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2011年11月19日 (17:50)

ニュートリノは光より速いのか -光の粒子と闇の粒子の「差延」作業仮説

テーマ:science

以前の実験には問題があると指摘されていたが、それが解消されたのだろうか。
 とまれ、もし、ニュートリノが超光速であるなら、原理的に何を意味するのか。
 考えられるのは、闇の粒子説、あるいは超越光の粒子説等である。
 闇の粒子とは、凹i(-i)、陰の粒子と想定できる。凹iが主導的ならば、凸i(i)、陽はそれとはずれる。つまり、遅れが生じるのではないだろうか。いうならば、「差延」(デリダの用語の敷延)である。光が闇より遅れるということである。
 だから、闇は光よりも速いことになる。この闇の粒子がニュートリノの可能性があるだろう。
 次に、超越光の粒子であるが、これは以前示唆したことがある。しかしながら、この超越光説はうまく機能しないようだ。
 故に、今の段階では、もしニュートリノが超光速ならばという仮定で言えば、それは闇の粒子で説明できるかもしれないということになる。

追記:まだ、超越光の粒子説も可能性は残っている。超越光の反映がMP2(実軸点)に生起するとき、それは、光より速いのではないだろうか。その物質化がニュートリノかもしれない。これは以前示唆したことである。
 
 
ニュース記事:
「光より速い」ニュートリノ、再実験でも光速
(CNN) スイスにある欧州合同原子核研究機関(CERN)の国際共同研究グループOPERAは18日、素粒子ニュートリノが光より速く飛んだとする実験を再度実施し、同一の結果が得られたと発表した。

今年9月の最初の実験結果を受け、科学界で疑問が出たことなどを踏まえ再び行ったもので、実験装置を厳密に点検したほか、速度測定に工夫を加えるなどした。これらの実験結果が事実なら、光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論を覆す大発見で、現代物理学の根底を揺るがす可能性がある。

ただ、OPERAは再実験の結果が同じだとしても、実験の正しさなどの最終証明には中立的立場のほかの科学者の立証が必要であることに変わりはないとしている。

9月の実験では、1万5000個以上のニュートリノを使い、スイス・ジュネーブ郊外にあるCERNと730キロ離れたイタリアのグランサッソ研究所の間の地中で粒子加速器を用いて実施。ニュートリノが飛んだ距離と時間などを10億分の1秒単位まで厳密に計算した結果、光より速かったことが判明したとしていた。

再実験では、1個のニュートリノが作られる時間をより厳密に知るための工夫などを施して測定した。米ボストン大学のコーヘン物理学教授によると、この工夫はニュートリノ20個を対象にしたもので、各1個の速度測定が出来るなら、精密な実験結果につながるという。9月の実験では、特定のニュートリノの速度測定はしていなかった。同教授はOPERAには加わっていない。

イタリア国立核物理学研究所・グランサッソ研究所のボターノ責任者は、ニュートリノは今回の実験で光より62.1ナノ秒(ナノは10億分の1)速く到達したと述べた。

コーヘン教授は、再実験は最初の実験よりはるかに信ぴょう性のある結果となったとしながらも、解明が必要な部分がまだ多数あるとも指摘した。グランサッソ研究所のボターノ責任者は、実験結果の最終証明にはほかの科学者の新たな実験が必要とし、結果が確認されたとしてもアインシュタイン理論が全て否定されるわけではないとも説明。同理論を取り込んだより広がりのある理論が創出される可能性に言及した。

OPERAのような実験が出来る世界の加速器施設にはこのほか、各国が参加してT2Kプロジェクトを進めている日本のJーParcや米イリノイ州のフェルミ研究所がある。

スイスにある欧州合同原子核研究機関(CERN)の国際共同研究グループOPERAは18日、素粒子ニュートリノが光より速く飛んだとする実験を再度実施し、同一の結果が得られたと発表した。実験結果が事実なら、光より速いものはないとするアインシュタインの相対性理論を覆す大発見で、現代物理学の根底を揺るがす可能性がある

http://www.cnn.co.jp/fringe/30004648-2.html


ニュートリノは光より速いのか - 相対性理論を覆す可能性をCERNが提示 [2011/9/25]

ニュートリノ振動を検証する国際共同実験(OPREA実験)の研究グループは2011年11月17日、arXiv.orgに2011年9月22日に報告したニュートリノが光よりも早い可能性があるとした研究論文の第2版を掲載した。

SPS/CNGS(CERN Neutrino to. Gran Saaso)のレイアウト図

第2版では、OPERA検出器などを前回の研究に比べて高精度化を図ることで、CERN(欧州原子核研究機構:the European Organization for Nuclear Research)のニュートリノビーム源から、約730kmはなれたOPERA検出器までのニュートリノの速度を再度測定した結果を掲載した。

CNGSのビームライン(ニュートリノ発生装置)のレイアウト

再測定の結果、 真空時の光の速度を計算した場合に比べてニュートリノの到達時間は(57.8±7.8(stat.)+8.3-5.9(sys.))nsほど、早く到達したことが確認されたという(前回は60.7±6.9(stat.)±7.4(sys.)ns、ここでのstatは統計誤差、sysは系統誤差)。


LNGSのOPERAタイミング・システムのイメージ図(左)と、測定における各種の統計誤差(右)

これは、前回の実験とほぼ同じで、光の速度に対するミューニュートリノ速度との相対比率が(v-c)/c =(2.37±0.32(stat.)(sys.))×10-5ということに対応するという(前回は2.48±0.28(stat.)±0.30(sys.)×10-5)。また、この結果の信頼度は6.2σとなっている。


左図の左列が1回目、右列が2回目の測定で、下段が、ニュートリノの検出数(黒点)と陽子ビーム出力波形(赤線)を飛翔時間1043.4nsとして重ね合わせたもの。一方、右図は測定器の遅延時間。この飛翔時間から遅延時間を差し引いた結果が、今回の測定時間57.8nsが得られた

なお、研究グループは第2版の最後に、結論として、今回の解析結果は大きな衝撃となるが、まだ未知なる影響などが考えられることは依然変わっておらず、今後も研究を継続して行っていく必要がある、としている。

http://news.mynavi.jp/news/2011/11/19/001/


ニュートリノも素粒子 - 5分で理解する素粒子の基礎 [2011/11/2]

ヒトも物質も、分子でできており、その分子も原子の組み合わせで構成され、その原子も…とドンドン細かく分解していくと最後はどこに行き当たるのか。言葉通り、「それ以上分割できない粒子」のことを素粒子と呼びます。

例えば脆い石を壁に投げつけると粉々になります。その中の1つの粒をさらに拾い、その大きさに見合った小人がまた壁にぶつけるとやはり粉々になり、さらに小さな小人がまた壁にぶつける…この分割作業を繰り返していくと、逆にやがて硬い粒が出てきます。この粒はどんなに力自慢の小人が壁にぶつけても割れません。この粒を素粒子と言います。素粒子ほど硬くないものは単に粒子と呼びますが、石ぐらいの脆さだと、粒子とも言いません。

二酸化炭素の化学式はCO2で、炭素(C)が1つと酸素(O)が2つから構成されていることを表しています。Cは人体にもたくさん含まれている粒子で、体重70kgの人の場合16kgくらいの炭素があると言われています。16kgの炭素というと、粒子の数にすると1兆の1兆倍以上となるので、もしヒトを、素粒子レベルまで粉々にしようと思ったら、膨大な回数、小人の投手を登板させないと達成できないのです。

さて、素粒子はそれくらい小さいものなので想像がしにくいかもしれないが、実はいくつか種類があります。CやOでもヒトからすれば十分小さいですが、それでも違う名前がつけられているのはそれぞれに個性(役割や特徴)が違うためです。H2Oをたくさん集めると水として、CO2をたくさん集めると二酸化炭素として人間の生活に関わってきます。この2つは水素(H)とCが違うだけなのに、見た目や性質はまったく異なります。素粒子も同じで、個性が違うものがいくつもあります。
素粒子は大きく分けると2種類のみ!

一番身近な素粒子は「電子」と「光子」、そして最近、光よりも早いかもしれない、と話題になっている「ニュートリノ」があげられます。電子とニュートリノは「フェルミ粒子」と呼ばれる仲間で、光子はウィークボソンなどとともに「ボーズ粒子」と呼ばれる仲間です。

ヒトの身近に存在する"モノ"はだいたいフェルミの仲間と思ってよく、見えない力を伝えるのがボーズの仲間と思ってよいです。例えばレントゲンに使われるX線やセンサに使う赤外線など、すべての電磁波は光子で、可視光も光子です。これらは、どう見てもモノっぽくはないですね。電子もモノっぽくないかもしれませんが、電子機器はもちろん、ヒトの体の中にも電子はたくさんありますから、れっきとしたモノであると言えます。

ニュートリノはちょっと変わっていて、モノっぽくないけど、電子の仲間という変わり種の存在です。なぜ、電子の仲間に分類されるかを解説しようと思うと、それだけで話ができてしまうので省略しますが、1つ言えることは、「ニュートリノは力を伝えない」ということです。
"力"、それはメッセージの解釈

我々が平和に地球上で暮らせているのは、HやOといった粒子がさまざまな効果を発揮するほか、さまざまな"力"が存在するおかげです。

例えば、地球と人体の間には万有引力が働いています。これは超常現象でもなんでもなく、ちゃんと「重力子」という素粒子が力を伝えているために発生します。敢えて例えるならばボーズ粒子は「手紙」で、地球とヒトの体は、「私、こういった者なのですが、ご都合よろしければ引き合いましょう」という手紙を絶えず交換し続けている間柄ということになる・

手紙といっても、ビジネスレターから時節のあいさつ、ラブレターまで、いろいろ幅広いですが、素粒子のように小さいと手紙の内容は4種類に絞られます。その4種類の手紙はそれぞれ「重力」「電磁気力」「核力」「弱い力」という4つの力に対応しています。

それぞれに対応した手紙の内容は、簡単に表すと重力が「重力で引き合いましょう」、電磁気力が「電気の力で引き合う、もしくは遠ざかりましょう」、核力が「電気のことは気にせずにくっつきましょう」、弱い力が「くっついているところ悪いんだけど、別れよう」というものになります。単純な内容で、味気ないつまらない話に思えますが、素粒子も大きなモノも、手紙の内容を読まずにいると大変なことになるのは身に覚えがある人も居るでしょう。

極端な話、重力(万有引力)が存在しなければヒトもモノも宇宙空間に放り出されることになります。また、前述のように、ヒトの体には無数のCが含まれてますが、それは大雑把にいうと、陽子が6個集まったものです*。

陽子が集まっている近辺には中性子という粒子があり、この集まりを原子核という。この集まりから(粒子的に)かなり離れた位置に6個の電子が飛んでおり、この原子核と電子の距離がすなわち、炭素原子の大きさを表す

陽子はプラスの電気を持っているので、一般的な常識からすればプラス同士が近づけば反発してバラバラになろうとしますが、CはCとして存在し続けます。

磁石のSとS(もしくはNとN)を近づけても反発してずれてしまうのと似ている

これは、陽子と陽子の間に"核力"、つまり一種の引力が働いているためです。この核力の手紙に書かれた「電気のことは気にせずくっつきましょう」という内容は「グルーオン」と呼ばれます。
粒子によって、興味を示す対象(手紙)が違う

粒子はその種類により、力の感じ方が変わってきます。例えば仮定の話ですが、バスケットボールくんは地球さんが大好きですが、電気は嫌いなので電子さんから「光子」と書かれた手紙 (光子メール。以降、めんどうなので、電磁気力を電気メール、重力子を重力メール、グルーオンを核メール、ウィークボソンを別れメールとしましょう)が送られてきても読みません。しかし、大好きな地球さんから届く「重力子(重力メール)」という手紙は喜んで読み、その結果、そこに書かれている「電気の力で引き合いましょう」ということに興味を示し、お互いに引き合います。

一方、電子さんは電子さんで地球さんとは好きでも嫌いでもない関係なので、地球さんからの重力メールは、目を通し、「重力で引き合いましょう」と書かれていれば、一応読むには読みますが、それよりも大親友である陽子さんに「電気の力で引き合いましょう」と書かれた手紙をもらうと、そっちのほうが興味があるのでそちらに目が行き陽子さんと引き合うために喜んで動き出します。
独立独歩で我が道を行く"ニュートリノ"

ではニュートリノはどうでしょう。ニュートリノは非常に軽いフェルミ粒子で、電気メールも核メールも興味を示さず読みません。重力メールもたまに興味を示しますが、ほぼ読みません。こうした手紙を読まないということは、送っても返事をくれる相手がいないので、書かないということでもあります。ニュートリノが人体に向かって飛んできても、(人体を構成する無数の粒子は)誰もニュートリノに止まれという手紙を出さない(出しても読まれない)し、ニュートリノもニュートリノで人体(を構成する無数の粒子たち)に対して、動け、という手紙を出すこともありません。それ故に、人体をそのまま突き抜け、何らかの影響を及ぼすことがない無害な存在となっています。

え、中性子爆弾ってあるじゃないか、という人も居ると思いますが、これは中性子が電気メールを読まずに核メールを読むという性質を利用したもので、中性子が人体に入ると「中性子放射化」という現象が生じるために人体に影響が出てきます。

自分に興味をまったく示さないものが、たまたま自分の目のはしに映って、気になってきて逆に興味を持ってしまうというのが人間です。小柴昌俊氏がノーベル賞を受賞した理由は「天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出へのパイオニア的貢献」とされていますが、この検出とは、筆不精のニュートリノと手紙のやりとりをすることに他ならず、その手紙をやり取りするための装置が「カミオカンデ」であり、「スーパーカミオカンデ」です。

ただし、カミオカンデで送ったこちらからの手紙の返答を残念ながらニュートリノから直接もらうことはない。ニュートリノと水分子の衝突が「チェレンコフ光」と呼ばれる電気メールを誘発し、検出装置はそれを受け取って反応を示すためだ

2011年9月23日、ニュートリノをジュネーブのCERNから約730km離れたグラン・サッソのイタリア国立物理学研究所研究施設に飛ばしたところ、 2.43ms後に到着し、光速より速いことが計測されました。 ただし、この計測結果に対し、多くの人はニュートリノそのものに対する興味としてではなく、相対性理論に対する興味として話題にしています。

ニュートリノが光より早いかどうかと、相対性理論を直接つなげて話をすることは、追証の結果が出てからになるでしょう。その追証も、そんな数週間で出てくるわけがありません。1-2年は猶予を見る必要があるでしょう(2010年6月に小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った小惑星イトカワの微粒子の研究も、ようやく基礎的な部分の1部が成果として出てきただけで、これから世界各地で本格的な研究が開始されることを考えれば、その成果がどの程度後から出てくるか想像できるでしょうか)。

こうした世界的な科学に関するニュースが出た時は、その事象に対するアンテナだけは張っておくことに損はありませんが、焦ってもすぐにさらに細かな情報が出てくることは残念ながらありません。次の情報が出るまで、ヤキモキして待つのも良いですが、自分の興味のある分野の研究や科学技術の動性など、そうした話題が出る前から追いかけてきたものをもう一度見直してみると、また、新しい発見や考察が出てくるかもしれません。

http://news.mynavi.jp/news/2011/11/02/003/index.html


ダブルショー実験が近距離での反電子ニュートリノの消失現象を報告

http://news.mynavi.jp/news/2011/11/09/090/index.html
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2011年11月16日 (02:12)

思考実験:原子とmedia point:虚軸点の氣と実軸点の原子

テーマ:science

これまで、私は原子ないし原子核について、PS理論からほとんど論じてこなかった。理由は光と物質の関係の解明が支配的であったからだ。
 今、簡単に原子について思考実験してみたい。
 直観では原子はmedia pointの実軸(実軸点)で形成されると思われる。凸i(i)と凹i(-i)が連続化し、物質化、粒子化すると考えられる。(以下、簡略化のため、凸iをi、凹iを-iとして考察する。)
 実軸点において、iが陽子となり、-iが電子となる。水素原子の場合、これで原子を構成する。
 それ以外の原子の場合、中性子が入るが、それは、実点自体と見るべきかもしれない。
 そう、実点において、media pointの一種収縮、物質的収縮が行われると思われる。それは原子化と言えるだろう。
 つまり、エネルギー(氣)が物質化、粒子化するのである。(量子化とも言えよう。)
 それは微小空間化とも言えよう。media pointの微小空間化である。そして、繰り返せば、iが陽子化し、-iが電子化し、実軸点が中性子化することになる。ただし、水素原子の場合は実軸点は空(φ)となる。
 直観では多様な原子はmedia pointの時間的ずれによる共振から形成されるのかもしれない。あるいは、実軸点の融合から生まれるのかもしれない。この点は後の問題としたい。
 とまれ、このmedia pointの微小空間化が原子ということであり、これが電磁的に融合して分子を形成し、いわゆる物質体を形成するのではないだろうか。それが、⇒+1の+1である。
 とまれ、簡単に整理すると、根源エネルギー(氣)がmedia pointにおいて、実軸変換すると、実軸点において、微小空間化=原子化が生じ、原子が形成される。iが陽子、-iが電子、そして、実軸点が中性子(水素原子では空)となる。原子核はiと実軸点の結合点、即ち、 実軸点のiの方向への近傍に存するのではないだろうか。
 とまれ、原子の基本はiと-iとの実軸点を中心とする『対立』ということになる。(これを均衡とすると限定されたものになる。)
 原子の生成への試論は以上であるが、原子生成以前の事態について考えると、当然、media pointの虚軸(虚軸点)の様態のことになる。それは、いわば、差異共振点であり、私見では氣のエネルギーが存するのである。
 それは、超越的存在から派生する超越的エネルギーをもっていると考えられる。
 先にも述べたように、氣から物質への変換は即非的変換であり、実軸点は超越性・即非・物質性の様態である。とまれ、物質性の方が主であり、超越性は従であると考えられる。ついでに言えば、虚軸点においても、超越性・即非・物質性があるが、超越性が主であり、物質性は従であると考えられる。
 ここで免疫力について考えると、虚軸点の氣が免疫力の根源だと思われる。飯山一郎氏が乳酸菌のそれを説くが、乳酸菌とは虚軸点の氣を強くもつ細菌と考えられる。
 また、放射能を浄化する光合成細菌であるが、それは実軸点における対立から生じる放射性崩壊の物質エネルギーを生命保持に活用する生命体と言えよう。ここには、生命体の根源・原始的様態が見られるのではないだろうか。
 
参考1:

原子の構造

現在では、原子と電子の関係は量子力学によってほぼ解明されているが、原子核のことは今でもわからないことは多い。また、量子力学 の発展に伴い、当初の原子論が暗黙裡に含んでいた素朴な図式・世界観(球状の何かの想定、モノが絶対的に実在しているという素朴な観念、つまり非確率論的に実在しているという素朴な観念)は根本的に崩壊した。物理学の理論全体としては、原子論は当初となえられていたものとは極めて異質なものになっている。
原子の構造 [編集 ]

原子は、正の電荷 を帯びた原子核 と、負の電荷 を帯びた電子 から構成されると考えられている。原子核はさらに陽子 と電気的に中性な中性子 から構成される(ただし水素原子 の99.985%を占める1Hは中性子を含まない)。陽子と中性子の個数の合計を質量数 と呼ぶ。原子核の半径は原子の半径の約10万分の1(1 fm 程度)と小さい。なお、一般的な原子の模式図は原子核の大きさを原子に対して数分の1程度に描いているが、これは実態とはかけ離れたデフォルメである。原子は硬い球体というよりも、むしろ真空の中に存在する点状の原子核と電子である。但し、電子はしばしば描かれる模式図のように特定の軌道を描いて原子核のまわりを回っているのではなく、原子核のまわりに確率的に分布しており、原子核を電子雲が包むイメージのほうがより現実に近い。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90

放射性崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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放射性崩壊(ほうしゃせいほうかい、radioactive decay)は、不安定な原子核 (放射性同位体 )が様々な相互作用によって状態を変化させる現象である。放射性壊変(ほうしゃせいかいへん)、放射壊変(ほうしゃかいへん)、原子核崩壊(げんしかくほうかい)、あるいは、単に崩壊とも呼ばれる。
放射性崩壊の種類 [編集 ]

これらの現象の詳細は、個別の記事を参照のこと。

アルファ崩壊
アルファ粒子 を放出し、陽子 2個・中性子 2個を減じた核種 に変わる。核分裂反応の1つとして認識されることもある(例:226Ra →222Rn )。
ベータ崩壊
質量数 を変えることなく、陽子・中性子の変換が行われる反応の総称で、β-崩壊(陰電子崩壊)、β+崩壊(陽電子崩壊)、電子捕獲 、二重ベータ崩壊 、二重電子捕獲 が含まれる。
ガンマ崩壊
それぞれの崩壊を終えた直後の原子核には過剰なエネルギー が残存するため、電磁波 (ガンマ線 )を放つことにより安定化をしようとする反応である。
核分裂反応
非常に重く不安定な核種では、その核が質量の小さな原子核に分裂し、巨大なエネルギーを放つとともに、より安定な核種へと変化する。例えば、235U に中性子 を衝突させると、95Mo と139La に分裂し、2つの中性子 を放出し、欠損した質量 分のエネルギー が発生する。
自発核分裂
核分裂反応のうち、自由な中性子の照射を受けることなく起きる核分裂を指す。現象そのものは人為的な核分裂反応と変わらない。
核異性体転移
ITと略される。原子番号と質量数ともに同じで、エネルギー準位 が異なるような2つの核種を、核異性体 であるという。例えば、99Tcと99mTcは互いに核異性体である。エネルギー準位が高いほうは記号mを付けて区別するのだが、こちらは準安定状態 (メタステーブル)であり、余剰のエネルギーを放出して安定になろうとする。エネルギー準位が高いほうの核異性体がガンマ線を放出して、より安定な方の核異性体に変化することを、核異性体転移という。放出される放射線はガンマ線であり、原子核の原子番号と質量数はともに変化しない。

99mTc → 99Tc + γ (T1/2=6.01h)

一部の核異性体転移では、ガンマ線が軌道電子にエネルギーを与えてはじき出す。これを内部転換 という。電子がはじき出される点でベータ崩壊に似ているが、原子核は変化しておらず、自らの原子はイオン化される。

崩壊熱 [編集 ]

放射性物質 は、核爆弾 や原子力発電所 の運転中の炉心のような中性子の照射を受けることで大量、または多量のエネルギーを放出する連鎖反応を伴わない場合でも、放射性崩壊によってそれ自身が勝手に核種などを変えてゆくため、その過程で放出される放射線のエネルギーが周囲の物質を加熱し、崩壊熱 (decay heat) となって現われる。時間当たりに放出される崩壊熱のエネルギーは不安定な物質であるほど大きく、その大きさは元の放射性物質がしだいに放射線を放って比較的安定である核種や安定核種へと変化するに従って減少する。例えば原子炉の炉心では発電のための核反応を停止しても、その1秒後で運転出力の約7%ほどの熱が新たに生じ、時間の0.2乗に比例して減少しながら1日後でも約0.6%の熱が放出される[1] 。
半減期 [編集 ]

核種ごとに一定時間内において崩壊 する確率 が異なっている。この確率 を計算 することにより半減期 を知ることができる。同じ化学的元素 であっても質量数の異なる同位体ごとに半減期は異なる。たとえば、質量数238のウラン の半減期は44億6800万年 であるのに対して、質量数239のウランの半減期は23.5分 である。たった1つ中性子の数が異なるだけで、これほど大きな違いが生じるのである。

極端に長い半減期を持つ核種が存在する。質量数115のインジウム の半減期は441兆年、質量数149のサマリウム では2,000兆年である。質量数209のビスマス は、2003年まではもっとも重い放射能を持たない核種として知られていたが、これは1.9×1019(1,900京)年に及ぶ半減期の放射性核種であると認められた。これらの極端に長い半減期を持つ核種は学術上、放射性物質に分類されるが、実質的には安定したものと考えて差し支えない。

超重元素 の分野では、1秒に満たない半減期の核種が多数を占める。たとえば質量数266のマイトネリウム の半減期は0.0034秒、質量数267のダームスタチウム の半減期は0.0000031秒である。簡単に言うならば、あまりにも原子核が大きくなりすぎて、その結合を保っていられる期間がこの程度の長さしかないということである。

半減期の短い核種は、どんどん崩壊していき放射能 を失っていくが、短時間に多量の放射線を放つため直接的な被曝 の危険度が高い。半減期の長い核種は、少しずつしか放射線を放たないので一時的に被曝する放射線量は小さいが、いつまでも放射線を放ちつづけるため長期的な問題を抱えることになる。特にウランやプルトニウムなどは最終的に放射能のない鉛 に到達するまでには約20回もの崩壊を経由せねばならず、全量が鉛となるまでの総時間は、現実的な思考の及ぶ範囲を超える長さである。放射性物質を平和 的に用いようが、軍事 的に用いようがこの問題はいっさい切り離すことができない。

特にかつては、半減期数万年の核種を数万年保管せねばならない事が、原子力発電のネックであった。しかし、最近、長半減期物質を分離して、加速器駆動未臨界炉 において中性子を照射して、自然崩壊ではなく、核分裂させて、短半減期核種に変換できる見通しが立てられた。これにより500年以下の保管で天然ウラン鉱石以下の放射線に低下させて廃棄/鉛やバリウムとして一般使用が可能になるとして開発がすすめられている。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E5%B4%A9%E5%A3%8A


参考2:

【お勉強】 『光合成細菌と乳酸菌で放射能を浄化!』 …が最初から順番に読めるようになりました.

たたかう老人! 飯山一郎の ハッタリなしの 口演会場 .

http://grnba.com/iiyama/hikari.html

2011年09月24日 (19:44)

光とは何か:光のMP2同一性形式回路と超越光のMP1物質変換回路

以下から、光は差異を物質へと変換させる精神原理であると考えられる。精神的フィルターでもある。
 それは、いわば、媒介の原理であり、それ自体は物質ではなく、物質の形式生成エネルギーのようなものではないだろうか。(思うに、そう考えると、光は気である。光を電磁波と捉えるのは、やはり、media pointの実軸点において、考えていると思う。虚軸では気であると思われる。)
 そして、この物質形式生成エネルギーは現象界では、秒速約30万㎞である。しかし、それは実軸点においてであり、虚軸点あるいは、虚軸点と実軸点の中間様態においてではない。
 では、昨日超光速粒子であると発表されたニュートリノとはどう考えられるだろうか。
 ここで先ほど述べた、MP1とMP2との連関、相関を考えたい。即ち、MP1とMP2との即非様態のことである。前者は超越光が形成され、後者は現象光が形成されるのである。光自体は 両者の中間態である。
 すると、超越光>光>現象光というような図式が考えられる。ただし、>は量ではなく、質的差異を意味する。即ち、左辺は質的に精妙であるということである。あるいは、純粋であるということである。
 だから、超越光は光よりも精妙、純粋なのである。だから、前者がMP1→MP2変換をしたとき、超越光が現象界に物質として形成されることが考えられる。これは、光よりも精妙な、純粋なものなので、光の力学を超えると考えられるのである(作業仮説)。
 ここで思考実験であるが、光⇒MP2⇒物質形式変換とMP1⇒MP2⇒物質変換とは力学が異なるのではないだろうか。後者は光をパスしている可能性があるのではないだろうか。換言すると、光の同一性回路とは別の超越光物質回路があるのではないだろうか。それが、ニュートリノを形成しているのではないだろうか。
 また、その超越光物質回路であるが、それは、凹(-1)⇦MP2のdark matterへの志向性もあるように思えるのである。⇦は先の検討では、dark energy、反重力になるのである。
 とまれ、今は問題提起のみである。
 
参照:

「光」 =「ひ」とは何か:阿弥陀如来 の光、イデア の太陽

[叡智学] 「光」 =「ひ」とは何か:阿弥陀如来 の光、イデア 界の太陽

先の検討 から 、イデア 界の光とは、差異境界である と考えられる。これは、連続 化へと進展するもの である 。そう、「光」 とは共通項なのである 。公約 数なのである と思う。アインシュタイン の相対性理論 とは、このことを意味 しているのではないか 。光速度 の一定 の原理 。もし、イデア 界において、差異境界が光速 であれば、もっとも超光速 である が、それは、知即存在 である 不連続的差異 ・イデア を交通 する存在 である 。そう、差異連続 化するもの としての「光」 が考えられるのではないか 。これが、万象の共通項であろう。そして、メディア 界の光をもって現象界が生起するが、連続 化の原理 とは、差異連続 境界である 光の原理 であろう。e=mcc という原理 とは、正に現象界の原理 だろう。つまり 、光速 とは、イデア 界における差異境界の超光速 の現象界での速度だろう。すなわち、光とは、イデア 界と現象界とをつなぐメディア 界的存在 だろう。阿弥陀如来 の無量光とは、イデア 界の差異境界の超光であり、同時にプラトン の言う善のイデア であろう。御来光の光とは、このことである し、大日如来 もそうである し、卑弥呼 (日巫女 )の日やアマテラス もこれであろう。二月堂の御水取りの大松明の火も、これであろう。また、ゾロアスター教 の火もこれであろう。そう、キリスト の光=火も、本来は、これであろう。結局、「光」 とは、イデア 界の差異境界=超光を指していると言えよう。そして、これは、不連続的差異 ・イデア の集合体である イデア 界を指しているのである 。光とは、ある意味 です べてである 。「光あれ」とは、ある意味 で尊大 な言い方だろう。父権 的な言い方だろう。「光ありき」が正しい。そう、初めに、不連続的差異 ・イデア と「光」 ありきである 。不連続的差異 ・イデア 即「光」 である 。阿弥陀如来

http://blog.livedoor.jp/renshi1900/archives/15064766.html

プラトニック・ソフィエンスの創造 :新叡知科学 へ向けて

2011年09月08日 (11:10)

検討課題:ブラックホールとは何か:media pointとブラックホール

直観ではブラックホールはmedia pointと関係する。問題は重力である。ベクトル・モードの形成力学において、中心の軸となるベクトルの核へ引力(重力)がはたらくのではないのか。簡単な円運動を考えればいいだろう。
 回転運動は向心力があり、それが、重力とすればいいだろう。そうすると、media pointが重力の中心となるのではないだろうか。だから、ブラックホールはmedia pointを中心に形成されることが考えられる。
 そうならば、ここにはパラドクシカルな事態が生じている。すなわち、media pointは精神の核であるのに、同時に、重力の核であるということになるのである。光の核なのに、物質の核ということになるのである。
 しかし、重力は物質とは言えないだろう。だから、重力を物質の核ということは正しくない。
 では、光の核であり、重力の核であるということは何を意味するのか。光子と重力子は同質なのではないのかということが考えられる。そう、ただ正負が正反対だけなのではないだろうか。あるいは、両者、極性があるのではないだろうか。
 とまれ、これは検討課題である。

追記:ブラックホールは物質が集積されるところでもあるが、それを重力の核とは呼べても、物質の核と呼ぶの間違いである。物質の核は通常、原子核である。

ブラックホールに迫った=位置を精密観測―おとめ座銀河・国立天文台など

時事通信 9月8日(木)2時13分配信
 おとめ座の方向に約5440万光年離れたM87銀河の中心にある超巨大ブラックホールの位置が、米国立電波天文台が運用する電波望遠鏡10台の観測網で精密に突き止められた。国立天文台水沢VLBI観測所(岩手県奥州市)で研究する総合研究大学院大学生の秦和弘さんや、宇宙科学研究所の土居明広助教らが 8日付の英科学誌ネイチャーに発表した。
 ブラックホールは極めて重力が強く、近くでは光さえ逃れられない。このため、ブラックホールは文字通り「黒い穴」に見える。一方、黒い穴の外側では、周りの物質がのみ込まれる際に激しくぶつかり合って高温となり、ジェットと呼ばれるガスの噴流が生じて光り輝いている。
 M87ブラックホールの黒い穴の直径は、地球と太陽の距離の240倍。秦さんらが観測したブラックホールの位置の誤差は、地球から見た角度で1度の1億 8000万分の1、黒い穴の直径のわずか2倍にとどまった。土居助教は「今後、黒い穴そのものを影として見たい」と話している。研究成果はブラックホールの周囲の現象を詳細に解明するのに役立つと期待される。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110908-00000009-jij-soci

ブラックホール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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曖昧さ回避 「ブラックホール」のその他の用法については「ブラックホール (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
<<シミュレーション画像>>天の川 を背景として、太陽質量 の10倍のブラックホールを600km離れた場所から見たと想定して、理論 的に計算し、描画してみたシミュレーション 画像である(Ute Kraus 作成、2004年[1] )。光がブラックホールに落ちていくために真っ暗に描かれ、その周囲は光がねじ曲げられて、背景の星が集まるように描画されている。

ブラックホール (black hole) とは、きわめて高密度 で大質量 で、きわめて強い重力 のために、物質だけでなく光 さえも脱出できない天体のこと[1] 。

「ブラック・ホール」(黒い穴)という名は、アメリカ の物理学者 ジョン・ホイーラー が1967年にこうした天体を呼ぶために編み出した[2] 。それ以前は「collapsar[3] コラプサー」(崩壊した星)などと呼ばれていた。
概説 [編集 ]

21世紀初頭現在、ブラック・ホールは仮説 的存在であり、ブラックホール自体を直接観測することにはまだ成功していない。だが、宇宙の特定のエリアにおいて、ブラックホールが存在すると想定すれば、理論的に予想される物質の運動に相当する宇宙ジェット や、ブラックホールに吸い込まれていく物質が出すと理論的に予想されるX線 は観測されていることから、ブラックホールが実際に存在することはほぼ確実だろうと多くの科学者から見なされている。

その中心に特異点 が存在する、と考えられている。

ブラックホールは、大質量 の恒星 が超新星 爆発した後、自己重力 によって極限まで収縮することによって生成したり、巨大なガス雲 が収縮することで生成する、と考えられている。外部世界との境界は、事象の地平面 (event horizon) と呼ばれる。

銀河の中心には、太陽質量 の×106から×1010倍程度の超大質量ブラックホール (super-massive black hole) が存在すると考えられており、超新星爆発後は、太陽質量の10倍から50倍のブラックホールが形成されると考えられている。20世紀末には、両者の中間の領域(太陽質量の×103程度)のブラックホールの存在をうかがわせる観測結果も報告されており、中間質量ブラックホール (intermediate mass black hole; IMBH) と呼ばれている。

ブラックホールの周囲には非常に強い重力場が作られるため、ある半径より内側では脱出速度 が光速 を超え、光 ですら外に出てくることが出来ない、とされる。この半径をシュヴァルツシルト半径 と呼び、この半径を持つ球面を事象の地平面(シュヴァルツシルト面)と呼ぶ。

ブラックホールは単に元の星の構成物質がシュヴァルツシルト半径よりも小さく圧縮されてしまった状態の天体であり、事象の地平面の位置に何か構造があるわけではない。よってブラックホールに向かって落下する物体は事象の地平面を超えてそのまま中へ落ちて行く。ブラックホールから離れた位置の観測者から見ると、物体が事象の地平面に近づくにつれて、相対論 的効果によって物体の時間の進み方が遅れるように見える。よってこの観測者からは、ブラックホールに落ちていく物体は最終的に事象の地平面の位置で永久に停止するように見える[4] 。同時に、物体から出た光は赤方偏移 を受けるため、物体は落ちていくにつれて次第に赤くなり、やがて可視光 から赤外線 、電波 へと移り変わって、事象の地平面に達した段階で完全に見えなくなる、とされる[要出典 ]。

ブラックホールの中心には、密度、重力が無限大である特異点 がある、とされる。

数式上は、すべての物質を呑み込むブラックホール解と相反するものとしてホワイトホール (white hole) 解が存在する[要出典 ]。


ブラックホール - Wikipedia

2009年12月27日 (19:10)

検討問題:Media Point・精神的フィルターのエネルゲイアとしての即非様態

今日は逍遥派スタイルである。即ち、森を貫く道路沿いの歩道を歩いたり、森の中を歩きながら、考えた。
 Media Point(以下、MP)において、即非・差異共振現象が生起する。これは、「光」現象である。
 しかしながら、+1と-1の極性をもつ「光」現象である。そして、+1が光の極であり、-1が「闇」の極であると思う。
つまり、「光」現象とは、実は、光の面と闇の面をもつと考えられる。ただし、闇とは、通常の闇ではないのである。だから、正確に言えば、不可視性である。
 即ち、「光」現象とは、光面と闇面、可視面と不可視面の両面が即非様態にあるのであるが、一般的には、前者しか知覚していないと考えられる。
 それだからこそ、ダーク・マターやダーク・エネルギーの問題が出てくると考えられるのである。
 思うに、「光」を超光、トランス・ライト、マハー・ライト、大光、等と呼ぶ方が適切である。暫定的に、大光と呼ぶ。
 だから、大光は光極(光面)と闇極(闇面)をもつ極性体である。
 しかしながた、旧来の科学は、光極だけしか知らず、闇極に無知であったのであり、そのため、今日、ダーク・マターやダーク・エネルギー等の問題が出現していると考えられる。
 しかし、ダーク・マターやダーク・エネルギーを光ないしは大光とは別のものと考える限り、宇宙の謎は解明されないだろう。
 光と闇の極性をもつ大光を想定しない限り、解明されないと考えられる。
 西洋文明は、光極に傾斜した文化をもち、闇極を排除してきたのであるが、今や、後者を是認する必要に迫られていると言えよう。
 また、ここから、量子とは何かということも洞察できるだろう。量子あるいは光子とは、やはり、光極中心の考え方であり、闇極を考えていないのである。だから、非局所的長距離相関の仮説が生まれるのではないのか。
 以上の視点から言えば、もともと、「量子」は、即非極性的なエネルギーであり、同一性に限定できないのである。だから、双子(そうし)、対子(ついし)、極子(きょくし)、あるいは、即非子と呼ぶ方が明快である。
 具体的に言えば、大光とは、可視光であり、非可視光である。後者は赤外線や紫外線ではないことに要注意である。
 そして、肉眼とは可視光への視覚性であり、心眼とは非可視光を包摂した大光への視覚性ではないだろうか。
 また、さらに展開すると、身体、精神、「気」等とは何かとなる。
 ここで、先ず、「気」の問題について述べたい。私の今日の直感では、「気」とは、-1である。つまり、大光の極性において、光の極(+1)があり、他方、「気」の極(-1)があるのではないだろうか。
 そして、光子とは、+1であり、量子論は、-1の「気」を的確に捉えていないのではないだろうか。言い換えると、ダーク・マターとして、-1を捉えているのではないのか。
 ここで、暫定的に、光子の対極として、暗子を仮説する。そして、電磁波の一様態として、光子があるが、他の様態として、暗子があるのではないだろうか。そして、それこそ、ダーク・マターの単位ではないのか。
 また、ダーク・エネルギーであるが、それは、大光自体がそうではないのか。
 今はここで留める。

参考:

●EPRパラドックス --- アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関

 すでに何回か繰り返した話だが、量子力学建設後、アインシュタインは確率解釈を基軸とするコペンハーゲン流の正統的量子力学に強く反発した。彼の反発は、ボーアをはじめ当時の指導的物理学者たちを大層驚かせたようだ。無理もない。かつて、アインシュタインは量子論発展の先頭に立っていた人だ。しかも、ブラウン運動論や光子の統計分布などでは、物理学における確率論的手法の開拓者でもあった人だ。衝撃はあまりにも大きく、その驚きを書き残している人もいる。歴史に残るアインシュタイン-ボーア論争は、そのような雰囲気の中で始まった。
 しかし、そのような反発はアインシュタインばかりではなかった。量子論の始祖プランク、物質波仮説のド・ブロイ、波動力学の創始者シュレーディンガーなども、正統的量子力学の受け入れを渋った。ド・ブロイは一時コペンハーゲン流量子力学を受け入れたが、あとで拒否し、彼独自の解釈を推進し続けた。あとで触れるが、シュレーディンガーもブラウン運動論の視点から彼独自の解釈と方法で量子力学の再構築を試みたことがある。シュレーディンガーがコペンハーゲンを訪れて病気になったとき、ボーアがその枕元に長時間座って説得を続けた話は有名である。
 しかし、何といっても、アインシュタインの反発が一番すさまじい。彼はコペンハーゲン流量子力学の矛盾点をえぐり出す目的で、いくつかの思考実験やパラドックスを考察してボーアなどの正統派に挑戦したのである。その一つはすでに紹介した(「粒子を見るか波動を見るか」 参照)。別のあるパラドックスに対しては、ボーアはアインシュタインの質問に答えて、アインシュタインの創設した一般相対性理論を使って応酬するという一幕もあった。これも物理的観点から見て大層面白いパラドックスだった。しかし、アインシュタインの出したパラドックスをすべてここで紹介する必要はあるまい。結局、それらのパラドックスはすべてボーアによってコペンハーゲン流量子力学の枠内で解決されてしまい、量子力学自身の改変までまでには至らなかった。とはいえ、緊張感を伴った彼らの論争は、量子力学の内部理解にとって極めて有益だったのである。
 ボーアがすべて解いてしまったといったが、ただひとつだけ、いまだに重い疑問として物理学者の心の中に残り、繰り返し論争を呼んでいる問題がある。EPRパラドックスがそれである。 

(EPRパラドックス --- アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関)
 1935年。アインシュタインはポドルスキー(B. Podolsky)、ローゼン(N. Rosen)と連名の論文を『フィジカル・レビュー』誌(アメリカ)に発表して、量子力学の記述が不完全だと主張した。その論文の表題は、「Can quantum-mechanical description of physical reality be considered complete? --- 物理的実在の量子力学的記述は完全と考えられるか?」であった。その際、考案されたのが、アインシュタイン-ポドルスキー-ローゼンのパラドックスである。通常、簡略化してEPRパラドックスという。アインシュタインたちは、その論文の冒頭で「物理的実在」に関する見解を述べている。EPRパラドックスそのものを説明する前に、まずその見解について語る必要があるだろう。
 アインシュタインたちは、次のような基準体をおいて物理的実在(physical reality)について考える。


 (a) 力学系を乱すことなく、ある物理量の値を測定できるとき、その物理量に対応する物理的実在の要素が存在する。


 (b) 物理学の理論体系は、物理的実在のすべての要素に対応する部分をもたなければならない。


 この基準には、自然界は確かな客観的な存在であるべきだとするアインシュタインの強固な信念が表明されている。徹底的な古典物理学的自然観だといえるだろう。アインシュタイン-ボーアの論争の根元はこの自然観にあるのだ。
 アインシュタインたちは、この基準によって量子力学を批判するのであるが、批判点を明示するために工夫された思考実験がEPRパラドックスだ。原論文では、ある相関関係をもつ二個の粒子の位置と運動量の測定を題材にしているが、忠実に紹介するには少々面倒な数式を使う必要がある。それはやめて、概略を説明するだけにしておこう。本質は、それで理解できると思う。
 いま二個の粒子A、Bからなる力学系を考える。各粒子は、二つの値a、bしか取らない特定の力学量をもっているとする。この力学量が値aをとる場合と、値bをとる場合とは排他的である。例としては、スピンなどを考えればいよい( 電子のスピン/パウリの排他原理 参照のこと)。この力学系を相手に、次のような思考実験を設定するのだ。
 いま、この力学系には、A(の力学量)が値aを取ればB(の力学量)が値bを取り、A(の力学量)が値bを取ればB(の力学量)が値aを取という相関関係が与えられていたとする。例としては、第五章の「スピンと波動関数」 の項のスピン状態χ+(s, s')またはχ-(s, s')などがある。(簡単のために、これからは断りなしに「の力学量」および「値」という言葉を省略することもある。)この相関関係があるとき「Aがa、Bがb」および「Aがb、Bがa」という運動状態が同時に存在する。したがって、そのおのおのの波動関数を、それぞれ、Ψ1(Aがa、Bがb)とΨ2(Aがb、Bがa)と書くことにすれば、重ね合わせの原理により、この力学系の状態は

Ψ=Ψ1(Aがa、Bがb)+Ψ2(Aがb、Bがa)

でなければならない(Ψはプサイと読む)。この相関関係が成立した後、AとBを十分遠く(たとえば、宇宙の中で星間距離ほど遠く)引き離して、Aがいる場所でAの力学量の測定を行う。その結果、第一の場合として、A(の力学量)が(値)aを取ったことがわかれば、「波動関数の収縮」Ψ→Ψ1(Aがa、Bがb)が起きるはずだ。したがって、ただちにB(の力学量)が(値)bを持っていることを知る。第二の場合として、測定結果がA(の力学量)の値としてbを与えたとすれば、「波動関数の収縮」は、Ψ→Ψ2(Aがb、Bがa)であり、ただちにB(の力学量)が(値)aを取ることを知るわけだ。
 いずれの場合も、宇宙的距離ほど離れたBに情報が瞬時に(光の速度を超える速さで)伝わった! なんとも不思議である。これを非局所的長距離相関という。
 今の話では、簡単のために、素朴コペンハーゲン解釈を使い、一方の分波(Ψ1またはΨ2)消えると議論した。しかし、第6章で詳しく述べたように、正しくは「波動関数の収縮」は、両分波の位相相関が喪失して排他的事象に対応する確率の和に分解することだ。そのように話を進めても、結論は同じである。
 ところで、AとBは遠く離れているのだから、第一の場合も第二の場合も、Aに対する測定がBを乱すことはない。まず、第一の場合を考えよう。この場合は、Bを乱すこともなく、B(の力学量)の値bがわかったのだ。したがって、基準(a)によれば、Bのその力学量は物理的実在の一要素である。しかも、この状況はAに対する測量とは無関係に、始めからB(の力学量)が確定値bを取っていたことを意味する。一方、第二の場合からも、同様の論理でBのその力学量が物理的実在の一要素であるという結論が出てくる。しかし、今度は、初めからB(の力学量)の値はbではなく、aに確定していたのだ。
 物理的実在に対応する力学量の値が、初めから、たがいに排他的な値aとbを取っていたという結論は矛盾以外の何物でもない。だから、量子力学は間違っているというのだ。
 ボーアは、これに対して、同じ表題の論文で次のように答えた。このパラドックスの根源は、Bとは無関係にAについての測定が行われるとしたところにある。相関関係が確立している場合は、全体を一つの力学系と考えなければならない。したがって、Aについての測定操作は二個の粒子からなる力学系全体に及ぶはずである。ボーアはこれを分離不能性という。非局所的長距離相関の本質はここにあったのである。これを取り除いてしまうと、量子力学の成功の重要な部分が、ほとんど失われてしまう。けっきょく、EPRパラドックスは、アインシュタインが主張する「物理的実在」という古典的概念が量子力学と両立し得ないことを示す物だと、ボーアは結論する。
 とはいえ、このような分離不能性または非局所的長距離相関は何はともあれ不思議だ。本当に、宇宙的空間をへだてた二つの粒子の間の相関関係が瞬時に現れるのか? アインシュタインならずとも、疑問に思う。
 この疑問は思弁的討論だけで済ませるべき問題ではない。長距離相関の存在は現実の実験で確かめることのできるはずなのである。アインシュタインが問題を提起した1935年頃は、思考実験でしか考えられなかったが、実験技術の格段の進歩のおかげで、今や実験室実験が可能になった。すでにかなり前から、いくつかの試みがあったが、この10年ほどの間に見事な実験が行われた。フランスのアスペ(A. Aspect)とそのグループ、およびスコットランドのクラインポッペン(H. Kleinpoppen)とその協力者たちの実験である。いずれも、一つの原子から反対方向に放出された相関関係をもつ二個の光子を使い、十分離れたところ(といっても実験室の中だが)で、両方の光子の間に量子力学のいう相関関係が保たれているかどうかを調べた実験だ。
 結果は量子力学の予言どおりであった。アインシュタインが嫌う非局所的長距離相関(ボーアのいう分離不可能性)が実験的に証明されたのである。若い物理学者アスペが、最初に、この実験に成功し、ベテランの実験家クラインポッペンが、それを追認した。彼らの実験は、直接的には「ベルの不等式」の検証という形で行われた。ベルの不等式についてはあとで触れる。
 改めて見直せば、アインシュタインの嫌う非局所的長距離相関は量子力学が突出するところには必ずといってよいほど存在する。ボーアの主張するように、アインシュタインのいう「物理的実在」についての古典的概念は量子力学とは矛盾するものなのだろう。この意味でも、古典的な素朴実在論は量子力学では成立しない。結局、アインシュタインは、量子力学を受け入れないまま、量子力学を理解できない年寄りと思われたまま、1955年に死んだ。まだ今のようなアインシュタイン・ブームがの起きる以前のことである。さびしい晩年だったに違いない。(量子力学入門 並木美喜雄 岩波新書より)
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2008年11月04日 (01:04)

思考実験:光とは何か:2:光の粒子は質量ゼロ:非物質・即非・物質としての光:複素数としての光?

先に、光は粒子ではなく、Media Pointではないかと考えたが、問題は質量がないことをどう捉えるのかということにある。
 先には、質量がないことから、粒子ではないと考えたが、質量がないということではなくて、質量がゼロであると捉えるべきではないかと考え直したのである。無いというと存在が無くなるように思えてしまうが、ゼロならば、有であり、質量ゼロと捉えることができる。
 そうすると、光は、やはり、粒子性をもつのである。質量ゼロの粒子である。これならば、問題はない。
 では、残った問題は、同一性=物質の公式から見ると、光は物質になるが、それでいいのだろうか。言い換えると、粒子は物質なのか、という問題である。
 今、暫定的に述べると、光は非物質であり、且つ、物質であるとしよう。非物質とは、超越性、イデア性である。虚数性である。
 そうすると、光は、複素数になるだろう。虚数が超越性であり、実数が物質性である。
 次の問題は、波動性である。結局、超越波動が根源にあり、それが、Media Pointを介して、同一性=物質面において、波動形態として発現するということではないだろうか。
 思うに波動こそが、Media Pointの変換性を明示するものではないだろうか。端的に、波動とは、超越波動の物質面における痕跡ではないだろうか。それに対して、粒子とは、超越波動が同一性化したものである。
 結局、光とは、二重様態をもつということである。いわゆる、粒子と波動の相補性と呼ばれるものであるが、それは、粒子と波動の二重様態性と言えるだろう。
 だから、有名な二重スリットの実験であるが、それは、光の二重様態が作用しているのであり、思うに、粒子は、両方のスリットを通過しているのではないだろうか。つまり、光は単に粒子ではなくて、粒子・且つ・波動なのであるから、そのような二重スリットの通過が考えられるのではないだろうか。
 言い換えると、光の粒子は、波動的粒子であり、分散すると言えるのではないだろうか。言い換えると、分散的粒子、分散多重粒子である。
 このように考えると、問題の非局所的長距離相関も解明されるのではないだろうか。正反対の方向に分化した2つの粒子、2つの分散粒子であるが、それらは、Media Pointによって、2つの粒子は共振・共鳴していると考えられるので、一方の粒子の収束は、Media Resonance(メディア共鳴)によって、他方の粒子の収束を意味するのである。Media Pointにおける共振・共鳴とは、物質的次元を超えて生起するのであり、非局所的に見えるのであるが、実相は、高次元の事象と考えられる。つまり、高次界で起っていることが、非局所的長距離相関に見えるのである。光ではなく、超越光=イデアが問題になっていると考えられるのである。

2008年07月13日 (15:01)

次元について:三次元空間、四次元時空間、五次元超時空間

次元については、これまでの検討では、+1が四次元時空間であり、虚軸が高次元、即ち、五次元であると考えた。しかし、先の簡単な応用では、実軸を空間、虚軸を時間としたが、そうすると、齟齬が生じるので、ここで、さらに検討をしたい。
 問題は、時間とは何か、ということになる。アインシュタインのエネルギー公式、E=mc^2から言うと、光速に時間が含まれている。つまり、PS理論で言うと、実軸の1に、時間が含まれていると考えられる。だから、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の右辺に時間が表現されていると考えられるだろう。
 イデア・エネルギー(トランス・エネルギー)を考えるならば、

Trans-Energy=m(+ic)*(-ic)⇒E=mc^2

である。
 そう考えると、虚軸(イデア界)において、いわば、超光があると考えられる。それが、±icで表現されちると考えられる。
 だから、虚軸は、思うに、超時間・超空間、即ち、超時空間のように思われるのである。つまり、高次元=五次元とは、五次元時空間にように思えるのである。
 虚軸に想定される超時空間(イデア界)であるが、それは、超光が形成する世界であり、いわば、超光界である。これは、諸宗教で表現された天国・極楽・浄土等々であると考えられる。
 では、想定された超時空間とは何か。思うに、超時間、超空間と分けられるだろうか。直感では分けられるのである。この問題はおいておこう。
 とまれ、結局、今の時点では、実軸において、-1が三次元空間であり、+1が四次元時空間であり、虚軸が五次元超時空間ということになる。
 因みに、Media Pointがエネルギー・ポイント(エネルギー変換点、エネルギー・トランスフォーマー)であり、推測するに、重力の中心ではないだろうか。ここで思考実験であるが、-1の方向が重力とするなら、+1が反重力の方向ではないだろうか。ダークエネルギーの方向ではないのか。
 +1とは、イデア・エネルギーがもたらすものであるから、ダーク・エネルギーの真相とは、イデア・エネルギー=トランス・エネルギーということになるのではないだろうか。
 では、問題は、-1と+1の関係である。思うに、表現の仕方に問題があるのではないだろうか。
 考えるに、+1とは、実質的に、⇒+1のことであり、Media Pointが開かれて、イデア界が浸透しているのであるのに対して、-1とは、実質的に、+1のことであり、Media Pointが閉じられて、イデア界が浸透していないのである。つまり、単純に物質世界である。
 この視点から考えると、ダークエネルギーとは、イデア・エネルギー=トランス・エネルギーということになるだろう。だから、現代の宇宙科学は、ダークエネルギーを、唯物科学の延長で捉えようとしているのであり、それは、結局、不毛な作業になると思われるのである。ダークエネルギーは、Media Pointを介したイデア界=高次元に求めるべきであると考えられるのである。今は、ここで留める。

p.s. もう少し、整理してみよう。よりシンプルな言い方をすると、自己認識方程式は、差異(+i)/同一性(+1)/差異(-i)という形式(この形式を差異・同一性形式と仮に呼びたい)を意味しよう。
 この差異・同一性形式(簡略して、差同形式)から、差異を否定すると、同一性主義(-1)が出現する。これが、物質主義となるのである。そして、これが、今日の唯物科学を生み出しているのである。
 問題は、差同形式と同一性主義の関係である。物質主義は差異を否定しているので、同一性は+1から-1に転換すると思われるのである。
 つまり、同一性の+1とは、極性差異±iがあって、形成されるものと考えられのであり、極性差異が否定された同一性は、-1となると考えられるのである。
 物質科学は、差異(イデア)を否定しているので、同一性は-1であると考えられるのである。しかしながら、現象とは、差同形式をもつので、+1である。これが、現象の真相である。つまり、いわば、差同現象が真相であると考えられるのである。
 だから、物質エネルギーは-1の同一性(マイナス同一性)であり、差同エネルギーは+1の同一性(プラス同一性)と考えられる。そして、今日の宇宙科学は、前者中心なので、後者を看過しているということではないだろうか。そして、後者が、ダークエネルギーの本体ではないだろうか。マイナスとプラスで正反対となる。
 そうすると、またまた考えが変化して、ダークエネルギーは+1であるが、それは、イデア・エネルギー=トランス・エネルギーとは、異なるものであるということになる。
 ということで、今の段階での暫定的考えは、-1が物質エネルギーであり、+1がダークエネルギーであり、(+i)*(-i)がイデア・エネルギー=トランス・エネルギーであるということになる。
 さらに検討を続けたい。

2007年04月24日 (21:58)

光と空間の関係:超越光の垂直的下降(⇒地極点)と平面・球面形成:超越光による現象時空四次元の構築

今は、簡単に触れるが、暗闇の中では、意識・「脳」において、空間知覚が実に不明確・不明瞭である。

光を視覚して、空間が明確になる。

話が逸れるが、夢の中の空間意識はどうなっているのだろうか。確かに、ヴィジョンを見ているのであり、それなりに、覚醒時の空間性は保持しているように思える。

思うに、夢の中でも、ヴィジョンは、光のヴィジョンであるので、その光を介して、空間意識を保持するのではないだろうか。これは保留しておく。

さて、本題に戻ると、光が空間意識を構築するとはどういうことなのか。

これは、きわめて、超越論的問題である。プラトン、カント、フッサール哲学的問題であり、また、仏教的問題であるし、当然、相対性理論、量子力学等の現代物理学に関わる問題である。

ここでは、直観を述べるに留めたい。

暗闇において、私は、空間知覚がなく、不安の様態にある。

しかし、光が現れるや否や、明瞭に空間が出現して、私は、明晰に現象界を確認する。

即ち、垂直性、広がりをもった空間が明確になる。

ここで、ついでに垂直経験について触れよう。私が小児の頃、ブランコに乗って、立ち上がったとき、私は世界が力にみなぎるようにして生まれたような感じをもったことを憶えている。そのときは、なにか、光がほとばしるような感じもあったと思う。

垂直性とは、質的な意味があると思うのである。それは、力やエネルギーの発出と関係しているように思えるのである。

これは、木や植物の垂直的伸びと関係するのではないだろうか。

作業仮説として、超越的共振エネルギーの発動として考えたい。

つまり、現象化が、下降のエネルギーによると考えられるのに対して、垂直的伸びは、上昇のエネルギーによるものであると言えるだろう。それとも、単純に上昇の力に拠るものと言うべきかもしれない。

そして、エネルギーとは、m(ic)*(-ic)⇒mc^2と考えられるから、超越光⇒現象光が関係していると言えよう。

とまれ、左辺が垂直次元と関係しよう。(ここでは、位相(?)的に、虚数次元と垂直次元を一致させて考えている。)

結局、光、現象光とは、超越光の発現であるから、光は、基本的には、垂直次元を構築するものと言えないだろうか。そう作業仮説しよう。

では、他の次元、いわば、平面次元はどう構築されるのだろうか。

ここで思考実験、空想遊戯してみると、垂直の超越光が降下して、現象化が生起して、そのとき、平面が形成されるとしよう。この平面は、降下した超越光の極点(以下、地極点)の地の引力(重力)に引かれて、球面となるとしよう。これは、球体の発生となる。

そして、地極点に対峙して、天極点があるだろう。ここに天の引力があるとするのである。

とまれ、超越光による垂直降下があり、その結果、平面が生起して、地極点によって、平面が球面になり、地(地球)が形成されるとしよう。

問題は、平面の発生である。

垂直の超越光・超越エネルギーに対して、どうして、平面が発生するのか。

これは、意外に簡単に説明できるのではないか。

フレミング左手の法則を見よう。

フレミングの左手の法則
 上図のように電流を流すと、導体は青い矢印の方に動く。この力を電磁力という。
 電磁力の働く方向を知るには、左手の親指、人差し指、中指をそれぞれ直角に開き、人差し指を磁界の方向(N→S)、中指を電流の流れる方向に合わせる。そのときの親指の向きが電磁力の働く方向(導体の動く方向)である。


http://www.ipc.shizuoka.ac.jp/~eiymoti1/gijutu/shiryo/electricity/freming.html

電磁力の方向を超越光、超越エネルギーの方向とすれば、平面は、磁界の方向と電流の方向によって形成されると言えるだろう。

これで、三次元空間が構築が説明できるだろう。

そして、球面や球体であるが、それは、磁界と電流とが、地極点の引力(重力)によって、曲げられることによって発生するということになる。

問題は、地極点とは何かである。それは、超越エネルギー、下降エネルギーの極点である。エンテレイケイア(終局態)である。⇒+1ないし+1ではないだろうか。

メディア・ポイントを介して、現象的帰結としての+1ではないだろうか。

ここには、確かに、E=mc^2の質量mにおける重力があるだろう。

言い換えると、超越光の帰結としての地極点であり、重力である。(思うに、これで、光が重力によって曲がることが説明できるのではないか。)

とまれ、超越光/現象光の垂直次元に対して、磁界と電流の平面が形成され、そして、地極点重力によって球面・球体が形成されるということになる(すべては、思考実験、空想遊戯である)。

そう、これで、超越光/現象光による三次元空間の構築の説明になるのではないだろうか。

とりあえず、そういうこととしよう。

では、時間はどう発生するのだろうか。

これは、簡単ではないだろうか。即ち、超越エネルギーの現象化によって、時間が発生するのではないだろうか。つまり、超越エネルギーの現象エネルギー化は、いわば、虚数次元から実数次元への変換であり、無限から有限への変換であり、当然、有限化されたエネルギーが時間であると考えられるのである。

端的に、E=mc^2における光速が、有限の時間を形成していると言えるだろう。

以上から、超越光/現象光による三次元空間と時間の形成の説明が作業仮説的にできたとしよう。そして、空間と時間を合わせて、超越光/現象光による時空四次元の構築の説明ともなる。

後で、再検討する。

p.s. 天極点については、述べていないが、ここで簡単に言うと、天極点とは、端的に、イデア界であろう。

思うに、不連続的差異論形成期において、つまり、2004年だと思うが、コの字型で、イデア界とメディア界と現象界を図化した。即ち、コの字の上部の水平部がイデア界であり、垂直部がメディア界であり、下部の水平部が現象界であると考えたのである。そこから考えると、地極点は、垂直部と下部の水平部との交点であり、天極点は、垂直部と上部の水平部の交点であろう。思うに、両者、メディア・ポイントを形成していると言えよう。だから、両者、メディア・ポイントの天地極性を形成していると言えるように考えられる。

2007年03月13日 (21:41)

超越的現象としての自然・宇宙・人間:西田哲学を参考にしてPS理論と物理学の関係を考える

先に、「絶対矛盾的自己同一」の冒頭を読み、PS理論と物理学の関係を新たに考えられるのではないかと思った。

西田は、一即多、多即一との「間」を述べていると思う。つまり、メディア・ポイント的「間」である。

創造性の「間」である。

とまれ、物理学、相対性理論を考えよう。

一を超越界としよう。そして、多を現象界としよう。

個体が相互限定すると西田は述べている。

★引用開始
《例えば、物が空間において相働くということは、物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものがなくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾的自己同一というのである。》
★引用終了
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html

かなり晦渋な説明である。とまれ、言っていることは、物とは、一の多であるあるが、それでは、静的であるから、多の一でなくてはならないということである。これが、「個物と個物との相互限定の世界」ある。

これは、差異ー同一性ー差異のことを意味しているように思える。つまり、同一性が差異を相互限定しているのである。

すなわち、同一性が物理性であると言えるのではないだろうか。

例えば、同一性は時空間形式である。それは、+1であろう。

差異は同一性=時空間形式=+1によって相互限定されるということだろう。

ここには、重力や電磁気力の関係があるだろう。

とまれ、問題は光である。

差異が同一性化されると、物質となり、エネルギーをもつ。

mc^2=Eである。

同一性化された差異は、質量mをもつ。

しかし、これは、光速度と関係して、エネルギーをもつ。

ic*(-ic)がメディア・ポイントでの差異(即非差異)の光である。差異(即非差異)の元光ないし超光である。

差異は、虚数軸上を光速度で移動しているということなのだろうか。虚数的光速度である。

とまれ、メディア・ポイントで、差異が共振同一性化する。つまり、物質化すると考えられる。

つまり、差異の物質化であり、物質エネルギー化である。すなわち、

ic*(-ic)⇒mc^2=Eである。

この質量mは、物質である差異同一性の力ではないのか。

そう、即非差異の虚エネルギーが、メディア・ポイントで、同一性化して、実エネルギーになる。そのとき、同一性の力、質量が発生するのではないのか。

この質量=力が時空間形式の力ではないのか。

あるいは、mc^2のエネルギーが時空間形式の力ではないのか。

個物は、このエネルギー形式をもつのであるから。

つまり、個物は、実エネルギーないし質量を属性にもつのである。

この実数性が時空間形式ではないのか。

icないし-icではなくて、cという実・光速度が発生するのであるから。(icないし-icは虚・光速度であろう。)

実数性は、物理量をもつと言えよう。そして、マクロ的には古典的力学の世界を構築するのではないのか。

言い換えると、実数性が、有・存在を意味しよう。

そして、虚数性が、無・非存在を意味しよう。

だから、現象界において、実数性が発生して、物質性を形成しているのである。

しかしながら、実数とは、メディア・ポイントにおいて発生するのであるが、ここには、また、虚数が存しているのである。

つまり、現象界とは単に、実数=物質の世界だけではなくて、虚数性を内包していると言えるのである。

マクロ的な知覚・認識においては、実数=物質が中心的になるだろう。

しかし、ミクロ的な認識においては、虚数=差異(不連続的差異、即非差異、イデア)が中心的になると言えよう。

これは、メディア・ポイントにおける「絶対矛盾的自己同一」である。

そして、光の特異性は、単に、実数=物質に関わるだけでなく、虚数=差異に関わる点にあるのではないか。

一般に物質は、実数性である。mないしmc^2ないし+1で十分である。

しかしながら、光は物質(粒子)でありながら、同時に、虚数=差異=超越性である。そう、虚数=超越性である。

このために、量子力学において、粒子と波動の相補性や非局所的長距離相関が発生すると言えよう。

これはどういうことなのか。

光は、思うに、物質であり、同時に、非物質なのである。超越性・イデアなのである。

つまり、同一性であり、且つ、超越性である。

これは、他の物質にはない特異性である。

相対性理論とは、Kaisetsu氏の説くように、光の絶対的普遍性を説くものであろう。

即ち、光速度一定とは、光の超越的普遍性を意味しているということだろう。

言い換えると、一般の物質は、mc^2で閉じるのであるが、光は、ic*(-ic)という超越性を内包していると言えるのではないだろうか。

これは、端的にどういうことなのであろうか。

一般の物質は、メディア・ポイントが、いわば、閉塞・閉鎖するのであるが、光は、メディア・ポイントの超越的現象であるということではないのか。

一般の物質は、連続的同一性であるが、光は、差異的同一性、即ち、超越的同一性ではないのか。

ということは、光は連続化しないということだろう。同一性化はするが、連続化はしないということではないのか。

不連続的同一性が光の特異性ではないのか。

そうすると、相対性理論や量子力学から判明することは、現象界とは、実は、メディア・ポイントにおいて、超越界に接しているのであるから、端的に、超越的現象界と言えるのではないだろうか。

ただ、連続的同一性(3次元空間ないし4次元時空間)の認識では、この超越界は洩れてしまうのである。

光現象において、現象界は超越界に連絡していると言えるのではないだろか。

だから、光は、即、超越光なのであろう。

つまり、光速度一定とは、超越界を観測しているということではないのか。

ic*(-ic)の超越界である。

これが、神仏ではないのか。
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