマ:ゾロアスター教とマニ教:「光」VS「闇」

結局、元の木阿弥になったので、新たに考えたい。
 結局、人間的陰陽論と自然的陰陽論の衝突があり、それが齟齬となっているのである。
 別々に考えると、整合性があるが、統一しようとすると、齟齬が生じるのである。難問である。
 しかしながら、シュタイナー自身の考え方とは異なるとは言え、「わたし」=「悪魔」とすると先の結論(http://ameblo.jp/renshi/entry-10814991505.html )のように明快になるのである。
 別の考え方も可能であろうが、今はこの見方を作業仮説にしたい。
 結局、悪魔的自己認識方程式とは、

凸i*凹i=アーリマン*ルシファー⇒凸(物質)

となる。
 そして、これに均衡調和(キリスト)をもたらすには、否定する必要があるのではないだろうか。否定を凹とすると、

凹(凸i*凹i)=凸i*凹凹i=凸i*凸i⇒凹

or

凹(凸i*凹i)=凹凸i*凹i=凹i*凹i⇒凹

となるのではないだろうか。すなわち、超越的存在へと向かうのである。
 思うに、この否定とは、不連続化のことではないだろうか。そのままの積では、連続化、連続的同一性化するのであるから。
 思うに、人間以外の造物においては、連続化が自然の過程ではないだろうか。ただし、無意識、本能として、連続化以外に、差異共振領域、media pointが作用しているのではないだろうか。これが、造物の光の粒子である。
 人間の場合は、悪魔が支配しているので、積極的な、否定、不連続化の行為が必要である。
 整理すると、人間以外の自然の作用においては、陰陽の連続的作用が一般的であり、物質現象をもたらす。しかしながら、その連続化の影には、差異共振領域があり、そこにおいて、光の粒子、media pointがあると言えよう。
 人間の場合は、「二つ」の「わたし」=「二人」の「悪魔」なので、連続化は破壊的な作用をもたらすと言えよう。そして、それを乗り越えるには、積極的な否定=不連続化の精神的行為が必要とされるのである。
 では、否定=不連続化の精神的行為のためには、具体的にはどうするのか。それは、内的な光・灯火を個的に肯定することが前提であろう。これを連続化から切断すれば(否定=不連続化)、超越的均衡調和(キリスト)=超越光がもたらされると言えよう。
 内的な灯りが人間に存する光の粒子である。これが、闇の物質的身体を克服するのである。欲望が昇華して、元々の精神エネルギーへ帰還するのである。これは実用的に言えば、心身の健康を増進させると言えよう。

 性の消費とは、精神の消費であり、破壊である。
 
今はここで留めたい。





精神と自然:マニ教の視点と陰陽の視点との交流


テーマ:ゾロアスター教とマニ教:「光」VS「闇」

今は簡単に触れるだけである。
 マニ教ないしグノーシス主義は、自然を悪と見るだろう。しかし、陰陽論は、自然に対してはニュートラルである。
 問題を簡単にしよう。自然は精神に基づくものである。東洋では、気が形成因である。この気をどう見るかが重要である。やはり、精神である。気の精神、気霊である。
 では、気とマニ教ないしグノーシス主義とはどう関係するのだろうか。ここでは、マニ教との関係をみよう。マニ教は物質という悪の中にも、善、光の粒子があると考えれる。この善=光の粒子は、気と通じるのではないだろうか。
 そう、気ないし気霊体は、確かに、差異共振光である。一つの超越光である。だから、マニ教の善=光の粒子に入ると言えよう。そう、気と精神は関係しているのである。何故なら、気は、精神の凹iで感知されるものであるからである。
 
 さて、次に、先の問題である精神と気の力学について検討したい。
 先に、z軸を考えたが、それから、y軸の差異共振を考えるのは、不整合であるから、とりあえず、それは考察対象から外す。
 問題を分かりやすくするために、感情ないし情感と気の関係について考察しよう。
 今、私は肚に気を感じている。つまり、凹iに気を感じている。つまり、凹iが気を感知するのである。また、よい音楽を聴くと、凹iやmedia pointが感銘を受ける。つまり、情感が凹iやmedia pointに存すると思われる。
 端的に、凹iは精神器官であるが、気は必ずしも、情感ではないので、気は精神よりも低位と考えられる。
 とまれ、ここで思考実験すると、陰陽において、太陽と太陰がある。前者は完全な陽で、後者は完全な陰である。これを、シュタイナー的に、固定された場合を考えると、前者がアーリマンで、後者がルシファーと考えることが可能であろう。
 これが「わたし」、「二つ」の「わたし」の根拠と考えられる。そうすると、それ以外の陰陽においては、生々流転、変動・流動が常におこっていると考えられる。それは、気の変化と見ることになる。
 そうすると、陰陽のベースには、気、気霊体の生々流転的変化・変動があり、それ以外に、特殊の、変化をしなくなった、静止した陰陽、双極体があるのであ り、それが、アーリマンとルシファーであり、それが、「二つ」の「わたし」の根拠ということになる。つまり、"凸i"(アーリマン)と”凹i”(ルシ ファー)の「二つ」の「わたし」が存することになる。
 思うに、陰陽は常に、変動以外にも、差異共振点、media pointをもっていると考えられる。差異均衡調和点である。それが、シュタイナー的に言えば、キリストである。それは、本来の超越的な光と一致するだろう。
 つまり、常に、キリスト=超越光は内的に、内面に存するのである。だから、「わたし」=自己(個)とは、内的に沈潜することで、キリスト=超越光に接することができるのであり、差異均衡調和精神に触れることができることになるだろう。
 さて、以上のように考えて、本題について考察するならば、人間以外の森羅万象においては、気霊体による生成で説明がつくが、人間の場合、「二つ」の「わ たし」が作用して、特異な精神様態が成立していると考えられる。この特異な精神(自己的精神)と気との関係であるが、やはり、連続的ではなく、不連続的だ と思う。
 しかしながら、上記したように、z軸を考える必要はなく、y軸に精神をおいて考えることができると言えよう。ガウス平面のままで正しいのである。
 とまれ、以上から、気霊体において、「二つ」の「わたし」ないしは「二人」の悪魔が組み込まれているのが、人間であるということになる。そして、これで、これまでの、PS理論の数式、
凹⇒(or ⇔)凸i*凹i⇒凸が維持される。
 では、問題は、特異なアーリマンとルシファーの形成とはいかなる力学に拠るのか。シュタイナーは、本来、善であったものが、進化を停止させたために、悪になったと述べているのである。この点については、新たに検討したい。

追記:以上において、私は、「わたし」と「悪魔」を同一視しているが、それは、シュタイナーの霊学からみると、極端である。確かに、「わたし」に「悪魔」が深く関わっているが、「わたし」=「悪魔」ではないのである。
 故に、再度、精神と自然について考察する必要がある。

シュタイナーノート 23●ルシファーとアーリマン

シュタイナーノート 21-30




「新時代」とは、ポスト・オクシデント=ニュー・オリエントと言うべきであろう


テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教的西洋文明

今や、近代は崩壊した。非近代の時代であるが、考えると、それは、西洋の歴史に拠る考え方である。
 文明サイクルを考えると、西洋文明のサイクルが終焉を迎えていると考えられる。故に、ポスト・オクシデントの新文明サイクルが生まれつつあるのだ。それは、新母権的文明と考えられる。私はこれまで、新東洋文明と言ってきたが、同じことである。
 日本の問題は、男性のエゴイズムのシロアリに国家の大黒柱が食われてしまっていることである。日本において、魂が失せてしまったのである。
 やはり、戦後の連合国支配が利いているのである。魂を抜き取ったのである。支配としては、見事である。また、簡単に洗脳される国民も国民である。封建時代の因習が続いたのである。
 思うに、日本文化がある意味で、袋小路に陥ったのだろう。確かに母権文化であるが、それが創造的に発展せずに、デカダンスになり、超越的エネルギーを喪失してしまったのだろう。
 日本文化の場合、精神が(物質的)自然に拘束され過ぎている面が強い。結局、新しい超越的な母権文化を生み出すことができなかったのが、最大の弱点であろう。
 そう、感性が物質に拘束されているのである。それは、第四象限であろう。悪性である。
 シュタイナー的に言えば、ルシファーが足りないのである。ルシファーは個の原理である。これは、絶対的差異である。
 どうも、日本文化は母権文化と父権文化の二つに分裂しているような感じがある。言い換えると、二つの民族が存しているのではないだろうか。
 この点で、日ユ同祖論は棄てがたいと言えよう。母権的民族の日本と父権的民族の日本である。
 また、脱亜入欧イデオロギーが利いていると思う。また、それ以上のものが戦後の連合国の民族文化破壊戦略である。
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sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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