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2014年10月26日 (01:05)

新エクソダス:森モーセは誰?:脱旧日本:何処へ?:聖霊=こころの国へ?

新エクソダス:森モーセは誰?:脱旧日本:何処へ?:聖霊=こころの国へ?

テーマ:日水湖宮(ひみこく);新国名:水瓶座時代

ヘブライ人が、囚われ人であったエジプトから脱出したように、真・森日本人は、エクソダス(脱旧日本)が必要である。
 でも、何処へ?
 聖霊=こころの森国へである。
 とにかく、鈍愚の集群農耕民族と狂魔の日本父権民族の旧日本からの脱出である。
 死者をして死者を葬らせよ!

追記:結局、薬局、総局、黙示録の時代には、人間の質的レベルが生じるのである。劣化・退化した日本人は地獄落ちである。
真・森の日本人は、ガラパゴス化した旧日本から脱出すべきである。かかわるべきではない。滅びるものは滅びるのである。
 イエス・キリストの教えは正しい。
新しい葡萄酒は新しい皮袋に入れよ。

追記2:結局、薬局、総局、垂直の二つの世界があるのである。あるいは、位階の二つの世界があるのである。
 高次元の世界と低次元の世界である。魂の世界と物質・自我の世界である。旧日本人は、後者に属する俗凡人である。
 しかし、今や、高次元の世界が開けたのである。
 旧い日本とはおさらばである。魂霊の世界が到来したのである。

マルコ福音書講解 13
ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/mark_013.htm


* キャッシュ
* 類似ページ

21 だれも、まださらしてない新しい布を、古い着物に縫いつけはしない。そんなことを
すると、新しい継ぎ布が古い布を引き裂き、破れはさらにひどくなる。 22 まただれも、
新しい葡萄酒を古い皮袋に入れはしない。そんなことをすると、葡萄酒が皮袋を引き裂き
、 ...
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2013年10月30日 (02:28)

テトラクテュス達成:1,11,111,1111のカーナンバー目撃

画像付きは以下を見られたい。
http://sophiology.jugem.jp/?eid=349

テトラクテュス達成:1,11,111,1111のカーナンバー目撃

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

せいぜい、30分くらいだろう。もっとも、国道沿いを10分ほどは往復したことにも拠ろうか。
 最後1が出るのかどうかであった。それまで、11,1111,111が出たのである。3度目の正直か思ったが、最後、今日も後1台が出ずに終わるかと思っていたが、最後、ダンプトラックの1が登場したのである。達成である。
 最近は運気がいわば奇蹟的であったが、今日がアクメと言えよう。
 とまれ、思えば、1,11,111,1111は、ピュタゴロス派のテトラクテュスである。 
 太元霊は、ピュタゴラス派、数霊哲学を伝えているのかもしれない。あるいは、日月神示である。
 そう、かつて、正倉院の螺鈿紫檀五弦琵琶にテトラクテュスを見つけて、何でここにあるのかと、意想外さに驚愕したことがあるが、以下の説明を見ると、和音に関わるということなので、今納得である。
 しかし、ピュタゴラス派の哲学は古代ペルシャ、そして、日本まで伝っていたことになる。

参照:左の画像にあきらかに、テトラクテュスがある。
五弦琵琶

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


永田平八のリュート広場 Place Luth

http://blog.goo.ne.jp/lute21jp/e/c5435b816e2205457b1b3da1ef48cafa

参考:
ピタゴラスについて、テトラクテュスとは - 神秘学が教える、あなたの人生 ...
amorc.or.jp/blog/2012/02/post-1.html - キャッシュ - 類似ページ
2012年2月20日 ... ピタゴラス(ピュタゴラス)は宇宙が数からできていると考えました。そして、特にその
中でも1,2,3,4が重要な数であると考え、それを「テトラクテュス」(テトラクティス)と呼
びました。

ピタゴラスのテトラクテュス

Resurrection : ヤポネシア、夜明けと目覚めの光楽:太玄霊氣知行学(太玄霊的生命イデア論)


神聖なる数「10」 ~テトラクテュス~|数学美術館 - Ameba
テーマ:★数学美術

こんにちは。

パーソナル数学コーチの八田陽児です。



上質が分かる知識人のための数学美術館 -テトラクテュス
その昔、10は神聖な数とされていました。

右の絵をご覧下さい。

これは●が並んでいるだけではありません。

●が1つ、2つ、3つ、4つ。

この形をテトラクテュス(Tetractys)といい、

完全なる形と考えられていました。

正三角形という美しい形が、自然数の和によって表せるのです。



また、音楽においての調和、和音も説明が出来ます。

音楽において、ハーモニーは、振動数が1:2、2:3、3:4のときにうまく調和します。

それがこのテトラクテュスには書かれているのです。



古代ギリシァにおいて、万物は数で出来ていると考えられていました。

テトラクテュスは、そんな世界を象徴するものかもしれませんね。

http://ameblo.jp/interesting-math/entry-10645822679.html
数学美術館


哲学講義6 -ピタゴラス派-

(1)数学研究 -幾何学・天文学・音楽・天体の音楽-
ピタゴラス派にとっては、10という数は神聖な数で、
たとえば、正三角形は、一辺が4個の格子点からなり、辺内に1個の格子点のある、
計1+2+3+4=10個の格子点から構成されていると見ることができます。
これをテトラクテュスというのですが(図がないとなかなか説明しにくいです)、
このテトラクテュスは、ピタゴラス派にとっては、正三角形という美しい形が、
単純な整数の和によって表現できることを意味しました。
このテトラクテュスは、以下に見るように、音楽や天文学とも密接に関わっています。
 
音楽についていえば、弦の長さと和音との間に美しい比例関係があるのを見出しました。
つまり、一オクターブの和音(ドとド)は長さが2:1の関係にある弦によって作られ、
5度の和音(ドとソ)は長さが3:2の弦、
4度の和音(ドとファ)は長さが4:3の弦によって作られるということです。
これは1:2、2:3、3:4と書き換えられますから、
先のテトラクテュスがここにも現れていることになる、というわけですね。

天文学について言えば、宇宙の中心に「火(かまど)」があって、
その周りを太陽や月、地球など、10個の星が回転していると考えました。
つまり、ピタゴラス派はいわば「地動説」をとっていたわけです。
しかし、実際には、9個の惑星しか観測されなかったため、
「対地星」という観測されない星が存在すると仮定して、
無理やり10個の星が回転しているとしました。

ここで、地上では物体が早いスピードで動くとき、ビュン、というような音をたてます。
とすれば、天体は地上の物体とくらべてもっと早いスピードで動いていると考えられますから、
地上の物体とくらべてもっとおおきな音をたてて動いているはずです。
しかも、例の「かまど」に近いものは遠いものよりゆっくり動くので、比較的低音をたて、
かまどから遠くなるにしたがって、その割合に応じて高音をたてる。
そしてそれらの音が全体として美しい和音・音楽を奏でている。
私たちにその美しい音楽が聞こえないのは、
生まれたときからそれを何度も聞いているうちに、それに慣れっこになってしまい、
とうとう聞こえなくなってしまったのだ、ということです。
これが「天体の音楽」(ハルモニア・ムンディ)と言われる思想ですが、
この思想の言わんとしているのは、次のことであるように思えます。
つまり、天体の音楽は、肉体の耳できく物理的な音ではなくて、
理性によって聞き取られる「理(ことわり)」のこと。
わたしたちは、若いうちは純真なこころでそうした「理(ことわり)」に傾ける耳を持っている。
しかし、年を経るにつれて、世の中の俗事に染まり、純真さが失われ、
そうした理を聞く耳をうしなってしまった。その結果、物事の理が聞こえなくなってしまった。

以上まとめると、ピタゴラス派にとっては、図形、音、天体、といった世界の存在者が、
すべてテトラクテュスに還元され、宇宙全体が簡単な数・数比によって表されます。
このことから、ピタゴラス派は、
万物は数を模倣することによって存在する、万物の原理は「数」である、と考えました。
そして、宇宙(=世界)は数によって秩序づけられた美しい存在であるという意味で、
これを「コスモス」と呼びました(cosmos =宇宙、秩序、飾り)。

http://matsuura05.exblog.jp/d2004-02-06

古代ギリシア哲学と現代倫理学のページ

2013年10月28日 (17:08)

耳のある者は聴くがいい:外国語の憶え方を発見する!:反芻咀嚼リズム記憶法:氣憶術伝授

耳のある者は聴くがいい:外国語の憶え方を発見する!:反芻咀嚼リズム記憶法:氣憶術伝授

テーマ:日本復活の新福音:吉祥、朗報、吉報

今日も1時間半ほど、森氣欲歩動を行う。ボランティアの小道掃除もいつものように行う。季節的に気持ちがよい気温である。
 森の小道に脇に作ってある、丸太を置いた小さな休憩場所があり、そこで、語学書を取り出して、学習を続けた。
 同じテキストをもう四度くらいになると思うが、使用している。なかなか語学学習の時間が取れないが、できるだけ暇を見て、行うことにしている。
 先ず、前置きとして、昨日の食事について述べよう。これが、語学新学習法に繋がるのであるから。
 パワースポットと思われるスーパーで半額で買った胡桃パンであるが、一袋三つ入っている。
 先に食べ過ぎかと思ったが、一食で三つとも食べてしまった。
 昨日、森の中で、咀嚼して、一口最低50回噛んで食べた。そうしたら、二つで済み、一つ残ったのである(今、それを食べたところだが)。
 小食にもなり、吸収にもいい。
 ところで、本題だが、なかなか憶えられずに、なんとかいい憶えられる方法はないかと考えた。
 そこで、ふと、咀嚼・反芻食事を思い出し、五十回音読すれば、定着するのではないかと思って、実際やってみたのである。
 左手で、指を折って、音読数を数えたのである。五十回、少し退屈かもしれないが、すぐである。
 その結果は、記憶にかなり残ることが判明した。
これだと思った! エウレカ!である。
 五十回咀嚼するのをヒントに五十回同じ語句を音読するのである。
 そうすると、リズムのようなものも出来てくるのである。
 そう、音楽、リズム、ビートが関係してくるのである。
 理論的に考えると、陰陽氣は陰と陽で共振する、いわば、波である。そう、氣波と呼んでおこう。
 つまり、氣波は、陰と陽の共振によるリズムをもっている。そこへ、音読の律動が刻まれると思う。つまり、氣波に音読の言葉を刻むのである。すると、言葉は氣波に刻印されて、結局、記憶されると思うのである。そう、記憶は氣憶であると思う。氣は心、精神、魂、霊である。
 氣波という心に、言葉を刻むことで、氣波心は記憶をすると思われる。
 そう、敷延すると、氣は多面的な作用をもっていると思う。知性、理性、感性、徳性、霊性等を陶冶、涵養するには、氣のもつ記憶性にはたらきかける必要があると思う。
 氣は先に述べたように、精神と肉体をつなぐ霊的メディアである。それは、精神と生命体の中核であると考えられる。
 とまれ、是非、試(験)されたい。咀嚼、反芻という方法は、存在の本質的な作用をもっていると思う。
 日本人が劣化・退化したのは、咀嚼・反芻術を忘れたからではないか。
 私が中学生の頃は英語学習は反復練習をNHKの続基礎英語で行っていたものである。私は英語をそのようにして学んだ。
 私は反復という言葉は好きではなく、繰り返しという言葉を好む。しかし、今度発見して、咀嚼・反芻記憶術は、単なる繰り返しではない。
 繰り返しでは、抽象的である。咀嚼・反芻術は、最低50回の咀嚼・反芻を要求しているのであり、具体・実践的である。
 日本人は語学に関しては、日本語によるハンディがあるので、語学学習には、日本人にあった創意工夫が必要なのである。
 考えれば、念仏も咀嚼・反芻術を活用していると思う。
 また、読書百遍その義自ずから現るともいう。
 すべては同じ原理だと思う。つまり、氣の原理である。
 陰陽のもつ氣波界に、咀嚼・反芻することで、智を刻むのである。これは、『かく』ということでもあると思う。視覚的であれ、聴覚的であれ、『かく』という行為だと思う。あるいは、美術的に言えば、彫刻の原理である。あるいは、版画の原理である。
 思えば、ポスト・モダンでデリダの脱構築主義が流行ったが、彼は、エクリチュール(書記)がパロル(話語)より先行するという、意表をつく提言をしたが、以上の視点から言えば、それは、『かく』という原理から見れば、評価できるのである。ただし、それを文字に限定するのは誤りである。文字は当然であるが、話語も聴覚的に『かく』に通じると考えられるのであるから。
 そう、氣のキャンバスに、繰り返し『かく』ということである。


氣は偉大である。



尊氣、愛氣、養氣、培氣、育氣
が必要である。
プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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