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2015年06月13日 (01:04)

二つのユダヤ人:シオニストVS隠然ユダヤ人:戦争資本主義VS平和資本主義

画像等は以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-12038207532.html

二つのユダヤ人:シオニストVS隠然ユダヤ人:戦争資本主義VS平和資本主義

テーマ:賤民資本主義と共同体的資本主義

以下の田中宇(さかい)氏の記事は啓蒙的である。
 私は以前、ユダや資本が二つに分れているのではないかと述べたが、その検証ともなる記事である。
 隠然ユダヤ人(ロスチャイルド他)は平和資本主義を目指し、シオニストらの戦争資本主義(戦争屋)を排除する方向に向ったのである。それが、今年初頭の『エコノミスト』の表紙に表現されていると言えよう。

安倍が…

 やはり、私のユダや資本の二分化仮説は正しかったのである。
 そう、旧約聖書かみると、二つの神がいる。ヤハウェとエローヒーム(神の複数形)である。
 これは、父権神と母権神である。
 つまり、ユダヤ民族は父権民族と母権民族がいるのである。
そして、前者がシオニストとなり、戦争屋となったのであり、そして、今や、母権民族の隠然ユダヤ人が台頭し、世界を共同体平和資本主義へと転換させていると言えよう。
 そう、これは私が提唱している新母権主義の強力な発動である。
 では、翻って、阿米背犬やそれを支配する戦争屋の動かす日本をみたとき、何が見えるだろうか。
 戦争屋のピエロの阿米PMは、日中戦争を画策する。そして噴く威笞を、悪魔的に放置する。
 そう、戦争屋の悪魔の憑依した阿米背犬が見えるのである。
 とまれ、新母権主義に切り替わりつつある世界環境において、フクイチは地球破壊の様相である。放置できない。
 新母権勢力が、管理するはずである。 二階氏の動きはそれに連動するだろう。
 新母権隠然ユダヤ資本の力学によって、日本の政治力学が急激に転換すると思われる。
 そう、放射能汚染によっても急展開するだろう。
 日本企業が日本政府に反旗を翻せば、戦争屋政権は崩壊するだろう。
 とまれ、以下の記事はたいへん秀逸な必読記事である。超推薦である。



イスラエル支配を脱したい欧州
2015年6月12日  田中 宇


「ユダヤ人差別」と戦うふりをして欧州を支配し続けるイスラエル右派との戦いは、本質的に「ユダヤ人と非ユダヤ人の戦い」でなく「親イスラエルのユダヤ人と反イスラエルのユダヤ人の戦い(百年戦争の一環)」である。産業革命とフランス革命以来(つまり近現代の始まり以来)欧州の政財界はユダヤ系の力が強い。彼らは自分たちの素性を隠し、隠然した支配を好む「隠れユダヤ人エリート層」(ロスチャイルド家など)である。そこに19世紀末から殴り込みをかけて「お前らユダヤ人ならカムアウトしてイスラエルを支持しろ」と恫喝してきたのがシオニスト(イスラエル建国主義者、昨今のイスラエル右派)のユダヤ人勢力だった。(イスラエルとロスチャイルドの百年戦争 )

http://tanakanews.com/150612israel.htm
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2015年03月31日 (00:54)

メディアとは何か:権力と権威:資本権力と間接民主主義と代理メディア:文明史的大分岐点の資本権力

メディアとは何か:権力と権威:資本権力と間接民主主義と代理メディア:文明史的大分岐点の資本権力

テーマ:言論の自由/ネット弾圧:サイバー・ウォー

今は思いつきのみ。
 政治権力を考えたとき、それを基礎付ける権威が必要である。古代は宗教的権威があった。つまり、神を信仰していた。天皇制はそのようなものであるし、仏教の権威もあった。
 とまれ、「近代」世俗社会になると、つまり、敗戦後の日本社会は、「民主主義」社会となっている。政治権力は、「民主主義」の権威の裏付けがなくてはならない。民主政である。
 この「民主主義」は間接民主主義であり、国民は、代議士等に権力をあずける。そう、いわば代理制である。つまり、権力と権威の間に代理が入るのである。
 そして、この代理人の説明がメディア、マスメディアではないだろうか。つまり、代理メディアということである。
 そして、資本主義において、間接民主主義は資本の経済力に支配される。だから、代理メディアは、実質、資本権力の代理メディアになってしまい、建前として、国民の代理メディアということではないだろうか。ここには、政治家に見られるような二重構造があるのである。表面は、口先は「民主主義」であるが、実体は、資本権力主義ということになる。
 ここで問題は、権威の問題である。「民主主義」は国民を権威にしているのであり、権威の代理として代議士、政治の解説として、代理メディアがある。
 しかし、政治は権力であり、実際は、資本権力が支配的である。
 ここで何が問題なのだろうか。
 問題は、「民主主義」のもつ権威性である。主権在民であり、ここに国民の権威がある。それは、権力を代理的に構成すると形式になっている。しかし、実質的権力は資本権力である。
 ここには明らかに欺瞞がある。自家撞着がある。
 資本権力にとって、権威があるのだろうか。おそらく、自分自身が権威ではないだろうか。ただ、「民主主義」という擬装をとっているということではないだろうか。
 これは悪政、暴政になるしかないだろうか。
 では、資本権力に克つ権威ないし権力はあるのだろうか。
 おそらく、世俗的にはないだろう。
 しかし、注意すべきは、資本権力には、意識・知性・精神があるのである。
 もし、資本権力の意識が父権的同一性主義ならば、それは、戦争資本主義になるだろう。
 それに対して、資本権力の意識が母権的有機体主義ならば、それは、協働資本主義になるだろう。
 では、メディアの問題に返ると、同じことが言えよう。
 メディアの意識が父権的同一性主義ならば、戦争資本主義のプロパガンダ機関となろう。
 メディアの意識が母権的有機体主義ならば、協働資本主義のコミュニケーション機関となろう。
 どうも、ここに現代喫緊の問題はここにあるようだ。
 日本の場合、資本権力は前者であり、マスメディアはそのプロパガンダ機関になっている。 
 しかし、世界状況は文明史的大分岐点にあるのであり、資本権力は後者が台頭としているのである。
 日本国民は後者については、マスメディアを介しては当然、まったく知らされていないのである。
 私見では、権力はpowerではなく、force(強制力)である。権威はauthorityというより、powerだと思う。
 powerとは、存在の根拠ではないだろうか。権威が希薄ということは、存在の根拠が希薄ということだろう。
 結局、日本国民の意識の強度・深度の問題になってくるのである。
 今はここで留める。後でもう少し整理して言いたいが。

追記:マルクスの『資本論』や近代経済学が生まれた意識的土台は唯物論、利己主義であるが、それは、GP陰陽哲理学的に言えば、父権的自我同一性主義である。
 そう、これまでの経済学が闘争・戦争的であったのは、資本権力の支配者が父権的意識の持ち主だったからだろう。
つまり、資本*意識という複合体を考えるべきなのであり、これまでの資本主義経済は、資本*父権意識主義的経済であったということになる。資本*XのXを存在を無視してきたのである。
 今や、資本*母権意識主義的経済が誕生したのである。それが、ロシア、中国のブリックスであり、また、專葬邪を除くオバマ政権であり、專葬邪から脱出しつつあるEUと言えよう。
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