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2012年07月11日 (09:58)

父権と天地:母権的太極・陰陽宇宙観から父権的二項対立ヒエラルキー宇宙観への転回:天照御大神大復活

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11299636392.html

父権と天地:母権的太極・陰陽宇宙観から父権的二項対立ヒエラルキー宇宙観への転回:天照御大神大復活

テーマ:無双PS原理

先に以下のように、無双PS原理ガウス平面を作図したが、父権の位置が「地」であり、明らかに、伝統的な、父権の位置である「天」ではないのは、当然、問題であるので、ここで、父権と天地との関係を検討したい。
 思うに、父権を「地」に置くのは、本質を突いているのではないだろうか。一般には、確かに、「天にまします我らが父よ」であるから、「天」に「父」がいるのである。
 いったい、「天」に存するはずの「父」の本来の位置が「地」となのか。
 また、地母神からわかるように、「母」は「地」へと定置されるのであるが、無双PS原理からは、「母」はMPとなるのである。
 結局、無双PS原理からは、伝統的な「父」と「母」のポジションは間違っているということになるのであるが、その原因は何か。
 父権化とは、既述のように、陽・凸i=自己への傾斜力学である。つまり、自己同一性から、連続的同一性、自我同一性主義へと転化するのである。
 このとき、太極・MP・霊愛は否定・抑圧・排除・隠蔽される。太極の元太陽(天照御大神)が隠蔽される。そして、陽・凸i=自己=「地」による、陰・凹 i=他者=「天」への連続的同一性化が生起するのである。陰・凹i=他者=「天」は陽・凸i=自己=「地」に取り込まれるのである。
 言い換えると、陽・凸i=自己=「地」は、陰・凹=他者=「天」を簒奪し、自身を後者に対して、優位に置くのである。
 言い換えると、陽・凸i・自己・「地」は自身を「天」にすり替え、自身を優位とし、同時に、陰・凹i・他者・「天」を「地」にすり替え、それを劣位とするのである。
 問題の表象は太陽である。太極・MPは元太陽・原太陽であり、これが、母権・女神文明の中心表象であるが、同時に、陰・凹iにおいては、現象太陽が、陽・凸iには大地が存するのである。【そう、母権・女神文明のエジプト神話のヌト(女神:天)とゲプ(男神・地)の配置を想起するといいだろう。】
 陽・凸i・自己・「地」の傾斜力学(父権主義)は、自身を現象太陽と一体化し、「天」と優位化し、そして、排斥した陰・凹i・他者・「天」を、「地」へと劣位化すると考えられる。つまり、父権主義は、所謂、二項対立のヒエラルキーを構築するのである。
 そして、これが一神教、西洋文明の本質力学である。
 つまり、父権文明においては、母権文明のもっている太極・陰陽構成が転倒・倒錯されて、逆転されているのである。簡略して言えば、「地」が「天」となり、「天」が「地」となり、それまでの一元的陰陽極性主義が二項対立的ヒエラルキーへと転換されたのである。換言すれば、一元的陰陽極性論から二項対立的二元論へと転換されたのである。
 この父権主義の帰結の一つが一神教であるが、ユダヤ教からわかるように、実は、古い母権主義の意味合いを残してはいるのであるが、この点は、ここでは詳述しない。
 さらに、この帰結の一つは西洋文明である。それが、今日の悪霊的な金融資本主義を生んだのである。
 しかしながら、今や、新母権的な転回が、根源的に、為されていると考えられる。そう、否定・抑圧・排除・隠蔽された太極・MP・霊愛の原点が新たに開かれたのである。天の岩戸の開化である。
 新たに、天照御大神が御出現されるのである。新御来光である。天照御大神の大復活である。



<無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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-1_____太極・MP・母権______+1
無機物          |           有機体・生命体
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陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式:父権


三つ巴と無双PS原理:無双PS原理から三つ巴を説明する:東洋母権文明と西洋父権文明
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11299598592.html

resurrectionのブログ

■ゲブとヌト

ゲブは大地の神、ヌトは天空の女神です。この兄妹は夫婦となり、最初は隙間なくくっついていましたが、父のシュウ(空気)によって引き離され、現在の姿になりました。ゲブはヌトに少しでも近づこうと山々を作り出しました。夫婦は、オシリス、イシス、ネフティス、セトをもうけます。

図は、横たわったゲブ(大地)の上にシュー(大気)が立ち、ヌト(天空)を支えている姿です。

http://www.gregorius.jp/presentation/page_13.html
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2012年07月11日 (07:30)

三つ巴と無双PS原理:無双PS原理から三つ巴を説明する:東洋母権文明と西洋父権文明

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11299598592.html

同一性について:自己・陽・凸iのもつ唯一絶対的同一性と直観・他者・陰・凹iの絶対的多様性
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11298889775.html


先に以上において、簡単に父権主義と母権主義の哲学力学について述べたが、そこから、派生的に、三つ巴の説明ができると考えられる。
 以前、それについては、陰陽の極性とMPで三元性を説明したが、先の考えは、それよりさらに明快に説明できる。
 即ち、MPの主導性から端的に三つ巴が発生すると考えられるのである。MPにおいて、太極が作用する。それは、三つ巴の一極となる。そして、そこから、陰陽の二極が生起するのである。即ち、太極の一極と陰陽の二極の一元的連関が三つ巴であるということである。
 言い換えると、三つ巴は母権主義(女神文明)の象徴なのである。神社のシンボルの一つが三つ巴であるというのは、神道が母権主義、女神文明であることを意味していると言えよう。

resurrectionのブログ


resurrectionのブログ

佐原の大祭秋祭りの奉納先、「諏訪神社」
http://tama-kousaku.ocnk.net/data/tama-kousaku/image/DSCN43610001.JPG

 ついでながら、神社の透かし彫りで一般的な龍であるが、それはあきらかに、やはり、MPを根源にする陰陽極性様態を意味しよう。あるいは、端的に、三つ巴の様態である。


resurrectionのブログ
聖ゲオルギウスと竜 St. George and the Dragon

http://blogs.yahoo.co.jp/renegaderow/51909252.html

 また、文明文化史論から言うと、西洋文明文化において、聖ゲオルギウスの龍退治が有名であるが、それは、女神の殺戮、東洋文明・女神文明の破壊、MPの排除と考えられる。
 メルヴィル/D. H. ロレンス的に言うと、龍は白鯨(モービー・ディック)であり、それを追跡するエイハブ船長は聖ゲオルギウスである。

追記:上図の『聖ゲオルギウスと竜』における左の女性は、父権制の虜となった女性原理を意味しよう。言わば、家庭に閉じ込められて天使である。

resurrectionのブログ
三つ巴の紋所の一つ「左三つ巴」
みつどもえ【三つ巴】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書
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みつどもえ【三つ巴】とは。意味や解説。1 三つのものが互いに対立して入り乱れること。「―になって争う」2 三人が向かい合って座ること。三つ鼎(がなえ)。3 紋所・文様の名。巴を三つ組み合わせて円形にしたもの。 - goo辞書は国語、英和、和英、中国語、百科 ...

巴 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/巴 - キャッシュ 類似ページ
一般公開で +1 しました 取り消す
後には特に武神である八幡神の神紋として巴紋(特に三つ巴)が用いられるようになり、さらには他の神社でも巴紋が神紋として用いられるようになっ ... また、ヨーロッパには、三つ巴に似た「トリスケル(triskele)」という文様があり、日本では三脚巴と訳されている。
巴御前 - 巴 (能) - 三脚巴 - 巴山


<無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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-1_____太極・MP・母権______+1
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陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式:父権

参照:

愛の日記


■ 春分図と夏至図

日記 マドモアゼル・愛  2012年07月09日(MON)


日本の春分図と夏至図を見ると、共通している部分が多い。上昇はどちらもしし座。度数も近い。10ハウスには金星と木星が合となっている。春分と夏至では4カ月もたつので、通常は金星と木星が同じく合になる確率は非常に少ない。

動きの遅い大惑星なら4か月程度では変わらない場合があるが、金星と木星の合がどちらの図にも出てくるのは珍しいと思う。

上昇がしし座で共通と重ね合わせると、どんなことを読めるか。なんだか、現状とは異なるイメージなのだ。

しし座上昇も金星と木星の合も、どちらも遊びと関係。どちらかと言えば、浮ついた、楽しみ優先の星の配置。面倒なことはそっちのけにして、まず遊ぼうよ、、、という誘いにも見える。

豊富な恋愛体験や、見せびらかし的贅沢とか、プリントアウトされたような大衆芸術というイメージがある。

問題続出の現在の日本、行き詰って堅くなった現在の日本とは、なんだか違うぞ、、、というイメージだ。


星はウソをつかないので、いまの日本にはこうした遊びや恋愛過多とも呼べるような舞い上がった気楽さがあってもよいということになる。

たとえば、国会を取り巻くデモ。これなんかも、子供づれやピクニック気分もあって、よい方向に行っていると思うが、確かにそういうことである。思想や抵抗するイメージよりも、新たな遊びに変えていってしまう。

具体的には今ひとつイメージ化できないが、恋人たちのデート抗議なんかは面白いかも。愛し合うカップルが、原発があるような国じゃ、子供を産めないわよ、、、というような抵抗感を、カップルが熱烈キスしながら何組もつらなって歩いて訴える、、、なんか、とてもいいような。

 恋人募集男軍団がデモパレード。待ち伏せする恋人募集女子軍団。なんて構図があったら、私も駆けつけるよ。でも変なおやじたちだけが売れ残って言い合いになったりすると、機動隊がなぐさめてくれるなんてなると、日本も本当によくなると思う。

デモに限ったことではなく、世直しの楽しいパフォーマンスで遊ぶことで、ある一線を越えた新たな世界が出てこないとも限らない。そんな実験を若者を中心に考えて実行していくと面白いと思う。

原発賛成派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。
今度は原発反対派が大きな画用紙にペンキをぶちまける。そして作品を比べあう、、、なんて、面白くないか。つまらないか、、

最後は打ち解けあいとして、お互い、ペンキを画用紙にぶちまけ合戦して、合作として手じまい。後味も悪くなくいいかも。

どちらにせよ、みんな自分の国のことを思っている、、、というパフォーマンスとなっていくことで、対立を超えたこれまでよりも上の世界が広がってくる。

遊びの面白さは、善悪や右左、賛成や反対を超えた世界を現出させる面白さに尽きる。

なぜいま、春分図と夏至図にこのような遊びのメッセージが出てくるのか、、、、もう対立の図式自体が古くなって、それを笑い飛ばしたいからかもしれない。

対立をも遊びの中に取り入れてしまう。ダンス、音楽、キッス、何より、笑いがその中心的なものとなる。

ユーモアも本当に大事な要素である。ユーモアのない一流のものはない。一流のものの中には必ずユーモアの要素がある。対立を超えて動く原理を知っているかどうかは、ユーモアのセンスを見ればわかる。

私が観念論を捨てたのは、昔、学生だったころ、清水谷公園で学生と機動隊がぶつかり合う、まさにその瞬間、「おいも、おいも、おいもだよー」の焼き芋やの売り声を聞いた時だ。

にらみあう学生と機動隊の間に沸き起こった笑い、、、私はそれをもって以来イデオロギーを捨てたのである。

まさにそうした星の配置が訪れようとしている。

まだ自分には何が足りないとか、、もっと学んでからでないととか、、、それは確かにあるのかもしれないが、そろそろ、ありのままの自分で立つ時が来ているのではないか。

何か自分に不足しているものを必死に求め、大金を使い、学ぼうとして動き回ることもあるいは大切だとも思うが、それよりも、一体となる、、、対立を越える、、、それには笑う、遊ぶ、ことが今大事になっているのではないか。



しし座に太陽が入る前夜祭を歌って笑って楽しむ、、、そのために7月21日の妖精ディナーも企画しました。

そろそろ定員に達しますので、明日いっぱいをもって締め切りとさせていただきます。

21日の妖精ディナーでは、真夏の夜の夢のように、楽しみ、これまでの限界を笑いの中で、歌う中で越えていけたら、、、と。本当の開運法則の実験にもなるかと思います。


自己嫌悪を解放する周波数528Hzのチューナー詳細は、公式ショップまで  妖精ディナーのお申込みも

マドモアゼル・愛 公式SHOP
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-767.html#more
『文殊菩薩(ブログ版)』

2012年07月10日 (14:32)

同一性について:自己・陽・凸iのもつ唯一絶対的同一性と直観・他者・陰・凹iの絶対的多様性

正しい図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11298889775.html

テーマ:他者とは何か:Otherness

陽・凸iが自己であり、陰・凹iの他者と連続化すると、それは、自我になり、他者を同一性化(連続的同一性化)すると述べた。
 つまり、自我は同一性志向であるということである。しかしながら、陰・凹iは純粋悟性であるから、一種、同一性である。問題は複雑である。
 先に、陽・凸i=自己と陰・凹i=他者はそれぞれ、差異であると述べた。しかし、連続化において、前者は自我、後者は他我となる。それは、同一性である。
 また、陰・凹iを純粋悟性とするとき、それと差異との関係はどうなるのか問題である。
 今、作業仮説的に、陰・凹ik=他者=差異=純粋悟性とする。つまり、差異=純粋悟性的同一性ということになる。これは、一種、齟齬である。解明する必要がある。
 純粋悟性は言語と関わるのであるから、言語問題でもある。言語のもつ同一性(観念・概念)と他者=差異はどう関係するのかということになる。
 具体的に考えよう。ある他者Aを知覚したとしよう。それは、果たして、純粋悟性的知覚だろうか。それは、当然、違う。
 ある他者Aの知覚とは先ず、直観である。そう、直観が端的に、他者性、差異をもつと言える。
 では、直観を、無双PS原理ガウス平面の何処に位置させるべきであろうか。
 この場合、外的直観であるから、当然、光に関係する。そうすると、陰・凹i=他者ではないかということになる。
 そうならば、純粋悟性を陰・凹iとするのは問題となるのである。
 これをどう考えたらいいのか。確かに、直観は他者であり、差異である。しかし、純粋悟性は同一性(観念・概念)である。
 どうも、純粋悟性は自我に関係すると思われるのである。つまり、陽・凸iと関係する。
 やはり、連続的同一性において純粋悟性を捉えるべきように思われる。
 そう、やはり、自己が連続化して、自我となり、その自我のもつ同一性と直観が結びついて、純粋悟性が形成されるのではないのか。否、違うだろう。自我のもつ同一性こそが純粋悟性ではないのか。
 結局、従来の説明が正しいことになる。つまり、連続的同一性によって、直観・他者・差異が同一性化されるということである。
 問題は、純粋悟性=同一性は、自己(陰・凹i)に存するのか、それとも、自我に存するのか、である。
 連続的同一性とは、自己傾斜(自我化)に拠るのであり、そのとき、直観・他者・差異が同一性化されるのである。つまり、同一性は、元々、自己に存していたと考えられる。
 すると、さらに問題は、差異である自己(陽・凸i)が同一性であることである。
 これは、一見、矛盾・齟齬であるが、差異である自己の性質が同一性であるというように考えることができる。
 それに対して、直観・他者・差異は、端的に、差異、絶対的差異である。
 差異である自己(陽・凸i)が同一性であることの意味をさらに追求する必要がある。
 自己(陽・凸i)も差異、絶対的差異でありながら、同一性とはいかなることであるのか。
 思うに、これは、絶対的同一性と言えるのではないだろうか。あるいは、唯一性である。あるいは、唯一絶対性である。
 それは、それで確かに、差異、絶対的差異である。そのように、作業仮説しよう。
 結局、直観・他者・差異(陰・凹i)は絶対的多様性であり、自己・同一性(陽・凸i)は唯一絶対性であり、両者、真逆である。
 ここでジェンダー論を考えると、父権主義とは、自己・同一性(陽・凸i)が中心・支配化したものであると考えられる。一神教は正に、ここと合致する。
 母権主義であるが、それは、微妙である。一見、直観・他者・差異(陰・凹i)の傾斜と考えられるが、そうではなく、MPの太極性=陰陽均衡性=霊愛がコアになった存在様式と考えられる。
 この問題は、後ほど、詳述したい。
 以上、本件の問題は、いちおう、解決したので、ここで留める。後で再考したい。

追記:純粋悟性とは自己の同一性による他者の差異の認識であると言えよう。つまり、連続的同一性の「知性」である。


    <無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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  陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式

2012年07月08日 (18:25)

他者について:その1:陰・凹iは他者、陽・凸iは自己である

正しい画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11297462986.html


他者について:その1:陰・凹iは他者、陽・凸iは自己である

テーマ:他者とは何か:Otherness

本件については既に何度も検討したが、まだ、すっきりとしないので、新たに考察を行ないたい。なお、これからもさらに検討するだろうことは予想できる。
 すっきりしないのは、他我が陰・凹iであり、不連続化によって、他者となるという点である。
 MP(media point)には、超越界である太極からの霊愛ないしは陰陽均衡作用が存する。
 思うに、MPが陰陽の原点ではないだろうか。つまり、そこから、陰・凹iと陽・凸iの対極が形成されるのではないだろうか。
 つまり、霊愛であるMPは一方では、陰・凹iであり、他方では、陽・凸iであるということになる。
 しかしながら、対極が形成されると、根源のMPが一般には埋没されるように考えられる。つまり、陽・凸iである内界ないしは自我と陰・凹iである外界ないしは他我・対象の二元論化が形成されて、一元であったMPが抑圧されるのではないだろうか。
 そして、人間は自我傾斜があるので、自我のもつ同一性原理を他我の差異・多様性に覆って、同一性世界を形成すると考えられる。これは、言語/物質/貨幣的世界である。
 この覆いは言い換えると、連続的同一性である。では、連続性とは力学的にどういう事象なのか。
 それは、不連続的差異論のときに明らかになったように、陰・凹iに陽・凸iが自己を押し付けて、同一化することである。
 そう、差異・他者である陰・凹iを陽・凸iの自我同一性に一致させることである。
 これは、境界であるMPが排除されて、陰・凹iと陽・凸iが直に接触する事態となり、その接点で、陽・凸iである自我が陰・凹iである他者・差異に自己を強制するのである。
 これは、暴力である。哲学的には、否定である。即ち、

陽・凸i×(-陰・凹i)=-1

となると考えられる。-陰・凹iの-とは、否定の意味である。
 つまり、連続性ないしは連続的同一性とは、-1を帰結するのであり、それは、利己主義と言うこともできる。
 しかしながら、単に、利己主義だけでなく、唯物論的合理主義もそれを意味すると考えられる。物質科学の真理は-1であると考えられる。言い換えると、唯物科学は利己主義と合致するのである。
 さて、以上のように考察すると、本稿の問題の解明がされたと言えよう。「すっきりしないのは、他我が陰・凹iであり、不連続化によって、他者となるとい う点である。」と上述した問題点であるが、結局、陰・凹i自体が他者・差異であるということになる。他我・対象ではないのである。陰・凹iが他我・対象と なるのは、自我的同一性の視点からである。
 また、そうならば、陽・凸iを自我と呼んでいいのかと疑問が生じる。端的に、自己でいいのではないだろうか。それが自我になるのは、MPが抑圧・排除された場合である。つまり、連続性、連続的同一性が生じる場合である。
 また、差異であるが、陰・凹iだけが差異でなく、陽・凸iも差異であるから、他者・差異という表記は間違いである。
 結局、

陰・凹i=他者

陽・凸i=自己

陰・凹iと陽・凸i、両者とも差異(絶対的差異)である。

ということになる。



    <無双PS原理ガウス平面>

  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他者:空間形式
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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  陽・凸i(i)・重力子:「地」:自己:時間形式

尚、従来の象限を当てはめると、第一象限が自然・宇宙空間であり、第四象限が自然・宇宙時間であり、第二象限は唯物科学、物質科学の世界であり、第三象限は自我・利己主義・悪魔/悪霊の世界である。
 ところで、シュタイナーは悪魔をアーリマンとルシファーに分けているが、前者は第二象限に、後者は第三象限に存するのではないだろうか。これは検討課題である。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11291604855.html





超無双PS哲科学から無双PS原理へ

テーマ:無双PS原理

無双原理・易―「マクロビオティック」の原点/サンマーク出版


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桜沢如一(ゆきかず)氏の無双原理を包摂する仮説として、超無双PS哲科学を唱えたが、考えてみると、超無双は無意味である。無双とは、太極、対極一元 論、極性的一元論、「不二(ふに)一元論」等を意味するからで、ただ、無双原理を包摂するものとして、超を付けたが、そうだとしても、超は不要である。故 に、超を取り、無双PS学と変名したい。尚、学は、哲学、科学等を統一する原理として用いる。もちろん、仮説であるが。

追記:学という言葉は座りがわるいので、原理としたい。即ち、無双PS原理となる。


  陰・凹i(-i)・光子:「天」:他我・対象:空間形式
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-1________MP________+1
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  陽・凸i(i)・重力子:「地」:自我:時間形式


        無双PS原理的ガウス平面

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11291604855.html

2012年07月01日 (18:58)

他者・差異とは何か:自我・陽・凸iと他我・陰・凹iの差異共振・陰陽均衡・霊愛作用の復活

正確な図は以下を参照されたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11291604855.html


他者・差異とは何か:自我・陽・凸iと他我・陰・凹iの差異共振・陰陽均衡・霊愛作用の復活

テーマ:超無双PS哲科学

本問題は、超無双PS哲科学仮説にとって、最重要な問題の一つである。
 PS理論の段階では、他者・差異を陰・凹iに置いて考えたのである。
 しかしながら、無双原理を吸収した超無双PS哲科学(Super Advaita[non-dual oneness] Platonic Synergy Philosophience:略して、SAPSP)においては、単純には、そうとは考えられなくなった。
 先には、他者・差異はMPの陰陽均衡作用において存すると述べたのである。
 自我を陽・凸iとして、他我を陰・凹iとすると、自我は、その同一性志向から、他我を否定的に捉える。そう、否定的な悟性が形成される。
 問題は、果たして、他我を陰・凹iとしていいのか。陰・凹iは純粋悟性の原理であるからである。
 しかし、光において、他我や対象を捉えるのであるから、陰・凹iを他我ないしは対象とするのは、妥当のように思えるのである。だから、いちおう、そのように作業仮説したい。
 他我・対象・陰・凹iを自我・主観・陽・凸iは同一性化するのである。つまり、有り体に言えば、我が物にするのである。何故なら、人間において、一般的に自我傾斜があるからである。とりわけ、父権主義において、それが顕著である。
 しかしながら、既述したように、人間には、原始差異共振主義、ないしは、原始母権主義が存する。それは、MPの陰陽均衡作用ないしは霊愛の作用である。
 ここにおいて、他我・対象は、自我の同一性欲望から切断されて、共感の対象、乃至は、他我・対象自体へと変ずると考えられる。
 霊愛であるMPによって緩和された他我がいわゆる、他者と言えよう。
 しかしながら、ここでは、意識において、分裂状態になっているのである。即ち、自我の同一性志向とMPの霊愛=陰陽均衡作用が併存して、両者、矛盾様態になっているのである。
 思うに、一般的に正常な人間はこれを使い分けていると考えられる。つまり、二元的意識の人間である。
 しかし、分裂状態は分裂であり、理論的に不整合極まりないのである。結局、極端化すれば、いわば、一種の統合失調症となるのである。
 しかし、この齟齬を解消したのが、既述したように、不連続的差異論である。つまり、自我的同一性(自我的連続的同一性)志向(欲望)を絶対的に切断して、即ち、自我・陽・凸iが支配(連続化)する他我・陰・凹iを不連続化して、自我・陽・凸iの支配・連続化から「救済」して、他者・差異(絶対的他者)に変容させて、結果、自我・陽・凸iと他我・陰・凹iの陰陽均衡作用をもたらしたと考えられる。
 そう、不連続的差異論とは、ほとんど、超無双PS哲科学の原形である。
 ただし、明確な差異共振性、陰陽均衡作用、あるいは、霊愛の段階には到達しなかったと考えられる。
 とまれ、自我・陽・凸iのもつ自我同一性作用(連続的同一性作用)の支配を「打破」したことで、自然本来のもつ陰陽均衡作用・霊愛作用の回路が決定的に開けたのである。
 そうここにおいて、超越性が明確に開けたのである。新たな宗教的エネルギーがもたらされることになったのである。
 そう、これは、トランス・モダン、イントラ・モダン、ネオ・オリエントである。
 唯物論は滅びたのである。新しい精神世界が開けたのである。そう、唯一多神教の神霊世界、聖霊教の世界が開けたのである。


参考:
         陰・凹i(-i)・光子:「天」:他我・対象
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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         陽・凸i(i)・重力子:「地」:自我


        超無双PS哲科学的ガウス平面


参照:

ひどい政治の混沌。最大の原因は、小沢氏への「裏切り」行為にあります。


パターン知にすぎない紋切型の優等生集団=東大法学部の権威に依拠する官僚主義と一体化したわが国の自民党一党独裁政治は、永久に続くかとも思われましたが、小沢一郎氏を核とした民主党は「生活が第一」という思想に基づき、戦後はじめて選挙による政権交代の偉業をなしとげました。どなたも御存じの通りです。

ところが、官僚主義の元を断とうとする小沢氏を核とした政治活動が支持を集め政権交代が現実味を帯びてくると、検察庁は小沢氏の政治生命を断つための策謀を開始しました。これは、日本を官僚が支配する「官治主義」を守るための官僚の集合意識(無意識を含む)に基づく行為で、極めて根の深い「病気」が成せる業ですが、それを生むのは、彼ら自身も気付かぬ「客観知」(客観神話)という暗黙の想念なのです。これについては、3年前に参議院調査室から依頼された論文『キャリアシステムを支える歪んだ想念 』に記しましたので、ここでは繰り返しません。

検察庁の行為がいかにデタラメで恐ろしいものであるかは、特捜部の前田元検事の証言にもありますが、23年間の勤務で検察内部の事情に精通している郷原信郎さん(東大の数学科を卒業した後に司法試験に合格し請われて検察庁に勤務)が『検察が危ない 』に明瞭に記しています。郷原さんは、検察作成のストーリーに基づく小沢氏周辺への締め付けが開始された時点で、すでにテレビ出演して明瞭に検察批判を展開していました。彼は政治的には「反小沢」系の議員と親しい人でしたので、その発言は「色」が着いたものではなく、検察庁の策謀については、国会議員の多くは当然承知していました。

にも関わらず、民主党の国会議員は、思想でも選挙でも一番多くの恩がある小沢氏の周辺に検察の魔の手が伸びると、手のひらを返したように「反小沢」となり、見事なまでに彼を裏切りました。海外からの公平な目の代表であるウォルフレン氏もこの日本人の行為には呆れ果て警句を発しましたが、聞く耳持たずでした。

このような民主党議員の小心とエゴイズムによる裏切り行為がなければ、検察庁の策謀を契機にして(危機をチャンスにして)主権在民に基づく「民治主義」の新政権 VS 政治を官僚が主導する「官治主義」に基づく旧政権、言い換えれば、【主権在民 VS 主権在官】の闘いが分かりやすいカタチで始まり、日本の根本的な社会改革が始まったはずなのです。市民革命にも匹敵する大改革が。

きょう、財務省の思惑通りに消費税の増税が決まりましたが、日本の消費税という税金がインチキな間接税であることに対しては、いまだにあまり知られていません。今朝の東京新聞26面にはそのカラクリについて簡明に記されていましたが、この件についてはまた後で書きましょう。いまは、騙しのプロである財務省の罪は極めて重いとだけ言っておきます。

武田康弘

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/e1e2425fc0657522b667b282ff7f399e


思索の日記



参考2:


近代史が明示していることは、あらゆる現象が資本のダイナミズムから生起するというある種の発展法則だ。換言するならば紛争も革命も利潤増殖を求める資本の循環運動プロセスであり、むしろ歴史現象は人格化した資本の顕現そのものであると言えるだろう。奴隷貿易やプランテーション、レーニンらへ拠出された革命資金、世界恐慌のトリガーとなった過剰マネーサプライ、ヒトラー政権の財政基盤であったドイツ・アメリカ合弁企業群、あるいはマンハッタン計画、大空襲後の東京都再整備事業、イラク・アフガン攻撃と現地の公共資源略取など、これらにかかわる「投資」の淵源が、おおよそ同一の寡占的資本であることは語るまでもない。「死んだものが生きているものを支配する」という教義はここでも普遍だ。資本は対立も国境もイデオロギーも空間すら超越する壮大なエネルギー体なのであり、むしろ人間活動そのものが「利潤増殖の絶対」というエートス(精神)に裏付けられている。我々はメカニズムへの洞察が欠落しているのであり、議会制民主主義という仮想現実に捕囚されているのであり、意思決定は民意を付託された政治者ではなく、圧倒的マネーと諸力をもって君臨する者の掌上にあると言えるだろう。ALIENは毎年30兆円をこえる産業資本を株式市場から略奪し、8兆円を超える社会資本(企業減税+還付税)を国家会計から収奪しているのだが、それに反比例して個々は加速的に疲弊し、雇用は切り捨てられ、社会保障は縮小され、破滅的な税制が導入され、つまりプレカラティ(労働と生活の不確実性)が最大化した挙句に、強烈な放射線の中で数十万人の児童が放置されているわけだ。人間生命にとってのディストピアは、投資集団にとってのユートピアであるのかもしれない。過剰増税と原発稼動を決断した与野党の政治者らは、ALIEN(経団連企業株主)の「政党評価表」で課せられた実行ノルマ達成のインセンティブとして、莫大な献金が確保されるのであり、つまり飼い犬の餌として、あるいは裏切りの代価として利益を得るのであり、あからさまに国家統治は外国人投資家の手に委ねられている。

http://alisonn003.blog56.fc2.com/blog-entry-230.html


独りファシズムVer.0.1










検討問題:時間とは何か:無限時間(アイオーン)と有限時間

テーマ:超無双PS哲科学

         陰・凹i(-i)・光子:「天」
              |
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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              |
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         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

以上の図(自然ガウス平面図と仮に呼ぶ)において、カント哲学における空間形式は陰・凹iであり、時間形式は陽・凸iである。
 しかしながら、両方とも、当然ながら、現象空間形式、現象時間形式であり、有限である。
 それに対して、ミトラス教、ズルヴァン教、グノーシス主義等で言われる無限時間は、上図では規定されていない。
 現象空間、現象時間を創造すると思われる無限時間は、当然ながら、超越界にあると考えられる。それは、超越軸z軸、超越円、あるいは、MPに存すると思われる。
 大根源をMPとすると、そこに無限時間があるのだろうか。そこは、無限時間をも超越した点であろう。
 だから、一応、超越円に無限時間が存すると作業仮説したい。

**************************

超無双PS哲科学ガウス平面図解説:陰陽均衡作用の解放の為に:MPを介して光の神が到来する

テーマ:超無双PS哲科学     
    

        陰・凹i(-i)・光子:「天」
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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              |
         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

尚、無双原理に倣って、陰・凹i(-i)・光子を上に、陽・凸i(i)・重力子を下に布置している。そして、MPは原点であり、media pointである。
 また、ガウス平面に直交する超越軸z軸や、z軸とy軸の虚軸が形成する超越円、超越界が本来存しているが、上図では、作図が難しいので、省略している。

検討問題:凸(+1)や凹(-1)とは何か:有機体、生命体的物質と無機物的物質
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11284973493.html


先に以上のように作図したが、補足説明をしたい。
 簡単にするために、凹iを陰、又は-i、凸iを陽、又はi、凸(+1)を+1,凹(-1)を-1で表記する。
 陰(-i)には、純粋悟性が機能している、簡単に言えば、知性である。それは、頭、頭脳である。カント哲学では、空間である。
 陽(i)には、自我が機能している。それは、感情や意志をもつのである。それは、肚である。カント哲学では時間である。
 そして、MP(media point)、原点は、胸であり、霊愛をもつ。ここには、超越界からの聖霊が作用しているのである。
 そう、ここで先に述べたことは一面的であり、訂正する必要がある。即ち、自然円において、基本的には超越性はないのであるが、MP(media point)、原点が超越界に通じる唯一点であると述べ、それは、自然界では、現象太陽であると述べたが、それは外界、外在、外面的には正しいが、内界、 内在、内面的には誤りである。
 人間の内面においても、胸、心胸において、MP(media point)が存するのであり、そこが、超越界へと通じていると考えられるのである。
 魂という呼ばれるものもそれと考えられる。
 結局、MP(media point)は二つの点に存するのであり、一つの点は、外在的点である現象太陽であり、もう一つの点は、内在的点である胸・心胸である。
 次に、重要な変更を述べる必要がある。つまり、差異や他者の問題である。
 これまで、無双原理に接するまでは、ずっと、他者、差異を陰(-i)で考えたが、無双原理に接して、他者、差異は陽(i)になると予想してきた。
 しかし、それも違うと考えられる。
 いったい、そうすると、他者、差異は何処に存するのか。
直観で言えば、他者、差異を胸、MP(media point)で感じるのではないのか。
 自我、陽(i)は他者、差異に反発、反感、嫉妬する。そして、悟性(知性)、陰(-i)は、他者、差異を知的に認識しようとする。しかし、それは、悟性は言語認識であるから、同一性的に他者、差異を認識するので、他者、差異自体を受容していない。
 他者、差異を受容するのは、陽である自我と陰である悟性を抑制し、均衡させるMP(media point)、胸・心胸だと考えられる。
 何故なら、陽の自我は反発し、陰の悟性は同一性的把握(言語的把握)であり、両者は他者、差異を真に受容していないのであり、両者を抑制するMP(media point)、胸・心胸・魂こそ、そうできると考えられるのである。
 そう、他者、差異自体は、言わば、カントの述べた物自体であり、それは、絶対的には把握できないと考えられる。だから、不可知のものとして、他者、差異をMPは受容すると考えられる。
 また、単に、不可知のものばかりでなく、他者、差異への「共感性」が生じると考えられる。それはどういう力学に拠るのだろうか。
 それは、鈴木大拙の即非の論理のもつ力学と考えられる。
 陽の自我は自己求心性をもつので、他者、差異を否定する。陰の悟性は遠心性をもつので、他者、差異を放置、放散させる。
 しかし、両者は陰陽であるから、牽引作用があるのである。この牽引作用がMP(media point)、胸・心胸・魂に作用すると考えられるのである。
 というか、陰陽牽引作用がMP(media point)、胸・心胸・魂の作用ではないだろうか。
 ここは実に微妙な問題点である。
 陰陽の均衡作用は自然においては、常に為されていると考えられる。
 しかし、人間の場合は、自我に傾斜しているので、不均衡的なのである。言い換えると、自我同一性や悟性同一性の二つの同一性が支配的であると考えられる。
 言い換えると、自然本来の陰陽均衡牽引作用は人間には、一般的には作用していないと考えられる。
 だから、陰陽均衡作用を自ら形成しないといけないことになるのである。
 以前述べたことだが、人間には原始の陰陽均衡作用が潜在すると考えられるのである。
 それが、MP(media point)、胸・心胸・魂として、配備されていると考えられるが、それは、陽・自我、陰・悟性によって抑圧され、埋没していると考えられる。
 しかしながら、それは、人間の精神の故郷であり、諸芸術の源泉であり、端的に霊愛の源泉である。
 この埋れたMPを開化させることによって、人間において、陰陽均衡作用を復活させることができると考えられる。
 ただし、問題は、陽・自我と陰・悟性のもつ枠組みを否定しないようにしないといけないのである。そうでないと、物質的世界・社会には合わない、逸脱、倒錯したものになってしまうと考えられる。
 だから、十分に陽・自我と陰・悟性を準備して、MP(media point)、胸・心胸・魂を開発すべきということになるのである。
 その一つの重要な方策はPS哲科学の前身である不連続的差異論である。
 それは、陽・自我と陰・悟性の癒着、連続性を立ち切って、陽・自我と陰・悟性との均衡をもたらす働きあると考えられるのである。
 しかし、連続性を切断するものは、実は、MPの作用であると考えられる。
 結局、陰陽均衡作用を形成するには、準備として、優れた芸術・文化によって、MPを陶冶・涵養しておく必要があるのである。
 優れた文学、音楽、美術、哲学、宗教等、そして、豊かな自然等に接する必要があるのである。
 しかし、物質科学である近代合理主義は、陽・自我と陰・悟性の形成をもたらしたが、MP(media point)、胸・心胸・魂の陶冶・涵養はまったく疎かにしてしまい、言わば、自我悪魔を形成したのである。
 そう、近代主義は物質文化を形成したが、精神文化を衰退させてしまったのである。
 とまれ、抑圧され、埋没したMPを発掘して開発することで、新たに、超越界に通じることができるようになるのである。新しい宗教が生まれるのである。それは、聖霊宗教であるが。
 とまれ、それは、トランス・モダン、イントラ・モダンであるが、物質的基礎を介して、形成されると考えられる。
 思うに、時代的に、超越エネルギーが強化されていると思われるのである。それは、人間の内面のMP、そして、自然界の外在の現象太陽のMPに強くはたらきかけていると推測されるのである。
 この超越エネルギー、神霊エネルギーは、陰陽均衡の開化を刺激的に促進するが、陽・自我と陰・悟性に囚われた近代人は、そのエネルギーを積極的に摂取することができないので、反動的になり、病理化したり、凶悪・犯罪化したりするであろう。
 とまれ、MP、胸・心胸・魂の解放が必要である。そう、太極である光の神が到来するのである。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11285790892.html

2012年06月24日 (18:54)

超無双PS哲科学ガウス平面図解説:陰陽均衡作用の解放の為に:MPを介して光の神が到来する

正しい図は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11285790892.html

超無双PS哲科学ガウス平面図解説:陰陽均衡作用の解放の為に:MPを介して光の神が到来する

テーマ:超無双PS哲科学

         陰・凹i(-i)・光子:「天」
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

尚、無双原理に倣って、陰・凹i(-i)・光子を上に、陽・凸i(i)・重力子を下に布置している。そして、MPは原点であり、media pointである。
 また、ガウス平面に直交する超越軸z軸や、z軸とy軸の虚軸が形成する超越円、超越界が本来存しているが、上図では、作図が難しいので、省略している。

検討問題:凸(+1)や凹(-1)とは何か:有機体、生命体的物質と無機物的物質
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11284973493.html


先に以上のように作図したが、補足説明をしたい。
 簡単にするために、凹iを陰、又は-i、凸iを陽、又はi、凸(+1)を+1,凹(-1)を-1で表記する。
 陰(-i)には、純粋悟性が機能している、簡単に言えば、知性である。それは、頭、頭脳である。カント哲学では、空間である。
 陽(i)には、自我が機能している。それは、感情や意志をもつのである。それは、肚である。カント哲学では時間である。
 そして、MP(media point)、原点は、胸であり、霊愛をもつ。ここには、超越界からの聖霊が作用しているのである。
 そう、ここで先に述べたことは一面的であり、訂正する必要がある。即ち、自然円において、基本的には超越性はないのであるが、MP(media point)、原点が超越界に通じる唯一点であると述べ、それは、自然界では、現象太陽であると述べたが、それは外界、外在、外面的には正しいが、内界、内在、内面的には誤りである。
 人間の内面においても、胸、心胸において、MP(media point)が存するのであり、そこが、超越界へと通じていると考えられるのである。
 魂という呼ばれるものもそれと考えられる。
 結局、MP(media point)は二つの点に存するのであり、一つの点は、外在的点である現象太陽であり、もう一つの点は、内在的点である胸・心胸である。
 次に、重要な変更を述べる必要がある。つまり、差異や他者の問題である。
 これまで、無双原理に接するまでは、ずっと、他者、差異を陰(-i)で考えたが、無双原理に接して、他者、差異は陽(i)になると予想してきた。
 しかし、それも違うと考えられる。
 いったい、そうすると、他者、差異は何処に存するのか。
直観で言えば、他者、差異を胸、MP(media point)で感じるのではないのか。
 自我、陽(i)は他者、差異に反発、反感、嫉妬する。そして、悟性(知性)、陰(-i)は、他者、差異を知的に認識しようとする。しかし、それは、悟性は言語認識であるから、同一性的に他者、差異を認識するので、他者、差異自体を受容していない。
 他者、差異を受容するのは、陽である自我と陰である悟性を抑制し、均衡させるMP(media point)、胸・心胸だと考えられる。
 何故なら、陽の自我は反発し、陰の悟性は同一性的把握(言語的把握)であり、両者は他者、差異を真に受容していないのであり、両者を抑制するMP(media point)、胸・心胸・魂こそ、そうできると考えられるのである。
 そう、他者、差異自体は、言わば、カントの述べた物自体であり、それは、絶対的には把握できないと考えられる。だから、不可知のものとして、他者、差異をMPは受容すると考えられる。
 また、単に、不可知のものばかりでなく、他者、差異への「共感性」が生じると考えられる。それはどういう力学に拠るのだろうか。
 それは、鈴木大拙の即非の論理のもつ力学と考えられる。
 陽の自我は自己求心性をもつので、他者、差異を否定する。陰の悟性は遠心性をもつので、他者、差異を放置、放散させる。
 しかし、両者は陰陽であるから、牽引作用があるのである。この牽引作用がMP(media point)、胸・心胸・魂に作用すると考えられるのである。
 というか、陰陽牽引作用がMP(media point)、胸・心胸・魂の作用ではないだろうか。
 ここは実に微妙な問題点である。
 陰陽の均衡作用は自然においては、常に為されていると考えられる。
 しかし、人間の場合は、自我に傾斜しているので、不均衡的なのである。言い換えると、自我同一性や悟性同一性の二つの同一性が支配的であると考えられる。
 言い換えると、自然本来の陰陽均衡牽引作用は人間には、一般的には作用していないと考えられる。
 だから、陰陽均衡作用を自ら形成しないといけないことになるのである。
 以前述べたことだが、人間には原始の陰陽均衡作用が潜在すると考えられるのである。
 それが、MP(media point)、胸・心胸・魂として、配備されていると考えられるが、それは、陽・自我、陰・悟性によって抑圧され、埋没していると考えられる。
 しかしながら、それは、人間の精神の故郷であり、諸芸術の源泉であり、端的に霊愛の源泉である。
 この埋れたMPを開化させることによって、人間において、陰陽均衡作用を復活させることができると考えられる。
 ただし、問題は、陽・自我と陰・悟性のもつ枠組みを否定しないようにしないといけないのである。そうでないと、物質的世界・社会には合わない、逸脱、倒錯したものになってしまうと考えられる。
 だから、十分に陽・自我と陰・悟性を準備して、MP(media point)、胸・心胸・魂を開発すべきということになるのである。
 その一つの重要な方策はPS哲科学の前身である不連続的差異論である。
 それは、陽・自我と陰・悟性の癒着、連続性を立ち切って、陽・自我と陰・悟性との均衡をもたらす働きあると考えられるのである。
 しかし、連続性を切断するものは、実は、MPの作用であると考えられる。
 結局、陰陽均衡作用を形成するには、準備として、優れた芸術・文化によって、MPを陶冶・涵養しておく必要があるのである。
 優れた文学、音楽、美術、哲学、宗教等、そして、豊かな自然等に接する必要があるのである。
 しかし、物質科学である近代合理主義は、陽・自我と陰・悟性の形成をもたらしたが、MP(media point)、胸・心胸・魂の陶冶・涵養はまったく疎かにしてしまい、言わば、自我悪魔を形成したのである。
 そう、近代主義は物質文化を形成したが、精神文化を衰退させてしまったのである。
 とまれ、抑圧され、埋没したMPを発掘して開発することで、新たに、超越界を通じることができるようになるのである。新しい宗教が生まれるのである。それは、聖霊宗教であるが。
 とまれ、それは、トランス・モダン、イントラ・モダンであるが、物質的基礎を介して、形成されると考えられる。
 思うに、時代的に、超越エネルギーが強化されていると思われるのである。それは、人間の内面のMP、そして、自然界の外在の現象太陽のMPに強くはたらきかけていると推測されるのである。
 この超越エネルギー、神霊エネルギーは、陰陽均衡の開化を刺激的に促進するが、陽・自我と陰・悟性に囚われた近代人は、そのエネルギーを積極的に摂取することができないので、反動的になり、病理化したり、凶悪・犯罪化したりするであろう。
 とまれ、MP、胸・心胸・魂の解放が必要である。そう、太極である光の神が到来するのである。

2012年06月24日 (16:18)

Ver2:検討問題:凸(+1)や凹(-1)とは何か:有機体、生命体的物質と無機物的物質

画像付きは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11284973493.html

検討問題:凸(+1)や凹(-1)とは何か:有機体、生命体的物質と無機物的物質

テーマ:超無双PS哲科学

いつか、緻密に議論したいと思っているが、凹i☯凸i、乃至は、凹j☯凸jの陰陽において、積の凸(+1)や否定の積凹(-1)は何を意味するのか。
 先に、凸(+1)は自然・宇宙界、凹(-1)は物質ではないかと示唆したが、それでいいのだろうか。
 簡単にするために、便宜的に、+1と-1で考えると、ここには、確かに、陰陽の氣である凸i(陽)と凹i(陰)がないのであるから、物質界に関係することは推測できる。
 しかし、問題は、凸iを重力子、凹iを光子としたとき、陰陽の氣は物質的になってしまうという齟齬が生じることである。
 思うに、重力子や光子は物質ではない自然エネルギーと見た方がいいのではないだろうか。光子には質量がないことを考慮してもそのようなことが言えよう。それを作業仮説としよう。
 次に、+1は、有機体、生命体の物質、-1は無機物的物質と作業仮説したい。
 以上で、一応、齟齬は解消できている。
 以下、簡単に図示する。


         陰・凹i(-i)・光子:「天」
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-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
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         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

尚、無双原理に倣って、陰・凹i(-i)・光子を上に、陽・凸i(i)・重力子を下に布置している。そして、MPは原点であり、media pointである。
 また、ガウス平面に直交する超越軸z軸や、z軸とy軸の虚軸が形成する超越円、超越界が本来存しているが、上図では、作図が難しいので、省略している。

追記:尚、陰・凹iを重力子(ないしは重力波)とするのも作業仮説である。

追記2:以下のオイラーの公式における「単位円」を上図に加えると、自然円となる。
 超越円は、z軸とy軸の面における「単位円」である。上図のガウス平面には直交している。分かりやすく言えば、直交する円盤がy軸(虚軸)に屹立するとというイメージとなる。


resurrectionのブログ


追記3:易経の太陽でなく、現象太陽はMP(media point)の、言うならば、表面に存するのではないだろうか。内面は太極ではないだろうか。これは検討課題である。(補記:宗教の世界は、超越界であるから、上図には基本的には属さない。しかし、media point が超越界へと通ずる現象界における唯一点と考えられる。それは、現象太陽である。その内部、ないしは、裏面・背面には、太極が存すると思われる。それが、シュタイナーの説くアフラ・マズダ=キリストと言えよう。それは、マニ教の光の世界である。結局、太極=宗教的光の世界=神界である。)

追記4:象限の考え方は、虚軸y軸の符号が逆になったので、従来通りには使用できないだろう。
 あえて従来通りの位置・領域を用いれば、第一象限は、可視的現象界(光の現象界)、第四象限が不可視的自然界(闇の自然界)、第二象限は物質科学的世界、第三象限はダーク・マターの世界ではないだろうか。
 これも検討課題である。

参照:

resurrectionのブログ
http://content.edu.tw/competition/96year/web/works/B020040/teaching/1-3-2.htm

追記5:オイラーの公式

e^{i\theta} = \cos\theta + i \, \sin\theta

から、以前、Kaisetsu氏と生成門氏が行なったように、ある事象の定置化が考えられるように思う。もっとも、以前は私はそこまで理解が行かなかったが。
 しかしながら、易経にあるように、陰陽は6元あるのである。だから、以下参照2にあるように、掛け算の連鎖が重要なのではないだろうか。
 簡単にするために、凹i、凸iを-iとiとする。すると、

陰の位置は、

e^(-iθ)=cosθ-isinθ   ・・・ A

であり、

陽の位置は

e^(iθ)=cosθ+isinθ    ・・・B

となるのではないだろうか。
そして、単純化して、陰陽はA×Bとなるのではないだろうか。
 しかし、正しくは、6元であるから、

(A1 or B1)×(A2 or B2)×(A3 or B3)×・・・×(A6 or B6)

となると考えられる。
 今は問題提起で留める。

修正:先ほど、思いついたのであるが、螺旋的6回転を考えるとかなり明解になるように思われる。つまり、易における、6元であるが、各元を1回転と見るのである。だから、6元だから、6回転である。
 具体的には、第1回転では、陰・凹iから始めると、1回転は、陰に戻り、半回転は陽となる。ただし、半回転であっても、それは1回転のコースに含める。
 以下、同様に、第2回転、第3回転、・・・第6回転まで、螺旋的に回転するということである。そして、
 各回転の陰陽の様相をかけ算するのである。即ち、

1st cycle(陰-i、陽i)×2nd cycle(陰-i、陽i)×3rd cycle(陰-i、陽i)×・・・×6th cycle(陰-i、陽i)

である。

以下参照:
陰陽はどう機能するのか
テーマ:超無双PS哲科学

凹j☯凸jは同時に、凹i☯凸iを意味しよう。(☯は極性共振を意味する)二重の極性原理を意味しよう。
 問題は、現実においてはどのように作用するのかである。
八卦に則して、考えた方がいいかもしれない。
 例えば、1,凹i(陰)、2.凹i、3.凹iと4.凸i(陽)、5.凸i、6.凸iの順列を考えるのである。
1は凹iと凸iの2通り、以下同様で、
2^6=64通りである。
 問題は、6が何を意味するのか、どのように構造化されるのかである。
 思うに、6つの単位円を考えて、それをmedia pointで共振させることが考えられる。つまり、

1)凹i or 凸i
2)凹i or 凸i
・・・
6)凹i or 凸i

の6つの陰陽様態を「共振」させると、64通りの様態が結果として生起するとは考えられる。

* 64卦一覧
* 64卦配列


 そうすると、6つの陰陽円(自然円に一応限定する)の共鳴が基本的自然様態ということになる。
 思うに、これは、超越円でも考えられることである。そうすると、超越円でも64通りがあるのである。
 自然円と超越円をどう関係づけるのかすぐにはわからないが、思うに、精神の64様態と物質の64様態の組み合わせが考えられるのである。思うに、精神があるのだから、それは、人間になるのではないだろうか。精神の64様態は神々、精霊等々ではないだろうか。
 今は示唆に留める。

参照:
八卦とは | 易経ネット
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11280408121.html
 
参照2:
オイラーの公式の使い方
大学に入ると次のような式を学びます。

オイラーの公式
(e:自然対数)

この式はオイラーの公式と呼ばれています。この式を知っていると計算の見通しが良くなるので高校生でも知っておくと良いと思います。そこで、オイラーの公式を複素数に使いオイラーの公式の使い方について考えてみます。

複素数は、
Z=|Z|(cosθ+i sinθ)
と極座標(距離と角度)の形式で表すことができます。

このとき、Z1とZ2の積を考えると、
Z1×Z2=|Z1|(cos(θ1)+i sin(θ1))|Z2|(cos(θ2)+isin(θ2))
=|Z1||Z2|(cos(θ1+θ2)+i sin(θ1+θ2))
となります。
この式の図形的意味を考えると、
(Z1にZ2を掛ける)=(Z1を|Z2|倍に拡大)+(Z1をθ2回転)
というように解釈できます(これは複素数を図形的に考えるときに重要です)。

さて、ここからオイラーの公式を使うと役に立つ理由を説明します。
上で積を考えたときに,計算で気になるのは、
(cos(θ1)+i sin(θ1))×(cos(θ2)+isin(θ2)) =cos(θ1+θ2)+i sin(θ1+θ2)
の部分です。 この式は、本来なら加法定理を利用して整理すべきものですよね。
しかし,オイラーの公式を使えば、
(cos(θ1)+i sin(θ1))×(cos(θ2)+i sin(θ2)) =(eiθ1)×(eiθ2)
=ei(θ1+θ2) (ea×eb=ea+bを使った)
=cos(θ1+θ2)+i sin(θ1+θ2) (オイラーの公式を使った)
このように指数関数の性質を使い簡単に計算することができます(加法定理の計算を指数関数の積にすることができた) 。

http://doraneco.com/physics/lecture/math/eular.html
オイラーの公式の使い方
doraneco.com/physics/lecture/math/eular.html - キャッシュ 類似ページ
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2005年3月15日 – オイラーの公式 (e:自然対数) この式はオイラーの公式と呼ばれています。この式を知っていると計算の見通しが良くなるので高校生でも知っておくと ... そこで、オイラーの公式を複素数に使いオイラーの公式の使い方について考えてみます。

2012年06月23日 (21:28)

検討問題:凸(+1)や凹(-1)とは何か:有機体、生命体的物質と無機物的物質

画像付きは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11284973493.html

いつか、緻密に議論したいと思っているが、凹i☯凸i、乃至は、凹j☯凸jの陰陽において、積の凸(+1)や否定の積凹(-1)は何を意味するのか。
 先に、凸(+1)は自然・宇宙界、凹(-1)は物質ではないかと示唆したが、それでいいのだろうか。
 簡単にするために、便宜的に、+1と-1で考えると、ここには、確かに、陰陽の氣である凸i(陽)と凹i(陰)がないのであるから、物質界に関係することは推測できる。
 しかし、問題は、凸iを重力子、凹iを光子としたとき、陰陽の氣は物質的になってしまうという齟齬が生じることである。
 思うに、重力子や光子は物質ではない自然エネルギーと見た方がいいのではないだろうか。光子には質量がないことを考慮してもそのようなことが言えよう。それを作業仮説としよう。
 次に、+1は、有機体、生命体の物質、-1は無機物的物質と作業仮説したい。
 以上で、一応、齟齬は解消できている。
 以下、簡単に図示する。


         陰・凹i(-i)・光子:「天」
              |
              |
              |
              |
              |
-1________MP________+1
無機物          |           有機体・生命体
              |
              |
              |
              |
         陽・凸i(i)・重力子:「地」


        超無双PS哲科学的ガウス平面

尚、無双原理に倣って、陰・凹i(-i)・光子を上に、陽・凸i(i)・重力子を下に布置している。そして、MPは原点であり、media pointである。
 また、ガウス平面に直交する超越軸z軸や、z軸とy軸の虚軸が形成する超越円、超越界が本来存しているが、上図では、作図が難しいので、省略している。

追記:尚、陰・凸iを重力子(ないしは重力波)とするのも作業仮説である。

追記2:以下のオイラーの公式における「単位円」を上図に加えると、自然円となる。
 超越円は、z軸とy軸の面における「単位円」である。上図のガウス平面には直交している。分かりやすく言えば、直交する円盤がy軸(虚軸)に屹立するとというイメージとなる。


resurrectionのブログ


追記3:易経の太陽でなく、現象太陽はMP(media point)の、言うならば、表面に存するのではないだろうか。内面は太極ではないだろうか。これは検討課題である。(補記:宗教の世界は、超越界であるから、上図には基本的には属さない。しかし、media point が超越界へと通ずる現象界における唯一点と考えられる。それは、現象太陽である。その内部、ないしは、裏面・背面には、太極が存すると思われる。それが、シュタイナーの説くアフラ・マズダ=キリストと言えよう。それは、マニ教の光の世界である。結局、太極=宗教的光の世界=神界である。)

追記4:象限の考え方は、虚軸y軸の符号が逆になったので、従来通りには使用できないだろう。
 あえて従来通りの位置を用いれば、第一象限は、可視的現象界(光の現象界)、第四象限が不可視的自然界(闇の自然界)、第二象限は物質科学的世界、第三象限はダーク・マターの世界ではないだろうか。
 これも検討課題である。

参照:

resurrectionのブログ
http://content.edu.tw/competition/96year/web/works/B020040/teaching/1-3-2.htm

追記5:オイラーの公式

e^{i\theta} = \cos\theta + i \, \sin\theta

から、以前、Kaisetsu氏と生成門氏が行なったように、ある事象の定置化が考えられるように思う。もっとも、以前は私はそこまで理解が行かなかったが。
 しかしながら、易経にあるように、陰陽は6元あるのである。だから、以下参照2にあるように、積ないしは累乗が重要なのではないだろうか。
 簡単にするために、凹i、凸iを-iとiとする。すると、

陰の位置は、

e^(-iθ)=cosθ-isinθ   ・・・ A

であり、

陽の位置は

e^(iθ)=cosθ+isinθ    ・・・B

となるのではないだろうか。
そして、単純化して、陰陽はA×Bとなるのではないだろうか。
 しかし、正しくは、6元であるから、

(A1 or B1)×(A2 or B2)×(A3 or B3)×・・・×(A6 or B6)

となると考えられる。
 今は問題提起で留める。

修正:先ほど、思いついたのであるが、螺旋的6回転を考えれるとかなり明解になるように思われる。つまり、易における、6元であるが、各元を1回転と見るのである。だから、6元だから、6回点である。
 具体的には、第1回転では、陰・凹iから始めると、1回転は、陰に戻り、半回転は陽となる。ただし、半回転であっても、それは1回転のコースに含める。
 以下、同様に、第2回転、第3回転、・・・第6回転まで、螺旋的に回転するということである。そして、
 各回転の陰陽の様相をかけ算するのである。即ち、

1st cycle(陰、陽)×2nd cycle(陰、陽)×3rd cycle(陰、陽)×・・・×6th cycle(陰、陽)

である。

以下参照:
陰陽はどう機能するのか
テーマ:超無双PS哲科学

凹j☯凸jは同時に、凹i☯凸iを意味しよう。(☯は極性共振を意味する)二重の極性原理を意味しよう。
 問題は、現実においてはどのように作用するのかである。
八卦に則して、考えた方がいいかもしれない。
 例えば、1,凹i(陰)、2.凹i、3.凹iと4.凸i(陽)、5.凸i、6.凸iの順列を考えるのである。
1は凹iと凸iの2通り、以下同様で、
2^6=64通りである。
 問題は、6が何を意味するのか、どのように構造化されるのかである。
 思うに、6つの単位円を考えて、それをmedia pointで共振させることが考えられる。つまり、

1)凹i or 凸i
2)凹i or 凸i
・・・
6)凹i or 凸i

の6つの陰陽様態を「共振」させると、64通りの様態が結果として生起するとは考えられる。

* 64卦一覧
* 64卦配列


 そうすると、6つの陰陽円(自然円に一応限定する)の共鳴が基本的自然様態ということになる。
 思うに、これは、超越円でも考えられることである。そうすると、超越円でも64通りがあるのである。
 自然円と超越円をどう関係づけるのかすぐにはわからないが、思うに、精神の64様態と物質の64様態の組み合わせが考えられるのである。思うに、精神があるのだから、それは、人間になるのではないだろうか。精神の64様態は神々、精霊等々ではないだろうか。
 今は示唆に留める。

参照:
八卦とは | 易経ネット
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11280408121.html
 
参照2:
オイラーの公式の使い方
大学に入ると次のような式を学びます。

オイラーの公式
(e:自然対数)

この式はオイラーの公式と呼ばれています。この式を知っていると計算の見通しが良くなるので高校生でも知っておくと良いと思います。そこで、オイラーの公式を複素数に使いオイラーの公式の使い方について考えてみます。

複素数は、
Z=|Z|(cosθ+i sinθ)
と極座標(距離と角度)の形式で表すことができます。

このとき、Z1とZ2の積を考えると、
Z1×Z2=|Z1|(cos(θ1)+i sin(θ1))|Z2|(cos(θ2)+isin(θ2))
=|Z1||Z2|(cos(θ1+θ2)+i sin(θ1+θ2))
となります。
この式の図形的意味を考えると、
(Z1にZ2を掛ける)=(Z1を|Z2|倍に拡大)+(Z1をθ2回転)
というように解釈できます(これは複素数を図形的に考えるときに重要です)。

さて、ここからオイラーの公式を使うと役に立つ理由を説明します。
上で積を考えたときに,計算で気になるのは、
(cos(θ1)+i sin(θ1))×(cos(θ2)+isin(θ2)) =cos(θ1+θ2)+i sin(θ1+θ2)
の部分です。 この式は、本来なら加法定理を利用して整理すべきものですよね。
しかし,オイラーの公式を使えば、
(cos(θ1)+i sin(θ1))×(cos(θ2)+i sin(θ2)) =(eiθ1)×(eiθ2)
=ei(θ1+θ2) (ea×eb=ea+bを使った)
=cos(θ1+θ2)+i sin(θ1+θ2) (オイラーの公式を使った)
このように指数関数の性質を使い簡単に計算することができます(加法定理の計算を指数関数の積にすることができた) 。

http://doraneco.com/physics/lecture/math/eular.html
オイラーの公式の使い方
doraneco.com/physics/lecture/math/eular.html - キャッシュ 類似ページ
一般公開で +1 しました 取り消す
2005年3月15日 – オイラーの公式 (e:自然対数) この式はオイラーの公式と呼ばれています。この式を知っていると計算の見通しが良くなるので高校生でも知っておくと ... そこで、オイラーの公式を複素数に使いオイラーの公式の使い方について考えてみます。

2012年06月19日 (05:43)

再考:同一性と差異:小我(自然円)と大我(超越円)に関係させて

• 同一性と差異:無双原理を包摂したPS哲科学の視点から (06/18)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1830.html

• 超越界とガウス平面:自我と自然:超越円と自然円 (06/17)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1829.html

以上の考察以前においては、超越軸、超越界、超越円抜きのガウス平面で、同一性と差異について考察してきたが、上記の状況は新たな緻密な考察を要求しているので、考察を深めたい。
ガウス平面/オイラーの公式に基づくPS理論において、同一性と差異についての考察はそれなりに明快・明解であった。それを簡単に復習しよう。
それは、自我である凸iが差異・他者である凹iを否定するというのが同一性主義であり、差異・他者の凹iを肯定することで、凸iと凹iの差異共振が生じるというものである。
これは実に簡潔明快であるが、超越軸・超越界・超越円を導入すると、新たな思考が必要になるのである。
議論を明快にするために、小我(自然円)と大我(超越円)の視点から述べたい。
結局、問題は、大我がどう小我に関係するかということである。思うに、人間においては、当然、大我が小我に浸透している。しかしながら、人間は、小我において、自我性ないしは物質性に傾斜している。(微妙な点であるが、いちおう、そのような発想で議論を進める。)
これは、父権主義と母権主義の違いの点でもある。
父権主義とは、大我の「太陽」の傾斜によって形成されたと思われる。それは、小我の小陽に傾斜すると考えられる。言い換えると、同一性主義である。
母権主義とは、反対に、大我の「太陰」の傾斜によって形成されたと思われる。それは、小我の小陰に傾斜すると考えられる。それは、差異主義(個主義)である。
いちばんの問題は、父権主義である。大我の「太陽」と小我の小陽が結合している状態である。
 これは、いわば、究極的な同一性主義、同一性中心主義、同一性絶対主義である。
これは、差異を当然否定するのである。そして、差異を自己の同一性へと取り込むのである。
この帰結が近代合理主義、近代的自我、唯物論と言えよう。そして、この事象・事態をPS哲科学では、連続性と呼ぶのである。
それに対して、不連続性とは、連続的同一性を否定し、抑圧された太陰、小陰である差異を積極的に肯定することである。これは、同時に、同一性と差異との差異共振を意味し、母権主義ということである。
以上から、母権主義とは多元主義であり、父権主義とは一元主義であることが判明した。換言すると、前者は多神教であり、後者は一神教である。
そして、文明的問題は、父権主義が主導したとき、差異主義・多元主義・母権主義・多神教が父権主義へと連続化されることである。後者による究極的様態においては、前者のまったき否定となるが、一般的には、両者が未分化的に揺れ動いていると考えられる。
そして、この揺動は、未分化であり、二元論である。また、絶対的矛盾である。
この、いわば、分裂的二重性はカオスであり、本来、超克すべきものである。そして、この超克とは、不連続性の積極的肯定に拠ると考えられるのである。脱連続性である。
このとき、源泉の太極は、自然円的に、太極陰陽性を真に実現したことになる。父権的傾斜を超克した真母権的太極陰陽性を実現したと言えよう。

2012年06月18日 (00:47)

同一性と差異:無双原理を包摂したPS哲科学の視点から

テーマ:超無双PS哲科学

超越界とガウス平面:自我と自然:超越円と自然円
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11280185452.html

以上の無双原理を包摂したPS哲科学の視点から、同一性と差異はどう説明できるだろうか。
 調和点=ゼロ点=media pointを発達させていない人は、自然円の小我状態にほぼ留まると言えよう。
 それは、ほぼ同一性の世界、つまり、物質の世界に留まると言えよう。物質主義の小我(自我)と世界に留まるのである。
 しかし、調和点=ゼロ点=media pointが強く作用している人は、超越円が作用するのであり、小我の世界に留まることはできない。小我の制限が苦悩・苦痛をもたらすと言えよう。
 超越円の作用は大我、精神、神霊の作用である。
 それは、調和点=ゼロ点=media pointにはたらきかけると考えられる。つまり、小我・小陰の凹iと小我・小陽の凸iに大我・太陰の凹jと大我・太陽の凸iがはたらきかけると思われる。
 それを考察する前に、小我において、差異は無いのか考えたい。
 小我においては、純粋悟性と欲望・感情が作用するのであり、それは、本質は同一性であるが、考えられる差異は物質的他者、外的他者であり、精神的差異・他者ではないから、本来の差異はないと考えられる。
 では、大我が作用する小我について考えると、同一性に差異(超越的差異)が作用するのであるが、小我的同一性は、それを抑圧・否定・排除しようとするのである。つまり、小我主義は、大我性を抑圧・否定・排除する作用を行なうのである。
 殊に、凸iの傾斜があると、同一性中心主義となり、それは、父権的二項対立主義となると考えられる。そう、一神教とは、大我の凸jが凸iに作用した超越的同一性主義と言えよう。
 ついでに言えば、大我の凹jが凹iに作用したものが多神教と言えよう。
 とまれ、一般的に大我の作用を考えると、凸iに傾斜すると同一性主義となり、凹iに傾斜すると差異主義になると考えられる。
 問題の核心は、連続性と不連続性である。前者は凸i傾斜(同一性主義)において、後者は凹i傾斜(差異主義、差異共振主義)において生起すると考えられる。
 しかしながら、太極原理は、両面をもっているから、凸i傾斜と凹i傾斜の二面性をもつのであり、結局、連続性と不連続性が併存する形になり、言うならば、絶対的矛盾が生起するのである。
 これが人間一般のカオスと言えよう。そして、このカオスの超克は、不連続性の選択的肯定によって、連続性を克服したときに為されると考えられる。即ち、大我の調和、太極的調和、太陰と太陽の均衡調和がもたらされるのであり、小我を包摂する大我が形成されると言えよう。

参考:
「ゆえに、論理的必然性から、戦争が始まります。イノチがかかっていますから、戦争になります。内乱です。それに値する事件です。3.11事故と、再稼動は。」by
http://www.k2o.co.jp/blog2/2012/06/post-720.php

新井信介 「京の風」
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