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2012年11月02日 (19:56)

個通貨を管理する個通貨共同体銀行が必要:個通貨はマイナス利子通貨(減価通貨、消滅貨幣)になろう

先に以下のように述べたが、個通貨は個が発行する通貨であるが、個的共同体で使用するものであり、そのためには、個通貨共同体銀行が必要である。
 個通貨は、マイナス利子通貨、減価通貨、消滅貨幣となるだろう。もっとも、手数料のための必要な「利子」は取ることになるが。

追記:個銭(こせん、こぜに)と呼ぼうか。個葉(こよう、こは、こば)と呼ぼうか。個魚(こぎょ)と呼ぼうか。個貨と呼ぼうか。

追記2:陰陽円を前提にしているので、個円でいいかもしれない。

追記3:私は個通貨は、個が発行するので、すべて異なると考えた。つまり、個通貨1,個通貨2,個通貨3,等々である。
 しかし、個円があるなら、Aさんの個円、Bさんの個円、Cさんの個円、等々になるのではないだろうか。
 そうならば、個円は共同体の成員で共通のものである。別々ではないことになる。
 ただ、個円を発行する主体が個であり、共同体自体ではないということではないだろうか。あくまで、個が出発点、原点、前提である。個から共同体が生まれるのであり、共同体が先にあるのではないのである。

**********************

個通貨の提唱:新しい基軸通貨としての個貨幣:地域通貨は不要

個的共同体、新母権的共同体を提唱しているが、唯一欠点と考えていたのが、通貨・貨幣である。
 かつて、一種の地域通貨に関わったが、これは、実際的にはほとんど役立たなかった。簡単に言えば、動かないのである。
 今考えたのは、個の発行する通貨である。個が拠りどころとなって発行して、個同士で通用させるのである。
 これなら、動くことになる。
 後でもっと検討したい。

【ソブリン危機――歴史的難局の選択肢】
◆【真壁昭夫×浜矩子 特別対談】
 ユーロ後の世界経済を読み解く(下)
 「基軸通貨不在の動乱時代がやって来る
 世界が引きこもり化しないための最終解」
債務危機の火種が燻るユーロ圏が近い将来万一崩壊すれば、世界の新しい通貨・
経済体制はどうなるか。前回に引き続き、真壁昭夫・信州大学教授と浜矩子・
同志社大学大学院教授が、議論を深める。我々が選ぶべき「最終解」とは?
http://sys.diamond.jp/r/c.do?hFm_21cT_5L_vow

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11394596508.html

参考:
シュタイナー経済学講座
www.geocities.jp/momoforall/booknote1/index.html - キャッシュ 類似ページ
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第14講 貨幣と価格ー経済的価値としての経済学. この、MOMOの読書ノート シュタイナー経済学講座は、. 筑摩書房の同著(シュタイナー経済学講座)ー西川 隆範氏 訳. から、多くは、そのまま引用した文章の部分抜粋によって、まとめと. したものですが、一部、 ...

歳末歳始霊界事情 (序)シュタイナーの社会有機体経済学 : NY金魚
nyckingyo.exblog.jp/12686354/ - キャッシュ
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2011年1月13日 – 増幅感覚が地球を犯す世界一のLED電球数を誇るロックフェラー・センターのクリスマス・ツリーを見ようと、世界から集まった観光客が、フィフス・アヴェニューの広...

000.: C.H.ダグラスの経済学とルドルフ・シュタイナーの経済学の関連 ...
wtr000.blogspot.com/2010/05/ch.html - キャッシュ
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イギリス人智学協会の多くのメンバーは、ダグラスの経済学とルドルフ・シュタイナーの経済学との、何かしらの関連を漠然と意識している。例を上げれば、ダグラスはその著作のなかで「社会三層化論」を引用する、数少ないイギリスの作家の一人である。
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2012年01月01日 (14:26)

ポスト資本主義:物質的資本主義から霊的資本主義へ:量(実数)的貨幣から質(虚数)的貨幣へ

テーマ:貨幣・通貨論

ポスト資本主義:物質的資本主義から霊的資本主義へ:量(実数)的貨幣から質(虚数)的貨幣へ:差異共振経済体へ向けて

PS理論の成果から、近代合理主義=近代科学=唯物論は克服された。そこには、超越的精神振動の哲学・科学が生まれた。それは、言い換えると、差異共振哲学・科学であり、他者と共振する自己哲学・科学がある。
 この視点から見ると、資本主義は同一性=物質=自我主義に囚われた偏頗な経済であることがわかる。だから、同一性=物質=自我中心主義資本経済と言える。
 しかしながら、実は、差異=精神=他者としての個・自己が本質・本体であり、同一性=物質=自我はそれらの結果に過ぎない。つまり、霊主体従が本来であるのに、体主霊従になっているという本末転倒の状態になっているのである。そう、倒錯状態である。
 そこで、本来の状態にすると、近代資本主義は当然崩壊するのであるし、今や世界的崩壊の危機にあると言えよう。
 結局、精神主導の資本経済が生まれなくてならないのである。とりあえず、これを精神資本主義ないし差異資本主義と呼ぼう。
 問題は貨幣である。今日の物質貨幣ではなく、精神貨幣にする必要がある。あるいは、差異貨幣、差異共振貨幣である。
 これは他者との差異共振性を評価するものである。そして、これは経済主導者の創意工夫、アイデア、独創にも拠るものである。い
 だから、創造的差異共振資本経済である。ここでは、経済体は、個の物質的、且つ、精神的保存を維持する必要がある。だから、弱肉強食ではありえない。言い換えると、貨幣は自我のものではなく、個・自己=他者のものである。そのために、貨幣は差異共振体としての社会創造の資本にもならなくてならない。
 つまり、貨幣はもはや、量的なものではなく、質的なものとなるのである。利益ではなく、差異共振価値としての貨幣である。そう、差異共振メディアとしての貨幣である。
 そう、実数としての、凸(プラス1)としての貨幣で
はなく、虚数としての、凸i*凹iないし凸i*凹i⇒としての貨幣である。だから、「利益」は、虚数共振価値であり、量的なものではないのである。
 たとえば、りんごを一個の価値を100円とすると、価格は10凸i円であり、買い手は手持ちの10凹i円で購入することができる。即ち、

10凸i円*10凹i円⇒100円

となる。
 しかしながら、売り手が手にするのは、10凹i円であり、そのままでは、潜在価値に過ぎず、価値を生むには、差異共振化する必要がある。
 しかし、重要な点は売買の対象に凹i貨幣を禁止することである。貨幣は売買の対象にするのを禁ずるのである。
 また、融資する際であるが、差異貨幣銀行から融資するが、原則は無利子か、マイナス利子である。しかし、決して、利子をとらないということではない。手数料等が必要である。
 以上のような経済体であるが、それは差異共振経済体であり、個的自由共振経済体である。政治・行政の役割はあくまで経済体を補佐する役目であり、主導的になってはならない。これも禁止事項である。
 都合で今はここで留める。

2006年10月12日 (02:18)

検討課題:貨幣と差異

Kaisetsu氏が説くように、貨幣の起源を、王権的なもの、つまり、王権の観念・概念像として、考察を始めよう。思うに、ここには、普遍性、一般性、特異性が現れている。普遍性は、王権的観念・概念である。それは、ある意味で、イデア的と言えるのである。換言すると、メディア・シナジー・エネルギーをもつものである。
 一般性は、これと関係するが、数的価値である。そして、特異性は、その貨幣自体の希少価値性である。貴金属性である。普遍性と特異性は差異と、一般性は同一性と関係するだろう。しかし、ここでは、正確に検討しないといけない。
 王権的普遍性とは、差異且つ同一性である。ここには、矛盾両立があるのである。貨幣自体の特異性は、この王権的差異と関係するだろう。つまり、金貨や銀貨は、王権的差異と一如である。そして、貨幣の数的価値=一般性は、当然、同一性であり、これも王権的普遍性と関係する。図式化しよう。
     
      差異・特異性・・・貨幣自体
      ↗
王権的普遍性→メディア・エネルゲイア
      ↘
      一般性・同一性・・・貨幣の数的価値


 では、王権的普遍性とは、プラトニック・シナジー理論から見ると何だろうか。これは、先にも述べたが、父権的一神教的エネルゲイアと等価であろう。ヤハウェに等価である。ここで、想起するのは、イエスが、「カエサルのものは、カエサルへ」と言ったことであるが、しかし、貨幣は、神的なのであるから、単にカエサルのものではないのであるから、イエスの言葉は誤謬である。さらに、想起するのは、貨幣とキリストが等価であると、以前述べたことである。ロゴスの受肉としてのイエス・キリストを考えると、貨幣としてのキリストということがよくわかるだろう。ロゴスが神的普遍性であり、それが、物質化されたものが、キリストになるのだから。
 ここで、解答すると、貨幣=王権的普遍性とは、メディア・シナジー・エネルゲイアの同一性構造である、ということである。不連続的差異論的に言えば、メディア界のエネルゲイアをもつメディア/現象境界同一性構造性である。しかも、貴金属として、特異性化されているので、個体的なものである。だから、やや極論的になるが、メディア界=メディア平面そのもの、差異共振シナジー様相そのものと言えそうである。そう、正に、メディアである。貨幣は。理想的な媒体と言えるのである。
 問題は、連続・同一性構造である。メディア・エネルゲイアは、この場合は、王権・権力であるが、それが、貨幣の連続・同一性の数的構造を実効的に保障しているのである。(信用とは、王権・権力であろう。)そして、この連続・同一性構造への傾斜が、差異や特異性の否定・排除・隠蔽へとつながるのであり、金融・拝金資本主義においては、まさに、そうなっているのである。
 ここで、ルネサンス(イギリス・ルネサンスのエリザベス朝時代も含む)を想起するのである。それは、差異の発現・顕現の時代である。差異共振シナジーの発現・発動・作用の時代と考えられるのである。だから、貨幣・資本は、そのようなものとして、存したと考えられるのである。つまり、王権的普遍性をもつ貨幣・資本が、差異共振シナジー化したと考えられるのである。貨幣のメディア・エネルゲイアが、差異共振シナジー・エネルゲイアになったということである。しかし、近代合理主義、唯物科学が発展すると、メディア・エネルゲイアが失せてくるのである。それは、連続・同一性中心主義に取って代わられるのである。これは、エンテレケイア化と言ってもいいかもしれない。貨幣が本来のメディアから、エンテレケイア・終極態=目的になったのである。これは、貨幣の堕落である。つまり、貨幣の連続・同一性化である。ここでは、メディア・エネルゲイアが排除されているのである。思うに、ここには、不兌換制度が原因としてあるように思えるのである。貨幣の特異性としての貴金属性を喪失したとき、それは、同一性の傾斜へと流動すると考えられるからである。(ここで、直観を言うと、貨幣の貴金属性、兌換制とは、貨幣の身体性である。貨幣の「精神」・「魂」・「霊魂」とは、貨幣の心身であり、身体且つ思惟である。不兌換通貨制とは、いわば、身体のない思惟、つまり、幽霊状態である。身体(延長)と思惟(意識)がそろって、「精神」・「魂」・「霊魂」が顕現するのである。
 後で、再検討したい。
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  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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