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2011年05月23日 (21:58)

試論:生命体とエネルギー:差異共振遺伝子と外部差異共振エネルギーの融合としての生命の誕生

以下、飯山一郎氏は最初の生命体は紫外線や放射線をエネルギー源としたと述べている。
 しかしながら、最初の生命体はどうやって生まれたのか問題である。これまでPS理論の立場から、差異共振が原生命現象であり、それが物質体を形成したのが生命体であると述べた。
 問題は生命体を維持するのに必要なエネルギー源のことである。結局、差異共振エネルギーと物質エネルギーの関係を考えないといけない。
 差異共振エネルギーは「気」である。精神エネルギーである。それが、Media Pointを介して、物質エネルギーへと展開すると考えられる。
 とまれ、凸i*凹iは最初は潜在態であり、それが賦活されて差異共振化して、物質化するのではないだろうか。この賦活のためのエネルギーを外部補給すると考えられることができる。
 作業仮説を立てると、光合成細菌の遺伝子を凸i*凹iとする。これが外部エネルギーによって賦活されるとする。それで光合成細菌が誕生するのである。即ち、

光合成細菌遺伝子(凸i*凹i)⇒光合成細菌(凸=+1)

という生命方程式が考えられる。ただし、⇒は外部エネルギーに取り込んだ極性差異の賦活化を意味する。だから、以下のようになる。

            外部エネルギー(紫外線、放射線)
                  ↓
光合成細菌遺伝子(凸i*凹i)⇒光合成細菌(凸=+1)

これは、乳酸菌の場合もほぼ同様と考えられる。重要なのは、紫外線や放射線が一種の差異共振エネルギーであると考えられることである。つまり、無機的な紫外線や放射線であっても、原生命的要素をもつのであり、それが、光合成細菌の遺伝子を活性化させて、生命体を誕生させると考えられるのである。
 言い換えると、差異共振遺伝子と差異共振エネルギーの結合によって生命体が誕生するということである。だから、少なくとも、二種類の差異共振体が生命の誕生には必要と言うことになるだろう。今はここで留める。

参考:以下下線は管理者に拠る。

『光合成細菌と乳酸菌で放射能を浄化!』

◆2011/04/07(木) 放射能は生命誕生のエネルギーだった


ここで,少々理屈っぽくなるが,「光合成細菌の放射能利用の原初形態」を述べる.
 1.原始地球には海水と岩石しか存在せず,有機的エネルギーがなかったので,
   地球最初の生命体は,宇宙からの紫外線や放射線をエネルギー源とした.
   当初,紫外線や放射線の破壊力を色素で減じさせ,無機的環境下で光合成
   を行うというシンプルな生命体であった.
 2.微生物や植物は,炭水化物・脂質・蛋白質等の有機物を必要とせず,紫外線や
   放射線をエネルギー源として,炭酸ガスと水から体細胞を合成している.
 3.光合成細菌は,水の代わりに硫化水素などの無機物を栄養源として紫外線や
   放射線の電磁粒子で炭酸同化して体細胞を合成できる.この際,放射性物質
   を体内に吸収すれば,電磁粒子のエネルギー受容率は格段に高まる.

ようするに…,
原始地球において,紫外線や放射線という強大なエネルギーが存在したからこそ,
最初の生命体が誕生できたのであり,紫外線や放射線という強大なエネルギーを
利用しつくす光合成細菌が誕生したからこそ,生命の進化の基礎が築かれた,と
いうことを,イメージングできるヒトは,私の仲間になれるのですが….
飯山一郎のHP
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2009年10月04日 (07:30)

遺伝子組み換え問題とMedia Point:虚軸情報を排除した種子は劣化・退化する

以下(参照)において、Media Point自体における「差異」、位階的差異を述べ、遺伝子問題について言及した。
 思うに、遺伝子組み換え問題も、この観点から解明できるのではないだろうか。即ち、遺伝子組み換えとは、端的に、実軸情報だけに注視した方法であり、虚軸情報を無視、排除しているのである。
 つまり、種子の「物質」情報だけで組み換えて、種子の「精神」情報を無視しているのである。これは、表層的には、「改良」であるが、本体・本質・深層を無視しているので、現実的には、後退、劣化である。
 言い換えると、根源的なエネルギー連関を喪失した種子が生まれると考えられる。つまり、退化する種子である。

参照:

「検討問題:ギリシア神話の主神ゼウスの多情性:虚軸情報と実軸情報の差異」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10356104466.html

2008年11月22日 (22:09)

検討問題:生命とは何か:PS理論の視点から:MPにおける無限振動と有限振動の即非態としての生命

生命とは何か。PS理論の視点から考えると、Media Pointが深く生命に関与している。予見では、無限振動と有限振動の関係が根本である。
 即ち、Media Pointにおいて、「個」は垂直の無限振動に関与するが、同時に、水平の有限振動に賦活されている。この両者の即非力学が生命ではないだろうか。当然、有限振動は、有限エネルギーであり、生成消滅、即ち、生まれ死ぬ。芭蕉で言えば、流行である。それに対して、無限振動は永遠であり、新たな有限振動を生成すると思われる。これが、再生であり、復活である。
 有限振動=有限エネルギーとは、言い換えると、同一性=物質エネルギーであり、物質的身体や自我を形成するものであると考えられる。
 一般に、この同一性=物質身体を自我として捉えて、死ねば終りと考えている。確かに、同一性=物質身体=自我であり、それは、永遠に滅びるものである。しかしながら、垂直の無限振動=無限エネルギーが存するのであり、それが、自己の核(「魂」・「モナド」)であると考えられる。
 思うに、Media Pointにおける垂直性(超越性)と水平性(物質性)との境界が生と死との、いわば、被膜である。今日、この皮膜が閉ざされていて、「輪廻転生」を認識できないと言えよう。
 そう、死を闇としか理解できないのである。死は、闇の反対であり、超越光の世界であると考えられる。プラトンで言えば、洞窟の外物の善の太陽の世界である。ダンテの『神曲』で言えば、天国篇である。
 そう、臨死体験で経験するのは、この「被膜」の彼方の超越光の世界と考えられるのである。
 そう、そこでは、「個」は超個であろう。

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石川のアロワナ化石、最古と判明 1億3千万年前の新種

2008年11月22日15時4分


写真テトリイクチス・クワジマエンシスの化石=石川県白山市教育委員会提供

写真テトリイクチス・クワジマエンシスの復元図(体色は想像)=石川県白山市教育委員会提供

 石川県白山市教育委員会は21日、同市白峰にある国の天然記念物「桑島(くわじま)化石壁」から00年に発見されたアロワナの魚類化石が、約1億3千万年前(白亜紀前期)の新属新種の化石とわかったと発表した。アロワナ目の化石ではこれまで見つかったものより1500万~2千万年さかのぼり、世界最古となる。

 同市教委によると、10センチ四方の岩に1個体分の骨やうろこ、歯など約40点が含まれていた。全長は推定15センチ。淡水魚のアロワナ目のなかでもうろこに水平な溝のある新属新種と判明した。化石調査団の籔本(やぶもと)美孝(よしたか)北九州市立自然史・歴史博物館学芸員が「テトリイクチス・クワジマエンシス(桑島の手取魚)」と命名し、中生代魚類学会の国際学術誌に発表した。

 これまでブラジルで見つかった約1億1500万年前の「ラエリイクチス」などが最古のものとされていた。籔本学芸員は「南米ブラジルとされてきたアロワナの起源が東アジアになる可能性がある」と話している

 化石は白山市立鶴来博物館(同市鶴来朝日町 076・273・1522)で22~30日に特別公開される。午前9時~午後5時。25日は休館。

http://www.asahi.com/science/update/1121/OSK200811210050.html

2008年01月23日 (14:25)

遺伝子とは何か:イデアか、構造か、ゲノム(情報物質)か?

遺伝子とは何か、考察したい。ゲノム、DNAと遺伝子は同じなのか。直感では、遺伝子はイデアではないのか。そして、Media Pointの実軸性(実性ないしは実点と仮に呼ぶ)において、痕跡=差延が生じる。構造点である。これが、ゲノムないしはDNAの領域ではないのか。問題が複雑なのは、心と身体が関係するからである。
 身体の遺伝子はわかりやすいが、心の遺伝子があるのか。魂をイデアとするなら、魂が遺伝子になることになる。それでいいのか。
 もし、魂=イデアが遺伝子ならば、それが、身体の遺伝子をも含んでいることになる。それでいいのだろうか。もしそうならば、心と身体の遺伝子はどう区別がつくのだろうか。オカルティズムのように、霊と物質を区別するのか。それは、二元論である。
 また、根本的に、心と身体の問題がある。しかしながら、プラトニック・シナジー理論は、原心(原魂)の差異共振志向性が、身体をも作り出すと考えるだろう。つまり、+iを形相、-iを質料とみたとき、両者の共振融合によって、心身一如(いちにょ)が形成されるのではないだろうか。知且つ身体である。意識即身体である。正確には、知・即非・身体、意識・即非・身体の即非態であろう。
 とまれ、プラトニック・シナジー理論では、イデアから心身一如、心身即非を説明すると考えられる。だから、イデアを遺伝子とするならば、遺伝子とは、心の遺伝子でもあり、身体の遺伝子でもあるということになるだろう。これは、実に興味深い考え方だと思う。オカルティズムのような霊と物質的身体の二元論を回避できるのである。
 心と身体の共通の遺伝子ということで、イデア=魂が考えられることになる。つまり、遺伝子=イデア=魂である。
 では、この観点から見直すと、遺伝子とゲノム・DNAは区別されることになる。前者はイデア情報であり、後者はイデア情報物質であるからである。そして、ここで、Media Pointを考えると、差異共振様態にあるのが、遺伝子=イデア=魂である。Media Pointの実性が、ゲノム・DNAではないかと作業仮説してみるのである。構造点であり、構造性をもっている。
 問題は、遺伝子とゲノム・DNA(以下、単に、ゲノムとするl)との関係である。遺伝子は情報化された量子である。そして、その痕跡が構造点であるが、しかしながら、構造点とゲノムは別のものではないのか。つまり、構造点は、いわば、構造としてのゲノムであり、物質であるゲノムではないからである。だから、整理すると、

遺伝子⇒構造⇒ゲノム

となるのではないだろうか。丁寧に表記すると、

遺伝子(イデア)⇒構造(Media Point実軸)⇒ゲノム(情報物質)

ではないか。今日、遺伝子(イデア)とゲノム(物質)が同一視、混同されているということになる。
 とまれ、構造とは不思議なものである。それは、イデアではないし、物質でもない。イデアの写しであり、また、物質の原型である。アリストテレスの言う形相はこれだろう。また、プラトンのイデアもこれに近いときがある。しかしながら、イデアと構造の区別は絶対的でなくてはならない。これが決定的である。(ポスト・モダン哲学の誤りは、これらを混同していることにあるだろう。)
 とまれ、構造とは、イデアと物質との境界である。しかし、連続的境界である。ここが決定的ポイントである。それに対して、Media Point自体は、不連続的境界、即非的境界である。これまでの哲学・思想は、構造とMedia Pointを区別できなかったのである。混淆していたのである。(ドゥルーズ哲学が完全な混淆であり、連続的差異の哲学である。デリダ哲学は、構造自体における揺らぎを認識したが、イデア自体を同一性と見て、超越性を否定してしまい、袋小路に陥ったのである。)
 結局、遺伝子(イデア)と構造とゲノム(情報物質)の三者を区別した。ここで、形状について考えると、二重螺旋とは、遺伝子の時間的形状と言えるだろう。遺伝子自体は、原二重螺旋であろう。構造は二重螺旋構造であり、ゲノムは二重螺旋物質ということではないだろうか。
 今日のゲノム研究の問題点は、単に物質レベルの研究であり、構造にも、遺伝子=イデアにも達していないことであろう。そう、ここで、情報物質であるゲノムを理論化すると、構造から発生する構造物質と言えよう。新たに図式化すると、

遺伝子(イデア)⇒Medai Point⇒構造⇒ゲノム(構造物質)⇒生命体

となるだろう。付加して言うと、DNAを変化させることで、生命体は変化するだろうが、根本の構造や遺伝子は変化しないのではないだろうか。

 
参考:

Gene findings: Disease-by-disease
Genetic test
Scientists analysed DNA from 17,000 people

A team of UK researchers have identified several genes and regions of the genome involved in seven common diseases - but what are the implications for people suffering from the conditions?

http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/6727043.stm

Detailed gene map 'within grasp'
By Helen Briggs
BBC News science reporter

Image: Sanger Institute
The map will relate genetic variation to particular diseases
One thousand people are to have their genomes mapped in a major effort to understand how genes influence disease.

To date, only a handful of humans have had their genes analysed in this way, including scientists Craig Venter and James Watson, and anonymous volunteers.

Teams in the UK, US and China say the project will create the most useful catalogue ever of genetic variation.
Any two humans are genetically more than 99% identical: variations can explain why some get certain diseases.
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7201994.stm


Serious diseases genes revealed
DNA helix
DNA from thousands of people was analysed
A major advance in understanding the genetics behind several of the world's most common diseases has been reported.

The landmark Wellcome Trust study analysed DNA from the blood of 17,000 people to find genetic differences.

They found new genetic variants for depression, Crohn's disease, coronary heart disease, hypertension, rheumatoid arthritis and type 1 and 2 diabetes.

The remarkable findings, published in Nature, have been hailed as a new chapter in medical science.

It is hoped they will pave the way for research into new treatments and genetic tests.

http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/6724369.stm

2007年12月09日 (01:04)

千島学説とプラトニック・シナジー理論:血液⇒細胞とMedia Point⇒同一性

血液から細胞が生まれるという千島仮説であるが、これは、プラトニック・シナジー理論から説明を試みると、血液をMedia Pointとして、細胞を同一性と考えれば、簡単に説明できるように思えるのである。そして、食べ物が血液になるということであるが、それは、消化器官と食べ物との差異共振作用によって、Media Pointとしての血液が発生するというように考えられないだろうか。即ち、自己認識方程式(+i)+(-i)⇒+1に適用すれば、

消化器官(+i)*食べ物(-i)=血液Media Point⇒細胞(+1)

とならないだろうか。細部については後で考察したい。

**********************************************

★千島博士の大発見

氏が発見したものは、ニワトリの卵の黄身(卵黄球)が赤血球に変化(分化)し、 その赤血球が生殖細胞に変化している様子でした。

氏は、この現象に自分の眼と頭を疑いました。

細胞は細胞から生まれる、これは先に書いたウィルヒョ-が細胞病理学のなかで発表して以来、生物学の最も重要な根本原理だったからです。

しかし、千島氏が見たものは、生殖細胞でない赤血球から生殖細胞が作られていると言う現象だったのです。

どうやら、自分は生物学だけでなく、それにつながる医学、遺伝学、細胞学、血液学の定説を根本からくつがす世紀の大発見をやったのではないか??

氏は、体のふるえを感じながら考えた。

そして、氏は実験を何度も繰り返し行い、赤血球が細胞に変わることを確認しました。

そして、「卵胚子生殖腺の組織発生並びに血球分化に関する研究」と題する論文が、九州大学農学部に正式受理されたのは、1947年9月の事でした。

正式受理された学位請求論文は、四ケ月以内に教授会に審査報告をする規定がありますが、氏の論文は4年もの間ほうっておかれたあげくに、論文の取り下げを要求されました。

実は、この時氏の論文は 九州大学内部の問題ではなくなっていました。

日本の生物学会のすべてが、千島の新説にこぞって反対したのです。

「血球と細胞は別のものだ。」その血球が細胞になるなどとは、犬が一晩で人間に変わるようなものだ」と批判したのです。

現代の最も進歩的な生物学者に、生物とは何かと質問すれば、生物は1つの機械だという答えが返ってくるでしょう。

「遺伝情報が詰め込まれたDNAの指令にしたがった部品が集まって決まった方向に流れていく」 物理と化学の法則に従っている物質と変わりがない。

しかし、この理論では生物の特性である心のはたらきがまったく考慮されていません。

そして、何よりも間違っているのは、自然の大法則である全てのものは変わるということを無視していることになります。

赤血球が細胞に変わり、また赤血球に戻る。

この繰り返しこそ自然の本当の姿であり、この事実は見ようとすればいつでも見ることが出来るのです。
http://sungod2012.blog96.fc2.com/blog-entry-255.html

温故知新・2012年アセンションに向かって

参考:

新生命医学会
http://www.chishima.ac/

2007年11月25日 (12:30)

海藻みたいでも脳がある動物:生命とは何か:メディア平面とMedia Point

生命とは何か。これは、やはり、自己認識方程式で説明できるだろう。では、植物と動物、そして、人間の区別はどう説明できるのか。
 後で検討としたい。とまれ、ひとこと言うと、万能細胞のことを考慮すると、そして、気のことを考えると、生命情報、生命情報エネルギーがあると考えられる。以前、メディア平面ということを言ったが、それは、差異と同一性が結合している平面であるが、裏面が差異であり、表面が同一性である。これは、 Media Pointではなく、同一性構造に近いものである。あるいは、同一性構造そのものかもしれない。
 思うに、メディア平面の表面において、差異と差異の間に同一性が形成されて行く。そして、この同一性がメディア平面の裏面の差異のエネルギーによって賦活されているのではないだろうか。つまり、差異エネルギーが生命のエネルギーであり、同一性は物質であり、それは、物質の生成消滅のあり方をもつだろう。つまり、メディア平面の同一性の展開を支配しているのが、裏面の差異エネルギー、差異情報エネルギーであると思われる。
 そして、思うに、メディア平面の裏面の差異情報エネルギーとは、Media Pointにもつ振動が構成しているのではないだろうか。作業仮説として、Media Pointの振動は差異の回転によって、複雑化するとしよう。直感で言えば、螺旋的差異情報である。差異+iと差異-iとの共振の螺旋的回転によって、もたらされる情報である。
 とまれ、直感で言うと、+i→-iが知性であり、-i→+iが感情である。そして、自己認識方程式において、知性/感情が生起するのである。そして、これが人間の原型であると考えられる。植物の場合は、この自己認識方程式は隠れてしまっているのだろう。そして、メディア平面だけの存在となっている。
 人間を除いた動物の場合であるが、思うに、Media Pointの活動が固定してしまっているのではないだろうか。ある固定したMedia Pointが動物の原型であり、創造が為されないのである。ただ、反復が中心なのである。
 では、Media Pointの固定化とは何だろうか。それは、志向性の固定化であろう。言い換えると、志向性の停止である。思うに、ある段階で志向性が停止しているのである。それに対して、人間の場合は、志向性がつねに生成していると考えられるのである。言い換えると、Media Pointの振動が発生しているのである。
 結局、動物の場合は、Media Pointが固定化して、ある同一性の膜のようなものがMedia Pointを覆う。しかるに、人間の場合は、同一性の膜を破壊するものがあるのである。あるいは、差異がむき出しなのである。つまり、差異強度が動物に比べてはるかに強いと言えよう。
 とまれ、メディア平面とMedia Pointの関係はどうなるのか。あるいは、遺伝子との関係は。思うに、生命の層、生命の多層性があるのではないだろうか。Media Pointが根源的遺伝子層であり、そして、そこから、同一性が発動するのであるが、そのとき、メディア平面が形成される。それは、生命物質平面とでも言えるのではないだろうか。植物的な層である。
 まとめると、Media Pointが魂である。そこには、知性と感情が平行している。そして、同一性化が始まり、メディア平面が形成される。メディア平面が生命物質であり、植物的層である。そう、メディア平面の裏面とはMedia Pointであろう。そして、表面が物質体であると考えられる。
 気というのは、Media Pointからメディア平面に関わるエネルギー情報の一種ではないだろうか。それは、メディア平面の裏面の差異であろう。だから、素粒子空間に近いと言えると思う。
 思考実験であり、今は、ここで留める。後で、精緻に再考したい。

p.s. ちなみに、メディア平面が同一性の構造であり、同一性の壁である。ハイデガーの存在は、この壁である。閉塞しているのである。三島由紀夫の無であるが、それも壁であるが、壁を越えたMedia Pointを示唆しているだろう。大江健三郎を壁を越えて、Media Pointを示唆しているだろう。ポスト・モダンも、この壁にぶつかっているのである。そして、差異も裏面に限定されて、Media Pointへの超越化を否定しているのである。 
 

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海藻みたいでも脳がある動物=「ニッポンウミシダ」を継続飼育-東大臨海実験所
 赤っぽい海藻に見えるが、脳に当たる中枢神経節があり、身体を複雑に動かして移動できる「ニッポンウミシダ」を代々継続して飼育することに、三浦半島・三崎の東京大臨海実験所が24日までに世界で初めて成功し、国内外の研究者への提供体制を整えた。既に米国やオーストラリアの研究者から提供を求められており、動物の進化過程や身体再生メカニズムの解明に幅広く利用が期待される。 (時事通信)
海藻みたいでも脳がある動物

# ニッポンウミシダ - 海響館

[写真]海藻のように見える棘皮(きょくひ)動物のニッポンウミシダ。根元部分に脳があり、身体を複雑に動かして移動する。東大臨海実験所が世界で初めて継続飼育に成功した(7日、神奈川県三浦市の東大臨海実験所)(時事通信社)
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/animals_and_pets/

海藻のように見える棘皮(きょくひ)動物のニッポンウミシダ。根元部分に脳があり、身体を複雑に動かして移動する。東大臨海実験所が世界で初めて継続飼育に成功した(7日、神奈川県三浦市の東大臨海実験所)【時事通信社】
http://news.livedoor.com/article/image_detail/3402135/

ウミシダ

2007年07月16日 (09:00)

極性と構造:極性と同一性構造の併存としての現象界とPS理論的脱連続現象化

PS理論的生命論の構築のためには、当然、基礎論が重要である。今の予想では、メディア・ポイントMedia Point(以降、MP)の様相に基礎があると考えられるのである。
 今、簡単に問題点をあげると、極性と同一性構造との関係である。生命現象であれ、物質現象であれ、極性が支配していると言えよう。磁気はN極とS極の極性があり、電子は+と-の極性がある。(重力をどう見たらをいいのだろうか。思うに、作用と反作用との極性があると見ることができるのではないだろうか。)
 PS理論において、イデア界は差異即非共振性をもっている。これは、広義において、極性と言えるだろう。
 では、問題は、同一性構造である。ないし、二項対立構造である。(弁証法とは、極性と同一性構造との折衷理論と考えられる。)
 まとめると、極性と同一性構造との関係の様相が根本的に重要と考えられるのである。これは、端的に、MPの様態の問題と換言できよう。
 つまり、極性現象と同一性現象との併存が現象化には生起しているとということではないだろうか。前者は⇒+1で、後者が⇒-1ではないだろうか。
 つまり、MPは、現象化において、極性と同一性とを発現させるということである。これは、ガウス平面での虚数軸の様相と実数軸の様相(実際は、無理数があるので、複雑であるが、ここでは、簡易化する)として、把捉できるように思う。
 つまり、MPは、虚数軸性=極性性と実数軸性=同一性性とを並存的に、現象化させるということになろう。言い換えると、差異と同一性との併存現象である。さらに言い換えると、即非論理と同一性論理の併存であろう。
 ここで、生命論を考えると、生命も、両者の併存現象と言えるだろう。しかしながら、人間の除いて、一般に生命は、前者が主であり、後者が従であるのではないだろうか。具体的に言えば、食という行為は、明らかに、同一性論理であり、他者を否定して、自己の食料とするのである。つまり、他者の殺戮がここにはあるのである。しかしながら、人間の除いた生物、特に、動物は、食が満たされれば、共存的になる。もっとも、サルのようにヒエラルキーを形成する場合もあるが。端的に、人間ほど、残忍で殺戮的ではない。
 人間の場合、明らかに、同一性論理、同一性構造論理が強化されているのである。大脳の発達と関係しているだろう。自我の発達である。これは、他の動物には、ほとんど見られないと言えよう。
 つまり、人間の場合、極性/差異論理を否定して、同一性構造論理を中心化しているということである。これは、アリストテレス哲学に発現していると言えよう。同一性合理主義(同一性ロゴス主義ないし、同一性理性主義)と言ってもいいだろう。
 生命論に戻ると、結局、生命現象も、本来は、極性優位で、同一性は劣位であったが、人間の場合は、逆転していると考えられる。
 結局、これは、知(叡知)と認識に関わると言えよう。他者を主体が同一性化することは、主体的知の第一歩であろう。例えば、眼前に動く対象は、猪であり、それは、食料にできるという認識である。あるいは、この穀物は、実をつけ、食料化できるのであり、それを、対象化して、穀物の栽培という農業へと展開できるのである。
 これは、数化や言語化と関係していると言えよう。これが、同一性構造論理化と言えよう。数/言語化と呼んでおこう(もっとも、数と言語の関係は別に検討する必要があるが、ここで、知化の基礎として、同列化しておく)。
 とまれ、極性(差異)と同一性の併存とその優劣については、これで充分だろう。
 生命論から言うと、細胞膜や液体や個体性が重要である。つまり、単体性の問題である。勿論、集合性ないし社会性の問題も関係するが、先ず、単体・個体がなければならないだろう。主体と客体との境界がなければならないのである。
 境界とは、PS理論では、メディア領域である。これは、思うに、生命体(生体)は、メディア領域を、取り込み、また、同時に、境界(例えば、細胞膜や皮膚)とすると思われるのである。
 メディア領域とは、例えば、差異と同一性との境界であり、差異と差異との境界、同一性と同一性との境界等と考えられよう。
 ここで、整理しよう。イデア即非差異があり、それが、MPの回転によって、極性と同一性の併存的現象化を生起させるとしよう。
 ならば、極性と同一性の併存的現象と境界や個体との関係が問題である。ここでは、作業仮説的に、形相としてのiが形態を発生させるとしよう。そして、質料としての-iは、個体化すると言えよう。これで、個体化の説明はつくが、問題は、境界性である。細胞膜は、細胞という個体を閉じるものであるが、同時に、体液等を浸透させる境界である。これは、差異ないし極性から来ていると思える。
 だから、まとめると、極性と同一性との結合として、個体が発生すると言えよう。これで、生命のアウトラインができた。そして、人間と他の生命体の違いは、上記した通りである。
 ここで、PS理論ないし即非論理を考えると、これは、同一性論理を超越した論理であり、それは、同一性論理を超えて、極性へと回帰していると言えよう。しかしながら、単純な極性論理でなく、同一性論理を経ているので、いわば、螺旋的回帰である。この点を見間違わないようにしないといけない。
 だから、対極性(太極)と即非論理は一見に似ているが、異なるのである。確かに、即非論理は、一種先祖返りであるが、それは、同一性を超越した点で「先祖」とは異なっているのである。とまれ、PS理論は、新東洋原理と言えるだろう。
 ここで、以上の検討の視点から現代を見ると、近代主義によって、同一性へと恐ろしく傾斜した社会、世界となっている。しかし、単に、極性(対極性)への回帰では反動である。つまり、極性と同一性の連続性という現象性から脱却していないのである。問題は、不連続化によって、差異を同一性から分離することで、イデアを掬い上げることである。
 極性と同一性との連続的混淆が、ポスト・モダンであったと言えるだろう。問題は、差異へ、超越的差異へと超越・超出することなのである。即ち、トランス・モダン化である。
 格差社会というものも、資本の同一性からの結果である。資本の差異化、差異共振化によって、格差主義が解消されるだろう。差異共振化の知によって、資本は同一性による排他性から脱却できるのである。

2007年07月14日 (15:32)

PS理論から生命体を考える:試論1:精神と物質

以下は、ゲノムについて簡単に図解してある。

さて、思うに、PS理論から見ると、メディア・ポイントMedia Pointにおける「生命」(=心物)の生成の形式が考えられる。それは、i*(-i)が根源情報であり、それが、現象化によって、思うに、±1化する。つまり、i*(-i)⇒±1である。
 丁寧に考えよう。-1は、純粋同一性化であり、差異が排除・隠蔽されている。確かに、単純な生命体は、これで説明できるかもしれない。物質化とは、(-i)^2で説明できるかもしれない。
 そして、+1が、人間生命体のエンテレケイアを意味するように思える。ここで、差異は、顕在しているのである。差異を認識した同一性である。
 ここで、物質的生命体を考えると、差異がゲノムないし遺伝情報ではないだろうか。これが、潜在ないし顕在する様態で、物質化がなされ、この物質体が、ゲノムないし遺伝情報を核内に内包すると考えられる。つまり、差異がゲノムないし遺伝情報として、物質的に内包されているのである。換言すると、イデア即ち i*(-i)が内包されるのである。
 この点は、微妙である。イデア的情報と物質的情報との対応がなければならないだろう。
 イデア的情報は、即非共振情報である。これを物質化するとき、A, G, C, Tの4つの塩基による対結合という極性を活用しているのではないのか。
 つまり、即非性が二元性に転換されているのである。つまり、イデア的即非論理から、物質的構造論理へと転換されているということではないだろうか。これは、物質的生命体については、考えられるだろう。
 問題は、差異ないしイデア的情報が、どう、知的生命体に内包されるのかである。言い換えると、知的生命体における心や知の問題である。
 i*-(-i)の場合は、同一性知が生まれる。これは、物質的生命体的にどういうことなのだろうか。これは、物質的生命体の同一性感覚・知覚ではないだろうか。そして、単純な生命体は、このレベルである。
 では、差異的同一性である+1の場合は、物質的生命体的には、どうなのか。自己と他者とが即非的に共振しているのである。これは、物質的生命体的には何か。
 端的に、これは、物質的生命体的には、『無』に近いのではないだろうか。というのは、精神がここでは、現象しているのであるから。つまり、虚数的超越性が、感知されているのである。「神」の発生と言ってもいいだろう。「叡知」の発生とも言えよう。いわば、超物質的認識ないし霊的認識の発生があるのである。
 物質的生命体は、実数的MPの構造で決定されるとすると、差異的同一性とは、この構造を超えたものである。虚数的MPに関係しているのである。そう、超構造的なのである。
 では、この精神の超構造性と物質(心身)の構造性はどう関係するのか。
 直観で言えば、精神的超構造性は、イデアに関わるので、創造的であり、知恵を生みだす。つまり、生き延びる可能性が強いのである。
 また、精神の超構造性とは、根源的エネルギーであるから、心身を強化する可能性が強いと思うのである。スピノザ哲学的な能動的観念である。
 つまり、進化する可能性を、精神的超構造性はもっていることになろう。それに対して、物質的構造性は、同一性の反復に終始して、退化的である。
 今は、ここで留めたい。
 
ゲノムって何?生きものの基本情報
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~kato/atgenome/cont02/index.html



2006年10月16日 (15:42)

不連続的差異イデアと「心」と唯物分子生物学:差異共振シナジー様相としての自己・人間種

以下の本は、toxandoria氏のサイトの一つ(『レンブラントの眼』
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/ ?)に紹介されていたもので、未読であるが、プラトニック・シナジー理論から「心」や心身や分子生物学(唯物生物学)を考察する上で、指針の一つになりそうである。
 プラトニック・シナジー理論(プラ・シナ理論、PS理論)では、当然ながら、差異、不連続的差異、絶対的差異、特異性、単独性を根源に見ている。これは、イデア界においてそうであるし、また、メディア界の共振シナジー界においては、共振シナジーの根源素である。だから、これと、「心」や心身や分子生物学の関係を構築しないといけない。
 今、ふと想起したのは、「心」とは、現象であり、フッサール現象学が説くように、その直接態(直接様態)のままでは、問題があるだろう。「心」は、自然的態度のままでは、ほとんど自我になるだろう。つまり、同一性的自己=自我になると思うのである。利己主義である。今日・現代の社会風潮は、利己主義・自我中心主義であるが。
 これまで、差異と同一性との関係で、自己/自我の問題、心身の問題を扱ってきた。ここでの問題は、差異と「物質」、即ち、分子、DNA、ゲノム等との関係である。ここで、問題を簡潔なものにするために、生命とは、なんらかの差異共振シナジー様相形態(差異シナジー形態)としよう。これは、エネルゲイアであり、プラスの時が、生命発生志向であり、マイナスの時が生命消滅を志向すると考えよう。つまり、生命とは、差異シナジー・エネルゲイアとなる。これは、明瞭・明晰・明確である。そして、思うに、これが、原ゲノムないしゲノム・イデアではないだろうか。つまり、生命の原設計図、イデア設計図である。
 では、そのように作業仮説して、「心」とは何か、ということになる。これまで、プラトニック・シナジー理論では、差異=志向性(フッサール)と考えてきた。当然、「心」も、そのようなものと考えられるのである。そうならば、差異=志向性=「心」と、原ゲノムはどう関係するのだろうか、ということになる。
 ここで、簡単に、感覚・知覚・意識身体(心身)から考えよう。常識的に、五感があり、それらを統合するようにして「心」がある。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚である。精緻に言えば、さらにあるだろう。とにかく、多元的感覚があり、それを介して統合的な「心」・意識・精神が存している。整理すると、諸感覚の「調和」、「統合」、「統一」ということになるが、思うに、諸感覚の共立様相ではないだろうか。つまり、諸感覚の共立シナジー様相ではないだろうか。感覚共立シナジーが「心」・意識・精神ではないだろうか。一(いつ)ではなく、一如(いちにょ)である。
 もしそうならば、差異についても、再考が必要になるだろう。私は、これまでは、一つの差異が自己意識を形成していると仮定してきたのであるから。感覚共立シナジー=差異的自己論が成立するならば、差異的自己は、多元的差異シナジーとしての存するのである。あるいは、多種多様な差異の共振シナジーとしての差異的自己=特異性=単独性=不連続的差異である。(ここで、用語を整合化しよう。差異的自己は、とりあえず、「差異」的自己と表記して、差異という術語を、根源的差異、不連続的差異に限定しよう。すると、「差異」的自己=特異性=単独性=「不連続的差異」という表記になる。)
 この問題は、以前、ずいぶん悩んだ問題で、自己を一つの差異イデアと見ることで、解決しておいた問題であるが、ここで、また、問題化したと言えよう。以前の問題を振り返ると、「わたし」・自己は、「全体」としてある特異性=不連続的差異であると思われた。図式化すれば、

差異1/差異2/差異3/・・・/差異n

を全体すれば、「わたし」=自己は、この中の差異kである。そして、差異総体の共振シナジー様相においては、「わたし」=自己は、

「全体」(差異1☯差異2☯差異3☯・・・☯差異n)

を共振シナジー(☯様態)感じると考えてきたのである。しかし、新たに、感覚共立シナジー・多種多様差異共振シナジーとしての「差異」的自己を考えると、この図式的思考を修正する必要が出てくるだろう。つまり、これまで、「差異」的自己は差異kであったが、ここでの考え方からすると、「差異」的自己は、差異共振シナジー全体になるのである。これは、大変な転換になるだろう。
 そうすると、一番の問題は、これまで、自己としてきた差異ないし不連続的差異はどういうことになるのだろうか。今考えられることを言えば、差異共振シナジー様態自体が、「差異」であり、「不連続的差異」であるということである。つまり、同一性・自我に対して、差異共振シナジー様相は、「差異」ないし「不連続的差異」であるということである。
 どうも、このように考えた方が、私の直観にまったく適合するように思える。自己の「差異」ないし特異性・単独性=「不連続的差異」とは、差異共振シナジー様相と考えると明晰だと考えられるのである。
 では、そうならば、他者との共振的倫理はどういう仕組みなのだろうか。思うに、差異は志向性なのだから、差異共振シナジーも総体として、志向性をもっていると言えるだろう。なぜなら、多元的差異共振シナジー様相は、多元的志向性が一如化した志向性をもつと考えられるからである。つまり、差異共振シナジーとしての自己の総体的志向性も、共振的志向性をもち、共振的倫理をもつと言えるだろう。
 ということで、まだ検討が必要であるが、以上のように修正してみて、基本的には、これまでの差異、不連続的差異の考え方は、間違っていないことになる。ただ、単位的なものから、共立的なものに変化したと言えるのである。共立差異、共立不連続的差異としての自己なのである。
 では、ここで、さらに議論を展開すると、人間と他の生物との関係はどうなのかということになる。ゲノム的には、人間と類人猿とはそれほど違わないのである。唯物生物学は、この点で、限界があると言えよう。プラトニック・シナジー理論(簡略して、シネルゲイア理論と呼べるだろう)は、人間と類人猿の違いの発生を説明できるだろう。あるいは、人間と他の生物との違いを説明できるだろう。思うに、人間は、差異共振シナジー性が賦活・活性化しているのである。それに対して、他の生物は、差異共振シナジーの同一性化が確定して、それが本能となり反復するだけになっているのである。差異同一性化システムが本能システムとなり、同一性反復になっているのである。それに対して、人間は、差異共振シナジー様態が賦活されているので、同一性反復を破壊・超克して、新しい差異共立連結を創造するのである。これが、人間と他の生物との決定・切断的な相違点であると考えられる。ただし、人間には、他の生物と共通な同一性構造があるので、常に、同一性反復=保守反動の危険があり、劣化・低劣化・劣弱化・退化の危険があるのである。(現代が正にそうである。)
 この視点から、近代主義の問題点が明らかになる。近代合理主義は、「物質」という同一性構造を発見して、唯物科学・技術・産業を発達させたのである。しかし、これは、人間本性である差異共振シナジー性を否定・排除・隠蔽しているのである。つまり、人間本質否定としての近代主義、近代合理主義なのである。問題は、結局、近代とは何かになるのである。原近代・プロトモダンは、イタリア・ルネサンスから始まったと考えている。しかるに、その反動として、宗教改革・プロテスタンティズムが生起したと考えている(実際は、複雑であるが、単純化して考えている)。これと、デカルト哲学/科学が近代主義を決定するのである。しかし、原近代・プロトモダンは、差異共振シナジー様相の新たな賦活であると考えられるのである。だから、「近代」とは、基礎に差異共振シナジー様相があるのである。しかし、近代主義的反動によって、同一性構造的反動が支配的になり、原近代・プロトモダンを抑圧するのである。「近代」は捩れがあるのである。このような経緯で、近代主義、近代合理主義は、人間本性否定になったのである。現代日本は、この同一性反動の極致とも言える状況になっている。とりわけ、東京がそうである。悪魔的首都東京である。伏魔殿東京である。悪魔的知事が鎮座している。
 後でさらに検討したい。
_____________________________________

心の起源―生物学からの挑戦 (新書)
木下 清一郎 (著)

心の起源

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|この

2005年12月02日 (20:44)

文学者や芸術家他にどうして同性愛が多いのか

これは、固有名をあげるまでもないことである。古代ギリシアにおいて、美少年を愛することが、愛の至高のあり方であった。ギリシア神話では、ゼウスが、美少年ガニュメデスを愛した。これは、水瓶座の神話ともなっている。ここで、想起するのは、天上のヴィーナスと地上のヴィーナスという図像学(イコノロジー)の考え方である。あるいは、プラトンの有名な白い馬と黒い馬である。確かに、古代ギリシアやルネサンスは、天上的なものを志向した。(キリスト教、宗教改革と決定的に異なるのは、美への志向性であろう。)これは、不連続的差異論から言えば、イデア界への志向性である。これはこれでいい。 
 通常、この区分は、精神と肉体の二項対立による。精神が肉体よりも優位にあるというものである。(D.H.ロレンスは、これを転倒させたのであるが。)精神的な美と肉体的な美の対立と言ってもいい。しかし、天上のヴィーナスと、地上のヴィーナスとは、相関関係がある。後者は、前者を反映しているのである。つまり、ネオプラトニズムの考えでは、地上と天上とは照応している。思うに、プラトンの考えも、照応説的ではないか。白い馬と黒い馬の区別をプラトンは説いたが、前者と後者は照応しているだろう。地上から天上への志向性がある。この美的志向性が、同性愛になっているのではないだろうか。つまり、古代ギリシアの同性愛とは、本質的には、地上→天上への美的志向性を説いていると言えるのではないだろうか。つまり、同性愛とは、いわば、象徴である。問題は、天上的美への志向性であろう。
 では、天上的美への志向性が、どうして、同性愛を選ぶのか。それは、異性愛が、地上的なもの、世俗的なものに束縛されているからではないだろうか。つまり、異性愛とは、世俗的であり、経済的であり、私有・所有的なものでああるからである。異性愛は、地上の生命に関係する。生殖である。しかし、同性愛は、地上の生命とは関わらないだろう。
 ここで、ニーチェのディオニュソスとアポロの二元論を導入するがいいと思われる。これは、本当は、二元論ではなくて、対極論、相補論であろう。ディオニュソスを肉体、アポロを精神としよう。すると、これは、肉体/精神相補性である。アポロとは、「同性愛」的となろう。つまり、ここで、結論を言えば、同性愛とは、やはり、結果であり、本体は、天上的美である。天上的美を同性に見出すと考えられる。生殖を超えた美を同性に見たのが、「同性愛」現象ではないか。D.H.ロレンスは、異性愛をラディカルに説いたが、実際のところ、同性愛がロレンスには色濃くあるのである。これは、ロレンスが、真に天上的美への志向性をもっていたことの証明であろう。異性愛は生産的であり、同性愛は創造的である。現代資本主義は、後者的である。生産から創造へ。
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