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2013年04月14日 (02:42)

理論名称:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論よりも明快である

テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

理論名をプラトニック不連続的差異共振理論と長い名称にしたが、これは端的に長過ぎるし、ピンと来ない。理論名称を不連続的陰陽論にした方が、すっきりとするだろう。
 ここで、物質原理を言えば、それは、連続的同一性原理である。陰陽共振の外側に連続的同一性原理による物質が形成されるのである。
 内部には、陰陽共振(気)があり、外部には物質があるのである。これは、生命物質体である。
 人間の場合、連続的同一性原理が一般生物よりも強化されているのであり、連続的同一性中心主義になっていると考えられる。
 この縛りを、不連続化が解除するのである。そして、脱連続化によって、主観は、いわば、カオスの他者に遭遇するのである。
 しかし、それは、コスモス的カオスである。つまり、陽が陰に出会っているのであり、陰陽共振が生起しているのである。
 これは、太一への志向性である。カオスモスという言い方は適切かもしれない。
 問題は、陰は動物的陰と植物的陰があると思われる。これは、欲望でもある。動物的欲望と植物的「欲望」が生起すると思われる。
 そう、動物的欲望がプラトンの説く万民向けのエロースで、植物的「欲望」が天上的エロースに当たるように思える。
 思うに、前者は陰陽共振をもたらさない。陰陽破壊である。それに対して、後者は陰陽共振をもたらすと思う。太一への方向である。
 このカオスモスであるが、動物的欲望を昇華する方法があるのだろうか。
 今の考えでは、それは、健康的視点である。何故なら、動物的欲望は健康を破壊するものだからである。それは、陰でありながら、陰自体を破壊するのである。
 だから、動物的欲望を避けて、植物的「欲望」の肯定によって、陰の肯定がもたらされ、陰陽共振が成就すると考えられる。
 思うに、動物的欲望は男性に傾斜していて、植物的「欲望」は女性に傾斜しているように思われるのである。
 とまれ、植物的「欲望」の肯定によって、陰陽共振(気)がもたらされ、それは、また、美・愛(エロース)である。
 そう、太一(太極)とは、生命イデアである。それも植物的生命イデアである。動物的生命ではないだろう。
 初めに、植物的生命イデアありき、となる。
 ここで、キリストの愛を考えると、それは、植物的「欲望」、エロースと同じなのだろうか。
 確かに、キリスト愛も植物的「欲望」に通ずるだろう。しかし、何か、エロースと呼べないものがあるようだ。これは措いておこう。
 とまれ、植物的「欲望」の観点(感点)から、太一=植物的生命イデアへの志向が生まれるように思われる。
 それは、美的であり、また、性的である。しかし、美的性愛的である。
 そう、美と愛と性が融合したものである。
 問題は異性愛である。やはり、植物的異性愛と動物的異性愛があるのではないだろうか。
 私が唱えるセクシー・スピリチュアリズムとは、前者と考えられる。イデア的なエロースである。
 
追記:キリスト愛であるが、やはり、それは、精神主義的愛であり、エロース的ではないと思う。いわば、カント的な格率、当為になっていると思われるのである。汝為すべしである。
 しかしである。その精神主義的愛の源泉は、精神的エロースではないのか。つまり、初めに、イデア的エロースありきではないだろうか。女性的植物的エロースである。
 ならば、植物的エロースが精神主義的愛になったのがキリスト愛と言えよう。
 そうすると、キリスト愛とは、精神主義的愛と植物的エロースの中間に位置するように思える。
 しかし、前者が優位である。
 だから、聖霊の時代とは、精神とエロースとの均衡の時代、精神とエロースの真のバランスの時代ではないだろうか。
 私がいう気的身体理性の時代ではないだろうか。
 精神とエロースの両極をもつ植物的エロース精神である。
 
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Sat, April 13, 2013
生命原理とは何か:動的平衡論と不連続的陰陽論
テーマ:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)/講談社
¥777
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177ページまで来た。
 とても知的興味の起る名著である。
DNAの二重らせん構造発見の生臭い裏話と知的ミステリーが一体となり、実に「面白い」評論である。確かに、著者は文学的素養・才能がある。文理融合型知性である。
 とまれ、先に触れたが、著者の唱える生命における動的平衡という概念は、不連続的差異共振理論(不連続的陰陽論)で説明がつくと思われるのである。
 多忙なので、読書時間が短い。
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2013年04月08日 (06:25)

プラトニック不連続的差異共振理論の提唱:物質原理と自我原理を包摂する精神理論仮説

不連続的差異論は認識哲学、PS理論は自我物質原理:無双陰陽原理は精神と物質の両者包含原理を目指す
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11506897777.html

先に以上のように、不連続的差異論とPS理論を包摂する理論として無双陰陽原理を説いたが、理論名をより明確なもの、即ち、不連続的差異共振理論に改称した。(プラトニック不連続的差異共振理論の方がより的確だと思うが、長過ぎる。)
 さて、そこで述べたことを、整理して、より包括的に述べたい。以下、図式的に記述する。(以下をA図式とする。)

Ⅰ:太一・太極:原イデア:プロトイデア

Ⅱ:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

Ⅲ:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

Ⅳ:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(A図式)


以上が精神原理(仮説)である。ここには、物質化はない。つまり、物質化以前の原理である。完全に精神的実在としての主観原理がここにある。
 
 次に、同一性=物質化の原理を挿入しよう。それは、A図式のⅡとⅢの間で出現する。
 だから、A図式を書き直して、B図式とする。

Ⅰ:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

Ⅱ:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

Ⅲ:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

Ⅳ:陰陽共振:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

Ⅴ:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(B図式)


このB図式が物質現象、正確には、生命物質現象図式と呼べるものと考えられる。
 しかし、これはまだ、不十分、不正確である。何故なら、実際は、ⅢとⅣが同時生起していると考えられるからである。故に、C図式を作らないといけない。即ち、


Ⅰ:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

Ⅱ:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

-Ⅲ&Ⅳ同時生起:ⅢはⅣを包摂する:Ⅲは外部、Ⅳは内部-

Ⅲ:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

Ⅳ:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

Ⅴ:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(C図式)

先に述べたように、C図式のⅢ、つまり、同一性=物質化は陽の極大化(陽大化)に拠ると考えている。
 しかしながら、もっとも重要な点は、Ⅳの陰陽和合・差異共振が、同一性=物質化内部に巻き込まれるようにして生起していると考えられることである。
 言い換えると、A図式にある陰陽和合に拠る陰陽螺旋・気的生命螺旋を内包して、外部に同一性=物質化による物質体を形成するということになる。これが、可視の螺旋的生命物質体(ここでは、渦巻体も含める。故に、渦巻宇宙、弦巻植物等が妥当する。)になるのである。(思うに、これとトーラスが関係すると思うが、それについては別に検討したい。)
 ここで、非常に重要なことを付け加える必要がある。即ち、陰陽和合、差異共振とは、植物的生命・生成であると考えられることである。(私は、これは、キリスト的愛に通じると思っているし、結局、プラトンのエロースもこれに通じると思っている。)
 気的生命、気的生成である。しかしながら、それは、気(「エーテル体」)に留まっていて、同一性=物質化=陽大化によって、可視の物質的生命体・生命物質体になると考えられる。
 そう、ここで、齟齬が生じているのである。それは、同一性化の問題である。私はそれを自我原理と見ているのであるが、そうすると、植物に自我があることになってしまうのである。
 自我原理は確かに同一性原理であるが、物質化原理とは少し異なると考えられる。
 自我原理は同一性的否定原理と考えられるのであり、そこには、否定原理が強く働くと考えられる。
 では、同一性原理は否定原理ではないのかという疑問が生じる。
 有り体に言えば、否定ではなく、同一性刻印が生起するのであり、刻印である。貼り付けである。スタンプ、プリントである。だから、否定ではない。否定は、陰=他者を排除するものである。
 それは刻印・貼り付け・スタンプ・プリントとは異質の原理と考えられる。
 それは、陽の固定原理ではないだろうか。つまり、同一性=物質原理は陽大化(陽の極大化)であったが、それが固定したものが自我原理ではないかということである。
 一応、陽固定化(陽固化ないし陽固着化)が生起して、自我原理が生まれたと考える。(実は、これは、ルドルフ・シュタイナーの悪魔論の考え方を参考にしている。ここではそれについては説明しない。)
 つまり、陽固(固着)化=自我原理とは、同一性固(固着)化原理ということでもある。
 だから、C図式では、不十分で、D図式を作らないといけない。即ち、

Ⅰ:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

Ⅱ:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

-Ⅲ&Ⅳ同時生起:ⅢはⅣを包摂する:Ⅲは外部、Ⅳは内部-

Ⅲ:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

Ⅳ:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

Ⅴ:自我原理:陽固定(固・固着)化=同一性固定(固・固着)化

Ⅵ:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(D図式)

となる。
 しかしながら、ⅤとⅥの間には、不連続的差異(絶対的差異、他者)の肯定原理が必要なのであるから、さらにE図式が必要となる。即ち、

Ⅰ:太一・太極・全一:原イデア:祖イデア:プロトイデア

Ⅱ:陰陽分極化:陰イデア/陽イデア:陰陽イデア

-Ⅲ&Ⅳ同時生起:ⅢはⅣを包摂する:Ⅲは外部、Ⅳは内部-

Ⅲ:同一性・自我・物質化:連続的同一性化現象

Ⅳ:陰陽和合:差異共振:陰陽気:陰陽螺旋形態:気的陰陽螺旋生命体(物質化以前):「エーテル体」的生命体

Ⅴ:自我原理:陽固定(固・固着)化=同一性固定(固・固着)化

Ⅵ:不連続的差異(絶対的差異、他者)の肯定

Ⅶ:再太一・再合一化:螺旋的回帰

(E図式)

となる。
 これがプラトニック不連続的差異共振理論の7段階プロセスということになる。

追記:理論名称が長過ぎるので、簡単に、不連続的差異共振論(不連続差共論)である。

追記2:差異共立ということも差異共振に含めたい。

追記3:正式名称は不連続的差異共振イデア論(不連続的陰陽無双原理)でもいいだろう。

2013年04月07日 (21:31)

不連続的差異論は認識哲学、PS理論は物質原理:無双陰陽原理は精神と物質の両者包含原理を目指す

今日も森(ゆかし森神社とでも呼びたい:ゆかし森とは私の勝手な名称である)のいつもの片隅(奥の細道参道入り口)で、思索した。
 その前に、『生物と無生物のあいだ』の冒頭を読んで、DNAの複製原理は、先に述べた(連続的)同一性=物質化理論で説明できると思った。同一物のコピーを作るのであるから、それは、同一性原理に拠るのである。

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 そこで、今は離脱したPS理論であるが、それは、物質理論であると考えられる。自己認識方程式i*-i⇒+1は、自己認識理論というよりは、同一性=物質化理論である。そう、認識的には、それは、自我認識理論であり、自己認識理論ではない。何故なら、それは、自我の反転を他者としているからである。
 つまり、PS理論は、物質理論、自我理論としては正当であるが、認識理論としては、不連続的差異論から後退しているということになるのである。
 私は差異共振を考えるのに、さんざん悩んだが、今にしてみれば、PS理論(ガウス平面付き)では、差異共振は説明できないのである。
 結局、不連続である他者を数学化することが困難だと思われる。私は数学については、素人なので、不連続な他者(不連続的差異)を数学化する方法がわからないのである。
 とまれ、私にとって、数学主導で哲学をすると、数学の形式に振り回されて、哲学的認識が混乱するのが判明し、私はPS理論から離れた。
 その後、無双陰陽原理を唱えることになったが、プラトンの著作を再読して、プラトン哲学・イデア論が原理的に近いことがわかり、プラトニック陰陽理論と改名した。しかし、無双陰陽原理は括弧に入れておきたい。
 とまれ、同一性=物質化理論にたどり着いて、理論的問題点が明快になった。即ち、精神原理と物質原理が混淆していたことである。
 言い換えると、不連続的差異論に回帰したということである。ここから考え直す必要があるということである。(だから、2004年から2012年まで、約8年迂回したことになる。)
 簡単に言うと、繰り返しになるが、陰陽螺旋的生命形成がある。それを同一性=物質化が装っている。物質装備である。
 それは、気的螺旋が「内部」にあり、外部は物質的螺旋形態であるということである。
 陰陽螺旋であるが、それは、差異共振であると考えている。言い換えると、陰陽共振であり、陰陽同一性=物質化ではないのである。ただし、「外部」は後者である。
 とまれ、ざっとであるが、不連続的差異論に回帰して、同一性=物質化原理と陰陽螺旋=差異共振原理の二つが明確になったのであり、理論的には回帰して、進展したことになる。
 さて、理論名称であるが、新たに、プラトニック陰陽理論(無双陰陽原理)としたが、不連続という言葉は、捨てがたいのである。それを使用するならば、プラトニック不連続的陰陽理論Platonic Discontinuous Ying-Yang Theoryとでもなる。(しかし、もう一度、不連続的差異=不連続的他者の意義を考えるべきであるが、これは課題にしておく。)
 最後に簡単に整理すると、陰陽イデアがあり、それが、生命イデアである。それが、同一性=物質化原理によって、生命物質体を形成する。基本的には螺旋形状である。
 しかし、陰陽イデア=精神原理は、向上を目指しているのである。螺旋的回帰という向上を。
 それは、物質化することによって、いわば、汚染されるのであるが、その汚染によって苦悩・苦労するのである。そう、自我の原理、物質の原理を帯びるのである。自我ー物質の原理に陥りつつも、陰陽イデア=精神原理は内在・潜在しているのである。
 ここに矛盾があるのである。
 同一性=物質化して、陰=他者が失われるのである。しかし、陰=他者の肯定によって、再び、陰陽極性が回帰すると考えられる。(なにか、ヘーゲル哲学に似ているが、陰=他者は不連続的差異である点で異なるだろう。この点は要検討。)
 結局、陰陽イデア=精神原理の向上とは、自我原理になった後に、他者肯定を学び、再び、陰陽極性原理へと回帰することと考えられる。つまり、同一性化⇒他者化による陰陽共振原理への回帰である。
 雑駁な感もあるが、ここで留める。
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sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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