2008年11月23日 (16:22)

ハトの智慧:子育てはハトに学べ:ハトの叡智と人間の愚かさ

私の部屋に接するベランダにハトが巣を作り、今年は、もう三回産卵孵化している。
 今、雛鳥から成鳥になろうとしてる二羽のハトがいる。ベランダの上にたたずんでいる。
 まだ、親鳥の嘴から餌をもらっているが、もう飛ぶことができて、巣立ちは近い。
 鳩の智慧であるが、まず、餌をあたえるときに、決して単純に贈与はしないことである。ヒナが餌を取るため、すり寄れば、避けるようにするが、ヒナが嘴を寄せるので、それに対して与えるのである。つまり、ヒナの能動的行為に即して餌を与えるのである。これで、ヒナに能動性、積極性が育つと言えよう。
 また、最初はベランダの床で餌を与えることを行っていたが、次に、エアコンの本体の上に移動して、そこで与えるのである。つまり、高いところにヒナを飛ばせて、飛翔力とつけさせるのである。またさらに、建物の屋根に親鳥は移り、雛鳥にそこまで飛ばせるのである。つまり、積極的に飛翔の訓練を兼ねて、餌を与えるのである。
 啐啄(そったく)同時 という言葉があるが、それは、孵化するときの子のつつく行為と親のつつく行為の同時性を説くものであるが、餌を与える行為にもそれが言えるのである。自発性に基づく子育てなのである。すばらしい。自然の叡知(野性の叡知)である。
 人間は、この点、オバカである。

追記:親鳥は雛鳥が餌を取りにきても与えなくなった。いよいよ巣立ち近しである。自分で餌を取るように仕向けているのかもしれない。あるいは、空を舞うように示唆しているのかもしれない。
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2007年09月03日 (12:56)

実存性について:本質存在と事実存在(実存):超越的差異⇔超越論的差異⇔超越論的同一性構造⇔同一性

『コンサイス20世紀思想事典』から実存主義の項を見て、木田元氏の説明によって、そのポイントがわかったというか、思い出した。
 極言すると、普遍論争に近いと言えよう。実念論と唯名論の問題と平行するのである。観念とこれ性との関係であり、実存主義とは、後者の様態を主導的にしたのである。
 では、構造主義/ポスト・モダンとの関係はどうだろうか。実存主義を特異性と関係させることができるならば、実存主義の問題は、やはり、ポスト・モダンに吸収されて引き継がれたと言うべきように思う。
 ただ、実存主義は、超越論的構造が強く、自我情態性の反動と特異性が結びついていたのではないだろうか(p.s.  これでは、構造主義との区別ができない。というのは、構造主義は超越論的構造と結びついているからだ。正しく説明するなら、実存主義は超越論的構造に無意識的に支配されているが、構造主義はそれを客観化したので、それを意識化して、脱却しているということになる。この点が実存主義と構造主義を峻別する決定的な契機である。)。言い換えると、超越論的構造によって、差異を否定し、同一性を形成するが、同時に、差異がそれに反発している。差異と同一性とのパラドクシカルな様態が実存性であったと言えるのではないだろうか。先に、パラドクシカルな同一性構造と言ったものの様態である。図式化する。

実存性:差異⇔超越論的同一性構造⇔同一性(自我)

問題は、超越論的差異と差異との関係である。端的に、実存主義の差異とは、超越論的差異だと思う。だから、図式は次のようになる。

実存性:超越論的差異⇔超越論的同一性構造⇔同一性(自我)

である。これは、ハイデガーの現存在と同じである。ただ、サルトルの場合は、同一性の情態性が主導的であった点が違うと思う。先に言った自我情態現象性である。
 では、実存主義と構造主義とポスト・モダンはどう関係するのか。構造主義は、超越論的同一性構造を客観形式化したものであり、この点で、自我情態現象性からは脱却できたが、倫理・道徳性が消えてしまった。では、ポスト・モダンは、デリダは差延/脱構築主義で、超越論的差異から脱却を図ったが、戦略的に留まった。ドゥルーズは、ガタリとのコラボレーションによって、超越論的差異からの脱却を図り、一部成功したと思う。リゾームはそのようなものだし、存立平面の発想は、差異共振性を含んでいるからである。
 しかし、ドゥルーズ&ガタリは、真に超越的差異すなわちMedia Pointには達していない。一部、超越的差異はあったが、超越論的同一性構造が中心となり、同一性と混同化され、連続的差異=微分を中心にしてしまった。
 では、実存主義とポスト・モダンはどう関係するのか。ここで、もう一度、実存性を訂正しよう。それは、キルケゴールの単独性の実存性を考慮してのことである。

実存性:1.超越的差異⇔2.超越論的差異⇔3.超越論的同一性構造⇔4.同一性(自我)

ハイデガー哲学は、2〜4である。フッサール現象学は、1〜2である。(フッサールの意味の現象学は、ハイデガー哲学には当てはまらない。ハイデガー現象学ではなく、ハイデガー存在論と言うべきだ。)ポスト・モダン哲学は、1〜3である。つまり、広義の実存主義は、現象学や構造主義やポスト・モダンとの関連性をもっていると言えよう。ただし、3の構造主義による切断がないため、きわめて、混淆的な思想であったと言えよう。鋭いがあいまいな思想であった。実存性は、諸契機が混淆したあいまいな概念である。
 ついでに、ポスト・モダンについて言うと、それは、1と2を切断できなかった不明瞭な「ポスト構造主義」であった。不連続的差異論がこれを切断したのである。
 これで、整合的な解明ができたことしたい。

補足:
実存性の図式を補足説明すると、1の超越的差異は、Media Pointの位置にある。おおまかには、超越的差異とMedia Pointは同じと考えていいが、実際は異なる。超越的差異は虚存在であり、Media Pointは虚存在と実存在の交叉点である。だから、1と2との境界にあるのだが、即非的な境界である。ドゥルーズ&ガタリは、領域的には、1と2との中間態にあるが、Media Pointの即非的境界の概念に達していないことに注意しないといけない。また、メルロ=ポンティは、「肉」(私は「身」と呼びたい)の現象学で Media Pointの概念に近づいたと思われる。
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2007年05月08日 (23:04)

志向性の終点と現象的メディア・ポイント:他者存在に対する連続的混濁意識としての現存在

以下、bloghiro-dive氏のハイデガー哲学の梗概である。私は、ハイデガーについては、詳しくないので参考になる。
 そう、私が考えていたハイデガー哲学のイメージとほとんど同じである。ただ、私がハイデガー哲学に疑問を感じるのは、現存在や存在の概念がそれほど斬新なものなのかということである。不安や死に臨む態度(?)等は、既に、宗教や文学で語られてきたものではないだろうか。
 私は、ハイデガーの存在とは、PS理論のメディア・ポイントMEDIA POINT、それも、現象的MEPOであると思っている。そして、これは、連続的同一性的自我においは、明確に意識されていないので、不安や恐怖を引き起こすと思われるのである。
 つまり、現象的MEPOは、超越的MEPOと即非的共振しているので、超越性、宗教性、形而上学性へと通じるのである。これが不明確なので、自我は不安を感じると思うのである。死に臨む態度とは、正に、超越性等への関係に通じるのである。
 先にも述べたが、ハイデガーは、フッサールの志向性(超越的志向性)の終点の構造とその主観的様態において哲学していると思えるのである。確かに、この構造的主観様態は、存在様態を取るだろう。でも、この新しさが私にはわからないのである。
 そう、確かに、フッサールは、ノエシス/ノエマの彼岸の他者・差異を明確にしなかった。志向性の終点では、他者があるはずである。その他者の存在をハイデガーは捉えようとしたが、その他者の存在に対する主観的様態を現存在として叙述したのではないだろうか。つまり、現存在とは、個・差異・自己が他者の存在に対する主観様態なのである、ということではないのか。
 そうすると、問題は、ほとんど、ポスト・モダン様態である。他者の存在が差異であり、個・差異・自己という主体であるが、それが連続的同一性自我である。つまり、主体をハイデガーは、個・差異・自己と捉えていずに、連続的同一性自我として捉えていたと思う。
 だから、やはり、まったく、ドゥルーズと同じ様態にあったのである。即ち、差異と同一性との連続的様態である。つまり、現象軸におけるメディア・ポイントMEPOの連続的矛盾様態なのである。
 結局、志向性の終点の他者存在をどうするかが、ハイデガーの問題であったと言えよう。しかしながら、これは、カントの物自体の問題と共通だと思われるのである。カントは、超越的形式で連続性を切断して、その形式に限定した。そして、超越的形式の彼岸に物自体が生起したのである。これは、ほとんど、フッサール現象学と似ている発想であろう。
 ただ、フッサールは、超越的形式の彼岸に志向性を求めた点がカントを超えていた点であろう。
 結局、私には、ハイデガーは、連続性の混濁した認識で哲学したように思えるのである。端的に、言えば、物自体を存在に言い換えているだけのように思えるのである。単なるレトリックではないのか。私には、ハイデガーは、20世紀のソフィストに思えるのである。
 もっとも、評価しうるならば、フッサールがあいまいにした、志向性の終点に存する他者を把握しようとした点ではないだろうか。

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言語についての差異と反復第十七章・総論第十三節
さて、「存在と時間」を鳥瞰した。ここで、ハイデガーの残した功罪を語らねばならない。まず、昨日示唆しておいたが、ハイデガーは「存在と時間」以後、現存在の考察を積極的にすることはない。この大著以後、ハイデガーは「存在と非存在」についてのみ思索を継続する。これは、「存在と時間」の帰結としては当然のことで、当初からハイデガーは「存在と時間」で、現存在の様態を規定する「存在そのもの」を明白にすることが終点だとしていたからだ。しかし、「存在と時間」では現存在の様態の考察及び、現存在を実存させる時間性(死へ向かうあり方)」を開示するに終わった。これでは「存在そのもの」が定位されたといえず、そのためハイデガーは終世、「存在そのもの」というものへの思索を続けることになる。ここで、昨日私は「存在と時間」は、実は存在を語るために、死を語ろうとする試みに相違ないといったことを思い返してもらいたい。この原理論の序論から述べているが、存在者を証明するということは、当該存在者のみで充当するような論理の構成は矛盾をはらみ、不可能である。それゆえ、ハイデガーが現存在を実存たらしめる「存在そのもの」を語ろうとした当初の目的は、存在と真逆の「非存在」を語るほかない。そのためには、非存在を定義する必要があるが、「無いものを語る」行為とは論理矛盾以外なにものでもない。それゆえ、ハイデガーの「存在と時間」は、新しい主体=現存在として人間を定位し、実存という視座を古典的主観論と取り替えたことは、間違いなく有意義であるが、存在論としては未完の域を脱していない。否、「存在そのものを定義するために非存在を定義しなければならない」という、さらに困難な問題を残したといえる。このようなコンテクストを念頭に考えると、「存在と時間」とは「生と死」や「存在と非存在」、「現存在と非存在」というタイトルに置き換えて読むこともできよう。このように、残された問題のひとつは、「存在そのもの」が定義されなかったこと。そして、もうひとつは「現存在と存在」の関係において、存在そのもの側が現存在の実存(あり方)を規定するのか、現存在の実存が存在を規定するのかという問題である。簡単にいうと、現存在が実存するがゆえに存在を語ることが可能なのか、存在そのものという概念が先行してあるがゆえに現存在の実存を語ることが可能なのかということである。俗言的にいえば、「鶏が先か卵が先か」というようなこと。これについて、ハイデガーがどのように考えていたかは見解の分かれる部分だが、「存在と時間」の立場でいえば、現存在の実存が先行するという捉え方が普通であろう。しかし、後世、「存在と非存在」を思索するハイデガーは、この問題を「性起=Ereiknis」という用語で呼び、同時的、双方向的と捉えようとする。そのため、この部分は曖昧であり、どちらとも読める。専門的には、「性起=Ereiknis」という概念を使用した時点を分岐点と考え、「存在と時間」のときは現存在の実存が存在を規定できる(語ることができる)と考えていて、「性起=Ereiknis」をもって、逆に存在そのものが現存在の実存より先行、規定するのだという思索の転回(ケーレ)をいう場合もある。しかし、存在が先であろうが、後であろうが、存在を語ろうとすると非存在を語ることが必要となるのであるから、この思索は遭難者のごとく現存在の実存から離れ、詩的な世界観を漂うことになる。そのため、後期ハイデガーの思索は詩的かつ、非常に読み解くことが困難で、その読みに現在でも意見が分かれている。長々と問題点を語ったが、整理すると、ハイデガーの残した問題は、「存在そのもの=非存在」を定義できなかったこと。また、現存在と存在そのもののどちらがアプリオリな概念なのかを定位できなかったこと。これは、現存在が存在=非存在を語ることができるのか、無理なのかと言い換えて考えていい。そして、最後にこれが大きな後の哲学の課題となるのだが、ハイデガー以前の実存性のない(人間味のない)認識論的主体から、人間を新たに現存在と定位したことで実存という地平=視座(考え方)を開いたが、これは実はデカルトやカントの嵌った罠と同じものであった。その罠の意味とは「万人妥当」という概念のことである。後世、レヴィナスはハイデガーの哲学には「他者がいない」と批判したが、まさしく現存在=人間一般とすることで、個としての実存が捨象されてしまう。逆説的だが、ハイデガーは「今」、「ここにいる」、「誰でもない私」を現存在という概念で表現したのだが、結果的には「個=ケース=誰でもない私」という他者性を消去してしまった。実存がそれぞれの個のものであるにもかかわらずである。それゆえ、ハイデガーの後に続く哲学者たちは、この「他者性」を哲学から取り戻すことを中心的課題としてポスト=モダンと呼ばれる思索を展開させてゆく。また、他方ではハイデガーの「現存在と存在そのもの」という思考方法を引き延ばして、世界の現象を構造的に表層と深層で把握しようという構造主義というムーブメントも起こる。このように、ハイデガーの「存在と時間」に端を発し、現代哲学、学問全般があり方を問われることになった。次週は、ハイデガーの後に残った課題をどのように現代哲学、社会科学が乗り越えようとするのかを考察したい。
★回顧★
いささか乱暴にハイデガーの「存在と時間」とそれ以後の思索を鳥瞰したにすぎないが、内容的には全覧できたのではないかと思う。ハイデガーは、哲学史を遡行し「解体」することを目標に「存在と時間」を書き、そして実際にニーチェやアリストテレス、フォアゾソクラティーカ(ソクラテス以前の哲学者)でその「解体」を実演してみせる。ハイデガーは、ソクラテス、プラトンに始まる西洋形而上学の歴史とは「存在忘却」の歴史だとして哲学史を再構築するのである。そして、本質存在(〜である)ではない、事実存在(ある)という存在そのものを問い続ける。が、本文でも指摘したとおり、自己を語るのに他者が必要なように、存在そのものを語るには非存在を語る必要があり、「性起=Ereiknis」論などをもちだすこととなる。いわば混乱状態といっていい。また一方で、パルメニデスのいうように「あらぬものについては語れぬ」ということがハイデガーを悩ます。同時に、現存在そのものに存在がそもそも開示されるのかどうかというものも問題となる。開示されるとなると、現存在が存在を規定できる立場になり、存在そのものよりも先行してしまうからである。そのため、「存在と時間」以後は、現存在というものを語ろうとしない。また、ハイデガーの構築した「存在論」としての哲学史は、レヴィナスなどは暴力だという。このコンテクストは簡単に受けとめるわけにはいかない。確かにハイデガーは、それまで支配的だった哲学史観を一変させてみせ、「存在論」という地平を開いたが、それは他方で別の解釈を疎外しかねないことにもなる。また、人間を現存在一般で呼ぶことにより、個の存在を消滅させてしまったことは事実である。それゆえ、後世デリダはハイデガーの後を追い、哲学史の再再構築を右往左往しながら進めることになる。「存在と時間」は、確かにハイデガーの目論見を破って失敗には終わったが、哲学を一変させたことは事実であり、ハイデガーの「存在論」によって後世の実存主義やポストモダンに大きな影響を与えたことは否定できない。ただし、一方で忘れてならないのは、ハイデガーは「存在そのもの」を語り得たとはいえないということである。これは逆説的に、存在を語る行為そのものがいかに困難なものかということを反証しているだろう。
http://ameblo.jp/bloghiro-dive/entry-10033019627.html
差異と反復それでも差異と反復
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2007年05月06日 (21:35)

ハイデガーの存在論とPS理論:ハイデガーの存在と志向性とメディア・ポイント

ハイデガーの存在論とPS理論:ハイデガーの存在とは、メディア・ポイントMedia Point、とりわけ、実数軸(現象軸)的メディア・ポイントであると思われる

フッサールの志向性は、超越的な志向性であるが、それが、本来、他者・差異への志向性であることまで、フッサールは把握できずに、相互主観性・間主観性に留まったと考えられる。言い換えると、ノエシスを、同一性に留めてしまっていると思えるのである。だから、ノエマは、同一性の観念である。そして、ノエシス/ノエマの外部に差異・他者が存するのであるが、それを、フッサールは、相互主観性において把捉しようとしたのである。
 私見では、相互主観性とは、差異共振性に近づいているのであるが、フッサールは同一性から差異へと飛躍できなかったので、相互主観性に留まったと考えられる。おそらく、なんらかの差異共振性をフッサールの相互主観性には、潜在していたとは思えるのである。
 これを、PS理論から見るとどう解明できるだろうか。自己認識方程式i*(-i)⇒+1の視点から見ると、フッサールの志向性は、⇒である。そして、⇒ の終点ないし先端を相互主観性としたのである。このとき、この終点・先端は、連続=現象的メディア・ポイントである。ここは、否定・連続的同一性へと志向するのである。この先端の志向性を否定・連続的同一性志向性、簡略化して、連一的志向性と呼ぼう。本来の⇒の志向性とは、差異的同一性(差一性)の志向性であると言えよう。つまり、志向性は、本来、差一性志向性であり、連続・現象的メディア・ポイントにおいて、連一性志向性に転化するのである。
 しかしながら、実際は、複雑である。連続・現象的メディア・ポイントにおいて、志向性は、差異共振性と連一性へと自己分裂するのである。簡単に言えば、差異と同一性に分裂するのである。西洋史を見ると、ルネサンスとは、連続的ながらも、差異共振性に基づく同一性の展開であったと考えられるのである。ネオ・プラトニズムとは、差異共振性と同一性との連続的結合に基づくであろう。
 そして、初期近代は、デカルトに見られるように、差異という個に基づいた同一性哲学が生まれたのである。コギト・エルゴ・スムとは、差異は同一性であるということである。つまり、差異的同一性を説いていると考えられるのである。しかしながら、デカルトは、心・精神において、差異的同一性を説いたが、身体・物質を分離させたままで、統一することはできなかったのである。そして、スピノザやライプニッツの登場となる。デカルトの差異的同一性であるが、それが、近代的合理主義の理性、言い換えると、連続的同一性理性へと還元されたことに問題があったと言えよう。つまり、デカルトは、差異にある連続的同一性しか見なかったと言えよう。そして、差異を進展させたのが、スピノザであり、ライプニッツであったと言えよう。
 とまれ、デカルトは、初期近代の差異を連続的同一性化させたと言えよう。差異から同一性である。まとめると、初期近代における志向性による差異と同一性の分裂において、デカルトは、差異から同一性へと方向付けたと言えよう。
 そして、同一性は、周知のように、近代的合理主義、近代的自我を生んだのである。そして、同一性が進展するが、差異は取り残されたままであったのである。ここで、反近代主義や非合理主義が生まれることになったのである。しかしながら、根源は共通である。志向性の終点のメディア・ポイントの二重性である。だからこそ、イギリス・ロマン主義は、啓蒙思想とは、切り離せないという事態が生起したのである。
 さて、近代において、結局、志向性は、メディア・ポイントにおいて、差異と同一性に分裂し、それが、近代の多様な分裂・混乱を生んだと言えるのである。そして、カントが差異と同一性を切断して、同一性を批判・規定する。そして、ヘーゲルが、同一性から統一論を立てたのである。そして、その後は、西洋哲学史の教科書にあるような展開をしたのである。シェリング、キルケゴール、ニーチェ、初期マルクス等の反抗は、差異の奪回・復帰であったのである。それも、特異性や超越性に基づくものであり、不十分とは言え、超越的差異に達していたと考えられるのである。(これまで、マルクスの精神性については述べてこなかったが、マルクス【初期であれ、中・後期であれ】の共産主義には、差異共振的精神が存していると考えられるのである。単に、唯物論ではないのである。)
 とまれ、彼らは、同一性近代に対して、鋭敏な、あるいは、鋭敏過ぎる批判を提起したのである。なぜなら、近代の超越の視点を与えたからである。
 さて、その後、フッサール現象学が出現して、意識の根本様態を定義したのであり、また、その後、ハイデガーの存在論/実存論が出現した。ハイデガーの存在論/実存論とは、結局、志向性の先端における差異と同一性の分裂性をもつ、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異と同一性の混交・混合・混濁様態において、差異が連続的同一性にもたらす主観的様態を説くものであると思われるのである。即ち、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異と同一性との混合様態における、差異が同一性にもたらす主観的様態の哲学である。これが、存在論的様態と呼ばれうるものであろう。つまり、ハイデガーの存在とは、実は、差異、しかも、連続・現象的メディア・ポイントにおける差異であったのである。換言すると、連続的差異であったのである。この点で、ベルクソン/ドゥルーズの差異=微分哲学と共通なのである。違いは、ハイデガーが、差異の同一性への主観的様態を説いたのに対して、ベルクソン/ドゥルーズは、連続的差異の構造性を説いた点にあるだろう。言い換えると、両者、志向性の先端=連続・現象的メディア・ポイントを説いているのであるが、ハイデガーは、その主観的様態を説き、ベルクソン/ドゥルーズは、客観的形式を説いたと考えられるのである。換言すると、両者、フッサールの志向性の先端の形式と内容を問題にしていたと言えよう。だから、実存主義と構造主義の関係であるが、共通の連続・現象的メディア・ポイントの内容と形式との関係にあると言えよう。
 とまれ、以上で、本稿の問題は終えたこととしよう。ここで、広義のポスト・モダンの問題について言及すると、結局、19世紀の脱近代の巨人とフッサール現象学との関係の整合性にあったと言えよう。
 一方は、超越的差異(共振性)であり、他方は、超越的志向性である。ポスト・モダンは、差異の理論によって、近代的同一性を乗り越えようとしたのであるが、結局、ドゥルーズ&ガタリはフッサールの超越的志向性を理解できずに、構造主義に留まったのである。そして、デリダの脱構築理論であるが、それは、現前批判、ロゴス中心主義批判、二項対立批判を行い、志向性の先端である連続・現象的メディア・ポイントの様態をもつ理論を批判して、現代的な脱構造性を示唆しえたのである。言い換えると、フッサールの志向性⇒の始点を示唆しえたのである。それは、いわば、直観であったろう。直観として、デリダには、超越的差異を感得したのであろう。しかし、ロゴス中心主義を批判するデリダは、差異と同一性の共立する矛盾態を論理・ロゴス化することは、当然、禁じられていて、袋小路に陥ったのである。デリダは、プラトンのパルマコンやコーラを提起して、なんとか、差異と同一性の共立矛盾態を捉えようとするが、論理・ロゴス化をタブーにしたので、反合理主義に留まったのである。デリダが日本哲学や神秘主義者のウスペンスキーの思想に接していれば、差異と同一性の共立矛盾態が、即非の論理、絶対矛盾的自己同一性、偶然性の論理、又は、「第三の論理」として、結論が出ていたことを発見したであろう。
 では、どうして、デリダは、それらに触れなかったのであろうか。それは、デリダ自身の西洋ロゴス中心主義の限界ではないだろうか。東洋・日本哲学、ロシア神秘思想に接すれば、結論が出ていたことを発見したはずである。ここに、デリダの西洋自民族中心主義があると言えよう。あるいは、西洋哲学のアカデミズムの限界があると言えよう。あるいは、フランスの中華思想が原因であろう。(後で、脱構築理論について、PS理論から整理する予定である。)
 結局、デリダは、連続・現象的メディア・ポイントを超えて、志向性の始点・起点を示唆したのであり、また、そこに留まったのである。
 後は、不連続的差異論、そして、それを質的に進展させたプラトニック・シナジー理論の創造の説明になるのである。以上の論点から見ると、前者は、志向性の始点・起点を脱構築理論以上に明確化したことにあるだろう。即ち、不連続的差異という志向性の始点・起点を提起したのである。そして、PS理論であるが、これは、不連続的差異論を、超越的差異共振イデアを数学的に提起することで、はるかに凌駕したのである。
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2007年04月23日 (00:48)

ドゥルーズとデリダ:差異と差延;脱構築主義と不連続性:現前批判と超越性の暗示

ここでは、簡単に述べたい。

ドゥルーズについて述べたので、デリダについて述べたい。

以下の引用のブルーの文字の部分に注意されたい。

結局、デリダの脱構築主義の基礎・原点は、存在の現前批判に存するのである。

現前という用語はわかりにくい。これを、PS理論から見ると、超越界ないし超越性の現象化ないし観念である。

端的に言えば、超越性の連続的観念ないし概念である。

例えば、神と言ったとき、神という言葉・観念は、それを想念する主体と連続化されているということである。

これは、また、イデアでも同じである。イデアを想念する主体において、イデアとの連続化が主体観念において生起しているのである。

ということで(今は、概略を言うに過ぎない)、デリダの脱構築主義とは、連続論の批判であり、不連続論であると言えよう。

だから、その点で、不連続的差異論に近いものであるし、PS理論にも関係するものをもっているだろう。

そう、簡単に言えば、デリダは、哲学に不連続性の切断を脱構築理論でもたらした言えるのではないだろうか。

即ち、おそらく、不連続な差異をもたらしたと言っていいように思える。

しかしである。デリダの理論の問題点は、脱構築という不連続化によって生起するものは、ロゴス中心主義を解体するから、それを言語=ロゴスでは記述できないとしたことである。

私は、ここにはデリダの勘違いがあると考えている。

端的に、脱構築=不連続化によって、連続的な現前が解体されて、超越性が解放される。

そして、超越性は超越的論理(超越的ロゴス)をもつのである。即非論理、即非ロゴスである。

デリダはロゴスはすべて現前=連続的なものとして捉えてしまい、袋小路に陥ったと考えられる。

とまれ、ドゥルーズとデリダとを比較すると、前者は連続性に留まり、後者は不連続性を志向したと言えるだろう。

デリダの勘違いの一つは、フッサールの超越性が不連続性とつながることを無視したことである。フッサールを現前論で批判しただけであるように思える。

フッサールの超越論とデリダの脱構築=不連続論が結合すれば、PS理論に近づいたはずである。

しかしながら、デリダは、単に脱構築=不連続性のみを説いて、超越性、超越的論理、即非論理を暗示したに留まったと考えられる。


Jacques Derrida
From Wikipedia, the free encyclopedia


Work

[edit ] Introduction

Derrida began speaking and writing publicly at a time when the French intellectual scene was experiencing an increasing rift between what could broadly speaking be called "phenomenological" and "structural" approaches to understanding individual and collective life. For those with a more phenomenological bent, the goal was to understand experience by comprehending and describing its genesis, the process of its emergence from an origin or event. For the structuralists, this was precisely the false problem, and the "depth" of experience could in fact only be an effect of structures which are not themselves experiential. It is in this context that in 1959 Derrida asks the question: must not structure have a genesis, and must not the origin, the point of genesis, be already structured, in order to be the genesis of something?[1]

In other words, every structural or "synchronic" phenomenon has a history, and the structure cannot be understood without understanding its genesis.[2] At the same time, in order that there be movement, or potential, the origin cannot be some pure unity or simplicity, but must already be articulated―complex―such that from it a "diachronic" process can emerge. This originary complexity must not be understood as an original positing, but more like a default of origin, which Derrida refers to as iterability, inscription, or textuality.[3] It is this thought of originary complexity, rather than original purity, which destabilises the thought of both genesis and structure, that sets Derrida's work in motion, and from which derive all of its terms, including deconstruction.[4]

Derrida's method consisted in demonstrating all the forms and varieties of this originary complexity, and their multiple consequences in many fields. His way of achieving this was by conducting an exceedingly thorough, careful, sensitive, and yet transformational reading of philosophical and literary texts, with an ear to what in those texts runs counter to their apparent systematicity (structural unity) or intended sense (authorial genesis). By demonstrating the aporias and ellipses of thought, Derrida hoped to show the infinitely subtle ways that this originary complexity, which by definition cannot ever be completely known, works its structuring and destructuring effects.[5]

[edit ] Early works

Derrida's earliest work was a critique of the limits of phenomenology . His earliest academic manuscript for a degree was a work on Edmund Husserl , submitted in 1954, and published much later as The Problem of Genesis in Husserl's Phenomenology. In 1962 he published Edmund Husserl's Origin of Geometry: An Introduction, which contained his own translation of Husserl's essay.

Derrida first received major attention outside France with his lecture, "Structure, Sign, and Play in the Discourse of the Human Sciences," delivered at Johns Hopkins University in 1966 (and subsequently included in Writing and Difference). The conference at which this paper was delivered was concerned with structuralism , then at the peak of its influence in France, but only beginning to gain attention in the United States . Derrida differed from other participants by his lack of explicit commitment to structuralism, having already been critical of the movement. He praised the accomplishments of structuralism but also maintained reservations about its internal limitations, thus leading to the notion that his thought was a form of post-structuralism . Near the beginning of the essay, Derrida argued:

(...) the entire history of the concept of structure, before the rupture of which we are speaking, must be thought of as a series of substitutions of centre for centre, as a linked chain of determinations of the centre. Successively, and in a regulated fashion, the centre receives different forms or names. The history of metaphysics, like the history of the West, is the history of these metaphors and metonymies. Its matrix (...) is the determination of Being as presence in all senses of this word. It could be shown that all the names related to fundamentals, to principles, or to the centre have always designated an invariable presence – eidos, archē, telos, energeia, ousia (essence, existence, substance, subject) alētheia, transcendentality, consciousness, God, man, and so forth.

– "Structure, Sign and Play" in Writing and Difference, p. 353

The effect of Derrida's paper was such that by the time the conference proceedings were published in 1970, the title of the collection had become The Structuralist Controversy. The conference was also where he met Paul de Man , who would be a close friend and source of great controversy, as well as where he first met the French psychoanalyst Jacques Lacan , with whose work Derrida enjoyed a mixed relationship.

[edit ] 1967-1972

Derrida's work demonstrated an interest in all the disciplines under discussion at the Baltimore conference, as was evinced by the subject of the three collections of work published in 1967: Of Grammatology , Writing and Difference , and Speech and Phenomena . These three books contained readings of the work of many philosophers and authors, including Husserl , linguist de Saussure , Heidegger , Rousseau , Levinas , Hegel , Foucault , Bataille , Descartes , anthropologist Lévi-Strauss , paleontologist Leroi-Gourhan , psychoanalyst Freud , and writers such as Edmond Jabès and Antonin Artaud . It was in this trinity of works that the "principles" of deconstruction were set out, not through theoretical explication but, rather, by demonstration, where he showed that the arguments promulgated by their subject-matter exceeded and contradicted the oppositional parameters in which they were situated. The next five years of lectures and essay-length work were gathered into two 1972 collections, Dissemination and Margins of Philosophy, at which time a collection of interviews (published as Positions in 1981) was also released.

During this period, Derrida was often interpreted as a "post-structuralist", and the basis of his intellectual influence was broadly seen as Husserlian, Saussurean, Heideggerian, and Nietzschean. This "basis" would later shift somewhat.

[edit ] 1972-1980

Starting in 1972, Derrida produced on average more than a book per year. He was said to have released more work in 2003 than in any other year. He was so prolific that there is no bibliography of his work that is complete. A good start is the bibliography included in Jack Reynolds' and Jonathan Roffe's (eds.) Understanding Derrida (London and New York: Continuum, 2004).

During the 1970s, his work was arguably at its most playful and most radical: his crucial works Glas, and The Post-Card: from Socrates to Freud and Beyond set the tone for his deconstructive project, particularly by emphasizing his form of close reading, his playful treatment of words, and his effort to demonstrate the potential of deconstruction.

A further crucial set of texts from this period is collected in Limited, Inc. Derrida had written Signature, Event, Context, an essay on J. L. Austin in the early 1970s; following an aggressive critique of this text by John Searle , Derrida wrote a long (and no less aggressive) defense of his earlier argument, which remains crucial to any understanding of deconstruction's involvement with language and its commonly perceived limitations.

[edit ] Of Spirit

On March 14 , 1987 , Derrida presented at the CIPH conference titled "Heidegger: Open Questions" a lecture which was published in October 1987 as Of Spirit: Heidegger and the Question. It follows the shifting role of Geist (spirit) through Heidegger's work, noting that in 1927, Spirit was one of the philosophical terms that Heidegger set his sights on dismantling. But with his Nazi political engagement in 1933, Heidegger came out as a champion of the "German Spirit," and only withdrew from an exalting interpretation of the term in 1952. Derrida's book reconnects in a number of respects with his long engagement of Heidegger (such as "The Ends of Man" in Margins of Philosophy and the essays marked under the heading Geschlecht). Derrida reconsiders three other fundamental and recurring elements of Heideggerian philosophy: the distinction between human and animal, technology, and the privilege of questioning as the essence of philosophy.

Of Spirit is a crucial contribution to the long debate on Heidegger 's Nazism and appeared at the same time as the French publication of a book by an unknown Chilean writer, Victor Farias , who charged that Heidegger's philosophy amounted to a wholehearted endorsement of the Nazi Sturmabteilung (SA) faction. Derrida responded to Farias in an interview, "Heidegger, the Philosopher's Hell" and a subsequent article, "Comment donner raison? How to Concede, with Reasons?" He noted that Farias was a weak reader of Heidegger's thought, adding that much of the evidence Farias and his supporters touted as new had long been known within the philosophical community.

But Of Spirit was also one of Derrida's first publications on the relationship between philosophy and nationalism, on which he had been teaching in the mid-1980s. This strand of questions would become increasingly important in his later work.

[edit ] Political and ethical "turns"

Two further points deserve mention: Derrida's "political turn," heralded by Specters of Marx and Politics of Friendship in 1994, saw him divert his attention to politics. Derrida and many of his supporters have argued that much of the philosophical work done in his "political turn" can be dated to earlier essays, though the change of tone and the effort granted to political issues rose.

His "ethical turn," in works such as The Gift of Death, saw Derrida applying deconstruction to the relationship between ethics and religion. In this work, Derrida reads Søren Kierkegaard 's Fear and Trembling and claims a leap of faith is required in many aspects of life, not just religion. But much more massive in importance and influence were Derrida's contemporary readings of Emmanuel Levinas , Walter Benjamin , Carl Schmitt , Jan Patočka , which came to provide a broad corpus on questions of law, responsibility, friendship, etc.

This is not to say that Derrida moved altogether away from his readings of literature; indeed, he continued to write extensively on Maurice Blanchot , Paul Celan , and others.

[edit ] Deconstruction

Main article: Deconstruction

The 1966 paper, in addition to establishing Derrida's international reputation, marked the start of Derrida's use of the concept of deconstruction. Although Derrida did not completely object to the characterization of his entire project with this one term, it was a development about which he remained ambivalent.

At its core, if it can be said to have one, deconstruction is an attempt to open a text (literary, philosophical, or otherwise) to several meanings and interpretations. Its method is usually based on binary oppositions within a text ― for example inside and outside or subject and object, or male and female. 'Deconstruction' then argues that such oppositions are culturally and historically defined, even reliant upon one another, and seeks to demonstrate that they are not as clear-cut or as stable as it would at first seem. On the basis that the two opposed concepts are fluid, this ambiguity is used to show that the text's meaning is fluid as well.

This fluidity stands against a legacy of traditional metaphysics (that is, Platonist thought) founded on oppositions, that seeks to establish a stability of meaning through conceptual absolutes where one term, for example "good," is elevated to a status that designates its opposite, in this case "evil," as its perversion, lack or inferior. These "violent hierarchies," as Derrida termed them, are taken as structurally unstable within the texts themselves, where the meaning strictly depends on this contradiction or antinomy.

Derrida insisted that deconstruction was never performed or executed but "took place" through "memory work": in this way, the task of the "deconstructor" was to show where this oppositional or dialectical stability was ultimately subverted by the text's internal logic. Meticulous readings find philosophy anew. The result of this renewal is often to find striking interpretations of texts. No "meaning" is stable: Derrida called the "metaphysics of presence " the thing that keeps the sense of unity within a text; where presence was granted the privilege of truth.

To understand this argument, one may need to explore Derrida's deconstruction of the speech/writing opposition, of which Of Grammatology is perhaps the clearest study. Derrida's critique of oppositions may be partly inspired by Nietzsche's genealogical reconsideration of "good" and "evil" (see, in particular, Beyond Good and Evil and On the Genealogy of Morals).

Derrida's practice of reading raises the question of the relationship between deconstruction and literary theory. Within literary studies, deconstruction is often treated as a particular method of reading ― in contrast to Derrida's claims that deconstruction is an "event" within a text, not a method of reading it. Despite this apparent contradiction, the literary sensibilities of Derrida cannot be ignored, as many of his deconstructions were of poems and literary texts.

Further, deconstruction's sensitivities to philosophical efforts at defining limits have been taken by some to imply a deconstructive agenda for the ultimate reversal of order. This agenda would cover: philosophy's claim to be the first of all academic disciplines; holding out hopes of uniting all; delineating what is proper to each as they remain apart; and expelling from itself non-philosophy (via judgements which irreducibly take part in violence and hinge on matters of interpretation made through language). This has been seen as the privilege of the non-serious and the literary over a humbled philosophy.

Although its influence on literary studies is probably the most well-known and well-reported effect of deconstruction, its roots are more philosophical than literary, although it is also tied to distinct but abutting academic disciplines such as linguistics , women's studies, and anthropology (called the "human sciences" in France). Derrida's examination of the latter's philosophical foundations, both conceptual and historical, and their continued reliance on philosophical argument (whether consciously or not), was an important aspect of his thought. Among his foremost influences are Edmund Husserl , Sigmund Freud , and Martin Heidegger . Heidegger in particular was a major influence on Derrida ― he claims in his "Letter to a Japanese Friend" (Derrida and différance , eds. Robert Bernasconi and David Wood ) that the word "déconstruction" was his attempt both to translate and re-appropriate for his own ends the Heideggerian terms Destruktion and Abbau via a word from the French language, the varied senses of which seemed consistent with his requirements.

This relationship with the Heideggerean term was chosen over the Nietzschean term "demolition", as Derrida shared with Heidegger an interest in renovating philosophy to allow it to treat increasingly fundamental matters. In this regard, he moves beyond Heidegger in a significant way. While Heidegger passes through Nietzsche , Kierkegaard , Hegel , Kant , Descartes , Aquinas , Aristotle , Plato , and Parmenides , and finds their work wanting where the question of Being is concerned, Derrida prefers to mine the heterogeneous nature of their works ― indeed, his reading of Plato in Dissemination is among his best-known and most important readings, in which Plato's khôra is treated.

[edit ] Aporia

Derrida received the 2001 Adorno Prize, named after Theodor Adorno . In accepting this award, Derrida noted both differences and affinities with Adorno. Their treatment of aporia was noted as an affinity. Aporia comes from the Greek απορια (from α-πορος) meaning "the impassable"( see 'Sea of Suf' ). The aporetic was a recurring structure for Derrida: Derrida strived to render as determinate as possible an interpretation, finding a series of "undecidable" decisions between a series of determinate constructions of interpretations. These passages through impossible decisions are unavoidable, according to Derrida, and potentially lead to a model of responsibility. Derrida views this as the point to which philosophy should aspire. In Derrida's view, philosophy would like to deliver its complete system, here and now: its absolute work made manifest to its reader, the end of philosophy being the end of philosophy. Derrida also shares with Adorno criticism of doctrines of immediate (unmediated) (self-)presence grounding Western philosophies: both wrote theses on Husserl critical of his philosophy for this reason.

The idea of aporia is carried over in other deconstructive readings ― particularly those of Paul de Man, whose readings of poems were known for concluding that the poems ended in an aporia.
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2007年04月22日 (16:27)

ドゥルーズ&ガタリの「ポスト構造主義」と構造主義について:実数軸のメディア・ポイントの動的構造性

先に、本件について触れたが、ここで、簡単に説明しておきたい。

彼らの思想は、構造主義の静態性を超えることを目指していた。即ち、構造のさらに深層の動態性を提示して、構造主義の乗り越えを提起したのである。例えば、化学で言えば、「モル」に対して、「分子状」という深層を提起したのである。あるいは、「量子状」という深層である。

問題は、この構造のさらに奥にある、これらの動態的深層である。

それは、構造を形成すると考えられた根源的層である。

この根源的層については、以前に説明したが、ここでもう一度述べよう。

構造は、PS理論から見ると、実数軸のメディア・ポイントmepoにあると言える。ここでは、虚数軸のメディア・ポイントmepoは、いわば、知られていない。

とまれ、エネルギーは、超越界から現象界へと伝わるのであり、メディア・ポイントmepoが正に、メディアとして機能している。

だから、エネルギー(エネルゲイア)は、メディア・ポイントに顕現していると言える。

ここで、ドゥルーズ&ガタリ(以下、DG)の思想を考えると、構造主義を超えようと意図されたその深層理論は、明らかに、メディア・ポイントのエネルギー態から発している。

メディア・ポイントは実数軸においては、構造でありつつ、同時に、エネルギー態なのである。

ここで整理すると、実数軸のメディア・ポイント(以下、実メディア点)の様相を明快にすると、それは、連続性における構造と構造を発生させるエネルギー態(動態)の両面をもっていることがわかる。

だから、まとめると、実メディア点は、構造エネルギー態であるということになるだろう。ソシュールの構造主義とは、言語における二項対立の構造の静態性を説くものであるが、その二項対立構造を発生させる動態性については、説明していない。

例えば、pとbとの音声対立があるとしよう。それは、互いに排除する。bigとpigである。

しかし、ソシュールは、pとbの対立構造・差異構造が発生する深層については述べない。

当然ながら、対立・差異構造を発生させる動態根源があるのであり、それを、DGは動的な構造として説いたのである。だから、彼らの思想は、動的構造主義と呼ぶのが適切であり、ポスト構造主義という用語は、誤りである。

そして、この動的構造が、実メディア点に過ぎないのである。

ここは、連続的構造であるから、差異は、連続的差異=微分にしかならないのである。

結局、DGは何を見出したのか。それは、数学では、数百年も前に発見されていた微分の思想を、時代遅れに哲学に取り入れたのであり、発見は何もない、陳腐・凡庸な思想というしかない。

ただし、ドゥルーズの場合、キルケゴールやニーチェの特異性singularityの思想を差異の思想に取り入れたことは、評価できるだろう。

しかし、そのドゥルーズの特異性は、実メディア点に留まったのであり、真の特異性を理解できなかったのである。

ということで、本稿をまとめると、構造主義とDGの動的構造主義とは、実メディア点が基盤であり、実メディア点における原因が動的構造主義であり、結果が構造主義であり、両者は、実メディア点の因果関係にあるということである。

ここで想起するのは、カント批判哲学である。

純粋理性批判とは、正に、メディア・ポイントの即非性を、従来の論理学から理論化しようとしたものであろう。

アンチノミーがそこでは出現するのである。カントは、大乗仏教の矛盾的論理(即非論理)を知らなかったから、従来の論理学から飛翔できなかったのである。

換言すると、現象的理性・知性の規定(先験論)に囚われていたので、メディア・ポイントないし超越界のもつ超越的論理を理論構築できずに、実践理性に留まったと言えよう。

ここでフッサールについて言及すると、フッサールは、カントの限界を超えて、超越的意識を捉えたが、しかしながら、それが、他者を志向して、即非の論理をもつ事態までは進めなかったと言えよう。

i*?に留まったのがフッサールであると言えよう。そして、間主観性・相互主観性であるが、それは、思うに、i*i⇒-1ではないだろうか。

超越的自己が、連続的自我に陥っているのではないか。

思うに、他者の欠落が、ハイデガーの現存在における志向性(企投)等の考えを生み出す隙を作ったと言えるのかもしれない。

そして、他者問題は、ナチズムを経て、レヴィナスの他者倫理哲学において扱われることになったと言えよう。

最後に、他者倫理であるが、これは、今問題の「従軍慰安婦」という国家的暴力的売春に直結しているのである。

結局、日本人が、他者を認めるか否かである。

言い換えると、日本人が、自己認識を確立できるかの問題でもある。

この問題は、「民主主義」の問題と関係して、きわめて重要である。

この問題は別稿で検討したい。
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2007年04月08日 (00:59)

ヘーゲル、ハイデガー、構造主義/ポスト構造主義:現象MePoの連続的志向性

以前から感じていたが、構造主義は、ヘーゲル弁証法に由来するのではないかとうことをここで、簡単に検討したい。

PS理論のメディア・ポイントMePo(以下、mepo)の視点から考えたい。

結局、現象mepoが基点となる。ここでは、差異は、連続的志向性をもち、同一性化へと向かう。

この連続化が、差異の裏返しにするようにして、同一性を形成するのである。

ドゥルーズが襞のことを言っていたが、確かに、この連続化は、差異を襞にするように折り込むと言えるだろう。しかし、これは、あくまで、現象mepoに事象に関してである。

現象mepoにおける連続的志向性であるが、これは、本来は、超越エネルギーのよると言えよう。ここが造化の不思議なところで、超越エネルギーは、連続化されて、現象・連続的エネルギーになると言えよう。

しかし、否定された差異は、超越エネルギーを保存していると言えよう。

とまれ、この現象mepoであるが、まとめると、連続的志向性=顕在化と否定された差異の潜在性の非対称的二重性がある。

そして、前者が構造性と言っていいだろう。ここから、同一性が発現するのであるから。そして、構造性は、差異を否定するので、ここで、同一性と差異との二項対立を形成するのである。これが、構造主義でお馴染の二元論である。

連続性が+なら、差異は-である。あるいは、符号が逆になるだろう。

ここで、構造主義の構造をまとめると、現象mepoにおける連続性と差異との対立構造であると言えるだろう。

ここで、ヘーゲル弁証法を考えると、正反合であるが、正は、連続性であり、反が差異であり、合が現象mepoであろう。

結局、現象mepo⇒連続性(正)⇒差異(反)⇒現象mepo(合)である。

だから、構造主義とは、ヘーゲル弁証法の対立構造を取りだしたものと言えるだろうし、構造主義の対立を弁証法的対立と呼ばれるのも適切であると言えよう。

ただ、両者の相違は、ヘーゲル弁証法は、ジンテーゼへの志向性を強くもっていることである。

この相違を説明すると、ヘーゲル弁証法において、反(アンチテーゼ)が、連続化された超越性をもっていることによる全体的志向をもっているからではないだろうか。ある意味で、宇宙的志向と言ってもいいだろう。

ただし、裏返しにである。

とまれ、連続化された現象mepoにおける対立と全体的統一性、これが、ヘーゲル弁証法の核心であろう。

だから、形式的には、ヘーゲル弁証法は、構造主義と同じである。

両者、同形であるが、ただ、ヘーゲル弁証法は、対立と統一の両面が明確であるのに対して、構造主義は、対立の方にウェイトがあると言えるだろう。

では、ヘーゲル弁証法とポスト構造主義(ドゥルーズ哲学)の関係であるが、先に、ドゥルーズ哲学は構造主義であると言ったが、それから言うならば、やはり、それもヘーゲル哲学と同形になることになる。

しかし、同形ではあるが、強調点が異なると考えられる。即ち、ドゥルーズの場合は差異を共通するのである。連続化された現象mepoにおける差異の強調である。これは、連続的同一性(テーゼ)を否定するのである。この点で、ヘーゲル弁証法とは異なる。

すると、連続的現象mepoにおける、1.ヘーゲル弁証法⇒2.構造主義⇒3.ポスト構造主義(ドゥルーズ哲学)の発生が見えてくる。

即ち、1において、連続的現象mepoのポテンシャル・エネルギーが強いので、それへと回帰する。2においては、連続的志向性が強く、差異と対立する構造形式をもつ。3においては、連続的同一性への反動否定性が強く、連続的差異の思想となっている。

ここで、ハイデガー哲学を考えると、それは、この三つの中では、構造主義に近いだろう。即ち、存在が連続的現象mepoであり、存在者が連続的同一性である。

さて、最後にデカルト、ライプニッツ、カント、ニーチェ、フッサールに簡単に触れたい。

デカルトのコギトは、連続的志向性を否定した上で成立する思考である。おそらく、現象mepoにコギトがあるのではないだろうか。それは、超越mepoとも通じるだろう。とまれ、コギトは、明確には、超越mepoにはないが、少なくとも、現象mepoに存すると思う。超越性と現象性との境界である。

ライプニッツのモナドであるが、それは、コギトをより超越mepoに近づけたものだろう。正確に言えば、現象mepoを否定した超越mepoと言えるかもしれない。(後で検討。)

カント哲学であるが、それは、超越論的形式を導入して、同一性の構造を発見したものである。これは、対立の構造ではないが、構造である。そして、mepoを物自体や実践的理性にしたのである。純粋理性とは、現象mepoのことであろう。

ニーチェであるが、彼は、連続的志向性を全否定した。それは、超越mepoと言えるかもしれない。それは、ほとんど、純粋差異の思想である。ただし、⇒+1までは達していない。i*(-i)⇒の思想である。(ライプニッツのモナドに近いように思われるかもしれない。しかし、ニーチェには、ポスト構造主義的な反反動性が少し入っていたと思う。)

フッサール現象学は、現象mepoを志向性ということで発見したものだろう。間主観性とは、差異的同一性と言えるのではないだろうか。おそらく、超越mepoを捉えていたが、明確に、即非性とは把握していなかったと思う。

さて、つけ加えると、シェリングは、明晰に即非性を捉えてはいなかったものの、実質的には、即非性を捉えていた。それは、超越/現象mepoの思想である。そして、同一性への展開。最後に、差異的同一性を把捉していたと思う。

ウスペンスキーは、即非の思想を「ターシャム・オルガヌム」として、ほぼ捉えていた。

以上のようにざっと見ると、西洋近代・現代哲学は、メディア・ポイントの根源的事象(特異性)と連続的様態(同一性)とを探求していたと言えよう。

しかしながら、両者が根本的に異質なもの、不連続なものであることを、西洋哲学は認識できなかったと言えよう。不連続的差異論を包摂したプラトニック・シナジー理論がこれを解明したのである。

後、検討問題として、数学と哲学の関係がある。これは、論理学の問題とも言えよう。数学、論理学、哲学との関係は何か。

数学とは、超越/現象の知の論理を構成化するものではないだろうか。数学、論理学、哲学は、超越/現象におけるイデア・知的事象の論理を表わすものではないのか。

p.s. メルロ=ポンティの現象学について触れたいが、これは、私の想像である。身体論の問題である。主客共振性があるので、これは、メディア・ポイントの共振性である。Kaisetsu氏のメディア共鳴である。しかしながら、それが純粋化されていない。即ち、連続化が混淆されていると思うのである。おそらく、表記すれば、i*(-i)⇒+1とi*-(-i)⇒-1との混淆である。なぜ、混淆なのかと言えば、それは、後者を切断して、身体を不連続化して、意識化していないからだと思う。身体意識に留まっているからだと思われる。
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2007年04月06日 (11:02)

プラトニック・シナジー理論と方向が同じと思われるので、引用したい。

生の律動

どうやって自己を知り、自分を解放するか

 私は以前、早稲田大学の派遣留学生としてアメリカのミシガン州に渡りそこの大学に長期滞在しているとき、非常に激しく深い神秘体験をして、無意識の底の生命力と一体となることができた。存在論的な哲学を学ぶ人たちから見るととてもラッキーな人間である。一瞬にして目が開けてしまったからである。そういった体験も含めいろいろ話してみよう。

 哲学がほんとうにわかるようになるととても便利である。哲学は自分を知り、統合力をつけて自分を解放してしまうのに役に立つ。普通の哲学は洞察力が弱いため、生の律動の原理と絶対者の本質構造を把握するだけの理解の前後関係が存在しないため逆にノイローゼになってしまう人も出る。アメリカにいるとき、精神的に行き詰まって、ひどい神経症になり、地獄から生還するときに、引きずり出してきたのがこれから扱う「光の範型」である。「光の範型」という図式を通して自分を知ることに成功すると自己コントロールが容易になり、うまく生きていけるようになる。幸い私の近辺にいる人たちから好評を博してきたがこれまでそれほどおおっぴらに発表はしてこなかった。やっとその時期が来たので、近いうちに出版も考えている。 

 デルフォイの神殿に「汝自身を知れ」とあった。ソクラテスは自分を正しく知ることが重要と考えた。一体自分を正しく知るということはどういうことか。自己を知るということに光とその分裂態であるスペクトルを導入する。生の衝動の原理を光の分裂と統一としてとらえ、それが自らの身体を通して意識空間で生のパルスの構造を位置づけることに成功すると自己の本質と自己理解が一致して悪無限から真無限(ヘーゲル )へと移行する。

生の意味の構造を生の律動に基づいて把握する。それが出来ると哲学は突如として分かりやすくなるのである。自己の本質構造を凝視すること、そしてトータルで理解してしまうこと

自分自身の内にある生の律動を分離してスペクトルの要素として把握することに成功すること、この部分に全力を集中することで大幅に時間を短縮できる。哲学の学習はものにならないことの方が多い。だがツボが分かると意外と簡単に落城させることが出来る。 

プラトン の善のイデア、アリストテレス の現実態、ライプニッツ のモナド 、ヘーゲル の弁証法 など形而上学的原理はすべて同一の生の律動に基づいている。また優れた神話や経典は生の律動の原理を組織的な比喩の体系によって示し、我々の心にその対応関係が取れ、その統合の相へ一体化出来るように習慣化するための教えをも含んでいる。

http://d.hatena.ne.jp/mk6/20060126


光による生成の論理

■ 善のイデアと隠喩のキリスト

あらゆる哲学・宗教・心理学は善のイデアの本質構造に向かって収束していく。

それは生の本質構造である。→人格の本質構造である。

善のイデアと隠喩のキリスト

善のイデアの本質構造を明らかにする隠喩のイエス・キリスト

福音書 隠喩体系のイエス・キリスト は人格の普遍的構造の組織的比喩である。

まず第1に、光が論理的決定権を持っている。すべては光の論理によって支配されている。

http://d.hatena.ne.jp/mk6/20060829/1157342755


理念の構造としてのキリスト

人格における光と生の間の論理的つながり具合、人格を光と生の視点から見た論理的つながり具合、をなるべく明晰に説明することが重要なのでそれ以外のことに向かうと焦点がぼける。

ここに出てくるのが目的としての善のイデア、本質構造としての理念のキリストである。そして形而上学 の原理はすべてこれをめぐる。

神話や啓示の本はすべて禅の公案として対峙する。イエス・キリスト が現実にいたとしてみたら分からなくなる。

本質的思考を妨げることになる。

人格についての比喩体系の福音書 、そこでプシュケー全体を表すイエス・キリスト

善のイデアの根本構造を人格を通して示すのが福音書 の比喩体系としてのイエス・キリスト である。

http://d.hatena.ne.jp/mk6/20060828/1157345028


善のイデアと生の根本運動

ウェブ2.0の時代が来た。

1. 0のころはどちらかというと囲い込みで孤立型だったのが2.0になるともっと開放的でさらにリンクが多く張られるようになった。個人の発信力もブロードバンドが後押ししてはるかに自由になってきた。WEB2.0 にならって、人文や宗教、哲学の領域もセクトから解放され、これからはクロスオーバー型になる。そのとき、中心となる善のイデアと生の根本運動がしっかり了解されることである。普遍的な光に基づいた人文の理解がクロスオーバーを可能にする。究極者についての表現とその本質を理解することが大切である。

プラトン は善のイデアの存在を我々に教えたが、ただそれを示しただけで内容については規定していない。善のイデアの内容は生の根本運動に意識空間が結びつくと成立する。そこで善悪の本質構造が設定されるからである。

善のイデアの内容を明確に把握すること。それによって善の模倣力が増大すること。そのようにして人類は安定していく。

http://d.hatena.ne.jp/mk6/20060821/1157345137

■ 聖杯

mk62006-03-31



今日はこのサイトを見に来た人だけにちょっとした秘密を明かすことにしよう。実は「光の範型」と名付けられたこの図式は円の中で5重の階層になっている。外側から1反応態度:反抗・逃避・支配・受容 2通常態度:高ぶった・気が緩んだ・引き締まった・謙遜な 3衝動近辺:自尊心・快楽・信念・素直 4衝動:雄性・雌性・(媒介性)・道徳性 5スペクトルと光 の順で次第に深くなっていく。これら5つのレイヤーで一番下が光のスペクトルで閉じられている。つまり円の中を彫り込んで一番底が4象限で光のスペクトルが全体をつなげているのである。手前から向こうに向かって5つの層があり、コップの底にスペクトルのパターンがあるような感じに見ることが出来る。右上の図だとスペクトルが一番上にあるが底まで貫いているものと見て欲しい。

この図式は人間の意識を奥行きを持ってそのように見るようにすることを勧めている。このコップの内側を彫り込んだようなモデルは福音書 の暗号解読のツールであり、またキリストの贖罪の血をそこで受けて、我々の経験をその都度浄化していくことのできるツールでもある。

つまりこれは聖杯 のようなものである。

http://d.hatena.ne.jp/mk6/20060331/1157704215

光の範型 Paradigm of Light
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2007年03月05日 (12:19)

九鬼周造著『偶然性の問題』は、鈴木大拙の即非の論理学と並び、PS理論の実質的先駆である。

九鬼周造『偶然性の問題・文芸論』 (単行本)
大峯 顕 (編集), 大橋 良介 (編集), 長谷 正当 (編集), 上田 閑照 (著), 坂部 恵 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B9%9D%E9%AC%BC%E5%91%A8%E9%80%A0%E3%80%8E%E5%81%B6%E7%84%B6%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%83%BB%E6%96%87%E8%8A%B8%E8%AB%96%E3%80%8F-%E5%A4%A7%E5%B3%AF-%E9%A1%95/dp/4924520497


今、本書を拾い読みしているが、これは、久々に大感動した本である。正に、天才的著書である。灯台下暗しとは、これまで、何度も経験したが、本書に関しても言える。

九鬼周造は、『いきの構造』で有名だが、本書は彼の主著である。ここには、PS理論的核心があると言っても過言ではない。1935年に出版された本書をこれまで、誰が、世界的に先端的理論であることを説いただろうか。

本書については、直接的には、novalis666氏(「いき」の創造http://ameblo.jp/novalis666/ )によって、知ったのであるが、また、九鬼周造が日本の代表的哲学者であると教えられたのは、某知りあいからであった。

今は、簡単に引用したい。後で、読みを続けて、論じたい。簡単に予想を言うと、九鬼の言う「偶然性」とは、私の言う「特異性」とほぼ同じである。

引用開始

《経験に斉合と統一とを与える理論的体系の根源的意味は他者の偶然性を把えてその具体性において一者の同一性へ同化し内面化することに存している。真の判断は偶然-必然の相関において事実の偶然性に立脚して偶然の内面化を課題とするものでなければならぬ。思惟の根本たる同一律は内面化の原理にほかならない。「甲は甲である」というのは「我は我である」ということにほかならない。判断の本質的意味は邂逅する「汝」を「我」に深化することでなければならない。我の内的同一性へ外的なる汝を具体的に同一化するのが判断の理念である。》p. 222
(コメント:正に、i*(-i)⇒+1をここで述べていると考えられる。)

「偶然を成立せしめる二元的相対性は至るところに間主体性を開示することによって根源的社会を構成する。」p. 224
(コメント:間主体性であるが、これは、間主観性より、用語として適切であると思う。)

「道徳が単に架空なものでなく、力として現実に妥当するためには、与えられてた偶然を跳躍板として内面性へ向かって高踏するものでなくてはならぬ。・・・ 偶然性は不可能性が可能性へ接する切点である。偶然性の中に極微の可能性を把握し、未来的なる可能性をはぐくむことによって行為の曲線を展開し、翻って現在的なる偶然性の生産的意味を倒逆的に理解することが出来る。」pp. 224~225
(コメント:道徳は、偶然性=特異性において、基礎づけられ、行為への意志となると言えよう。)

「不可能に近い極微の可能性が偶然性において現実となり、偶然性として堅くつかまれることによって新しい可能性を生み、更に可能性が必然性へ発展するところに運命としての仏の本願もあれば人間の救いもある。」p. 225
(コメント:何をか言わん。)

少し前後するが、
「必然性とは同一性すなわち一者の様相にほかならない。偶然性は一者と他者の二元性のあるところに初めて存するのである。・・・
個物の起源は一者に対する他者の二元的措定に遡る。邂逅は独立なる二元の邂逅にほかならない。無いことの可能性は一または他の選択に基づくものとして二元を予想している。」p. 221
(コメント:これは、正に、差異論であり、他者的差異論である。)

p.s. 文体が端正で、明快であり、美しい。論理的かつ芸術的な文体である。

★参考★
九鬼周造の『「いき」の構造』(1930)について
この貴重な日本文化論・文芸論は、芸術の在り処を探る重要な視座を与えてるものであるが、PS理論の視点から最も、その高い価値を示しうる。
この書物も、海舌は高校時代に読んだが、江戸期の日本文化文芸の中心的モチーフの最重要なものの一つである『粋』という概念を、「肉体的な男が精神的な方向性として女性へ傾斜する』、或いは、『肉体的に女性である者が精神的な方向性として男性に傾斜する』様子、というような定義であったと思う。
これをもう少し敷衍すると、異性への精神的傾斜は、一旦、同姓・自己への深い自己撞着・諦め(所詮、男は男、女は女)から、まるで、弓を引き絞って放つように、異性への一瞬の傾斜(異性への無制限の憧れ、異性への自己投機、イルージョンの世界に踏み込む)へと向かう様なのであり、しかし、絶対的な断絶があることを了解している点で、無限の諦め、諦観、『いさぎよさ』をも内包するのである。
気風の良い女性、着物の裾を捲くって走る女性、しかし、弱さ、太腿の女性的美も、同時に男の目を引くのである。
大男が情けに弱くて、不憫な話に貰い泣きしつつも、勧善懲悪のために、刀を抜くなどの様が、これに当たるだろう。(情に流され、情を断つ。)
こうした状態を、PS理論では、メディア・ポイントと言う『概念』を用いて説明する。

⇒参照: Media Point

つまり、「粋」という状態は、PS理論上のメディア・ポイントの状態を指すのである。
九鬼周造氏は、この男女の相克を、不連続で、絶対的な差異であることを認めながら、しかし、対立・共存・相克する、という観点から説明されている。ここに、卓越した先見性を見るのである。

http://blog.kaisetsu.org/?eid=523662

『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu 『New Platonic Synergy Theory』 
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2007年03月04日 (23:27)

スピノザの内在的原因について

定理18
神は、あらゆるものの内在的原因であって超越的原因ではない。
『エチカ』

PS理論は、メディア・ポイントMPにおける内在的超越性を説く。
スピノザの言う内在性は、理解できるが、しかしながら、問題点は、
この内在性が連続性を帯びると思える点である。
この点は、不連続的差異論の形成期に述べた。
スピノザ哲学に超越論性を入れることが大事である。
しかしながら、能動的観念の方法は、実質、差異共振シナジーの方法である。
ここにおいて、超越性を志向されると言えよう。
結局、スピノザ哲学は、内在的超越性の志向をもってはいるが、
連続性と不連続性との明確な切断がなされてはいないと思う。
後のドゥルーズの哲学の混濁の一因にかもしれない。
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sophio・scorpio

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  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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