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2006年09月10日 (08:16)

自己愛性人格障害について:人類の退化と超次元知的存在の進化


自己愛性人格障害について:人類の退化と超次元知的存在の進化

自己愛性人格障害という視点は、実に、現代の自我の病理をうまくつかんだものであり、その原因の説明もいちおう整合性をもっているように思えるが、私の疑問は、根本的にこの障害は、人間として、許せないものがあるがあるように感じられる点にある。

 つまり、親に見捨てられるかもしれないという不安をもつが故に、自己愛が過度になるということであるが、これは、もっともらしい説明であるが、ほんとうにそれで正しいのだろうかという疑問があるのである。この点を少し検討したい。

 私なりに言えば、自己は自己、個は個である。それは、それで、本来、独立した存在である。不連続的差異論から見ると、自我・個とは、不連続的差異であるのである。だから、親から見捨てられる不安があっても、「私は私」であって、いわば、独立不羈なのである。だから、自己愛性人格障害は起こらないはずなのである。個・自我のコナトゥス(自己保存力)があるのである。だから、この件について、私なりに、もう一度考えたい。

 自己愛性人格障害は、人間として、きわめて、弱いという印象があるのである。ひょっとして、これは、退化の兆候ではないだろうか。そう考えるのが、一番明快だと思うのである。人間が、強さを喪失しているのである。これは、自他を破壊するものであるから、人間社会は破滅すると考えられるのである。

 これは、ひょっとして、自然の意志のようなものではないだろうか。力の喪失である。精神の衰えである。やはり、私が考えるような超次元知的存在への進化が始まっていることの証ではないだろうか。つまり、自己愛性人格障害は、退化する猿人類が起こしているのではないだろうか。

 では、もし、そうなら、それは、どういうことなのだろうか。つまり、力・精神の欠落した人間が増殖し、互いに攻撃し合う構図がここにある。自滅・破滅・滅亡路線である。そう、確かに、人類の末期・終末相ではないだろうか。ノアの方舟ということが浮かぶ。ほんとうに、人類末の世界がやってきたのだろう。猿の惑星である。

f:id:antares:20060910081408j:image

http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Noahs_Ark.jpg

 では、超次元知的存在へと進化する「人類」が現在居るということになるのであるが、彼らは、どうやって、新しいコミュニティを創造するのだろうか。明らかなことは、猿人類は、創造性がないので、退化し、衰亡するということである、滅亡することはないとしても。

 とまれ、超次元知的存在のためのコミュニティの建設が必要となるだろう。彼らは、創造性に満ちているので、どんどん進展するだろう。愚劣な猿人類は、力・智慧がないので、衰亡するのである。

超次元コミュニティ



新創世記だ!

ノアの方舟


画像以下から。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Noahs_Ark.jpg
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2006年09月05日 (12:11)

自然=神のもつ「悪」について:プラス・エネルギーの同一性・二項対立暴力自我形成とコギトの新エデンの園

これまでの議論から、プラス・エネルギーが、同一性=二項対立暴力自我を形成するということになった。これは、悪であるから、自然(=神)が悪の原因であることになる。思えば、グノーシス主義は、この宇宙は、邪悪な創造神デミウルゴスが創造したと考えているが、それは、限定的には、正しいだろう。そう、さらに、想起すると、ヘルマン・ヘッセの『デミアン』で、善悪両面をもつアブラクサスという神(これも、グノーシス主義の考え方)が唱えられていた。
 確かに、アブラクサスという両義神という考え方は、これまでの検討から見ると、的確、適切な考え方のように思える。しかし、私は、さらに、何故、「悪」を生む必要があるのかということを問題にしたい。確かに、プラス・エネルギーの必然によるが、その意味があるはずである。
 この問題は、古代父権神話を哲学することから、解明されるだろう。父権神話以前に、母権・女神神話が、普遍的であった。母権・女神神話とは、プラトニック・シナジー理論(以下、イデア・シナジー論)から見ると、それは、零度差異共振シナジー界=メディア界(・メディア空間・メディア平面)に相当すると考えられる(現在の仮説であるが)。
 しかし、自然=神(これは、メディア平面の神である。イデア界の神、言わば、元神、プロトゴッドは、どうなのだろうか。)は、その極性から、プラス・エネルギーを発現し、この母権・女神の世界を破壊したのである。もし、共振シナジー界が継続すれば、人間は、調和に満ちた平和の世界に生き続けたことだろう。思うに、聖書で説かれているエデンの園とは、この差異共振シナジー界の世界を指しているのだろうし、有り体に言えば、地上楽園は、存在していたのである。
 本稿の問題に答える前に、この「エデンの園」の精神・社会様態を推察してみよう。考古学・人類学・美術史からわかるように、これは、文字以前の時代である。通常、文字の獲得を人間の知の発達のメルクマールとしているが、必ずしもそうではないだろう。確かに、文字言語によって、人間のある種の知性・知識は発達したことは確かであるが。文字以前の社会とは、イメージ・ヴィジョン・イマジネーションの精神社会世界だと推察される。そこでは、今日の現象界とはまったく質的に異なっていたと考えられるのである。簡単に言えば、万民芸術家の精神社会世界である。D.H.ロレンスが、古代イタリアのエトルリアの墓地の壁画にヴィジョン洞察したものが、そのようなものであろう。平和共存の世界である。絵を描いたり、歌を歌ったり、踊りを踊ったり、また、愉しい経済生活をしていただろう。これが、イデア・シナジーの「エデンの園」の世界である。
 しかし、自然=神の必然から、野蛮な父権の社会が襲来する。インド・ヨーロッパ語族・アーリア民族が世界を侵略・蹂躙する、現代、USがアフガン、イラクに襲来したように。
 もし、野蛮な戦争を生み出しただけなら、自然=神は断罪に値し、グノーシス主義は、まったく正しい教義となる。
 では、このおぞましい犠牲によって、どんなポジティブなことがもたらされたのか。ひとことで言えば、自我であろう。それも、同一性自我である。そして、これは、実は、悪魔なのである。つまり、人類は、人間は、悪魔になったのである。人間・人類の悪魔化、これが、生じたのである。ホモ・サピエンスのサピエンスとは、悪魔の知であったのである。だから、核爆弾を造ったのである。父権主義化とは、悪魔化であるとはっきり言えるのである。だから、現代、世界は、凄惨陰惨、おぞましく、悲劇的なのである。これを見据えなくてはならない。虚偽・欺瞞的なヒューマニズムや性善説は否定されなくてはならない。悪魔としての人間である。
 とまれ、プラス・エネルギーによって、同一性・二項対立暴力自我が誕生したのである。これは、人類史において、まったく、新しい事態であったと言えよう。(そう、人類史が、連続史であるのかどうか疑問である。複数の不連続史であったと見た方が正しいように思うのである。)この同一性自我化とは、現象界的自我の誕生である。それまでは、メディア界的自我をもっていたのである。換言すると、コスモス的自我をもっていたのであるが、それが、衰退して、現象界的自我となったのである。おそらく、これは、一挙に生起した事態ではなくて、徐々に生起したことと考えられる。つまり、メディア界と現象界が平行して存在し、後者が前者を徐々に凌駕する世界を迎えたということである。そして、この決定的ポイントが、西洋における近代科学の誕生である。コペルニクス/ガリレオによる近代自然科学の誕生である。これで、メディア界=コスモスは完全に崩壊し、消失したのである。そして、それが、今日まで続くのである。
 さて、この同一性自我・現象界自我のことであるが、そのポジティブな意味は、結局、物質主義、物質的知性・技術を生んだこと、これに尽きるだろう。Material Worldである。換言すると、メディア界・コスモスを否定した物質現象界の自我知性である。
 では、なぜ、これが発生する必要があったのかである。これは、深遠な意味があるだろうが、思えば、これは、イデア界の絶対的差異のもつ絶対的自我と関係があるように思えるのである。フッサール現象学のノエシス/ノエマの純粋意識ないし原意識の問題である。思うに、この絶対的自我意識・純粋意識・原意識が、同一性自我の形成の基盤にあるように思えるのである。同一性自我は、デカルト哲学のコギト・エルゴ・スムと深く関係するといえよう。このコギトが、絶対的自我意識・純粋意識・原意識と関係すると思うのである。「我思う」これが、ポイントである。しかし、これは、すぐに、同一性自我=近代的自我に変容した。この「差異」が最重要である。「我思う」は、イデア界的自我・原自我なのであるが、それを、デカルトは、近代的合理主義に結びつけて、近代的自我としてしまったのである。コギトと近代的自我は、決定的に異なるのである。即ち、イデア界と現象界の違いであると思うのである。この点に関しては、唯物論者の柄谷行人が天才的に鋭敏、慧眼であったと言わなくてはならない。彼は、デカルトのコギトに単独性を見たのである。これは、彼の独創的な発見か指摘であろう。
 ということで、プラス・エネルギーは、悪魔主義であり、物質主義と共に、コギトを生んだのである。これが、決定的な積極性と考えられるのである。コギトは、近代的自我ではなくて、イデア界的自我なのである。ノエシス/ノエマなのである。原神である。これは、ヤハウェの積極的本質であると考えられる。そう、ヤハウェは、悪魔であるが、半面、原神であったのである。「父」=イデア界である。
 メディア界=共振シナジー界の極性を考えると、プラス・エネルギーが同一性、マイナス・エネルギーが差異とすれば、正に、太極の世界、双極・双対性の世界であり、陽の半面に陰があるのである。この陽=同一性の内部の陰=差異が、絶対的自我・イデア界・原神であると言えるだろう。これが、プラス・エネルギーの積極的意味である。ならば、マイナス・エネルギー化する世界・「宇宙」とは何を意味しているのだろうか。
 それは、これまで述べたように、イデア界へと回帰しつつ、新たな差異共振調和の世界への志向ということである。新エデンの園である。


参照:

1)ヘルマン・ヘッセの『デミアン』
http://www.amazon.co.jp/%30c7%30df%30a2%30f3/dp/4003243552/sr=8-8/qid=1157417458/ref=sr_1_8/249-9325302-2790723?ie=UTF8&s=gateway

2)アブラクサス
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/y1-abrax.html

3)グノーシス主義
http://www.joy.hi-ho.ne.jp/sophia7/sop-gnos.html

4)D.H.ロレンスの『エトルリアの故地』
http://www.bk1.co.jp/product/479581
http://72.14.235.104/search?q=cache:YUPhK2ithEoJ:www.h6.dion.ne.jp/~shim-his/europe.pdf+%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%95%85%E5%9C%B0&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=2&lr=lang_ja&client=firefox


画像以下から。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Tree_of_Life_Medieval.jpg.jpg

完全画像版は以下です。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10016653999.html

2006年08月21日 (13:13)

民主主義批判と差異共振共立政治へ向けて:劣弱差異と優強差異:サル人類とコスモス人類

民主主義は、国是であるし、国際的な世界的価値観なので、批判しにくいが、あえて、試みたい。
  民主主義は、成人の国民に、平等に、直接ないし間接の選挙権を与えること、そして、過半数選別の原理が基盤であると言えよう。実効的な、国民平等の原理がここにあるのである。つまり、ここには、同一性の原理がはたらいているのである。国民は、一人一人平等=同一性ということである。
 しかし、不連続的差異論によれば、個とは、差異・特異性・不連続的差異であり、絶対的不平等である。原理として、不平等原理である。差異原理である。(p.s. プラトニック・シナジー理論は、差異共振シナジーを提唱するので、単純な差異原理ではない。差異共振原理である。)
 ここからして、民主主義批判が生じる。これは、政治学・社会学の問題であるが、私は、差異の視点から考察したい。
 やはり、ニーチェが、ラディカルな問いを発している。それは、『道徳の系譜』である。ここで、ニーチェは、人間の優劣を位階性をはっきり主張している。私は、これを、二年前には、劣弱な差異と高貴な差異というように区分した。そして、なんとか、一元論的に説明しようとしたが、うまくいかなかった。最近も、極性エネルギー論で考えて、近代主義批判として、整合化できたが、しかしながら、何故、ある人は、差異主義であり、ある人(サル人類)は、同一性主義なのか、その説明がつかないのである。
 これは、結局、根本的に、少なくとも二種類の人間がいると考えた方が、合理・整合的なのである。すなわち、 劣った弱い主観性の持ち主と勝れた強い主観性の持ち主がいるということである。こう考えると、すべては、整合的に説明がつくのである。そして、今日、世界・日本は、狂気が支配しているが、結局、考えると、前者の人間が支配者の位置についていることからきているのだし、それを民主主義で選挙した同類の国民がいることからきているのであるし、それを煽っている同類の(、もっとも、より邪悪ではあるが、)マスコミがいることから来ているのである。つまり、今日、前者の人間が支配して、狂気・破滅主義の世界を作っているのである。結局、民主主義は、これに対して、ブラインドなのである。首相のセリフ「個人の自由」になるのである。(また、「個人」という言葉であるが、この場合は、あいまいであり、同一性自我でもあるし、個(差異)でもありえる。とまれ、首相の言葉はあまりに軽々し過ぎると言わざるをえない。)
 結局、私の、現段階の結論は、ポスト民主主義として、差異位階主義・差異ヒエラルキーが必要であるということで、まさしくニーチェ主義である。ニーチェがナチスに利用されたと言われるが、ナチズムは、民主主義から生まれたのである。
 差異位階主義は、較差主義ではない。新イデア論である。根源的なイデア界を認めることが、正気の世界をもたらすと考えられるのである。ポスト民主主義としての新イデア論、イデア論的政治である。だから、イデア論的政治家、イデア論的国民を形成していかないといけない。イデア論的差異政治主義である。

p.s. 補訂すると、成人の国民に平等に選挙権を与えるというのは、同一性の原理、すなわち、近代主義の原理そのものである。おそらく、これは、最低線と見るべきなのだろう。これは、認めるべきだろう。だから、私が言いたいのは、このベースを基にして、差異主義へと転換しなくてはならないということである。民主主義の超越包摂(以下、超包)としての差異政治主義を唱えているのである。超包民主主義である。あるいは、差異民主主義である。
 思うに、近代主義は、民主主義、近代合理主義(近代科学・唯物科学)、近代的自我(同一性自我)を生み出したと言えよう。新イデア論的差異主義とは、これを超克することを説いているのである。つまり、近代主義は、今や、限界を通り越して、狂気となっているのである。超包近代主義である。

p.p.s. 以上を少し整理すると、民主主義は、同一性の政治原理であり、ここには、差異の視点は、原理的には欠落している。ここで、民主主義批判が成立しよう。しかし、民主主義は、いわば、経済で言えば、貨幣経済のようなものであり、貨幣制度は、廃止できない。つまり、同一性原理は、社会の基盤として認めざるをえない。
 というように考えると、近代主義は、同一性原理の完成であると言える。これは、社会の基盤を保証する原理であると言えよう。これは認める。しかし、差異の視点がないために、今日、反動・狂気化しているのである。だから、同一性主義・近代主義を乗り越える思想・理論・原理が必要になっているのである。即ち、超越包摂近代主義・民主主義=新イデア論的差異主義が考えられるのである。


参考:『道徳の系譜』

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4003363949/sr=8-1/qid=1156121950/ref=sr_1_1/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=gateway
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480080813/sr=8-2/qid=1156121950/ref=sr_1_2/250-8960880-5103431?ie=UTF8&s=gateway



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■精神的弱者と精神的強者

簡単に言えば、こうなるのである。前者は、抜け目ないから、支配するのである。狡猾なのである。悪魔の狡猾さである。悪賢さとずる賢さである。
renshi (2006-08-21 10:54:17)

■小泉首相は、劣弱な主観性の持ち主か?

この点で、私の考察は、難点を呈するようだ。小泉首相は、決して弱い主観性の持ち主ではない。異常な主観性の持ち主ではある。どう見たらいいのかと言えば、いちおう中間的な人間とは言えるが、主導的なのは、劣弱な主観性であると言えよう。
renshi (2006-08-21 12:07:13)

■劣弱な差異・主観性だから、反動・狂気化するのだろう。

小泉首相の場合、基盤は、劣弱な差異・主観性である。だから、反動・狂気化すると考えられるのである。
 もし、優強な差異・主観性があれば、反動性を帯びても、それに距離をもつ精神性が生じるのである。反動性への懐疑が生じるのである。
 だから、小泉首相の場合は、劣弱な差異・主観性の持ち主であるというのが正しいのである。
renshi (2006-08-21 12:17:01)

■小泉首相は、劣弱な差異・主観性の裏返しの蛮勇である。本文無し

本文無し。
renshi (2006-08-21 12:18:48)

■しかし、劣弱な差異と優強な差異は平行線ではないか:次元が異なるのであるから

とは言え、劣弱な差異には、優強な差異は認識できないという一種不可知論があるのである。
 だから、単純に差異民主主義にはなりえない。二つの人類の存在。二つの差異の人類という超根源的な問題がある。ニーチェは超天才である。生物学的には、人間類であるが、差異・質的には、異なる二種類の人類が併存しているのである。
 サル人類とコスモス人類である。質的に異なる個体に、同一性の原理(民主主義)を適用できるのか。喩えて言えば、火星人に民主主義が適用できるのか。
 民主主義は理想主義的である。差異共振共立主義が必要だろう。差異共振政治である。差異共振精神において、差異は、共振し、共立するのである。やはり、ポスト民主主義として、差異共振共立政治、差異共振共立主義、簡単に、共振共立主義である。
renshi (2006-08-21 12:56:01)

2006年08月15日 (12:05)

コスモス史という新歴史観の仮説

コスモス史という新歴史観の仮説
テーマ:ID(インテリジェント・デザイン)理論
先に、差異共振シナジー界(メディア界)の極性エネルギーの変化による、コスモスの「歴史」ないし「進化」について示唆したが、ここで、少しそれを考えてみたい。
 先に、次のように述べた。《コスモスの「歴史」ないし「進化」は、エネルギー極性力学の往復運動、そして、螺旋運動と見ることができるだろう。》http://ameblo.jp/renshi/entry-10015795855.html
結局、プラス・エネルギーとマイナス・エネルギーの交替の織り成す運動体としてのコスモス史の仮説である。以前に、イデア界史という観念を立てたが、それに類似しているとは言えるが、差異共振極性エネルギーの力学という点では、明確に異なっている。
 結局、このコスモス史は構造的にきわめて単純明快である。振り子運動とらせん運動を形成するということであるからだ。だから、問題は、この構造の展開をどう形式化するかにあるだろう。
 不連続的差異論のガウス平面における1/4回転が基本力学であるが、これと極性力学とをどう結びつけるかが重要である。(おそらく、インテリジェント・デザイン理論・ID理論とも、この点で関係してくるだろう。)
 ここで、思考実験しよう。最初の1/4回転によって、零度差異共振性が形成される。それが、垂直に捩れるのであるが、これが、プラス・エネルギーでるあるとしよう。つまり、垂直の力は、プラス・エネルギーによるものとしよう。
 次に、二番目の1/4回転、即ち、2/4回転が発生するとする。それは、零度差異共振性を解除するのである。これは、マイナスの不連続的差異共立のイデア界への回帰としよう。そして、これが、マイナス・エネルギーを発生させるとしよう。この考えを、同様に適用すればいいことになるのである。奇数回の1/4回転は、プラス・エネルギーを発生させ、偶数回の1/4回転は、マイナス・エネルギーを発生させるとする仮説するのである。(2n-1回が、+エネルギー、2n回が、-エネルギーである。)
 問題は、エネルギーの次元と現象の次元である。ガウス平面をXY座標として、エネルギー軸をXY座標に直交するZ軸としよう。だから、奇数回の1/4回転は、Z軸の+の方向のエネルギーが発生することになるだろう。そして、偶数回の1/4回転は、Z軸の-の方向のエネルギーが発生すると言うことになるだろう。そうならば、Z軸において、プラスとマイナスの往復運動が生起されると言えよう。このエネルギーの極性運動は、対称的である。例えば、これは、Z軸では、+、-、+、-、・・・の反復となる。だから、連続・同一性志向性は+Z軸の方向、差異・差異共振志向性は-Z軸の方向と見ることができるのではないだろうか。
 とまれ、そう見るなら、エネルギー軸であるZ軸は、メディア界に存すると言えよう。より的確に言えば、メディア/現象境界に存すると言えよう。そして、ここから現象界へと展開するのであるから、ここで、現象軸として、P(PHENOMENA)軸を作業仮説しよう。+エネルギーの場合、連続・同一性志向であるから、それを+P軸とし、-エネルギーの場合、差異・差異共振性志向であるから、それを-P軸としよう。思うに、現象界において、+P軸を見ているのだろう。これが、空間三次元・時空四次元なのではないだろうか。-P軸とは、-現象であり、おそらく反世界であろう。反物質の世界であろう。しかし、それは、正しくは、差異共振・共立界ではないだろうか。つまり、日常の現象界においては、+P軸を感覚しているだけで、-P軸は「不可視」・無感覚なのである。
 では、コスモス史を考えるとどうなるだろうか。最初の1/4回転で、Y→Z→Pと三段階をもつ。次の1/4回転でも、符号が反対になるが、同様であろう。すると、1/4回転で3位相をもつから、ガウス平面の一回転は、3×4=12位相となる。ここで、作業仮説として、この12位相が、占星術の12星座(正しくは、12宮)に転移されたとしよう。つまり、ガウス平面的イデア論的コスモスが、天界に投影されて、占星術の12宮(黄道十二宮)を生んだとしよう。
 さて、問題は、太陽とこの12位相の関係である。結局、太陽とは何なのかということになるだろう。あるいは、地球は何なのかということになるだろう。ここでも、思考実験ないし作業仮説であるが、ガウス平面の原点(0,0)を原太陽として、不連続的差異・イデアを原惑星・原地球としよう。そうすると、12の位相において、原太陽と原惑星・原地球との関係が形成されると考えられよう。  
 どういうことかと言えば、ガウス平面における原点と不連続的差異・イデアとの関係が、原コスモス・原宇宙関係であるということである(作業仮説)。この原点/差異という原コスモス・原宇宙関係が、12位相を形成すると言うことである。原コスモス・原宇宙を原太陽/原惑星の原太陽系とすると、それは、12位相をもつ原太陽系となるだろう。即ち、原太陽系12位相ないし12位相原太陽系である。これが、占星術の12宮あるいは黄道十二宮の原型ではないのだろうか。
 さらに緻密に言えば、原太陽系を拡大して、原銀河系、原全宇宙というように展開できるだろう。つまり、原太陽系12位相は、原銀河系/原全宇宙に適用できるということになるだろう。つまり、簡単に言えば、原太陽系12位相と、原銀河系/原全宇宙とは相似形であると言えるのではないだろうか。つまり、原太陽系12位相と原銀河系/原全宇宙は照応しているということではないだろうか。これが、ミクロコスモス=マクロコスモスの観念の広い意味ではないだろうか。
 もし、そうならば、原太陽系12位相は、根源的な力学構造を意味していることになるだろう。つまり、原太陽=原点は、単なる恒星ではなくて、イデア界における根源的な意味をもっているものである。おそらく、「原神」と呼んでいいものではないだろうか。そして、原惑星は、「原天使」ではないだろうか。思うに、ここには、一神-多神教ないし一元-多元性とでも言うべきこれまで、ほとんど知られていない世界があると言えよう。
 さらに、思考実験すると、原太陽系12位相において、原点と不連続的差異・イデア、原太陽と原惑星は、基本的には、ペンタグラム・五芒星を形成するらしいということである。基本数5である。これを今の思考実験として、差異5=原惑星5=基本数5としたい。原点・原太陽1+差異5・原惑星5=計基本数6となる。
 さらに思考実験であるが、これは、1/4回転において、YZ平面上で、零度差異共振シナジーによ手、正多角形を形成するとしよう。すると、YZ平面で正五角形、即ち、ペンタグラム・五芒星が形成されることになる。
 また、さらに思考実験すると、原太陽系12位相であるから、正五角形×12位相=60準位相(差異位相)が形成されるとしよう。これが、思うに、原コスモス・原宇宙の基本単位数ではないだろうか。ホワイトヘッド的に言えば、コスモロジーないし「有機体」の基本単位数となるだろう。
 後の問題は、プラトン年の数、25920(=432×60)をどう考えるかである。432=3×144=3×12^2=12×3×12=12×36である(。さらに展開すれば、3×4×3×3×4=3^3×4^2=2^4×3^3である)。だから、プラトン年25920=12×36×60である。そして、1位相は、36×60=2160である。そして、これを差異数・原惑星数5で割ると、2160÷5=432という数となる。つまり、1差異、1原惑星当たり、432という数である。そして、正五角形において、一頂点と隣り合う一頂点の作る内角は、72度であるから、432÷72度=6年/度である。だから、1位相正五角形において、1度当たり6年となる(6×360度=2160年)。
 とまれ、1差異・1原惑星当たり432年とは何を意味するのだろうか。(もし、6差異で考えると、2160÷6=360である。1差異当たり、360年である。)
 ここで、思考実験して、5差異・5原惑星と原太陽の関係を考えると、原太陽と一つの差異・一つの原惑星と関係すると仮定すると、1原太陽/原惑星として、432年が出てくる。(p.s. そこに姿を表すパルテノン神殿は、紀元前432年、優秀な建築家や工芸家が集められて造られたものです。http: //via.z1.bbzone.net/ath.htm)これを、仮に、1原惑星原太陽年(以下、1惑星太陽年)と呼ぼう。そう、先に、準位相60を見たから。1準位相432年とも言えよう。ここで、さらに思考実験すると、432年をコスモス史の画期として、プラトン(Πλ?των (Platon), 紀元前427年 - 紀元前347年)を紀元前432年の代表と見ると、プラトンの次は、当然、イエス・キリストである。

次の432年は、何だろうか。
431年 - エフェソス公会議でネストリウス派(のちの景教)が異端宣告される。
「西暦432年、聖パトリック氏は、アイルランドにキリスト教を広めました。『セントパトリックスディ』は、彼の追悼の日になります。この日は、世界中でパレードが行なわれます。また、アイルランドの国花が『三つ葉のクローバー』!三つ葉のクローバー』または『緑色の服』や『緑色のもの』を身に付けることで、祝う習慣があるようです。アメリカ、シカゴでは川を緑色に染めてしまう程、お祭りをお祝いします。」
http://amoretto.cocolog-nifty.com/amoretto/2006/03/index.html
「2005年03月18日

今日は St. Patrick's Day!

アイルランドの守護聖人と言われているセント・パトリックは、432年にアイルランドに伝道に赴いてキリスト教を広めた人です。それまでアイルランドは、ケルト人が古くから信じる、ドルイド教が主流だったのです。」
http://www.itoh.com/2005/03/_st_patricks_day.html
434年 - アッティラがフン族の王となる。

その次は何か? 432×2=864年である。

* 862年 - 伝説ではノルマン人 ルス族のリューリク がノブゴロド公国 を建国する。ロシア 国家のはじまり。
* 863年 - 東ローマ帝国 のメトディオス 、キュリロス (コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人 に対してキリスト教 伝道を開始する。
* 864年 - 富士山 貞観 噴火
* 864年ごろ - ブルガリア王国 のボリス1世 がキリスト教に改宗する。
* 866年 - 応天門の変 がおこる。応天門放火の罪で大納言 伴善男 が流罪となる。
* 867年 - 東ローマ帝国 でバシレイオス1世 がクーデターで皇帝に即位。マケドニア王朝 を開く。
* 867年 - イラン にサッファール朝 が興る
* 868年 - エジプト にトゥルーン朝 が興る



ダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri、1265年 1321年 9月14日)は、第三の準位相(432×3=1296年)か。

* 1295年 - マルコ・ポーロ 、ヴェネツィア に帰国する。
* 1296年 - イングランド 王エドワード1世 、スコットランド よりスクーンの石 を奪う。
* 1297年 - 鎌倉幕府 が、永仁の徳政令 を出す。
* 1298年 - 伏見天皇が譲位し、第92代後伏見天皇 が即位。
* 1299年 - オスマン帝国 成立。


* 中世
* インカ帝国 の成立。
* オスマン帝国 の成立。



第四の準位相は、1728年だ。イマヌエル・カント (*1724年 - 1804年 )だろうか。第五は、当然、2160年である。

* エドマンド・バーク
* イマヌエル・カント (*1724年 - 1804年 )
* カール・フォン・リンネ (*1707年 5月23日 - +1778年 1月10日 )
* フリードリヒ・ハインリヒ・ヤコービ (*1743年 1月25日 - +1819年 3月10日 )
* ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
* フリードリヒ・フォン・シラー
* コシチューシコ(コシューシコ )
* ジョージ・ワシントン



 とまれ、432年で止まってしまった。後で、再考したい。

参考1:歳差運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B3%E5%B7%AE%E9%81%8B%E5%8B%95
http://homepage2.nifty.com/eman/dynamics/precession.html
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%AD%B3%E5%B7%AE%E9%81%8B%E5%8B%95&start=0&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official

参考2:432
http://www.geocities.com/jirimruzek/osirnum.htm
http://www.greatdreams.com/432.htm
http://www.halexandria.org/dward092.htm
http://www.mtvdance.com/philoscience/432page.html
http://www.trivortex.com/Key.htm
http://www.metafilter.com/mefi/26791
http://members.aol.com/johnkeely/scale.html
http://www.poee.org/living/GetPage.aspx?ID=124
http://www.google.co.jp/search?q=%EF%BC%94%EF%BC%93%EF%BC%92%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%95%EF%BC%99%EF%BC%92%EF%BC%90&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&hl=ja&client=firefox&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial


 
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■歳差運動と捩れ

歳差運動によって、プラトン年が発生している考えられている。どうも、差異の1/4回転による垂直の捩れと関係がありそうな気がする。後で検討したい。

2006年07月31日 (15:10)

連続・同一性自然過程とポスト人類精神革命の理論としての不連続的差異論/新プラトン・シナジー理論

連続・同一性自然過程とポスト人類精神革命の理論としての不連続的差異論/新プラトン・シナジー理論
テーマ:新イデア・共振シナジー理論
Mon, July 31, 2006 14:44:30
以下は、次のブログの部分を独立させたものです。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10015284984.html
___________________________

連続・同一性(と連続・同一性中心主義)の形成を連続・同一性自然過程と、先に呼んだが、それは、当然、ファシズム・全体主義形成過程とも言えるのである。サル社会で、ボス中心のピラミッド社会が形成されるというのは、この連続・同一性自然過程の表出ではないだろうか。もし、そうなら、人間社会は、サル社会と類似していると言えよう。深く、猿の遺伝子を継承しているのではないだろうか。(では、人間の遺伝子とは何か。)
 当然、人間社会は、連続・同一性(主義)自然過程から脱却するものでなくてはならないはずである。もし、進化があるなら、その方向にあるはずである。
 不連続的差異論は、本当に画期的な、否、超革命的な、超進化(精神進化)的な、理論であると思うが(理解している人は、どれほどいるだろうか)、それは、脱連続・同一性自然過程である人類進化・生命進化に役立つだろう。(インテリジェント・デザイン論・ID理論があるが、ここでの「進化」とは、内的デザインの進展ということになろう。)そう、ポスト・「サル/人類」進化の理論である。

 p.s. 父権主義・西洋文明・近代主義、等の地球・人類に破壊的なものがどうして存在するのかという疑問に対して、この視点から答えられるように思う。おそらく、現人類は、サルと超・ポスト人類との中間の、過渡期の、架橋的生命体なのである。そのために、サル社会の連続・同一性自然過程=父権制・原ファシズム・全体主義を内包しているのである。これが、現代の桎梏なのである。このため、戦争、暴力、自然破壊、不正、不平等、等が理不尽に為されるのである。サル遺伝子、サルの遺産が、現人類を、狂気にしているのである。
 不連続的差異論/新プラトン・シナジー理論は、明らかに、ポスト・人類革命の超理論である。私は、理論誕生直後、直観の狂喜・情熱のままに、
最勝超至高不連続的差異論と呼んだものである。
 耳あるものは、傾聴するといい。


参照:
サル目
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E7%9B%AE

ゴリラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%A9

___________________________

本ブログの後記:

上記の仮説が正しいならば、ユダヤ/キリスト教とは何か。とりわけ、ユダヤ一神教とは何かという疑問が起こる。それは、サル人類(現人類のことである、勿論)の遺伝子の反動的発露ではないのか。超越神とは、サル人類神である。しかし、問題は、二重構造である。超越神ヤハウェとは、サルのボスと超人類の「超越性」との中間態と考えられるように思うのである。だとすれば、正に、サル人類宗教・神学である。中間神学である。反動的な面と進歩的な面があるだろう。そして、キリスト教が成立する。これも、ユダヤ教と同じく、中間的なものであるが、人間において超越性(イエス・キリストの体現した精神:本当は、仏教・プラトン主義・グノーシス主義的イエスの精神である。p.s. 後で、グノーシス主義の問題を検討したい。)を説いている点で、ユダヤ教より、進歩していると言えよう。
 このサル人類的一神教神学がベースになって、西洋文明、とりわけ、プロテスタンティズム西洋文明が成立したのである。問題は、サル的父権制が桎梏となり、全体主義的に地球・自然・人類を破滅の過程に陥れていることである。超人類の精神能力である、超越性(超越論性:差異共振性)が、反動暴力・狂気化しているのである。まったき倒錯の様態にある。
 結局、父権一神教とは、超人類進化のための、サル人類史の最終段階であると見られよう。サル人類史の終末なのである。黙示録的時代であるが、それも、いわば、ポスト黙示録的黙示録的時代である。即ち、ポスト一神教的黙示録の時代であるということである。新コスモスの新時代(新アイオーン)の開始である。
 これは、イエスの救済(イエスを救済すること)を意味するだろう。救世主を救済することになるのである。イエス・キリストは、本来、超人類、超サル人類進化の方向性を説いた人物と考えられるのであるが、それが、サル人類神学に利用されてしまったのである。そう、D.H.ロレンスが、『死んだ男』で、イエス・キリストを救済することを表明しているのである。新コスモス・超人類進化を説くポスト・イエスにイエス・キリストが変容したのである。(ロレンスは、ニーチェを進展的に継承する大天才である。文学は、20世紀後半以降、反動・停滞・衰退しているだろう。)
 付け加えると、イタリア・ルネサンスとは、超人類進化の、古代ギリシアに続く第二の烽火であったが、プロテスタンティズムの反動に隠蔽されてしまった。しかし、今や、第三の烽火として、新プラトン・シナジー理論が、決定的に、出現したと言えよう。
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  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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