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2013年10月08日 (05:07)

氣的自然朋友世界へ:原初太陰(未分化混沌)⇒母権制(植物性)⇒父権制(動物性)⇒氣の生命愛の世界

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

性欲的エクスタシーとは、感覚動物的なもの、それは、身体感覚物質的なものではないだろうか。
 それに対して、別の、一見似ているが異なる、つまり、似て非なる神秘欲動があるように思われたのである。それは、自然との一体感的なものである。
 前者(A)が欲望的であるのに対して、後者(B)は精神的ないし霊的である。
 ニーチェの区別、アポロとディオニュソスであるが、これは、以上に対して、どう関係するだろうか。
 思うに、神話的には、両者が混乱しているように思えるのである。
 ディオニュソスとバッカス(酒神)が混同されているのである。例えば、酒の陶酔はAであり、Bではないと思う。
 しかるに、ディオニュソスは、ギリシア悲劇(エウリピデスの『バッカスの信女』)では確かに、A的であるが、しかし、ニーチェのそれを考えると、それは、きわめて、精神的である。
 思うに、私の内面から言うと、Bはアポロ(天)に通じるのである。そう、私にとって、太陰(肚)にBの原点がある。
 しかし、また、太陰(肚)は、Aに繋がることもある。性欲もそこに関連しうるのである。
 ここには微妙なメカニズムがあるように思える。
 氣の問題である。
 氣は本来、植物的生命であると考えられる。
 それは、陰陽バランス、陰陽調和を意味する。
 しかし、Aはそれを越えている。
 思うに、人間においては、太陰(肚)において、植物性と動物性が同居しているのではないだろうか。
 だから、太陰(肚)の賦活は両者を刺激する。故に、上記のギリシア悲劇のようになりうるのではないだろうか。
 つまり、太陰はAとBの両面があることになる。しかし、それは、一種の混淆ではないのか。細かなことはともかく、二重性があることは言える。
 しかし、B的側面は氣に関係するのである。
 故に、太陰をB化することが一つの浄化のあり方ではないだろうか。食で言えば、菜食穀食である。
 私が氣的身体理性と呼んだものの意義はここにある。太陰的欲望・欲動を氣的に浄化するということである。
 そして、ここにBが発現するように思えるのである。
 そうすると、太陰=ディオニュソスであり、氣=アポロである。
 私は太陰に玄氣を見ているのであり、氣の根源を見ているのである。
 とまれ、太陰の氣化ということことがあるのである。それは、陽化とも言えよう。ニーチェの用語なら、アポロ化である。
 なにかいろいろと考えが浮ぶ。
シュタイナーの説く霊化とは、アポロ化なのではないだろうか。
 物質的身体からの解脱の瞑想を説くのであるが、それは、動物性からの離脱を意味するのではないだろうか。
 少し整理すると、人間の太陰はもともと、混沌(カオス)としている。植物性と動物性が混淆している。
 故に、太陰において、AとBの混淆、混同が起る。それが、ギリシア悲劇にあるし、D.H.ロレンスにもある。ニーチェの場合は、意外にシュタイナーの方向のように思えるのである。
 しかし、植物性が氣であり、動物性が官能性である。
しかし、氣も一種の官能性があるように思うのである。どうも、それが、プラトンのエロースに通じるように直観されるのである。
 明快にするために、暫定的に、植物的エロースと動物的エロースに分けよう。だから、プラトンのエロースは前者である。
 さて、本題にもどると、混沌とした太陰、初期太陰、原初太陰であるが、いわば、植物的エロースと動物的エロースが未分化様態と言えるのではないだろうか。(そう、D.H.ロレンスの官能はそのように捉えることができよう。)
 原初太陰は原初ディオニュソスであり、これは、ニーチェのそれとは異なり、ロレンスのエロースに近いものである。そう、言わば、太一であり、かつ二重である。しかし、この太一は未分化・混沌的一である。
 そして、母権制は、原初太陰=原初ディオニュソスの植物的エロース、即ち、氣(エーテル体)を活用した文化社会ではないだろうか。動物的エロースは抑圧されていたと思う。
 しかるに、父権制が誕生する。それは、宗教的に一神教となる。究極は、ユダヤ教ないし旧約聖書教(旧約聖書の問題はおいておく)である。
 これは、動物的エロースの文化社会に思えるのである。これは、掠奪、簒奪、暴力の「エロース」の文化社会に思えるのである。ロレンスが「父」と言うのはここに存すると言えよう。
 しかし、人類社会はその後、キリスト教をもたらすのである。
 イエス・キリストの誕生である。それ以前に仏陀、ゾロアスター、老子、他がいるが。
 私見では、イエスの教えとは、実は、植物的エロースに関係すると思うのである。そう、氣、エーテル体に関係すると思われるのである。
 そうならば、混沌としていた太陰に分化がもたらされるのである。あるいは、父権制で偏重されていた動物的エロースが修正された思われるのである。
 端的に言えば、未分化太陰が植物性と動物性に分化したと思うのである。言い換えると、動物的感覚が植物的生命を明晰に知覚するようになったということである。動物性と植物性の切断が生まれたのである。
 そう、太陰氣学(氣科学と言おうか)から見ると、イエス・キリストの教えとは、氣の教えである。植物的生命の教えである。
 しかるに、キリスト教は一神教であるので、つまり、父権制であるので、動物的側面が植物的側面よりも強いので、イエス・キリストの教え=氣・植物的生命の教えは軽視、無視される傾向が強かったのである。
 (思うに、イエス・キリストとは、一神教・父権制・西洋文明に侵入した多神教・母権制・東洋文明を意味しよう。)
 結局、キリストの愛とは氣ということになる。愛=氣である。
 思うに、今日、氣が身体において開き出しているのであり、思うに、新キリスト教の時代である。(そう、ロシア正教やケルト的キリスト教の時代と言えよう。あるいは、ゲルマン的キリスト教と言えるかもしれない。日本では、縄文的宮崎駿的アニミズムだろうか。)
 そう、そこで思うに、太陰氣学の原点である不連続的差異論であるが、それは、太陰と自我の不連続性を説いた理論であったが、しかし、太陰自体は未分化で、植物性と動物性が未分化混沌としていたと言えよう。
 つまり、キリスト教まで達していなかったのである。そう、D.H.ロレンス的段階である。
 結局、太陰氣学は、そのような未分化太陰に氣的分化をもたらしたことと考えられる。
 氣的身体理性が、植物性と動物性を分化させ、前者の氣力学を肯定するのである。
 そう、氣とアポロ(陽、日光)は繋がっているのである。当然であるが、一般に、植物と日光は繋がっているのである。(ここで、飯山仙人の不食・乳酸菌・日光浴サバイバル科学の意義があると言えよう。)
 結局、氣的身体理性の発見とは何を意味するのか。
 それは、原初太陰から氣的太陰への発展を意味しよう。
 氣、植物的エロースが支配する世界を意味するのである。
 キリストの復活とも言えよう。(ロレンスの『死んだ男』は、まだ、動物的エロースの外皮をもっているが、ほとんど、これに近づいていると考えられる。)
 とまれ、端的に、太陰の氣化、純粋氣化とは太陰力学的には何を意味するのだろうか。
 それは、陰陽調和和合和解平和の生存を意味しよう。
 氣愛、愛氣の世界である。そう、氣友、氣朋の世界と言えよう。
以前の私の言葉では、差異共振の世界である。
 ロレンス的には氣優ないし氣融の世界である。
 でも、何故、植物的生命の世界が復活するのか。
植物的生命世界が人体において、復活するとは何なのか。
 一体、人間の理性、知性はどうなるのか。科学はどうなるのか。
 少なくとも、氣理性、氣知性、氣的哲学、氣科学に変質する。
 そして、氣的社会、氣的経済、氣的政治、等々になるだろう。
 そう、今思ったが、「霊魂」とは何かの問題が出てこよう。
 個、自己、自我、「わたし」の問題でもある。
 太陰氣学では、シュタイナー霊学とは異なり、個、自己、自我、「わたし」を太陰から生まれたと考えている。ヤハウェは、極陽から生まれたのである。父権自我の誕生である。
 つまり、太陰力学の様態として、個や自己は存すると考えるのである。
 思うに、植物に、あるいは、氣に、原個、原自己を見てもいいのかもしれない。しかし、陰陽的なものである。即非的なものである。
 私が個は肚であり、同時に、他者であると説くものではないだろうか。言い換えると、メビウス的個=他者である。氣的精神性である。氣的霊性である。氣的人性である。
 しかし、太陰氣学から言うと、原点に太陰玄氣があるのであるが、その玄氣と氣とはどう関係するのか。いわば、母と子ではああるが。
 そう、ここに先に言及した、処女生殖=単性生殖=単為生殖が関係すると言えよう。
 とまれ、限定すると、玄氣と氣の力学はどうなのか。
 結局、太陰玄氣の螺旋的発展として、氣の力学を見ることができるのではないだろうか。
 太陰玄氣は最初は未分化混沌であるが、自ら、展開することによって、分化して、純化浄化して、純粋開花していくということではないだろうか。
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2013年10月06日 (01:59)

自然物質と人工物質(化学物質)の違い:氣的物質体と無氣的物質体

画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=330

自然物質と人工物質(化学物質)の違い:氣的物質体と無氣的物質体

テーマ:農業・食料問題:有氣物質体と無氣物質体

以前述べたことがあるが、ビタミンCを考えると、みかんにあるそれと、人工的なビタミンCでは違うと思われる。
 そう、粗塩と食塩の違いとも似ているだろう。
自然有機体、自然的物質体には、氣があると思うのである。それは、物質より高次元のものであり、それが、生命形成力なのである。しかし、単に物質、人工物質、化学物質には、氣、生命形成力が欠落していると考えられるのである。
 だから、後者を摂取すると、人体は、生命形成的に反応せずに、破壊的に反応するように思えるのである。
 太陰氣学から言えば、人工物質には、太陰氣ないし太陰玄氣が欠落しているのである。そこに、生命形成情報エネルギーがあると考えられるのである。
 つまり、太陰氣(玄氣)があるか否かが、自然的物質体と人工物質体を区別すると言えよう。

追記:太陰氣(玄氣)であるが、太陰生命形成力ということもできよう。太陰生命氣という言い方は、意味がダブルが、わかりやすいだろう。

追記2:また、クローン牛を考えるといいだろう。人工的な遺伝子操作による生命体は、本来の生命力、太陰生命形成力が欠落しているので、健全に成長できないと考えられるのである。


なぜ「本物」を食べると消費が抑えられるのか

▽身体の機能を狂わせる物質の氾濫

前項で記載した、砂糖、異性化糖、人工甘味料の害に加え、もはや必要と考えられない食品にまで添加される「食品添加物」、石油製品(食器等)から溶け出す「内分泌かく乱物質」等、このいずれもが、人体はおろか、自然環境にまで有害な影響を与える「化学物質」です。これらは、人間の脳と身体の機能を著しく損傷させるものです。この影響により、これまでに無かった新しい病気の発現を含め、食への欲求内容や吸収、味覚にも影響を与えていることは否めません。また、この節操の無い化学物質の投入は、医療・製薬業界の「消費」を同時に促進させ、周辺ビジネスも賑わっています。化学物質は俗に言う「不安産業」(人間の不安心理につけ込む商売)の主たる創出要因(問題の根)のひとつです。
http://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1807774.html
大摩邇(おおまに)



作業仮説:ポスト人間主義:太陰玄氣体と処女生殖と不食文化

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

今日は、小降りの森の中を森氣浴プロムナード。
 森内氣歩は、心身にいい。元気が出てきた。
 
 さて、いろいろ考えがあるが、一言いちばん重要な思いつきを言うと、太陰玄氣体と処女生殖と単独原理と不食文化は一如ではないかということである。それは、ポスト・ヒューマンの文化である。
 とまれ、飯山仙翁の不食主義は画期的である。というか、進化的に革命的である。
 日光、乳酸菌、腸内微生物による生命保持であるが、それは、太陰氣学から見ると、氣的サブ生命体主義である。
 いったい、微生物や乳酸菌は生物において、どう分類されるのだろうか。植物なのか、動物なのか。
 とまれ、この不食生存は、いちおうは、植物型とは言えよう。植物は、日光を浴びて、栄養、エネルギーを作るのであるから。
 植物は食行為を行なっていないだろう。それは、受容行為に過ぎない。
 私の哲学的関心から言うと、不食主義は、太陰玄氣体、処女生殖、単独原理と通じると感じられる。
 今は詳述できないが、直観でそうなのである。
 一言言うと、不食主義は、脱エロス主義である。
 思うに、エロスは少なくとも二種類ある。
 一つは動物エロスである。それは、超陽のオスが陰陽的メスを捕獲するものである。
 もう一つは植物エロスであり、それは、陰陽牽引、陰陽「磁力」であると思う。
 しかし、それに対して、太陰玄氣主義になると自己生殖、つまり、処女生殖すると思われる。つまり、自ら、陽を形成するのであり、そこには、牽引、エロスはないはずである。
 陽や陰陽のもつ欲望がないのであるから、当然、エロスがないと考えられるのである。
 そう、思うに、これこそ、キリストの愛ではないだろうか。
 思うに、不食主義は真のキリスト教なのかもしれない。
 そう、また、社会であるが、もう結婚が不要となる。
 それは、単独的個を単位とした社会となる。それは、単独的共同体である。あるいは、単独的共振体である。
 これは、一つの人類史の終焉であり、新しい人類史、あるいは、ポスト人類史の始まりと考えられる。

追記:書くのを忘れたが、不食主義は、シュタイナーのアントロポロジー(人智学)を越えるものだろう。
 シュタイナーの霊学は、人間、人体中心なのであるが、不食原理は、人体というよりは、微生物、細菌、日光、氣が中心なのであるから、脱人間化していると考えられる。
 シュタイナーを越えたのである。

◆ 2013/10/05(土)     鬼 手 佛 心
日本の鬼は怨みや憤りで鬼にならざるを得なかった祟る(タタル) 鬼だ。餓鬼や鬼女や般若が鬼気迫る怒りの声を絞りだし唸りながら国中を跳梁跋扈するぞ!
日本は、哀しみと憤りの鬼哭が国中に木霊して怨念一色の憤死亡霊列島になる!怨念は末代までも残るぞ。
呪い殺される前に国外逃亡するも地獄の底まで追いかけて呪い殺す!容赦はしない。民族の怨念だからな。
井原鬼祭
岡山県井原町の秋祭は「鬼祭り」と呼ばれ、100匹もの恐ろしい形相の鬼たちが御神幸の先払を務める。まさに百鬼夜行である。今年は 10月27日(日曜)。
鬼手佛心とは、「仏心を以って敢えて鬼となり衆生を救う、誰かを救うために自身を鬼と化して行動を起こさねばならないとしても、心の真は仏の慈悲を以ってなさねばならない」とある。

しかし鷲は…、
「物事をなす時には 鬼のような手を繰りだせ! ただし 仏様の慈悲の心は決して失うな!」と解釈し、自戒しておる。

太陽凝視も、オドオドと恐れながらヤルと、ヤバイ!

何事も…、
失敗したらどーしよう!ケガでもしたら大変だ。太陽光は危険だ!
こんな思いが心中にあると良くない結果になってしまう。失敗する。

逆に…、ヤルからには、思いきってヤル! 鬼のようになってヤル!
成功することを信じ、ひたすら祈り、成功をイメージしながらヤル!

これを、自己実現的予言という。

自己の成功を信じきった予言は当たるのだ。予言どおりになる。

オドオドと失敗をおそれながらコトにあたると、失敗する…。

だから太陽凝視も…、
「太陽光は危険だ。朝晩の太陽光で少しづつ慣らしていこう…」
などというオソレが心中にあると、永遠にヤバイ。

人間、何事も思い切りが大切。でないと、永遠に変われない。
変化し、進歩し、新日本人に進化するために…、鬼手佛心!
鬼の研究
日本の歴史の暗部に生滅した鬼(オニ) 、特に鬼とならざるを得なかった女たちの怨みと情念を鬼気迫る筆力で描ききった名著である。日本人必読。

◆ 2013/10/04(金)2  鷲は鷹になる! 皆の衆も鷲に続け!
変化する爺さん。進化する爺さん。鷹になる 爺さん。
使用前1 使用前2 使用後
左から 2005年(大病後)、2009年 (絶不調期)、2013年(現在)。鷲は「鷹」 になる!
皆の衆。次の文章は、鷲の主張の「総論」を圧縮表現したものだ。
どうか一読し再読し、納得するまで読んで欲しいの蛇。m(__)m

国家や政府が「殺人機関」と化した今、放射能から身を守るサバイバル技術の習得だけが、生き残り(survival)を保証する最後の砦(とりで) だ。

放射能地獄では議論は不要、互いに助けあう者たちが、ひそかに集い、互いに助けあう! 日本人が生き残る道は、自助努力と相互扶助。この二つしかない。

皆の衆、どう蛇ろか?

鷲たちは、いま、逆境のドンづまりにいる! この認識があるかないか? これが生死の分かれ目になるの蛇が…。

いま…、
鷲らは、国家や政府や知識人や医者などには一切たよらず! 自分たちの健康は自分たちで守り、自力で生き抜いていくほかはないのだ!
こういう覚悟はできておるのか?>皆の衆

「311から2年半が過ぎたが、何てコトないじゃん!」 こんな甘い考えでいる者は、あとで必ず泣きをみる!

チェルノブイリやベラルーシでも、3年が過ぎた頃、「大したコトないね!」と皆が思い始めた途端、人がバタバタと死にはじめた…。
これは内部被曝の放射線障害が一挙に出始まったからだ。

しかし! 鷲みたいになれば、牛ー大丈夫蛇。

ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!

耐放射能人間 (新日本人) に変身できれば、逆に長生きできるん蛇夜!

どー蛇、分かったかな? 分かったら、鷲に続け!>皆の衆
豆乳ヨーグルト食って、運動で大汗かいて、太陽を凝視 する毎日!
まぁ、三番目の「太陽凝視」は、弱虫にはムリ蛇ろが…

おっと! その前に…、
次にあげる「新日本人(NJ) 」に変身するための参考文ぐらいは、しっかり読んでおいて猪ー大寝!
・ 新日本人(NJ)の生き方のお手本
・ 放射能にする強い耐性をもった新日本人の誕生!
・ 『耐放射能人間』=『新日本人』になる法
・ 『発酵民族=新日本人』の誕生! (1)
・ 『発酵民族=新日本人』の誕生! (2)
・ 「新日本人」をつくる国民運動
・ 噛んで 噛んで 噛んで 噛んだ!
上の文章を読んだら、その場駆け足で大汗かいて、熱い風呂に入り…、入浴後は、すぐに肌着かパジャマを着る! これでまた大汗が出る!

この風呂あがりの大汗が最高のヒートショック療法なの蛇夜!
こんな工夫を積み重ねていけば、必ず新日本人(NJ) に変身できる!
今の駄目な日本なんか忘れて…、新しい日本をつくろうな!

◆ 2013/10/04(金)  凝視して見る太陽は、黒かった…
写真に映る太陽像は 色々様々だ
太陽2 太陽1 太陽3 太陽4 太陽8 太陽5 太陽7 太陽9 太陽6
人間が太陽を直視したとき、太陽はどのように見えるのか?
太陽は凝視すると↓ このように見える
太陽0
太陽凝視! やってみると…、そんなに大騒ぎすることではない!と、すぐに分かる。
びっくりしたのは、太陽が黒っぽく見えること。その涼しげな黒さ!時折、その黒のなかに、それは綺麗な黄金色の光が放たれる…。あれは本物の純金の色だぞ!
そして、これまた綺麗なのは、コロナの色と形と、ゆらぎ。ゆらめき…。
いったい何だ? この美しさは! その美しさは、上の写真のソレに近い。
正直ゆーと、鷲も太陽は直視してはいけない!と思っていた。
だから太陽を直視したことはなかった。

しっかし、ま〜鷲も67歳にもなってから、お天道さま(太陽) を凝視して、お天道さまの形を確認することになろーとは思わんかった…。

それにしても、正午、南国・亜熱帯の志布志の太陽光線は強烈だが、その南国の太陽を凝視する!という冒険は医学常識では御ハットだが、忍者ハットリくんのノリ=忍者は修行でござる! でOKだったw

まぁ医学者や医者は病人や病気だらけの環境にいるので、考え方もヤルことも病的になっているワケで、健康な人たちをさらに健康にしていく発想など全くない。

彼らは、病気の恐さと病気になる恐怖を病院にきたシトに植えつけて、誰彼かまわず患者=病人にしてしまうのが商売。

だっから、日射病だ! 日食網膜症だ! 紫外線に起因する皮膚ガンだ! 紫外線にあたると最悪は死に至るポルフィリン症だ! などと、誰彼かまわず病名を付けて病人にして濃厚治療をし、最終的には殺してしまう…。

太陽に関しても、上と同じだったんだ罠ー。
太陽光線を浴びることは絶対に必要なのに、太陽光線、とくに紫外線は毒だー!毒だ!と、脅かしまくってきた医者と現代医学。この罪は大きい。
早い話…、
ウツは、一日1時間の日光浴を1週間つづければケロッと治る!
ところが、ウツっぽくて眠れない!からと病院へ行くと、向精神薬飲まされて、真性のウツ病にされて、最後は廃人!と。

◆ 2013/10/03(木)2  変身修行にして 人体実験にあらず
炎々と燃える太陽を見つめる 延々と…
太陽1 太陽2
生命力が注ぎこまれる… 奇蹟の予感
太陽1 太陽2
鷲…、ちゃんと目を開けて、太陽を凝視しているでしょ?
医学の常識は…、
肉眼で直接太陽を観測すると日食網膜症 を引き起こし、網膜の火傷や後遺症、失明のリスクがある。
であるから、「太陽凝視」などということは、絶対にやるな!

ところが鷲は…、
無謀にも、無帽でサングラスなし、しかも、南国の正午の太陽を直視し、凝視している。見つめ続けている毎日。
本日も30分の凝視…。

これって、いったい、どーなるのか?
ウィキ&医学常識が勝つのか?
非常識な飯山一郎が負けるか?

そろそろ結論がでる!

それにしても、太陽凝視は気持ちがEー猫!
β-エンドルフィンの気持ちが良くなる効果とメラトニンの睡眠誘導効果で…、いつしか鷲は眠ってしまった。

すると…、
またまた夢のなかにあのインド人があらわれ、こー言った…。

「太陽神秘熱を “眼”の奥に貯めろ!」

どーゆーことなのか?
と、考えつづける鷲の眼の奥が、なにかしら熱い。
が、とても心地よい熱さだ。涼しい熱さ…?

アッ!
これが、あのインド人が言った太陽神秘熱なのか!
たぶん鷲は、新しい日本人 (NJ) に変身できる…鴨。
# 飯山一郎のHP
# 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 1)
# 飯山一郎のHP(ミラーサーバー 2)




直観:母権と植物文化(菜食穀食文化)、父権と動物文化(肉食文化):そして、ポスト人間:不食文化

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

太陰生命氣学は、太陰から陽が生まれたという考えをとっている。これは、一般の太極陰陽論とは異なる。何故なら、それは、太極から陰陽の両極が均衡的に生じたと考えるものであるからである。いわば、陰陽両極はそれなりに対称的である。しかるに、太陰生命氣学(簡単に、太陰氣学)では、陰陽は当然、非対称的である。
 そして、ジェンダーであるが、女性と男性の差異は非対称的と思えるのであり、陰陽の差異ではないと思われるのである。
 つまり、太陰が女性・母権的であり、陽が男性・父権的である。
 そして、前者は植物的、後者は動物的ではないかと思われるのである。
 前者が氣というか、原氣ないし玄氣的であり、後者は光的ないし物質的である。しかし、後者にも氣があるが、それは、物質と結びついていると思う。
 しかし、ジョセフ・キャンベル神話学から見ると、それは単純化である。思うに、陽のない、太陰のみの文化があったように思えるのである。男性のない文化である。
 それは、思うに、飯山一郎氏の説く腸内微生物や乳酸菌の世界ではないだろうか。
 そう、私の言いたいのは、単性生殖、処女生殖の世界である。
 今は思いつきだけを述べて、不整合、齟齬を気にしない。
 とまれ、太陰のみの世界は闇の世界である。光のない世界である。
 そう、物質以前の世界である。霊の世界?
 検討問題として、太陰=母権=植物、陽=父権=動物という非対称の二元論を述べたが、果たして、そう切っていいのか。
 陰陽で母権、そして、超陽で父権ではないのか。これまでは、この考え方である。

追記:単性生殖、処女生殖について、私は考えは混乱している。
 とまれ、以上の着想は、植物的生殖を越えた生殖を念頭においたものである。

1.
単為生殖 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/単為生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単為生殖(たんいせいしょく、英語:parthenogenesis)とは、一般には有性生殖する生物
で雌が単独で子を作ることを指す。有性生殖の一形態に含まれる。なお、単為生殖
によって産まれる子の性が、雌のみならば産雌単為生殖(セイヨウタンポポ、増殖中の ...
‎概論 - ‎単為生殖と染色体 - ‎単為生殖を含む生活環 - ‎その他
2.
無性生殖 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/無性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
無性生殖(むせいせいしょく)とは、生殖の方法のひとつで、1つの個体が単独で新しい
個体を形成する方法である。生殖細胞が単独で新個体となる。 概要[編集]. 親の体の一
部が独立して新個体になったり、生殖細胞が他の細胞と融合せずに単独で発生や発芽
を ...
3.
ニュース - 動物 - オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ - ナショナルジオ ...
www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id... - キャッシュ - 類似ページ
2012年9月19日 ... ニュース - 動物 - オスがいても“単為生殖”する野生ヘビ - ナショナルジオグラフィック
公式日本語サイト(ナショジオ)
4.
単性生殖 とは - コトバンク - Kotobank
kotobank.jp/word/単性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
デジタル大辞泉 単性生殖の用語解説 - ⇒単為生殖(たんいせいしょく) ...
5.
単性生殖とは - Weblio辞書
www.weblio.jp/content/単性生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単性生殖とは? ⇒単為生殖(たんいせいしよく) >>『三省堂 大辞林』の表記・記号
についての解説を見る.
6.
単為生殖とは - 生物学用語 Weblio辞書
www.weblio.jp/content/単為生殖 - キャッシュ - 類似ページ
単為生殖とは?生物学用語。 雌が雄と関係なしに、単独で新個体を生ずる生殖法。
ミツバチ・ミジンコ・アリマキなどの動物、ドクダミ・シロバナタンポポなどの植物に見
られる。単性生殖。処女生殖。 →人工単為生殖 >>『三省堂 大辞林』の表...
7.
たんせいせいしょく【単性生殖】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/140227/m0u/ - 類似ページ
たんせいせいしょく【単性生殖】とは。意味や解説。⇒単為生殖(たんいせいしょく) - goo
辞書は国語、英和、和英、中国語、百科事典等からまとめて探せる辞書検索サービス
です。
8.
無性生殖と有性生殖 - Hi-HO
www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/seishoku1.html - キャッシュ - 類似ページ
生物は、親からもらった特徴を子に伝え、また、長い期間のうちにそのときの環境に
合わせて変化してきました。 現在の地球にはいろいろな生物がいますが、それらがどの
ようにふえ、どのように進化してきたかを考えていきましょう。 遺伝. ネコの子は必ずネコ
...
9.
コモドオオトカゲの単為生殖 [爬虫類・両生類] All About
allabout.co.jp/gm/gc/70185/ - キャッシュ - 類似ページ
ビッグなクリスマスプレゼントが、動物の神様から我々に贈られてきました。世界最大の
トカゲ・コモドドラゴンが、なんとよりによって単為生殖をしている...遺伝の勉強も少し入っ
た記事になっています!
10.
Open ブログ: 人間も単為生殖する?
openblog.meblog.biz/article/2194225.html - キャッシュ - 類似ページ
2010年1月18日 ... 昆虫などの下等生物では、(オスなしで)メスだけで子を生むという「単為生殖」をすること
がある。 ところが人間も同様のことが可能である……と政府が決めるらしい。 ── 人間
も単為生殖する……とういのは、もちろん馬鹿げている。(人間の) ...




聖霊=アクエリアスの時代:水宝瓶の聖霊氣が降り注ぐ大エポック:日本悪霊全体主義体制を打破せよ!

テーマ:父権物質文明から新母権・新自然文明へ

昨日は、1時間足らずで、8888,7777のカーナンバーが2台ずつ現われた。その他、111とかの三つ揃いもいくつかあった。
 また、世界政治におけるオバマとプーチンのいわば盟友の主導権、平和への盟友の行動。
 これは、新しい世界が始まっていることを意味する。
 水瓶座の時代への宇宙(コスモス)の転変である。
 この神霊・宇宙の動きに日本人はポカンと無関心、弥次馬でいいのか。
 何もしなければ、悪霊に滅ぼされる。悪霊政治が今、進んでいるのではないか。




粗塩⇒豆乳洗髪が唯粗塩洗髪よりよい:氣と自然有機体:有氣体(生命物質体)と無氣体(無生命物質体)

テーマ:有機的自然回帰的ライフ・スタイル

今日、粗塩洗髪そして豆乳まぶしで締めた。この方が、やはり、粗塩オンリーよりも、よい。パサつきがなくなるのである。しっとり、髪が収まるのである。豆乳は無調整である。
 これで、育毛養毛となれば、文句ないのであるが。
 もうシャンプーは使えない。
 以前述べたが、自然有機体には、氣があるのであり、無機物、単なる物質は、無氣である。つまり、生命スピリットの有無である。
 物質科学は、自然有機体の氣を見ていないのである。自然を単に物質としてのみ見ているのである。自然の物質を形成しているのは、氣、生命スピリットと思われるのである。この点では、東洋医学は正しいのである。
 太陰生命氣学は、太陰から陽の発生を見ているのであり、この陽が氣である。太陰は原氣(元氣、又は玄氣?)だと思う。(追記:もう少し丁寧に言うと、太陰から陽が形成され、陰陽球が生まれる。この陰陽球を氣と見るのがいいのかもしれない。そして、陰陽球の外側が光や物質である。そう、有機的物質というのか、氣的物質である。)
 ところで、『宇宙生命論』

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であるが、粗略、粗雑な記述であり、発想としては、使えるが、もっと緻密な説明が必要である。ヒントとしてはとても興味深いのであるが、ちょっとトンデモ系である。



2013年10月02日 (20:57)

日想観(じっそうかん)に先祖返りする飯山一郎役小角転生仙翁

画像は以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=329

日想観(じっそうかん)に先祖返りする飯山一郎役小角転生仙翁

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

私もよく太陽を見つめることをしたものだ。小学生の頃、なんとなくやってみた。
 今はやらないが、結構できるものである。
 ところで、飯山仙翁は、古代や中世あたりの日本人がやっていた日想観(じっそうかん)に先祖返りしていると言えよう。
 日光は不可視の氣の「光」、超越光があると私は考える。当然、生命のスピリットである。
 折口信夫が日想観に触れていたのを想起したのである。
 また、「太陽は巨大で偉大だ。」 これは、ニーチェの『ツァラツゥストラかく語り氣』やD.H.ロレンスの『アポカリプス』を想起する。
 とまれ、これは、ゾロアスター教的であることは間違いない。飯山仙翁は、拝火教徒にもなったのである。
 私は昔から、太陽崇拝者、太陽信仰である。

◆ 2013/10/02(水)2  赤勝て! 白勝て! 応援団も負けるな!
太陽は巨大で偉大だ。これを鷲は毎日凝視!
惑星
地球なんてのは…、なんか、鼻くそみたいだ猫~ww

「ウィキペディアに書いてあった!」と得意気に言うシトがいるがー、これを鷲は「ウィキ坊や」と言ってカラかう。
ま、たしかに恣意的な文章が多いカラ脳~ww
ところで…、
そのウイキには「太陽観測時の注意点」として次の文章がある。
日光には可視光線の青色光、紫外線、赤外線が含まれるため、肉眼で直接太陽を観測すると日食網膜症 を引き起こし、網膜のやけどや後遺症、失明のリスクがある。
観察には日食グラスや太陽観測専用の遮光フィルターなどの専用の器具を使用する(すすのついたガラスや黒い下敷き、カラーネガフィルムによる減光では不十分とされている)。
太陽の位置を瞬間的に肉眼で確認してから、グラスやフィルターを目に当てる方法では、網膜にダメージが蓄積される(そのため、先にフィルターに目を当ててから、観測をはじめるように勧告されている。)
医学常識では、太陽凝視なんてのは豚でもない! 絶対やるな!鼠~コトらC~。

ところが!
鷲は、ウィキにも書いてある「失明のリスク」を心いくまでオカシて、太陽を凝視する毎日。

ちなみに、きょうも鷲は太陽を20分間も凝視したが、いまのところは失明してない。なんせ、モノが良~く見えるんだからな。

さーーて、お立ちあい!
ウィキ&医学常識が勝つのか?
非常識な飯山一郎が負けるか?
まもなく結論がでる!

◆ 2013/10/02(水)    救うのは、太陽だと思う。
救うのは、太陽だと思う
太陽1 太陽2
シャープは世界一のソーラー企業だが、われわれ人間の身体もソーラーシステムなのだ。
人間の眼球の視床下部から脳の松果体までの構造は、隠れたソーラーシステムなのだ。
(上の2枚の写真はシャープ社のサイトからいただきました。シャープさん、ありがとう!)
鷲は昨日、15分間も太陽を凝視した。凝視し続けた…。
最初は不安だった。
強烈な太陽の紫外線で眼底部が火傷し、損傷するのではないか?と、恐怖感で一杯だった…。

しかし!
そのうち…、
薩摩の黒豹こと飯山一郎 の「目」は…、「眼球」は…、
最初は矢鱈とマブしい南国・志布志の太陽が「真ん丸な火球」であることを、シッカリと認識していた。

太陽を見つづける! 魔坂! そんなことが出来るワケがない!
こーゆー「常識」(これは「医学常識」でもR!) は、見事に崩壊していた。
鷲は前から、下のような文章を書いて「世の常識」を疑っていた…。
・ 日光浴のすすめ (上)   ・ 日光浴のすすめ (下)
・ 運命の分かれ道       ・ ビートたけしは原発そのもの!
さらに鷲は「世の常識」を疑いながら…、太陽を見つめ続けた。
やがて…、
β-エンドルフィンの気持ちが良くなる効果で…、眠ってしまった。

夢のなかに、一人のインド人があらわれた。
そのヒトは、鷲にこー言った…。

「太陽を“眼”で食え! 不食でも生きられる!」

“不食”とは、「何も食わずに生きていく!」ということなんだが…、
「太陽を“眼”で食え!」 とは、いったい、どーゆーことなのか?

たぶん…、
鷲たちの人生は太陽 が救う! ということなの鴨。

いや!
日本民族の生命と健康と、いま、目前にある未曾有の逆境を…

救うのは、太陽だと思う。

◆ 2013/10/01(火)2     太 陽 凝 視 !
これだけの汗が わずか10分の日光浴で出る!
太陽
きょうの志布志は暑かった。
軽い畑仕事のあと、10分の日光浴で猛烈な発汗。
その後、水シャワーを浴びてから撮ったのが上の写真。
おっと!そんなことより、本日から鷲は「太陽凝視」をはじめた。
本日は15分、太陽を凝視した…。
「太陽凝視」とは何か?
それは、簡単に言うと、太陽を凝視することでR!www
太陽凝視! これは、いま、秘法中の秘法である。
だから鷲は、簡単には公開しない。(爆)
鷲は全国的な隠れた人気者なんだそーだ。
その理由は、乳酸菌の秘法を無料公開したからなんだそーだ。

しかし…、
鷲は、特段、大枚のゼニを出したわけ蛇ないんだし…。
ほっておいたら、自然勝手に全国に広まっちゃっただけだ夜寝。
だっから、ホメられる特段の理由なんて、ないん蛇ないのぉ ww

それよか、ホメられたいのは、黒豹になるほどの日光浴だ夜。

皮膚ガンの原因だ!日射病になる!疲労の原因だなどと、さんざん悪く言われてきた太陽光線を、鷲は、連日連夜!全裸の全身に浴び続けて「薩摩の黒豹 」と言われるほどの健康体になった!

ところが、鷲の大胆な人体実験をホメるどころか…、
この“奇蹟”を信用しないシトが大勢いたので、鷲は、その“証拠”をより生々しくリアルに見せるために、なんと! 「ハエ叩きヌード 」を、恥をしのんで…、恥ずかしげもなく…、恥をさらした。

それなのに…、
今回ばかりは、この“奇蹟”は全くと言ってよいほど全国に広まらず、同調者つーか賛同者の数は、そーだなぁ せいぜい10数人かな。
ホメてくれるヒトもほとんどいない。

ままよ!人生なんて、こんなもんだ。孤独こそ我が人生!鼠~ワケで、鷲は、一人勝手に前に進むことにした。

それが…、
ベニヤ板のベッド上で日光浴をしながらの 太陽凝視
この豚でもない非常識な荒行をすることなの蛇。

太陽凝視! これは、いま、秘法中の秘法である。
おいおい公開したい…。
太陽凝視 が加わって…、↓進化する飯山一郎の真価が深化した…てかww

↑このポスターは きのこ 女史の作品
飯山一郎のHP


1.
日想観 の画像検索結果

2.
今月の行事日程 - 和宗総本山 四天王寺
www.shitennoji.or.jp/event/index.html - キャッシュ - 類似ページ
弘法大師の月命日、毎月21日は俗に「お大師さん」と呼ばれ、境内に露店が並び、
たくさんの参詣の方が来られます。弘法大師は聖徳太子を讃仰され、若き日に四天王寺
に詣でて、西門にて入日を拝する日想観を修された。この機縁により毎月21日に大師会
...
3.
日想観 とは - コトバンク - Kotobank
kotobank.jp/word/日想観 - キャッシュ - 類似ページ
大辞林 第三版 日想観の用語解説 - 出雲聖人の主導した百万遍念仏は,貴賤をとわず
,道俗男女が一定期間参詣して念仏し,鳥羽法皇や藤原忠実・頼長らも参加した。西門
外の海は極楽への道として,夕日に浄土の想いをはせる日想観(につそうかん)を修し,
...
4.
日想観
ww6.enjoy.ne.jp/~myouannji/houwa348.html - キャッシュ - 類似ページ
日想観(にっそうかん)とは、 心を堅くとどめて乱すことなく、一すじに想いつめて他のこと
に触れず、こうして夕日がまさに沈もうとして、ちょうど空に鼓をかけたようになるありさま
を見る ことによって、阿弥陀如来の浄土を想念(そうねん)する観法(かんぽう)です。
5.
【四天王寺】日想観: 驕れる人も久しからず
naga500.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-a3f1.html - キャッシュ
2013年3月20日 ... 今日、春分の日に四天王寺さんでは日想観(じつそうかん)という法要が行われていまし
た。 前々から春分、秋分の日に四天王寺西門に落ちる夕日を見たいと思っていたのです
が、昨日四天王寺さんのHPを見てみたら、日想観というものが行 ...
6.
一心寺 プロフィール 歴史
www.isshinji.or.jp/profile_history.html - キャッシュ - 類似ページ
一心寺の歴史. 日想観. 「法然上人日想観の図」土佐光茂筆・一心寺蔵. 一心寺の発祥
は文治元年(1185)。 浄土宗をお開きになった法然上人がこの地の四間四面の草庵「
荒陵の新別所(あらはかのしんべっしょ)」で「日想観*」を修せられたことが由来とされ
てい ...
7.
日想観 - 岩瀧山往生院六萬寺
oujyouin.com/jitusoukan.htm - キャッシュ - 類似ページ
三善為康が著した「拾遺往生伝」によれば、荒廃した六萬寺の後に 河内往生院が念仏
聖である安助上人により平安時代中期に創建され た。この地は、「四天王寺の東門から
真東にあり、極楽浄土の東門に 当院が当たる」ということから、極楽往生を達するに ...
8.
千年の歴史体験~初めての日想観@四天王寺: オーサカのカタスミから
odamaki1031.cocolog-nifty.com/osaka_no.../post-20d1.html - キャッシュ - 類似ページ
2012年3月23日 ... 日想観」、不思議な言葉ですね。にっそうかん、と読んでましたが、正しくは「じっそうかん
」だそうです。その昔弘法大師・空海が四天王寺で真西に沈む夕日を見て、西方に極楽
浄土を見いだす修行を始めたことに由来。西門は極楽の東門 ...
9.
四天王寺の日想観 No.1744 - 「世界の高齢者」編集者のブログ
d.hatena.ne.jp/wanbi/touch/20130219/1361276618 - キャッシュ
2013年2月19日 ... [宗教]四天王寺の日想観 No.1744. 聖徳太子が建立したといわれる四天王寺での「日
想観」は、藤原時代より鎌倉時代にかけて勃興した浄土教の影響によって、その時代に
盛に行われた行事である。そして鎌倉以後においても、その情勢には ...
10.
真西の夕日に彼岸の心 総本山 四天王寺 日想観(じっそうかん)
www.pressnet.co.jp/osaka/kiji/100320_12.shtml - キャッシュ - 類似ページ
2010年3月20日 ... 先祖を供養する春の彼岸会が18日、四天王寺(大阪市天王寺区、593年創建)で
始まった。彼岸の中日となる春分・秋分の日には、同寺「石の鳥居」の中を落ちていく
夕日を拝む「日想観法要」が執り行われる。日想観は弘法大師・空海が同寺 ...
11.
日想観の風景
www1.kcn.ne.jp/~kosho/koshoken/ourai/90_kamii.html - キャッシュ
日想観の風景. 神 居 文 彰. 日輪を媒体として佛を観想する行儀に「日想観」という一種
の瞑想法がある。 太陽が沈む西の方を向き、心を静めてその落日をゆっくりと観て、
沈みきった後もその姿を明瞭に見ているかのように観想することである。それは、目を
閉じ ...
12.
天王寺の西:「摂州合邦辻}~合邦庵室
www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/sakuhin58.htm - キャッシュ - 類似ページ
天王寺には、特に彼岸の中日に「日想観(じっそうかん)」を行うために大勢の人々が
集まってきたものでした。「日想観」と言いますのは、天王寺の西門は極楽浄土の東門と
向かい合っている、という信仰から来たものです。そのために人々は西門 .... 折口信夫:
「玉手御前の恋」(折口信夫全集 第18巻 藝能史篇2 (中公文庫 ) に収録。) (TOP) (戻る

13.
143夜『死者の書』折口信夫|松岡正剛の千夜千冊
1000ya.isis.ne.jp/0143.html - キャッシュ - 類似ページ
2000年10月4日 ... しかしまた、やはりこの一篇の作品は、折口信夫という桁外れの国文学者であって民俗
学者である思索がたまさかもたらした数少ない創作物で ... ここに折口信夫をめぐる以上
のいっさいは集約されるのである。 .... もうひとつは日想観である。
14.
折口信夫 山越しの阿弥陀像の画因 - 青空文庫
www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46386_26151.html - キャッシュ - 類似ページ
折口信夫. 極楽の東門に 向ふ難波の西の海 入り日の影も 舞ふとかや. 渡来文化が、
渡来当時の姿をさながら持ち伝えていると思われ ..... ただ山越しの弥陀像や、彼岸中日
の日想観の風習が、日本固有のものとして、深く仏者の懐に採り入れられて来たことが
、 ...


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09月20日

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Wed, October 02, 2013
森氣浴プロムナード:草食動物くらいには進んだが、食い意地がある:パン食、1日1食だが

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

今日、からだが重いので、久しぶりに、森氣浴を行なった。それで、からだのだるさがなくなり、かなり元気を取り戻せた。
 たんに森の氣に浸ることだけでなく、歩くことが大事である。
有酸素運動ということだろうが、直観では、森の氣を取り入れて、心臓から氣の血液が、氣を体に運んで元気になったように思える。原理的説明は今はしない。
 とにかく、森氣浴プロムナードで、元気を取り戻せたのはうれしい。やはり、氣と運動である。運動で、氣を身体内を巡らすと考えたい。そう、氣と心臓と血である。
 健康方法がだんだん見えてきた。やはり、長時間のデスクワーク、徹夜等で、生命リズムが狂ったと言えよう。
 
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Wed, October 02, 2013
宇宙生命論と太陰生命氣学:氣が共通するが、少し眉に唾付けた方が・・・

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰生命氣学

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今、これを読みかけであるが、なかなか面白い。佐野千遙博士の単極磁石論に少し関係するが、それより、私の太陰生命氣学に関係するところが多い。氣を基礎としている点では共通である。
 しかし、個ないし自己を否定している点では、首肯くことができない。
 読了したら、少しコメントしたい。

痾呆屁゛から悪米へ:明らかに日本を疲弊させる「米」痾苦魔資本の策略
テーマ:日の本大覚清創造:心的革命宣言:霊的進化
悪とは冷気である。魂の冷気。心の寒冷現象である。
 これは、邪蝿の冷気ではないのか。邪蝿は冷酷の噛みである。
 悪鬼冷鬼との永遠の闘争が必要であろう。アンラ・マンユとの闘争。アフラマズダの闘い。
 日本人の問題は、魂が抜けてしまっていることである。
 奴隷として、生き続ける選択をする可能性が強い。
 ポスト日本、日水湖宮へ。
 悲劇を覚悟しないといけない。

絶望が希望だ。

暗黒が光明だ。

悲劇が喜劇だ。

苦しみが幸せだ。

どん底が天国だ。

とまれ、生命の氣があるのである。

それは、サンクチュアリである。

Photo
記者会見で消費税率上げを表明する安倍晋三首相=1日夕、首相官邸(写真:フジサンケイビジネスアイ)(SankeiBiz)
安倍首相、消費税率引き上げ強行…「政権崩壊」ジンクスは?
日本の安倍晋三首相は1日、現行5%の消費税率を来年4月から8%に引き上げると発表した。(中央日報日本語版)
[記事全文]

◆増税延期の選択肢は事実上なし
・ 景気、政権を左右=神経とがらす安倍首相-消費増税 - 就任以来のアベノミクス効果で各種の経済指標が上向き、「自ら消費税を上げざるを得ない状況にした」(周辺)のは確か。仮に増税を見送れば、財政健全化が後退し、国債金利が上昇する危険もはらむ。時事通信(10月1日)

◇5兆円の景気対策に注目
・ 消費増税、次の焦点は経済対策5兆円の中味 - 東洋経済オンライン(10月2日)
・ [図解]経済政策パッケージの主な内容 - 毎日新聞(10月2日)
・ 新経済対策 主な歳出と減税 - NHK(10月1日)

2013年09月21日 (13:57)

知的生命的存在の根源は何か:形而上的原理か形而下的原理か:あるいは、第3の原理か?

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

太陰イデア論では、根源を太陰イデアにおいている(仮説)。
 しかし、太陰=肚(気的身体)であり、太陰イデアとは、気ないし根源的気とも考えられる。
 また、太陰を存在とも考えている。
 佐野千遙博士や以下のケッシュ博士は、根源を物質原理で考えている。(両者に共通するのは、磁場であろう。後者はその他に、重力場もあげているが。)
 ところで、話が変わって、私は2004年に「海舌 http://blog.kaisetsu.org/」氏と遭遇して、いわば、突然変異的に不連続的差異論を独創したが、2005年か2006年に形成された、不連続的差異論の発展と考えられたPS理論に2012年春頃まで関わり、提唱したが、その後、それから脱却して、今や、太陰イデア論を提唱している。
 今、この離脱の意味を簡単に見ると、それは、原理の考え方に違いにあると言えよう。
 PS理論は、認識をベースにおいた理論である。それも、知的な、合理的認識を基盤にしているのである。
 しかし、私が不連続的差異論(PS理論の前身)の段階で捉えていた不連続的差異とは、肚のことであり、それは、一般的認識では捉えられないものなのである。
 それは、一般的認識とは不連続、非連続であり、実際のところ、未だに、明確に捉えられていないのである。
 思うに、それを存在ととっても、なんらかの認識性をもっているとは言える。しかし、それは、頭脳的認識とは異なると考えられるのである。
 イデア的認識と言えるかもしれないが、イデアは理念であり、存在とはズレるので、問題を残している。
 不連続的差異論の段階で述べた、知即存在という概念が適用できるようには思えるのである。
 知即存在としての太陰なのである。それは、当然、単純な形而上学的なものではないし、また、形而下的なものでもない。
 いわば、原物質的原理、原生命的原理である。
 とまれ、余裕のあるとき、精緻に検討したい。

追記:グランド・セオリーの構築には、私一人では、無理であるという感じを最近とみに持つ。私は太陰イデア論(仮説)を提唱しているものの、シュタイナー理論、藤原肇理論、佐野千遙理論、等々の考え方にも、開いているのであり、ドグマではない。
 太陰イデア論もいわば暫定的なものであり、理論的進展に応じて、よりよい仮説になるのである。
 より多くの人に、検討してもらいたいと思っている。決定論ではないのである。あくまで、仮説、作業仮説である。


ケッシュ博士インタビュー その④

相対的に、根源のエネルギー<原理エネルギー(プリンシプル. エネルギー)>が、物質や、目に見えない熱や電気や、あるいは又、重力や磁気力に姿を変えたものだと理解すれば、足りるのである。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/09/post_9793.html
飄(つむじ風)

2013年09月20日 (22:35)

超陽支配が終り、太陰の大地が目覚める時:ポスト旧約聖書-近代文明と勃興するロシア文明の新時代

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

戦争金融資本/旧約聖書イデオロギー資本(ヤハウェ資本)の暴力は気が抜けないが、ヤハウェ資本は衰退の一途であろう。
 思うに、デカルト的心身二元論が目覚めた太陰によって崩壊する。つまり、心身融合(追記:結合の方がいいかもしれない)が起るのである。
 近代主義を信奉した者は自壊するだろう。目覚めた太陰エネルギーを取り込むことができないからである。
 そう、太陰エネルギーは陰陽エネルギーである。気エネルギーである。もっとも、魂と結びついた気エネルギー、即ち、魂気エネルギーないし霊気エネルギーである。
 私の直観では、気エネルギーが魂を浄化するのである。ここで、食事(玄米を含む穀物菜食、豆乳ヨーグルト食等)や気活(自然気浴:森気浴、日光浴等)が重要になるのである。
 ところで、以前から問題であるが、太陰イデア論では、魂の領域を太陰で、頭脳の領域を陽で考えている。つまり、本来、生命に関わる陰陽に精神作用を重ねているのである。
 もっとも、この問題は既述済みではあるが、今においては、やはり、不分明なのであり、再検討が必要と考えられるのである。
 問題は意識ないし自己意識である。
 太陰意識、陽意識があるのではないだろうか。そうならば、植物にも意識があることになる。これはおいておこう。
 今、直観で言えば、

太陰(肚)=他意識
陽=自己意識
超陽=自我意識

である。
 陽は個意識と言えるかもしれない。これは、太陰と超陽の中間のバランス的意識と思えるのである。
 とまれ、太陰が新たに目覚めるということは、陰陽生命意識が目覚めるということである。あるいは、単に、生命意識が目覚めるということである。つまり、気意識、植物的生命意識の目覚めということになる。
 以前からの考えではあるが、共感性は、陰陽共振にあるのである。太陰と陽とのバランスに存するのである。
 つまり、それは、生命力学、植物生命力学的なものである。
 つまり、一般に動物や人間よりも、植物の方が「霊性」が高いということになるように思えるのである。
 さて、人間の自我、父権自我は超陽で説明したが、動物の欲望はどう説明できるのか。シュタイナー霊学で言えば、アストラル体はどう説明できるのか、である。
 今、思ったが、人間の自我ほどではないが、陽への傾斜で説明できるのではないだろうか。太陰を超越したのが、超陽であり、父権自我である。
 しかし、動物的欲望は、太陰の超越まで行かなく、陰陽力学において、陽への傾斜において発生する力学と言えるのではないだろうか。
 しかし、陽の傾斜を単に動物的欲望とするならば、自我一般の説明はどうなるのだろうか。
 これまで、父権自我ではない自我一般は陽の傾斜と考えてきたのであるから、以上の説は齟齬を来すのである。
 次のように考えるのはどうだろうか。陽の傾斜はこれまで通り、自我一般とする。そして、この陽の傾斜に拠る太陰の被抑圧力学において発生するのが動物欲望・感情=アストラル体ではないのか。つまり、動物欲望・感情=アストラル体とは、太陰が自我一般(陽の傾斜)によって抑圧されたときの変形様態であるといういうことである。言い換えると、自我一般はあくまで、傾斜した陽に存するのであり、動物欲望・感情=アストラル体は、自我に抑圧された太陰の変形様態に存するということである。
 以上で、いちおう、整合的な説明はできたことになる。まぁ、作業仮説的であるが。
 そのように仮説して、太陰が新たに目覚めるとはどういうことかと言えば、それは、純粋な植物的生命、宇宙・自然的植物的生命が意識において目覚めるということである。
 簡単に言えば、純粋な陰陽共振・気エネルギーの覚醒である。
 それは、植物生命的な霊性の覚醒ということになるだろう。もし、気の意識を霊性と言えるならばである。
 それは、D.H.ロレンス風に言えば、コスモス的霊性の覚醒と言えよう。シュタイナー的には、エーテル体的宇宙精神の覚醒である。
 思うに、ロシア正教、ロシア文化はそのような要素を強くもっていよう。だから、ポスト旧約聖書文明=ポスト近代文明はロシア文明の時代なのである。

2013年09月13日 (01:21)

私の隠遁癖は、ウラル・アルタイル民族森林文化に拠るのか?

私の隠遁癖は、ウラル・アルタイル民族森林文化に拠るのか?

テーマ:二つの日本民族:母権と父権:日本古代史

私は、隠遁癖があり、できれば、人に会わずに、自然と接して生きて行きたい。今夏は海や川に接した。今は、近場の森へ避難するのである。森はサンクチュアリ、アジールである。
 D.H.ロレンス文学でも森はそうである。
どうも、この森林隠遁癖は、ケルト民族と通じるように思われる。そして、かつて、調べたが、ケルト民族とアジア民族は通じているのである。飯山一郎氏の説くツングース民族であるが、ケルト民族と関係しそうである。
 これは、母権民族である。それも、縄文的母権民族に通じると思う。
 かつて、私は19世紀ロシア文学が好き(かつての日本人はそうだった)で、ロシア語をかじったが、難しくて挫折した。
 10代はツルゲーネフ、ドストエフスキーにはまったが、その後、トルストイ、ゴーゴリ、レールモントフ、プーシキンにはまった。
 文体が女性・母権的、つまり、優しいし、メロディアスなのである。
 また、ロシアの神秘文化は太陰イデア論に通じるものがある。
そう、大地とキリスト教との融合としてのギリシア正教、ロシア正教は、思うに、ケルト的キリスト教に近いだろう。つまり、自然とキリスト教(新約聖書のキリスト教)の結合文化である。
 私見では、近代日本の大失敗の元凶、諸悪の根源は、本居宣長に発する国学=新父権主義で、それによって、精神が、いわば、旧約聖書化して、自民族中心主 義になり、そのイデオロギーの下で、権力者は、戦争を起こし、また、敗戦後は、米国に拠る植民地化を受け入れたと考えられるのである。
 本来の、以上のような日本母権主義が忘却・喪失されているのである。つまり、日本人は己の魂をなくした亡魂の民であるということである。無魂の日本人はゾンビである。ゾンビ日本人である。

追記:痾屁゛葬痢は、日本ゾンビ族の首長である。
◆ 2013/09/12(木)  ロシア人と日本人の先祖は同じ…鴨
「プーチンとオバマは、対ユダヤ軍産複合体戦線で戦う同志である、という飯山一郎翁の見立てが当たったのか?」
と、ネットゲリラが(半信半疑でww)鷲をホメてくれている。 (記事)
ネットゲリラにホメられると、鷲は嬉しい!
ぎのご姐さんにホメられたばやいは、あんまり嬉しくない…。
その直後、ハシゴはずされるだけでなく、落とされるからなww
ところで…、
日本の情報は、(隠蔽&洗脳体質の) 日本のメディアよりも『ロシアの声 』を読め!というのが、今、ネット人のトレンドなんだが、鷲の場合は、
『ロシアの声(日本語版)』は、プーチンの日本向けのメッセージだと思っている。
それにしても下の記事には、鷲、ビックリおどろき、驚愕した!
ロシアのウラル・アルタイ地方は日本語のふるさとであり、日本人の先祖であるツングース族(ツラン民族)のふるさとでもあるが、そこで「20年外界との接触を持たなかった青年を発見!」というのは、驚愕の情報だ。
アルタイ地方の冬の極寒は半端ではない!
そこの森林の地面に掘られた穴で20年以上も暮らしてきた青年の生活は、現代人には到底不可能である!
しかし、青年の生活は、じつは、われわれ日本人の先祖の生活様式なのだ。
で、そのうちイノシシを飼いならしてブタにして、ブタを飼いながら東へ東へと移動をはじめたのがツングース民族なのだ。われわれ日本人のご先祖の…。
今回たまたま発見されたのは、青年ひとりだけだが…、外界と接触せず森林のなかでの穴ぐら生活をしている人種が、アルタイやシベリアのタイガ(深い森) には何万人もいるという。 (アナスタシアもその一人…。)
そのタイガに住む人々の生活は、原始的で貧しいものでは決してなく、知的・精神的に非常に豊かである! というメッセージをプーチンは『ロシアの声』を通じて世界に向けて発信している、と。
プーチンが熊に乗って、タイガの川の浅瀬を突進している合成写真 があったが、これはタイガに生きる人々の暮らしの一場面ということ…、分かるかなぁ? ま、おいおい説明していきたい…。

(2013/09/11 【ロシアの声】)
アルタイ地方:20年外界との接触を持たなかった青年を発見

© пресс-служба администрации Алтайского края
西シベリア、アルタイ地方のリゾート地ベロクリフ近くの森林で、生まれてから外界と接触したことのない青年が発見された。
発見された青年は名前は明かされていないが、1993年にアルタイ共和国のある村で助産婦の介助なしで生まれた。教育は一切受けておらず、森の外の世界ともまったく接触を持たなかった。
青年の両親も社会との接触をたち、1997年から息子とともに森林の地面に掘られた穴で暮らしてきたが、2013年春より息子を一人置いて、穴を出てしまっている。
タス通信   (記事)
飯山一郎のHP

ロシア文学 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロシア文学 - キャッシュ - 類似ページ
19世紀はロシア文学、とりわけ小説の黄金時代となり、フョードル・ドストエフスキー、
ニコライ・ゴーゴリ、イワン・ゴンチャロフ、ニコライ・レスコフ、ミハイル・サルトィコフ=
シチェドリン、レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフら無数の才能が出現し、全世界の
文学に ...

ロシア宇宙主義 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ロシア宇宙主義 - キャッシュ - 類似ページ
ロシア宇宙主義(英: Russian cosmism)とは、20世紀初頭のロシアで発生した宇宙を
中心とした哲学的・文化的運動である。ロシア宇宙論とも呼ばれるが、いわゆる宇宙論と
は直接の関係はない。ロシアではロシアとは冠せず、Космизм(宇宙主義)と呼ばれて ...





気の生命哲学科学:乳酸菌、光合成細菌、又、免疫力とは何ぞ哉

テーマ:放射能大洪水飯山一郎新方舟:乳酸菌日光浴

今は、直観のみを記す。
 太陰生命論(また、新語である)に拠ると、生命とは、陽から太陰へと螺旋回帰するときに発生すると考えられる。
 そう、陽自体は太陽(お天道様)であり、原生命だと思う。それが、螺旋回帰すると生命体が現象するように思えるのである。
 思うに、陽から物質体、生命物質体が形成される。しかし、これは、気エネルギーがないと死ぬのであり、死体(植物等を含めて)となるのである。
 思うに、気は陰陽共振調和波動をもっていると考えられる。しかし、生命体には、異物が生成されたり、侵入する。
 これは、気の調和波動を破壊するものと思われる。
この反生命的「分子」、反気的物質体に対抗するのが、免疫システムと思われる。
 つまり、反調和波動の(生命)物質体に対して、なんらかの攻撃をするのである。
 それは、広義では、生命再生化、復活化ではないだろうか。
 そう、異物を排除するというのがいちばん手っ取り早いのではないだろうか。
 とまれ、異物の無化が免疫システムにはあるだろう。
 それは多様な方法、様態をとるように思えるのである。
 排除、食、破壊、等々である。
 乳酸菌、光合成細菌免疫システムは、気の生命再生・復活システムと考えられる。
 そう、太陰生命論から言えば、陽と生命物質体の境界に存するシステムと思われる。生命と死との中間領域に存するシステムであり、常に、死から生命への反転を志向する生命力学システムと思われる。
 比喩的に言えば、生命体自己防衛組織である。生命自衛組織である。
 とまれ、気活(これも新語)することで、免疫システム=生命自衛組織は活発化するだろう。
 日光浴は気活である。しかし、乳酸菌を直に摂取するというのは、気活の形而下的活動になるだろう。
 飯山一郎氏の乳酸菌サバイバル運動はこれであり、日光浴提唱は気活主義と言えよう。





シリア問題に関する暗黒夜考氏の考えは、飯山一郎氏や新ベンチャー革命氏と同一である:三位一体である

テーマ:自然主人類従の新文明:ポスト旧約聖書文明

私は、シリアに対するアメリカの態度に関して、予測不可能、保留という態度を取っていた。
 もっとも、オバマが反戦争・平和路線であるということは認識していた。
 私の洞察の弱点は、地上戦と空爆との違いを認識していなかったことにあるだろう。
 それがわかれば、オバマの対シリア戦略・戦術がわかったであろう。後一歩で読み切れなかったのである。
 オバマの役者振りは、小泉元首相どころではない。後者はすぐバレたからである。天才的な政治家である。

「シリア情勢」考 ~シリアのロシア・化学兵器国際管理提案受け入れとオバマの真意~
小生のシリア情勢の見方は、オバマが実はロシア・プーチンと「米国戦争屋」という”共通の敵”打倒という点で水面下で手を握っており、オバマは自らピエロを演じながら、実はシリア侵略を阻止せんとしているというものである。
即ち、「米政府(米銀行屋)&ロシア政府」VS「米戦争屋」という図式であり、オバマは苦境に立たされる役どころを演じながら、プーチンと結託して、着実にシリア侵攻の芽を摘んでいっているということである。
以下のロイター記事にあるように、つい先程、シリアがロシアによる化学兵器の国際管理提案を受け入れる姿勢を明らかにしたことが報じられているが、これでまた「米戦争屋」はシリア侵攻の口実を失ったと言ってよいであろう。
さらに以下2点目のイランラジオ記事にあるように、オバマの後ろ盾たる「米銀行屋」と”お友達”の中国が間髪を入れずこれを支持する姿勢を示しているように、オバマら「米銀行屋」の思惑通りに事が運んでいるというのが個人的見解である。
暗黒夜考~崩壊しつつある日本を考える~
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Tue, September 10, 2013
久しぶりに森の気に浸ったが、やはり、元気が出る:自然は気的現象体である

テーマ:健康&治癒:森気浴:医食同源:小食菜食

デスクワークが続き、森へ行かなかった。
 今日は森へ行き、森の気に浸った。やはり、自然界には、気があるのである。
 ところで、

気=陰陽球=光の種子=生命種子=生命ミクロコスモス

と思えている。
 この表面ないし外部が生命物質体、現象体であり、これを物質科学はみているのであるが、裏面、内部を無視していると考えられるのである。
 今月は余裕がないので、残念ながら検討できない。

 ところで、自我、つまり、父権自我であるが、それは、ヤハウェ形成の力学と関係していると思う。唯一神的自我ということである。
 問題はそれと自己同一性との関係である。これまではほぼ同一と見ていたのであるが、違うのである。
 父権自我は自我同一性をもつだろうし、それは多重人格的になるように思える。
 しかし、自己同一性は、他者が前提にあると思われるのである。
 
 父権自我に関して、日本父権自我は、父権自我の堕落した形態ではないだろうか。権力に媚びるが、権力のないものには威張るのである。 堕落父権である。





光の種子と陰陽球:後で比較検討したい

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
note9:射影/平面像への拡張と点への収縮/光の種子
<ジョージ・アダムス 『エーテル空間』からの引用>

 空間のなかに点と平面を対置することによって、近代幾何学の本来的な起源であるも
のの見方が純粋思考のなかに生まれます。それは空間世界を透視図法(遠近法)をとお
してみる見方、いわゆる“射影projection”にかかわる見方です。
(“射影幾何学projective Geometorie”という名称はこのことに由来しています)。私た
ちは実際、自身のエーテル体とともに光に満ちた世界のなかで生活しています。かつて
ルドルフ・シュタイナーが語ったように、私たちは光のなかをエーテル的に泳いでいま
す。しかし、それにもかかわらず私たちは ー 多くの誤りを含んでいる ー通常の光
学が説明しているように、物質的器官の助けのもとに上述の“収斂”を生じさせることに
よって、この光の世界を物質的意識へ、物質的ー地上的な生活の覚めた自己意識へと運
び込んでいるだけなのです。私たちは“拡張(周縁への拡がり)と収縮(点への収斂)”
のなかで、陽光に満ちた空間世界を体験しています。(P.25-26)
 たとえば、ある平面上に点や直線などで幾何学図形を描き、それに対して空間上にひ
とつの点、眼点を置きましょう。この点は一粒の種子のように、平面上に拡がりとして、
像として現れるすべての形態を、錐体(角錐や円錐など)として取り込みます。平面図
形のなかの直線は眼点のなかでは平面となり(…)、平面図形のなかの点は射線すなわ
ち眼点の直線となります。つまり平面上に図形を描いている直線と点は、眼点のなかで
はそれぞれ平面と直線として受け取られます。この平面と直線は目で見ることはできま
せん。平面図形は眼点のなかで内包的なものになったのです。まさにそれは光の種子に
なったのです。空間を形成しているのは“光”であることを認識さえすれば、これは容易
に感じ取れるはずです。形態を内包的に含むこの点の前に新たな平面を差し挟めば、そ
こにはもうひとつの図形が、つまりもとの図形に即してメタモルフォーゼした新たな図
形が映し出されます。
(P.26-27)


◎空間のなかに点と平面を対置し、透視図法(遠近法)をとおしてみることで、
「射影projection」の見方が生まれる。(射影幾何学projective Geometorieはこの射影の見方から生まれた)
◎遠近法は視点の前に置いた「投影面」に、それを通過する光を写し取ることであり、
透視図法というのは、そのように目に映る像を平面に映すための技法。
一点透視図法、二点透視図法、三点透視図法などがあるが、
ここでは点と平面との対置ということなので、一点透視図法をイメージする必要がある。
そして、射影というのは、物体に光を当ててその影を映すこと。
◎平面上に幾何学図形(平面図形)を描き、空間上にひとつの点(眼点)を置いて、それを見る。
◎すると、その眼点のなかでは、幾何学図形のなかの点は、その点と眼点との間を結ぶ直線となり、
幾何学図形の直線は、その直線と眼点との間を結ぶ平面となる。
しかし、それらの直線や平面そのものを目で見ることはできない。
◎その直線や平面の外延的なものは、眼点のなかで「内包的なもの」、
つまり「光の種子」になったということができる。
◎この「光の種子」という表現からイメージされるものが重要であると思われる。
種子からは、芽が出、葉が育ち、実り・・・という成長のプロセスが展開してくる。
◎さて、眼点と平面図形がつくりだす形は、、錐体(角錐や円錐など)の形になるが、
そのあいだに別の新たな平面を差し挟むと、そこには平面図形がさまざまに「メタモルフォーゼした新たな図形」が映し出される。
◎私たちは、実際には「平面」であるエーテル体を持ち、
「光に満ちた世界のなかで生活」しているにも関わらず、
この光の世界を物質的な「点」へと「収斂」させ、物質的・地上的な自己意識のなかで生活している。
◎そのように、私たちは「拡張(周縁への拡がり)」と「収縮(点への収斂)」のなかで、
「陽光に満ちた空間世界を体験」している。
◎この「拡張」と「収縮」という対極性は、非常に重要な概念である。
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了
シュタイナー研究室に戻る - Bekkoame
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html






太陰イデア論と普遍エネルギー:陰陽球と磁場/重力場と単極磁石

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

以下のKeshe氏 の普遍エネルギーと太陰イデア論(太陰人体学)の「気」の考え方はなにか類似を感じる。
 また、佐野千遙博士の単極磁石根源エネルギー論も関係するように思う。
 結局、太陰イデア論(太陰宇宙論、太陰コスモス論)からみると、太陰と磁気をどう考えるかということになるだろう。
 私は太陰エネルギーないし陰陽球エネルギーと磁気を一致させていない。しかし、近いことは近いと思う。
 私の太陰原理は、基本的には形而上学原理であり、純粋な物質原理ではないのである。
 余裕のあるとき、検討したい。

2013/09/09 : 霊性の時代 : Keshe氏 「宇宙の磁場で作動する電灯…このシステムには電池がない」動画(13)  ほんとうがいちばん H.25/09/08

私たちは天地創造について話していた...人々が重力場と磁場の概念を理解すれば、人々は私たちが人間として、互いにどれくらい密接に関係があるか、また、生存の為でさえ、いかにお互いを支えとして生きているかを理解するようになるでしょう。

あなたが呼吸するもの、私が呼吸する。私が息を吐くもの、あなたは中へ呼吸する。私のエネルギーの一部をとる、私の細胞の一部をとる、私から取り除かれた磁場、エネルギーの一部をとる。そのように、ある意味では、人間として、私たちはみな生存するためにお互いを必要とする。

Keshe財団では、宇宙においてはこのエネルギーを収穫するので、いかなる食糧も必要としない、という話をしている。私たちがこれを提案した時、それは狂気の沙汰だと言われた。
http://iiyama16.blog.fc2.com/blog-entry-6395.html
『文殊菩薩(ブログ版)』


永久磁力永久機関モーターの実現を!そして放射線除去へ!
世界を変える!佐野千遥博士の永久磁石永久機関モーターを完成させよう!
http://ameblo.jp/pmmipm/

参考:
心の光と自我 (09/05)
http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2003.html
太陰イデア論 or 太陰プラトニズム(旧不連続的差異論・旧PS理論・旧不連続陰陽イデア論)のページ

参照:
●『エーテル空間』ノートpdf (全データ)
●『エーテル空間』ノート (2013.1.16) *終了
シュタイナー研究室に戻る - Bekkoame
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/Steiner.html


2013年09月05日 (21:52)

心の光と自我

心の光と自我

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

エゴイストは心の光のない人である。
 心の光とは、陰陽球の陽であろう。
とまれ、心は陰陽球にならないといけないが、自我のために、抑圧されているのである。自我は心を抑圧するのである。
 逆に言うと、自我は心の光を恐れるのである。そのため、心の光に暴力的な態度をとるのである。
 これが、社会問題の根本的力学だと思う。
 資本主義は自我中心主義であり、心の光を抑圧するのである。そのため、暴力社会となるのである。
 ところで、日光であるが、それは、陰陽球であると言ったが、外部は光子であり、内部が陰陽共鳴である。
 心の光は太陽光線に、自身と同じ、心の光を見いだすように思われる。
 私が以前、超越光と呼んだものは、この心の光(心光)だと思う。
 そう、宗教上の光もこの心の光のことを指すように思われる。
 これは、太陰と陽の調和バランスを意味するのである。
 問題は自我である。私が批判するのは父権自我であり、それが、心の光を抑圧するのである。
 もう一つ、母権自我がある。それは、心の光を肯定した自我である。主になるのは、心の光であり、自我は二義的である。
 父権自我は自我中心、自我主体であるために、心の光の
差異を肯定できないのである。
 自我の同一性を心の光に押しつけてしまい、心の光を自我化してしまうのである。
 現代の日本人の大半がこのタイプに陥っていると考えられる。
 太陰人体論から言うと、肚にベースを置くことで、心の光と自我のバランスがとれるようになると考えられる。
 光の知覚から言うと、自我は外部の光、物質的光のみを感知し、陰陽の光、つまり、エーテル(生命)の光を感知しないと考えられる。
 日本人が自然から切り離されているのは、この陰陽光、生命光(エーテル光)を感知できなくなっているからである。
 物質主義の都市文明に慣れて、心の光をもつ自然文化を喪失しているのである。
 そう、物質的自然以外に、根本に、心的自然があるのである。これこそ、生命的自然である。
 今日の科学は物質的自然科学であり、生命的自然科学がないのである。
 太陰人体論のこれまでの探究から、陰陽球が光の球であり、この外在性の物質しか、光子しか、これまでの科学は見ていないということになるのである。陰陽球の陰陽という気、エーテルを見ていないのである。
 後で、シュタイナーの説くアストラル体(欲望、感情)について、太陰人体論から検討したい。

参考:陰陽球については以下を見られたい。

* 陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面) (08/25)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2002.html

* 陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう (08/21)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2001.html

* 生命エネルギーと生命情報の二元論の解消:太陰=デュナミス的イデアと陽=エネルゲイア的イデア (08/17)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1999.html

* 気と光(陽光)と生命体と物質:陽=日光=生命と四元数時空四次元とトーラス (08/13)

http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-1998.html

2013年08月25日 (17:02)

陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)

陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

陰陽球について:球面をどう見るか:半透膜としての球面:陽且つ光子としての日光
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11599003256.html

以上の追記を独立させる。
追記:
球面を半透膜とすると述べたが、半透膜にする必要がないかもしれない。
結局、陰陽球の内部を気そのもの、球面外部を日光としたらどうだろうか。
生命体は、この陰陽球=日光を受容するので、実際は日光と同時に、陰陽球の気を受容しているということになるのではないだろうか。
明確にするため、陰陽球の内部を気=生命情報エネルギー(生命イデア・エネルゲイア)、球面外部を光子(電磁波)とし、併せて、日光としよう。即ち、

陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)

である。
そして、今日の自然科学は陰陽球の球面表面の光子のみを捉えているに過ぎないということになる。





陰陽球について:球面をどう見るか:半透膜としての球面:陽且つ光子としての日光

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

陰陽球について:球面をどう見るか:半透膜としての球面:陽且つ光子としての日光

今日は余裕がないので、一言。 
直近において、陰陽球の内部を陰陽界、そして、球面を光子と見た。
なにか疑問がある。
それ以前では、球面は陽=日光=生命=1であった。
今の直観では、陰陽球自体は球面を含めて、内在超越界である。
そこから、現象界が出現するのである。
現象界は内在超越界とは不連続である。

あらたな発想を得たので、それを記す。
球面を一種半透膜とするのである。球面裏面は陽であり、陽が球面半透膜を越えて出てくると、日光になるのである。だから、日光は陽の要素をもつと同時に、物質現象的に光子(電磁波)なのである。
つまり、日光は陽且つ光子なのである。ただし、純粋な陽ではなく、半透膜を越えた陽である。だから、準陽としよう。準陽と光子の混合体である。
とまれ、陽であり、光子であるという、一種の即非体である。
このメカニズムを明らかにする必要がある。
これは後で考察検討したい。



追記:

球面を半透膜とすると述べたが、半透膜にする必要がないかもしれない。

結局、陰陽球の内部を気そのもの、球面外部を日光としたらどうだろうか。

生命体は、この陰陽球=日光を受容するので、実際は日光と同時に、陰陽球の気を受容しているということになるのではないだろうか。

明確にするため、陰陽球の内部を気=生命情報エネルギー(生命イデア・エネルゲイア)、球面外部を光子(電磁波)とし、併せて、日光としよう。即ち、



陰陽球=日光=気(陰陽球内部)+光子(陰陽球球面・表面)



である。

そして、今日の自然科学は陰陽球の球面表面の光子のみを捉えているに過ぎないということになる。





気的物質身体の構成について:日光の二重性:内在超越原理としての陽=生命と球面の光子

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

気的物質身体の構成について:日光の二重性:内在超越原理としての陽=生命と球面の光子

気と生命物質体の関係力学に関して、決定打が出ない。
あと一歩のところではあるが。
佐野千遥氏の唱える単極磁石をベースにして、それと太陰を結びつける考え方がありうるが、今はそれをとらない。
 私の直観は、陰陽球の内部がデュナミスの気であり、球面がエネルゲイアの気である。
 そして、球面は電磁波である。物質である。しかし、あくまで、球は陰陽球であり、内在超越原理である。わかりやすく言えば、陰陽球が球面において光子になっているということである。
 これが端的に、陽=日光=生命=1⇒光子である。つまり、日光は内在超越的には、陽=生命=気であるということであり、感覚的には光、物質的には光子ということになる。
 通常に目にする日光は感覚物質的には光子であるが、内在超越的には、陽=生命であるということである。日光はだから、両面的なのである。内在超越的には生命=陽であるが、球面外在的には光子という物質なのである。
 単なる物質光と日光の違いは、内在超越性の陰陽性があるか否かにある。
とまれ、陽=生命を失った光は単に物質となるのではないだろうか。
以上ざっとであるが、陽=生命=日光の両面性を提示して、気と物質の違いを構成的に説明してみた。
 後でさらに検討したい。




気とは生命体の全体力ではないか:生命体を統括する気と生命体の末端である物質

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

気とは生命体の全体力ではないか:生命体を統括する気と生命体の末端である物質

気とは総合的な生命情報エネルギー体ではないのか。
身体の全体を通貫している内在超越原理ではないのか。
物質科学は部分を独立させる。
しかしながら、実際、生命体全体を統括的気が通貫しているのではないだろうか。
これは、中国医学、東洋医学の考え方である。
ならば、陽=日光=生命=1には統括・包摂的生命情報エネルギーがあると考えられよう。
仙人は、これと共振・共鳴しているのではないのか。
とまれ、この総括的気=生命イデアは物質現象として発現する。しかし、唯物科学は、単に物質現象を捉えているだけで、根本の統合的気=生命イデアをまったく無視していると考えられる。
 気=生命イデアから見ると、物質とは生命体の部分的末端・末梢に過ぎず、いわば、生命体の材料に過ぎないだろう。
 物質科学から生命を見るのは、いわば、本末転倒と言えよう。物質科学は生命の科学ではなく、死の科学である。
 気=生命イデア科学が必要である。






2013年08月21日 (20:10)

陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう

陽と日光と電磁波:日光の物質現象界への刻印を電磁波として観測するのだろう

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)


日光が電磁波として検出されるということはどういうことなのか。端的に、日光が物質体ももつということだろう。つまり、陽=日光=生命=気であるが、それが、物質体をもつということになる。

 これは陰陽球で考えるとどういうことだろうか。結局、球面をどう捉えるかということになろう。

 これまでの考え方からは、球面は陽である。そして、陽=日光=生命(=1)としたのである。 

 問題は、陽=日光である。どうも、陽・即非・日光としたい気がある。

 つまり、陽はやはり、形而上原理、イデア原理であり、直接現象ではないのではないのかという思いがあるのである。

 でも、そうすると、陽≠日光である。あるいは、陽⇒日光である。

 しかし、これではそれまでの考えと同じである。

 結局、陽・即非・日光がいいようである。しかし、である。

 やはり、陽=日光ではないか。問題は観測である。

いったい現象界、物質界はどこに存するのか。おそらく、陰 陽球の外部である。

 この外部を日光が伝わるときに、電磁波として観測されるということではないだろうか。つまり、陰陽球の外部である物質現象界を日光が伝搬するときに、電磁波として、観測されるということではないのか。日光は日光であり、陽であり、電磁波そのものではないと考えらえる。思うに、言わば、日光の物質界への刻印が電磁波ということではないのか。

 とまれ、そうならば、陽=日光=生命=1は物質現象三次元空間を貫く形而上原理ということになる。D. H. ロレンスがいうdark sunとは、陰陽球における太陰のことではないだろうか。一般に、人間は日光=陽を見るが、陰陽球の外面だけを見ているのであり、内部・内面を見ていないのである。そして、自然科学、物理学は日光の物質現象界の刻印としての電磁波しか捉えていないと考えられるのである。

 以上で、陽 =日光=生命の等式が確認された。

2013年08月21日 (18:03)

急速・急激にゾロアスター教的状況化する現代日本社会:顕著な善悪二元論化:独善的父権自我化:全体主義への道:悪魔アーリマンの憑依と悪の善化を目指す日本マニ教

急速・急激にゾロアスター教的状況化する現代日本社会:顕著な善悪二元論化:独善的父権自我化:全体主義への道:悪魔アーリマンの憑依と悪の善化を目指す日本マニ教

半年ぶりの帰省だが、もっとも、川や海に行ったのは、昨夏ぶりであるが、ゴミが一年前に比べて、急増した感じだ。空き缶、ビニール袋、等。人心が急に悪化したようだ。
  また、非を咎め、排除・排斥しようと攻撃的な人が多くなった。人心から寛容性が急速に失われていると診断できる。他者を排除する自我同一性主義の善悪二元 論の力学が強化されていると言える。これは、全体主義状況である。社会閉塞状況である。オーウェルの『1984年』状況である。
  この父権自我化であるが、史的に見ると、狭く見ると、1976年の自我悪魔化の帰結であるが、広く見ると、明治父権自我化の帰結であるが、明治父権自我化 とは、父権自我主義である国学イデオロギーに拠ると考えられる。これは、日本父権民族の自民族中心主義イデオロギーでもある。ヤハウェ父権自我悪魔化とい うことになるが、これは、古代、日本に渡来したユダヤ民族の宗教観念の帰結ということになるのだろう。慎重に言えば、江戸時代において、母権と父権の結合 体であった日本民族が、分裂し出し、新父権主義化と新母権主義化の二つの志向性が生じたのではないかと推測できる(参考:ベースの母権民族と渡来遊牧父権民族の結合としての日本複合民族 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11596330553.html)。そして、明治維新は前者が後者に勝 利したものであり、萌芽した新母権主義【日本ルネサンスの芽と言えよう】が抑圧排除隠蔽されたと考えられる。第二次大戦は新父権主義に拠るもので、多くの 新母権主義の人間が戦死した。敗戦後、GHQによってまた、新父権主義が強化されるが、民主化によって、新母権主義が自生的に再興する。つまり、敗戦後、 1976年まで、約30年間、新父権主義と新母権主義の拮抗が続いたのであるが、その後、国際戦争金融資本によるヤハウェ父権自我悪魔主義によって、無自 覚的な新母権主義が抑圧されて、新父権主義が増強し、ここ一二年の間で、ヤハウェ父権自我悪魔主義が支配したように考えられる。どうも、アーリマンという 悪霊が憑依するように思えるのである。全体的に、社会一般的に憑依されているので、日本人は憑依されているのに気づかないようである。
 とまれ、いよいよ、日本黙示録的状況になったと言える。当ブログの旧名は、Japonesian Trans-Apocalypse、つまり、「ヤポネシア黙示録を越えて(脱日本黙示録)」であったが、今や、Japonesian Apocalypse(日本黙示録)である。
 簡単に言えば、支配層や大都会層(とりわけ、東京層)は悪魔、民衆層、地方層は天使と見るべきである。
 もっとも、悪魔を善化させるのが、日本マニ教徒の義務・責務であるが。





言語精神文化の誕生:言語と精神(感性、気、魂、霊)の相互形成

近代主義は、カント哲学が明らかにしたように、超越論的外在主義である。自然科学に見られるように、物質中心主義であるが、物質主義は超越論性という主観性に拠っているのである。
 この超越論性は、同一性主義ないし自我同一性主義であり、差異、他者を排除するのである。もっとも、カント哲学は、それを越えて、理性、アンチノミーを問題にしているが。
 結局、メインストリームの近代主義では、物質主義を越えられないと言えよう。結局、精神性を培うには、精神言語文化が必要なのである。精神を説く言語文化によって、読者は精神文化の確認ができるのである。精神文化の学習をするのである。
  今日、言語文化が貧困である。それは、近代科学主義が主流であるからである。精神文化を取り戻すには、言語精神文化が必要である。ルドルフ・シュタイナー の霊学はそのようなものであるし、反近代的言語文化もそうである。言語精神文化の観点から、文学、哲学を含む人文科学、歴史、政治経済を含む社会科学を捉 えなおす必要がある。





気身体力学について:生=気的反エントロピーと死=物質体的エントロピー

陽=生命=気を物質から区別するため、生命イデアないし気イデアという用語を使用する。(生命霊、気霊でもいいが。)
 生命イデアは生命現象を生み出す。生命現象は生成と同時に排出を意味しよう。
生成は反(逆、負)エントロピーであり、排出はエントロピーを意味しよう。
 前者は生命イデア的生命体を意味し、後者は脱生命体、脱生命イデア的物質体を意味しよう。前者は、イデア・エネルゲイアで、生命の更新であり、後者は、イデア・エンテレケイア、廃物、死である。肉体と排泄物と言ってもいい。もっと簡単に、生命と物質である。
 今日の自然科学は後者を対象にしたものであり、前者そのものを見ていない。死体・死物・廃物科学である。生命体科学がないのである。(飯山一郎氏の乳酸菌免疫論、太陽肉体 健康論は生命体科学に属すると言えよう。)
 とまれ、太陰イデア論では、生命体科学は、太陰イデアによる陽=生命による生命現象を対象にすると言えよう。陽=生命は太陰に賦活されているのであり、太陰への螺旋的回帰が生命力学の本質と思える。
 これは、逆エントロピーである。熱力学第二法則に反するものである。そう、生命の本質は反物質体である。(今、ダーク・マターを想起した。)
 とまれ、生成と排出の二元論的力学を考えたい。
 ここでは、数学的にベクトルを考えるといいのではないだろうか。即ち、

         生命生成(生命物質体)・・・逆エントロピー
               ↗                         
生命イデア⇒生命生成・廃物⇒
               ↘
         廃物(死物的物質体)・・・エントロピー

である。
 結局、生命体科学と死物科学の二種類の科学が考えられるが、今日の科学は当然、後者である。前者はメタ・サイエンス、トランス・サイエンス等と呼ばなくてはならないだろう。
 とまれ、生命イデア・エネルギーが抜けるとき、生命体は廃物を生み出すであろう。そう、老廃物である。
 この点については、後でさらに検討したい。

参考:
ネゲントロピー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/ネゲントロピー‎
ネゲントロピー (negentropy) は、生命などの系が、エントロピーの増大の法則に逆らうように、エントロピーの低い状態が保たれて ... もし生命が系として孤立しているとすると、エントロピーは限りなく増大し(たとえば老化現象)、反対にエントロピーが下がること、 ...
高嶋康豪博士への理論的援護射撃と正統派現代物理学に対する鉄槌 ...
ameblo.jp/allahakbar231/entry-11545859129.html‎
2013/06/06 - フリーエージェント世界革命を提唱するフリーエージェント大学ロシアの有名人・ドクター佐野千遥教授-Ameba ロシアの ... 現代物理学に対する一貫した体系的物理学的批判を完了しており、新しい反エントロピー物理学の提起も完了している。





検討課題:1.気的心身体、2.意識と気と身体

テーマ:太陰イデア論:哲学的超科学理論(仮説)

今日は疲れているので一言。

1)気の領域であるが、それは心であり、また、感覚身体である。
いわば、心身体としての気である。心と身体の境界領域である。
 
2)意識力学の問題がある。
自己意識がある。それは、寒い、暑い、痛い、痒い等々の身体感覚と結びついている。
つまり、意識と感覚はつながっている。唯物科学では、神経がつないでいると見るのである。
 しかし、心的現象から見ると、それをつないでいるのは何かと考えるのである。そう、心的力学の問題である。
 それは気であると仮説しよう。意識と感覚をつないでいるのは気であるとするのである。
 だから、気識という言葉を作るといいかもしれない。そうすると、
意識―気識―感覚という図式ができる。
 そして、気識は、単に体内だけでなく、体外にもつながっていると考えられる。気識は自然、宇宙と通じていると考えられる。
 しかしながら、近代合理主義・近代的自己は、気識を排除しているのである。
 思うに、気識はコスモスの感性である。秩序的感性である。陰陽バランスをもつ感性と思われる。また、健康に関わる感性と思われる。また、美的、芸術的感性と思われる。また、倫理・道徳の源泉と思われる。また、神秘性、霊性、ロマン主義の源泉もここにあると思われる。
 太陰イデア論では、気識のベースは肚に見ているのである。一般には、気識は、せいぜい、胸の心に留まるだろうが、太陰イデア論では、肚が気識の基盤である。
 問題は、気識と身体の関係である。多くの病気は気識の抑圧、排除、隠蔽に関係しているように思われる。
 医療的には、気識と身体の物質的構成の科学が必要である
 これまでの考え方では、気的有機体としての肉体科学が必要である。
 今はここで留める。

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