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2013年05月03日 (22:25)

自我=超陽原理から太一的個原理への進化:仁命道と父権的精神:道徳心の喪失の力学的歴史

テーマ:仁・倫・道命美日本世界宇宙革命進化

森気浴散策を行なった後で、思考したいが、一言言うと、義は、本来、陰の世界にあるのである。陰主導陰陽共振(暗黒宇宙・暗黒太陽)に存するのである。それは、母権的精神である。ダーク・ゴッド(暗黒神)である。
 しかし、人類史において、今から1万年足らず前の時に(六千年前?)、父権的精神が誕生した。それは、陽中心主義である。あるいは、超陽主義である。自我の誕生であり、同時に、物質への傾斜が起ったのである。
 超陽主義・自我主義は、陰主導陰陽共振(母権原理、女性原理)を恐れるのであり、それを抑圧するのである。
 「知性」、「理性」、「道徳」等は、父権的で、そのような母権原理の抑圧を意味合いがある。
 そして、西洋文明において、この父権原理が極大化し、母権原理(暗黒精神)が失われる。母権原理とは、生命原理であり、気の原理である。
 超陽原理(父権原理)は、陰陽共振原理から超越しているのであり、それを憎悪するのである。
 それは、太一界(超イデア界)の、いわば、鬼子であり、おそらく、太一界となんらかの関係をもっているのかもしれない。否、切り離された特殊のもののようにも感じられる。
 しかし、宇宙天下の大道は、陰陽共振生命原理に存するのである。
 とまれ、今日の人類世界の超危機は、父権原理に存し、その克服は、陰陽共振原理を回復することに存すると考えられる。
 ところで、悪者にしている自我原理=超陽原理であるが、それ自体を否定しているのではなく、その原理の支配・破壊性を批判しているのである。
 それは、同一性主義原理であり、他者=陰を否定してしまうのである。
 しかしながら、不連続的陰陽(イデア)原理(また、改名したが)によって、自我原理=超陽原理の同一性主義を乗り越えることができるのであり、他者=陰を肯定して、陰陽共振精神を復活させることができるのである。
 では、このとき、自我原理=超陽原理はどうなるのか。それは、陰陽共振原理、他者原理、気的身体理性と結びついた、いわば、大理性原理になるのではないだろうか。あるいは、太一的個原理(太一個原理)である。後者の方の命名がいいように思えるが。
 今はここで留める。

追記:光と闇のメタファー(隠喩)であるが、宗教等の光であるが、それは、基本的には、父権原理に拠ると考えられる。つまり、父権原理が光のメタファーを主導的にしている。
 光は端的に陽原理に拠るのである。陽の光に対し、陰の闇があるのであるが、問題は、陰の闇と陽の光の対照となる闇の問題である。闇という言葉が共通になっている。
 混乱を避けるには、陰の闇という言い方を止めるべきではないだろうか。それは、光に対する闇ではないからである。
 あえて、強いて、言えば、陰光である。陽光に対する陰光である。
 だから、暗黒宇宙、暗黒太陽、暗黒神ではなく、陰光宇宙、陰光太陽、陰光神と言うべきかもしれない。
 しかし、陰主導(陰光主導)の陰陽共振界を指しているのであるから、陰陽共振光のようなものを考えなくてはならないだろう。
 陽原理の反射を光とするなら、陰原理の共振を陰光とすることは可能ではないだろうか。(今、ふと重力を思ったのであるが。陰光=重力?)
 作業仮説的に、陰光としておこう。

追記2:旧約聖書「創世記」の「光あれ」であるが、それは、陽の自己反射による陽光と考えられる。不連続的陰陽イデア原理に拠れば、陰主導陰陽共振における陽化が生命物質現象を意味するのであり、陽化は光をもたらすのであるから、「光あれ」は、生命物質現象を意味していると考えられる。
 しかしながら、そのとき、背後というか基礎・基盤・基体に存する陰主導陰陽共振=陰陽渦円は言及されていないのである。
 つまり、上記の考察に拠れば、陰光が言及されていないことになるのである。「光あれ」の「光」は陽光だからである。
 結局、「光」があれば、同時に、陰光があるのである。そして、おそらく、陰光の方がベースである。つまり、大陰光、太陰光である。その陽化として、「光」=陽光が生成すると考えられるのである。
 D.H.ロレンスがダークネス、ダークサン、ダークゴッドと呼んだものは、この大陰光、太陰光であると考えられよう。
 思うに、宗教等のメタファーの光であるが、それは、おそらく、大陰光=太陰光のメタファーとしての光である。陽光としての光ではないと考えられる。
 だから、例えば、マニ教の光であるが、それは大陰光=太陰光のことであるし、アフラマズダもそうだろうし、シュタイナーの説く太陽神=太陽霊もこれだろう。キリストもこれである。因みに、ヤハウェとは、大陰光=太陰光の陽化が極大化されたものではないだろうか。(補記:古代ローマ帝国において、キリスト教と競合したミトラ教・ミトラス教の太陽神ミトラ・ミトラスもこれであると言えよう。ただし、キリストとミトラとの違いを確認すべきである。この違いは明快だと思う。イエス・キリストは、陰光太陽・大陰光・太陰光を「神懸かり」していたと思う。教父はロゴスの受肉と呼んだが、ロゴスは混乱させよう。しかし、ロゴスは言葉ではなく、陰主導陰陽共振と見ればいいのである。そう、前ソクラテス期哲学のロゴス【例えば、ヘラクレイトス】もそうみるべきである。またヌースもそのように見るべきはないだろうか。)
 
追記3:D.H.ロレンスの三位一体論(王冠論)であるが、ロレンスにおいて、父=陰、子=陽、聖霊=陰陽共振・太一となっていると思う。
 本来、父=陽、子=陰だと思うが、それが、転倒していると思う。これは、不連続的差異論以前の連続論の段階の、一種倒錯した事態ではないだろうか。これについては、さらに検討したい。

追記4:先に述べたが、日本人が太陽を赤く塗るのは、陰光太陽を直観しているからだと考えられる。陰光太陽とは正に、生命の根源であるのであり、先に述べたブラッド・サン(血の太陽)である。だから、天照大神も陰光太陽、大陰光=太陰光と見なくてはならない。
 思うに、陰光太陽=大陰光=太陰光は「実在」であるから、もはや、信じる云々の問題ではなく、感じる、直観する、直覚するという次元の問題である。つまり、ポスト宗教=ポスト信仰の時代である。

追記5:以上のように考えてきて、「霊(スピリット)」とは何かが合理的に判明してきたと言えよう。霊は陰主導陰陽共振、陰光、大陰光=太陰光である。陰陽共振の諸様態が諸霊であろう。それは、実在するのである。
 死者の霊であるが、それは、やはり、陰陽共振界・気界・イデア界に存するのではないだろうか。

追記6:自我は超陽であると言ったが、そうすると、他者は超陰になるように思える。これはもはや陰陽次元だけでは形成できないものと考えられる。
 つまり、陰陽を統括する次元を考える必要があるのである。それは、太一界であるが、なにか、超陰陽円のようなものが考えられるように思う。それが、陽を超陽、陰を超陰に変換するように思えるのである。

追記7:追記6のように考えると、本来の霊とは、超陰陽円の次元に存するように思える。陰陽円は生命イデアの次元のように思えるのである。人間の精神の次元はそれより上位=高位の次元に存するように思えるのである。
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2013年04月21日 (10:07)

二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊

二つの宇宙:陽主導陰陽共振宇宙(光・可視界)と陰主導陰陽共振宇宙(闇・不可視界):気←原気→太霊

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

陽主導の物質形成と陰陽共振:物質宇宙と暗黒宇宙:光と気と闇
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11515239556.html

先に以上の、理論的にしどろもどろの試行錯誤を行なったが、少し冷静に考え直した。
 問題は生命物質体の形成力学の的確な認識である。
 これまで、生命物質形成は陽の同一性力学に拠ると述べてきたのである。そして、その力学は陰も同一性化して、マイナス(負)にするのである。つまり、陽の同一性化はプラス(正)であり、同一性力学は、陰陽をプラスとマイナス(正負)の極性に転換すると述べてきたのである。
 この仮説に基づいて議論しなくてはならないのであり、そうでないと、秩序立った、首尾一貫した、整合的な理論考察はできなくなるのである。
 では、それに従えば、陽主導で生命物質現象が形成されるのであり、その内部には、陰陽共振が内包されていると考えられる。
 問題は、内包される陰陽共振作用である。これをこれまで、気的螺旋と見てきたのである。
 先の議論と関係させると、この陰陽共振と陰主導の共振との関係はどういうものかということが問題である。
 これまでの直観的前提では、陰陽共振とは、陽主導でも、陰主導でもない、陰陽均衡・平衡の作用である。陰が陽に差し込み、同時に、陽が陰に差し込み、相互的に両者差し込み、差し込まれる相互作用・相互形成があり、それが、気的螺旋体と考えるのである。
 この気的螺旋体に陽主導の同一性力学が作用して、生命物質現象が生起すると考えるのである。
 では、気的螺旋体に陰主導の力学が作用したらどうなるのだろうか。ここが問題の核である。(マルクスの常套句に倣えば、「ここがロドスだ、ここで跳べ」である。)
 ここらへんの問題に関しては、確かに、私のイメージの混乱、あいまいさ、錯綜がある。
 思うに、螺旋的生命物質体とは、そもそも陽主導の陰陽共振力学によって形成されるのではないのか。
 陰陽均衡ならば、生命物質体の形成へ発動・始動しないのではないだろうか。つまり、陰陽イデアのままではないだろうか。言い換えると、陰陽共立、差異共立のままではないだろうか。アリストテレス哲学では、デュナミスに相当しよう。
 陰陽均衡が破れることによって、動きが生起して、生命物質体への形成が為されるということではないか。
 そう考えると、陰陽均衡による陰陽共振はあり得ないことになる。それは、陰陽共立のみ、静的な陰陽共立のみが存するということになる。
 そのように作業仮説してさらに考察を進めよう。
 ということで、陽主導で螺旋的生命物質体が形成される。つまり、螺旋的生命物質現象が生まれる、「創造」されるということである。(記紀神話の天之御中主神と高皇産霊神と神産霊神の三者による造化を想起する。最初が太一であり、後の二者が陰陽であろう。)
 では、陽主導とは正反対の陰主導の場合ーこれが一番の問題であるがーどうなるのか。
 当然、考えられるのは、これは、生命物質体、螺旋的生命物質現象を形成しないということである。
 考察を展開する前に、確認しておかなくてはならないのは、陽主導に拠る螺旋的生命物質現象であるが、そこにおいて、気はどう作用しているのかということである。
 思うに、やはり、内部というか軸、核、コアに気的螺旋のようなものが存していると思う。それは、陰陽均衡・陰陽共立の延長であるように思えるのである。
 ここで、映画『スライブ』のトーラス、アップルの形を想起するといいのである。以下の上部半分の真ん中に軸に沿って螺旋が形成されているが、この軸と螺旋が、今述べた陰陽均衡・陰陽共立の延長のように思えるのである。しかしながら、ここには、時間が作用しているのだろう。軸ないし螺旋となるには、時間が作用していると思う。時間については別に検討したい。

o0680038311952983128.jpg


(THRIVE Japanese) スライブ—いったい何が必要になるのか - YouTube

 さて、検討を進めよう。
 本考察の核心の問題、陰主導の力学は何をもたらすのかを検討しよう。
 以上の考察から、当然、陰陽均衡・陰陽共立をそれも引き継ぐのは確かと考えられる。言い換えると、原螺旋力学をもつということである。それは、渦動力学と言えるのではないだろうか。螺旋の根源としての渦動・渦流・渦巻・渦である。(それは、上画像のトーラスの真ん中の渦巻で描かれているように思われる。)
 今考えようとしていたが、イメージが湧かないので、昨日の森の直観ヴィジョン的思索を借りれば、陰主導の陰陽共振宇宙は、暗黒渦巻宇宙である。螺旋より渦巻である。
 そう、陽の主導性がまったくないので、同一性が成立しないのであり、物質形成が為されないのである。これは、陰陽共立よりも、その意味で徹底している。陰陽共立の場合は、まだ、陽の主体性があるので、原物質性があるだろう。
 しかるに、陰主導になると、まったく陽の主体性がなく、原物質性もなくなるのである。つまり、前物質性がそこにはあると思われる。
 陰陽共立が気であるなら、陰主導のもたらすものは、気ではないだろう。
 精緻に考察しよう。陰陽共立の力は、気というよりは、原気である。陽主導によって、気へと展開するということではないかと思う。
 では、陰主導の場合、この原気が何かに転換するということになるだろう。何になるのか。
 直観では、太一の「気」である。ならば、太気、太一気、太極気である。あるいは、超気である。
 気という言葉を使用すると、陽主導の場合と混同するので、ここで霊という言葉を使用する。
 すると、陰主導によって、原気は太霊、太一霊になるのではないだろうか。
 つまり、正に、太一・太極(造語して、祖一、祖極、原一、原極)と一体となるのではないだろうか。
 そのように考えて、整理すると、陽主導によって、原気が気となり、螺旋的生命物質現象が形成される。
 それに対して、陰主導によって原気が太霊となり、暗黒渦巻が形成される。
 では、この太霊であるが、それは、太一と一致するので、それは、キリスト教的に言えば、聖霊となるのではないだろうか。また、プラトン哲学で言えば、天上的エロースとなるだろう。
 ここで、キリスト教三位一体の用語に即して言うと、

父(ヤハウェ)=陽・・・「風」、「空」

子(キリスト)=陰・・・「海」

聖霊=太霊

となるのではないだろうか。
 しかし、ここには、気ないし原気はない。
 とは言え、気は父から生まれるだろう。そして、原気に当たるものは、ないようだ。
 思うに、キリストから流れる「水」とは、聖霊=太霊ではないだろうか。
 そう、それで想起するのは、宝瓶宮(水瓶座)の水である。それは、「海」の水ではなく、聖霊=太霊ではないだろうか。調和というより、和解、和共、和融、和合、等を意味しよう。
 これで、ひとまず本問題の解明をここで終える。




陽主導の物質形成と陰陽共振:物質宇宙と暗黒宇宙:光と気と闇

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今日も森で考えた。約二時間半いた。
 今は簡単に触れる。考えたのは、陽主導によって物質が形成されるということであり、陰陽共振は気的螺旋を形成するということである。
 しかしながら、陰主導の場合はどうなるのかは考えなかった。
 そこで整理すると、

1)陽主導の場合
2)陰陽均衡共振の場合
3)陰主導の場合

が考えられる。

 1は物質形成を意味すると思う(今の段階)。
 2は気的生命体ではないだろうか。
 3は不明である。

森の中での直観を思い出すと、陽主導で物質形成があり、陰主導で不可視の気的生命体(気の身体)が形成されるというものだったと思う。
 
 ところで、今、思ったのであるが、陰陽共振体がある。その陽の面が物質で、陰の面が太一に通じるのではないだろうか。
 つまり、陰陽共振体が生命体、つまり、物質的生命体である。物質体は陽の力が形成するのではないか。
 陰が主導すると、真に共振して、気的螺旋になるのではないのか。
 
 どうも混乱している。今日は疲れているので、ここでやめる。元気なときに再考したい。

追記:どうもすっきりしないので、森の思考を辿る。
 思ったのは、どうして、陰に太一というかコスモス(宇宙)が感じられるのか、ということである。これは、以前、何度も考えたことであるが、再考である。
 結局、陽中心だと物質現象が支配的であり、それは、コスモスにはならないのである。個物の世界に過ぎないのである。
 陰は、陽の物質性から抜け出ているので、気的身体理性に差す太一を感じるのではないだろうか。その一(いつ)性がコスモス(宇宙)を感じさせるということではないのか。
 身体理性の場合は陽極、陽の側面があるので、完全にはコスモスを感じないと思うのである。
 はっきりとすべきは、陰に感じるコスモスとは、陽主導による物質的宇宙とは異なるということである。二つの宇宙があるということである。現象宇宙(可視宇宙)と暗黒宇宙(不可視宇宙)である。(思えば、かつて、私は両者を一致させていた。陰に感じるコスモスは可視の宇宙と一体であると感じていた。)
 この二つの宇宙であるが、物質宇宙・可視宇宙は、陽主導に拠るもので、暗黒宇宙・不可視宇宙は陰主導に拠るものではないだろうか。
 問題は陰陽均衡の場合はどうなのかということである。
 ひょっとして、均衡の場合は動かなくなるのではないだろうか。静止するのではないだろうか。これはおいておく。
 とまれ、二つの宇宙であるが、両者は平行していると思われる。気の宇宙と言ったら、当然、暗黒宇宙・不可視宇宙であろう。
 以上が、今日の森における思考を想起したものであるが、それは、これまでの陰陽共振としての生命体の概念とは異なると言えよう。
 どうも次のように整理できるかもしれない。
 これまで述べてきた陰陽共振としての物質生命体であるが、そこにおいて、陽主導的側面が物質体であり、生命体とは、陰陽共振的螺旋に存する。
 しかし、以上で述べた陰主導による暗黒宇宙・不可視宇宙であるが、それは、物質的生命体とは異なるのである。
 D.H.ロレンスが『死んだ男(逃げた雄鶏)』で述べた、「宇宙の暗い薔薇」のように思えるのである。
 今日、宇宙論で問題になっているダークマターはここに関係しているのではないのか。
 とまれ、そうすると、気と暗黒宇宙・不可視宇宙との関係はどうなるのだろうか。
 陰主導では、ダークエネルギーが生まれるということなのだろうか。
 そうすると、物質エネルギー(光)と気とダークエネルギーの三種類のエネルギーがあることになる。
 複雑怪奇になってきているので、とりあえず、ここで留める。

2013年04月20日 (02:53)

身体理性(気的身体理性)と植物生命イデア:陰陽界面と大イデア:太一⇔身体理性⇔陰陽分極

画像は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11514701550.html

テーマ:不連続的差異共振論:不連続的陰陽イデア論

今は余裕がないので、ポイントだけ記す。
 以下のように、陰と陽を結ぶ身体理性(気的身体理性)を先に考えた。これは第3のものである。
 では、これと大イデア=植物生命イデアはどう関係しているのか。
 当然、繋がっているものである。つまり、端的に、身体理性=大イデア(太一イデア)ということになる。
 しかし、果たしてそうか。
 身体理性は陰と陽を繋いでいる。つまり、陰極と陽極をもつ理性である。思うに、これは、太一(太極)ではないのか。太一が分極化して、陰陽となる。その様態が身体理性にあるのではないだろうか。
 問題は一(いつ)と陰陽分極・二との有り様である。
 結局、身体理性は、一(いつ)でありつつ、二なのである。この「矛盾」をどう説明するのか。
 思うに、一は超越次元にあり、二は心的現象次元にあり、その中間に次元変換点があるということではないだろうか。次元変換点であるが、それは、これまでの記述では、MP(メディア・ポイント)に当たるだろう。
 直観では、トンネルのようなものである。上部では、一であるが、下部では二なのである。
 そう、即非様態と見るといいのだろう。一であり、且つ、二であるという様態である。
 問題は、一と二が接しているのか、否かである。
 思うに、接していない。超越的一が、次元下降的に、二となるのであるが、一と二は一つなのである。
 やはり、内在的超越性という概念が適切なようである。
 そして、即非である。一であり、同時に、二である。しかし、一と二は、当然、異なるものであり、一致しない、接しない。
 しかし、身体理性とは、いわば、一(太一・太極)と二(分極・陰陽)を繋げている媒介点、そう、メディアと考えられる。つまり、

一(太一・太極)⇔身体理性メディア⇔二(陰陽分極)

という図式が考えられるのである。
 一と二が一種の三つ巴を形成し、その交点として、(気的)身体理性メディアが考えられるということである。
 直観では、(気的)身体理性メディアには、捩れが考えられる。それが、陰陽様態を意味するのではないだろうか。
 一の捩れとしての二である。
 そして、この捩れの力学が生命力学であるということになるのではないだろうか。
 とまれ、以上から四元論が形成されたことになる。
 とまれ、気的身体理性とは、一と二をつなぐ接点・メディアであり、それは言い換えると、一と多をつなぐ接点・メディアということになる。言い換えると、一神教と多神教をつなぐ接点・メディアということになる。
 そうすると、以前、考えたように、xyの直交座標に、垂直に交わるz軸を入れて立体座標が考えられる。
 z軸が太一イデアであり、y軸が陰陽軸であり、x軸が物質現象軸である。
 以前、作図した以下のような三次元を考えるといいのである。


<無双PS原理三次元世界:Ver4.1>
                

               虚軸y軸:陽・凸i・時間形式・自己
                                /
         超越軸z軸:太極・霊界       /
               |           /
               |         /
               |       /
Ⅱ:物質認識       |     /    Ⅰ:頭
               |   /
               | /
-1__←重力波_MP・胸_電磁波⇒_+1実軸x軸
地・自我       /  |            天・個
           /     |
Ⅲ:肚     /      |    Ⅳ:精神認識(魂認識)
      /         |
    /           |
陰・凹i・空間形式     |
・他者           |

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11324260617.html

参照:

無双PS原理ガウス平面 ( 10 )

http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10057545046.html

追記:太一⇔気的身体理性メディア⇔陰陽分極を以下のような構造として見るといい。


           太一
           |
           |
           |
           |
      気的身体理性メディア
          /\
        /    \
      /        \
  陰極(他者)     陽極(自我)

今はここで留める。
 

1.
陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原 ...
d.hatena.ne.jp/antares/20130218 - キャッシュ
2013年2月18日 ... 陰=魂(肚)と陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元
論へ進化する. テーマ:無双陰陽 ... 先に、食事哲学について触れた(世界の謎:食事
哲学:地球生活の謎:身体と意識:ポスト唯物論としての逆ルネサンス ...
http://d.hatena.ne.jp/antares/20130218

2.
陰陽を正負・NSに変換する中間力学:次元変換子:陰陽の現象化とし ...
d.hatena.ne.jp/antares/20130222 - キャッシュ
2013年2月22日 ... 陰と陽の衝突・激突、20年過ぎて、ようやく、解決に至ったと思う。(参照:陰=魂(肚)と
陽=自我(頭)をつなぐ身体意識(理性):無双陰陽原理は陰陽身体三元論へ進化する (
02/18) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1925.html) ...
http://d.hatena.ne.jp/antares/20130222

2013年04月17日 (00:42)

現代日本人は唯物主義者ではなく、唯物教信者である:森は気(「神」)に満ちる:気のサイエンス誕生

テーマ:ForestPhiloSophia森哲学

気と電磁波を混同・同一視する人がいるが、それはとんでもない間違いだと思う。
 私は長い間かけて、気を「合理」的に検討してきて、ようやく、気のサイエンスを立てられるようになった。物質のサイエンスを超える気のサイエンスである。これは、イデア・サイエンスとも言える。
 今は簡単な指摘に留める。

参考:

* 森には、樹木には、気、生命イデア・エロース・エネルギーが宿るだろう (04/16)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1949.html

* 理論名称:不連続的差異共振論(不連続的陰陽イデア論)の方がいい:PS理論の呼称の問題点 (04/16)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1948.html

* 不連続的陰陽イデア論:陰イデア∞陽イデアのメビウスの輪と太一イデア (04/14)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1947.html

* 理論名称:不連続的陰陽論:不連続的差異共振理論よりも明快である (04/14)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1946.html

参照:

無限の宇宙と響き合って生きるか、有限の「地球」に囚われて生きるか?

http://www.k2o.co.jp/blog2/2013/04/post-872.php
新井信介 「京の風」

鎮守の森 - Wikipedia
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内 、 検索
土佐神社 (高知県 高知市 )の例
長尾神社(神奈川県 川崎市 多摩区 長尾)の例
足寄神社(北海道 足寄郡 足寄町 )の例
山全体が鎮守の森になっている例(柏原八幡神社 <兵庫県 丹波市 >)

鎮守の森(ちんじゅのもり)とは、日本において、神社 に付随して参道 や拝所を囲むように設定・維持されている森林 である。鎮守の杜とも。

古神道 における神奈備 (かむなび・かんなび)という神が鎮座する森のことで神代 ・上代(かみしろ)ともいう。
その意味 [編集 ]

鎮守の森というのは、かつては神社 を囲むようにして必ず存在した森林 のことで、杜の字をあてることも多い。「神社」と書いて「もり」と読ませている例もあり古神道 から神社神道 が派生したことがうかがえる[1] 。また、「社叢」(しゃそう)と称されることも多い。

神社を遠景から見ると、たいていはこんもりとした森があり、その一端に鳥居 がある。鳥居から森林の内部に向けて参道 があり、その行き当たりに境内 や本殿 があり、その背後には森林の中央部が位置するようになっていて、森の深い方に向かって礼拝をする形になっている。このことからも「社 (やしろ)」が先に在ったのではなく、信仰された森に社が建てられたことが良くわかる。また海岸 近くに魚つき林 という、古くから保護された森林がある場合、そこに神社が設けられている例が多い。

現在の、神社神道(じんじゃしんとう)の神体 (しんたい)は本殿や拝殿 などの、注連縄 の張られた「社 」(やしろ)であり、それを囲むものが鎮守の森であると理解されているが、本来の神道 の源流である古神道(こしんとう)には、神籬 (ひもろぎ)・磐座 (いわくら)信仰 があり、森林や森林に覆われた土地、山岳(霊峰富士 など)・巨石や海 や河川 (岩礁 や滝 など特徴的な場所)など自然 そのものが信仰の対象になっている。

神社神道の神社 も、もともとはこのような神域 (しんいき)や、常世 (とこよ)と現世 (うつしよ)の端境と考えられた、神籬や磐座のある場所に建立 されたものがほとんどで、境内に神体としての神木 や霊石なども見ることができる。そして古神道そのままに、奈良県 の三輪山 を信仰する大神神社 のように山そのものが御神体 、神霊 の依り代 とされる神社は今日でも各地に見られ、なかには本殿や拝殿さえ存在しない神社もあり、森林やその丘 を神体としているものなどがあり、日本の自然崇拝 ・精霊崇拝 でもある古神道を今に伝えている[2] 。

宮脇昭 によれば、「鎮守の森」は国際植生学会では学術用語として用いられるという[3] [4] 。

2013年04月16日 (20:22)

森には、樹木には、気、生命イデア・エロース・エネルギーが宿るだろう

テーマ:Forest PhiloSophia森哲学

古代人が森(「杜」:鎮守の杜)や巨木を神聖していたのは、そこに、気=生命エネルギーが流れていることを直観・直感したからではないだろうか。
 父権的物質文明は、そのような生命の森を破壊することから勃興したのであり、現代文明は当然その末裔である。
 人々は森、樹木に「神聖さ」=気=生命エネルギーを感じなくなっているのだ。
 しかし、日本人の血には、森・樹木の気エネルギーを感受する精神がある。唯物科学的精神を超克して、陰陽イデア・生命エネルギーを肯定する必要がある。
 後で、精緻に気エネルギーについて述べたい。

参照:
無限の宇宙と響き合って生きるか、有限の「地球」に囚われて生きるか?

http://www.k2o.co.jp/blog2/2013/04/post-872.php
新井信介 「京の風」

鎮守の森 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/鎮守の森 - キャッシュ - 類似ページ
鎮守の森(ちんじゅのもり)とは、日本において、神社に付随して参道や拝所を囲むように
設定・維持されている森林である。鎮守の杜とも。 古神道における神奈備(かむなび・
かんなび)という神が鎮座する森のことで神代・上代(かみしろ)ともいう。

2013年04月16日 (12:33)

理論名称:不連続的差異共振論(不連続的陰陽イデア論)の方がいい:PS理論の呼称の問題点

理論名称は不連続的差異共振論の方がすっきり、カッコいいだろう。

追記:かつて使用したPS理論(Platonic Synergy Theory)であるが、確かに優れた命名・名称であると思うが、私がひっかかるのは、シナジーである。これだと量的な結合を私は感じるのである。もっとも、プラトニックということで、イデア次元を提起していて、その点では、イデア的結合という意味にはとれるのは確かである。
 しかし、差異共振、陰陽共振は、単にシナジーではないと考えられる。何故なら、そこには、次元転換が生起していると考えられるからである。
 正確に言えば、差異共振、陰陽イデア共振は、物質を形成すると同時に、その「内部」に、いわば、潜在的にそれ自身を存在させていると考えられるのである。
 言い換えると、物質的外装があり、内部は差異共振・陰陽イデア共振=気エネルギーである。
 シナジーと呼べるのは、物質的側面であり、内部の差異共振・陰陽イデア共振・気エネルギーはシナジーとは言えないのではないだろうか。
 しかし、螺旋形状を形成するという点では、シナジーとは言えよう。
 ならば、私のこだわりは偏見ということになる。
 故に、結局、PS理論の名称のいちばんの問題は、もっとも重要である不連続性の概念が示唆されていないことである。

追記2:PS理論という名称を避けるのは、それが哲学より数学を主導させた理論であること、そして、それは、認識理論より、物質原理理論であることに拠ることが一つの要因である。
 また、上記の追記と関係するが、やはり、陰陽イデア次元と陰陽イデア共振物質形成次元は異なると考えられる。
 有り体に言えば、前者はイデア界=超越界に存している。しかるに、後者は現象界に属している。もっとも、後者には陰陽イデア共振=気的螺旋(気的エネルギー)が内包されていると考えられるのである。
 ここの辺の問題は微妙である。
 陰陽イデア次元とは、陰陽円、超越円であり、それがMPにおいて、物質化するのである。
 問題は、陰陽イデア共振とは何かである。陰陽円=超越円において、陰陽イデア共振はあるのである。しかし、正確に言うと、それは、陰陽イデア共立(あるいは、陰陽イデア極性共立)である。ここには、物質はまだ形成されていないのである。
 物質が形成されるには、先に述べたように、陽イデアの極大化が必要なのである。そのときに、陰陽イデア共立は言うならば、陰陽イデア共振となるのである。陽イデアの極大化、即ち、陽大化によって、連続同一性力学が作用して、陰陽イデア共立は共振化して、正負対・相補物質化されるのである。
 このような次元転換という点でもPS理論というシナジー(結合)を用いる名称は語弊があると考えられるのである。
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