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2011年04月30日 (13:23)

父権主義=暴力的利己主義が日本権力層に巣くう。民主主義は本来、母権主義から

お知らせ:今、ツイッターでの活動が多くなっています。
http://twitter.com/#!/neomanichaeist

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2011年01月20日 (11:09)

近代日本における母権原基的文化の喪失と父権的唯物論的自我形成:日本伝統文化ルネサンスへ向けて

テーマ:日本民族独立防衛救国救民戦線

以下は先に提起した(「日本の癌の父権主義の根源について」http://ameblo.jp/renshi/entry-10773790429.html )日本人の父権主義化の問題を考察したものである。

以前指摘したのは、古代日本は母権主義の基底をもち、それが、父権主義と均衡した二元極性文化をもっていたが、時代が進むにつれて、基底の母権文化が衰退して、父権主義が進展したのではないのかということであるが、どうも、この仮説が今は妥当ではないかと思う。
 結局、ベースに母権主義が衰退・堕落したまま、父権主義が進展して、とりわけ、戦後の近代合理主義洗脳の結果、父権的唯物論的自我(悪魔的自我)が形成されたということではないだろうか。
 母権的基底・元基が衰退・退廃・腐敗・堕落したまま、父権的上部が構築されたということになる。
 日本伝統文化は、東洋的身体的精神をもち、それが、母権文化を確立していたと考えられる。武士道もそのようなものと考えられる。母権的父権文化である。文武両道文化である。
 しかし、明治の脱亜入欧、戦後の近代合理主義によって、この伝統文化が排除されたのであり、その結果、東洋的身体的精神に基づくべき母権的原基が涵養されずに、父権的近代主義的制圧を受けているのが、現代日本人ではないだろうか。
 明治近代も問題があるが、やはり、戦後の近代合理主義的洗脳の方がこの母権的衰退のより大きな原因だと考える。
 即ち、近代合理主義は、唯物論であり、それは、精神の本体を否定するのであるから、母権的基底は無視されるようになり、父権的自我意識が肥大化したと考えられるのである。
 言い換えると、日本人の母権的原基は未発達のまま、無意識化されて、形成、構築された上部の父権的唯物論的自我に支配されていると考えられる。母権的父権文化であるべき日本文化が、父権的母権文化になってしまったということになる。
 結局、戦後日本社会は、伝統的東洋的身体的文化が洗脳的に排除されて、母権的原基が無意識化されて、未発達となり、唯物論的近代合理主義が父権的自我と結びつき、父権的唯物論的自我が形成され、無意識の母権的原基を規制的に制限・限定し、抑圧するようになったと考えられる。
 この自己否定というべき戦後日本人の意識様態は、正に、被植民地的意識様態であり、文化的奴隷状態と言えよう。日本民族としての精神が奪われ、また、それを喪失して、戦後以降の社会が形成されたのである。端的に、精神の土台、母権的原基を喪失しているので、個的自立・独立が形成されないのである。
 ここで、とりわけ、今日の政治家を見ると、これが、典型的に現われていると言えよう。菅直人という空前(又、おそらく、絶後)の超いい加減な、超軽の首相は、正に、母権的原基、東洋的身体的精神的原基が未発達で希薄なまま埋没的に喪失されているために、父権的唯物論的自我の利己主義、悪魔主義を行使しているのである。
 今日、日本伝統文化ルネサンスが必須である。


2011.1.19(その2)
森田実の言わねばならぬ【41】
平和・自立・調和の日本をつくるために[41]
《新・森田実の政治日誌》[従米政治・財務省支配・マスコミ主導の菅・与謝野体制の政治は危険である/これを阻止しなければ日本が危ない(1)]反大増税・反TPP・反菅政権の行動を起こさなければならない
「二葉にして絶たざれば斧を用うるに至る」(六韜)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C07201.HTML


2011.1.19(その1)
森田実の言わねばならぬ【40】
平和・自立・調和の日本をつくるために[40]
《今日の論点》短期連載[菅改造内閣の七つの大罪(3)]菅改造内閣は世代交代に逆行する「自分さえよければ」主義者連合内閣だ
「枯れ木も山の賑わい」(日本の諺)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C07200.HTML

2010年11月27日 (17:55)

古代日本は古代ギリシアに酷似する:光と闇の陰陽文化:可視的古代ギリシアと不可視的古代日本

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能

天孫降臨の父権的民族は、古代ギリシアの父権的民族に類似する。それは、「アポロ」的民族である。直観では、ゾロアスター教に似た文化をもつ。視覚・美術的民族である。外的志向性をもつ。
 それに対して、土着的先住民がいた。それが、国つ神の民族(縄文・弥生的民族:アジア南方と北方の融合的民族:海洋性と山岳性の融合した民族)であり、古代ギリシアでは、母権的な農耕民族、且つ、東地中海の海洋的民族、即ち、「ディオニュソス」的な民族である。これは聴覚・音楽的民族である。内的志向性をもつ。
 前者が「光」=「火」の民族であり、後者が「闇」=「水」の民族である。(因みに、「天」(アマ)は「雨」(アメ)である。)
 そして、古代日本、古代ギリシアにおいて、両者が出会い(衝突して)、差異共立・共振して、新しい民族文化が生まれたのである。
 それは、「陰陽」文化と広義に言えるだろう。それは、知的感性、感性的知性の文化である。神話・芸術があり、また、哲学・科学があるのである。
 古代ギリシア文化については、今更言うまでもないが、古代日本に関して、解明する必要があろう。
 直観では、古代ギリシアよりも母権文化に傾斜した文化である。それは、神道に表れていると思う。それは、不可視の世界を直観する精神の誕生だと思う。端的に、神道文化が生まれたのだと思う。古代ギリシア文化は父権的傾斜があるので、美術文化を生み出した。
 しかし、日本は目に見えない世界の精神文化、神道・多神教文化を生み出したのではないだろうか。
 古代ギリシアは外界的造形に向かったが、古代日本は内界的直観に向かったのではないだろうか。
 それは、人間認識図では、第三象限文化である。

人間認識図

人間認識図 by Mr Kaisetsu cooperated by Mr Seiseimon

とまれ、古代日本は二重視覚をもったと思う。肉眼と心眼である。そして、心眼が根本であったと考えられる。
 この心眼を映す鏡が神鏡、八咫鏡ではなかっただろうか。

追記:飛鳥時代、仏教文化を受け入れたのは、母体の神道文化である。神道と仏教は見事に調和したのである。

追記2:古代ギリシア人が外界的造形に向かったの言うのは、不正確である。内界的精神の造形を行なったと言うべきであろう。外界的造形へ向かったのは古代ローマ人である。
 古代ギリシアの「アポロ」的精神とは内界的な美術的精神と見なくてはならない。


ニニギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(瓊瓊杵尊 から転送)
移動: ナビゲーション , 検索

神道
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表 ・話 ・編 ・歴

ニニギ(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎ)は、日本神話 に登場する神 である。
神話における記述 [編集 ]

『古事記 』では天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命、天邇岐志、国邇岐志、天日高日子、『日本書紀 』では天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊、天津日高彦瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵、火瓊瓊杵などと表記され、一般には瓊瓊杵尊や瓊々杵尊、邇邇芸命(ににぎのみこと)と書かれる。

天照大神 の子である天忍穂耳尊 と、高皇産霊尊 の娘である栲幡千千姫命 (萬幡豊秋津師比売命)の子。兄に天火明命 (あめのほあかり)がいる。『日本書紀』の一書では天火明命の子とする。

天照大神の命により、葦原中国 を統治するため高天原 から地上に降りたとされる。これを(天孫降臨 )と呼ぶ。『古事記』では、この降臨の地については「竺紫の日向の高穂の久士布流多気に天降りまさしめき」と記述している。『日本書紀』では、「日向襲之高千穗峯」あるいは「筑紫日向高千穗」と記述している。

この降臨の経路の解釈ついては、日向国 の高千穂峰 に降り吾田国(現在の南さつま市 )の長屋の笠狭碕に到達したとする説が有力である。

一方、行政上、日向国が設置されたのは7世紀であり、それ以前の時代には日向国地域は熊曽国 に含まれていたとして、『古事記』の「竺紫」=「筑紫」、日本書紀の「筑紫」から、降臨地は「筑紫国 の日向」であって後世の「日向国」ではないと解釈する異説がある。 降臨した時期について、『日本書紀』巻第三(神武紀)は、神武天皇即位年より179万2470余年前のこととしている。

そこで大山祇神 の娘である木花之開耶姫 を娶り、火照命 (海幸)・火闌降命 ・彦火火出見尊 (山幸)を生んだ。彦火火出見尊の孫が神武天皇 である。亡くなった後は「可愛の山陵」に葬られた。


解説 [編集 ]

名前の「アメニギシクニニギシ」(天にぎし国にぎし)は「天地が豊かに賑う」の意。「アマツヒコ」(天津日高)は天津神 のことで、「ヒコ」(日子)は男性のこと。「ホノニニギ」は稲穂が豊かに実ることの意味である。「ニニギ」は「ニギニギしい」の意で、「にぎやか」と同源語である。神話上ニニギの一族とされている上述の天忍穂耳尊や火照命・火闌降命・彦火火出見尊とは名前に稲穂の「ホ」がある点で共通している。

農業の神として信仰されており、霧島神宮 (鹿児島県 霧島市 )、高千穂神社 (宮崎県 西臼杵郡 高千穂町 )、新田神社 (鹿児島県 薩摩川内市 )、築土神社 (東京都 千代田区 )、射水神社 (富山県 高岡市 )などに祀られている。

埋葬地である「筑紫の日向の可愛の山陵 」の伝承地は南九州各地にある。明治政府はその中から、旧薩摩藩 の学者の意見を参考にして、明治7年に鹿児島県薩摩川内市の新田神社が可愛山陵であると治定した(他の日向三代 の神陵も鹿児島県内に治定している)。

しかし、後の国学者や宮内庁の調査により、明治29年、宮崎県東臼杵郡 北川町 の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」、宮崎県西都市 西都原古墳群 にある男狭穂塚 を「可愛山陵参考地」と定めた。また、可愛岳そのものが神陵であるという伝承もある。


関連項目 [編集 ]

* 日本の神の一覧


執筆の途中です この「ニニギ」は神道 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 などして下さる協力者を求めています (ポータル 神道 /ウィキプロジェクト 神道 )。
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%8B%E3%82%AE 」より作成
カテゴリ : 日本の神 | 天津神 | 農耕神

古代人の息吹 今に

2010年11月27日
写真

描かれた絵の種類を記した壁画の加工写真=水戸市教委提供
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石室の奥壁には5種類8個の武器と武具の壁画が確認できる=水戸市元吉田町の吉田古墳、目黒隆行撮影
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2006年の発掘調査の様子。中央右よりに周溝の角が確認され、多角形古墳の一端が見える=水戸市教委提供

 古代人の息吹が常陸の地でよみがえった。ダイナミックな線刻壁画と多角形とみられる姿を現した吉田古墳。深まる謎は、史家の想像力をかき立てる。(吉村成夫)

<厳粛な雰囲気 荘厳な線刻壁画>

 水戸駅から南に1・5キロ。市立千波中近くの静かな住宅街に、吉田古墳はある。

 38年ぶりに開いた横穴式石室に入った。埋めていた砂が取り除かれたのは2日前だ。

 奥行き約7・5メートル。江戸期に土砂を再利用された影響か、手前半分はなくなり、入り口の羨道(せん・どう)は石が二つ残るだけ。亡きがらを納めた玄室の側壁も一部傾いている。

 玄室は、高さ・幅とも1・8メートル程度。灰褐色の壁の中は薄暗くひんやりとして、厳粛な雰囲気だ。左右に、現代人による名字などの落書きが幾十もある。38年前までは埋められておらず、自由に出入りできたらしい。

 奥の壁には、線刻で描かれた装飾画が一面に広がる。上下左右とも1・2メートルほどの範囲に武器や武具の絵が並ぶ。大刀(た・ち)、刀子(とう・す)(ナイフ)、靱(ゆき)(弓矢を入れる道具)が克明に彫られ、鉾(ほこ)と鞆(とも)(弓矢を射る手に装着する)と思われる模様が間を飾る。上下左右とも1・2メートルほどか。実に規則的な配置で、荘厳さを感じた。線は数ミリ程度で細く浅い。鉄製の刀子を使ったという見方が有力だ。

 現在、吉田古墳の外見は小さな塚のようだが、実際には十数倍の範囲に八角形の可能性の高い多角形墳が広がっていた。墳丘の周囲の堀(周溝)が発掘され、その証拠になったが、現在は埋め戻されて畑などになっている。

<深まる謎 ふくらむ夢>

 新たな発見により新たな課題が生まれ、意見の相違が出てくる。本当のおもしろさはこれからだともいえる。

●何角形なのか

 八角形墳は全国の古墳16万基のうち、可能性のあるものを含め約20例しかない。畿内では正八角形で、角が敷き詰めた張り石で確認されるものが多く、天皇陵を特徴づけるものとされる。

 吉田古墳について市教委は主に南側の発掘で、周溝から4角を確認し、全体をややゆがんだ八角形と推定した。今後北側を調査すれば「断定できる可能性がある」とする。

 古墳時代に詳しい大塚初重・明治大名誉教授(考古学)は、最低でも六角形で、八角形の可能性は十分にあるとみる。「多角形に墳丘を整えた被葬者の意志が感じられる。在地の有力者が畿内の新しい世界観を取り入れていたと考えれば、当時の地方に中央の文化がいち早く伝わり、決して遅れてはいなかったといえる」と語った。

 古墳の構造に詳しい土生田純之・専修大教授(考古学)は慎重な立場だ。吉田古墳は角が石ではなく溝で確認されている点や、未調査の部分で必ず角が出るとは限らないなど様々な可能性をあげ、「八角形との断定は危険。多角形も断定するのに十分ではないだろう」と指摘。時期については、「近くの虎塚古墳の流れから7世紀第2四半期と思われ、律令体制の前なので、八角形であっても中央とあつれきが出る時期ではない」とも述べた。

●被葬者はだれか

 墓碑銘を持たない日本の墳墓は、大半で被葬者がわかっていない。考古学でこの問題は「一番意地悪な質問」ともいわれる。

 市教委は、線刻壁画や古墳の形状が水戸周辺では確認されていないものなので系譜をたどれず、「特定の地元の豪族と結びつけることは今はできていないが、情報を持っている人間だろう」とする。

 夢をみようと、専門家にあえて自説をうかがった。川崎純徳・県考古学協会会長は「論議はわかれるが、私は国造(くにの・みやつこ)の一族と思う。壁画は九州に多く見られ、同時代のものが茨城にもあった。九州系統の豪族が中央政府の命令でこの地にきた。その一族ではないだろうか」と述べた。
 大塚名誉教授は「天皇と同様の八角形にこだわる地元の有力な豪族か、中央政府から派遣された高級行政官や軍人などが考えられる」と話す。
http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001011270002

2010年10月25日 (14:39)

+1凸i*+1凹i=+1:半封建/半近代的自我の日本人:唯物論的であり、精神界が欠損している

先に以下の感想を述べた。
「情けは情け、義は義である。」:森鴎外『阿部一族』の柄本又七郎
http://ameblo.jp/renshi/entry-10686451402.html
結局、この柄本又七郎の「情けは情け、義は義である」という発想は、基本には、やはり、自我、偽装自我+1凸iがあると見るべきである。そしてその偽装自我が偽装他者+1凹iを狡猾に知覚して、計算、打算的に行動を取るのである。これは、言うならば、半封建/半近代的自我である。以前も指摘したが、これが、「近代」日本人の類型になっているように思う。
 これは世間体に囚われる自己保身的、非個的人間である。ここには、物質界+1はあるが、精神界-1が欠損しているのである。
 問題は、いったいどうして、精神界-1を完全喪失するようになったのか。それとも、もともと希薄なのか。
 後者の可能性があるが、やはり希薄にさせられたように思う。一体何があったのか。What happened to Japanese?
 本来、誰でも、差異共立(共融)の精神をもって生まれるだろう。それは、精神界-1と通じている。
 しかし、誕生後は、物質界に母体から分離して生存することになり、⇒+1の+1が重要な意味をもつようになるのだ。ここに、物質的自我が生まれるのである。  
 思うに、自我の核は凸iである。いわば、原自我である。これは、知能を司るだろう。 
 そして、物質的自我+1凸iは、社会を認識する。それは、他者である。しかるに、日本社会は偽装他者+1凹iの社会である。そこで、物質的自我はそれを捉えて、偽装他者を利用するのである。それが、柄本又七郎である。そして、菅直人である。(以前は私はこれは官僚タイプだと言ったが、当たらずとも遠からずであろう。)思うに、愚民はこれをさらに劣化させたものである。偽造することすらできないのである。 
 では、肝心の精神界が喪失される力学を考えたい。これは簡単に言えば、社会に精神界が喪失しているので、個人が精神性を喪失すると言うことができる。日本の場合はとりわけ戦後である。近代合理主義、唯物論、近代民主主義が導入されたのである。
 しかしながら、外的な理由よりも、内的な理由の方が積極的、本質的である。個とは差異共立(共融)且つ差異共振に基づくだろう。ルネサンスとはそういうものであった。 
 しかしながら、日本文化は母権文化が基盤にある。それは、凹iの文化である。しかし、封建主義によって、それが、父権的傾斜を受ける。そうすると、+1 凹iになるだろう。これは、似非父権文化である。母権が捩れていると考えられる。(日本語に、主語が希薄なのと関係するのではないだろうか。)
 繰り返すと、ルネサンスは、差異共立(共融)であり、それは、-1凹i(第三象限)が根源にある。イタリア・ルネサンスで、新プラトン主義が起きたのも不思議ではない。それは、古代的な神秘主義に通じると言えよう。(日本において、禅仏教がそれに近い発想をもっているだろう。例えば、道元である。)問題は、ルネサンスの場合、差異共立から差異共振へと展開したことである。それは、西洋文化の凸iの傾斜に拠ると見ていいだろう。つまり、同一性へと傾斜したのである。そして、その帰結がデカルト哲学と考えられる。  
 日本文化においては、西洋文化のような凸iの強い傾斜はない。
 凹iの傾斜による物質化+1、即ち、+1凹iが生起すると考えられる。世間である。 
 問題は、凹i⇒+1のプロセスである。もし、凹i⇒-1の契機があれば、+1凹iへのプロセスは強固にならないはずである。しかるに、日本において、凹 i⇒-1の契機が乏しかったと言えよう。 しかし、「近代化」以前においては、神道、仏教、民俗祭礼等があり、それは、凹i⇒-1の契機をもっていたと考えられる。 明治維新によって、凹i⇒-1の契機は天皇制、国家神道が吸収したと考えられる。そして、戦後においては、その回路が断ち切られたと考えられる(三島由紀夫の「断絃のとき」)。  
 問題はやはり、凸iの原自我の希薄さではないだろうか。もし、強い凸iがあれば、天皇制や国家神道に吸収されることはなかったはずである。 
 では、天皇制、国家神道を形成した明治政府の力学とは何であったのか。それは、柄本又七郎的半封建/半近代的自我の力学ではないだろうか。確かに、凸 i⇒+1はあるが、それは、凹i⇒+1を顧慮する狡猾な自我に過ぎないのである。つまり、+1凹iに囚われる自我に過ぎないのである。(追記:これはあまりに一面的である。例えば、坂本龍馬や横井小楠などの考えは、封建制を脱している。それは、精神的民主主義である。私の唱えるトランス民主主義に近いだろう。) 
 すると、やはり、先に述べたように、日本母権文化のデカダンスが見えてくるのである。積極的な原自我凸iがあれば、凹iへの顧慮ではなく、凸i*凹iの差異共立(共融)が生起可能となり、-1の精神界が予感されるはずである。 
 私は先に、日本の父権文化はユダヤ教ではないかと言ったが、それは、まったく間違いだろう。ユダヤ教が導入されていれば、あるいは、キリスト教が入っていれば、強固な自我文化が生まれたはずであるが、それがなかったからである。(追記:正確に言うと、平田篤胤の神道には、キリスト教が導入されているのである。だから、国学には、一神教性があったと考えられる。父権的なものである。これについては検討課題である。) 
 日本母権文化のデカダンス、これが、現代日本の狂態を生んでいると考えられるのである。日本人が英語が苦手なのもこの点と関係しよう。英語は父権的言語(主語+動詞)であるからだ。 
 日本人を再生させるには、父権文化の導入が必要である。私は主語+動詞(述語)のある外国語を日本人は身に着けるべきであると思う。これは、思考を自我的論理にするからである。主語の希薄な日本語、述語的日本語は、差異欠損的であり、半封建/半近代的である。あるいは、未分化的である。差異未分化的ということである。それは究極のところ、菅直人的な二重人格的欺瞞論理となるのである。

* 菅首相、TPPの調整加速指示 「農業と両立可能」 共同通信 (21時48分)

(この点は別の機会に考察しよう。)
 思うに、戦後日本人が凹i⇒-1の第三象限へと展開するチャンスがあった。それが、折口信夫の新神道論であるが、戦後近代合理主義の狂信の中で、無視されたのである。
 また、オカルト・ブーム、精神世界の流行も、内因として、超越性を求める志向があるだろう。しかしながら、それは、一般には、自我が希薄なのである。その典型がオウム真理教事件である。 
 その点から見ると、シュタイナーの精神学は自我ichを基盤にしているので、それなりに考察に値するものである。(確かに、あまりに、内界に傾斜している難はあるが。)
 そう考えると、日本人に必要なのは、哲学的思考、哲学的知性であると言えよう。哲学は、知的に内的世界を探究するものであり、その点では、原自我凸iを介在させているのである。本質は直感的思考であると思うが、原自我凸iの知性を道具としているのである。(思うに、原自我凸iとは、フッサールの超越論的自我と一致しよう。)
 結局、現代日本人にとって、外国語研究、哲学研究が必要である。精神のインフラ、知のインフラが抜けているのである。そう、個となること、原始仏典にある「犀の角のように唯一人歩め」が必須である。集団、群れを成すな。

追記:国学が一つの問題である。本居宣長の「大和心」について解明する必要がある。それは、非合理主義でありつつ、且つ、自我的なのである。これをどう説明するのか。
 「漢心」(合理性ないし自我性)を排除するから非合理主義なのである。あるいは、情動主義である。しかるに、「漢心」を排除する二項対立論理があるのである。
 つまり、自我と非合理主義が結合した論理がそこにあるのではないだろうか。これは、ロマン主義に近い論理である。それは、第一象限と第三象限の混淆ではないだろうか。
 これは、-1凹i=+1凸iの短絡論理ではないだろうか。超越性・無我性と物質・自我性がショートしているのではないだろうか。これが、尊王攘夷の狂信の原理ではなかったのか。今はここで留める。後で、再考したい。

****************************
「偽装自我」と「真正な無我」:+1凹i*+1凸i=+1の民主党指導層?
テーマ:検討問題:思考実験・仮説・エッセイ・メモ
以下、生成門氏の偽装自我VS真正の無我の視点は興味深い。
 これは、意識と無意識(潜在意識)にも関係しよう。私は民主党の左派的人間の自我とその反動性の力学をどう解明しようかとは感じていたのでもあった。
 言うことと為すことがまったく乖離し、正反対になっている民主党の指導部であるが、それは偽装自我の視点で説明できよう。他者、凹iが欠落しているのである。正確に言えば、-1凹i(第三象限)の他者である。だから、他者偽装するのである。「コンクリートから人へ」。
 思うに、純粋な(?)自我の人は、+1凸i(第一象限)であり、他者偽装しない。ストレートである。他者偽装するのは下心があるからである。それは、+1凹i(第四象限)であろう。これが、他者偽装するのである。
 そう見ると、民主党指導層は、+1凹i(他者偽装)と+i凸i(自我)の二重人格であると言えよう。選挙では、前者が前面に出て、後者を引っ込める。そして、選挙に勝つと、逆転して、前者が消えて、後者となる。
 かれらに「個」ないし真正の無我がないのは、-1の超越性が欠落しているからである。つねに、二重性を使い分ける、悪賢い人間なのである。しかしながら、真実、真理は、-1の領域ないし第二象限か第三象限に存するのである。故に、彼らは愚鈍・愚劣でもあるのである。
 意識と潜在意識で言えば、意識が自我であり、潜在意識が偽装他者である。
 ここから、ペテン師の真相がわかる。偽装他者(偽装自我)を使って、欺し、自我利益+1を獲得するのである。
 外交もこの面が強いだろう。ただし、常に、-1をもっていないと、見透かされ、馬鹿にされる、民主党指導層のように。小沢一郎が一目置かれるのは、あるいは、恐れられるのは、-1、ないしは、第二象限と第三象限があるからである。誠意、誠実さとは-1に拠るのである。
 ここから、政治教育がはっきり認識される。プラトン哲学も、-1の認識を目指したものと言えよう。

参照:人間認識図(by Mr Kaisetsu)
人間認識図


Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation
**************************

本来、+1凹iは自我の対称性である無我ですから、無我の心-1凹iの反転した現れのはずですが、+1凸iの自我から反動した+1凹iは、無我ではなく擬装自我なのです。つまり無我のように見えて真正の無我ではなく、恨みを抱えた自我なのです。

+1の反動

+1凸i=自我→(反動)→+1凹i=無我(擬装自我)

-1からの反転

-1凸i(凹i?)=無我の心→(反転)→+1凹i=真正の無我


擬装自我と真正の無我の心との戦いが、この物語の主人公チュモンの生き様であり、テーマでもあるのです。

無我の心とは-1凹iであり、それを反転した+1凹iが真正の無我の自己であり、自我+1凸iから反動したのが+1凹iの擬装自我なのです。
http://www.c-player.com/ad00178/thread/1100098199050

* チュモンというベクトル・モード(1):恨みは進化の原動力 (1)

シムダンス「四次元能」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10682083204.html

2010年06月22日 (19:56)

ア菅首相は大企業・米国路線だ:日本人の意識の絶対的差異化の必要:トランス・モダン=新東洋の覚醒

テーマ:菅民主党ロックフェラー植民地売亡国政権

アカン内閣が、一般国民イジメ政権であることは、消費税増税で明々白々であるのに、国民は反抗しない。反抗権は、米国では、市民の権利である(デービッド・ソロー)。
 私が直感したのは、日本人は縄文時代の母権制が強く、マイナス1の初期様態に止まっている、きわめて稀な、考古学的存在だということである。
 結局、イタリア・ルネサンスのようなmedia pointの覚醒を日本民衆は経験していないのである。もっとも、明治維新は下級武士による一つのルネサンスではあったが。明治維新後、自由民権運動は抑圧されて、「大東亜戦争」という狂気の戦争に突き進んだ。
 問題は、マイナス1をもった個・差異の様態である。有り体に言えば、media point的存在である。
 結局、始原的マイナス1の様態が強いので、集団的一如に日本人は染まるのである。これは、個・差異であることを恐れている怯懦の精神に拠るのである。
 だから、その意味では、始原のマイナス1を殺すのは、意味があることである。
 しかしながら、マイナス1を保持しつつ、個・差異であることは、可能であるし、それが、「進化」である。
 それは、社会有機体的個・差異であるということである。差異一如であり、かつ、差異であるという意識である。それは、即非様態である。
 日本国民が差異・個になることを恐れているのは、支配者・権力者である。政治家や官僚である。だから、日本民衆ルネサンスが必要である。
 そう、マイナス1を西洋のように殺戮するのではなく、マイナス1=ダーク・マターの産む差異共立一如精神に目覚めるべきだ。新東洋の覚醒である。


参考:

# 個人のパワーが躍動する経済へ
http://ameblo.jp/adco/entry-10570130762.html

# 日本経済の低迷は自由な市場経済のせいか
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スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節



[06/22] 「社会保障のための消費税」という表現に丸め込まれそうなあなたに。 (不定期連載『決まり文句を疑う』) New!!
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村野瀬玲奈の秘書課広報室


ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
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ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
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表 ・話 ・編 ・歴

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau、1817年 7 月12日 - 1862 年 5 月 6日 )は、アメリカ合衆国 の作家 ・思想家 ・詩人 ・博物学者 。

来歴・人物 [編集 ]

マサチューセッツ州 コンコード市 出身。ハーバード大学 卒業後、家業の鉛筆 製造業、教師 、測量 の仕事などにも従事したが、生涯を通じて定職につかず、やがて学生時代に熟読した『自然』の著者で超絶主義者のラルフ・ウォルドー・エマソン らと親交を結んだ。

自費出版した処女作『コンコード川とメリマック川の一週間』(1849年 )は、若くしてこの世を去った兄とのボート旅行をまとめた随想で、当時の社会には全く受け入れられなかった。

代表作『ウォールデン-森の生活』(1854年 )は、二年二ヶ月におよぶ森での一人暮らしの記録をまとめたものであり、その思想は後の時代の詩人や作家に大きな影響を与えた。

ソローの死後『メイン の森』(1864 年 )や『コッド岬』(1865年 )などの旅行記や、自然誌エッセー、日記、書簡集等、数多くの作品が出版されている。ソローの作品は、人間と自然との関係をテーマにしたものが多く、自然文学、いわゆるネイチャーライティング の系譜に位置づけられる。

多くの著作に現在の生態学 に通じる考え方が表明されており、アメリカにおける環境保護運動の先駆者としての評価も確立している。日本においてもアウトドア 愛好家などに信奉者が多い。

ソローは奴隷 制度とメキシコ戦争 に抗議するため、人頭税 の支払いを拒否して投獄されたことがあり、その様子は「市民的不服従 」としてマハトマ・ガンディー のインド 独立運動やキング牧師 の市民権運動などに思想的影響を与えた。

なお代表作『ウォールデン-森の生活』は、日本で明治44年(1911年)に水島耕一郎によって翻訳された後、21世紀の現在に至るまで多くの翻訳が出版され、代表的な翻訳は10数冊(抜粋訳等を含めると約30冊)ある。原書のペーパブック版も購入し易い。
主要作品 [編集 ]

※下記は近年刊行の訳書。

* 『ウォールデン 森の生活』 (Walden:or, the Life in the Wood, 1854年 )

佐渡谷重信 訳 『森の生活 ウォールデン』 講談社学術文庫 ,1991 年
飯田実 訳 『森の生活 ウォールデン (上下)』 岩波文庫 ,1995 年 /ワイド版,2001年
酒井雅之 訳 『ウォールデン』 ちくま学芸文庫 、筑摩書房 ,2000 年
今泉吉晴 訳 『ウォールデン 森の生活』 小学館 ,2004 年
真崎義博 訳 『森の生活』 宝島社  1995年、2005年/宝島社文庫 1998年、2002年

* 『メインの森』 (The Maine Woods, 1864年 )

佐渡谷重信訳 講談社学術文庫 1994年
小野和人訳 金星堂 1992年
大出健 訳 冬樹社 1988年

* 『コッド岬 海辺の生活』 (Cape Cod, 1865年 )

飯田実訳 工作舎 1993年

* 『市民政府への反抗(市民的不服従)』 (Resistance to Civil Government, 1849年 )
o 親族と友人によって編集・改題され死後出版された(Civil Disobedience, 1866年 )

飯田実訳 岩波文庫 1997年/山口晃訳 文遊社 2005年

* 『ザ・リバー』 (The river) ダドリ・C.ラント編

真崎義博訳 宝島社 1993年

* 『森を読む 種子の翼に乗って』(Faith in a seed)  

伊藤詔子訳 宝島社 1995年

* 『野生の果実』(Wild fruits) ブラッドレイ・P.ディーン編

伊藤詔子・城戸光世訳  松柏社  2002年

* 『生き方の原則 魂は売らない』(Life without principle)

山口晃 訳 文遊社 2007年

* 『ウォーキング』 (Walking) 

大西直樹 訳 春風社 2005年

* 『月下の自然 夜の散歩と思索のエッセイ』 (The Moon)

小野和人訳 金星堂 2008年

* 『ソロー語録』

岩政伸治訳 文遊社 2009年

参考文献 [編集 ]

* 『新たな夜明け ウォールデン出版150年記念論集』 「Henry David Thoreau-Walden」

日本ソロー学会編 金星堂 2004年

* 『ヘンリー・ソローの日々』 ウォルター・ハーディング

山口晃訳  日本経済評論社 2005年

* 『ヘンリー・ソローの暮らし』 ヘンリー・S.ソルト 

G.ヘンドリック,W.ヘンドリック,F.エールシュレーガー編  山口晃訳 開文社出版 2001年

* 上岡克己 『ウォールデン』研究 旺史社, 1996年
* 『ヘンリー・デイヴィッド・ソーロウ研究』 リチャード・J.シュナイダー

上岡克己訳、ニューカレントインターナショナル, 1993年

* 『ヘンリー・デイヴィド・ソーロウ』 フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターン

上岡克己訳  開文社叢書8 開文社出版 , 1989年

関連項目 [編集 ]

* ハーバード大学の人物一覧

外部リンク [編集 ]

* 日本ソロー学会
* ソロー ヘンリー・デイビッド:作家別作品リスト (青空文庫 )

***********************

首相が消費税増税で「政治生命かける」 9党党首討論速報

 菅直人首相(民主党代表)は22日午後の日本記者クラブ主催の9党党首討論会で、消費税増税に関し「議論が煮詰まり、案が出せる段階で、国民の皆さんにしっかりと判断をいただくことが必要だ」と述べ、衆院解散・総選挙で信を問う可能性に言及した。(産経新聞)
[記事全文]

◇民主党マニフェストに増税明記せず
・ 自民党の谷垣総裁、消費税協議に「公約でないなら乗れない」 9党党首討論速報 - 産経新聞(6月22日)

◇ほかの党の考え
・ 国民新党の亀井代表「消費税論議は国民の苦しみ分かってない」 9党党首討論速報 - 産経新聞(6月22日)
・ 新党改革の舛添代表「政治家がまず身を切るべきだ」 9党党首討論速報 - 産経新聞(6月22日)
・ 渡辺喜美みんな代表「『官内閣』情けない」 9党党首討論速報 - 産経新聞(6月22日)
・ 志位共産党委員長「消費税増税は大企業減税の財源作り」 9党党首討論速報 - 産経新聞(6月22日)
・ 山口公明党代表「消費税引き上げとんでもない」 9党党首討論速報 - 産経新聞(6月22日)

◇財政戦略でも抽象的表現にとどめた
・ <基礎収支>「20年度黒字化」明記…財政戦略を閣議決定 - 毎日新聞(6月22日)

2010年05月18日 (23:33)

現代日本政治家は権力亡者だ:日本の似非民主主義/愚民主主義:東京解体へ

テーマ:ニッポン亡国凶相:売国奴と愚民と奴隷根性

結局、現代の日本人は「個」として生きていないのである。思うに、自我としても生きていない。いわんや、自己として生きていない。
 ほぼ動物に退化しているのが、現代日本人である。これは、滅ぶしかないだろう。しかし、この亡国の原因を考えるべきである。今日、折口信夫を知っているは、ごく一部の教養人であろう。
 彼は、日本人は宗教性が長らく欠けていたと述べている。記憶があいまいだが、鎌倉時代以降、宗教性が衰退したと述べている。そして、「第二次世界大戦」の敗戦は、日本の神が西洋の神に敗れたことであると述べている。
 折口信夫の鋭敏なところは、宗教性が権力を形成すると考えていることである。これは、マルクスよりはるかに鋭いのである。
 ここで明確にすべきことは、私が言う宗教性とは、精神的エネルギー、主観的エネルギー、個的エネルギーのことである。神を信じる云々は二義的なことである。だから、生への信念の問題と言える。
 とまれ、折口は敗戦後が新しい神道の時代になることを期待したのであるが、それは、まったく無視されたと言えよう。敗戦後の連合国の占領政策の洗脳が効いたのである。(思うに、明治維新は宗教的エネルギーの産物である。)
 私が言いたいことは、政治とは「宗教性」そのものであるということである。ヘゲモニーである。
 日本における、この「宗教性」=権力性を衰退させた原因が見極める必要がある。それは、直感では、徳川幕府である。江戸という非生産的消費主義的都市を造り、江戸を唯物論的にしたのである。つまり、原東京とは唯物論都市なのである。ここが「宗教性」=権力性を喪失させた原因と思うのである。
 私見では、日本のマイナーな地方は「宗教性」=権力性があるが、それが、東京という唯物論都市によって、破壊されてきたのである。これは、徳川幕府の悪しき遺産であると思うのである。
 思うに、日本が生き延びるには、東京を解体する必要があるのである。これが癌である。そして、東京をまねる地方都市も癌である。
 考えれば、明治維新を創出したのは、薩長土肥である。東京という唯物論都市に感染して腐敗堕落したと考えられる。東京を解体せよ!


1年以上失業114万人=職探し長期化―総務省1~3月期調査

5月18日18時20分配信 時事通信
 総務省が18日発表した労働力調査(2010年1~3月期平均)によると、完全失業者(332万人)のうち期間1年以上の長期失業者は前年同期比23万人増の114万人で、四半期ベースで過去3番目に多い水準だった。100万人を超えたのは05年1~3月期以来5年ぶりで、増加幅は02年の調査開始以来、最大になった。
 総務省は「職がなかなか見つからず労働市場に長期間滞留する失業者が多く、さらに増える可能性もある」と指摘する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100518-00000146-jij-pol

【関連ニュース】
・ 09年度求人倍率、最悪の0.45倍=3月失業率5.0%、4カ月ぶり悪化
・ 40代自殺の増加幅最大=20~30代は過去最悪-12年連続3万人超
・ 【図解・経済】完全失業率と有効求人倍率
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折口信夫
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折口 信夫(おりくち しのぶ、明治 20 年(1887 年 )2月11日 - 昭和 28 年(1953 年 )9月3日 )は、日本の民俗学 、国文学 、国学 の研究者。

釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。折口の成し遂げた研究は「折口学 」と総称されている。
略歴 [編集 ]

柳田國男 の高弟として民俗学 の基礎を築いた。みずからの顔の青痣をもじって、靄遠渓(あい・えんけい=青インク)と名乗ったこともある。

歌人 としては、正岡子規 の「根岸短歌会 」、後「アララギ 」に「釈迢空」の名で参加し、作歌や選歌をしたが、やがて自己の作風と乖離し、アララギを退会する。 1924年(大正13年)北原白秋 と同門の古泉千樫 らと共に反アララギ派を結成して『日光』を創刊した。
柳田國男との関係 [編集 ]

大正4年(1915年 )の『郷土研究 』誌に載った論文で、互いに似通った折口と柳田の論文が前後して載せられるという事件があった。折口が昨年のうちに送ったものが採用されず、柳田の「柱松考」が3月号、折口の「髯籠の話」が4,5月号に載ったというものだが、それを後に振り返って折口が言った「先生の「柱松考」を先に見ていれば、わたしは「髯籠の話」など書かなかった」という言葉に、潔癖さ、厳しさが表れている。

そして柳田も「(折口君という人は)真似と受け売りの天性嫌いな、幾分か時流に逆らっていくような、今日の学者としては珍しい資質を具えている」とその点では認めていた。ただし「マレビト 」を認めない柳田と折口の間に論争があったのも事実である[1] 。二人は国学 の先輩方に当たる賀茂真淵 ・本居宣長 師弟のように、教えを受けながらも正当だと思った所は譲らず真理の追求を磨く学者の関係を持っていたといえる。

柳田は折口より十二歳年上であったが、共に昭和20年(1945年 )の敗戦 時には60歳を既に迎えていた。その戦後のこと、重い口調で柳田は折口に話しかけたという。「折口君、戦争中の日本人は桜 の花が散る ように潔く死ぬことを美しいとし、われわれもそれを若い人に強いたのだが、これほどに潔く死ぬ事を美しいとする民族が他にあるだろうか。もしあったとしてもそういう民族は早く滅びてしまって、海に囲まれた日本人だけが辛うじて残ってきたのではないだろうか。折口君、どう思いますか」その問いにしばらく両者深く思い沈んでいたという。折口には、18年間共にした養嗣藤井春洋 の硫黄島玉砕 という重い出来事があった。その追悼の念は徹底的で、敗戦の詔 を聞くと四十日間喪 に服し、自分の死ぬまで遺影 前の供養を欠かさなかったという。第二次大戦 で失った戦死者の鎮魂 は大きな課題で、戦没者 が生前に殉じる価値を見出そうとした皇国 などといった概念も天皇の人間宣言 とともに潰え果てたのである。柳田も日本人の神や魂といった問題意識は共有していて、折口は後その問題を「民俗史観における他界観念」という著に収斂させていくこととなる[2] 。

柳田が民俗現象を比較検討することによって合理的説明をつけ、日本文化の起源に遡ろうとした帰納 的傾向を所持していたのに対し、折口はあらかじめマレビトやヨリシロ という独創的概念に日本文化の起源があると想定し、そこから諸現象を説明しようとした演繹 的な性格を持っていたとされる。なお角川ソフィア文庫 版『遠野物語 』に折口の跋文がある。
トリビア [編集 ]

* 天文学者 の萩原雄祐 は府立今宮中学校時代に折口に師事したことで知られている。
* 三島由紀夫 の短篇「三熊野詣」に登場する国文学者藤宮や、舟崎克彦 の長篇『ゴニラバニラ』に登場する民俗学者折節萎(おりふし・しぼむ)は折口がモデルといわれている。
* 同性愛者 (男色 家)であり、高弟加藤守雄 に同衾を強要したことでも知られる。養子の折口春洋 (旧姓藤井)も事実上の愛人 だった。このような折口の性的指向に対して柳田國男 は批判的で、折口の前で加藤に向かって「加藤君、牝鶏になっちゃいけませんよ」と忠告した[3] こともある(牝鶏という言葉は、男性同士の性行為 を意味する鶏姦という語と関係があり、いわゆる稚児 、若衆 を指すと解される)。
* 「同性愛を変態だと世間では言うけれど、そんなことはない。男女の間の愛情よりも純粋だと思う。変態と考えるのは常識論にすぎない」と述べた。[4]
* 折口が主査となり博士号を授与した、西角井正慶 、高崎正秀 、藤野岩友 、今泉忠義 、大場磐雄 の高弟五人を指して折口信夫の五博士という。各博士たちは、折口の学問を継承し、各自の分野において優れた業績を残した。「五博士」という言い方は、折口自身が言い始めた。大場磐雄による西角井正慶の追悼文(「西角井正慶さんのみたまにささげる詞」『芸能』第13巻第2号(通巻144号) 1971年2月)には、「先生(引用者注・折口信夫)によつて学位を頂き、先生から五博士と呼んで下さつた仲間」と書かれている。

年譜 [編集 ]
「折口信夫生誕の地」の碑と文学碑(大阪市浪速区敷津西1丁目)

* 明治 20年(1887 年 )2月11日 - 大阪府 西成郡 木津村 (現在の大阪市 浪速区 鷗町)に父秀太郎、母こうの4男として生まれる。
* 明治23年(1890年 )- 木津幼稚園に通う。
* 明治25年(1892年 )- 木津尋常小学校 (現在の大阪市立敷津小学校 )に入学。
* 明治27年(1894年 )- 叔母えいから贈られた『東京名所図会』の見開きに初めて自作歌を記す。感謝の念篤く、『古代研究 』にはこの叔母への献詞を載せている。
* 明治29年(1896年 )- 大阪市南区竹屋町、育英高等小学校 に入学。
* 明治32年(1899年 )4月 - 大阪府第五中学校(後の天王寺中学) に入学。中学の同級生には武田祐吉 (国文学者)、岩橋小弥太 (国史学者)、西田直二郎 などがいた。
* 明治33年(1900年 )夏 - 大和 の飛鳥坐神社 を一人で訪れた折に、9歳上の浄土真宗 の僧侶 で仏教改革運動家である藤無染 (ふじ・むぜん)と出会って初恋を知ったという説がある[5] 。富岡によると、迢空という号は、このとき無染に付けられた愛称に由来している可能性があるという。
* 明治34年(1901年 )- 15歳になったこの年に父親から『万葉集略解』[6] を買ってもらう[7] 。『文庫』『新小説』に投稿した短歌 一首ずつが入選。
* 明治35年(1902年 )- 成績下がる。暮れに自殺 未遂。
* 明治36年(1903年 )3月 - 自殺未遂。作歌多し。
* 明治37年(1904年 )3月 - 卒業試験にて、英会話 作文・幾何 ・三角・物理 の4科目で落第 点を取り、原級にとどまる。この時の悲惨さが身に沁みたため、後年、教員になってからも、教え子に落第点は絶対につけなかった。同じく後年、天王寺中学から校歌 の作詞を再三頼まれたが、かたくなに拒み続けたと伝えられる。大和に3度旅行した際、室生寺 奥の院で自殺を図った若き日の釈契沖 に共感、誘惑に駆られる。
* 明治38年(1905年 )3月 - 天王寺中学校を卒業。医学 を学ばせようとする家族の勧めに従って第三高等学校 受験に出願する前夜、にわかに進路を変えて上京し、新設の國學院大學 の予科 に入学。藤無染と同居。約500首の短歌を詠む。
* 明治40年(1907年 )- 予科修了、本科国文科 に進んだ。この時期國學院大學において国学者 三矢重松 に教えを受け強い影響を受ける。また短歌 に興味を持ち根岸短歌会 などに出入りした。
* 明治43年(1910年 )7月 - 國學院大學国文科卒業。卒業論文は「言語情調論」。
* 明治44年(1911年 )10月 - 大阪府立今宮中学校 の嘱託教員(国漢担当)となる。
* 大正 元年(1912 年 )8月 - 伊勢 、熊野 の旅に出た。
* 大正2年(1913年 )12月 - 「三郷巷談」を柳田國男 主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。
* 大正3年(1914年 )3月 - 今宮中学校を退職し、上京。折口を慕って上京した生徒達を抱え、高利貸 の金まで借りるどん底の暮らしを経験したという[8] 。
* 大正5年(1916年 )- 國學院大學内に郷土研究会を創設する。30歳。『万葉集』全二十巻(4516首)の口語訳上・中・下を刊行する。
* 大正6年(1917年 )
o 1月 - 私立郁文館中学校 教員となる。
o 2月 -「アララギ 」同人となり選歌欄を担当する。一方で、國學院大學内に郷土研究会を創設するなどして活発に活動する。
* 大正8年(1919年 )1月 - 國學院大學臨時代理講師となる。万葉辞典を刊行する。
* 大正10年(1921年 )- 柳田国男 から沖縄 の話を聞き、7~9月、最初の沖縄・壱岐旅行。
* 大正11年(1922年 )
o 1月 - 雑誌「白鳥」を創刊。
o 4月 - 國學院大學教授 となる。
* 大正12年(1923年 )6月 - 慶應義塾大学 文学部講師となる。第2回沖縄旅行。
* 大正13年(1924年 )1月 - 亡師三矢重松の「源氏物語全講会」を遺族の勧めで再興。後慶應義塾大学に移し没年まで続ける。
* 大正14年(1925年 )5月 - 処女歌集『海やまのあひだ』を刊行。
* 昭和 2年(1927 年 )6月 - 國學院の学生らを伴い能登半島 に採訪旅行し、藤井春洋 の生家を訪う。
* 昭和3年(1928年 )4月 - 慶應義塾大学文学部教授となり芸能史を開講。またこの年には「アララギ」を去って北原白秋 らと歌誌『日光 』を創刊。
* 昭和7年(1932年 )- 文学博士 の称号を受ける。日本民俗協会の設立にかかわり、幹事となる。
* 昭和10年(1935年 )11月 - 大阪木津の折口家から分家する。第3回沖縄旅行。
* 昭和15年(1940年 )4月 - 國學院大學学部講座に「民俗学」を新設。愛知県三沢の花祭り、長野県新野雪祭りをはじめてみる。
* 昭和16年(1941年 )
o 8月 - 中国へ旅し、北京で講演。
o 12月 - 太平洋戦争 起こり、藤井春洋応召。
* 昭和19年(1944年 )7月 - 藤井春洋 、硫黄島に着任。春洋を養嗣子 として入籍。
* 昭和20年(1945年 )
o 3月 - 大阪の生家が戦災により焼失する。大本営より藤井春洋の居る硫黄島の玉砕 発表。
o 8月15日 - 敗戦の詔聞くと箱根山荘に40日間籠もる。
* 昭和23年(1948年 )
o 5月 - 古代感愛集により芸術院賞受賞。
o 12月 - 第一回日本学術会議会員に選ばれる。
* 昭和24年(1949年 )7月 - 能登一ノ宮に春洋との父子墓建立。
* 昭和25年(1950年 ) - 宮中御歌会選者となる。
* 昭和28年(1953年 )
o 7月初め - 箱根行き、健康すぐれず。
o 8月31日 - 衰弱進み慶應義塾大学病院に入院。
o 9月3日 - 胃癌 のため永眠。養子として迎えた春洋(戦死)とともに、気多大社 のある石川県 羽咋市 一ノ宮町にある墓に眠る。折口家の菩提寺願泉寺 に分骨が納められている。

系譜 [編集 ]

折口家は木津の願泉寺 門徒の百姓 であったが、曽祖父彦七の時から商家 となり、医院と生薬 、雑貨を商った。長兄が医者の後を継いだ。[7]

祖父の造酒ノ介はもと、大和の明日香村 岡寺前の岡本善右衛門の8男であったが、同地の古社飛鳥坐(あすかにいます)神社の累代の神主家 飛鳥助信の養子 となった上で、折口家に養子として入り、医を業として従来の家業を兼ねた。

父・秀太郎は河内国 の名主 の家の次男で、折口家の養子となり医を継いだ。信夫が生まれて七年のち双生児 の弟が誕生するが、実は母こうが生んだのではなくて、同居する叔母 ゆうと父の秀太郎との間に生まれたのであった。こうした家庭内の愛情にかかわる葛藤も、信夫の心に深い陰影を刻んだ[9] 。

先妻                  ┏あゐ


 ┃                  ┃


 ┣━━━彦次郎     秀太郎    ┣静


 ┃            ┃     ┃


彦七            ┣━━━━━╋順


 ┃            ┃     ┃


 ┣━━━造酒ノ介    ┏こう    ┣進


 ┃     ┃     ┃      ┃


とよ     ┣━━━━━╋ゆう    ┣信夫


       ┃     ┃      ┃


      つた     ┗えい    ┣親夫


                    ┃


                    ┗和夫

・・・・・

外部リンク [編集 ]

* 折口信夫:作家事典
* 折口 信夫:作家別作品リスト (青空文庫 )
* 大阪市 浪速区 「折口信夫(おりくちしのぶ)生誕の地」の碑と文学碑
* 羽咋の偉人-折口信夫・春洋
* 折口信夫父子 ゆかりの地|羽咋市折口信夫父子の墓
* 関連

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%98%E5%8F%A3%E4%BF%A1%E5%A4%AB 」より作成

2010年05月16日 (20:31)

Kaisetsu氏の「コンサバティブ・ラディカル」という新政治概念

テーマ:傀儡ペテン売亡国独裁主義国家癌民主党政権

以下、Kaisetsu氏の現代日本政治分析は透徹したものであり、現代日本政治の流れが明瞭である。
 ラディカルとリベラルの根本的差異の説明が意義深い。これまでの考察から言えば、ラディカルとは、差異主義/母権主義であり、リベラルとは、同一性主義/父権主義である。Kaisetsu氏の言葉では、直観主義と理想主義である。
 思えば、私はイメージから言語観念が生まれた、常々思ってきた。それから言えば、この区別は納得できるものである。
 また、これは、カント哲学批判になるのである。カント哲学は直観主義と同一性主義(悟性主義)の折衷の理性主義である。
 しかし、「理性」とは、直観・直感に基づくものである。言語主義的な同一性主義(悟性)が主導すると、「理性」は「汚染」されて、直観・直感が混濁するのである。
 だから、ポスト・モダンとは、ヘーゲル的であり、且つ、カント的である。
 直観・直感の「清々しい」哲学を説いたのは誰であろうか。これは、芸術家(美術、音楽、文学、他)が表現したのである。直感で言えば、老子であり、シェリングである。


所謂、「ネット右派」は、「コンサバティブ・ラディカル( Conservative radical)」


所謂、コンサバティブとは、理想論よりも現実論、将来の利益よりも現在の利益、理論よりも直観を重視する思考であり、所謂、ネット右派は、このコンサバティブに入る。

 所謂、リベラルとは、現実よりも理想を、現在の利益よりも将来の利益を、直感よりも理論を重視する思考であり、所謂、「サヨク」が、この分類に入る。


 所謂、サヨクは、つい最近まで、野党であり、反体制派であったために、現状を打破することを自己主張の中心とし、将来の幸福を約束することで大衆を操作し、緻密な理論によって合理性を確保する手法を用いてきた。

 一方、右派は、既存体制の支持者であり、現状を肯定することで大衆に安心感を情操し、直観的な意思伝達によって政権への支持を確保してきた。

 ところが、トロツキズムを理論の基礎におくネオ・リベ勢力が、深く既存勢力の中に入り込み、右派の牙城である体制内部に、現状打破のスローガンを持ち込み、保守主義の中に、「現実よりも理想を、現在の利益よりも将来の利益を、直感よりも理論を重視する」手法で、大衆操作をする勢力が頭角を表した。日本では、小泉純一郎である。

 このコンテキストから、この新しい集団を、「New Liberal」と呼ぶことは正確である。

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 

2010年04月26日 (16:31)

現代日本男性の精神の弱さについて:Media Pointの排除に拠る個の喪失

これは知られたことではあるが、解明したい。
 既述したように、男性には+i傾斜があるために、Media Pointを女性のようには(もっとも、最近は父権化している女性が多いので、女性にも関係するのだが)、純粋に保持できない力学があるのである。
 確かに、Media Pointは「女性」的な面がある。思うに、イタリア・ルネサンスはMedia Pointの開花であると考えられ、それが、欧米に普及したのである。日本でも、明治維新にはそのような向きがある。
 私見では、プロテスタンティズムもこれから影響を受けているし、反宗教改革にもこの影響がある。つまり、近代の原動力としてのMedia Pointである。しかしながら、デカルト哲学や近代合理主義でわかるように、Media Pointが同一性と連続化されて、Media Point自体が否定、抑圧、排除、隠蔽されたのである。
 その原因は父権主義、西洋の父権主義のためである。本来、Media Pointは母権的なものである。これを、父権的一神教の西洋文化は認めることができないのである。
 しかしながら、父権と母権との二重性があることを確認すべきである。そして、トランス・モダンとは、父権的近代を超克して、出現する新母権であると考えられる。(母権という言葉に語弊があるので、女権、女性精神等とした方がいいかもしれない。用語については後で検討したい。)
 問題は近代・現代日本である。日本は本来的に母権文化の国であるが、儒教的封建制や国学的一神教性によって、父権へと傾斜した面が強いのである。つまり、連続性や同一性への傾斜である。
 本来の日本伝統的精神文化は漢籍や仏教等(武道も含む)によって、Media Pointを涵養するものであった。しかし、それがナショナリズム的同一性や近代合理主義の同一性等の近代化によって不明確なものとなり、混濁し、衰退していくのである。
 そして、また、国家神道の狂信性によって、敗戦・亡国となり、米国や売国奴による洗脳的支配、植民地的支配を受けることになったのである。このとき、基層の母権文化が決定的に否定されたと言えよう。つまり、日本は自己否定態となったのである。即ち、自己民族文化的基盤を喪失したのである。換言すると、日本民族文化的個の原理を喪失したのである。そして、父権的な近代合理主義が進展したのである。いわゆる、男性社会である。
 結局、Media Pointを喪失しているので、現代日本人は、精神の核、個の核がないのである。それが締まりのない痴呆的様態を生んでいるのである。今日の政治的状態はそれを象徴していると言えよう。
 オバマ大統領を見てわかるように、今や、米国はトランス・モダンへと転換しているのである。新母権の時代なのである。日本は伝統文化を復興・復活させる必要がある。

追記:母権は東洋的精神、東洋的原理と呼ぶと語弊がなくなるだろう。後でさらに検討したい。

2010年04月10日 (10:27)

明治維新:トランス・モダンと尊王攘夷:朝廷と神道と仏教:多神教と一神教のゾロアスター教的相克

私は今は、明治維新は、二つの流れから形成されたと考えている。一つは、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らの「トランス・モダン」路線、一つは、尊王攘夷(国学的一神教イデオロギー)の狂信的イデオロギーをもつ国家神道ナショナリズム派である。(追記:これは、司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』において、明快に「差異」化されている。)
 しかし、実際は、後者が前者を圧殺していき、昭和の狂気の戦争へと突き進んだと考えられる。そして、この父権的狂信性が現代日本においても、強く見られると考えている。
 とまれ、問題は、前者のもつ朝廷志向(天皇志向)である。私は、これは、国家神道の天皇制と見るべきではないと思う。それは、本来の神道、多神教の神道である。
 「天子」とは、日御子(ひのみこ)である。つまり、女神の子である(エジプト神話で言えば、イシスの子のオシリスである。折口信夫の『死者の書」を参照されたい)。明らかに、大女神・母権的宗教の発想である。これを、近代日本人は国家神道の天皇と考えたのである。
 前者は、Media Pointの「光」であり、後者は、+1の同一性(物質)である。
 この視点がないと、前者の朝廷志向は理解されないだろう。

追記:また、問題は仏教である。明治維新までの神仏習合が排仏毀釈で破壊されたのは精神文化的に問題が大きい。日本の伝統的発想は差異共振である、一つに特化することを許さない調和・バランスの思想である。
 思うに、「天子」への志向はその点で危うい点をもっていたとは言えよう。つまり、尊王攘夷のファナティズムに連続する危険性を強くもっていたし、実際、庶民のレベルにおいては、連続してしまったと言えよう。その帰結が、亡国の第2次世界大戦(「大東亜戦争」)である(今でもこの「後遺症」が利いているのである)。
 言い換えると、明治維新の「トランス・モダン」路線を、国家神道的ファナティズム(国学的一神教的ナショナリズム)が破壊していった歴史が近代日本史と言えよう。
 新たなトランス・モダン、それは、仏教の復権を伴うのである。新神仏習合である。そして、その哲学・科学がPS理論であると考えられる。

追記2:これは推測であるが、日本には、父権的一神教の流れがあるように思う。ユダヤ・キリスト教的流れが一面ではあるのではないだろうか。
 他方、神道多神教と融合した仏教の流れ、差異共振(差異即非的共振)の流れが強くあると考えられる。
 言い換えると、一神教性と多神教性の相克が日本において、強く残っているということになる。
 トランス・モダンとは、新多神教を意味するのである。

追記3:神道の「光」は、東大寺のお水取り(修二会)に見られる拝火教、つまり、ゾロアスター教性をもつように推察されるのである。
 思うに、神道の「光」とゾロアスター教の「光」(アフラ・マズダー)は本来、同一のものと比較神話学的には、考えられるのである。これは、また、PS理論的にも検証できるのである。
 思うに、新しい神仏道に、ゾロアスター教の能動性を導入することが実に意義深いと言えよう。ゾロアスター教は、強い個の原理をもっているからである。受動性に傾斜しやすい神仏道に、能動的ゾロアスター教を導入することが現代的である。

参考:
聖徳太子に学ぶ

 改革のカギは聖徳太子にある。

 まずもっとも高価な紙幣のお顔は、聖徳太子に戻そう!

 よくよく考えみよ、明治を作った偉人の一人・福沢諭吉を万札の顔にしたころから、日本はずっと不景気を続けている!

 これが不景気の原因ではないが、一つの象徴的なできごととして捉えることができるであろう。

 この時期に日本は大きな変化をはじめたのだ。それが、新たな繁栄への道ではなく、滅びの道への選択だった。

 橋本、小渕、小泉、 安倍、福田、麻生(敬称略)と内閣が続いた。そして、今の鳩山政権と。

 この20年あまり、日本はその滅びの道を転がり落ちつづけている。
http://ameblo.jp/adco/entry-10504023401.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

船中八策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

船中八策(せんちゅうはっさく)は、江戸時代 後期の幕末 に、土佐藩 士の坂本龍馬 が起草した新国家体制の基本方針とされるものである。
沿革 [編集 ]

慶応 2年(1867 年 )6月、坂本はいろは丸沈没事件 を解決させたのち、京都 に上洛していた前土佐藩主の山内豊信(容堂) に対して大政奉還 論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎 に対して提示したものを海援隊 士の長岡謙吉 が書きとめ、のちに成文化されたもの、とされる。

ただし、原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程を証明する史料もないため、青山忠正 や松浦玲 などの歴史家 は、龍馬が作成に関わっていない可能性があることを指摘している。また、もともとのオリジナルは上田藩 士で軍学者 の赤松小三郎 の構想とも言われている。

また、船中八策の他に「新政府綱領八策」というものが存在する。近年の学説では「新政府綱領八策」こそが後藤象二郎に提案したものであるとの見解がある。しかし、新政府綱領八策は慶応 3年(1868 年 )11 月に坂本の直筆で書かれているので、時期的にみれば新政府綱領八策は新政府の構想会議用資料として複数作られたものと推測できる。

新政府綱領八策と船中八策は類似点が多いが船中八策のほうが完成度が高く、坂本龍馬を英雄視させるために後年になって創作された可能性も否定できない。なお現在、新政府綱領八策は国立国会図書館 と下関市立長府博物館 に保存されている。
原文 [編集 ]

一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事
三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ、官ヲ除クベキ事
四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事
五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事
六策 海軍宜シク拡張スベキ事
七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事
八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事

内容 [編集 ]

公議政体論 のもと、

1. 憲法 制定
2. 上下両院 の設置による議会政治
3. 不平等条約 の改定
4. 海軍 力の増強
5. 御親兵 の設置
6. 金銀の交換レート の変更

など、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されている。福井藩 の政治顧問であり、坂本との親交もあった横井小楠 の思想からの影響も指摘されている。

8番目の経済政策は、海援隊 を組織して貿易を行なっていた坂本龍馬らしい着眼点といえる(金銀の交換レートが国内と国外で異なっていると、二国間で金銀の交換を行なうだけで利益を上げられるので、貿易や物価安定に好ましくない)。

後の明治政府 が憲法の制定と議会開設まで政府機構が何度も変更されて迷走したことを考えると、時代を先取りしていると評価される。
関連項目 [編集 ]

* 西洋事情
* 五箇条の御誓文

外部リンク [編集 ]

* 坂本龍馬  『船中八策 』(青空文庫 )

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E4%B8%AD%E5%85%AB%E7%AD%96 」より作成
カテゴリ : 幕末

2010年04月09日 (21:48)

明治維新:トランス・モダンと半封建半近代:朝廷問題と神道と仏教:母権・多神教と父権・一神教の相克

私は今は、明治維新は、二つの流れから形成されたと考えている。一つは、横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らの「トランス・モダン」路線、一つは、尊王攘夷(国学的一神教イデオロギー)の狂信的イデオロギーをもつ国家神道ナショナリズム派である。(追記:これは、司馬遼太郎の名作『竜馬がゆく』において、明快に「差異」化されている。)
 しかし、実際は、後者が前者を圧殺していき、昭和の狂気の戦争へと突き進んだと考えられる。そして、この父権的狂信性が現代日本においても、強く見られると考えている。
 とまれ、問題は、前者のもつ朝廷志向(天皇志向)である。私は、これは、国家神道の天皇制と見るべきではないと思う。それは、本来の神道、多神教の神道である。
 「天子」とは、日御子(ひのみこ)である。つまり、女神の子である(エジプト神話で言えば、イシスの子のオシリスである。折口信夫の『死者の書」を参照されたい)。明らかに、大女神・母権的宗教の発想である。これを、近代日本人は国家神道の天皇と考えたのである。
 前者は、Media Pointの「光」であり、後者は、+1の同一性(物質)である。
 この視点がないと、前者の朝廷志向は理解されないだろう。

追記:また、問題は仏教である。明治維新までの神仏習合が排仏毀釈で破壊されたのは精神文化的に問題が大きい。日本の伝統的発想は差異共振である、一つに特化することを許さない調和・バランスの思想である。
 思うに、「天子」への志向はその点で危うい点をもっていたとは言えよう。つまり、尊王攘夷のファナティズムに連続する危険性を強くもっていたし、実際、庶民のレベルにおいては、連続してしまったと言えよう。その帰結が、亡国の第2次世界大戦(「大東亜戦争」)である(今でもこの「後遺症」が利いているのである)。
 言い換えると、明治維新の「トランス・モダン」路線を、国家神道的ファナティズムが破壊していった歴史が近代日本史と言えよう。
 新たなトランス・モダン、それは、仏教の復権を伴うのである。新神仏習合である。そして、その哲学・科学がPS理論であると考えられる。

追記2:これは推測であるが、日本には、父権的一神教の流れがあるように思う。ユダヤ・キリスト教的流れが一面ではあるのではないだろうか。
 他方、神道多神教と融合した仏教の流れ、差異共振(差異即非的共振)の流れが強くあると考えられる。
 言い換えると、一神教性と多神教性の相克が日本において、強く残っているということになる。
 トランス・モダンとは、新多神教を意味するのである。

追記3:神道の「光」は、東大寺のお水取り(修二会)からわかるように、拝火教、つまり、ゾロアスター教の影響が顕著であり、また、道教や老子の影響も見られる。
 理論的にも、「光」はアフラ・マズダーと考えられるのである。



参考:
聖徳太子に学ぶ

 改革のカギは聖徳太子にある。

 まずもっとも高価な紙幣のお顔は、聖徳太子に戻そう!

 よくよく考えみよ、明治を作った偉人の一人・福沢諭吉を万札の顔にしたころから、日本はずっと不景気を続けている!

 これが不景気の原因ではないが、一つの象徴的なできごととして捉えることができるであろう。

 この時期に日本は大きな変化をはじめたのだ。それが、新たな繁栄への道ではなく、滅びの道への選択だった。

 橋本、小渕、小泉、 安倍、福田、麻生(敬称略)と内閣が続いた。そして、今の鳩山政権と。

 この20年あまり、日本はその滅びの道を転がり落ちつづけている。

スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

船中八策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

船中八策(せんちゅうはっさく)は、江戸時代 後期の幕末 に、土佐藩 士の坂本龍馬 が起草した新国家体制の基本方針とされるものである。
沿革 [編集 ]

慶応 2年(1867 年 )6月、坂本はいろは丸沈没事件 を解決させたのち、京都 に上洛していた前土佐藩主の山内豊信(容堂) に対して大政奉還 論を進言するため、藩船の夕顔丸で長崎を出航し、上洛中の洋上で参政の後藤象二郎 に対して提示したものを海援隊 士の長岡謙吉 が書きとめ、のちに成文化されたもの、とされる。

ただし、原文書も写本も現存せず、詳しい成立過程を証明する史料もないため、青山忠正 や松浦玲 などの歴史家 は、龍馬が作成に関わっていない可能性があることを指摘している。また、もともとのオリジナルは上田藩 士で軍学者 の赤松小三郎 の構想とも言われている。

また、船中八策の他に「新政府綱領八策」というものが存在する。近年の学説では「新政府綱領八策」こそが後藤象二郎に提案したものであるとの見解がある。しかし、新政府綱領八策は慶応 3年(1868 年 )11 月に坂本の直筆で書かれているので、時期的にみれば新政府綱領八策は新政府の構想会議用資料として複数作られたものと推測できる。

新政府綱領八策と船中八策は類似点が多いが船中八策のほうが完成度が高く、坂本龍馬を英雄視させるために後年になって創作された可能性も否定できない。なお現在、新政府綱領八策は国立国会図書館 と下関市立長府博物館 に保存されている。
原文 [編集 ]

一策 天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事
二策 上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事
三策 有材ノ公卿諸侯及天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ、官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ、官ヲ除クベキ事
四策 外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事
五策 古来ノ律令ヲ折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事
六策 海軍宜シク拡張スベキ事
七策 御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守護セシムベキ事
八策 金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事

内容 [編集 ]

公議政体論 のもと、

1. 憲法 制定
2. 上下両院 の設置による議会政治
3. 不平等条約 の改定
4. 海軍 力の増強
5. 御親兵 の設置
6. 金銀の交換レート の変更

など、当時としては画期的な条文が平素な文章として記されている。福井藩 の政治顧問であり、坂本との親交もあった横井小楠 の思想からの影響も指摘されている。

8番目の経済政策は、海援隊 を組織して貿易を行なっていた坂本龍馬らしい着眼点といえる(金銀の交換レートが国内と国外で異なっていると、二国間で金銀の交換を行なうだけで利益を上げられるので、貿易や物価安定に好ましくない)。

後の明治政府 が憲法の制定と議会開設まで政府機構が何度も変更されて迷走したことを考えると、時代を先取りしていると評価される。
関連項目 [編集 ]

* 西洋事情
* 五箇条の御誓文

外部リンク [編集 ]

* 坂本龍馬  『船中八策 』(青空文庫 )

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