2007年12月21日 (21:52)

ユダヤ・キリスト教/三位一体教の奸智について:超越的同一性の唯一神とマモン崇拝と金融資本主義

戦後日本人は、アメリカ近代合理主義に洗脳されているので、自分の民族・文化の宗教・神話が奪われていることも感じないし、また、宗教・神話に無理解になっている。度し難い感がある。迷える子羊ならぬ、迷える馬鹿である。
 ところで、クリスマスが近づいたので、クリスマスのこと、また、ユダヤ・キリスト教の狡知についてあらためて考えてみると、ユダヤ・キリスト教の奸智・狡知の多さに気がついた。それは、いわば宗教的詐欺ないしは宗教的盗作(パクリ)である。詐欺教、ペテン教、パクリ教である。では、以下、奸智・狡知・盗作をあげてみよう。

1)クリスマスは、イエスの誕生日の祝祭になっているが、これはフィクションであり、本来のイエスの誕生日は、春か初夏と考えられている。これは、冬至の祭礼を横取りして、クリスマス(キリストのミサ)に変えたのである。太陽崇拝や祖先崇拝が元の祭礼の基礎である。

2)カトリック教会における聖母マリア崇拝であるが、それは、本来、地中海の女神宗教を横取りして、取り入れたものである。イシス・オシリスの宗教・神話が基盤である。聖母子像は、イシス・オシリスが原型である。

3)聖霊であるが、これは、Media Pointにおける超越エネルギーのことを表現していると考えられるのであり、これは、普遍的な現象であり、ユダヤ・キリスト教が独占できるものではないのである。

4)天使であるが、それは、多神教の神々に通じるものだろう。あるいは、大乗仏教の菩薩や如来に通じるだろう。あるいは、神話に通じるものだろう。

5)父と子と聖霊の三位一体であるが、父とは、ユダヤ教の神であり、聖書の神ではないだろう。聖書の神はヤハウェとエローヒーム(神の複数形)の二種類である。子は、女神(母)の子であり、父の子ではない。また、聖霊とは、Media Pointの超越エネルギー(超越エネルゲイア)であり、それは、普遍的現象である。だから、これらは三者は別々であり、一体とはならないのである。三位三体が正しく、三位一体はフィクションである。

6)イエスの死と復活であるが、これは、古代の秘儀・密儀を踏襲したものである。永遠の生命とは、普遍的な思想であり、ユダヤ・キリスト教の独占できる観念ではない。言い換えると、いわば、異教の集約点としてのイエスの宗教があるのであり、いわば、超異教なのである。それをユダヤ・キリスト教としての異教から区別するのは、誤謬である。異教の縮図としてのイエスの宗教があるのである。大異教としてのイエス宗教である。私は、イエスはプラトニストであると考えている。あるいは、東洋的な叡知の伝達者である。参照:『トマスによる福音書』。

7)十字架というシンボルは、普遍的であり、ユダヤ・キリスト教の独占できるものではない。

ざっと、以上のようなトリックがある。
 結局、いちばんの問題は、三位一体というフィクション・錯誤・虚偽である。多元的なものを、無理やり唯一神において統一しようとしているのである。つまり、唯一神という超越的同一性によって統一化しようとしているのである。しかしながら、聖書には、唯一神は存しないから、ユダヤ・キリスト教会の創作である。「父」の創作、これが、詐欺の中心点である。太極原理、ないしは、プラトニック・シナジー理論から言えば、父ならば、それと対等の母がいなくてはならないが、それが存しないのは、都合が悪いからである。陰陽が本来的なのである。イザナミ・イザナギないしは太極的様相が真正・正統なのである。
 結局、いわば、ユダヤ・キリスト教会教とは、本来、さまざまな宗教を取り込んで(横取り、いいとこ取りして)、超越的同一性教を創作したと考えられるのである。
 では、超越的同一性教とは何か。これは、超越的同一性としての自我の宗教であり、また、正に、同一性としての交換価値としての貨幣信仰である。マモン神の宗教、貨幣教(貨幣狂)である。金の信者・亡者である。そして、資本主義、マネー・ゲームに帰結したのである。
 プラトニック・シナジー理論から見ると、Media Pointを実軸へと限定する志向性である。つまり、自己認識方程式から言うと、i*(-i)⇒+1をX⇒+1として、Xが不明になっていて、+1である自我から類推して、Xを超越的同一性の神にしているのである。差異を否定するので、悪魔的である。
 結局、まとめると、狡猾な虚偽的宗教であり、貨幣神宗教であり、悪魔教である。だから、邪教である。ウィリアム・ブレイクが、ユダヤ・キリスト教の父を Nobodady(誰でもない父)と呼んでいたのを想起する。ブレイクの宗教・神話は、純粋なMedia Pointの宗教・神話である。東洋的なのである。柳宗悦(やなぎむねよし)や寿岳文章がブレイクに魅かれたのも、同質性からである。

p.s. 先にも述べたが、唯一神は二種類あることを一言注意しておきたい。ユダヤ・キリスト教の唯一神は、超越的同一性であり、イスラーム教の唯一神は、Media Pointの一(いつ)の神である。私は、We are One.と言ったが、これが、アッラーである。一即多の神すなわち、Media Pointの真正な神である。根元神である。正に、大神である。
 混乱・混同を避けるため、同一性唯一神と差異共振的唯一神に分けることができよう。これでは、煩瑣なので、唯同一神と唯差一神とでも呼ぼうか。簡略して、同一神と差一神か。後で再考したい。

2007年12月21日 (20:03)

ユダヤ・キリスト教/三位一体教の奸智について:又、マモン崇拝である邪教としてのユダヤ・キリスト教

戦後日本人は、アメリカ近代合理主義に洗脳されているので、自分の民族・文化の宗教・神話が奪われていることも感じないし、また、宗教・神話に無理解になっている。度し難い感がある。
 ところで、クリスマスが近づいたので、クリスマスのことを考え、また、キリスト教の狡知についてあらためて考えてみると、ユダヤ・キリスト教の奸智・狡知の多さに気がついた。それは、宗教的詐欺に近いのである。邪教と呼ぶのは少し違うと思う。詐欺教の方が真相に近いだろう。では、以下、奸智・狡知をあげてみよう。

1)クリスマスは、イエスの誕生日の祝祭になっているが、これはフィクションであり、本来のイエスの誕生日は、春か初夏と考えられている。これは、冬至の祭礼を横取りして、クリスマス(キリストのミサ)に変えたのである。太陽崇拝や祖先崇拝が元の祭礼の基礎である。

2)カトリック教会における聖母マリア崇拝であるが、それは、本来、地中海の女神宗教を横取りして、取り入れたものである。イシス・オシリスの宗教・神話が基盤である。聖母子像は、イシス・オシリスが原型である。

3)聖霊であるが、これは、Media Pointにおける超越エネルギーのことを表現していると考えられるのであり、これは、普遍的な現象であり、ユダヤ・キリスト教が独占できるものではないのである。

4)天使であるが、それは、多神教の神々に通じるものだろう。あるいは、大乗仏教の菩薩や如来に通じるだろう。あるいは、神話に通じるものだろう。

5)父と子と聖霊の三位一体であるが、父とは、ユダヤ教の神であり、聖書の神ではないだろう。聖書の神はヤハウェとエローヒーム(神の複数形)の二種類である。子は、女神(母)の子であり、父の子ではない。また、聖霊とは、Media Pointの超越エネルギー(超越エネルゲイア)であり、それは、普遍的現象である。だから、これらは三者は別々であり、一体とはならないのである。三位三体が正しく、三位一体はフィクションである。

6)イエスの死と復活であるが、これは、古代の秘儀・密儀を踏襲したものである。永遠の生命とは、普遍的な思想であり、ユダヤ・キリスト教の独占できる観念ではない。言い換えると、いわば、異教の集約点としてのイエスの宗教があるのであり、いわば、超異教なのである。それをユダヤ・キリスト教としての異教から区別するのは、誤謬である。異教の縮図としてのイエスの宗教があるのである。大異教としてのイエス宗教である。私は、イエスはプラトニストであると考えている。あるいは、東洋的な叡知の伝達者である。参照:『トマスによる福音書』。

7)十字架というシンボルは、普遍的であり、ユダヤ・キリスト教の独占できるものではない。

ざっと、以上のようなトリックがある。
 結局、いちばんの問題は、三位一体というフィクション・錯誤・虚偽である。多元的なものを、無理やり唯一神において統一しようとしているのである。つまり、唯一神という超越的同一性によって統一化しようとしているのである。しかしながら、聖書には、唯一神は存しないから、ユダヤ・キリスト教会の創作である。「父」の創作、これが、詐欺の中心点である。太極原理、ないしは、プラトニック・シナジー理論から言えば、父ならば、それと対等の母がいなくてはならないが、それが存しないのは、都合が悪いからである。陰陽が本来的なのである。イザナミ・イザナギが太極が真正・正統なのである。
 結局、いわば、ユダヤ・キリスト教会教とは、本来、さまざまな宗教を取り込んで(横取り、いいとこ取りして)、超越的同一性教を創作したと考えられるのである。
 では、超越的同一性教とは何か。これは、超越的同一性としての自我の宗教であり、また、正に、同一性としての交換価値としての貨幣信仰である。マモン神の宗教である。
 プラトニック・シナジー理論から見ると、Media Pointを実軸へと限定する志向性である。つまり、自己認識方程式から言うと、i*(-i)⇒+1をX⇒+1として、Xが不明になっていて、+1である自我から類推して、Xを超越的同一性の神にしているのである。
 超越的同一性の神とは、邪神、悪魔である。つまり、ユダヤ・キリスト教とは悪魔教なのである。この点では、邪教である。また、超越的同一性とは同一性交換価値としての貨幣でもあるから、貨幣教である。お金の信者・亡者である。そして、この帰結が、資本主義である。マネー・ゲームの資本主義なのである。お金を渇望する宗教なのである。

2007年10月25日 (11:07)

『近代的自我とキリスト教:その2:Media Pointと ・・・』のp.p.s.の掲載

『近代的自我とキリスト教:その2:Media Pointと近代サイクルとトランス・モダン・エラ』http://ameblo.jp/renshi/entry-10052416843.html
のp.p.sを新たに掲載する。

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p.p.s. 別稿で、詳論すべきであるが、ブッシュ/ネオコンの場合においては、近代合理性ではなく、近代的自我に非合理主義・宗教衝動が連続化して、駆動されているようなことを上述した。
 しかしながら、近代的自我は、同一性中心主義(デリダの「ロゴス中心主義」)であるから、資本の同一性交換価値(貨幣=資本)と連続化する。これは、近代合理性と言えるだろう。だから、ブッシュ/ネオコンの事態はそれなりに複雑である。
 近代的自我があり、それに近代合理性が連続化し、後期近代/ポスト・モダンにおいては、近代的自我・近代合理性に、さらに非合理主義/宗教衝動が連続化するということになろう。即ち、近代的自我・近代合理性・非合理主義(宗教衝動)となる。これが、キリスト教原理主義、キリスト教右派の精神的様態であると考えられる。そして、当然、グローバリズムの正体もこれである。
 ベースはMedia Pointではあるのだが、同一性構造(=近代的自我)が支配的であるために、純粋なMedia Point自体へは回帰できないのである。このMedia Point回帰(=トランス・モダン化)は、プラトニック・シナジー理論のみが、理論的に解明していると考えられる。

2007年10月24日 (02:12)

近代的自我とキリスト教:同一性自我の脱構築と純粋Media Point回帰=東洋的精神の復活

先に、近代的自我と近代合理性との二重性、即ち、前者が主体であり、後者が従の関係にあることを述べた。例えば、ブッシュが馬鹿の一つ覚えのように民主化と唱えるが、民主化とは、近代合理性に入るが、ブッシュの近代的自我においてである。つまり、利己主義、自己中心主義においてである。つまり、民主化=近代合理性は近代的自我=利己主義に利用されているのである。出汁にされているとも言える。
 私はこの二重性の発生の構造を明確にしたいと思っている。以前、この問題について述べたが、新たに検討したいのである。ほとんど解明済みの感もあるが、ここでも、PS理論に即して考えよう。
 Media Pointから同一性の志向が発生する。ここで、同一性構造が生まれる。問題は、この同一性構造(言語構造と言ってもいいだろう。チョムスキーの生成文法論の深層構造とは、これではないだろうか。)は、Media Pointの差異ないしは差異共振性を否定・排除・隠蔽していることである。(ハイデガーの本来的存在は、やはり、この同一性構造と関係するだろう。)
 この差異を否定する同一性は近代的自我となるのである。近代以前においては、同一性は差異を否定しなかったであろう。信仰があり、それは、差異に通じていたと考えられるからである。
 差異を否定する同一性=自我であるが、これは、優越的同一性である。否定される差異は劣位となる。この優劣の原因は何か。
 それは、Media Pointからの同一性志向、言い換えると、同一性衝動が力の衝動であるからであろう。この力が、差異を打ち負かし、勝利するような感情をもたらすので、優越感情を抱くのではないだろうか。
 攻撃衝動と言ってもいいだろう。しかしながら、この力の衝動とは、不安の裏返しであろう。Media Pointから同一性的志向をもつとき、差異自体は不安の種になるだろう。この不安に目をつぶるように、同一性の攻撃衝動が生まれるのではないだろうか。
 いわば、闇を克服した勝利感が優越感ではないだろうか。しかしながら、劣等感を裏にもっていると言えよう。とまれ、差異を否定する同一性的優越感自我が発生する。本当は、同一性的優越感/劣等感自我である。つまり、表立っては、優越感であるが、内面は劣等感があるのである。
 それから、この近代的自我は、同一性の合理性を帯びるようになるのである。これが、近代合理性である。近代的自我と結びついた近代合理性が、近代合理主義である。
 近代的自我は、近代合理性を武器にして、利己主義を肯定するようになるのである。これが、西欧近代主義であり、帰結がアメリカの合理主義である。
 ここで、プロテスタンティズムの問題を考えなくてはならない。これまで述べてきたように、Media Pointから同一性衝動が発生するが、この同一性衝動はMedia Pointの超越性を帯びていたのであり、そのために、この同一性衝動=近代的自我衝動は、宗教性を帯びて、プロテスタンティズムを発生させたと考えられる。ロビンソン・クルーソーである。
 思うに、アメリカ人のプロテスタンティズムはこれで説明できるだろう。Media Pointからの同一性自我衝動なのである。そう、ユダヤ教的衝動と言ってもいいだろう。ユダヤ教とアメリカのプロテスタンティズムは同一性自我衝動という点で通じる。
 これがたいへん危険なのは、超越性を否定的に帯びているので、つまり、差異共振的超越性ではなく差異否定的超越性を帯びているので、いわば、絶対的二元論を発現する点である。つまり、絶対的善悪二元論である。すなわち、プロテスタンティズムは、絶対的善悪二元論的同一性自我衝動であるということである。
 これは、端的に、狂信、カルトである。キリスト教原理主義である。
 この狂信的同一性自我衝動は近代合理性を身につけるのである。自我は優越性を帯びていて慢心している。それは、自我に張り付いた近代合理性、近代的自我と癒着した近代合理性を恣意的に武器として利用するのある。だから、民主主義も狂信的近代的自我によって、都合よく利用されてしまうのである。
 ここで、民主主義について考えた方がいいだろう。これは、古代ギリシア的原理と、キリスト教的原理が重なっているだろう。アメリカの独立宣言には、「神がわれわれを平等に造った」と述べられている。
 当然、キリスト教的民主主義である。これは、狂信的近代的自我と結びついているので、狂信的民主主義となる。キリスト教原理主義的民主主義となる。つまり、ここには、カルト的民主主義があると言える。これが、ブッシュの唱える民主化の本質である。狂気の民主化である。
 以上で、近代的自我とキリスト教の結びつきを試論的に考察した。やはり、判明したことは、キリスト教というよりは、ユダヤ教ないしは一神教が問題である。何故なら、同一性自我衝動は、キリスト教的というより、ユダヤ教的一神教的であるからである。ベースは、ユダヤ教的一神教性である。
 そう、ヤハウェは、「我在りて、在り余れる神である」。正に、自我の神なのである。
 以上から、同一性自我衝動を脱構築する必要があるのである。否定された差異は回帰するのであるが、それは、ポスト・モダンという欠陥のある理論で現われたのである。差異を純粋に、また、意識的に復活させないといけないのである。トランス近代的自我である。
 結局、近代的自我は、Media Pointの同一性衝動/同一性構造から発しているので、これを解体しないといけないのである。差異から同一性へと転換する構造を脱構築しないといけないである。
 それは、Media Pointの純粋化である。Media Pointの、いわば、現象学的還元が必要なのである。純粋Media Pointの復活である。そして、これこそ、本来的な東洋的精神である。

2007年04月11日 (23:13)

「近代的合理主義」と人倫:ユダヤ=キリスト教悪魔文明と新東洋文明

「近代的合理主義」とは、物質・金銭中心主義であり、合理主義という名を付けるのは、「理」に対する一種冒瀆である。

だから、近代的数量主義と言うべきである。

金の多寡を問題にするのであるから。

結局、近代的数量主義によって、人倫は破壊されたのである。

人類滅亡路線となったのである。

確かに、近代的数量主義は、近代的科学を生んだのであるが、今や、人類滅亡的である。

結局、近代的数量主義の問題は、人倫の絆が断たれたことにある。利己主義の正当化が生じたのである。

人類の悪魔化である。

これは、実に厄介である。

西洋文明のもたらした災厄と言えよう。

それは、やはり、ユダヤ=キリスト教に問題があるのである。

これが、人類を悪魔化したのである。

はっきりと、ユダヤ=キリスト教西洋文明から脱却しなければ、人類は、滅亡過程にあると言えよう。

はっきり言って、悪魔文明である。

なぜ、日本人は、眠っているのか。

ユダヤ=キリスト教悪魔西洋文明を乗り越えなくてはならない。

とんだ、食わせ物である。

人類滅亡路線である。

東洋に目覚めよ!

2007年03月24日 (20:27)

MePoの宗教と⇒+1の多神教:イエス教は仏教的か、又は、多神教的か:一神教の多神教化:第三聖書

先に、仏教は、MePo自体の宗教であり、多神教は、MePoの+1への展開をもつ宗教と言った。

そして、一神教は、MePoの-1への展開の宗教と言い、イエスの教え(以下、イエス教)は、仏教か多神教的であると言った。

ここでは、イエス教は、仏教的なのか、それとも、多神教的なのか、明確にしたい。

イエス教を、先に、他者との共生を説く教えであると言い、だから、多神教的であると言った。

他者との共生は、多神教的であるのか。

というか、問題は、MePo自体の宗教というものがあるのか、どうかを考えなくてはならないということだろう。

仏陀の悟り(覚醒)とは、思うに、瞑想によって、MePoに達したことにあるのではないだろうか。MePoは、i*(-i)⇒+1の*⇒であろう。*自体は、虚数軸の原点なので、人間には達することができないのではないだろうか。

とまれ、仏陀の覚醒は、MePoの認識にあったように思える。そして、大乗仏教は、MePo⇒+1の展開を意味すると思うのである。これが、衆生の救済志向である。社会救済志向である。そして、これは、まったくイエス教と一致するものだと思う。

すると、大乗仏教とイエス教は、多神教と同じものとなるだろう。これをどう考えるのか。

端的に言って、大乗仏教とイエス教は、⇒+1になるので、多神教と同質のものと言えよう。しかし、多神教は、自然に向けられたものであり、大乗仏教とイエス教は、社会に向けられたものという点で相違があると言えよう。しかし、三者、同質であると考えられる。

また、一神教であるが、それは、MePo自体を連続的同一性化していると言えよう。そして、超越的同一性=唯一神が存するのである。

さて、ここで、先に検討問題とした超越的同一性と連続的同一性の構造を考察してみよう。

これは、既述したように、一神教と連続的同一性の同形性の問題である。

一神教は、既述・上述したように、MePoにおける⇒-1の展開において発生すると言えよう。このときの、MePoが唯一神となる。

これは、i*-(-i)⇒-1である。

原-他者である-iが否定されるのである。

これは、どういうことなのだろうか。

考えられるのは、超越界における極性変化である。iと-iとの極性を考えると、iに傾斜する場合を考える。すると、それは、iが優位であり、-iが劣位である。

それが、この意味なのではないだろうか。原-主体が、原-他者に優位になるという事象が、i*-(-i)⇒-1なのではないだろうか。

原-主体を原-知(原-思惟)、原-他者を原-身体(原-質料)としてもいいだろう。

そうすると、これは、原-知が過剰となり、原-身体を否定し同一性化するということである。即ち、原-身体ないし身体性への否定と言えるだろう。そして、さらに、原-知を原-左脳性、原-身体を原-右脳性とすると、これは、ヴィジョン、イメージの否定である。これが、一神教のもつ偶像破壊(イコノクラズム)となるのではないのか。

とまれ、ここでは、超越界の極性変化を作業仮説にして考えたのである。

そして、この⇒-1とは、正に、連続的同一性主義と言えよう。これは、MePoの極限的様態であり、極性が破綻したものと言えよう。

つまり、これが、二元論と言えるのではないだろうか。原-主体が原-他者に対して、優位になり、二項対立が発生したということではないのか。

MePoが、二元論的になったと言えよう。つまり、唯一神になったということである。iが唯一神になり、-iが排除されたということである。そして、おそらく、-iの排除が多神教や異教の排除を意味するのである。

この事態を、先に、超越的差異の簒奪と言ったものではないだろうか。しかし、これは、MePo自体の極限的変異と言えるだろう。

そう、MePoのヤハウェ化と言えるのではないだろうか。

しかし、基本的には、MePoは、超越的差異共振性であるから、エローヒーム(神々)が存するのではないだろうか。

しかし、そう考えると、問題は、MePoの性質である。

本来、MePoは、超越的差異共振性をもつのに、それが、超越的連続的同一性化を発生させると考えるのは、矛盾しているのではないかという疑問が浮かぶのである。

この、いわば、矛盾をどう考えるのか。

そう、これは、やはり、矛盾していないと思う。ここで、超越性の、いわば、太極性を考えればいいのである。iが-iを否定する事態とは、陰陽極性で言えば、陽が極まった様相を考えればいいのであり、あくまでもここには、太極性の世界があるということになる。

陽が極まったとは、陰がゼロになったということである。これが、i*-(-i)⇒-1の事象だと思うのである。

あくまで、*ないし太極性は保持されているということである。

つまり、超越的差異共振性の極限としての超越的連続的同一性化であり、MePoがそのような様態をとると考えるのである。

極限という用語が問題ならば、極端でもいいだろう。

だから、超越的連続的同一性化ではあっても、MePoの太極性は喪失していないことになる。超越的太極性の一様相としての超越的連続的同一性ということになる。

この超越的太極性ということが、旧約聖書のエローヒーム(神の複数形)に表現されているのだと思うのである。

つまり、ヤハウェは、イスラエルの民が偶像崇拝(金牛像崇拝)するのに対して、怒り狂って、罰を与えるが、この否定対象である根源的な-iを、本来は認めていると見るべきなのではないだろうか。単純に考えて、否定するというのは、他者の存在を認めているからである。他者の存在がなければ、否定はそもそもないのである。

つまり、超越的連続的同一性=ヤハウェとは、他者を妬んでいるのである。

ヤハウェは、イスラエルの民が自分ではなく、金牛像を崇拝するのを妬んでいるのである。

つまり、他者-iを嫉視しているのである。

本来、差異共振ならば、他者-iと共振するから、民が偶像崇拝しても、それに対して寛容的になるはずである。しかし、民-iを妬むとは、自己iにおける自恃・自負の念が強いのであろう。我こそはである。iの過剰なエネルギーがあると思うのである。そのため、それを、他者-iに投影すると思うのである。

それが、超越的連続的同一性=ヤハウェの本質であると思う。

iの他者-iへの投影である。それが、i*-(-i)⇒-1であろう。

つまり、本来、他者-iと主体iは、共振しているのであるが、主体iが過剰化するときがある。即ち、陽の極まりの時である。そのとき、共振の対象であった他者-iを、過剰な主体iは、妬み、同一性化するのである。主体所有としたいのである。自我所有したいのである。

もし、初めから、共振様相がなければ、他者はないのであるから、主体が過剰になっても、他者は関係ないはずである。

ということで、以上の仮説は証明されたであろう。

そう、ヤハウェ教は、多神教の極端的変異なのである。

ここで、天才D.H.ロレンスの言葉が想起するのである。ロレンスは最晩年、新しい聖書の翻訳を読んで、旧約聖書の神が複数・多元的であること、即ち、多神教的であることを発見して歓喜するのである。

PS理論から言うと、MePoであるヤハウェは、本来、超越的差異共振シナジー様相をもっているのである。それは、他者との共生・共存を意味するのであり、当然、多神教的なのである。

そう考えると、一神教の変容が考えられよう。つまり、ヤハウェの多神教化である。


参考1:
出エジプト記

第20章

EXO20:01
神はこれらすべての言葉を告げられた。
EXO20:02
「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
EXO20:03
あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
EXO20:04
あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
EXO20:05
あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
EXO20:06
わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。
EXO20:07
あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない。
http://www.is.seisen-u.ac.jp/~zkohta/bible/old_t/1/exo.html#exo20


参考2:D.H.ロレンスの『アポカリプス補遺1』から

In Apocalypse, Fragment , Lawrence tells that God of the Old Testament is polytheistic.
“Now the Bible, we know well, is a great religious book. It is full of God. .....The Jews did a wonderful thing when they focused the whole religious feeling of man upon One God. But that does not prevent their Bible from being full of all the gods. It is this discovery which a man can make in his maturity, to his unspeakable relief.
The Bible is full of all the gods. Nay, even, the Jahveh of the Old Testament is all the gods, except the dying and redeeming gods. But surely the Jehovah of Genesis and Numbers, Samuel, Psalms, Isaiah, Ezekiel, surely he is all the gods in turn, Dionysic, Apollo-like, strange like Ra, and grim like Baal or Bel. You can’t make an idol to Jehovah because he has the qualities of all the ancient gods in turn, Ouranos or Kronos or Saturn, even the old Osiris, or the mysterious gods of the first Sumerians. He is One because he is all of them, not because he is different from any of them. He does not sit absolute and apart, while all the other gods topple, mere fallen into idols. He is himself all the gods and all the idols, savage and fertile, and even he is all the unknown gods that are yet to come.
…………………………
But now, having really read the Bible as a book, not as a one-sided pronouncement, I realize the very truth of the Bible: If this God exists, One and Eternal, then all the other gods exist too. For all the gods are only “sides” of the One God.”(p. 156)
http://ameblo.jp/renshi/theme-10000509927.html

2007年03月19日 (06:59)

身体的他者と超越性:一神教の構造分析

以下は、「問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10028346071.html
のコメントを独立させたものである。
____________________________________

まだ、本件については、理論的整理が足りないと思う。後で、詳論するとして、今は、簡単に触れるに留めたい。

連続的同一性は他者・身体性を否定する。しかし、同時に、必要とする。

この他者・身体性と超越性ないし差異共振性との関係を探求したいのである。

超越的次元から、男性的傾斜によって、連続的同一性が発現するが、初期的には、超越的次元を保持していると考えられる。

しかし、超越的差異共振性を否定する。即ち、超越的他者【虚数的他者-iないし、i*(-i)】があるが、それを否定して、連続的同一性を発現する。

つまり、明らかに、齟齬があるのである。超越的他者の否定と肯定があるのである。

これは即非様相ではなくて、二項対立的矛盾様相である。

端的に、分裂性である。

整理すると、超越的身体的他者の同時的否定と肯定があるのである。つまり、弁証法的様相がここにはあるのである。主従の弁証法である。

図式化すると、

MP⇒-1

の構造がここにある。

超越的他者の否定・肯定の弁証法は、この⇒にあると言えよう。これが、一神教の様相空間であろう。

言い換えると、MPにおいて、超越次元を示唆し、同時に、⇒において、超越的他者を否定・肯定するのである。

しかし、あくまでも、この肯定は、連続的同一性的肯定に過ぎない。

換言すると、超越的他者の否定と超越的主体の否定がここに同時生起しているのである。
 
簡単にいえば、二項対立の成立である。

iは-iを否定し、-iはiを否定するということである。

この連続的同一性が逆に超越次元に投影されて、唯一神になると言えよう。

しかし、超越次元は、本来、差異共振次元であるから、神々が存するのである。エローヒームが存するのである。

つまり、エローヒーム(神々)にヤハウェ(唯一神)が投影される様態なのである。

明らかに、「分裂症」である。MPを仲介にして、差異共振性と連続的同一性とが統一されようと意志されるのであるから。

ここで今は留めたい。

2007年03月19日 (04:01)

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。

テーマ:ポスト・アメリカ

父権的意識、連続的同一性自我意識は、差異共振的知性を否定する。

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍事・経済的支配のためだけとは思えない。

私は、プロテスタンティズム、とりわけ、アメリカ建国におけるピューリタニズム(清教主義)が観念的動因として重大だと考えている。

カルヴァンの予定説をピューリタニズムは引き継いでいると思う。それは、神に救済される人物は予め決定されているということであり、それは人知を超えたものとされているのである。

だから、救済は不可知なのである。そのために、ピューリタンは、救済の証を得ようとして、攻撃的に布教するようになる(宣教・ミッション)ということだと思うのである。

つまり、不可能の行為なのである。

つまり、常に不安がピューリタンにはあることになるのである。何かをして、救済を信じようとすると考えられるのである。

このような不可知論的決定論は、結局、超越的差異共振界であるイデア界を否定する観念から発していると考えられる。それは、当然、父権的な連続的同一性主義から発していると思う。本来、超越的意識が自身を否定するようにして、現象的に連続的同一性化するのである。

ここには、起源の差異共振性が隠蔽されているから、当然、不安・恐怖となるのである。

そして、これは、また、盲目の衝迫に取り憑かれることになるのである。

ピューリタニズムの予型論(タイポロジー)は、思うに、そのような不可知論的決定論を基礎とした聖書中心的適用主義(キリスト教原理主義)と思われるのである。

現前の世界に聖書を予型として適用するのである。聖書をプログラム・プランとして、現実に適用するのである。

ここには、不安に基づく善悪二元論がある。自我の影を他者に投影することになるのであり、他者を悪魔的敵として攻撃するようになるのである。

どうも、これが、欧米、とりわけ、アメリカの覇権主義の精神・観念的要因のように思えるのである。

父権主義によるイデア界の喪失による不安・恐怖が、無意識の影を生み、その反動として、覇権主義的になると思うのである。男性の精神の問題があると思うのである。

p.s. 父権的意識、すなわち、自我は、差異共振性を否定・排除・隠蔽するのであるが、その原因は、先天的身体の虚弱さにあると思う。この故に、他者を感覚・認識するときに、恐怖・不安・疑念を感じると考えられるのである。そのため反動として攻撃的姿勢をもつと考えられるのである。この父権的意識・自我・連続的同一性認識は、このように、虚弱ないし劣弱性(ニーチェなら賎民性)に基づいて、攻撃・暴力・支配覇権的性向をもつと考えられるのである。 
 
 とりわけ、差異共振性をもつ他者、母権・多神教的他者に対しては、残酷である。ちょうど、旧約聖書にあるように、ヤハウェは、多神教性を嫉み、憎悪し、殲滅せんとするのである。
 
 殲滅で思い出したが、コンラッドの小説『闇の奥』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%81%AE%E5%A5%A5
の最後の方で、主人公のクルツ大佐が、アフリカ人をなにとぞ殲滅せよと述べているのが、白人男性の潜在意識を象徴的に表象していると言えるだろう。
 
思うに、キリスト教の問題がここにある。一神教の枠組みに福音書の教えが取り込まれていることである。
  
ロレンスは、「父」と「子」の対極性を見ていたが、本当はどうだろうか。ロレンスの「父」は独特で、異教・多神教・母権宗教的なのである。女神ないし「母」と呼んでいいくらいである。

だから、ロレンスの場合は、「母」と「子」の対極性であるので、ここで、ヤハウェとイエスの対立として問題を見る必要がある。あるいは、「父」の分裂・二重性の問題である。

これをPS理論のメディア・ポイントMPから見ると、「父」とは、明らかに、i*-(-i)⇒-1である。正確に書くと、

i*(-i)⇒i*-(-i)⇒-1

である。メディア・ポイントにおいて、垂直性を保持しているが、同時に、他者-iを否定するようにして、水平次元として、連続的同一性へと捩れる、ないし、捩じ曲がるのである。

ここは、単純な連続的同一性というよりは、両義的である。即ち、メディア・ポイントを保持しつつ、他者否定の連続的同一性へと水平化することであるからである。これは、完全な連続的同一性ではなくて、メディア・ポイントにおける垂直性が開かれた様相であると考えられるのである。

つまり、ここには、矛盾があるのである。一つは、イデア界・超越界・叡知界へと開かれているのであり、一つは、他者を否定する連続的同一性化へと傾斜しているのであるから。

「分裂症」と言ってもいいだろう。前者は、母権・異教・多神教的なのであるのに対して、後者は、父権的・一神教的である。

だからこそ、旧約聖書において、神の名が2つあるのだろう。一つはエローヒーム(神の複数形)であり、一つはヤハウェである。

即ち、神々と神なのである。神々が、イデア界のことであり、神がそれを否定する連続的同一性傾斜であると言えるだろう。

メディア・ポイントにおいて開きつつ、同時に、閉じるという矛盾した「操作」がそこにあるのである。

だから、「母」となったり、「父」となったりするというように言い換えられよう。ロレンスが、「父」が「母」でもあると言ったは、根拠のないことではないと言えよう。

(今、私の直感は、ヤハウェとは、女性的ではないのかということである。嫉妬深いヤハウェは、女性的なのである、私に言わせると。ヒステリー的なのであるヤハウェは。)

とまれ、メディア・ポイントにおけるこの分裂的操作が一神教にあると思うのである。「母」と「父」との分裂である。

思うに、この分裂的操作とは、父権・男性的心性ではないのか。身体が虚弱・劣弱なために、身体的他者を否定するのである。しかしながら、逆に言うと、身体的他者を必要とするのである。要するに、甘えである。この主体撞着が、この分裂的操作の根因ではないだろうか。

そう、この必要とする身体的他者が、一神教的道徳・倫理(似非道徳・倫理)に転化するのではないだろうか。

超越性である「母」であるが、これが「父」とされるということは、正に「母」(エローヒーム)の一神教化(ヤハウェ化)であろう。本来は、超越界は「母」(女神:より根源的言えば、差異共振界であるが)であるが、男性の場合、-iの身体が虚弱なために、それを否定し、同時に必要とするのであり、この否定による連続的同一性化によって、一(いつ)が生起し、他者的身体を必要とする点において、「母」の超越次元を保持すると言えよう。つまり、「一」となった「母」が「父」、即ち、ヤハウェである。

そして、「母」の次元が保持されているので、エローヒーム(神の複数形、神々)が旧約聖書に残っていると推察できるのである。

ここで、興味深く想起するのは、19世紀アメリカの文豪ハーマン・メルヴィルの傑作『白鯨』である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8
http://en.wikipedia.org/wiki/Moby-Dick
ここで、白鯨(モービー・ディック)を復讐鬼となり追求するエイハブ船長が、嵐の夜、マストで、セント・エルモの火を見て、独白するが、そのとき、「父」なる神を超えて根源的な「母」なる神を示唆していることである。ウパニシャッド哲学的に、これはブラフマンを示唆するようである。また、この場面は、ゾロアスター教的である(乗組員フェダラーは拝火教徒である)。

思うに、アメリカについて考えると、恐ろしい矛盾がアメリカ文化・社会にはあると考えられるのである。即ち、一方では、恐怖の一神教的父権文化があり、他方では、アメリカ・インディアンの多神教的霊的文化がある。

ロレンスは、アメリカの地霊として後者が存していると述べている。地霊とは、先にも述べたが、超越的差異共振性の内的身体性である。大地性である。あるいは、霊(精神)的大地性である。

そして、一神教は、当然ながら、アメリカの地霊を否定するのである。ここには、いわば、霊的戦争があるのである。

一神教vs霊的多神教である。

後者を前者は否定するのであり、この精神的戦争が実際の覇権主義となっていると思うのである。

このプロテスタンティズム/ピューリタニズム的一神教は、恐怖の専制主義であろう。つまり、連続的同一性中心主義であり、差異を絶滅・殲滅しようとするのである。

しかし、アメリカは、霊的多神教を潜在させているので、絶対的自己矛盾を犯しているのである。

簡単に言えば、アジア・東洋文化をアメリカは潜在させているのである。

結局、キリスト教の問題に還元される。

上述した「父」と「子」の問題である。結局、「父」は「母」の倒錯である。では、「子」はどうなるのか。

「子」は先に女神論を展開したように、「母」の「子」なのである。女神、大女神の「子」なのである。

だから、「子」には、ペアが発生するのである。イシスとオシリスのペアのように、「子」イエスの「母」・「妻」が必要なのである。

当然、聖母マリア他が浮かぶのである。あるいは、『ダ・ヴィンチ・コード』のようにマグダラのマリアである。

つまり、ヤハウェが大女神に転化する必要があるのである。

つまり、一神教の解体である。

多神教的キリスト教である。

では、なぜ、大女神的宗教が多神教となるのか、である。

これは、単純に、差異即非・共振シナジー宗教であるから、ということになるだろう。

即ち、他者と共振する宗教だからである。他者は多者・複数である。

i*(-i)の-iが決定的である。

予測であるが、-iは複数なのだと思われるのである。

iは単数であろう。しかし、-iは複数・多者・多数なのだと思うのである。

身体的多者と言ってもいいと思う。

iが主語・主体・主観なら、-iは述語・客体・客観である。

コギト・エルゴ・スム、それは、i 故に、-i である。

「我」即ち、他者=多者である。

思うに、これが、根源的一即多ではないだろうか。あるいは、
一即非多である。

今は、ここで留めよう。


参考1:

ピューリタニズムはルターの宗教改革から50年たったケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに発祥した。世はエリザベス女王時代。最初の中心人物はトーマス・カートライトである。
 当時、エリザベス女王はカンタベリー大主教パーカーにアングリカニズム(英国国教会)による国民的礼拝様式の統一と強化を依頼していた。アングリカニズムはヘンリー8世のイギリス的宗教改革によって生まれたもので、カトリシズムがユニヴァーサリズム(普遍主義)だとすれば、ナショナリズム(愛国主義)と結合した。いまもロンドンのウェストミンスター・アベイに入ると、そこがいかにイギリスの土着ナショナリズムで満たされているかが一目瞭然である。そこにはイギリスが生んだ神武天皇や楠木正成の聖人像や記念碑が埋め尽くされている。
 ヘンリー8世がアングリカニズムを主張したのは、ルターのプロテスタンティズムによってカトリシズムが脅かされたことに対する反発が動機になっているのだが、一方では、このままローマ教皇庁によるカトリシズムを守るだけではイギリスの宗教政治はやっていけないという現実判断にももとづいていた。
 だからヘンリー8世のアングリカニズムは次の3つの柱でできていた。ナショナリズム、国王絶対主義、そして受動的服従主義である。
 これをエリザベス女王が引き継いだ。
 ところが、カートライトはこの3本柱をことごとく批判した。それはアングリカニズムが体制の思想であるとすれば、まさに反体制の思想であった。

 カートライトの反体制思想は、もともとはカルヴァンのプロテスタントな宗教思想から出ている。
 カルヴィニズムとは一言でいえば「ソラ・スクリプトラ」、すなわち「聖書のみ主義」である。ピューリタニズムは聖書が適用できないような「間隙」をけっして認めない。どんな隙間も聖書に書いてあるとする。逆に、ヘンリー8世のアングリカニズムはこの「間隙」を生かした国教だった。
 これに対して同じプロテスタンティズムでも、ルターのばあいは「ソラ・フィデ」(信仰のみ主義)である。
 しかし、これらの差異はまだ思想上のことであって、社会的にはそこにアン女王時代(1550年代)に迫害されてジュネーブやオランダに逃れた「エミグレ」がイギリスから帰ってきた事情が直結していた。
 エミグレはもともと移住者とか亡命者を意味するが、ピューリタニズムの生きた本質があるとすれば、まさにこの「移住すること」にある。その後の歴史上のピューリタニズムが、ついに「移住しつづける者の思想」となったからである。なんといってもカートライト自身が大学から追放され、エミグレとなったのだ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0620.html


参考2:


Thomas Cartwright (churchman)
From Wikipedia, the free encyclopedia
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Thomas Cartwright (c. 1535 –December 27 , 1603 ) was an English Puritan churchman.

He was born in Hertfordshire , and studied divinity at St John's College, Cambridge . On the accession of Queen Mary I of England in 1553 , he was forced to leave the university, and found occupation as clerk to a counsellor-at-law. On the accession of Queen Elizabeth I , five years later, he resumed his theological studies, and was soon afterwards elected a fellow of St John's and later of Trinity College, Cambridge .

In 1564 he opposed John Preston in a theological disputation held on the occasion of Elizabeth's state visit, and in the following year brought attention to the Puritan attitude on church ceremonial and organization. He was popular in Ireland as chaplain to Adam Loftus , Archbishop of Armagh (1565 -1567 ). In 1569 , Cartwright was appointed Lady Margaret's Professor of Divinity at Cambridge; but John Whitgift , on becoming vice-chancellor, deprived him of the post in December 1570 , and--as master of Trinity--of his fellowship in September 1571 .

This was a result of the use which Cartwright had made of his position; he criticised the hierarchy and constitution of the Church of England , which he compared unfavourably with the primitive Christian organization. So keen was the struggle between him and Whitgift that the chancellor, William Cecil , had to intervene. After his deprivation by Whitgift, Cartwright visited Theodore Beza at Geneva . He returned to England in 1572, and might have become professor of Hebrew at Cambridge but for his expressed sympathy with the notorious "Admonition to the Parliament" by John Field and Thomas Wilcox . To escape arrest he again went abroad, and officiated as clergyman to the English residents at Antwerp and then at Middelburg .

In 1576 he visited and organized the Huguenot churches of the Channel Islands , and after revising the Rhenish version of the New Testament , again settled as pastor at Antwerp, declining the offer of a chair at the University of St Andrews . in 1585 he returned without permission to London, was imprisoned for a short time, and became master of the Earl of Leicester 's hospital at Warwick. In 1590 he was summoned before the court of high commission and imprisoned, and in 1591 he was once more committed to the Fleet prison . He was not treated harshly, and powerful influence soon secured his release. He visited Guernsey (1595-1598), and spent his closing years in honour and prosperity at Warwick, where he died in the same year as the queen.

Cartwright was a man of much culture and originality, but exceedingly impulsive. His views were distinctly Presbyterian , and he stoutly opposed the Brownists or Independents. He never conceived of a separation between church and state, and would probably have refused to tolerate any Non-conformity with his reformed national Presbyterian church. To him, however, the Puritanism of his day owed its systematization and much of its force.

This article incorporates text from the Encyclopædia Britannica Eleventh Edition , a publication now in the public domain .
Retrieved from "http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cartwright_%28churchman%29 "

Categories : Wikipedia articles incorporating text from the 1911 Encyclopædia Britannica | 1535 births | 1603 deaths | Puritanism | Tudor clergy | People from Hertfordshire | Alumni of St John's College, Cambridge


参考3:


Puritan
From Wikipedia, the free encyclopedia
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Calvinism
John Calvin









A Puritan of 16th and 17th century England was any person seeking "purity" of worship and doctrine , especially the parties that rejected the Laudian reform of the Church of England . Those who sought further reform of liturgy and theology away from that of the Roman Catholic Church and those who justified separation from the Church of England following the Elizabethan Religious Settlement are commonly called "Puritans" by historians and critics. Later groups are called "puritan", not necessarily favorably, by comparison to these low church Anglicans and Calvinistic Non-conformists .
http://en.wikipedia.org/wiki/Puritan




参考4:
ピルグリム・ファーザーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

ピルグリムファーザーズ (Pilgrim Fathers, Pilgrims、巡礼始祖の意) は、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン )である。

16世紀、イギリスのエリザベス1世 がイギリス国教会 を確立したが、17世紀 にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派 と呼ばれ、弾圧を受けていた。信仰の自由を求め、亡命した清教徒を含む102人がメイフラワー号 に乗ってアメリカ に渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説 に基づくものとして知られる。1620年アメリカ大陸に到着したピルグリムは、理想的な社会を建設することをめざした。植民地をメイ・フラワー号の出航地プリマスに因み、ニュー・プリマスと名づけたとよく言われるが、1614頃の地図にその名が出ている。偶然、同名の地に到着したのである。

入植当初の状況は厳しく、半年で半数程が病死したが、先住民 ワンパノアグ族 の協力を得て、ニュー・プリマスはやがて、発展するニュー・イングランドの最初の植民地となった。

しかし後に、ピルグリムとインディアンとの間でトラブルが起きたりして、インディアンと戦闘なども起きた。ワンパノアグ族の酋長マサソイト は平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶが、ピルグリムはこの条約は彼らインディアンの土地を自分達が領有して入植してもよいと言う神の暗黙の許可であるとも解釈もしていた。そのため、ピルグリムは入植地を拡大しようと、まず1630年にマサチューセッツ族 が住む土地に進入し、ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘 により、天然痘に対して免疫 力があまりなかったマサチューセッツ族のほとんど多くの者は死んでしまった。1636年 には1人のピルグリムの白人がピクォート族 に殺された事が切っ掛けで起きたピクォート戦争 が翌年の1634年 に起きた。ピルグリムは殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し大集落を崩壊した。しかしピルグリムの白人殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくピルグリムの白人であった。さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族とも悪化していった。ピルグリムが「フィリップ王」と呼んでいた、マサソイトの息子でもあった、酋長メタコメット が父マサソイトが結んだあの条約は結局は部族にとって不正であり、ピルグリムは自分達、部族の土地を奪っているとし、1675年 にピルグリムのプリマス入植地を攻撃してフィリップ王戦争 が勃発した。この戦争により周辺部族も巻き込み、1676年 に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者が出る悲劇をもたらした。


[編集 ] 関連

* プロテスタント
* ピューリタン
* メイフラワー号
* プリマス (マサチューセッツ州)
* w:Timeline of United States history (1600-1699)
* w:Pilgrim
* w:Pilgrimage

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA " より作成

カテゴリ : アメリカ合衆国の歴史 (-1776)

_________________________________
Lessons of War
The fighting in Iraq enters its fifth year.

Sunday, March 18, 2007; Page B06



TOMORROW MARKS the fourth anniversary of the start of the Iraq war, as appropriate a moment as any to take stock. What matters most is finding the best policy now -- doing whatever can be done to help Iraq and safeguard U.S. interests in a vital region. But looking back also is essential, particularly for those of us who supported the war.

We will never know what might have happened had Saddam Hussein and his sons been left in power. Nor do we know how Iraq will evolve; history's judgment in five years or 10 may look very different than today's. But the picture today is dire, and very different from what we would have hoped or predicted four years ago. The cost in lives, injuries and dislocations, to Americans and Iraqis, has been tragic; the opportunity costs for U.S. leadership globally have been immense. So there is an obligation to reassess. What have we learned?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031700950.html

2007年03月19日 (04:01)

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。

テーマ:ポスト・アメリカ

父権的意識、連続的同一性自我意識は、差異共振的知性を否定する。

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍事・経済的支配のためだけとは思えない。

私は、プロテスタンティズム、とりわけ、アメリカ建国におけるピューリタニズム(清教主義)が観念的動因として重大だと考えている。

カルヴァンの予定説をピューリタニズムは引き継いでいると思う。それは、神に救済される人物は予め決定されているということであり、それは人知を超えたものとされているのである。

だから、救済は不可知なのである。そのために、ピューリタンは、救済の証を得ようとして、攻撃的に布教するようになる(宣教・ミッション)ということだと思うのである。

つまり、不可能の行為なのである。

つまり、常に不安がピューリタンにはあることになるのである。何かをして、救済を信じようとすると考えられるのである。

このような不可知論的決定論は、結局、超越的差異共振界であるイデア界を否定する観念から発していると考えられる。それは、当然、父権的な連続的同一性主義から発していると思う。本来、超越的意識が自身を否定するようにして、現象的に連続的同一性化するのである。

ここには、起源の差異共振性が隠蔽されているから、当然、不安・恐怖となるのである。

そして、これは、また、盲目の衝迫に取り憑かれることになるのである。

ピューリタニズムの予型論(タイポロジー)は、思うに、そのような不可知論的決定論を基礎とした聖書中心的適用主義(キリスト教原理主義)と思われるのである。

現前の世界に聖書を予型として適用するのである。聖書をプログラム・プランとして、現実に適用するのである。

ここには、不安に基づく善悪二元論がある。自我の影を他者に投影することになるのであり、他者を悪魔的敵として攻撃するようになるのである。

どうも、これが、欧米、とりわけ、アメリカの覇権主義の精神・観念的要因のように思えるのである。

父権主義によるイデア界の喪失による不安・恐怖が、無意識の影を生み、その反動として、覇権主義的になると思うのである。男性の精神の問題があると思うのである。

p.s. 父権的意識、すなわち、自我は、差異共振性を否定・排除・隠蔽するのであるが、その原因は、先天的身体の虚弱さにあると思う。この故に、他者を感覚・認識するときに、恐怖・不安・疑念を感じると考えられるのである。そのため反動として攻撃的姿勢をもつと考えられるのである。この父権的意識・自我・連続的同一性認識は、このように、虚弱ないし劣弱性(ニーチェなら賎民性)に基づいて、攻撃・暴力・支配覇権的性向をもつと考えられるのである。 
 
 とりわけ、差異共振性をもつ他者、母権・多神教的他者に対しては、残酷である。ちょうど、旧約聖書にあるように、ヤハウェは、多神教性を嫉み、憎悪し、殲滅せんとするのである。
 
 殲滅で思い出したが、コンラッドの小説『闇の奥』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%81%AE%E5%A5%A5
の最後の方で、主人公のクルツ大佐が、アフリカ人をなにとぞ殲滅せよと述べているのが、白人男性の意識を象徴的に表象していると言えるだろう。
 
思うに、キリスト教の問題がここにある。一神教の枠組みに福音書の教えが取り込まれていることである。
  
ロレンスは、「父」と「子」の対極性を見ていたが、本当はどうだろうか。ロレンスの「父」は独特で、異教・多神教・母権宗教的なのである。女神ないし「母」と呼んでいいくらいである。

だから、ロレンスの場合は、「母」と「子」の対極性であるので、ここで、ヤハウェとイエスの対立として問題を見る必要がある。あるいは、「父」の分裂・二重性の問題である。

これをPS理論のメディア・ポイントMPから見ると、「父」とは、明らかに、i*-(-i)⇒-1である。正確に書くと、

i*(-i)⇒i*-(-i)⇒-1

である。メディア・ポイントにおいて、垂直性を保持しているが、同時に、他者-iを否定するようにして、水平次元として、連続的同一性へと捩れる、ないし、捩じ曲がるのである。

ここは、単純な連続的同一性というよりは、両義的である。即ち、メディア・ポイントを保持しつつ、他者否定の連続的同一性へと水平化することであるからである。これは、完全な連続的同一性ではなくて、メディア・ポイントにおける垂直性が開かれた様相であると考えられるのである。

つまり、ここには、矛盾があるのである。一つは、イデア界・超越界・叡知界へと開かれているのであり、一つは、他者を否定する連続的同一性化へと傾斜しているのであるから。

「分裂症」と言ってもいいだろう。前者は、母権・異教・多神教的なのであるのに対して、後者は、父権的・一神教的である。

だからこそ、旧約聖書において、神の名が2つあるのだろう。一つはエローヒーム(神の複数形)であり、一つはヤハウェである。

即ち、神々と神なのである。神々が、イデア界のことであり、神がそれを否定する連続的同一性傾斜であると言えるだろう。

メディア・ポイントにおいて開きつつ、同時に、閉じるという矛盾した「操作」がそこにあるのである。

だから、「母」となったり、「父」となったりするというように言い換えられよう。ロレンスが、「父」が「母」でもあると言ったは、根拠のないことではないと言えよう。

(今、私の直感は、ヤハウェとは、女性的ではないのかということである。嫉妬深いヤハウェは、女性的なのである、私に言わせると。ヒステリー的なのであるヤハウェは。)

とまれ、メディア・ポイントにおけるこの分裂的操作が一神教にあると思うのである。「母」と「父」との分裂である。

思うに、この分裂的操作とは、父権・男性的心性ではないのか。身体が虚弱・劣弱なために、身体的他者を否定するのである。しかしながら、逆に言うと、身体的他者を必要とするのである。要するに、甘えである。この主体撞着が、この分裂的操作の根因ではないだろうか。

そう、この必要とする身体的他者が、一神教的道徳・倫理(似非道徳・倫理)に転化するのではないだろうか。

超越性である「母」であるが、これが「父」とされるということは、正に「母」(エローヒーム)の一神教化(ヤハウェ化)であろう。本来は、超越界は「母」(女神:より根源的言えば、差異共振界であるが)であるが、男性の場合、-iの身体が虚弱なために、それを否定し、同時に必要とするのであり、この否定による連続的同一性化によって、一(いつ)が生起し、他者的身体を必要とする点において、「母」の超越次元を保持すると言えよう。つまり、「一」となった「母」が「父」、即ち、ヤハウェである。

そして、「母」の次元が保持されているので、エローヒーム(神の複数形、神々)が旧約聖書に残っていると推察できるのである。

ここで、興味深く想起するのは、19世紀アメリカの文豪ハーマン・メルヴィルの傑作『白鯨』である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8
http://en.wikipedia.org/wiki/Moby-Dick
ここで、白鯨(モービー・ディック)を復讐鬼となり追求するエイハブ船長が、嵐の夜、マストで、セント・エルモの火を見て、独白するが、そのとき、「父」なる神を超えて根源的な「母」なる神を示唆していることである。ウパニシャッド哲学的に、これはブラフマンを示唆するようである。また、この場面は、ゾロアスター教的である(乗組員フェダラーは拝火教徒である)。

思うに、アメリカについて考えると、恐ろしい矛盾がアメリカ文化・社会にはあると考えられるのである。即ち、一方では、恐怖の一神教的父権文化があり、他方では、アメリカ・インディアンの多神教的霊的文化がある。

ロレンスは、アメリカの地霊として後者が存していると述べている。地霊とは、先にも述べたが、超越的差異共振性の内的身体性である。大地性である。あるいは、霊(精神)的大地性である。

そして、一神教は、当然ながら、アメリカの地霊を否定するのである。ここには、いわば、霊的戦争があるのである。

一神教vs霊的多神教である。

後者を前者は否定するのであり、この精神的戦争が実際の覇権主義となっていると思うのである。

このプロテスタンティズム/ピューリタニズム的一神教は、恐怖の専制主義であろう。つまり、連続的同一性中心主義であり、差異を絶滅・殲滅しようとするのである。

しかし、アメリカは、霊的多神教を潜在させているので、絶対的自己矛盾を犯しているのである。

簡単に言えば、アジア・東洋文化をアメリカは潜在させているのである。

結局、キリスト教の問題に還元される。

上述した「父」と「子」の問題である。結局、「父」は「母」の倒錯である。では、「子」はどうなるのか。

「子」は先に女神論を展開したように、「母」の「子」なのである。女神、大女神の「子」なのである。

だから、「子」には、ペアが発生するのである。イシスとオシリスのペアのように、「子」イエスの「母」・「妻」が必要なのである。

当然、聖母マリア他が浮かぶのである。あるいは、『ダ・ヴィンチ・コード』のようにマグダラのマリアである。

つまり、ヤハウェが大女神に転化する必要があるのである。

つまり、一神教の解体である。

多神教的キリスト教である。

では、なぜ、大女神的宗教が多神教となるのか、である。

これは、単純に、差異即非・共振シナジー宗教であるから、ということになるだろう。

即ち、他者と共振する宗教だからである。他者は多者・複数である。

i*(-i)の-iが決定的である。

予測であるが、-iは複数なのだと思われるのである。

iは単数であろう。しかし、-iは複数・多者・多数なのだと思うのである。

身体的多者と言ってもいいと思う。

iが主語・主体・主観なら、-iは述語・客体・客観である。

コギト・エルゴ・スム、それは、i 故に、-i である。

「我」即ち、他者=多者である。

思うに、これが、根源的一即多ではないだろうか。あるいは、
一即非多である。

今は、ここで留めよう。


参考1:

ピューリタニズムはルターの宗教改革から50年たったケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに発祥した。世はエリザベス女王時代。最初の中心人物はトーマス・カートライトである。
 当時、エリザベス女王はカンタベリー大主教パーカーにアングリカニズム(英国国教会)による国民的礼拝様式の統一と強化を依頼していた。アングリカニズムはヘンリー8世のイギリス的宗教改革によって生まれたもので、カトリシズムがユニヴァーサリズム(普遍主義)だとすれば、ナショナリズム(愛国主義)と結合した。いまもロンドンのウェストミンスター・アベイに入ると、そこがいかにイギリスの土着ナショナリズムで満たされているかが一目瞭然である。そこにはイギリスが生んだ神武天皇や楠木正成の聖人像や記念碑が埋め尽くされている。
 ヘンリー8世がアングリカニズムを主張したのは、ルターのプロテスタンティズムによってカトリシズムが脅かされたことに対する反発が動機になっているのだが、一方では、このままローマ教皇庁によるカトリシズムを守るだけではイギリスの宗教政治はやっていけないという現実判断にももとづいていた。
 だからヘンリー8世のアングリカニズムは次の3つの柱でできていた。ナショナリズム、国王絶対主義、そして受動的服従主義である。
 これをエリザベス女王が引き継いだ。
 ところが、カートライトはこの3本柱をことごとく批判した。それはアングリカニズムが体制の思想であるとすれば、まさに反体制の思想であった。

 カートライトの反体制思想は、もともとはカルヴァンのプロテスタントな宗教思想から出ている。
 カルヴィニズムとは一言でいえば「ソラ・スクリプトラ」、すなわち「聖書のみ主義」である。ピューリタニズムは聖書が適用できないような「間隙」をけっして認めない。どんな隙間も聖書に書いてあるとする。逆に、ヘンリー8世のアングリカニズムはこの「間隙」を生かした国教だった。
 これに対して同じプロテスタンティズムでも、ルターのばあいは「ソラ・フィデ」(信仰のみ主義)である。
 しかし、これらの差異はまだ思想上のことであって、社会的にはそこにアン女王時代(1550年代)に迫害されてジュネーブやオランダに逃れた「エミグレ」がイギリスから帰ってきた事情が直結していた。
 エミグレはもともと移住者とか亡命者を意味するが、ピューリタニズムの生きた本質があるとすれば、まさにこの「移住すること」にある。その後の歴史上のピューリタニズムが、ついに「移住しつづける者の思想」となったからである。なんといってもカートライト自身が大学から追放され、エミグレとなったのだ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0620.html


参考2:


Thomas Cartwright (churchman)
From Wikipedia, the free encyclopedia
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Thomas Cartwright (c. 1535 –December 27 , 1603 ) was an English Puritan churchman.

He was born in Hertfordshire , and studied divinity at St John's College, Cambridge . On the accession of Queen Mary I of England in 1553 , he was forced to leave the university, and found occupation as clerk to a counsellor-at-law. On the accession of Queen Elizabeth I , five years later, he resumed his theological studies, and was soon afterwards elected a fellow of St John's and later of Trinity College, Cambridge .

In 1564 he opposed John Preston in a theological disputation held on the occasion of Elizabeth's state visit, and in the following year brought attention to the Puritan attitude on church ceremonial and organization. He was popular in Ireland as chaplain to Adam Loftus , Archbishop of Armagh (1565 -1567 ). In 1569 , Cartwright was appointed Lady Margaret's Professor of Divinity at Cambridge; but John Whitgift , on becoming vice-chancellor, deprived him of the post in December 1570 , and--as master of Trinity--of his fellowship in September 1571 .

This was a result of the use which Cartwright had made of his position; he criticised the hierarchy and constitution of the Church of England , which he compared unfavourably with the primitive Christian organization. So keen was the struggle between him and Whitgift that the chancellor, William Cecil , had to intervene. After his deprivation by Whitgift, Cartwright visited Theodore Beza at Geneva . He returned to England in 1572, and might have become professor of Hebrew at Cambridge but for his expressed sympathy with the notorious "Admonition to the Parliament" by John Field and Thomas Wilcox . To escape arrest he again went abroad, and officiated as clergyman to the English residents at Antwerp and then at Middelburg .

In 1576 he visited and organized the Huguenot churches of the Channel Islands , and after revising the Rhenish version of the New Testament , again settled as pastor at Antwerp, declining the offer of a chair at the University of St Andrews . in 1585 he returned without permission to London, was imprisoned for a short time, and became master of the Earl of Leicester 's hospital at Warwick. In 1590 he was summoned before the court of high commission and imprisoned, and in 1591 he was once more committed to the Fleet prison . He was not treated harshly, and powerful influence soon secured his release. He visited Guernsey (1595-1598), and spent his closing years in honour and prosperity at Warwick, where he died in the same year as the queen.

Cartwright was a man of much culture and originality, but exceedingly impulsive. His views were distinctly Presbyterian , and he stoutly opposed the Brownists or Independents. He never conceived of a separation between church and state, and would probably have refused to tolerate any Non-conformity with his reformed national Presbyterian church. To him, however, the Puritanism of his day owed its systematization and much of its force.

This article incorporates text from the Encyclopædia Britannica Eleventh Edition , a publication now in the public domain .
Retrieved from "http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cartwright_%28churchman%29 "

Categories : Wikipedia articles incorporating text from the 1911 Encyclopædia Britannica | 1535 births | 1603 deaths | Puritanism | Tudor clergy | People from Hertfordshire | Alumni of St John's College, Cambridge


参考3:


Puritan
From Wikipedia, the free encyclopedia
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Calvinism
John Calvin









A Puritan of 16th and 17th century England was any person seeking "purity" of worship and doctrine , especially the parties that rejected the Laudian reform of the Church of England . Those who sought further reform of liturgy and theology away from that of the Roman Catholic Church and those who justified separation from the Church of England following the Elizabethan Religious Settlement are commonly called "Puritans" by historians and critics. Later groups are called "puritan", not necessarily favorably, by comparison to these low church Anglicans and Calvinistic Non-conformists .
http://en.wikipedia.org/wiki/Puritan




参考4:
ピルグリム・ファーザーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ピルグリムファーザーズ (Pilgrim Fathers, Pilgrims、巡礼始祖の意) は、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン )である。

16世紀、イギリスのエリザベス1世 がイギリス国教会 を確立したが、17世紀 にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派 と呼ばれ、弾圧を受けていた。信仰の自由を求め、亡命した清教徒を含む102人がメイフラワー号 に乗ってアメリカ に渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説 に基づくものとして知られる。1620年アメリカ大陸に到着したピルグリムは、理想的な社会を建設することをめざした。植民地をメイ・フラワー号の出航地プリマスに因み、ニュー・プリマスと名づけたとよく言われるが、1614頃の地図にその名が出ている。偶然、同名の地に到着したのである。

入植当初の状況は厳しく、半年で半数程が病死したが、先住民 ワンパノアグ族 の協力を得て、ニュー・プリマスはやがて、発展するニュー・イングランドの最初の植民地となった。

しかし後に、ピルグリムとインディアンとの間でトラブルが起きたりして、インディアンと戦闘なども起きた。ワンパノアグ族の酋長マサソイト は平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶが、ピルグリムはこの条約は彼らインディアンの土地を自分達が領有して入植してもよいと言う神の暗黙の許可であるとも解釈もしていた。そのため、ピルグリムは入植地を拡大しようと、まず1630年にマサチューセッツ族 が住む土地に進入し、ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘 により、天然痘に対して免疫 力があまりなかったマサチューセッツ族のほとんど多くの者は死んでしまった。1636年 には1人のピルグリムの白人がピクォート族 に殺された事が切っ掛けで起きたピクォート戦争 が翌年の1634年 に起きた。ピルグリムは殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し大集落を崩壊した。しかしピルグリムの白人殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくピルグリムの白人であった。さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族とも悪化していった。ピルグリムが「フィリップ王」と呼んでいた、マサソイトの息子でもあった、酋長メタコメット が父マサソイトが結んだあの条約は結局は部族にとって不正であり、ピルグリムは自分達、部族の土地を奪っているとし、1675年 にピルグリムのプリマス入植地を攻撃してフィリップ王戦争 が勃発した。この戦争により周辺部族も巻き込み、1676年 に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者が出る悲劇をもたらした。


[編集 ] 関連

* プロテスタント
* ピューリタン
* メイフラワー号
* プリマス (マサチューセッツ州)
* w:Timeline of United States history (1600-1699)
* w:Pilgrim
* w:Pilgrimage

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA " より作成

カテゴリ : アメリカ合衆国の歴史 (-1776)

_________________________________
Lessons of War
The fighting in Iraq enters its fifth year.

Sunday, March 18, 2007; Page B06



TOMORROW MARKS the fourth anniversary of the start of the Iraq war, as appropriate a moment as any to take stock. What matters most is finding the best policy now -- doing whatever can be done to help Iraq and safeguard U.S. interests in a vital region. But looking back also is essential, particularly for those of us who supported the war.

We will never know what might have happened had Saddam Hussein and his sons been left in power. Nor do we know how Iraq will evolve; history's judgment in five years or 10 may look very different than today's. But the picture today is dire, and very different from what we would have hoped or predicted four years ago. The cost in lives, injuries and dislocations, to Americans and Iraqis, has been tragic; the opportunity costs for U.S. leadership globally have been immense. So there is an obligation to reassess. What have we learned?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031700950.html

2007年03月19日 (04:00)

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。

テーマ:ポスト・アメリカ

父権的意識、連続的同一性自我意識は、差異共振的知性を否定する。

問題は、どうして、欧米とりわけアメリカは、世界に対して攻撃的なのか。覇権主義の原因は何か。単に軍事・経済的支配のためだけとは思えない。

私は、プロテスタンティズム、とりわけ、アメリカ建国におけるピューリタニズム(清教主義)が観念的動因として重大だと考えている。

カルヴァンの予定説をピューリタニズムは引き継いでいると思う。それは、神に救済される人物は予め決定されているということであり、それは人知を超えたものとされているのである。

だから、救済は不可知なのである。そのために、ピューリタンは、救済の証を得ようとして、攻撃的に布教するようになる(宣教・ミッション)ということだと思うのである。

つまり、不可能の行為なのである。

つまり、常に不安がピューリタンにはあることになるのである。何かをして、救済を信じようとすると考えられるのである。

このような不可知論的決定論は、結局、超越的差異共振界であるイデア界を否定する観念から発していると考えられる。それは、当然、父権的な連続的同一性主義から発していると思う。本来、超越的意識が自身を否定するようにして、現象的に連続的同一性化するのである。

ここには、起源の差異共振性が隠蔽されているから、当然、不安・恐怖となるのである。

そして、これは、また、盲目の衝迫に取り憑かれることになるのである。

ピューリタニズムの予型論(タイポロジー)は、思うに、そのような不可知論的決定論を基礎とした聖書中心的適用主義(キリスト教原理主義)と思われるのである。

現前の世界に聖書を予型として適用するのである。聖書をプログラム・プランとして、現実に適用するのである。

ここには、不安に基づく善悪二元論がある。自我の影を他者に投影することになるのであり、他者を悪魔的敵として攻撃するようになるのである。

どうも、これが、欧米、とりわけ、アメリカの覇権主義の精神・観念的要因のように思えるのである。

父権主義によるイデア界の喪失による不安・恐怖が、無意識の影を生み、その反動として、覇権主義的になると思うのである。男性の精神の問題があると思うのである。

p.s. 父権的意識、すなわち、自我は、差異共振性を否定・排除・隠蔽するのであるが、その原因は、先天的身体の虚弱さにあると思う。この故に、他者を感覚・認識するときに、恐怖・不安・疑念を感じると考えられるのである。そのため反動として攻撃的姿勢をもつと考えられるのである。この父権的意識・自我・連続的同一性認識は、このように、虚弱ないし劣弱性(ニーチェなら賎民性)に基づいて、攻撃・暴力・支配覇権的性向をもつと考えられるのである。 
 
 とりわけ、差異共振性をもつ他者、母権・多神教的他者に対しては、残酷である。ちょうど、旧約聖書にあるように、ヤハウェは、多神教性を嫉み、憎悪し、殲滅せんとするのである。
 
 殲滅で思い出したが、コンラッドの小説『闇の奥』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%97%87%E3%81%AE%E5%A5%A5
の最後の方で、主人公のクルツ大佐が、アフリカ人をなにとぞ殲滅せよと述べているのが、白人男性の意識を象徴的に表象していると言えるだろう。
 
思うに、キリスト教の問題がここにある。一神教の枠組みに福音書の教えが取り込まれていることである。
  
ロレンスは、「父」と「子」の対極性を見ていたが、本当はどうだろうか。ロレンスの「父」は独特で、異教・多神教・母権宗教的なのである。女神ないし「母」と呼んでいいくらいである。

だから、ロレンスの場合は、「母」と「子」の対極性であるので、ここで、ヤハウェとイエスの対立として問題を見る必要がある。あるいは、「父」の分裂・二重性の問題である。

これをPS理論のメディア・ポイントMPから見ると、「父」とは、明らかに、i*-(-i)⇒-1である。正確に書くと、

i*(-i)⇒i*-(-i)⇒-1

である。メディア・ポイントにおいて、垂直性を保持しているが、同時に、他者-iを否定するようにして、水平次元として、連続的同一性へと捩れる、ないし、捩じ曲がるのである。

ここは、単純な連続的同一性というよりは、両義的である。即ち、メディア・ポイントを保持しつつ、他者否定の連続的同一性へと水平化することであるからである。これは、完全な連続的同一性ではなくて、メディア・ポイントにおける垂直性が開かれた様相であると考えられるのである。

つまり、ここには、矛盾があるのである。一つは、イデア界・超越界・叡知界へと開かれているのであり、一つは、他者を否定する連続的同一性化へと傾斜しているのであるから。

「分裂症」と言ってもいいだろう。前者は、母権・異教・多神教的なのであるのに対して、後者は、父権的・一神教的である。

だからこそ、旧約聖書において、神の名が2つあるのだろう。一つはエローヒーム(神の複数形)であり、一つはヤハウェである。

即ち、神々と神なのである。神々が、イデア界のことであり、神がそれを否定する連続的同一性傾斜であると言えるだろう。

メディア・ポイントにおいて開きつつ、同時に、閉じるという矛盾した「操作」がそこにあるのである。

だから、「母」となったり、「父」となったりするというように言い換えられよう。ロレンスが、「父」が「母」でもあると言ったは、根拠のないことではないと言えよう。

(今、私の直感は、ヤハウェとは、女性的ではないのかということである。嫉妬深いヤハウェは、女性的なのである、私に言わせると。ヒステリー的なのであるヤハウェは。)

とまれ、メディア・ポイントにおけるこの分裂的操作が一神教にあると思うのである。「母」と「父」との分裂である。

思うに、この分裂的操作とは、父権・男性的心性ではないのか。身体が虚弱・劣弱なために、身体的他者を否定するのである。しかしながら、逆に言うと、身体的他者を必要とするのである。要するに、甘えである。この主体撞着が、この分裂的操作の根因ではないだろうか。

そう、この必要とする身体的他者が、一神教的道徳・倫理(似非道徳・倫理)に転化するのではないだろうか。

超越性である「母」であるが、これが「父」とされるということは、正に「母」(エローヒーム)の一神教化(ヤハウェ化)であろう。本来は、超越界は「母」(女神:より根源的言えば、差異共振界であるが)であるが、男性の場合、-iの身体が虚弱なために、それを否定し、同時に必要とするのであり、この否定による連続的同一性化によって、一(いつ)が生起し、他者的身体を必要とする点において、「母」の超越次元を保持すると言えよう。つまり、「一」となった「母」が「父」、即ち、ヤハウェである。

そして、「母」の次元が保持されているので、エローヒーム(神の複数形、神々)が旧約聖書に残っていると推察できるのである。

ここで、興味深く想起するのは、19世紀アメリカの文豪ハーマン・メルヴィルの傑作『白鯨』である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8
http://en.wikipedia.org/wiki/Moby-Dick
ここで、白鯨(モービー・ディック)を復讐鬼となり追求するエイハブ船長が、嵐の夜、マストで、セント・エルモの火を見て、独白するが、そのとき、「父」なる神を超えて根源的な「母」なる神を示唆していることである。ウパニシャッド哲学的に、これはブラフマンを示唆するようである。また、この場面は、ゾロアスター教的である(乗組員フェダラーは拝火教徒である)。

思うに、アメリカについて考えると、恐ろしい矛盾がアメリカ文化・社会にはあると考えられるのである。即ち、一方では、恐怖の一神教的父権文化があり、他方では、アメリカ・インディアンの多神教的霊的文化がある。

ロレンスは、アメリカの地霊として後者が存していると述べている。地霊とは、先にも述べたが、超越的差異共振性の内的身体性である。大地性である。あるいは、霊(精神)的大地性である。

そして、一神教は、当然ながら、アメリカの地霊を否定するのである。ここには、いわば、霊的戦争があるのである。

一神教vs霊的多神教である。

後者を前者は否定するのであり、この精神的戦争が実際の覇権主義となっていると思うのである。

このプロテスタンティズム/ピューリタニズム的一神教は、恐怖の専制主義であろう。つまり、連続的同一性中心主義であり、差異を絶滅・殲滅しようとするのである。

しかし、アメリカは、霊的多神教を潜在させているので、絶対的自己矛盾を犯しているのである。

簡単に言えば、アジア・東洋文化をアメリカは潜在させているのである。

結局、キリスト教の問題に還元される。

上述した「父」と「子」の問題である。結局、「父」は「母」の倒錯である。では、「子」はどうなるのか。

「子」は先に女神論を展開したように、「母」の「子」なのである。女神、大女神の「子」なのである。

だから、「子」には、ペアが発生するのである。イシスとオシリスのペアのように、「子」イエスの「母」・「妻」が必要なのである。

当然、聖母マリア他が浮かぶのである。あるいは、『ダ・ヴィンチ・コード』のようにマグダラのマリアである。

つまり、ヤハウェが大女神に転化する必要があるのである。

つまり、一神教の解体である。

多神教的キリスト教である。

では、なぜ、大女神的宗教が多神教となるのか、である。

これは、単純に、差異即非・共振シナジー宗教であるから、ということになるだろう。

即ち、他者と共振する宗教だからである。他者は多者・複数である。

i*(-i)の-iが決定的である。

予測であるが、-iは複数なのだと思われるのである。

iは単数であろう。しかし、-iは複数・多者・多数なのだと思うのである。

身体的多者と言ってもいいと思う。

iが主語・主体・主観なら、-iは述語・客体・客観である。

コギト・エルゴ・スム、それは、i 故に、-i である。

「我」即ち、他者=多者である。

思うに、これが、根源的一即多ではないだろうか。あるいは、
一即非多である。

今は、ここで留めよう。


参考1:

ピューリタニズムはルターの宗教改革から50年たったケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに発祥した。世はエリザベス女王時代。最初の中心人物はトーマス・カートライトである。
 当時、エリザベス女王はカンタベリー大主教パーカーにアングリカニズム(英国国教会)による国民的礼拝様式の統一と強化を依頼していた。アングリカニズムはヘンリー8世のイギリス的宗教改革によって生まれたもので、カトリシズムがユニヴァーサリズム(普遍主義)だとすれば、ナショナリズム(愛国主義)と結合した。いまもロンドンのウェストミンスター・アベイに入ると、そこがいかにイギリスの土着ナショナリズムで満たされているかが一目瞭然である。そこにはイギリスが生んだ神武天皇や楠木正成の聖人像や記念碑が埋め尽くされている。
 ヘンリー8世がアングリカニズムを主張したのは、ルターのプロテスタンティズムによってカトリシズムが脅かされたことに対する反発が動機になっているのだが、一方では、このままローマ教皇庁によるカトリシズムを守るだけではイギリスの宗教政治はやっていけないという現実判断にももとづいていた。
 だからヘンリー8世のアングリカニズムは次の3つの柱でできていた。ナショナリズム、国王絶対主義、そして受動的服従主義である。
 これをエリザベス女王が引き継いだ。
 ところが、カートライトはこの3本柱をことごとく批判した。それはアングリカニズムが体制の思想であるとすれば、まさに反体制の思想であった。

 カートライトの反体制思想は、もともとはカルヴァンのプロテスタントな宗教思想から出ている。
 カルヴィニズムとは一言でいえば「ソラ・スクリプトラ」、すなわち「聖書のみ主義」である。ピューリタニズムは聖書が適用できないような「間隙」をけっして認めない。どんな隙間も聖書に書いてあるとする。逆に、ヘンリー8世のアングリカニズムはこの「間隙」を生かした国教だった。
 これに対して同じプロテスタンティズムでも、ルターのばあいは「ソラ・フィデ」(信仰のみ主義)である。
 しかし、これらの差異はまだ思想上のことであって、社会的にはそこにアン女王時代(1550年代)に迫害されてジュネーブやオランダに逃れた「エミグレ」がイギリスから帰ってきた事情が直結していた。
 エミグレはもともと移住者とか亡命者を意味するが、ピューリタニズムの生きた本質があるとすれば、まさにこの「移住すること」にある。その後の歴史上のピューリタニズムが、ついに「移住しつづける者の思想」となったからである。なんといってもカートライト自身が大学から追放され、エミグレとなったのだ。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0620.html


参考2:


Thomas Cartwright (churchman)
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Thomas Cartwright (c. 1535 –December 27 , 1603 ) was an English Puritan churchman.

He was born in Hertfordshire , and studied divinity at St John's College, Cambridge . On the accession of Queen Mary I of England in 1553 , he was forced to leave the university, and found occupation as clerk to a counsellor-at-law. On the accession of Queen Elizabeth I , five years later, he resumed his theological studies, and was soon afterwards elected a fellow of St John's and later of Trinity College, Cambridge .

In 1564 he opposed John Preston in a theological disputation held on the occasion of Elizabeth's state visit, and in the following year brought attention to the Puritan attitude on church ceremonial and organization. He was popular in Ireland as chaplain to Adam Loftus , Archbishop of Armagh (1565 -1567 ). In 1569 , Cartwright was appointed Lady Margaret's Professor of Divinity at Cambridge; but John Whitgift , on becoming vice-chancellor, deprived him of the post in December 1570 , and--as master of Trinity--of his fellowship in September 1571 .

This was a result of the use which Cartwright had made of his position; he criticised the hierarchy and constitution of the Church of England , which he compared unfavourably with the primitive Christian organization. So keen was the struggle between him and Whitgift that the chancellor, William Cecil , had to intervene. After his deprivation by Whitgift, Cartwright visited Theodore Beza at Geneva . He returned to England in 1572, and might have become professor of Hebrew at Cambridge but for his expressed sympathy with the notorious "Admonition to the Parliament" by John Field and Thomas Wilcox . To escape arrest he again went abroad, and officiated as clergyman to the English residents at Antwerp and then at Middelburg .

In 1576 he visited and organized the Huguenot churches of the Channel Islands , and after revising the Rhenish version of the New Testament , again settled as pastor at Antwerp, declining the offer of a chair at the University of St Andrews . in 1585 he returned without permission to London, was imprisoned for a short time, and became master of the Earl of Leicester 's hospital at Warwick. In 1590 he was summoned before the court of high commission and imprisoned, and in 1591 he was once more committed to the Fleet prison . He was not treated harshly, and powerful influence soon secured his release. He visited Guernsey (1595-1598), and spent his closing years in honour and prosperity at Warwick, where he died in the same year as the queen.

Cartwright was a man of much culture and originality, but exceedingly impulsive. His views were distinctly Presbyterian , and he stoutly opposed the Brownists or Independents. He never conceived of a separation between church and state, and would probably have refused to tolerate any Non-conformity with his reformed national Presbyterian church. To him, however, the Puritanism of his day owed its systematization and much of its force.

This article incorporates text from the Encyclopædia Britannica Eleventh Edition , a publication now in the public domain .
Retrieved from "http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Cartwright_%28churchman%29 "

Categories : Wikipedia articles incorporating text from the 1911 Encyclopædia Britannica | 1535 births | 1603 deaths | Puritanism | Tudor clergy | People from Hertfordshire | Alumni of St John's College, Cambridge


参考3:


Puritan
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Calvinism
John Calvin









A Puritan of 16th and 17th century England was any person seeking "purity" of worship and doctrine , especially the parties that rejected the Laudian reform of the Church of England . Those who sought further reform of liturgy and theology away from that of the Roman Catholic Church and those who justified separation from the Church of England following the Elizabethan Religious Settlement are commonly called "Puritans" by historians and critics. Later groups are called "puritan", not necessarily favorably, by comparison to these low church Anglicans and Calvinistic Non-conformists .
http://en.wikipedia.org/wiki/Puritan




参考4:
ピルグリム・ファーザーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ピルグリムファーザーズ (Pilgrim Fathers, Pilgrims、巡礼始祖の意) は、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン )である。

16世紀、イギリスのエリザベス1世 がイギリス国教会 を確立したが、17世紀 にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派 と呼ばれ、弾圧を受けていた。信仰の自由を求め、亡命した清教徒を含む102人がメイフラワー号 に乗ってアメリカ に渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説 に基づくものとして知られる。1620年アメリカ大陸に到着したピルグリムは、理想的な社会を建設することをめざした。植民地をメイ・フラワー号の出航地プリマスに因み、ニュー・プリマスと名づけたとよく言われるが、1614頃の地図にその名が出ている。偶然、同名の地に到着したのである。

入植当初の状況は厳しく、半年で半数程が病死したが、先住民 ワンパノアグ族 の協力を得て、ニュー・プリマスはやがて、発展するニュー・イングランドの最初の植民地となった。

しかし後に、ピルグリムとインディアンとの間でトラブルが起きたりして、インディアンと戦闘なども起きた。ワンパノアグ族の酋長マサソイト は平和と友好を保つためにピルグリムと条約を結ぶが、ピルグリムはこの条約は彼らインディアンの土地を自分達が領有して入植してもよいと言う神の暗黙の許可であるとも解釈もしていた。そのため、ピルグリムは入植地を拡大しようと、まず1630年にマサチューセッツ族 が住む土地に進入し、ピルグリムの白人が持ち込んだ天然痘 により、天然痘に対して免疫 力があまりなかったマサチューセッツ族のほとんど多くの者は死んでしまった。1636年 には1人のピルグリムの白人がピクォート族 に殺された事が切っ掛けで起きたピクォート戦争 が翌年の1634年 に起きた。ピルグリムは殺した容疑者を差し渡せと要求したがピクォート族がそれに応じなかったため、ピクォート族の村を襲い、大勢のピクォート族を殺害し大集落を崩壊した。しかしピルグリムの白人殺しの犯人は実はピクォート族の者ではなくピルグリムの白人であった。さらに、平和の条約を結んでいたワンパノアグ族とも悪化していった。ピルグリムが「フィリップ王」と呼んでいた、マサソイトの息子でもあった、酋長メタコメット が父マサソイトが結んだあの条約は結局は部族にとって不正であり、ピルグリムは自分達、部族の土地を奪っているとし、1675年 にピルグリムのプリマス入植地を攻撃してフィリップ王戦争 が勃発した。この戦争により周辺部族も巻き込み、1676年 に終結するまで、ピルグリムとインディアンの両方共に多くの犠牲者が出る悲劇をもたらした。


[編集 ] 関連

* プロテスタント
* ピューリタン
* メイフラワー号
* プリマス (マサチューセッツ州)
* w:Timeline of United States history (1600-1699)
* w:Pilgrim
* w:Pilgrimage

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA " より作成

カテゴリ : アメリカ合衆国の歴史 (-1776)

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Lessons of War
The fighting in Iraq enters its fifth year.

Sunday, March 18, 2007; Page B06



TOMORROW MARKS the fourth anniversary of the start of the Iraq war, as appropriate a moment as any to take stock. What matters most is finding the best policy now -- doing whatever can be done to help Iraq and safeguard U.S. interests in a vital region. But looking back also is essential, particularly for those of us who supported the war.

We will never know what might have happened had Saddam Hussein and his sons been left in power. Nor do we know how Iraq will evolve; history's judgment in five years or 10 may look very different than today's. But the picture today is dire, and very different from what we would have hoped or predicted four years ago. The cost in lives, injuries and dislocations, to Americans and Iraqis, has been tragic; the opportunity costs for U.S. leadership globally have been immense. So there is an obligation to reassess. What have we learned?
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/17/AR2007031700950.html
プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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