2008年05月05日 (01:40)
神話の問題点:差異共振性と連続性:原三神性と活三神性:MP論理と神話的現代
http://ameblo.jp/renshi/entry-10093688362.html
直近の考察が混乱したので、新たに考察を始めたい。
問題は、神話における、イデア界と現象界の関係・関連である。端的に言えば、Media Pointの力学表現であると言えよう。
Media Pointの原三元性(原三神性)(+i)*(-i)があり、これが、Media Pointで多様に発現して、神話となると考えられる。整理すると、原三元性においての原三神性(デュナミス的三神性)と、Media Pointを中心の「神」として、⇒+1の「神」、⇒-1となる「神」のエネルゲイア的三神性(活三神性)の、二段階があると言えよう。
記紀の三柱の神は、原三神性(三神デュナミス)であり、その他、イザナミ/イザナミ、アマテラス・スサノオ・ツクヨミ、等は、活三神性(三神エネルゲイア)であると考えられる。(イザナミ/イザナギの意見は二元的であるが、太い柱を神とすると、三神となる。また、両者の共振性を入れると三神となる。)簡単に言えば、イデア三神とエネルゲイア三神であろう。
問題は、活三神、エネルゲイア三神にある。ここでは、傾斜ないしは極性化が顕著になると考えられるのである。言い換えると、共振性と二元性が混淆するようになると思われるのである。即ち、原三神においては、差異共振性が対称的であるが、活三神においては、非対称性が発生すると考えられる。
例えば、アマテラス/スサノオ/ツクヨミの三神で考えると、アマテラスは、Media Pointや、共一性の+1であったり考えられるだろうし、スサノオは、同一性の-1であったり、Media Pointであったり考えられるだろうし、また、ツクヨミは、アマテラスやスサノオと対極として考えられるだろう。つまり、三神が流動・流転生成的になると考えられるのである。
これは、一種の混乱であろう。これは、Media Pointの性質から発生していると考えられる。ここは、正しくは、即非様態であるが、古代人は、これを連続化して混淆したと考えられるのである。
まとめると、原三神性と活三神性の二段階があるが、後者において、共振性と二元性が混淆する。これは、エネルゲイアの傾斜性とMedia Pointの連続化によると考えられるのである。
このMedia Pointにおける傾斜性と連続性が神話の混沌とした多様性を生み出していると言えよう。聖書も神話と見れば、明らかに、神話的多様性を呈しているのである。
ここで、一つの例として、インド神話を取りあげると、シヴァ神は、勿論、原三神性に発するが、活三神性では、-1の同一性ではないだろうか。そして、ヴィシュヌは光明であるから、+1の共一性であろう。そして、ブラフマンは、Media Pointであり、原三神性の中心の差異共振性*であろう。そのように、Media Pointの傾斜・連続性の概念から説明できるであろう。端的に言えば、Media Pointのエネルゲイアで説明できるだろう。
あるいは、ニーチェのアポロとディオニュソスで言えば、アポロは、共一性+1であると同時に、同一性-1である。【この同一性-1の側面をニーチェはソクラテス的な合理主義と把握したと言えよう。】また、ディオニュソスであるが、それは、当然、Media Point であると同時に、破壊性をもっているので、-1の同一性である。だから、通常の同一性論理では、説明できないのである。即非論理、共振論理を含む、言わば、Media Point Logic(略して、MP論理:p.s. Media Point Modeという方が適切であろう。)でないと説明できないのである。また、構造主義論理でも説明できないのである。「ゼロ記号」や両義性という概念では、神話の不連続な、非対称的な多様性を精緻に説明できないと言えよう。
以上で、神話のもつ連続性の問題点の解明を終えたこととして、次に、以上の視点を活用して、近代化の問題点について考えよう。近代化とは、一言で言えば、新たなMedia Pointの活性化から始まったと言えよう。それは、一種、神話的なのである。ただし、同一性と共一性とが連続化した神話である。インド神話で言えば、シヴァ神とヴィシュヌ神の連続した神話である。ただし、近代主義は、超越性を意識的に排除しているために、超越性が無意識化しているのである。これを抑えておく必要がある。
端的に言えば、近代合理主義の基底はシヴァ神であり、民主主義の基底はヴィシュヌ神である。また、自由主義の基底には本来ブラフマンがあるだろうが、実際は、シヴァ神へと傾斜しているだろう。とまれ、近代主義はこれら三者が連続的混淆していると考えられる。
しかしながら、近代主義は、Media Pointを閉じているので、同一性主義なのである。つまり、近代合理主義が基調になっているので、民主主義も自由主義も、同一性主義へと傾斜してしまうのである。これは、また、唯物論への傾斜でもある。つまり、近代主義はシヴァ神中心主義なのである。私が悪魔的破壊主義というのは、この事態である。
これで近代主義の問題点を神話学的視点で指摘できたであろう。そして、トランス・モダンの意味も、この点から考えると、やはり、Media Pointを開くことが肝腎要(かんじんかなめ)である。これによって、ヴィシュヌ神の民主主義が賦活されるし、ブラフマンの自由主義も差異共振的自由主義となり、同一性資本主義を乗り越えるようになるだろう。これで、検討を終えたい。
追記:ユングとケレーニイ共著の『神話学入門』に、原型と言うべき三女神について多く言及されている。この三女神とはいったい何だろか。これは、ジョーゼフ・キャンベル的に言えば、女神の神話の原型であろう。男性神が中心化する以前の形式であろう。これを以上の視点から見ると、原三神性に相当するだろう。その視点を逆に、記紀神話にあてはめると、三柱の神とは、三女神ではなかったのかということになるだろう。天之御中主神は、大女神ではなかったのか、ということになるだろう。ならば、天之御中主女神となるだろう。これは、一体何だろうか。父権的宗教ないしは神話が生まれる以前の、先史時代の人類の原神ではなかったろうか。D. H. ロレンスが言ったコスモスの大女神ではないだろうか。三島由紀夫が幻視した、地球を取り巻く大蛇ではないだろうか。龍である。八岐大蛇ではないだろうか。三頭龍ではないだろうか。後で再考したい。
参照:
天地開闢 (日本神話)
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天地開闢(てんちかいびゃく)とは、天地に代表される世界が、初めて生まれた時のことを示す。
狭義には『日本書紀 』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」を言うが、この記事では、広義の日本神話 における天地開闢・国土創造のシーンについて記す。
中国神話における天地開闢は天地開闢 (中国) を、キリスト教 の旧約聖書 の創世記 におけるものについては天地創造 を参照せよ。
あらすじ
[編集 ] 古事記
古事記によれば、世界の始った直後は次のようであった。古事記の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めた時であり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、、一般的には日本神話における天地開闢のシーンと言えば、近代以降は古事記のこのシーンが想起される。神話研究における「天地開闢」は次節の『日本書紀』参照。
世界の最初に、高天原 に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
* 天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
* 高御産巣日神 (たかみむすひのかみ)
* 神産巣日神 (かみむすひのかみ)
続いて、二柱の神が生まれた。
* 宇摩志阿斯訶備比古遅神 (うましあしかびひこぢのかみ)
* 天之常立神 (あめのとこたちのかみ)
この五柱の神は、特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天津神 (ことあまつかみ)と呼ぶ。
次に、また二柱の神が生まれた。
* 国之常立神 (くにのとこたちのかみ)
* 豊雲野神 (とよくもののかみ)
国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく、またこれ以降神話には登場しない。
これに引き続いて、五組十柱の神々が生まれた。五組の神々は、それぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。
* 宇比地邇神 (うひぢにのかみ) 、須比智邇神 (すひぢこのかみ)
* 角杙神 (つのぐひのかみ) 、活杙神 (いくぐひのかみ)
* 意富斗能地神 (おほとのじのかみ) 、大斗乃弁神 (おほとのべのかみ)
* 於母陀流神 (おもだるのかみ) 、阿夜訶志古泥神 (あやかしこねのかみ)
* 伊邪那岐神 (いざなきのかみ) 、伊邪那美神 (いざなみのかみ)
以上の七組十二柱の神々を総称して神世七代 (かみのよななよ)という。
[編集 ] 日本書紀
日本書紀における天地開闢は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られる。続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。
[編集 ] 根源神たちの登場
本書によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。
天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが、神となる。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
3. 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
これらの神々には、性別がなかった。
第1の一書によれば、天地の中に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通りである。なお、白丸で箇条書きされているのは、上の神の別名である。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
* 国底立尊(くにのそこたちのみこと)
2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
* 国狭立尊(くにのさたちのみこと)
3. 豊国主尊(とよくにむしのみこと)
* 豊組野尊(とよくむののみこと)
* 豊香節野尊(とよかぶののみこと)
* 浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)
* 豊国野尊(とよくにののみこと)
* 豊齧野尊(とよかぶののみこと)
* 葉木国野尊(はこくにののみこと)
* 見野尊(みののみこと)
第2の一書によれば、天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが、神となったとされる。すなわち、本書と同じ内容であるが、神々の名称が異なる。
1. 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこぢのみこと)
2. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
3. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
第3の一書でも、生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿をしていたと描写されている。
1. 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこぢのみこと)
2. 国底立尊(くにのそこたちのみこと)
第4の一書によれば、生まれた神々の名は下の通りである。この異伝は、古事記の記述に類似している。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
これらの二柱の神々の次に、高天原に生まれたのが、下の三柱の神々である。
1. 天御中主尊 (あめのみなかぬしのみこと)
2. 高皇産霊尊 (たかみむすひのみこと)
3. 神皇産霊尊 (かみむすひのみこと)
第5の一書によれば、天地の中に葦の芽が泥の中から出てきたようなものが生成された。これが、人の形をした神となったとされる。本書とほぼ同じ内容であるが、一柱の神しか登場しない。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
第6の一書も、本書とほぼ同様に、葦の芽のような物体から神が生まれた。ただし、国常立尊は漂う脂のような別の物体から生まれた。
1. 天常立尊(あまのとこたちのみこと)
2. 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこぢのみこと)
3. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
[編集 ] 男女一対神たちの登場
渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれることとなる。これらの神々の血縁関係は、本書では記されていないが、一書の中には異伝として、記されている。
本書によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々は、それぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。なお、黒丸で箇条書きされているのは、上の神の別名である。
1. 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
二神の別名
* 埿土根尊(うひぢねのみこと)、沙土根尊(すひぢねのみこと)
2. 大戸之道尊(おほとのぢのみこと)、大苫辺尊(おほとまべのみこと)
二神の別名
* 大戸摩彦尊(おほとまひこのみこと)、大戸摩姫尊(おほとまひめのみこと)
* 大富道尊(おほとまぢのみこと)、大富辺尊(おほとまべのみこと)
大戸之道尊の別名
* 大戸之辺尊(おほとのべのみこと)
3. 面足尊 (おもだるのみこと) 、惶根尊 (かしこねのみこと)
惶根尊の別名
* 吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)
* 忌橿城尊(いむかしきのみこと)
* 青橿城根尊(あをかしきのみこと)
* 吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)
4. 伊弉諾尊 (いざなきのみこと)、伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
第1の一書では、伊弉諾尊、伊弉冉尊は、青橿城根尊の子とされている。
第2の一書では、神々の系図がよりはっきりとしている。
1. 国常立尊
2. 天鏡尊(あまのかがみのみこと)
国常立尊の子。
3. 天万尊(あめよろずのみこと)
天鏡尊の子。
4. 沫蕩尊(あわなぎのみこと)
天万尊の子。
5. 伊弉諾尊
沫蕩尊の子。
さて、本書によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に、以上の四組八柱の神々を加えたものを総称して神世七代 という。
第1の一書によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。
1. 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
2. 角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)
3. 面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
4. 伊弉諾尊(いざなきのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E9%96%8B%E9%97%A2_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%29
インド神話
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インド神話(インドしんわ)とはインド に伝わる神話 である。特にバラモン教 、ヒンドゥー教 に伝わるものを指す。成立時期や伝承者の層などによって様々な神話があるが、以下、ヴェーダ 神話とブラーフマナ ・ウパニシャッド 神話、叙事詩 ・プラーナ 神話の3つに大別して概説する。概ねヴェーダ神話がバラモン教 に、叙事詩・プラーナ神話がヒンドゥー教に属し、ブラーフマナ・ウパニシャット神話がその両者を繋ぐものと考えてよい。
ヴェーダ神話
呼んで字の如くヴェーダ文献に基づく神話であり、アーリア人 がインドに持ち込んだインド・ヨーロッパ語族 共通時代に遡る古い自然神崇拝を中心とする。紀元前1500年 頃から紀元前900年 ごろに作られた最古のヴェーダ文献であるリグ・ヴェーダ (神々の讃歌)には、未だ一貫した世界観を持つ神話は現れていない。
ヴェーダ神話の初期においては、神々はデーヴァ 神族とアスラ 神族とに分類されている。デーヴァは現世利益を司る神々とされ、人々から祭祀を受け、それと引き換えに恩恵をもたらす存在とされた。代表的なデーヴァは雷神インドラ であり、実にリグ・ヴェーダ全賛歌の4分の1が彼を讃えるものである。
一方アスラは倫理と宇宙の法を司る神々で、恐るべき神通力と幻術を用いて人々に賞罰を下す者として畏怖された。代表的な神はヴァルナ である。アスラはリグ・ヴェーダ初期においては必ずしも悪い意味で用いられなかったが、デーヴァ信仰が盛んになるにつれて信仰が衰えていった。さらに、ヴァルナをはじめ有力なアスラ神がデーヴァとされるようになり、遂にリグ・ヴェーダの中でも末期に成立した部分では神々に敵対する悪魔を指すようになった。
一方イラン神話 においては、アスラに対応するアフラがゾロアスター教 の最高神アフラ・マズダー となり、デーヴァにあたるダエーワ が悪魔の地位に落とされている。
リグ・ヴェーダにはまた、若干の創造神話 が見られる。創造神ブリハスパティ やヴィシュヴァカルマン による万物創造を説く讃歌の他、創造神がヒラニヤ・ガルバ(黄金 の胎児 )として原初の水の中にはらまれて出現したとする説、神々が原人プルシャを犠牲として祭祀を行い世界を形成したという巨人解体神話などが説かれている。
[編集 ] ブラーフマナ・ウパニシャッド神話
ブラーフマナ(祭儀書)文献とは、ヴェーダ本文であるサンヒター(本集)の注釈と祭儀の神学的意味を説明するもので、広義のヴェーダ文献の1つ。ここでは創造神プラジャーパティを最高神とし、彼による種々の創造神話が説かれている。しかし、しだいに世界の最高原理ブラフマン の重要性が認められるようになった。やがてブラフマンは人格神ブラフマー として描かれ、彼による宇宙創造が説かれるようになった。
ブラーフマナ文献中にはまた、祭式の解釈と関連して、人祖マヌ と大洪水 神話、悪魔 の都を破壊する暴風神ルドラ (シヴァ の前身)の説話など、かなりまとまった形の神話が散見され、後のヒンドゥー神話・文学に多大な影響を与えている。
ウパニシャッド(奥義書)も広義のヴェーダ文献の1つで、ヴェーダ文献の最後に成立した事からヴェーダーンタ(ヴェーダの末尾)ともいう。神秘的哲学を説くもので、特にアートマン とブラフマンの本質的同一性(梵我一如 )を説く部分は、後のインド神話の世界観に大きな影響を与えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A5%9E%E8%A9%B1
直近の考察が混乱したので、新たに考察を始めたい。
問題は、神話における、イデア界と現象界の関係・関連である。端的に言えば、Media Pointの力学表現であると言えよう。
Media Pointの原三元性(原三神性)(+i)*(-i)があり、これが、Media Pointで多様に発現して、神話となると考えられる。整理すると、原三元性においての原三神性(デュナミス的三神性)と、Media Pointを中心の「神」として、⇒+1の「神」、⇒-1となる「神」のエネルゲイア的三神性(活三神性)の、二段階があると言えよう。
記紀の三柱の神は、原三神性(三神デュナミス)であり、その他、イザナミ/イザナミ、アマテラス・スサノオ・ツクヨミ、等は、活三神性(三神エネルゲイア)であると考えられる。(イザナミ/イザナギの意見は二元的であるが、太い柱を神とすると、三神となる。また、両者の共振性を入れると三神となる。)簡単に言えば、イデア三神とエネルゲイア三神であろう。
問題は、活三神、エネルゲイア三神にある。ここでは、傾斜ないしは極性化が顕著になると考えられるのである。言い換えると、共振性と二元性が混淆するようになると思われるのである。即ち、原三神においては、差異共振性が対称的であるが、活三神においては、非対称性が発生すると考えられる。
例えば、アマテラス/スサノオ/ツクヨミの三神で考えると、アマテラスは、Media Pointや、共一性の+1であったり考えられるだろうし、スサノオは、同一性の-1であったり、Media Pointであったり考えられるだろうし、また、ツクヨミは、アマテラスやスサノオと対極として考えられるだろう。つまり、三神が流動・流転生成的になると考えられるのである。
これは、一種の混乱であろう。これは、Media Pointの性質から発生していると考えられる。ここは、正しくは、即非様態であるが、古代人は、これを連続化して混淆したと考えられるのである。
まとめると、原三神性と活三神性の二段階があるが、後者において、共振性と二元性が混淆する。これは、エネルゲイアの傾斜性とMedia Pointの連続化によると考えられるのである。
このMedia Pointにおける傾斜性と連続性が神話の混沌とした多様性を生み出していると言えよう。聖書も神話と見れば、明らかに、神話的多様性を呈しているのである。
ここで、一つの例として、インド神話を取りあげると、シヴァ神は、勿論、原三神性に発するが、活三神性では、-1の同一性ではないだろうか。そして、ヴィシュヌは光明であるから、+1の共一性であろう。そして、ブラフマンは、Media Pointであり、原三神性の中心の差異共振性*であろう。そのように、Media Pointの傾斜・連続性の概念から説明できるであろう。端的に言えば、Media Pointのエネルゲイアで説明できるだろう。
あるいは、ニーチェのアポロとディオニュソスで言えば、アポロは、共一性+1であると同時に、同一性-1である。【この同一性-1の側面をニーチェはソクラテス的な合理主義と把握したと言えよう。】また、ディオニュソスであるが、それは、当然、Media Point であると同時に、破壊性をもっているので、-1の同一性である。だから、通常の同一性論理では、説明できないのである。即非論理、共振論理を含む、言わば、Media Point Logic(略して、MP論理:p.s. Media Point Modeという方が適切であろう。)でないと説明できないのである。また、構造主義論理でも説明できないのである。「ゼロ記号」や両義性という概念では、神話の不連続な、非対称的な多様性を精緻に説明できないと言えよう。
以上で、神話のもつ連続性の問題点の解明を終えたこととして、次に、以上の視点を活用して、近代化の問題点について考えよう。近代化とは、一言で言えば、新たなMedia Pointの活性化から始まったと言えよう。それは、一種、神話的なのである。ただし、同一性と共一性とが連続化した神話である。インド神話で言えば、シヴァ神とヴィシュヌ神の連続した神話である。ただし、近代主義は、超越性を意識的に排除しているために、超越性が無意識化しているのである。これを抑えておく必要がある。
端的に言えば、近代合理主義の基底はシヴァ神であり、民主主義の基底はヴィシュヌ神である。また、自由主義の基底には本来ブラフマンがあるだろうが、実際は、シヴァ神へと傾斜しているだろう。とまれ、近代主義はこれら三者が連続的混淆していると考えられる。
しかしながら、近代主義は、Media Pointを閉じているので、同一性主義なのである。つまり、近代合理主義が基調になっているので、民主主義も自由主義も、同一性主義へと傾斜してしまうのである。これは、また、唯物論への傾斜でもある。つまり、近代主義はシヴァ神中心主義なのである。私が悪魔的破壊主義というのは、この事態である。
これで近代主義の問題点を神話学的視点で指摘できたであろう。そして、トランス・モダンの意味も、この点から考えると、やはり、Media Pointを開くことが肝腎要(かんじんかなめ)である。これによって、ヴィシュヌ神の民主主義が賦活されるし、ブラフマンの自由主義も差異共振的自由主義となり、同一性資本主義を乗り越えるようになるだろう。これで、検討を終えたい。
追記:ユングとケレーニイ共著の『神話学入門』に、原型と言うべき三女神について多く言及されている。この三女神とはいったい何だろか。これは、ジョーゼフ・キャンベル的に言えば、女神の神話の原型であろう。男性神が中心化する以前の形式であろう。これを以上の視点から見ると、原三神性に相当するだろう。その視点を逆に、記紀神話にあてはめると、三柱の神とは、三女神ではなかったのかということになるだろう。天之御中主神は、大女神ではなかったのか、ということになるだろう。ならば、天之御中主女神となるだろう。これは、一体何だろうか。父権的宗教ないしは神話が生まれる以前の、先史時代の人類の原神ではなかったろうか。D. H. ロレンスが言ったコスモスの大女神ではないだろうか。三島由紀夫が幻視した、地球を取り巻く大蛇ではないだろうか。龍である。八岐大蛇ではないだろうか。三頭龍ではないだろうか。後で再考したい。
参照:
天地開闢 (日本神話)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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天地開闢(てんちかいびゃく)とは、天地に代表される世界が、初めて生まれた時のことを示す。
狭義には『日本書紀 』冒頭の「古(いにしえ)に天地未だ剖(わか)れず、陰陽分れざりしとき……」を言うが、この記事では、広義の日本神話 における天地開闢・国土創造のシーンについて記す。
中国神話における天地開闢は天地開闢 (中国) を、キリスト教 の旧約聖書 の創世記 におけるものについては天地創造 を参照せよ。
あらすじ
[編集 ] 古事記
古事記によれば、世界の始った直後は次のようであった。古事記の「天地初発之時」(あめつちのはじめのとき)という冒頭は天と地となって動き始めた時であり、天地がいかに創造されたかを語ってはいないが、、一般的には日本神話における天地開闢のシーンと言えば、近代以降は古事記のこのシーンが想起される。神話研究における「天地開闢」は次節の『日本書紀』参照。
世界の最初に、高天原 に相次いで三柱の神(造化の三神)が生まれた。
* 天之御中主神 (あめのみなかぬしのかみ)
* 高御産巣日神 (たかみむすひのかみ)
* 神産巣日神 (かみむすひのかみ)
続いて、二柱の神が生まれた。
* 宇摩志阿斯訶備比古遅神 (うましあしかびひこぢのかみ)
* 天之常立神 (あめのとこたちのかみ)
この五柱の神は、特に性別はなく、独身のままに子どもを生まずに身を隠してしまった。それゆえに、これ以降表だって神話には登場しないが、根元的な影響力を持つ特別な神である。そのため別天津神 (ことあまつかみ)と呼ぶ。
次に、また二柱の神が生まれた。
* 国之常立神 (くにのとこたちのかみ)
* 豊雲野神 (とよくもののかみ)
国之常立神と豊雲野神もまた性別はなく、またこれ以降神話には登場しない。
これに引き続いて、五組十柱の神々が生まれた。五組の神々は、それぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。
* 宇比地邇神 (うひぢにのかみ) 、須比智邇神 (すひぢこのかみ)
* 角杙神 (つのぐひのかみ) 、活杙神 (いくぐひのかみ)
* 意富斗能地神 (おほとのじのかみ) 、大斗乃弁神 (おほとのべのかみ)
* 於母陀流神 (おもだるのかみ) 、阿夜訶志古泥神 (あやかしこねのかみ)
* 伊邪那岐神 (いざなきのかみ) 、伊邪那美神 (いざなみのかみ)
以上の七組十二柱の神々を総称して神世七代 (かみのよななよ)という。
[編集 ] 日本書紀
日本書紀における天地開闢は渾沌が陰陽に分離して天地と成ったという世界認識が語られる。続いてのシーンは、性別のない神々の登場のシーン(巻一第一段)と男女の別れた神々の登場のシーン(巻一第二段・第三段)に分かれる。また、先にも述べたように、古事記と内容が相当違う。さらに異説も存在する。
[編集 ] 根源神たちの登場
本書によれば、太古、天と地とは分かれておらず、互いに混ざり合って混沌とした状況にあった。しかし、その混沌としたものの中から、清浄なものは上昇して天となり、重く濁ったものは大地となった。そして、その中から、神が生まれるのである。
天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが、神となる。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
3. 豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)
これらの神々には、性別がなかった。
第1の一書によれば、天地の中に生成されたものの形は不明である。しかし、これが神となったことは変わらない。生まれた神々は次の通りである。なお、白丸で箇条書きされているのは、上の神の別名である。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
* 国底立尊(くにのそこたちのみこと)
2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
* 国狭立尊(くにのさたちのみこと)
3. 豊国主尊(とよくにむしのみこと)
* 豊組野尊(とよくむののみこと)
* 豊香節野尊(とよかぶののみこと)
* 浮経野豊買尊(うかぶののとよかふのみこと)
* 豊国野尊(とよくにののみこと)
* 豊齧野尊(とよかぶののみこと)
* 葉木国野尊(はこくにののみこと)
* 見野尊(みののみこと)
第2の一書によれば、天地の中に葦の芽のようなものが生成された。これが、神となったとされる。すなわち、本書と同じ内容であるが、神々の名称が異なる。
1. 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこぢのみこと)
2. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
3. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
第3の一書でも、生まれた神々の名が異なる。なお、生まれた神は人のような姿をしていたと描写されている。
1. 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこぢのみこと)
2. 国底立尊(くにのそこたちのみこと)
第4の一書によれば、生まれた神々の名は下の通りである。この異伝は、古事記の記述に類似している。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
2. 国狭槌尊(くにのさつちのみこと)
これらの二柱の神々の次に、高天原に生まれたのが、下の三柱の神々である。
1. 天御中主尊 (あめのみなかぬしのみこと)
2. 高皇産霊尊 (たかみむすひのみこと)
3. 神皇産霊尊 (かみむすひのみこと)
第5の一書によれば、天地の中に葦の芽が泥の中から出てきたようなものが生成された。これが、人の形をした神となったとされる。本書とほぼ同じ内容であるが、一柱の神しか登場しない。
1. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
第6の一書も、本書とほぼ同様に、葦の芽のような物体から神が生まれた。ただし、国常立尊は漂う脂のような別の物体から生まれた。
1. 天常立尊(あまのとこたちのみこと)
2. 可美葦牙彦舅尊 (うましあしかびひこぢのみこと)
3. 国常立尊 (くにのとこたちのみこと)
[編集 ] 男女一対神たちの登場
渾沌から天地がわかれ、性別のない神々が生まれたあと、男女の別のある神々が生まれることとなる。これらの神々の血縁関係は、本書では記されていないが、一書の中には異伝として、記されている。
本書によれば、四組八柱の神々が生まれた。四組の神々は、それぞれ男女の対の神々であり、下のリストでは、左側が男性神、右側が女性神となっている。なお、黒丸で箇条書きされているのは、上の神の別名である。
1. 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
二神の別名
* 埿土根尊(うひぢねのみこと)、沙土根尊(すひぢねのみこと)
2. 大戸之道尊(おほとのぢのみこと)、大苫辺尊(おほとまべのみこと)
二神の別名
* 大戸摩彦尊(おほとまひこのみこと)、大戸摩姫尊(おほとまひめのみこと)
* 大富道尊(おほとまぢのみこと)、大富辺尊(おほとまべのみこと)
大戸之道尊の別名
* 大戸之辺尊(おほとのべのみこと)
3. 面足尊 (おもだるのみこと) 、惶根尊 (かしこねのみこと)
惶根尊の別名
* 吾屋惶根尊(あやかしこねのみこと)
* 忌橿城尊(いむかしきのみこと)
* 青橿城根尊(あをかしきのみこと)
* 吾屋橿城尊(あやかしきのみこと)
4. 伊弉諾尊 (いざなきのみこと)、伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
第1の一書では、伊弉諾尊、伊弉冉尊は、青橿城根尊の子とされている。
第2の一書では、神々の系図がよりはっきりとしている。
1. 国常立尊
2. 天鏡尊(あまのかがみのみこと)
国常立尊の子。
3. 天万尊(あめよろずのみこと)
天鏡尊の子。
4. 沫蕩尊(あわなぎのみこと)
天万尊の子。
5. 伊弉諾尊
沫蕩尊の子。
さて、本書によれば、国常立尊・国狭槌尊・豊斟渟尊に、以上の四組八柱の神々を加えたものを総称して神世七代 という。
第1の一書によれば、四組八柱の神々の名が異なっている。
1. 埿土煮尊(うひぢにのみこと)、沙土煮尊(すひぢにのみこと)
2. 角樴尊(つのくひのみこと)、活樴尊(いくくひのみこと)
3. 面足尊(おもだるのみこと)、惶根尊(かしこねのみこと)
4. 伊弉諾尊(いざなきのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%9C%B0%E9%96%8B%E9%97%A2_%28%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%29
インド神話
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インド神話(インドしんわ)とはインド に伝わる神話 である。特にバラモン教 、ヒンドゥー教 に伝わるものを指す。成立時期や伝承者の層などによって様々な神話があるが、以下、ヴェーダ 神話とブラーフマナ ・ウパニシャッド 神話、叙事詩 ・プラーナ 神話の3つに大別して概説する。概ねヴェーダ神話がバラモン教 に、叙事詩・プラーナ神話がヒンドゥー教に属し、ブラーフマナ・ウパニシャット神話がその両者を繋ぐものと考えてよい。
ヴェーダ神話
呼んで字の如くヴェーダ文献に基づく神話であり、アーリア人 がインドに持ち込んだインド・ヨーロッパ語族 共通時代に遡る古い自然神崇拝を中心とする。紀元前1500年 頃から紀元前900年 ごろに作られた最古のヴェーダ文献であるリグ・ヴェーダ (神々の讃歌)には、未だ一貫した世界観を持つ神話は現れていない。
ヴェーダ神話の初期においては、神々はデーヴァ 神族とアスラ 神族とに分類されている。デーヴァは現世利益を司る神々とされ、人々から祭祀を受け、それと引き換えに恩恵をもたらす存在とされた。代表的なデーヴァは雷神インドラ であり、実にリグ・ヴェーダ全賛歌の4分の1が彼を讃えるものである。
一方アスラは倫理と宇宙の法を司る神々で、恐るべき神通力と幻術を用いて人々に賞罰を下す者として畏怖された。代表的な神はヴァルナ である。アスラはリグ・ヴェーダ初期においては必ずしも悪い意味で用いられなかったが、デーヴァ信仰が盛んになるにつれて信仰が衰えていった。さらに、ヴァルナをはじめ有力なアスラ神がデーヴァとされるようになり、遂にリグ・ヴェーダの中でも末期に成立した部分では神々に敵対する悪魔を指すようになった。
一方イラン神話 においては、アスラに対応するアフラがゾロアスター教 の最高神アフラ・マズダー となり、デーヴァにあたるダエーワ が悪魔の地位に落とされている。
リグ・ヴェーダにはまた、若干の創造神話 が見られる。創造神ブリハスパティ やヴィシュヴァカルマン による万物創造を説く讃歌の他、創造神がヒラニヤ・ガルバ(黄金 の胎児 )として原初の水の中にはらまれて出現したとする説、神々が原人プルシャを犠牲として祭祀を行い世界を形成したという巨人解体神話などが説かれている。
[編集 ] ブラーフマナ・ウパニシャッド神話
ブラーフマナ(祭儀書)文献とは、ヴェーダ本文であるサンヒター(本集)の注釈と祭儀の神学的意味を説明するもので、広義のヴェーダ文献の1つ。ここでは創造神プラジャーパティを最高神とし、彼による種々の創造神話が説かれている。しかし、しだいに世界の最高原理ブラフマン の重要性が認められるようになった。やがてブラフマンは人格神ブラフマー として描かれ、彼による宇宙創造が説かれるようになった。
ブラーフマナ文献中にはまた、祭式の解釈と関連して、人祖マヌ と大洪水 神話、悪魔 の都を破壊する暴風神ルドラ (シヴァ の前身)の説話など、かなりまとまった形の神話が散見され、後のヒンドゥー神話・文学に多大な影響を与えている。
ウパニシャッド(奥義書)も広義のヴェーダ文献の1つで、ヴェーダ文献の最後に成立した事からヴェーダーンタ(ヴェーダの末尾)ともいう。神秘的哲学を説くもので、特にアートマン とブラフマンの本質的同一性(梵我一如 )を説く部分は、後のインド神話の世界観に大きな影響を与えた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E7%A5%9E%E8%A9%B1

