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2013年10月29日 (18:03)

太玄霊氣知行学(太元氣原理仮説)の簡単な図式:民族存亡の放射能地獄の黙示録

記号は文字化けするので、以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=348

太玄霊氣知行学(太元氣原理仮説)の簡単な図式:民族存亡の放射能地獄の黙示録

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

先に以下のように書いた。

 Ⅰ:∞:太玄霊(太元氣):メビウス太水:ウロボロス

⇒Ⅱ:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒Ⅲ:♁生命物質体

となる。(追記:Ⅲの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。


太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):Ver2 (10/25)
http://sophiology.jugem.jp/?eid=343


この図式を修正して、


 Ⅰ:∞:陰陽未分化:メビウス太水:ウロボロス

⇒Ⅱ:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒Ⅲ:♁(氣的生命有機体:生命物質体)

⇒Ⅳ:⊖(陰陽二元論):自我ー純物質体(唯物論世界)
とする。Ⅳの⊖は心身ないし主客二元論の記号である。
 近代世界は当然、Ⅳの世界であり、今や、それを越えて、Ⅱの主導によって、ⅠとⅢの新しい世界を創造する時点になったと考えられる。

 現代日本は、Ⅳにどっぷり染まってしまい、ほぼ亡国となり、今や、民族存亡の放射能地獄の黙示録である。
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2013年10月29日 (17:23)

前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)

文字化けする恐れがあるので、そのときは、以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11657621030.html

前期PS理論とオイラーの等式の統合の再考:+1が生命物質体、−1が純物質:氣と同一性自己(自我)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

ふと思いついたので、書いておきたい。
 前期PS理論に自己認識方程式凸i*凹i⇒+1において、オイラーの等式を導入したが、その実数、つまり、+1と-1の解明に、膨大な努力を費やしたが、結局、混迷混乱の内に終り、前期PS理論は崩壊して、『海舌』氏はいわば後期PS理論(四元数をもちいたPS理論)へ移行し、私は脱数学主導の理論の探求に赴いたわけである。
 端的に、+1と-1の解釈に混乱を極めたと言っていい。私は『海舌』氏の説明は完全には納得していなかった。つまり、-1を超越的存在と考える仮説である。何故なら、-1は実数であり、これは、現象界に関係すると思われたからである。(また、先に、-1は太玄霊【太元霊:又新語】になるかと思ったが、私見では、太元霊は超越的であるから、-1に当てることはできないと思う。要検討ではあるが。)
 とまれ、自己認識方程式を氣の方程式に変換して考えよう。即ち、

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1            ・・・Ⅰ

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・Ⅱ

(尚、*を☯に入れ替えた)

ここで、不連続的差異論の視点を導入して、再度、前期PS理論に拠るオイラーの等式の現実的意味を提起したい。
 即ち、不連続的差異論は、自己の自我凸i(陽)のもつ自己同一性志向性を問題にしたのである。それは、他者である不連続的差異を否定するというものである。そして、他者=不連続的差異を凹i(陰)として、捉えて、混乱して言ったわけである。
 結局、不連続的差異としての他者(おそらく、二種類の他者ないし三種類の他者が存する。超越的根源的他者と対になる他者である。後者は内在的なものとその現前化としての外在的なものがあるだろう。)、つまり、太元霊は前期PS理論では提示できなかったと考えられる(『海舌』氏が以下の人間認識図の第3象限をそのようなディープな領域と捉えていたが、やはり、超越的な領域ではなく、単に内在的領域に過ぎないと考えられる。)
 とまれ、陰陽極性において、凸i(陽)に拠る否定を考えてみると、それは、マイナス(この場合は凹)を掛けることである。即ち、

凹凹i*凸i⇒-1       ・・・Ⅲ

となる。

 さて、次に、オイラーの等式

e^{i \pi} + 1 = 0\,

を変形して、

-1=e^iπ

にする。
 この左辺の-1を上記の氣の方程式Ⅲに当てはめる。

すると、

凹凹i*凸i⇒e^iπ     ・・・Ⅳ

又は、

凹凹i(-陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・Ⅴ

となる。
 そして、右辺e^iπを純物質と仮説するのである。そして、本来の氣の方程式ⅠないしⅡにおける+1を生命物質体と見るのである。つまり、それは、氣(陰陽共振)を内包・内在した生命物質体ということである。わかりやすく言えば、有機体的生命体である。正確に言えば、氣的有機体的生命物質体である。
 結局、整理すると、氣の方程式は二つの様態があるということになる。
 即ち、

1:

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1            ・・・Ⅰ

【又は、凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・Ⅱ】


2:

凹凹i(-陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・Ⅴ

【又は、凹凹i*凸i⇒e^iπ=-1     ・・・Ⅵ】

である。
 1と2をまとめると、

凹凹i(-陰)*凸i(陽)⇒e^iπ     ・・・Ⅴ

のⅤの式を

凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ

とし、

それに対して、

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・Ⅱ

を対とする。

ここで、今回の私の直観のミソであるが、現象化・物質化には、陽(凸i)が優位に作用しているということである。
 今、ふと浮んだことであるが、Ⅶの式は、純物質化の方程式と言ったが、それは、死の方程式ではないかということである。
 つまり、Ⅱが生命の方程式とするなら、Ⅶは真逆の死の方程式のように思えたのである。あるいは、自我の方程式かもしれない。あるいは、大脳皮質の方程式かも。また、思ったのであるが、死の方程式かもしれないが、それより、自我、自己同一性の方程式と見た方が的確かもしれない。
 今の暫定的段階において、
 
凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ

のⅦの方程式を自我方程式とする。
 そして、このⅦに氣の方程式(生命の方程式と言えよう)が対になるのである。

即ち、

⓵氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・Ⅱ


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ


となる。
 ⓵の方程式は、正に、陰陽方程式とも言えるもので、陰陽のバランスがとれて、共振調和和合するものである。
 それに対して⓶は、陽凸iが陰凹iに対して優位になるもので、陰陽共振が否定されるのである。
 ところで、純物質であるが、それは、やはり、-1が表現しているのではないだろうか。それと自己意識の陽凸iと重なるということではないだろうか。つまり、陽凸iと-1が重なった状態が自我であるということではないだろうか。つまり、陽と純物質が合一した状態ということである。
 そのように考えると、私が『海舌』氏から離脱した原因・理由がまた、彷彿としてくる。
 つまり、『海舌』氏は、あえて言えば、物質を+1と見て(実際は光と見ているが、光は物質形成するのでそう見ていいだろう。)、また、-1を超越的存在と見ていたのであるが、それは、真逆であるということである。それを私はNeo-PS理論(NPS理論) http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10050415729.htmlで述べたのである。
 思えば、このNeo-PS理論の考えは、THRIVE(映画ThriveのトーラスとPS哲科学 http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10054150901.html)で展開させたのである。
 上述から-1と自我意識を重ねると、より十全な視点が形成されると思われる。つまり、人間は一般には、-1の視点、つまり、唯物論の視点から現象を見ているということになる。
 ここで、光の問題が第一級の問題として存するのである。
 ここでも、前期PS理論は混乱していたと言える。つまり、陽凸iが光なのか、それとも、『海舌』氏が説いたように+1がそうなのかという問題でもある。
 今は作業仮説的に、暫定的に、思考実験的に述べるだけであるが、光は氣が本体である。つまり、陰陽共振が生命現象として発現する、いわば、直前に存するように思える。
 しかし、それをMP(メディア・ポイント:ガウス平面の原点)に見るのか、それとも⇒に見るのか、が問題である。
 思うに、両方でいいのではないだろうか。即ち、☯⇒(又は、以前の氣の方程式の意味で*⇒)を光の方程式と見ていいのではないだろうか。より分節化すれば、☯がデュナミス (アリストテレス哲学の用語であり、潜勢態と訳される)で、⇒がエネルゲイア (これもアリストテレス哲学の用語で、現実態と訳されるが、私は活動態と訳したい)と思われる。(因みに、同じく、アリストテレス哲学のエンテレケイアであるが、これは、実現態ないし結果態とでも訳したい。+1がそれに当たる。そう、生命物質体ということでもある。しかし、これを物質と取るのは重大な誤りと考えられる。)
 そのように考えると、自我(同一性的自己)は、現象(☯⇒+1)を、-1の視点ないし*⇒-1の視点から、言わば、正反対、裏返しに見ていることになる。そう、光☯⇒を、単に純物質-1の視点から見ていると思えるのである。(思うに、これは、陽凸iにおける同一性反射があると思えるのである。つまり、光☯⇒を自我【*⇒-1における*⇒】から視覚知覚しているということである。精緻な解明は後に行いたい。)
 言い換えると、光は本来、氣を本質とするものであるが、それを物質として錯誤しているということなのである。つまり、電磁波として、捉えているということである。(光、この場合、日光、陽光であるが、それを電磁波とするのは誤謬と考える。単に、電磁波という観測視点から日光を見ているに過ぎないのであり、それは、日光は電磁波ではない。この問題は重要なので、今は措いておく。)
 さて、議論がだいぶ複雑になってきたが、本稿の結論は上述の方程式に存する。即ち、


凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・Ⅱ


⓶自我方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ


である。 
 しかし、⓶は、自我ー純物質方程式と呼ぶ方が的確と考える。
即ち、


⓷自我ー純物質方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ


である。
 だから、整理し直すと、


➊氣の方程式(生命方程式):

凹i(陰)☯凸i(陽)⇒+1(生命物質体)   ・・・Ⅱ


➋自我ー純物質方程式(自己同一性方程式):

凸i(陽)*凹i(陰)⇒-1(=e^iπ) ・・・Ⅶ


となる。
 今はここで留める。

追記:今、ふと思ったが、氣⇒陰陽ではないだろうか。氣が先行し、それが陰陽に極性分化するということなのではないだろうか。あるいは、同時である。
 だから、陰陽極性が先にあって、氣が形成されるということではないと思う。
 しかし、氣⇒陰陽、即ち、氣が陰陽極性に先行するということならば、氣と太元霊(太玄霊)との関係が問題になる。
 しかし、氣⇒陰陽ならば、その氣は太玄霊と考えられる。
 そうならば、光の問題が出てくる。
 光とは何か。上記では、光☯⇒としたが、これは、陰陽共振が光を形成するということを意味するのである。
 整理すると、太玄霊⇒氣、氣=陰陽=☯である。
 では、氣が光なのか。そうではない。氣は不可視であるからである。氣の発現が光、日光である。
 思うに、上述では、光☯⇒であるが、これだと氣とあまり区別できていない。
 そこで、書き替えて、氣☯⇒+1における⇒と+1の接点が光とするのである。図式化が難しくなるが、とりあえず、

氣☯⇒|光|+1   ・・・Ⅷ

と図式化しておく。
 説明すれば、氣(陰陽☯)が生命物質体(+1)を成形するとき、氣が成形した+1にぶつかったときに発生するのが光ということになる。つまり、氣が生命体にぶつかったときの反射が光ということになるのである。簡単に言えば、氣の物質体による反射が光である。氣の反射としての光ということになる。
 ここで、D.H.ロレンスの『天道虫』における「黒い太陽dark sun」のことが関係するのである。そこで、登場人物のディオニスは、目に見える光とは闇(いわば、超光である)が物質に当たったときの反射であると述べているのである。
 それに今述べた視点を入れれば、ロレンスの「闇」とは氣ではないのかということになるのである。黒い太陽dark sunとは、端的に氣の太陽ということになろう。しかし、氣(陰陽☯)そのものを氣の太陽として見るのは無理があるだろう。それは、単に氣でしかないのであり、太陽ではないからである。
 だから、太玄霊までを考える必要があるだろう。そこで、

太玄霊⇒氣(陰陽☯)    ・・・Ⅸ

を考えて、この⇒と氣の接点に氣の太陽(黒い太陽dark sun)を考えたい。
 だから、Ⅸに黒い太陽を入れて、Ⅷを合わせると、

太玄霊⇒|黒い太陽|氣(陰陽☯)⇒|光|+1 ・・・Ⅹ

となる。
 接点がわかりにくいので、・を入れる。

太玄霊⇒・|黒い太陽|・氣(陰陽☯)⇒・|光|・+1   

・・・ⅩⅠ

となる。
 しかしながら、ガウス平面+オイラーの等式による前期PS理論では、太玄霊の位置が存しないのである。
 そこで、私は無双PS原理等を考えるようになったというのが経緯である。


参考:

人間認識図(『海舌』氏による)

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)

オイラーの等式 - Wikipedia

オイラーの等式(オイラーのとうしき、英 : Euler's identity)とは、解析学 における等式

e^{i \pi} + 1 = 0\,

であり、その名はレオンハルト・オイラー にちなむ。ここに、

e\,: ネイピア数 、すなわち自然対数 の底
i\,: 虚数単位 、すなわち2乗すると -1 となる複素数
\pi\,: 円周率 、すなわち円 の直径 と円周の比

である。

2013年10月27日 (13:03)

地球存在進化図式仮説:太玄霊⇒氣⇒(鉱物?⇒)植物⇒(鉱物?⇒)動物⇒人間物⇒氣人・仙人・森人

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

本題であるが、鉱物の位置が未だよくわからないので、?としておくが、今は、その他の地球存在の進化の力学を太玄霊氣知行学から簡単に考えたい。
 まず、未分化の太玄霊が存する。主体的客体であり、客体的主体である。これを太水と呼んでおく。簡単に言えば、主客未分化ということである。
 ここから、氣へと進展する。即ち、陰と陽の対極性が形成される。ここから、次元変換が行われ、生命体、植物体が生まれたと仮説する。植物体とは、陰陽和合によって成形されたと思われる。
 次に、動物体の生起である。
 これは、以前、簡単に触れたが、今の考えでは、陽の極大化を意味するのではないだろうか。陰陽において、陽の傾斜が起こって、陽のもつ物質的力動性が生起したのではないだろうか。
 ただし、人間物におけるような陰陽の二元的分離・乖離・分裂までは達していないのではないだろうか。まだ、陰陽極性は残っているのであり、完全に陰陽がそれぞれ分離したというわけではないように思えるのである。今はそう作業仮説しておく。
 直観では、陽強化によって、骨(脊椎など)、筋肉、体毛が成形されたのではないだろうか。動物体はここまでにしておく。
 次に、人間物である。
 これは、ちょっと複雑である。思うに、陰陽の二元分離が生起したと思う。陰と陽との切断があるのである。そして、陽が大脳皮質として、拡大したと思われるのである。
 それに対して、切断された陰であるが、それは、脳神経的には、視床下部に局部があり、身体的には、内臓が存していると思われる。
 しかし、私の仮説は、人間物は植物体への復帰の志向があると思われる。垂直歩行の垂直が植物志向のように思えるのである。つまり、陰陽分離とは別に、陰陽内装が起こったのではないだろうか。つまり、矛盾・対立した内的構成が生じたとのではないだろうか。考えると、これは、別々に生起した事象ではなく、一つの事象の裏表であると考えられる。
 つまり、元々は陰陽極性がある。それが、極大的に陰陽分裂が起こり、陰陽二元論と生じる。しかしながら、本来、陰陽対極性があるのであり、それは二元化された陰陽の、いわば、裏面に潜在していると考えられよう。つまり、コインの裏表を考えればいいのである。即ち、表は、陰陽二元論であり、裏が陰陽極性である。
 ただし、優位になっているのは、表の陰陽二元論であり、裏の陰陽極性は劣位、潜在意識(無意識)になっていると考えられる。
 さて、いわば、陰陽極性から超越した陽(極陽、超陽)は、独立した知性を形成する。皮質の作用である。これが、科学等を生みだしたと言えよう。しかしながら、それは、自我であり、自己中心的である。
 少し、急ぎすぎて、父権自己のことになっている。それ以前の母権自己の説明を飛ばしてしまった。
 母権自己とは、完全な陰陽二元化が起こる以前の陰陽極性を保持した自己様態と考えられる。
 しかし、そうすると、動物体と母権自己(母権主体)の区別がつかなくなる。
 ここで、性別、ジェンダーの問題が出てくるが、今は暫定的に次のように述べるに留める。
 つまり、父権自己(父権主体)は陰陽分離で、陽が独立し、その裏面に陰陽極性が潜在するのであるが、母権自己(主体)とは、裏面の陰陽極性が賦活されている様態と思われる。
 おそらく、父権自己(父権主体)へ転換・移行する以前の中間的様態かもしれない。即ち、一方では分離する陽があり、他方では、陰陽極性の保持の様態があるということである。
 今はそう考えておく。
 さて、父権自己(父権主体)であるが、それは、陰陽二元論であるが、裏面に陰陽極性を潜在させている。
 問題は、後者の位置である。
 有り体に言うと、陽は頭部であり、陰は胸部に存する、父権自己において。
 先に、陰陽は心頭と考えたが、しかし、父権自己においては、心頭は分裂しているのである。
 だから、陰陽極性はそこに求めることはできないのである。
 結局、陰陽極性が感じられるのは、先ず、陰=胸部においてである。しかしながら、もはや、陰と陽は分離しているので、陰=胸部に感じられる陰陽極性とは十全なものではない。それは、予感のようなものである。氷山の一角のようなものと考えられる。
 妙な言い方であるが、陰陽極性は、陰の底部に、つまり、胸部の底部に存しているのである。
 そして、それは、さらに言うと、肚の上部に形成されているように思われるのである。
 肚は太玄霊である。つまり、陰陽極性は肚=太玄霊の上部に今やあるように思えるのである。
 あるいは、肚と胸部との境界に存すると言うべきかもしれない。
 そう、ここは難所である。存在の妙である。
 精緻に見るなら、陰陽極性は肚には存しないと思う。肚の上部にも存しないと思う。それは、やはり、陰=胸部の底部に存すると思う。
 しかしながら、それを実際理解するのは困難である。
 何故なら、父権自己のもつ連続性(おそらく、太玄霊の未分化性)によって、陰との極性が理解できないからである。陽(頭)と陰(胸)との二元論はあるが、極性は理解できないと考えられるのである。そう、陽と陰との揺らぎはあるが、極性は理解できないと考えられる。
 ここで、不連続的差異論の決定的意義があると言えよう。
 それは、陽と太玄霊を切断したのである。
 その結果、独立した人体意識の三層構造が明確になったのである。例えば、道教などにおいて、三つの丹田があるが、それは、明確に独立した意識とは捉えられていないと考えられる。
 似て非なるものである。
 即ち、結果的に、Ⅰ)太玄霊とⅡ)陰陽極性とⅢ)陰陽二元性の三層構造が明確になったということである。(もっとも、不連続的差異論が誕生した初期の段階では不分明ではあったことだが。)
 ということで、人間物・人間体(人体)の三層心体構造が明快になったと考える。即ち、

Ⅰ:腹部(肚)=太玄霊(太水:原初主客未分化様態:混沌)
Ⅱ:胸部(心胸)=陰陽極性(氣)
Ⅲ:頭部(頭)=陰陽二元性

である。
 さて、このように解明できたのであるが、これはまだ、不十分である。
 問題は肚=太玄霊の未分化性なのである。これは、霊肉未分化である(D.H.ロレンスの視点がこれだと思う)。
 私は人間物=人間体は植物体への回帰があると述べた。
 その力学を明確にする必要がある。
 それは、これまで、十分に述べてきたように、積極的な陰陽極性力学である。
 つまり、人間物・人間体において、植物体への回帰があるということは、太玄霊=太水からの陰陽極性=氣を生起力学が繰り返されるということである。
 つまり、いわば、無意識の内に、太玄霊=太水からの陰陽極性=氣の発現が根本的にあるということである。おそらく、これは、原初母権主体に存したことだと思う。それが、父権主体の形成によって、抑圧されたと考えられるのである。
 だから、上述したことは、人間体意識の発展を十分には表現していないのである。この植物体の生成を組み込まないといけないからである。
 ということで、人間体意識とは、陰陽二元論への志向性と陰陽極性への回帰というまったく矛盾する志向性をもっているということ言えるのである。いわば、先天的な「分裂症」、統合失調症である。
 とまれ、そのように認識することで、父権主体・自己形成以後の発展の力学が明確になるのである。それは、当然、内なる植物体をさらに発展させることである。陰陽極性=氣の意識の発展である。
 つまり、氣が主導的になって、人間体を進展・進化させると考えられるのである。
 即ち、氣的人間体存在の成形が考えられるのである。
 いわば、氣人類の誕生である。超人としての氣人である。これは、仙人でもある。あるいは、森人、森人類である。

2013年10月26日 (21:46)

氣の陰陽方程式を経済に活用する:凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1(同一性体):陰陽経済生命体へ向けて

氣の陰陽方程式を経済に活用する:凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1(同一性体):陰陽経済生命体へ向けて

テーマ:新共同体(協同組合)経済:減価共同体通貨

以下の記事を読んで、氣の方程式で、新しい経済システムを説明できるのではないかと直観した。
 氣の方程式は、以下の通りである。

凹i(陰)*凸i(陽)⇒+1(同一性体)

これは、前期PS理論の自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1)  (http://ameblo.jp/neomanichaeism/theme-10035503434.html)とほぼ同じである。【追記:iは虚数であり、凹と凸は虚軸における符号であり、*は共振、共鳴、正確には、即非共振を意味するが、氣から生命物質への次元変換として、積(掛け算)を意味し、⇒はその次元変換による結果、帰結を指し示す記号である。また、+1であるが、これは、同一性体と記したが、わかりやすく言えば、生命物質体である。】
 とまれ、陰陽対極性が同一性体を成形するという力学視点である。
 左辺の陰陽極性に対を入れて、対極的経済生命体系列ができよう。例えば、

Ⅰ)労働*資本⇒商品生産
Ⅱ)供給・生産*需要・消費⇒貨幣

であり、ⅡからⅠへと回帰すべきものである。

つまり、

1.労働*資本⇒2.商品⇒3.生産*消費⇒4.貨幣⇒1’.労働*資本

である。
 これが単純な資本経済有機体(一応、有機体と呼んでおく)である。
 しかし、ここにおいて、金融資本が利子を過剰に要求する場合を考えよう。それは、4の貨幣の流れを金融資本へと分岐させて、労働*資本の対極性には適切に還帰させないのである。
 即ち、図式化すれば、


4.貨幣↴↛↛↛1’.労働*資本
    ↴
    ↴
     金融資本


とでもなろう。↴は流れの方向を、そして、↛は適切な流れの切断を意味することにする。
 この金融資本のいわば、横取りによって、陰陽極性的資本経済有機体は破壊されるのである。
 また、金融資本側からの要求によって、労働*資本の極性は偏向したものになる。つまり、貨幣利潤を増殖させるために、過当な経済活動を要求することになるのである。
 故に、本来、労働*資本の極性力学は、創造的であるために、本来、差異共振(分かりやすく言えば、差異の調和)であるべきであるが、金融資本による貨幣利潤の増殖の欲望(同一性・量的増加の欲望)によって、資本側が強化されて、資本優位、労働劣位の二項対立へと転換してしまい(単純に言えば、労働強化による労働者の疲弊、劣化を引き起こす)、本来あるべき、労働*資本の対極性力学が破壊されて、同一性(量)主義的力学へと還元されてしまうのである。これが、金融資本中心的資本主義であり、左翼側から批判される資本主義とは本当はこれであると考えれる。
 結局、この金融資本側の要求を抑制し、健全な経済生命体を構築する必要があるのである。
 ここで、利子の問題が生じると言えよう。無利子や負利子の視点がここで出るのである。
 シルビオ・ゲゼルが説く負利子通貨(消滅貨幣、減価通貨)は金融資本の蓄財を許さないものであり、経済生命体にとって重要な視点であると考えられる。
 今は簡単な指摘に留めておく。

追記:
4.貨幣↴↛↛↛1’.労働*資本
    ↴
    ↴
   金融資本

は、

4.貨幣↴↛↛↛1’.労働者*資本家
    ↴
    ↴
  金融資本家

と人間として見た方が的確かもしれない。

参考:
1379夜『自由地と自由貨幣による自然的経済秩序』シルビオ・ゲゼル ...
1000ya.isis.ne.jp/1379.html - キャッシュ - 類似ページ
2010年8月23日 ... シルビオ・ゲゼルの波乱に満ちた生涯については、あらかた前夜に書いた。20世紀初頭
の経済理論家があれだけの“経済乱世”をくぐり抜けてきたというのは、めずらしい。
いくつか理由が考えられる。ドイツ帝国の勃興期と多難期のドイツの辺境 ...
http://1000ya.isis.ne.jp/1379.html


おカネってなんですか? -シルビオ・ゲゼルの貨幣論-: 愛と赤裸々の日々
otokita.seesaa.net/article/113264516.html - キャッシュ
2009年1月27日 ... おカネってなんですか? -シルビオ・ゲゼルの貨幣論-,平凡な毎日を非日常へと変えたの
は 未知に飛び込むほんの少しの勇気だった。 ... さて、「忘れられた経済学者」とい
われるシルビオ・ゲゼルという人がいます。 あのケインズをして 「後世
http://otokita.seesaa.net/article/113264516.html

シルビオ・ゲゼル - シャンティ・フーラの時事ブログ - Shanti Phula
shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=19130 - キャッシュ
2012年2月8日 ... 村岡です。 「家族の絆 ~夫婦(90):サーカーの思想:プラウトの金融システム ~」で
紹介された、減価マネーのシルビオ・ゲゼル氏に関する記事です。 減価マネーが経済を
活性化する様子を感じます。加速する経済をどう制御していくのか、導入 ...
http://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=19130

1.
忘れられた経済学者シルビオ・ゲゼル① - るいネット
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190556 - キャッシュ
2008年10月24日 ... 脱・資本主義の可能性を、政府紙幣・地域通貨制度の導入による”利子”撤廃に見出した
経済学者、シルビオ・ゲゼルに関する投稿を紹介します。(リンク) ーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>シルビオ・ ...
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190556

2.
忘れられた経済学者シルビオ・ゲゼル② - るいネット
www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190558 - キャッシュ
2008年10月24日 ... 実際、彼が提唱した理論を導入し、成功した自治体の事例もあるようです。(リンク) ーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>ゲゼルの自由
貨幣理論を実践し、大成功をおさめたのが、オーストリア・チロル地方 ...
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=190558

シルヴィオ・ゲゼル『自然的経済秩序』

~代表作「自然的経済秩序」~

こちらでは、ゲゼルの代表作「自然的経済秩序」の訳を、校正が済み次第順次公開することにいたします。なお、原文(ドイツ語)はこちら で、英語訳はこちら で、スペイン語訳はこちら で読むことができます。

http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/nwo-jp.html

参考2:シュタイナーの難解な経済有機体論であるが、ゲゼルの説く消滅貨幣を導入している。
シュタイナー経済学講座
http://www.geocities.jp/momoforall/booknote1/index.html

*************************

「ドルよ さらば」 非アメリカ化を公式に表明した中国 (10/20)

今回は、上院、下院の議員たち(驚いたことに、アメリカの議員の大半が多国籍企業の操り人形になっている)による臭い芝居によって、アメリカの債務上限は来年3月中旬まで引き延ばされました 。

しかし、この程度の時間では、連邦の国有資産を民間企業に加速度的に投げ売りしたところで、借金は大して減らないでしょう。
すると、来年3月中旬が近づくと、再び債務上限を巡っての混乱が起こるのか。ただし、それで最後の。

大部分のアメリカ国民は、オバマのワシントンの「民営化プログラム」が、バンクホリデーの代わりに巧妙に講じられている「仮面徳政令」とも言うべき詐欺的な手口であることに気がついていないようです。

つまり、ドルの延命を図って時間稼ぎを行い、その間にアメリカの公有資産を、ことごとく民間企業に買い取らせて、アメリカ合衆国をアメリカ株式会社に生まれ変わらせたいのです。そして、デモクラシーからコーポレートクラシーのNWO支配体制を固めようと考えているのです。

http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2424.html
カレイドスコープ

2013年10月25日 (14:29)

太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象):version2

太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
Ⅲ 生命物質体:現象界・物質界:外界
           ⇑
           ⇑
           ⇑
Ⅱ 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
           ⇑
           ⇑
           ⇑
Ⅰ太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


ⅠからⅢまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のⅡに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はⅠが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Ⅱの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのⅠからⅡ(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、ⅠとⅡの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Ⅱの超越として、Ⅰが存するのであり、ⅡからⅠは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 Ⅰ:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒Ⅱ:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒Ⅲ:♁生命物質体

となる。(追記:Ⅲの♁は、本当は、○書いて、その円内に十字+を入れた文様である。即ち、Earth symbol.svg  である。これは、西洋占星術の地球の記号である。参照:
惑星記号 - Wikipedia
地球 Earth symbol.svg 四大元素 の土(地)の記号の転用で、四方 で大地を表す。あるいは、赤道 と本初子午線 。
Earth astrological symbol.svg 宝珠 。世界 (世界を統治すること)の象徴。

 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはⅠ:メビウス=ウロボロス=∞とⅡ:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Ⅰは太母であり、Ⅱが太母のセクシュアリティ、性であり、Ⅲが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Ⅰは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このⅠへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はⅡの氣において発生すると考えられる。闇はⅠなのである。この太闇からⅡの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。
 簡潔にまとめると、

太闇⇒太光⇒太生命

である。
 あるいは、シンプルに、

闇⇒光⇒生命

である。

2013年10月24日 (20:45)

太玄霊気知行学の三層構造:太玄霊(メビウス)⇒氣(陰陽対極性)⇒生命物質体(現象)

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

仕事の段取り、順繰りがうまくいかず、いらいらしている。とまれ、本件について、ざっと書いておこう。

 
Ⅲ 生命物質体:現象界・物質界:外界
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Ⅱ 氣(陰⇔陽):氣界・エーテル体:心頭
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Ⅰ太玄霊(玄我・元我・原意識:神霊):肚


ⅠからⅢまでが原初からの現象までの発展図式である。
 父権主義以前は、氣は均衡が取れていたと考える。つまり、原初母権文明の心体である。
 私は陰は胸部に、陽は頭部に関係するように思う。脳神経的には、間脳がこのバランス局部である。
 しかし、父権が誕生して、この均衡が崩れるのである。即ち、陽へ傾斜するのである。この陽が当然、それまでの母権的陰陽均衡を破壊するのである。言い換えると、抑圧するのである。陽>陰のヒエラルキー、二項対立が生起するのである。
 極めつけが、ユダヤ教的一神教である。陽が極大化して、陰が殲滅させられたのである。極陽ないし超陽の事象(心象)である。この精神図式が西洋文明の基調である。
 デカルト心身二元論はこの帰結と考えられる。
 言い換えると、ユダヤ教的パラダイムは陰陽文化=母権文明の完全破壊を意味するのである。
 これは、自己と身体の切断を意味すると言っていいだろう。精神と身体のそれ。天と地の切断、知性・理性と大地・物質の切断である。
 そして、二千年以上飛んで、デカルト心身二元論哲学が誕生したのであり、近代主義は当然この枠組み・フレームにある。
 これによって、人体・心体の陰陽性は切断され、いわば、病的倒錯的な心的様態が形成されたのである。これは、陽的自己(自我・近代的自我)を肥大化させ、陰的身体感性(氣的感性)を抑圧するのである。
 そのために、後者が反動化して、前者を攻撃的にするのである。狂気化すると言ってもいいだろう。そう、その他、否定的なものを付け加えられる。
 これが近代合理主義のおぞましい実相である。
 そう、簡単に言えば、胸部の心(陰)と頭部の知(陽)が切断されたということである。
 以上は、図式のⅡに関するものである。陰陽分裂ということである。
 さて、問題はⅠが近代において、完全看過されたことである。これは、もっとも形而上学的領域である。(Ⅱの領域も、ある意味で形而上学であるが、原形的である。イデア・エイドス的である。そう、低次の形而上学性と言えよう。)
 それを高次の形而上学性と言えよう。簡単に言えば、神霊の領域、宗教の領域、至高の神秘の領域である。
 しかし、身体・人体的には肚と考えている。
 これは原我・原意識の領域でもある。
 問題はこのⅠからⅡ(氣)への転換の力学である。
 端的に言えば、ⅠとⅡの間は不連続的切断があると考えられる。あるいは、Ⅱの超越として、Ⅰが存するのであり、ⅡからⅠは認識できないと思われる。
 しかしながら、先に言及したように、陰とこの太玄(太元)は関係しているように思われるのである。文化論的には女性性、母権性である。
 直観では、太玄は「水」である。そして、氣ないし陽が「火」である。
 だから、「水」から「火」が生まれるのである。(これはお水取りの視点だろう。または、タレスの視点。)
 どうも用語が不整合になるが、

太陰(太玄)⇒陰⇒陽⇒氣(陰陽)⇒生命物質体

と思えるのである。
 そう、太水(太陰は混乱するので、太水と呼ぶ)は、直観的には、主と客が未分化的に融合している様態と言えるのではないだろうか。否、そう作業仮説しよう。
 これは陰陽両極様態とは似て非なるものである。何故なら、陰陽極性は陰と陽が明確に分化しているからである。それに対して、太水とは、主が同時に客であったり、客が主であったりして、いわば、主と客は分離できないのである。端的に未分化様態である。
 おそらく、東洋文化において、混沌と呼ぶものが相応しいだろう。
 言い換えると、客的主であったり、主的客であったりして、常に揺れ動いているのである。
 この未分化力学をもっと明快に解明する必要がある。
 そう、メビウスの輪(帯)というのが、この未分化様態を表現する的確な表現ではないだろうか。それは、明らかに、陰陽対極性とは異なるのである。つまり、メビウスの帯(輪)の場合、どこが裏面でどこが表面か厳密に規定できないのである。
 ということで、太水(ないし玄水)は、メビウスの輪の様態(メビウス様態)と解明された、今の段階であるが。
 このメビウス太水(玄水)が、真の根源であり、そこから、陰陽=氣が生起し、また、生命物質体(現象界)が発現することになるのである。
 図式化すれば、

 Ⅰ:∞:メビウス太水:ウロボロス

⇒Ⅱ:☯:氣(陰陽対極性:「水」☯「火」)

⇒Ⅲ:♁生命物質体

となる。
 これで本件はかなり明快になったと言えよう。
 結局、ポイントはⅠ:メビウス=ウロボロス=∞とⅡ:氣=陰陽対極性=☯の区別である。
 そう、神話学的に言えば、Ⅰは太母であり、Ⅱが太母のセクシュアリティ、性であり、Ⅲが「子」、生命体ではないだろか。(今はざっと述べるに留める。)
 用語的に言うと、Ⅰは太玄水、太玄海、太水、太海、太母水、太母海、等となろう。(D.H.ロレンスが勃興するフェミニズムに対して、反動性をもっていたが、結局、女性の本質を追求したが、それは、このⅠへの探求だと思う。太母への探索である。)
 さて、最後に光、日光、太陽の位置づけについて考えよう。
 やはり、これまで検討してきたように、光はⅡの氣において発生すると考えられる。闇はⅠなのである。この太闇からⅡの光が誕生するのである。太闇から太光(太陽)の誕生である。そして、太光から生命が生まれるのである。
 そう、端的に、氣=光なのである。光は原生命なのである。生命知エネルギーなのである。

2013年10月23日 (04:43)

不連続的差異論と前期PS理論の結婚:シュタイナーのアストラル体と自己を太玄氣で捉える

不連続的差異論と前期PS理論の結婚:シュタイナーのアストラル体と自己を太玄氣で捉える

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

また、新たに閃いたが、時間がないので、十分書けないので一言(追記:一言ではなかった)。
 先に、思考実験していて、混乱したが、その後、新たに考えた。
 シュタイナーのいうアストラル体は太陰ではないか。また、自己(「わたし」)は原我として、やはり、太陰に含められるのではないかと思った。
 つまり、

太陰(太玄霊、太玄氣)は原我でもある。
 そして、これが、陽=日光=氣を形成する。
すると、

太陰=原我⇒陽

である。
 問題は陰や物質成形である。
 太陰と陰の関係について、これまで不分明であった。
 先には初期PS理論を復活させて、考察したりした。
 しかしながら、『エーテル空間』を参考にして、イメージしてみたが、明らかに、陽がエーテル=氣であり、それが、生命力智である。そこには、陰が必要ないように見えるのである。
 そこで、氣を捉え直す必要があると思えるのである。陽=氣とすると、陰を説明するのが難しいのである。
 そこで、エーテル体=陽=氣ではなくて、エーテル体=氣であり、氣は陽/陰の極性をもつとするのである。即ち、

エーテル体=氣=陽/陰=陽極/陰極

である。
 ポイントは、陽の氣、陰の氣とは見ないことである。しかし、天の氣、地の氣はありえるのではないだろうか。
 とまれ、氣一元論で、陽極/陰極の極性をもつということである。
 そして、陰極と太陰は直接は関係しないということと思えるのである。
 思うに、ここで、初期PS理論を適用できるように思えるのである。凸i*凹i⇒+1である。これは、陽*陰⇒生命物質となる。
 そして、氣の垂直軸が回転して、そして、生命物質は螺旋を描くと見るのである。
 そして、陽主導と陰主導の2つが考えられるので、二重螺旋になると考えられるのである。
 これで、螺旋形状の生命体の力学イメージができた。
 そう、ここで補足すると、

凸i(陽)*凹i(陰)⇒+1(生命物質)

 であるが、左辺は上昇垂直力であり、右辺は下降垂直力であると思えるのである。
 具体的に言えば、前者は樹木の垂直に伸びる力であり、後者は樹木にかかる重力である。
 当然、前者>後者である。
 これで、生命体の力学イメージがさらに展開した。
 結局のところ、太陰から氣が生まれるが、両者は段階の異なる異質なものということになる。
 不連続的差異論で連続性が切断されたのであるが、それは、太陰と氣=陽極/陰極の切断と考えられる。
 そう、氣は心頭(胸部+頭部)であろう。それに対して、太陰は肚(腹部)である。この切断を不連続的差異論で実質的に行なったと考えられる。
 初期PS理論、正しくは前期PS理論であるが、それが行き詰まったのは、不連続的差異論の切断の意義を正しく捉えられずに、氣の陰陽的極性の差異を不連続性と見るという誤謬を犯したことに存すると言えよう。そう、根源を求めて、恐ろしく混迷・混乱したのであった。【その後のPS理論であるが、『海舌』氏が四元(しげん)数を導入して、それまでのPS理論とはまったく異なるものに発展させたのであり、そこには、私はまったく関わらず、私独自で、数学主導理論から脱して、今に至っているのである。】
 とまれ、上述のように捉え直して、とりあえず、不連続的差異論の意義と前期PS理論の成果を結合した太陰氣論(太陰霊氣論)の力学の輪郭ができたと言えよう。
 しかし、太陰という用語を使用すると、氣の陰と混乱するので、太玄氣論、ないし、太玄霊氣論とでも言うべきだろう。
 その他、太玄氣、ないし太玄霊氣は、原意識=原我と思えるのである。ここには、シュタイナー霊学の自己とアストラル体が一体となって含まれると今は考えている。
 これについては後で述べたい。






エーテルは当然、氣と読む:氣空間と物質空間(3次元)の相互性の記述

テーマ:太玄霊知行学:太玄霊的生命イデア知行学

後もう少しで読了するが、難解であり、再読再々読等をする必要がある。
 とまれ、太玄氣知行学から言うと、氣界と物質界の関係の力学を説いている。
 太玄氣知行学はエーテル体を超えた視点のものであり、これまでの陰陽球の考え方は直接には、エーテル空間の考えには当てはまらないが実に参考になる。
 できれば後で比較検討したい。

追記:一言言えば、太玄氣知行学(簡単に太玄学又は玄氣学)に拠れば、太玄(これまでは太陰)から陽が生まれると述べたが、この陽がエーテル=氣に相当するだろう。すると、陰の問題が起こるのである。もし、陽=エーテル=氣ならば、陰は何かということである。
 単純に考えて、陽の対極としての陰の成立ということになるのではないだろうか。すると、陽と陰とはそれほど違わないものとなるだろう。極性が正反対だけになるのである。【佐野千遥氏の単極磁石論であるが、それは、ここらへんと関係するかもしれない。どうも陰陽はある一つの力から生まれたと見られるのである。私の場合、太玄氣ないし太玄霊であるが。(霊と氣の区別を明快にすべきであるが。)】
 しかし、陰は陽を補完するだけの存在なのか。積極性はないのか。
 とまれ、今はここで留める。

追記2:どうもシュタイナー派(シュタイナリアン)は、氣から物質の生成力学については述べていなく、単に、物質を前提にしているようにも思えるのである。
 しかし、太玄氣学は、氣からの物質を説くのである。
 少なくとも、陽の氣から物質が生まれる。あるいは、陰陽共振によって生まれる。
 やはり、先の直観像から見ると、玄氣(玄霊)があり、それが、陰陽球を形成する。そして、球面の外は陽であり、内は陰である。この陰陽は均衡しているのである。
 そして、この陰陽共振から周囲に、物質が成形されるのである。
 否、それは直近の考えである。それまでは、陽が物質(電磁波)を発生させると考えていたのである。
 どうも、明らかに混乱がある。
 ここでいちおう留めておく。
 

エーテル空間 (耕文舎叢書)/イザラ書房
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「エーテル空間」ノート
https://r5.quicca.com/~steiner/novalisnova/steiner/aetherischenRaum/ar.html
「エーテル空間」ノート. □テキスト ジョージ・アダムス 『エーテル空間』 (石井秀治訳・耕
文舎叢書/2012夏発行). □全体構成 「はじめに」 「I.ユークリッド幾何学と近代幾何学」 「
II.反空間とその力」 「III.球面に関する対極性」 「IV.物質とエーテルの力と実体」.

2013年10月20日 (19:51)

太玄霊知行学:太玄霊(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

参考のリンクは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11644918736.html

太玄霊知行学:太玄霊(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

テーマ:太玄氣学:太玄霊生命論:玄氣⇒氣⇒生命体

「陰と太陰が区別されるならば、初期PS理論は使用できるのである。
 ということで、初期PS理論を復活させれば、説明できるのである。
 すると、図式化すると、

太陰(太陰霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 しかし、思うに、太陰ではなくて、無双原理の元の太極とすべきなのかもしれない。
 ならば、


太極(太極霊)⇒陽(日光)/陰陽⇒電磁波

となる。
 今はここで留める。

追記:以上のように、三段階で考えると、以前、ガウス平面に直交させた超越軸の考え方が生きてくるだろう。
 超越軸ではないにしろ、ガウス平面を超越した次元である。
 超越次元は、太極霊の次元であり、それから、陰陽極性次元(虚軸次元=氣次元)が生まれ、そして、電磁波、物質次元が生まれるのである。
 便宜的に、超越軸を仮説することはできるだろう。」

陰陽球という祖宇宙とその球面上の実宇宙:1. 太極霊⇒2. 陽=日光/陰陽⇒3. 電磁波
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11644029810.html

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直近で以上のように書いたが、そうならば、陽=凸i、陰=凹iの虚軸はどうなるのか。
 陰陽球面の表面が陽、裏面が陰ならば、虚軸は太陰点から円周への半径を伸ばした直線になるだろう。
 そうすると、電磁波は円周の切線の方向に成形されるだろう。直観では、円と直交するものをイメージするが、考えてみれば、球面の皮膜に相当するのであるから、円上の接線で方向的にいいのである。
 そう、陽凸iは天の方向、太陽、アポロの方向であり、陰凹iは地の方向、大地、デーメーテール(ここに、ディオニュソスと入れたい欲求があるが、どうだろうか。ディオニュソスをここに入れるだろうか。単に、アポロとは対照的なものという意味なら、ここに入れることは可能である。この点は、別に検討する必要がある。)の方向である。
 今、浮んだ発想だが、陰凹iはいわゆる心、胸中の心ではないだろうか。道教、気功で言えば、中丹田である。あるいは、単に、ドキドキハートラブラブである。
 しかし、である(この「しかし」はとても強い強調である)。
 私がこれまで説いていた太陰(太極かもしれないが)は、そこにはないのである。それは、陰=凹iではありえないのである。何故なら、陰=凹iは胸部に定置すると考えられるからである。
 これまで何度も述べてきたように、私が説く太陰は肚のことである。だから、まったく、陰=凹iとは異なるのである。(だから、陽=凸iは人体的には、頭に定置すると言えよう。)
 思うに、そのような肚である太陰に、陰という語を含めるのは、不整合である。何故なら、陰陽論的には、太陰とは陰陽の様態の一部であるからである。つまり、極大の陰が太陰なのである。
 故に、ここで、用語を一新しないといけない。そこで、無双原理や一般の陰陽論から太極という用語が候補になるが、私は「太陰」には、母権を見ているので、その意味合いを入れる用語であるべきと考えるので、とりあえず、太玄と呼ぶことにする。【だから、理論名称は太陰氣学(太陰氣行学)から、太玄氣学(太玄氣行学)になる。】
 さて、そのように見ると、氣とは、確かに、陽の氣と陰の氣の二種類あることになるだろう。陽氣と陰氣では、語弊があるので、別の用語を考える必要がある。暫定的に、陽光氣と陰光氣と呼ぶことにする。両者、不可視である。そして、電磁波としての光になって可視化するのである。しかしながら、その光、端的に、日光には、陽光氣と陰光氣が含まれているし、両者の共振作用も含まれていると考えられる。(考えると、三種類の氣が存するだろう。陽光氣と陰光氣といわば陰陽共振氣である。この問題は、別に考えたいが、これも一種の三位一体と言えよう。)
 思うに、私が氣という場合、どうやら、陰の氣と陽の氣との陰陽共振の氣、共振氣を指すように思われる。もっとも、それは、三様態であるが、直観的には、一(いつ)として、感知される。
 そのように氣を捉え直したとき、太玄(これまでの太陰)の力・エネルギーはどう説明できるのだろうか。
 私は、これまで、それをほぼディオニュソスとして捉え、「陽」(これは、上述における氣、三様態の氣である)をアポロと捉えてきたのである。
 上述から、太玄の力・エネルギーは明らかに、氣とは異なるのである。
 氣を創造する根源の力と考えられる。それは、原氣と言えようが、意味的に適切にするために、玄氣と呼びたい。
 つまり、簡単に図示すれば、

玄氣(肚)⇒氣(心頭)⇒(日光⇒)電磁波(生命物質界)

である。(日光の位置が微妙である。これまで、陽=日光としたが、今やそう考えることはできない。日光とは、現象的には、つまり、物質現象的には電磁波であるが、陰陽の三つの氣を超越的に内在していると考えられるのである。)
 初期PS理論で使用したMP(メディア・ポイント)の概念であるが、それも使用でき、それは、そう、わかりやすく言えば、渦巻、渦動の中心点である。あるいは、神話的に言えば、天之御中主神であろう。
 さて、玄氣(肚)であるが、いったい何なのか。大根源点である太玄氣点であり、宗教・霊学的には、太玄氣霊と呼ぶこともできよう。
 ここで、イデアの問題が生じるのである。そう、この大根源点である太玄氣(霊)をイデアと呼ぶことができるだろうか。
 例えば、太玄氣イデアというように。イデアとはエイドスと共通し、結局、原形である。超越的原形ないし超越論的原形である(陰陽は内在的超越であるので、超越的とも超越論的とも形容できよう)。
 直観では、太玄をイデアとは呼べない。イデアと呼べるのは、陰陽部である。陰陽イデアである。
 ならば、太玄は何か。少なくとも、元イデアないし前イデアとは呼べる。
 しかし、形になる前のなんらかの「霊」と思える。そう、「神霊」と言えるかもしれない。
 ここで、先に述べた原意識の図式を考えるのが適切だろう。

* 植物と動物と人間の成形力学について:太陰と陽の陰陽力学? (10/15) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2015.html

* 太陰氣学による宇宙生命体人体生成の仮説:内在する5の数と幾何学:ピュタゴラス派に回帰する (10/13) http://sophio.blog19.fc2.com/blog-entry-2014.html


即ち、

太陰⇒陽

又は、

原意識=太陰(主体)⇄陽(客体)

ないし太陰(主体)∞陽(客体)

である。
 太玄氣学(太玄霊氣行学がいいように思えた)に即せば、


太玄⇒陰陽


原意識=太玄⇄陰陽(氣)

ないし

=太玄∞陰陽(氣)

である。
 思うに、太玄霊を原意識としてもいいだろう。
 先に、原意識を知即存在としたが、それもここにも当てはめられよう。
 とまれ、今の段階では、太玄は、霊力の世界(霊界、神霊界)とし、陰陽は氣の世界(氣界)としておこう。
 では、霊力の世界とは何か。それは、根源的一(いつ)の世界だろう。森羅万象の根源の世界である。氣の世界が諸原形の世界とすれば、それらが一体となった世界である。
 いわば、原原形世界である。
 直観で言えば、未分化多様体である。多様な原形が未分化で融合しているような世界である。一種、混沌界、カオス界と呼べるかもしれない。あるいは、一即多の混融体である。ここで即非の論理を使用できるかもしれない。一即非多である。(追記:あるいは、一即全、一即非全である。)
 そう、また、超陰陽界、超氣界、超イデア界とも言えよう。超プラトンの世界である。
 D.H.ロレンスがダーク・ゴッドと呼んだものはここを指しているように思える。思うに、一神教の唯一神、超越神とは、このダーク・ゴッドの一の様態の特化のように思える。つまり、極陽化である。これについては別稿で検討したい。
 ところで、プラトンのコスモスとロレンスのコスモスであるが、前者は陰陽氣宇宙であり、後者は太玄霊宇宙ではないだろうか。
 まだ、太玄霊については解明が不十分だが、ここで一時留める。

参考:

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無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウスhttp://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11392233889.htmlまた、揺り戻しで、四元数・・・[2012年10月30日]

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オイラーの公式と螺旋:この図を探していたのである

太極をどう捉えるのか:霊的太極と陰陽極性:Ver3.2:陰陽ラセンと電磁波テーマ:無双PS原理ガウス平面いろいろ問題があって、一挙には、解明できない。一つずつ検討して行くしかない。 その一つの問題が太極である。太極とは、ただ一つ・・・[2012年10月30日]

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無双PS原理を再度ガウス平面から構築する:時空軸と平面二次元の構成する現象時空三次元体:超ガウス五次元体の仮説私は、無双PS原理の数学的システムをガウス平面から四元数(しげんすう)=クォータニオンに変えたが、どうも、直観的には、・・・[2012年10月30日]

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霊数としての陰凹と陽凸:根源軸としての陰陽軸、根源平面としての陰・・・

・・・実軸で、立体空間となり、そこに、陰陽三元性が三次元へと展開するのではないのか。 以上はまったくの思いつきに過ぎない。追記4:追記3の考え方だと結局、これまでの、四元数的無双PS原理でいいことになろう。 陰陽が太極点=MPで・・・[2012年10月29日]

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