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2009年07月18日 (19:09)

ケインズによる「魔術師」ニュートン像:古代バビロニアとトランス・モダンが共振する:星辰力学へ

以下、Kaisetsu氏がケインズによるニュートンに関するスピーチ原稿を掲載されている。
 ケインズがニュートンの「オカルティズム」ないしは錬金術の研究を行っていたことは知っていた。あまりに異色な取り合わせであり、また、近代科学史において、「オカルティズム」が一つの源流であったことも知っていたので、特に探求しようとは思わなかった。
 とまれ、以下はかなりの長文(名文である)なので、拾い読みしたが、ニュートンがキリスト教三位一体を否定して、異端とされたアリウス派(父の神性を肯定して、子の神性を否定する神学)を肯定していた点が興味深い。
 とまれ、イギリス文化は基本的には二層構造なのである。表層は、近代合理主義(近代主義)ではあるが、深層は「神秘主義」がいわば蠢いているのである。前者がアングロ・サクソン的(父権的)、後者がケルト的(母権的)と言うことも可能だと私は考えている。あるいは、西欧的と東洋的である。
 PS理論は、ニュートン/ケインズの「魔術」ないしは古代バビロニア科学の視点をもトランス・モダン的知性から包摂することが可能である。
 余裕がないので、私事を述べると、これまで、ケプラーを除いて、ニュートンやガリレオという近代科学の創始者が苦手であったが、ニュートンを見直すことになった。
 近代日本、とりわけ、戦後日本は、これらを似非科学として排除したり、また、単に近代合理主義の源流という評価しかしてこなかったと言えるが、トランス・モダン・エイジは、近代合理主義が否定したものに創造的な知の可能性を探求することになる。
 錬金術は深層心理学者のユングが取り入れている(故にユング心理学は近代合理主義者から否定されている)。私は占星術のトランス・モダン化が必要だと強く感じている。今の占いではなく、星力学が必要である(これは、当然、ゾロアスター教とも関係する。魔術師Magusのマギは占星術師である)。
 PS理論から言うと、Media Pointに星力学の秘密が隠されている。以前、思考実験したが、まったく不十分である。先にプラトンの魂の三区分説を援用したが、それとも関係する。「魂」(Media Point Mode)の多元振動があり、それが、知意志/気情/身体の「遺伝子」のように思えるのである。そして、この「魂」の振動と太陽系や銀河系の振動とがいわばCosmic Media Pointを介して「リンク」している、即ち、共振・共鳴していると思えるのである。
 とまれ、残念であるが、ここで留める。

**************************

参照原文:He(Newton) was the last of the magicians, the last of the Babylonians and Sumerians,..... by John Maynard Keynes
2009.07.18 Saturday
John Maynard Keynes: Newton, the Man



In the eighteenth century and since, Newton came to be thought of as the first and greatest of the modern age of scientists, a rationalist, one who taught us to think on the lines of cold and untinctured reason.
http://blog.kaisetsu.org/?eid=776214#sequel

参照:
脱理性,脱合理性の彼方にある知的世界とはどのようなものか,想像するだけでわくわくします。 by toramaru氏

トランス・モダン位階秩序と「Color Hierarchy(色階層)」
2009.07.18 Saturday
 Color Hierarchy
 Color Gradation
http://blog.kaisetsu.org/?eid=776205
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
参照:
アイザック・ニュートンのオカルト研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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ニュートン。エノク・シーマンによる肖像画(1724)からの彩色版画

この項目ではアイザック・ニュートンのオカルト研究について解説する。ニュートン は著名なイギリスの科学者・数学者であったが、現在ではオカルト 研究に分類される著作を多く著しており、年代学・錬金術・聖書解釈(特に黙示録)について研究していた。

ニュートンは、彼個人としては科学研究の成果よりも古代の神秘的な英知の再発見に重きをおいていたという考えがある。このような文脈で、世界を機械的に考えることを「ニュートン的世界観」と表現するのは語弊があると言う者もいる。たとえば、1942年にニュートンの錬金術研究書を購入し、検討した経済学者のケインズ は、「ニュートンは理性の時代 (age of reason)の最初の人ではなく、最後の魔術師 だ」と発言した。

しかしながら、ニュートンが生きていた前近代では、インテリ層が持っていた世界観は、後世のそれと異なっていたことは記しておかねばなるまい。科学 ・迷信 ・疑似科学 など、今日当たり前だと思われている区別はまだ混沌としており、厳格なキリスト教聖書の世界観は依然西洋文化に浸透していたのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E7%A0%94%E7%A9%B6

参考:
マギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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マギ(ラテン語 複数形 magi)は、本来、メディア王国 で宗教儀礼をつかさどっていたペルシア 系祭司階級の呼称。

単数形はマグス (magus)。アヴェスター語 形マグ(magu, maγu)に由来し、ギリシャ語 形の単数マゴス (μάγος)、複数マゴイ (μάγοι) を経由しラテン語化した。英語では単数メイガス (magus)、複数メイジャイ (magi)、形容詞メイジャン (magian)。普通名詞 なので小文字 始まりだが、東方三博士 の意味では固有名詞 あつかいで大文字 始まりである。

本来のマギと意味の変遷 [編集 ]

ヘロドトス の『歴史 』には、「マギには、死体を鳥や犬に食いちぎらせたり、 アリや蛇をはじめその他の爬虫類などを無差別に殺す特異な習慣があった」と記されている。これらの習慣はアヴェスター に記された宗教法と一致しており、彼らはゾロアスター教 と同系の信仰を持っていたと考えられる。

アケメネス朝 ペルシア史上では、王位簒奪者のマギであったガウマータを、ダレイオス1世 が倒して王位に就いたとされている。

一方、キリスト教 世界では新約聖書 、福音書 の『マタイによる福音書 』にあらわれる東方(ギリシア語でanatole。当時はペルシャのみならずエジプト北部などその範囲は広い)の三博士を指して言う場合が多い。三人の王とも訳される。直訳すれば星見すなわち占星術 師であるが、マタイ福音書の文脈では、天文学者 と推測される。

やがて、マギという言葉は 人知を超える知恵や力を持つ存在を指す言葉となり、英語 のmagicなどの語源となった。これはマギが行った奇跡 や魔術 が、現代的な意味での奇術、手品に相当するものだったと推定されるからである。また磁石 を意味するマグネットmagnet, マグネシウムmagnesium の語源も、マギが奇跡のために使用したことに由来する、という説がある。

サーサーン朝 時代では、中期ペルシア語(パフラヴィー語 )でゾロアスター教の神官であるマギのことを「マグ」ないし「モウ」 mgwy/mag,mow と呼んでいた。特にオーフルマズド神(アフラ・マズダー )やアナーヒード女神(アナーヒター )などの神々に捧げられた拝火 神殿を管理するような高位の神官は「モウバド」(mgwpt/mowbad, mōbad)と呼ばれ、モウバドの管理のもと多くのマグたちが神殿の運営や儀式を執り行っていたようである。サーサーン朝の始祖アルダシール1世 の祖父である名祖サーサーンはイラン南西部ファールス 地方の都市イスタフル のアナーヒード 神殿の管理職であったこともあり、同王朝は創建初期からゾロアスター教団とも密接な関係にあったが、第2代君主シャープール1世 から第7代君主ナルセ1世 の時代にかけて活躍した神官カルティール は、最高位の神官であるモウバダーン・モウバド(Mowbadān-Mowbad 「モウバドたちの中のモウバド」の意味)を名乗って王朝全土の諸神殿を統括し、キリスト教 やユダヤ教 、マニ教 、仏教 など外来諸宗教の勢力を弾圧し、国家宗教としてゾロアスター教団の威信を拡大させるなど、サーサーン朝の宗教政策を主導したことで知られている。

タバリー などのアラビア語 ・近世ペルシア語 の年代記や地誌などの諸文献では、ゾロアスター教神官・聖職者である「マギ」や広くゾロアスター教徒一般を指してマジュース مجوس majūs と呼ばれている。
福音書が伝える三博士の礼拝 [編集 ]

「東方三博士 」を参照

『マタイによる福音書』(2:1-12)によれば、イエス が生まれた時、東方にてマギ(博士たち)が大きな星を見、その星に導かれてエルサレム まで赴き、新しい王が誕生したのはどこかとヘロデ大王 に尋ねる。ヘロデは動揺しながらも側近に尋ね、側近は聖書の記述からそれはベツレヘムであると博士たちに教えた。博士たちはさっそくその場を発つと、星にしたがってイエスのいる場所につくことができた。幼子の前にたどり着くと、彼らはひれ伏し、黄金 、乳香 、没薬 を贈り物として捧げた。ヘロデは新しい王など生まれては困るので、博士たちに場所を教えるよう命じていたが、博士たちは夢のお告げでヘロデに会わないよう命じられたため、ヘロデを避けて別の道から故郷に戻った。そのためイエスはヘロデに殺害される事を免れた。しかし、ヘロデによってベツレヘムの2歳児以下の男子全て虐殺(幼児虐殺 )され、イエスは両親とともにエジプト へ逃れた。

※博士たちを導いた星は木星 である事は判明。[要出典 ]

『ルカによる福音書 』に描かれたイエスの誕生場面ではこの三博士は登場せず、代わりに飼い葉桶に寝ていた幼子イエスに羊飼い達が訪れる場面がある。西洋美術やクリスマスに飾られる馬小屋の飾りでは、博士と羊飼いが一緒に描かれているものも多い。

前掲の福音書には記述がないが、博士たちの人数は贈り物の数から伝統的に3人とされている。彼らの名前として西洋では7世紀 から次のような名が当てられている。それはメルキオール(Melchior, 黄金(王権の象徴)、青年の姿の賢者)、バルタザール(Balthasar, 乳香(神性の象徴)、壮年の姿の賢者)、カスパール(Casper, 没薬(将来の受難である死の象徴)、老人の姿の賢者)である。いずれもペルシア人の名でなく、何らかの意味も確認できない。シリア の教会では、ラルヴァンダド(Larvandad),ホルミスダス(Hormisdas), グシュナサファ(Gushnasaph)という別の名が当てられているが、こちらはペルシア語の人名として意味をなしている。アルメニア教会 では、カグバ(Kagba), バダディルマ(Badadilma) 等の名前を当てている。

なお、インド の一部の伝統では、ある人物が光明 を得るためには、三人の他の光明を得た人物によって、その人物の将来の光明が予言される必要があるという言い伝えもある。

関連項目 [編集 ]

* キリストの降誕
* クリスマス
* 東方の三博士
* 賢者

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AE " より作成
カテゴリ : 出典を必要とする記事 | 聖職者 | 古代ペルシア | 福音書

Magi
From Wikipedia, the free encyclopedia
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For other uses, see Magi (disambiguation) .
Conventional post-12th century depiction of the Biblical magi (Adoração dos Magos by Vicente Gil). Balthasar , the youngest magian, bears frankincense and represents Africa. To the left stands Caspar , middle-aged, bearing gold and representing Asia. On his knees is Melchior , oldest, bearing myrrh and representing Europe.

Magi (Latin plural of magus, ancient Greek magos, English singular 'magian', 'mage', 'magus', 'magusian', 'magusaean') is a term, used since at least the 4th century BCE, to denote a follower of Zoroaster , or rather, a follower of what the Hellenistic world associated Zoroaster with, which was – in the main – the ability to read the stars, and manipulate the fate that the stars foretold. The meaning prior to Hellenistic period is uncertain.

Pervasive throughout the Eastern Mediterranean and Western Asia until late antiquity and beyond, Greek mágos "magian" was influenced by (and eventually displaced) Greek goēs, the older word for a practitioner of magic, to include astrology, alchemy and other forms of esoteric knowledge. This association was in turn the product of the Hellenistic fascination for (Pseudo-)Zoroaster , who was perceived by the Greeks to be the "Chaldean " "founder" of the Magi and "inventor" of both astrology and magic. Among the skeptical thinkers of the period, the term 'magian' acquired a negative connotation and was associated with tricksters and conjurers. This pejorative meaning survives in the words "magic " and "magician ".

In English, the term "magi" is most commonly used in reference to the Gospel of Matthew 's "wise men from the East", or "three wise men" (though that number does not actually appear in Matthew's account, and various sources placed the number anywhere between two and twelve). The plural "magi" entered the English language around 1200, in reference to the Biblical magi of Matthew 2:1 . The singular appears considerably later, in the late 14th century, when it was borrowed from Old French in the meaning magician together with magic.

http://en.wikipedia.org/wiki/Magi

西洋占星術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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人体と十二宮の照応関係を示した図(ベリー公のいとも豪華なる時祷書 より)

・・・・・


ケプラーがヴァレンシュタイン のために作成したホロスコープ。当時のホロスコープはまだ正方形であった。

ルネサンス期の占星術にとって特に重要だったのは、コペルニクス の『天球の回転について』(1543年)である。これによって、プトレマイオス的な地球中心説 とともに、伝統的な占星術における太陽や月を含む「惑星」概念が否定された。同時に、宇宙が地球を中心とする狭い同心円でなく、大きな広がりを持っていたことが認識され、そのように離れた星々が、どれほどの影響を行使しうるのかという問題も発生した[23] 。

17世紀に入ると、天文学者でもあったヨハネス・ケプラー が、この問題に取り組んだ。ケプラーは『へびつかい座 の新星』では、「賢いけれども貧しい母」(天文学)と「その生活費を稼ぐ愚かな娘」(占星術)の対比によって、占星術があくまでも日々の糧を稼ぐための道具であると述べていたが[24] 、『占星術の確実な基礎について』(1602年)、『第三に介入するもの』(1610年)、『世界の調和』(1619年)などでは、新たな占星術理論の構築を試みている[25] 。しかし、太陽中心説 を軸とする刷新はうまくいかず、当時はむしろジャン=バチスト・モラン の『ガリアの占星術』(1661年)のように、プトレマイオス的世界観を墨守することを表明するものもあった。他方で、ケプラーは占星術を数学的に純化しようとしたことをはじめ、様々な改革を試みており、アスペクトなどでは重要な貢献を行っている。ケプラー以前のアスペクトは、第1にサインとサインの関係であったが[26] 、ケプラーは星と星の間の角度として再定義し、この新たなアスペクト概念は多くの占星術師に受け入れられ、現代に到っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93

[Public Domain Image]
Harmonies of the World
by Johannes Kepler
tr. by Charles Glenn Wallis
[1939]
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http://www.sacred-texts.com/astro/how/index.htm

Johannes Kepler
From Wikipedia, the free encyclopedia

http://en.wikipedia.org/wiki/Johannes_Kepler
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2009年07月03日 (22:32)

諸宗教とは原神性=超越性に対する諸観点ではないのか:宗教の脱同一性化と絶対的脱構築主義

たびたび引用するアメリカの神話学者ジョセフ・キャンベルの主著に『神の仮面』Masks of Godという四巻本がある。この「神」Godを原神=超越性と見れば、私の考えが明快になるだろう。
 つまり、元々は根源的に一つの原神性=超越性が存するのであり、それを、各民族、各時代、各土地、等によって、すなわち、そのフィルターを通して、見ていたのではないだろうか。
 即ち、原神(神々)が存するが、それをユダヤ民族は、ヤハウェやエローヒームと、キリスト教徒はイエス・キリストと、マホメット(ムハンマド)は、それをアッラーと、また、仏陀は空と、そして、ザラシュトラはアフラ・マズダーと、そして日本民族は、三柱の神や八百万の神と、そして、インド人はヴィシュヌ、ブラフマン、シヴァと、そして他は別様に見たのではないだろうか。
 根本的な超越的普遍性があるのであり、それを多様に把握しているのである。これは、以前、Kaisetsu氏が説いた相対性理論の考え方に共通しよう。「光」の普遍性があり、それを多様に観測するということである。
 これは当然、宗教・神話に限られず、超越エネルギーがあるのであり、これを合理的に秩序化したものが自然科学ということと考えられる。しかしながら、近代科学は同一性=物質の観点から超越エネルギーの現象態を捉えようとしたに過ぎない。もっとも、量子論は、超越エネルギーを対象としているといえよう。ただし、唯物論の枠組みをまだ残存させてはいるが。
 また、東洋哲学は、基本的に超越エネルギーを対象としていると言えよう。だから、「気」という視点が生まれると考えられる。つまり、「気」とは超越エネルギーであるということである。陰陽論は超越エネルギーを対象としていると言えよう。
 宗教に戻れば、結局、諸宗教の教徒が相争うのは、普遍的超越性を同一性化することによって、相対立が起こることからだろう。普遍性を同一性化すれば、それは、二項対立を生み、自身が正しく、他者は誤謬であるとなるのである。
 根源的超越性を例えば、iとすれば、それを+1として見るのが同一性化である。わかりやすく言えば、「川」が存するが、riverやStromやrivièreや川、等々と呼ぶようなものである(追記:私が直感・直観を重視するのは、同一性言語に囚われない、原感覚・原知覚、言い換えると、普遍的感覚・普遍的知覚がそこにはあるからではないだろうか。だからこそ、言語よりも、美術や音楽の方が、対象を誤魔化しなく捉える傾向をもつと考えられる。つまり、言語意識よりも、感覚意識の方が対象を正しく捉えるということである。)。もちろん、各地域によって川の性質は異なるのは確かであるが。宗教の脱同一性化が必要である。脱フィルター化である。
 思うに、脱構築主義は、差延を問題し、同一性と差異との相対性を述べて、同一性的な構築を否定するという発想である。それは、正に、ポスト・モダンであり、ドゥルーズの連続的差異と類似する。
 そう、脱構築の脱構築が必要なのである。いわば、絶対的脱構築主義である。これまでの脱構築主義は、相対的脱構築主義ということになる。

追記1:思うに、一神教は同一性化が多神教よりも強化されたものと言えよう。とまれ、根本は超越的エネルギー論であるということである。

追記2:ウィリアム・ブレイクは、All Religions are One.(すべて宗教は一つである。)と述べていたのを想起する。

Title; E1| ALL RELIGIONS are ONE t2


AROepigraph; E1| The Voice of one crying in the Wilderness


ARO; E1| The Argument As the true method of knowledge is experiment
AROargmuent; E1| the true faculty of knowing must be the faculty which
AROargument; E1| experiences. This faculty I treat of.
ARO; E1| PRINCIPLE 1st That the Poetic Genius is the true Man. and that
AROprin1; E1| the body or outward form of Man is derived from the Poetic
AROprin1; E1| Genius. Likewise that the forms of all things are derived from
AROprin1; E1| their Genius. which by the Ancients was call'd an Angel & Spirit
AROpriin1; E1| & Demon.
ARO; E1| PRINCIPLE 2d As all men are alike in outward form, So (and
AROprin2; E1| with the same infinite variety) all are alike in the Poetic
AROprin2; E1| Genius
ARO; E1| PRINCIPLE 3d No man can think write or speak from his heart,
AROprin3; E1| but he must intend truth. Thus all sects of Philosophy are from
AROprin3; E1| the Poetic Genius adapted to the weaknesses of every
AROprin3; E1| individual
ARO; E1| PRINCIPLE 4. As none by traveling over known lands can find out
AROprin4; E1| the unknown. So from already acquired knowledge Man could not
AROprin4; E1| acquire more. therefore an universal Poetic Genius exists
ARO; E1| PRINCIPLE. 5. The Religions of all Nations are derived from
AROprin5; E1| each Nations different reception of the Poetic Genius which is
AROprin5; E1| every where call'd the Spirit of Prophecy.
ARO; E1| PRINCIPLE 6 The Jewish & Christian Testaments are An original
AROprin6; E1| derivation from the Poetic Genius. this is necessary from the
AROprin6; E1| confined nature of bodily sensation


ARO; E2| PRINCIPLE 7th As all men are alike (tho' infinitely various) So
AROprin7; E2| all Religions & as all similars have one source
AROprin7; E2| The true Man is the source he being the Poetic Genius
http://www.english.uga.edu/nhilton/Blake/blaketxt1/all_religions_are_one.html
Contents, The Complete Poetry and Prose of William Blake
edited by David V. Erdman 
The Masks of God, Vol. 1: Primitive Mythology (Paperback)
http://www.amazon.com/Masks-God-Vol-Primitive-Mythology/dp/0140194436/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1246617764&sr=1-1

2009年06月10日 (19:43)

検討問題:シュタイナー批判:彼の説く「イエス・キリスト」は、アフラ・マズダーと言うべきである

今は余裕がないので、引用等できないが、シュタイナーの「精神科学」であるが、私が結局いちばん納得できないのは、宗教において、イエス・キリストを最高のものとしていることである。しかし、イエス・キリストの「霊」とは、アフラ・マズダーと彼は述べているのである。
 ならば、アフラ・マズダーの「神懸かり」としてのイエス・キリストではないだろうか。ならば、イエス・キリストと呼ぶ必要はないのであり、端的に、アフラ・マズダーであり、キリスト教ではなく、ゾロアスター教と呼ぶべきではないのか。
 ユダヤ・キリスト教とは、明らかに、+1に傾斜した宗教であり、悪神的である。しかし、これは、既述したように、物質科学を創る源泉であったのである。結局、ポスト・ユダヤ・キリスト教である。
 一神教は深い闇なのである。ゾロアスター教の視点に立つことで、すべての宗教や文明の謎が解明されるだろう。一神教はゾロアスター教の影に過ぎない。

2009年05月31日 (16:27)

百済遼西=帯方郡説と紅山文化=大女神文化:大女神文化の倭国と卑弥呼

てげてげの飯山氏の百済遼西=帯方郡説から、紅山文化が一気に興味深くなった。これは、端的に、偉大な大女神文化である(と直観される)。そうすると、紅山文化が倭国の文化の一つの主要な原型(二千年の差があるので原型である)であり、それが、日本へ入ったと考えることができる。
 これで一気に倭国・日本文化問題が解明できる可能性がでてきた。大陸の高度な大女神文化が、原始的な大母神文化(縄文文化)と結びついて、倭国・日本大女神文化が生まれたのではないのか。そして、その後、父権的民族(「一神教」的民族、ユダヤ民族?)の支配によって、倭国・日本大女神文化の「神話」=神伝が改竄されて、記紀が創られたのではないのか。

補記:以上の作業仮説から、これまで述べてきた日本文化が母権文化と父権文化との混淆であるというテーゼがよりよく説明されよう。
 「日御子(ひのみこ)」が問題の核心にある。母権文化では、それは、大女神の子、夫、恋人である(折口信夫の『死者の書』の世界である)。しかし、父権文化では、父権的太陽神である。だから、「天皇制」は、ちょうど、キリスト教の構成に類似していると言えよう。つまり、女神の子としての「イエス・キリスト」とヤハウェの「顕現」としての「イエス・キリスト」の混淆である。そう、「天皇制」とキリスト教は、まったく異質な二つの文化が衝突しているのである。換言すると、差異と同一性の衝突なのである。

参考:
◆ 2009/05/30(土) 『邪馬台国』の所在地.それはソウル近辺だ!

・・・・・
中国の歴史書には…,
 「百済は遼西に都した.そこは帯方郡の故地であった」 という記述が多数ある.

飯山一郎の小さなHP:低下低下=てげてげ

紅山文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉でできた龍。紅山文化の出土品

紅山文化(こうさんぶんか、ホンシャン文化、红山文化、拼音 : hóngshān wénhuà , Hongshan culture, 紀元前4700年 頃-紀元前2900年 頃[1] )は、中国 の万里の長城 より北方に存在した新石器時代 の文化で、燕山山脈 の北から遼河 支流の西遼河 上流付近にかけて広がっていた(現在の河北省 北部から内モンゴル自治区 東南部、遼寧省 西部にあたる)。農業を主とした文化で、龍 などをかたどったヒスイ などの玉から、現在の中国につながる文化や宗教の存在もみることができる。

紅山文化の名は、内モンゴル自治区 の赤峰市 にある紅山後(こうざんご、Hongshanhou)遺跡に由来する。1908年 、満蒙調査を行っていた考古学者の鳥居龍蔵 が発見し、1935年 に濱田耕作 (浜田青陵)や水野清一 らにより大規模な調査が行われた。戦後各地で発掘が相次ぎ、彩陶と細石器に特徴付けられるこの文化は1954年 、紅山後にちなんで紅山文化と命名されている。
石器および陶器 [編集 ]

紅山文化の主な遺跡は西遼河上流の支流、潢水および土河の流域に広がっている。その年代は現在から5000年以上さかのぼり、南の黄河 流域の仰韶文化 の中期および晩期に相当する。発見された石器 は打製石器 ・磨製石器 ・細石器 などであり、そのほとんどは農具で、石耜・石犁・石鋤などのすき類が多い。

紅山文化の陶器は、泥質紅陶および夾沙灰陶の2種類に分けられる。泥で作り筆で絵付けした彩陶(彩文土器)は煮炊きや食事などに使われ、紋様が刻まれた夾沙灰陶は食事の盛り付けなどに使われた。そのほかの陶器では、妊婦をかたどった胸像が各地から出土している。紅山文化では仰韶文化 のような彩陶文化は発達しなかったが、龍山文化 の黒陶の洗練された造形には近いものがある。また後期の遺跡からは青銅 の環も発見されている[2] 。

生活 [編集 ]

紅山文化では農業 が主で、家畜を飼育しての畜産 も発達しておりブタやヒツジが飼われた。一方では狩猟 や採集 などで野生動物を狩ったり野草を採ったりすることもあった。

玉石と精神文化、牛河梁遺跡 [編集 ]

紅山文化の墳墓からは、ヒスイ などの石を彫って動物などの形にした装飾品が多く出土している。ブタ 、トラ 、鳥 のほか、龍 を刻んだものも見つかっている。工芸の水準は高く、紅山文化の大きな特徴となっている。「猪竜(ズーロン)」または「玉猪竜(ユーズーロン)」と呼ばれる紅山文化の玉龍(龍を彫った玉)の造形は単純であり、龍が円形になっているものが多いが、後期になると盤龍・紋龍などの区別がはっきりとしてくる。考古学者の中には、後に中原 で始まった龍への崇拝は、紅山文化にその源を発するという見方もある。

1983年 に遼寧省 凌源市 から建平県 にかけての広い範囲で発見された牛河粱遺跡(牛河梁遺跡、ぎゅうがりょういせき、Niuheliang)からは紅山文化とかかわりの深い祭祀施設が発見されている。5平方kmにおよぶ広い範囲に石を積んで作られた墳墓や祭壇が整然と分布している。また石の床と彩色を施された壁のあった神殿が見つかり、目がヒスイでできた陶製の女性頭像が発見されたことから「女神廟」と呼ばれることになった。発掘の過程で、地下1mから祭祀の場や祭壇、壁画、ケアン (石塚)が発見された[3] 。

女神廟の中には、人間の3倍近い大きさの陶製の像が並んでいた。これらの像はおそらく神像であるが、現在の中国文化では類を見ないものである[4] 。

牛河粱で発見された記念碑的な建築物の存在、また様々な土地との交易の証拠から、この時期には先史時代の「首長国」「王国」があったと考えられる[5] 。

女神廟では彩陶も発見されている[3] 。付近の60以上の墳丘墓 も発掘が行われたが、これらは石を組んで石室が作られ、その上に礫をかぶせて塚が作られており、中から玉などの遺物も発見されている[6] 。近くの2箇所の丘の上にはケアン が発見され、その近くには石灰岩 を段々に積み上げて作った円墳や方墳もある。これらの墳丘墓の中からは龍や亀の彫刻が発見された[3] 。紅山文化ではいけにえが捧げられたという指摘もある[3] 。

仰韶文化 初期の遺跡から発見された遺物が語るように、紅山文化の遺跡からも初期の風水 の証拠とされるものが見つかっている。牛河粱遺跡など、紅山文化の祭祀遺跡にみられる円形や方形は、天円地方 の宇宙観がすでに存在していたことを示唆している[7] 。

遼河流域の文明 [編集 ]

すでに長江流域から新石器時代の独自の文化(長江文明 )が発見されて黄河文明 中心の中国史に一石が投じられているが、黄河から北へ離れた東北 (満州 )の遼河 流域の地からも中国の精神文化へ繋がる文明が発見されたことは大きな反響を呼んだ。この後も、遼河流域から興隆窪文化 などの新石器文化が発見されている。

これに対し、韓国の一部では、満州にあった扶余 が高句麗 や百済 などを建国したという伝承に紅山文化が関連付けられている。これまで神話や伝説でしか存在しなかった「古朝鮮 」文明と「遼河文明」を同じと考え、古朝鮮が遼河文明を通じ中国文明を築いたという説も唱えられている[8] 。

関連項目 [編集 ]

* 中国の新石器文化の一覧
* 黄河文明
* 長江文明
* 新楽遺跡
* 興隆窪文化
* 裴李崗文化
* 北辛文化
* 馬家浜文化
* 馬家窯文化
* 大汶口文化
* 仰韶文化
* 龍山文化
* 二里頭文化
* 夏

・・・・・

外部リンク [編集 ]

* 紅山文化とは - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words
* 牛河梁遺跡とは - 意味・解説 : 考古用語辞典 Archeology-Words
* 紅山文化部落連合体、早期国家形態の特徴に近い - 北京週報
* 紅山文化・富河文化
* 内モンゴル遺跡紀行 関口広次

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E5%B1%B1%E6%96%87%E5%8C%96 " より作成
カテゴリ : 先史中国 | 新石器時代 | 満州の歴史 | 考古文化

興隆窪文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

興隆窪文化(こうりゅうわぶんか、シンロンワ文化、兴隆洼文化、拼音 : xīnglóngwā wénhuà , Xinglongwa culture, 紀元前6200年 頃-紀元前5400年 頃)は、中国 の万里の長城 より北方に存在した新石器時代 の文化。その出土範囲は、現在の中華人民共和国 内モンゴル自治区 付近から遼寧省 付近にまたがっており、紅山文化 に先行する遼河 流域の文明のひとつ。

興隆窪文化は、ヒスイ などの玉製品(玦 : けつ)の出土する文化としては中国最古のものであり、なおかつ龍 の出現する文化としても中国最古のものである。また興隆窪文化の遺跡からは平底円筒状の、比較的低い温度で焼いた土器 (陶器 )が出土する[1] 。黄河文明 のほかに、先史中国の新石器文化が南の長江 流域および北の遼河 から発見されているが、興隆窪文化は遼河流域の文化の一つとして重要である。

興隆窪文化の遺跡においては、集落が計画的に築かれた痕跡も見られる。住居が列をなしている状態が3つの遺跡から発見された。またいくつかの遺跡ではひときわ大きな建物が発見されたほか、堀 に囲まれた環濠集落 も見つかっている。

興隆窪文化の標式遺跡 である興隆窪遺跡は、内モンゴル自治区赤峰市 の敖漢旗 (ごうかんき、アオハンき)の丘の南西麓にある。この遺跡は南東1.3kmの位置にある興隆窪集落から名付けられた。遺跡からは竪穴式住居 が120箇所発見され、各住居の中央にはかまど があった。興隆窪遺跡の中央には大きな建物があったほか、中国でも初期の環濠(堀)も発見されており、環濠の中は2万平方mもある大集落であった。埋葬の風習も独特のものであり、いくつかの遺骨は住居の下に埋葬されていた。興隆窪文化の他の遺跡同様、興隆窪遺跡の墳墓などからもヒスイでできた玉が発見され、ある墳墓からは玉製品のほかにブタ のつがいとともに葬られた遺骨もあった。

近年発見された興隆溝遺跡(Xinglonggou)では雑穀 があった証拠が発見されており、興隆窪文化における唯一の農業 の存在の証拠となっている。


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脚注 [編集 ]

1. ^ 類似する平底円筒型土器が朝鮮半島 北部からアムール川 流域、ロシア沿海地方 にかけての広範囲で紀元前6千年紀 頃から紀元前2千年紀 ごろまでの間に発見されているほか、同様の土器が縄文時代 の日本の東北地方 ・北海道 からも発見されている。

外部リンク [編集 ]

* 「興隆窪文化の玉玦及び相関問題についての研究」劉國祥 中国社会科学院考古研究所副研究員
* 中国先史農耕・経済の発展と文明の起源について -黄河・長江中下流域を中心として- 張弛 (北京大学考古系)
* 東アジアと縄文時代 西田泰民
* 内モンゴル遺跡紀行 関口広次

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E9%9A%86%E7%AA%AA%E6%96%87%E5%8C%96 "
参照:
日本語の源流をたどるサイトへようこそ



http://www.imaken.biz/index.html 日本語の源流をたどる

2009年05月14日 (21:33)

女神神伝の叡知・玉知と脱父権文明:Media Point叡知の復権:トランス・モダン伝統精神復興

以下の簡潔にまとめられた東アジアの「神話」(神話という用語は問題がある。話ではなく、伝承や「史書」である。いわば、精神事象伝承である。少なくとも、神伝ないしは神伝承である。だから、以下、神伝という造語を暫定的に使用する。)は、斜め読みしたが面白い。面白いというのは、比較神話学の見地から面白いということである。
 盤古神伝は、ほとんど、ユダヤ伝承カバラのアダム・カドモン(原人)神伝に通じる。また、洪水伝説であるが、それは、シュメールに関係する『ギルガメシュ叙事詩』にも、ギリシア神話にも、また、聖書にも叙述されている。
 ここで、アジア・東洋のプロト神伝があったと作業仮説できよう。東伝したプロト神伝があり、変異し、西伝したそれがあり、また、それなりに変異したと考えられるが、基本的なプロット(筋)は共通するものが多いと言えよう。表層は変異するが、深層は不易であるということである。もちろん、土地土地の社会・歴史・文化的特異性が影響を及ぼしている。
 とまれ、私がいちばん興味をもつのは、基層としての女神神伝であり、それが変形されて形成(「改竄」)された男神神伝という文書である。
 前者は口承であり、それを父権的に変形された後者が加工されたと考えられるのである。
 とまれ、推察できることは女神文化社会とは自然・精神・差異文化社会であり、男神文化社会とはロゴス・同一性・暴力文化社会であるということである。そして、前者の原基の上に後者が成立したということである。
 思うに、人類は前者の叡知をなんらかの形で、後者にも受け継がざるをえないと言えよう。キリスト教も本体は女神の叡知と考えられるし、イスラム教もそうである。
 問題は、西洋文明において、近代主義が起り、世界的に、この女神の叡知が消えたことであろう。これは、当然、近代合理主義・近代的自我・唯物論に原因があるのである。
 これは、巨視的には、父権主義化が原因と言えよう。つまり、同一性主義化である。この傾斜によって、根本の女神の叡知(Media Pointの叡知)が喪失させられたと言えよう。
 これまでの文明史は父権文明史であり、根源の女神の叡知を消失させる方向に動いてきて、今や、ほとんど喪失したのである。
 しかしながら、現代の世界的な金融大危機の時代になり、突然、父権文明が終焉した考えられるのである。
 だから、脱父権文明の時代であり、新母権文明の時代への転換期とは言えよう。
 結局、不連続的変異(「突然変異」)的に、喪失されてきた女神神伝の叡知、即ち、PS理論から言うと、Media Pointの叡知・玉知が復活したと思われるのである。いわば、天の岩戸が再開したのである。
 整理して言うと、西洋近代とは実は、Media Pointの新たな復活であったが、西洋文明はユダヤ・キリスト教文明であるために、同一性へと傾斜したのである。つまり、差異と同一性が連続的同一性化したのが近代西洋であると言えよう。そして、同一性への方向が崩壊した米国金融資本であったのである。そして、いわば、殻が破れたので、中にあった差異が飛び出してきたというのが今ではないだろうか。
 思うに、近代西洋文明を歪んだ形で模倣した日本であるが、ここにきて、抑圧されてきた伝統文化精神が復活してきたのではないだろうか。つまり、もともと強くある女神神伝精神である。言い換えると、日本Media Point精神である。
 西洋人にもMedia Pointは当然存するが、やはり、同一性に傾斜しているので、理解しにくいはずである。(だから、ポスト・モダンは挫折したと言えよう。)
 しかしながら、東洋人、日本人には、同一性的傾斜は弱いために、被抑圧のMedia Pointが復活しやすいと言えよう。言い換えると、差異共振エネルギーが勃興し出したと考えられるのである。

参考:

 天地開闢神話  盤古神話、古代苗族、古朝鮮・倭

  三五暦記、五運暦年記、述異記、史記、新華網、他
 公開中
 原文対照

  三皇五帝-概要

   史記(五帝本紀)
公開中
 原文対照

 三





 皇



 天皇、地皇、人皇(秦皇)
 公開中 

 燧人 (すいじん)

   韓非子、史記(三皇本紀)、他
公開中
 原文対照

 伏羲と女媧
(ふつぎ・じょか)

  伏羲考、十八史略、タイ族神話、他
公開中
 原文対照

 共工 (きょうごん)  

   十八史略、淮南子、史記、他
公開中
 原文対照

 祝融
(しゅくゆう)

   史記(楚世家)
公開中
 原文対照

 神農 (じんのう)

   正義(帝王世紀)
公開中
 原文対照
 五






 





 黄帝 (こうてい) 

  史記(五帝本紀)、軒轅黄帝、他
公開中
 原文対照

 少昊氏 (しょうこうし) 

   少昊帝(香港仏陀教育協会論文)
公開中
 原文対照

 高陽氏顓頊 (こうようしせんぎょく)

   史記、顓頊帝(香港仏陀教育協会論文)
公開中
 原文対照

 高辛氏帝嚳
(こうしんしていこく) 盤瓠神話

  史記、帝嚳(香港仏陀教育協会論文)
公開中
 原文対照

 帝堯
(ていぎょう)

   史記、帝堯(香港仏陀教育協会論文)
公開中
 原文対照

 帝舜
(ていしゅん)

   史記、帝舜(香港仏陀教育協会論文)
公開中
 原文対照

  陰陽五行説

    陰陽説・五行説・十干・十二支・太歳


日中韓・三国神話
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinwa/library.htm

参照:
カバラ
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Tree of Life

カバラ(קַבָּלָה qabbalah)、カバラーとは、ユダヤ教 の伝統に基づいた創造論、終末論、メシア論を伴う神秘主義思想 である。独特の宇宙観を持っていることから、しばしば仏教 の神秘思想である密教 との類似性を指摘されることがある。

カバラーはヘブライ語 の動詞キッベール「受け入れる」「伝承する」の名詞形で、「受け入れ」「伝承」を意味する。カバラーが登場する以前のゲオニーム 時代には、単に口伝律法 を指す言葉として用いられた。したがって、その後ユダヤ教神秘主義を指す呼称となった際にも、個人が独自に体得した神秘思想というよりは、神から伝授された知恵、あるいは師が弟子に伝承した神秘という意味で用いられることになる。カバラーはユダヤ教の伝統に忠実な側面を持とうとしたという点において、他の宗教の神秘主義とは異なる。本来のカバラーは、ユダヤ教の律法を遵守すること、あるいは神から律法の真意を学ぶことを目的とした。したがって、正統的なユダヤ教との親和性を持っていた時期もあったため、必ずしも秘教的な神秘思想とは言えない。しかし、キリスト教 の神秘家に採り入れられるようになると、ユダヤ教の伝統からは乖離した極めて個人的な神秘体験の追究の手段として用いられることになる。
小史 [編集 ]

伝説では、アブラハム がメルキゼデク から伝授された天界の秘密だとも、モーセ が律法 (トーラー)に記し切れなかった部分を口伝として後世に伝えたものだともいう。しかし、3世紀 から6世紀 頃に始まり、16世紀 頃にほぼ現在の体系が完成したとされる。

分類 [編集 ]

カバラは大きくユダヤ・カバラ とクリスチャン・カバラ に分類される。前者が本来のカバラであり、ユダヤ教徒が旧約聖書 の解釈に用いるものである。後者はユダヤ・カバラをキリスト教 に応用するために考えられたが、後に近代西洋魔術 の理論的根拠にされた。クリスチャン・カバラーは生命の樹 の活用を中心に成り立っている。

思想 [編集 ]

カバラでは世界の創造を神エイン・ソフからの聖性の10段階にわたる流出 の過程と考え、その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈をする。この過程は10個の「球」と22本の「小径」から構成される生命の樹 (セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、その部分部分に神の属性が反映されている。 したがってカバラーは一神教 でありながら多神教 や汎神論 に近い世界観を持つ。

別の解釈ではこの世界を一冊の書物とみなす。すべてが書き込まれているこの書を解読することはこの世界のすべてを理解することである。そしてその書はヘブライ文字 の22文字で書かれており、それぞれの文字が宇宙の原理となる要素を象徴しているという。それゆえ、そのヘブライ文字のアルファベットを解読することが重要な鍵となる。

また、聖書無謬主義から一見矛盾している旧約聖書 の記述を神秘主義的解釈を用いて影響を受け読み解く。一例として創世記 冒頭の天地創造 には人間創造の場面が二回出てくる。文献学的にはこれは別系統の神話を一つの書物に統合した為に生じた矛盾と考えられているが、カバラーでは実際に人間創造が二回(またはそれ以上)行われたと解釈する。

数秘学 [編集 ]

また、聖書を神秘主義的に解釈する際、ゲマトリア やノタリコン 、テムラー と呼ばれる一種の暗号解読法 を用いる場合がある。これらが後に世俗化し数秘学 、数秘術 と呼ばれる運命解読の方法となった。

関連項目 [編集 ]

* ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ
* ヤーコプ・ベーメ
* ユダ・レーヴ
* ゲルショム・ショーレム
* カバラ教団
* ゾーハル
* メルカバー
* バーヒール Bahir
* 形成の書
* 神秘主義

外部リンク [編集 ]

* ブネイ・バルーフカバラ教育研究所
* 自然魔術とカバラ
* 生命の木 (英語)
* カバラ 5000 以上の単語を辞書(英語)です


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カテゴリ : カバラ | 西洋儀式魔術 | ユダヤ教 | キリスト教神学

2009年04月18日 (21:03)

日本の起源と山岳/太陽信仰:神道は原始宗教の継承である

以下、てげてげの飯山氏の記事である。「日本国」の誕生の起源の推理である。
 神話からは、Media Pointにおける太陽への信仰が源泉であると思われる。それは、例えば、後年では、山越阿弥陀等に継承されているだろう。
 もっとも、私は人類の根源的宗教は太陽信仰、太陽崇拝、太陽神信仰にあったと思っている。神道は、それを、現代・今日でも原始宗教を継承している、奇蹟的な宗教である。
 後で日本国の発生について私説を述べたいが、これまで、漠然と南方系と北方系の「融合」に日本の起源を見て、前者を縄文・アイヌ系と通じるいわば古神道を、そして、後者には、弥生や古墳的な大陸父権文化との融合を見てきたが、最近は、Kaisetsu氏や飯山氏の説明を読み、また、それから喚起されて見て神話的な解明から、どうも日本に入ったツングース/朝鮮系の民族は、父権民族というよりは、太陽崇拝的母権民族であったのではないかと考えている。そして、いわば、土着的なアニミズム/シャーマニズムの文化(南方文化)に、この高度な太陽信仰母権民族とが融合して、日本が誕生したのではないかと思えている。
 この太陽信仰民族は、古代ギリシア民族、シュメール民族(インダス文明形成民族)、ツラン民族と関係すると推測している。
 思うに、それは新しい母権民族であり、それは土着の古い母権民族と融合して、大地に根づいた母権文化社会を形成したのではなかったか。それが、「天皇制」ではないだろうか。今はここで示唆するに留める。

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◆ 2009/04/18(土) 鮮やかな朝の光の下で 『日本』 は生れた…
 「飯山さん,あなた,きょうは移動日だったね? だから要点だけ話すね.」
と言うヤン教授は,気配りの紳士.こちらの予定にも心配りをしてくれる.
.
…飯山さん,東大阪市の日下(くさか)町.知ってるでしょ? 生駒山の麓にある町.
日本書紀は,この山麓一帯を草香(くさか)と記録している.
そして,「日下 (ひのもと) の草香」と,枕詞(まくらことば)をつけていた.
なぜ 日下 (ひのもと)なのか?
…早朝,難波から生駒山を見る.
朝日が昇る時,草香は,「太陽の下=日の下」となる.
生駒山をバックに,鮮やかな朝の光が,草香一帯にあふれる.
朝の太陽の下で,草香の里が光かがやく….
これが 「日下(ひのもと)の草香」 の謂れだ.
やがて,草香(くさか)が 日下(くさか)になって…,
その日下(くさか)に 「日の本(下)の」 という枕詞がつく.
「日の本の日下(くさか)」.これが 『日本』 という国名の発祥だ.
この一連の 「言葉遊び」 を,難波に上陸した百済人たちは楽しんでいた.
百済国….
国は滅亡したが,日本列島に逃れ,新しい国 『日本』 をつくり,『天皇制』 をつくった.
その 『天皇制』 は,今でも日本国の根幹をなす “日本の象徴” だ.
金正日は 『東北工程』 との “闘い” のなかで,『天皇制』 の絶大な意味を知り…,
『天皇制』 に憧れ,自分も北朝鮮の 『天皇』 になろうとしていたが…,
最近は諦めたようだ.
すると,金正日の “次の一手” は,決まってくる.
『天皇の血筋』 を,北朝鮮で蘇らせる! という “起死回生の一手” だ.
その “舞台づくり” に,いま,北朝鮮は 躍起となっている….つづく 
飯山一郎の小さなHP:低下低下=てげてげ

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(以下、ウィキペディアからの出典)
神道
神道(しんとう・かんながらのみち)とは、日本 の民俗的な信仰体系であり、日本固有の多神教 の宗教 である。
概要 [編集 ]

神道は、太古の日本から信仰されてきた固有の文化 に起源を持つ宗教 である。日本列島 に住む民族 の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰 ・自然信仰 を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した。なお、神道には明確な教義や教典がなく、『古事記 』『日本書紀 』『古語拾遺 』『宣命 』などといった「神典 」と称される古典を規範とする。森羅万象 に神 が宿ると考え、天津神・国津神 や祖霊 を祀り、祭祀 を重視する。浄明正直 (浄く明るく正しく直く)を徳目とする。他宗教と比べて、現世 主義的であり、性善説 的であり、祀られるもの(神)と祀るもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴が見られる。

・・・・・

由来と教義 [編集 ]

「神道」という言葉は、中国の『易経 』や『晋書 』の中に見えるが、これらは「神(あや)しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものである。

日本における「神道」という言葉の初見は、『日本書紀 』の用明天皇 の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)である。このように外来の宗教である仏教と対になる、日本固有の信仰を指したものだった。

中国では、信仰は「鬼道 」「神道」「真道 」「聖道 」の4段階に進化すると考えられ、仏教は一番進んだ「聖道」に達していると信じられていた。一番下の段階が「鬼道」で、『魏志倭人伝 』の中にもこの語が出てくる。次の段階が「神道」」(「神(あや)しき道」)である。すなわち、『易経 』や『晋書 』の中に見える「神道」(「神(あや)しき道」)という語は、鬼道よりは進んでいるが、まだまだ劣っているという蔑称である。日本における「神道」は中国道教の「真道」「聖道」といった進化に対して保守的であり、「鬼」が蔑称文字とされても「祈祷」の字を代用するなど、他の宗教の原理主義に近い状態を維持している。

明治20年(1887年)代になると西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始める。明治30年(1897年)代には宗教学が本格的に導入され、学問上でも「神道」の語が確立した [2] 。

元々、神道にはイエス・キリスト や釈迦 のようなカリスマ 的創唱者が存在しなかった。政権による土着の民俗信仰との支配的な祭政一致 が行われた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神在随 事擧不為國」[3] だったからであるとも言われている。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったとも言う。しかし、神道のような土着の民俗信仰と宗派宗教 の併存例は世界各地で見られるものであり、日本が特に珍しい例というわけではない。実際には仏教公伝 の当初から廃仏派の物部氏 と崇仏派の蘇我氏 の間で抗争もあった。中世には伊勢神道 をはじめとして吉田神道 などの諸派が反本地垂迹説 など複雑な教理の大系をつくりあげてゆく。近世後期には平田篤胤 がキリスト教の最後の審判 の観念の影響を受けた幽明審判思想 やアメノミナカヌシ を創造神 とする単一神教 的な観念を展開するなど近代に連なる教理の展開を遂げた。近世に大きく発展した儒家神道 は次第に大衆に支持基盤を得て尊王攘夷 思想を広め、討幕の国民的原理ともなっていった。近代には神道事務局祭神論争 という熾烈な教理闘争もあったが、結局は政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識して大日本帝国憲法 でも信教の自由 を認めせざるを得なかった[4] 。もっともそれには、欧米列強に対して日本が近代国家であることを明らかにしなければならないという事情もあった。神社神道 では教義を明確に統一できないことに由来する神道の「掴みにくさ」は、同時に言語に強く依存した外来の諸宗教に完全には吸収同化されない、身体感覚を重視した遠い昔からの所作の現われとして現代日本社会にもなお受け継がれている。この結果、仏教や儒教 、キリスト教などの受容後も、神道的なものが日本人の精神生活に幅広く残った。これらを俯瞰すると、抱擁的側面は出雲が有し、社会制御的側面を伊勢が受け持ったともいえる。

神道における「神」 [編集 ]

神道は多神教 だが、祖霊崇拝 性が強いため、古いものほど尊ばれる。1881年 の神道事務局祭神論争 における明治天皇 の裁決によって伊勢派 が勝利し、天照大神 が最高の神格を得たが、敗北した出雲派 的なものが未だに強く残っていたり、氏神 信仰などの地域性の強いものも多い。

気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神 」である。この点はアイヌ の宗教にも共通する。詳細は神道における神 を参照のこと。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神 )。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93


古神道

古神道(こしんとう)とは、6世紀 以前の古道 ・かんながらのみち と呼称された神道 の源流である日本古来の信仰 のこと。

原始神道・縄文神道・復古神道 とも言い、密教 ・仏教 ・道教 などの外来宗教の影響を受ける以前の神道のことでもあるが、神社神道 に対峙しての古神道という使われ方などもする。現在の神道や神社神道も古神道を内包していて不可分でもある。
概要 [編集 ]

古神道は、原始宗教 ともいわれ、世界各地で人が社会を持った太古の昔から、自然発生的に生まれその様相は、押並べて同様である。その要素は自然崇拝 ・精霊崇拝 (アニミズム )または、その延長線上にある先祖崇拝 としての命 ・御魂 ・霊 ・神 などの不可知 な物質 ではない生命 の本質としてのものの概念や、常世 (とこよ・神の国や天国や地獄)と現世 (うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観と禁足地 や神域 の存在とそれぞれを隔てる端境とその往来を妨げる結界 や、祈祷 ・占い (シャーマニズム )による祈願祈念とその結果による政 (まつりごと)の指針、国 の創世 と人 の創世の神話 の発生があげられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E9%81%93
太陽神

太陽神(たいようしん)は、 太陽 を信仰の対象とみなし神格化したもの。

概要 [編集 ]

古代より世界各地で太陽は崇められ、崇拝と伝承は信仰を形成した。とりわけ「太陽の消失」にまつわる神話は世界中に散在し、多くの場合、太陽神が月神 と敵対したことが原因となっている。

太陽神といえばギリシア神話 やエジプト神話 に登場する男神を想像されるだろう。しかし、ブライアン・ブランストン を始めとする神話学者の中には、太陽神は男神よりも女神 のほうが主流であると論ずる向きがある。男神がギリシア神話やエジプト神話などの著名な神話に登場することが原因となり、太陽神=男神という解釈が生まれたというのである。[太陽=男=光]と[月=女=闇]の二元性は、オルペウス教 やグノーシス 主義の思想を源とするヨーロッパ地方の説話に少なからず見受けられるが、例外として、太陽が女神で月が男神となっているゲルマン神話 の存在は注目に値するものである。また、日本神話 の天照大神 も太陽神、女神であり、対をなす月神に月読命 を置いている。


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"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E9%99%BD%E7%A5%9E " より作成

山岳信仰

山岳信仰(さんがくしんこう)とは、山 を神聖視し崇拝の対象とする信仰 。自然崇拝 の一種で、狩猟 民族 などの山岳と関係の深い民族が山岳地とそれに付帯する自然環境 に対して抱く畏敬の念、雄大さや厳しい自然環境に圧倒され恐れ敬う感情などから発展した宗教 形態であると思われる。山岳地に霊的な力があると信じ、自らの生活 を律するために山の持つ圧倒感を利用する形態が見出される。
形態 [編集 ]

これらの信仰 は主に、内陸地山間部の文化 に強く見られ、その発生には人を寄せ付けない程の険しい地形を持つ山が不可欠とされる。

そのような信仰形態をもつ地域では、山から流れる川 や、山裾に広がる森林 地帯に衣食住の全てに渡って依存した生活を送っており、常に目に入る山からの恩恵に浴している。その一方で、これらの信仰をもつ人々は、険しい地形や自然環境により僅かな不注意でも命 を奪われかねない環境にあることから、危険な状況に陥る行為を「山の機嫌を損ねる」行為として信仰上の禁忌 とし、自らの安全を図るための知識として語り継いでいると考えられる。


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日本の山岳信仰 [編集 ]

日本の古神道 おいても、水源・狩猟の場・鉱山 ・森林 などのから得られる恵み、雄大な容姿や火山 などのに対する畏怖・畏敬の念から、山 や森を抱く山は、神奈備(かんなび)という神が鎮座する山とされ、神 や御霊 が宿る、あるいは降臨する(神降ろし)場所と信じられ、時として磐座 (いわくら)・磐境(いわさか)という常世 (とこよ・神の国や神域 )と現世 (うつしよ)の端境として、祭祀 が行われてきた。また、死者 の魂 (祖霊 )が山に帰る「山上他界 」という考えもある(この他は海上他界、地中他界など)。これらの伝統は神社神道 にも残り、長野県 諏訪大社 や奈良県 三輪山 のように、山そのものを信仰している。農村部では水源であることと関連して、春 になると山の神 が里に降りて田の神となり、秋の収穫を終えると山に帰るという信仰もある。日本人ではないのだが、カールブッセ の詩「山の彼方の空遠く、幸い住むと人のいう」という言葉が、日本人の山岳信仰の信仰観を表しているだろう。

また仏教 でも、世界の中心には須弥山 (しゅみせん)という高い山がそびえていると考えられ、空海 が高野山 を、最澄 が比叡山 を開くなど、山への畏敬の念は、より一層深まっていった。平地にあっても仏教寺院が「○○山△△寺」と号するのはそのような理由からである。

チベット仏教 でも聖なる山は信仰の対象であるが、信仰は山自体に捧げられ、その山に登るのは禁忌とされる場合が多い。一方で日本では、山頂に達することが重要視されるのは注目すべきである。日本人の場合、山自体を信仰する気持ちももちろんあるのだが、そこから早朝に拝まれるご来光 を非常にありがたがる傾向が強く、山頂のさらにその先(彼方)にあるもの(あの世)を信仰していることが原因であろう。日本ではアニミズム としての太陽信仰 と山岳信仰が結びついているのである。
深山で修行をする山伏

その後、密教 、道教 の流れをくんだ修験者 や山伏 たちが、俗世との関わりを絶ち、悟りを開くために山深くに入り修行を行った。これは、後に修験道 や呪術的宗教などを生み出している。

山岳信仰は、もともとが自然崇拝 のアニミズム 的信仰から発展してきただけに、江戸末期まで神仏習合の形態を取ってきたが、神仏習合が明治 以後の神仏分離令 により禁止されて以後、もともと真言密教 系の修験 が強かった出羽三山 も含め、寺と神社が分けられ、信仰の本体の多くは神社の形態を取って存続した。

山が神界として信仰の対象となっていた一方で、死者 の霊 の集まる他界として、イタコ の口寄せ をはじめとする先祖霊供養にも発展をみせた。なお、民衆の間でも信仰の顕れとして登山を行う習慣があり、現在でも、霊場といわれる山岳をはじめとして、山には多くの人々が登っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B2%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0
修験道
熊野 の深山にて修行中の修験者

修験道(しゅげんどう)とは、山 へ籠もって厳しい修行 を行う事により、様々な「験」(しるし)を得る事を目的とする日本独特の混淆宗教 である。修験道の実践者を修験者 または山伏 という。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%AE%E9%A8%93%E9%81%93

2009年04月16日 (19:09)

オリュンポス山と高天原はMedia Pointに存するのではないのか:参考:須弥山、磐座いわくら

検討問題であるが、ギリシア神話のオリュンポス山、そして、日本神話の高天原は、Media Pointに位置するのではないだろうか。また、天孫降臨の「天」であるが、これは、+iの「天」なのか、それとも、+iと-iの共鳴態としての「天」なのだろうか。文字面から見ると、天孫の「天」は、+iの父権的なものに見える。しかしながら、日本神話と東明建国神話と共通すると見ると、「天」は母権的な「天」となるだろう。
 先にも触れたが、Media Pointにおいて、天地一如、天地共鳴、天地即非となる。天は地であり、地は天であり、また、確かに、天は天であり、地は地である。そう、コスモスがここにはあるのである。これは、大元母の様態である。
 もし、天孫が大元母界からやってきたとすると、下界とは、当然、現象界である。それで、辻褄があうことになる。
 ならば、「天皇」とは何かということになる。この「天」をやはり、大元母の「天」とすると、大元母的皇帝となるだろう。これは、エジプト神話で言えば、イシスに対するオシリスである。つまり、オシリスとしての「天皇」ということになる。「日御子ひのみこ」である。とまれ、検討課題である。
 では、ギリシア神話の場合はどうなのだろうか。ゼウスを主宰神とする多神教であるが、どうみるのか。基本は、大元母としてのオリュンポス山ではないだろうか。そこへ、父権民族が入り、ゼウスが支配しているのではないだろうか。
 しかし、先に、東明建国神話関連で触れたように、ゼウスは金の雨となってダナエと交わるのであるが、それは、ゼウスを+i、ダナエを-iとすれば、それは、Media Pointの創造を意味しているのではないだろうか。
 つまり、それは、大元母のエネルゲイアを表現しているのではないだろうか。そう見ると、ギリシア神話は一見、父権的(ゼウス中心)であるが、そうではなく、母権的な原基、即ち、Media Pointの生成を表現しているのではないのか。
 とまれ、以上、問題提起である。

参照:
オリンポス山
『ウィキペディア(Wikipedia)』

オリンポス山
リトホロから眺めたオリンポス山
標高 2,917m
位置 北緯40度05分東経22度21分
所在地 ギリシャ
表 ・話 ・編 ・歴

オリンポス山(現代ギリシア語 : Όρος Όλυμπος, Óros Ólimbos, 英語 :Mount Olympus あるいは Mount Ólympos)は、ギリシャ のテッサリア 地方にある山 。現代ギリシア語による日本語 表記ではオリンボス山とも。古典ギリシア語ではオリュンポス山という。

標高は2,917m[1] で、ギリシャの最高峰 である。山麓が海面近くのため、山麓からの比高がヨーロッパで最も高い山の1つである。ギリシャ第二の都市テッサロニキ からセルマイコス湾をはさんで南西80kmのところにある。

オリンポス山は植物相がとても豊かであり、固有種 も23 種ある。固有種を含め、約1700種が生息する。最も高いピークはミティカス(MitikasまたはMytikas)と呼ばれ、ギリシア語で「鼻」を意味する。次に高いピークはスコリオ(Skolio, 標高2912m)。オリンポス山に登るには東側の山麓の町リトホロ(Λιτόχωρο、標高293m)から登る。リトホロはこの山のに登るルート上にあることから、「神の街」と呼ばれている。

神話 [編集 ]

オリンポス山は、ギリシア神話 ではオリュンポス十二神 の居所とされる山である。
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注釈 [編集 ]

1. ^ 理科年表 平成19年、国立天文台編、丸善 ISBN 4621077635 p.567

関連項目 [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、オリンポス山に関連するマルチメディア およびカテゴリ があります。

* オリンポス山 (曖昧さ回避) - 同名の山
* オリンポス山 (火星) - 太陽系 の最高峰
* オリュンポス十二神
* 聖火

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高天原
『ウィキペディア(Wikipedia)』

高天原(たかあまはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は『古事記 』の日本神話 と祝詞 に於ける天津神 の住まう場所である。

地上の人間が住む世界である葦原中国 や、地中にあるとされる根の国 ・黄泉 に対し、天上界にあったとされるが、古くから神話を現実的に解釈しようという要求から、大和、九州、北陸、富士山等実在の場所であったとの説もとなえられた。

原文は漢文であるため、どの訓が正しいかは或る程度推測にとどまる。ただし、古事記冒頭には「訓高下天云阿麻下效此」とあり、天はアマと読むように指定がある。通常は、「たかまがはら」という格助詞 【が】を用いた読み方が一般的であるが、この読み方が広まったのは歴史的には新しいとされている。
古事記における記述 [編集 ]

古事記においては、その冒頭に「天地(あめつち)のはじめ」に神々の生まれ出る場所としてその名が登場する。次々に神々が生まれ、国生みの二柱の神が矛を下ろして島を作るくだりがあるから、海の上の雲の中に存在したことが想定されていたのであろう。天照大神 が生まれたときに、高天原を治めるよう命じられた。須佐男命 にまつわる部分では、高天原には多くの神々(天津神)が住み、機織の場などもあったことが記述されており、人間世界に近い生活があったとの印象がある。葦原中国が天津神によって平定され、天照大神の孫のニニギ が天降り(天孫降臨 )、以降、天孫の子孫である天皇 が葦原中国を治めることになったとしている。

古事記以外 [編集 ]

『日本書紀 』においては本文にはほとんどみえず、わずかに第4の一書と養老4年(720年)に代々の天皇とともに持統天皇 につけられた和風諡号 「高天原廣野姫天皇」にあり、 また、『古語拾遺 』本文では1箇所天孫降臨の神勅と、他に祝詞説明の注に、現存の風土記では『常陸風土記』冒頭2語あるのみである。

所在地についての諸説 [編集 ]

高天原の所在地については古来より諸説あり、古事記における神話をどうとらえるかによりその立場が大きく異なる。

作為説 [編集 ]

神話は作られたものであるから、そこに出てくる高天原がどこにあったかなどと考えること自体が無意味であるとする説。山片蟠桃 の説が代表的なもので、古事記における神代のことは後世の作為であるとする。戦後主流となっている津田左右吉 の史観はこの考え方に基づく。現在でもほとんどの学者は、高天原神話は支配階級を天上界に由来するが故に尊いとする信仰を語ったものであるという説に与しており、思想的には別として次の天上説と実質的には同じである。

天上説 [編集 ]

高天原は神の住まう場所であるから天上に決まっており、それ以外の場所を考えるのは不遜であるとする説。本居宣長 の説が代表的なもので、戦前は皇国史観 と結びついてこの考え方が主流であった。

地上説 [編集 ]

神話は何がしかの史実を含んでおり、高天原も実在したものを反映しているとする説。現在の歴史学では、このような説は神話のつまみ食いになるだけで説得力のあるものではないとして、一般には避けられるが、前近代にはしばしば行われ、現在も愛好家の説によく見られる。新井白石 の説が代表的なもので「神とは人である」とする。地上説にはさらに国内説と海外説がある。国内説の中には、邪馬台国と高天原を関連付けて考える説もある。海外説の代表的なものは朝鮮半島説と中国南部説で、これは日本人 の起源説と共通の要素が多い。江上波夫 の騎馬民族征服王朝説 も海外説の一つである。 ちなみに、新井白石が説を唱えるまで、京都朝廷では高天原は大和国葛城 だとされていた。

日本各地の高天原 [編集 ]

* 葛城地域・金剛山高天台地区(奈良県御所市 高天 )

奈良県南部の御所市高天。金剛山麓 に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山 は、古くは高天原山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに所在する高天彦神社 は、延喜式では最高の社格とされた名神[みょうじん]大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊[たかみむすび]神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。江戸時代初頭までは、この地が高天原史跡 だというふうに考えられていた。高天原の史跡

* 高千穂地区(宮崎県高千穂町 )

宮崎県北部。天岩戸 や天香具山、高天原、四皇子峰等がある。高千穂神社では、天鈿女命 が舞ったことから始まったとされる高千穂の夜神楽 が伝承されている。

* 阿蘇・蘇陽地区(熊本県山都町 )

高天原神話の発祥の神宮 である「日の宮・弊立神宮 」がある。御神体は豊国文字と阿比留文字が彫られた石板であり、「アソヒノオオカミ」と「日文」が表裏に刻まれている。
なみに「弊立」とはヒモロギを意味し、太古 天の神が御降臨になった聖なる地とされている。

* 蒜山高原(ひるぜんこうげん)(岡山県真庭市 )

茅部神社の山を登ったところ。天岩戸、真名井の滝、天の浮橋等がある。

* 生犬穴(おいぬあな)(群馬県上野村)

小さな穴として従来から知られていたが、昭和4年に奥へと長く続いていることが発見された。狼の骨が多数発見されたことから命名、内部に高天原や天の安河原 などと名づけられた場所がある。

* 茨城県 多賀郡

新井白石 による説。古史通 にて高天原を常陸国多賀郡と比定。

関連文献 [編集 ]

* 鎌田東二 「高天原とは何か-聖なる他界の形成」 歴史読本臨時増刊『よみがえる神道の謎』 新人物往来社 1989年

関連項目 [編集 ]

* 高天彦神社
* 高天原山
* 高天原に神留坐す

外部リンク [編集 ]

* 高天彦神社
* 古事記・日本神話の伝承地~高天原史跡ガイド


須弥山
『ウィキペディア(Wikipedia)』

須弥山(しゅみせん、本来の名称は須彌山、サンスクリット Sumeru、スメール山)とは古代インド(バラモン教 、仏教 、ジャイナ教 等)の世界観の中で中心にそびえる山 である。仏教の世界観では、須弥山をとりまいて七つの金 の山と鉄囲山 (てっちさん、Cakravāda)があり、その間に八つの海 がある。これを九山八海という。

「須弥」とは漢字 による音訳で意訳は「妙高」という。
仏教における須弥山世界観 [編集 ]
須弥山の概念図

『倶舎論 』によれば、風輪の上に水輪、その上に金輪がある。また、その最上層をなす金輪の最上面が大地の底に接する際となっており、これを金輪際(こんりんざい)という。なお、このことが俗に転じて物事の最後の最後までを表して金輪際と言うようになった。

我々が住むのは海水をたたえた金輪に浮かぶ贍部洲(閻浮提 、Jambūdvīpa)であり、須弥山中腹には日天と月天がまわっている。須弥山の高さは八万由旬 (yojana)といわれ、中腹に四大王天がおり四洲を守る。さらにその上の山頂の忉利(とうり)天には帝釈天 が住むという。須弥山の頂上に善見城がありインドラ (帝釈天)が住んでいる。

須弥山には甘露の雨 という雨が降っておりそれによって須弥山に住む天たちは空腹を免れる。

なお、シュメールと須弥山(Sumeru)とアンシャル にはそれぞれ類似性が指摘されている(詳しくは阿修羅 の項目を参照)

須弥山に例えられる物 [編集 ]

* カイラス山 はチベット仏教で須弥山と同一視され、周囲の山々を菩薩に見立てた天然の曼荼羅とみなし、聖地とする。
* 日本庭園 の須弥山形式 - 中央に突出する岩を須弥山に例える石組。

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磐座
『ウィキペディア(Wikipedia)』

磐座(いわくら)とは、日本に古くからある自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)である古神道 のなかの一つの信仰をさす。

巨岩に対する基層信仰 の一種である。自然への信仰の例は岩 以外にも、禁足地 としての鎮守の森 (モリ自体が神社をさし、杜は鎮守の森自身である)や山に対する信仰、火(火山 )に対する信仰である三輪山 や富士山 などの神名火 (カムナビ)、滝などから、風雨 ・雷 という気象 現象までの多岐に渡るものである。

岩にまつわるものとして他にも磐境(いわさか)があるとされるが、こちらは磐座に対してその実例がないに等しい。そのため同一のものと目されることもある。日本書紀では磐座と区別してあるので、磐座とは異なるなにか、「さか」とは神域との境であり、神籬の「籬」も垣という意味で境であり、禁足地の根拠は「神域 」や「常世 と現世 」との端境を示している。

神事において神を神体である磐座から降臨させ、その依り代 (神籬 という)と神威をもって祭りの中心とした。時代とともに、常に神がいるとされる神殿 が常設されるに従って信仰の対象は神体から遠のき、神社そのものに移っていったが、元々は古神道からの信仰の場所に、社 (やしろ)を建立している場合がほとんどなので、境内 に依り代として注連縄 が飾られた神木や霊石が、そのまま存在する場合が多い。

現在ではご神木 などの樹木や森林または、儀式の依り代 として用いられる榊 などの広葉常緑樹を、神籬信仰や神籬 と言い、山や石・岩などを依り代として信仰することを磐座という傾向にある。


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* 磐座・巨石、磐座、磐境、石神、巨石 - 磐座や磐境の写真を集めてあるサイト

2009年04月16日 (01:28)

アトランティスとプラトンとシュタイナー:神話は精神的真実である

プラトンがアトランティス大陸のことを述べている。これを単なるお話・お伽噺とするのか、深い神話とするのかとでは大違いである。
 精神科学のシュタイナーははっきりとアトランティス文明を説いていて、現代は、ポスト・アトランティス時代であると述べている。神話は精神的な真実である。
 
1万2000年前に海底に沈んだアトランティス大陸の謎
1万2000年前に海底に沈んだアトランティス大陸の謎
R25 4月15日(水) 12時 0分配信 / エンターテインメント - エンタメ総合
今年の2月、英国の航空技師が「Google Earth 5.0」でアフリカ沖に街路跡らしきものを発見。それが世界中で、伝説の島『アトランティス』の発見なのでは? と話題になった。事の大きさにグーグルは渦中の跡を「海底調査の跡」と否定したが、もし伝説の発見なら何とも夢のある話。そこでアトランティス伝説がどんな伝説なのか、『世界一おもしろい海洋博物館』の著者、中江克己さんに聞いてみた。

「アトランティス伝説とは、今から約1万2000年前、現在のジブラルタル海峡の西にアトランティスという巨大な島があり、そこに高度な文明を持った王国が存在したという伝説。この国はあまりにも栄えたため、国王も人々も堕落。それが神の怒りに触れ、大地震・大洪水を起こされ、一昼夜にして島ごと沈没したとされています」

この“神の怒りに触れるほどの文化”は、豊富な穀物、果物、香料の収穫ができ、金や銀、金に次ぐ希少な金属「オリハルコン」をも産出する、アトランティス大陸の恵まれた大地により育まれたという。それを背景にアトランティス王国は多数の戦車や軍船を抱え、100万を超える兵士を持つ巨大な軍事国家を築き上げたそうだ。この話は、古代ギリシャの哲学者プラトンが自著で紹介し広まった。19世紀ごろからは歴史家などから所在についての諸説が唱えられ、地中海説、黒海説、北海説、南米説、約1万2000年前に太平洋に存在したという伝説の大陸「ムー大陸」と同一説などが挙がった。ただ、いずれも証拠は出てきておらず、一般的には伝説との見方が強いらしいが…。

「とはいえ、トロイやポンペイなど何千年もの間、神話にすぎないとされてきた古代都市が発掘された例はあります。このような前例があるため、アトランティス伝説は今なお多くの人を魅了しているのでしょう」

いまだ存在の有無は未解明だが、夢物語とも言い切れないアトランティス伝説。どうやら“信じるか信じないかはあなた次第”のようだ。
(R25編集部)

※コラムの内容は、フリーマガジンR25から一部抜粋したものです
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20090409-00000004-rnijugo-ent
◇Google Earthでの発見騒動
・ 「Google Earth」で伝説の島アトランティス発見?--グーグルは否定 - CNET Japan(2月23日)
・ Google Earthのアトランティス発見騒ぎは公式見解も怪しさムンムン - ギズモード・ジャパン(3月23日)

◇アトランティス大陸について
・ アトランティス大陸 - 超常現象の謎解き
・ アトランティス伝説 - 古代の不思議

◇そのほかの伝説の大陸
・ 伝説上の大陸 - フレッシュアイペディア

参考:
アフラ・マズダとミトラは、アトランティス時代の秘儀によって見出された「陽と陰」の神であり、「太陽と月」、「上位の神界と下位の神界」の神であることが解ります。そして、古代エジプトの秘儀やゾロアスター教の時代に、この流れが一つになり、後に、イエス・ベン・パンディラ(弥勒菩薩が転生した人物)が出現し、イエス・キリストの誕生へと時代が向っていったことになります。
http://blogs.yahoo.co.jp/sakimorikeikan/55811414.html
地球の救い方・・・R.シュタイナーの人智学に学ぶ

2009年04月15日 (11:25)

「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説:母権的英雄神話?

東明や朱蒙の建国神話は興味深い。ギリシア神話に似ている。ゼウスが金の雨になってダナエーと交わったという神話がある。
 思うに、ここにあるのは、基底の母権神話と父権神話の混交である。あるいは、母権神話への父権神話の侵入である。日の光、金の雨は当然、父権的なものである。そして、豚は女神神話の聖獣と考えられる。馬は、両方に関係しよう。
 また、そこから生まれた王(英雄)の、東明・朱蒙は、母権と父権との融合を感じさせないことはない。私が先に、日本文化に関して、母権制と父権制の融合の可能性を示唆したことに通じよう。
 また、東明とは夜明け・黎明・曙光・払暁であり、朱蒙とは、夕日・夕焼け・落陽・日の入りではないだろうか。つまり、太陽神である。ギリシアでは、アポロンである。
 やはり、母権と父権の融合としての太陽神が考えられるだろう。いわば、文武両道である。平和主義者であり、武人である。
 では、問題は、母権的父権、父権的母権とは何だろうか。それは、実は、自己認識方程式で表現されているのではないだろうか。(+i)*(-i)⇒+1これが、それではないだろうか。これは、先に母権的な本性とした。しかし、⇒+1は差異共振性をもつ光であり、超越光且つ光、超越光・即非・光と考えられる。そう、いわば、ディオニュソス的アポロで、ニーチェが『悲劇の誕生』で示唆していたものと言えよう。
 では、さらに考えると、龍退治の英雄は何だろうか。一見、それは、父権的英雄である。それは、母殺しである。その点では、確かに、父権的英雄である。
 しかしながら、龍退治をしない英雄、龍的な英雄がいるはずである。それが、母権的英雄ではないか。どうも、東明・朱蒙は、そのようなものではないのか。そして、それが、日本の神話と関係するのではないのか。
 日本に渡ったのは、父権的民族というよりは、母権的民族ではなかったか。
 さらに問題は、父権的な神道の発生因である。平田篤胤の国学(神道)には、キリスト教が入っているという説がある。どうやら、明治の父権的神道は、キリスト教譲りかもしれない。
 本来の母権的神道が、その陰にあったのではなかったか。当然、後で再考したい。

東明聖王
『ウィキペディア』
東明聖王
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各種表記
ハングル : 동명성왕
漢字 : 東明聖王
平仮名 :
(日本語読み仮名) {{{hiragana}}}
片仮名 :
(現地語読み仮名) トンミョンソンワン
ラテン文字転写 : {{{latin}}}
英語 : Dongmyeong-seongwang

東明聖王(とうめいせいおう、(紀元前58年 - 紀元前19年 )は、高句麗 の初代国王(在位:紀元前37年 - 紀元前19年 )であり、東明王とも呼ばれる。姓は高、諱 は朱蒙(しゅもう、주몽、チュモン)または鄒牟(すうむ、추모、チュム)、衆解(しゅうかい、중해、シュンヘ)とされる。天帝の子を自称する解慕漱 (かいぼそう、해모수、へモス)の子、または扶余 の金蛙王 (きんあおう、금와왕、クムワワン)の庶子とされる。扶余の7人の王子と対立し、卒本(遼寧省 本渓市 桓仁 )に亡命して高句麗を建国し、初代の王となった。
建国神話 [編集 ]

「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、扶余・高句麗・百済 に共通して見られるが、歴史的にみれば扶余建国神話の東明と高句麗始祖の朱蒙とは別の人物だと見当がつく。しかしながら東明伝説も朱蒙伝説も筋書が構造的に共通するところが多く、その特徴は檀君 神話と同じく、王の政治的権威の源泉を天に帰属させながら、農業生産を左右する水の神霊の権威を同時に主張することである。ここでは高句麗の建国神話を『三国史記 』に基づいて記述する。扶余の建国神話については後述。百済の始祖神話については、「温祚王#建国神話 」を参照。

天の神の子 [編集 ]

朱蒙は河伯 (ハベク、水神)の娘である柳花(りゅうか、ユファ)を、天帝の子を自称する解慕漱(ヘモス)が孕ませて出来た子と言う。扶余 の金蛙王が柳花を屋敷の中に閉じ込めていると、日の光が柳花を照らし、柳花が身を引いて逃げても日の光がこれを追って照らし、このようにして柳花は身ごもり、やがて大きな卵を産んだ(古代朝鮮では卵は神聖なものとされており、この話は朱蒙を神格化するためのものであると考えられる)。金蛙王はそれを気味が悪いとし、豚小屋などに捨てさせるが、豚がおびえて近かづかなかった。金蛙王はあらゆるところに捨てようとしたが、鳥が卵を抱いて守った。終いには自らで壊そうとしたが硬くて壊せなかった。数日後卵が割れ、男の子が生まれた。それが朱蒙である。

金蛙王の7人の王子たちとの対立 [編集 ]

朱蒙の名の由来は東扶余の言葉で弓 の達人と言う意味である。朱蒙は名のとおり、弓の達人であった為に7人の王子に睨まれた。

朱蒙が20歳になったとき烏伊・摩利・陝父(オイ・マリ・ヒョッポ)の家臣ができた。ある日その3人と一緒に狩に出かけた朱蒙は金蛙王(クムワ)の7人の王子と出会ってしまった。王子たちは1匹の鹿 しか捕まえられなかったが、朱蒙は6匹の鹿を捕まえた。王子たちは落ち込んだが、もう一度狩りをすることになった。王子たちは朱蒙たちの獲物を奪い、朱蒙たちを木に縛って王宮に帰ってしまった。朱蒙は木を引っこ抜き、縄を切って3人の家来たちを助け、王宮に帰った。これを知った、7人の王子たちは父である金蛙王に讒言し、朱蒙を馬小屋の番人にしてしまった。

母親である柳花は朱蒙を脱出させようと考え、良い馬を選ばせる事を決心した。そして朱蒙はある馬屋に行って幾多の馬に鞭を振り回し、その中で一番高く飛び上がった馬の舌に針をさしておいた。その馬はまともに食べることができなくなり、痩せて格好悪くなってしまった。金蛙王がその馬を朱蒙に与えた後、朱蒙は馬の舌からやっと針を抜き出し、三日間にわたってその馬に餌を食べさせた。

亡命と建国 [編集 ]

朱蒙は烏伊・摩離・陝父らとともに旅に出た。淹水(鴨緑江の東北)まで来たときに橋がなく、追っ手に追いつかれるのを恐れて、川に向かって「私は天帝の子で河伯(水神)の外孫である。今日、逃走してきたが追っ手が迫ろうとしている。どうすればいいだろうか」と言った。そうすると、魚や鼈(スッポン)が浮かんできて橋を作り、朱蒙たちは渡ることができた。朱蒙たちが渡り終わると魚たちの橋は解かれ、追っ手は河を渡れなかった。さらに進んで卒本に至って都邑を決め、漢 の孝元帝 の建昭 2年(西暦紀元前37年 )、新羅 祖の赫居世 21年の甲申歳(紀元前37年)に国を建て高句麗 とした。即位直後より辺方を侵略した靺鞨族を討伐して高句麗の民とし、沸流国松譲王の降参を受け、太白山(白頭山 )東南の荇人国を征伐し、紀元前28年には北沃沮を滅亡させた。

王位の継承 [編集 ]

紀元前19年5月、王子の類利(るいり、ユリ、後の瑠璃明王 )がその母(礼氏)とともに扶余から逃れてきた。朱蒙はこのことを喜び、類利を太子として後に王位を受け継がせた。同年9月に朱蒙は40歳で亡くなり、龍山に葬られて諡 号を東明聖王とされた。

建国の年 [編集 ]

『三国史記 』高句麗本紀に広開土王 は東明聖王の12世孫とするが、好太王碑(広開土王碑 )では好太王は鄒牟王の17世孫とする。このことから高句麗の建国となった甲申歳を紀元前277年にする説もある。また、『三国史記』は新羅 王室に連なる慶州金氏 の金富軾 が編纂したものであり、新羅中心主義的な記述とするために高句麗の建国年を新羅の建国よりも後にした、との見方もされている。

扶余の建国伝説との比較 [編集 ]

『後漢書 』夫余伝に見られる建国神話は、以下の通り。

昔、北方に索離国という国があり、王の婢が言われなく身籠ったため、王はこの婢を殺そうとした。婢は「天空に神聖なる気が立ちこめ、私に降り注いだために身籠ったのです」と答えた。王はこの婢を軟禁し、後に男子が生まれた。王はこの子を豚に食べさせようとして豚小屋の前に置いたが、案に相違して豚は息を吹きかけてその子を守ろうとし、死ぬことがなかった。王は今度は馬小屋に持っていったが、馬も同じようにその子を守ろうとした。王はこれは神意を表すものと思い、その母を許してその男子を東明と名づけた。東明は成長して弓術に優れたので、王は東明の勇猛振りを恐れて、これを殺そうと考えた。そこで東明は南方へ逃走し、掩水に至った。川に向かって東明が弓を射ると、魚や鼈が浮かんできて橋を作り、東明はこれに乗って渡り逃れることができた。そして夫余の地に至って王となった。

「扶余の始祖としての東明」の伝説は、古くは『論衡 』吉験篇に見られる。また、『三国志 』夫余伝が『魏略 』からの孫引きとして伝えており、これらの史書の中の高句麗伝では、始祖伝説は見られない。『魏書 』に至って扶余伝はなくなり、代わりに高句麗伝のなかで高句麗の始祖伝説が伝えられるようになった。その伝説の骨子は、元来の東明伝説(扶余の建国神話)に、河伯(水神)の外孫であること、卵生であること、という要素が加わって、高句麗が扶余から出たこと、名を朱蒙とするというものである。また、東明伝説において東明が弓術に優れていたとするのと呼応するように、「朱蒙」という語は「善射」を意味する、とも書かれる。後に高麗 の時代になって、『三国史記 』(1145年 撰上)では、高句麗の始祖を「諱 が朱蒙、諡 が東明聖王」とするようになり、高麗の詩人である李奎報 (1168年-1241年)の叙事詩「東明王篇」(1194年 )においても、高句麗の始祖を東明王と同一視するようになった。さらには『三国遺事 』の時代になって民族的統合の象徴として檀君 に系譜化され、「東明王である朱蒙は檀君の子である」とされるようになったと考えられている。

従来より、扶余の東明伝説と高句麗の朱蒙伝説との共通構造から、両者の民族的同一性が唱えられてきた。しかしこれらの始祖伝説は単純に同一とはみなせず、高句麗の始祖伝説には南方系の卵生型説話の要素を含んでいることや、広開土王碑 文や『魏書』高句麗伝には「東明」の表現が見られないことなどから、東明伝説の構成を元に高句麗独自の概念を踏まえた始祖伝説が形成され、後には『三国史記 』には東明聖王と朱蒙とが同一視されたもの、と考えられている。

陵墓 [編集 ]

東明聖王の陵墓は平壌市 の東方25Kmの地点に推定陵墓が存在し、東明王陵と称されている。元来は集安 にあったものを、平壌遷都とともに遷されている。1993年 5月14日 に金日成 の指示により整備が行われ、敷地面積約220ha、王陵区域、定陵寺区域、陪墳区域が整備された。陵墓は1辺32m、高さ11.5mであり、周囲には中門、祭祀堂、石像などが設けられている。玄室内部には29種の壁画が描かれている。


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先代:
-



高句麗王
初代:前37年 -前19年



次代:
瑠璃明王

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%98%8E%E8%81%96%E7%8E%8B

温祚王
『ウィキペディア』
温祚王
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各種表記
ハングル : 온조왕
漢字 : 温祚王
平仮名 :
(日本語読み仮名) おんそおう
片仮名 :
(現地語読み仮名) オンジョワン
ラテン文字転写 : Onjo-wang
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温祚王(おんそおう、生年未詳 - 後28年 )は百済 の初代の王(在位: 前18年 - 後28年 )。源流を扶余 に求める神話を持ち、氏 は扶余、または余とする。
建国神話 [編集 ]

百済の始祖については、少なくとも3種の異なる系譜が伝えられているが、いずれも扶余 につながるものとなっている。また、後に日本に渡来した百済系の人たちの間では、その始祖を都慕王(ともおう、朱蒙)としていたとも伝わる。

『三国史記 』百済本紀 [編集 ]

温祚の父は鄒牟または朱蒙 (高句麗 の始祖)といい、北扶余から逃れて卒本扶余(遼寧省 本渓 市桓仁県)に着いた。扶余王には男児が無く娘が3人いたが、朱蒙の人となりを見て非凡の人であるとして二番目の娘を嫁がせた。その後、扶余王が亡くなったので朱蒙が王位について、二人の子をなした。長子を沸流(ふつりゅう、ビリュ)、次子を温祚といった。朱蒙がかつて扶余にいたときの子(後の高句麗の第2代瑠璃明王 )が朱蒙の下に来て太子となったため、沸流・温祚はこの太子に受け容れられないことを恐れて、烏干・馬黎らの10人の家臣と大勢の人々とともに南方に逃れた。漢山(京畿道 広州市 )まできて負兒嶽に上り、居留地として相応しいかどうかをみることとした。沸流は海浜に住みたいと言い出し、10人の家臣はこの地が都とするに相応しいと諌めたが聞かず、引き連れた人々を分けて、弥鄒忽(びすうこつ、ミチュホル、仁川広域市 )まで行ってそこに国を建て、温祚は漢山の地で慰礼城 (いれいじょう、ウィレソン、京畿道 河南市 )に都を置き、国を起こした。これが前漢 の鴻嘉 3年(前18年 )のことであり、初め10人の家臣に援けられたので国号を「十済」としたが、のちに沸流の下に従った人たちも慰礼城に帰属し、百姓を受け容れたので国号を「百済」と改めた。系譜が扶余に連なるので、氏の名を扶余とした。

* この記事の中にも分注 として、朱蒙が卒本扶余に至った際に越 郡の娘を得て二子をもうけたとする異説を載せている。

『三国史記』百済本紀の分注の別伝 [編集 ]

ある本では百済の始祖について次のように伝える。百済の始祖は沸流王であり、父は優台(ゆうだい、ウデ)といって北扶余王解扶婁(かいふる、ヘ・ブル)の庶孫である。母の名は召西奴(しょうせいぬ、ソソヌ)といって、卒本扶余の延陁勃(えんしぼつ、ヨンチボル)の娘であり、はじめ優台のもとに嫁いで沸流・温祚の二人をなした。優台が死んでから召西奴は卒本で独り暮らしをしていたが、朱蒙が高句麗国を建てたのち、召西奴を引き寄せて王妃とした。国づくりの初期において王妃の功があったので朱蒙は王妃を愛で、沸流ら二人を我が子のように待遇した。しかし、朱蒙が扶余にいた時に礼氏(禮氏)との間に儲けた子の孺留(後の高句麗2代目の瑠璃明王 )が来ると孺留を太子とし、朱蒙の死後は孺留が王位を継いだ。そこで沸流は温祚とともに別に国を建てることを図り、家臣を率いて高句麗を逃れて浿水(鴨緑江 ? 臨津江 ?)・帯水(漢江 )を越え、弥鄒忽に至ってそこに住んだ。

* この記事は、前掲の百済本紀の始祖伝説本文に続けて分注 で記される。

『隋書 』百済伝 [編集 ]

百済の祖先は高麗国(高句麗 )から出た。(以下、扶余の建国神話である東明伝説を要約したと見られる記事が続く。東明伝説については「東明聖王#扶余の建国伝説との比較 」を参照。)東明の後に仇台(きゅうだい、クデ)という慈悲深い人が現れた。初めは国を帯方郡の故地に建てたが、後漢の遼東太守の公孫度が娘を嫁がせ、東夷の強国となった。百家とともに海を渡ったのに因んで「百済」と号した(初以百家濟海,因號百濟)。

* 『三国史記』百済本紀の分注では、上掲の「沸流を始祖とする伝説」に続けて「『北史 』や『隋書』に、東明の後に仇台あり・・・東夷の強国となった」と記され、かつ、「未知孰是」(ある本の伝えるのと、『北史』『隋書』の伝えるのとどちらが正しいのか分からない)ということばで分注を締めくくっている。
* 『隋書』(656年 )よりわずかに早く編纂された『周書 』(636年 )には、「百済の祖先は恐らく馬韓 の属国であり、扶余の別種である。仇台(きゅうだい、クデ)というものがあって、帯方郡 の地に国を興した」とある。また、風俗を記して「毎年四回、始祖である仇台の廟を祭る」ともしており、この祖先祭祀記事は『隋書』百済伝にも受け継がれている。井上訳注本では、『三国志』夫余伝の「漢末に公孫度 が勢力を増したとき、扶余王の慰仇台(いきゅうだい、ウィクデ)が遼東郡に服属した。公孫度が高句麗・鮮卑を牽制するために一族の娘を扶余王の妻とした」と言う記事を、『隋書』が誤って百済の記事に混同させたものとする。(→井上訳注1983)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A9%E7%A5%9A%E7%8E%8B#.E5.BB.BA.E5.9B.BD.E7.A5.9E.E8.A9.B1

2009年04月07日 (18:10)

バハオーフェンの『母権制序説』私説:超越神と天地分離:大元母は天地一如態

『母権制序説 』(ちくま学芸文庫) (文庫) J.J. バハオーフェン (著), Johann Jakob Bachofen (原著), 吉原 達也 (翻訳)
タイトルの論考はもうすぐ読了するが、最初は鋭敏な洞察が展開され、すばらしいが、その後、怪しくなってくる。元々、ローマ法学者であったというが、哲学が足りないのである。
 不整合がひどく目立つのである。例えば、母権制とは、精神性をもっていたと言っていたが、後から、母権制は物質的であると述べているのである。
 また、天地の区別、すなわち、父=天、母=地という二項対立の発想していて、この二元論=二項対立は正に、父権制の発想なのである。
 思うに、母権制は、最初は、やはり、(+i)*(-i)で考えるべきではないだろうか。
 問題は、父権制の発生の意味である。やはり、能動性と物質性ではないだろうか。-1と+1の発生を意味するのではないだろうか。(追記:ここでの問題は、例えば、ユダヤ教は「倫理」を重視する宗教であると考えられている点である。ヤハウェは、ユダヤ民族が崇拝していた母権的宗教【バアル神信仰:追記:正確に言えば、広義の母権的宗教であろう。バアル神自体は男性神である。しかし、これは、女神の子と考えられる。そういう意味で広義の母権的宗教である。】を憎んだ。それは、偶像崇拝である。確かに、母権宗教は、現象的であり、映像が重要になるだろう。それをヤハウェは否定したのである。この点で、「感覚」的でなく、「倫理」的ということになるのだろう。ユダヤ教は、言語的ということになるだろう。つまり、言語同一性主義であり、これが、即非現象を物質現象に転ずると言えよう。だから、やはり、物質的なのである。母権宗教のイメージ性とは、差異共振現象・即非現象を重視するところから来ていると考えられる。ついでに言えば、美術が蘇るには、共振知覚・即非知覚の美術に回帰する必要があるのである。その点、日本伝統美術は大宝庫である。
追記:正確に言えば、ユダヤ教は、精神と物質の絶対的二元論化を形成したと言えよう。近代心身二元論の根源であろう。端的に言えば、超越神と現象界の二元論化である。しかし、このとき、現象界を物質界にしているだろう。だから、超越性をもった「倫理」はあるが、同時に、物質性を形成したと言えよう。しかし、超越性をもった「倫理」とは、端的に言えば、同一性倫理であろう。これは、いわば、独善的な倫理である。今はここで留める。)
 とまれ、本書から言えることは、バハオーフェンは母権制という概念を提起したことでは確かに画期的であろう。しかしながら、論理が明晰ではなかったので、純粋な母権制までに達しなかったと思われるのである。
 もっとも、区分については考慮すべきものがある。後で、付け加えたい。

追記:最初、母権制は精神性があると述べられている点は、私が考える初期差異共振性にあたるだろう。これは、+iと-iの調和的均衡である(和衡という言葉を造語したい感じだ)。ただ、バハオーフェンが提起する、娼婦制やアマゾン制等の説明をどうするかである。
 とまれ、後で、バハオーフェンの時代区分を考察したい。

追記2:超越神の超越性の発生力学は何だろうか。-iを否定する+i の上昇力学ではないのか。-iを抑圧したとき、+iは上昇するのではないのか。それが、「天」ではないのか。もっとも、問題は微妙である。思うに、源泉として、Media Pointがあるのであるが、それが、+iへと傾斜化されるのが、超越神の超越性ではないのか。つまり、超越性とは、やはり、Media Point(母権宗教)から発しているのではないだろうか(思いつきでは、これがエローヒームに当たるのではないだろうか。そして、+iの傾斜がヤハウェであろう。)。この点は後でさらに検討したい。

追記3:超越神の超越性の根源をMedia Pointとして考えていこう。+iの傾斜によって同一性志向性が発生する。そのとき、Media Pointは現象から切り離されるのではないだろうか。本来、差異共振現象は、Media Point を原点とする現象である。しかし、+iの傾斜があると、Media Pointの超越光は、現象へと向かわないと考えられる。+iの傾斜は自乗となり、-1となる。思うに、Media Pointと-1が連続化するのではないだろうか。そして、これが、超越神ではないだろうか。
 そして、⇒+1の母権宗教は否定されるのである。つまり、-1があるから、⇒がとれて、+1が生じる。これが、物質界である。そして、-1と連続化したMedia Pointが「天」となるのではないだろうか。
 そうならば、-1とMedia Pointの連続化とは何か、である。それは、Media Pointと+1との即非性の切断ということではないだろうか。本来、Media Pointは+1へと志向する。しかしながら、+iの傾斜の結果の-1が生じると、+1への志向が否定されると言える。言い換えると、Media Pointが現象から切断されるということである。そして、この切断されたMedia Pointが超越神の超越性ということになるだろう。このMedia Pointは、-1と結合しているので、同一性自己的Media Pointである。そして、これが、唯一神としての超越神ではないか。そして、同一性自己は言葉(ロゴス)と通じている(初めに言葉【ロゴス】ありき)。どうも、この、作業仮説である同一性自己的Media Point(「父」)が西洋的思考の原型となったのではないだろうか。(思うに、イエス・「子」は本来、純粋Media Pointの体現者であるが、それが、「父」に吸収されているのではないだろうか。だから、聖霊の時代が来るという発想は正しいと言えよう。聖霊とは、純粋Media Pointエネルギーである。)
 「天」であるが、分離された+1が「地」なり、本来、天地一如(陰陽・乾坤・コスモス)であったが、Media Pointと+1が切断されたので、それぞれ、「天」と「地」になったのではないだろうか。言い換えると、純粋Media Pointとは、天地一如であり、いわば、上下に揺らいでいるのである。上昇したり、下降したりしているのである。天を志向したり、地を志向したりしているのである。そう、天地即非である。
 しかるに、超越神が発生すると、それが切断分離されて、「天」・「父」と「地」・「母」にされるのであるが、「地」・「母」はユダヤ教では否定されることになるのである。そう、「地」・「母」がないのがユダヤ教と言えよう。母なし宗教である。
 以上のように見ると、+iが「天」・「父」、-iが「地」・「母」と言ってもいいのではないだろうか。
 ただし、本来の母権宗教は、天地一如・父母一如・宇宙(コスモス)宗教である。これが、大女神が表現していたものである。そして、神道・母権神道は、正に、これの表現であると考えられる。思うに、大女神は、元母と考えるべきである。大元母である。

参考:
金の子牛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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金の子牛の崇拝。ニコラ・プッサン 画

金の子牛(きん-こうし/ヘブライ語 :עגל הזהב)とは、旧約聖書 の『出エジプト記 』32章に登場する牛を模った黄金の像である。カナン へ向かう途上のシナイ砂漠 でイスラエル民族 によって造られたとされ、同書では鋳造の子牛(עגל מסכה)とも呼ばれている。
概要 [編集 ]
金の子牛 ニュルンベルク年代記 の挿絵

『出エジプト記』によると、モーセ がシナイ山 において神から十戒 の石版を授与されるまでには四十日の期間を要したとされているのだが、麓に残されたイスラエルの民は時間の経過と共に忍耐力を失い、ついには、モーセは死んだと思うようになった。ハザル は同書の注釈において、このときサタン が現れ、雲の上に立つモーセの幻影をイスラエルの民に見せたとしている。不安になった民はアロン のもとに相談に出向き、苦肉の策として民族を導いてくれる新しい神の制作を懇願する。アロンはそれに応じ、全民衆から貴金属の提出を命じる。こうして鋳造の金の子牛が完成したのである。

これを知った神は、一刻も早く下山するようモーセに命じる。モーセが下山して宿営地に戻ったところ、民衆は宴に興じながら金の子牛を拝んでいた。怒りに満ちたモーセは十戒 の石版を破壊するやいなや、金の子牛を燃やし、それを粉々に粉砕して水に混ぜ、イスラエルの民衆に飲ませた。そして彼はレビ族 の者を集め、偶像崇拝に加担した民衆の殺害を命じる。同書では、そのとき死んだ民衆の数を三千人であった述べている。

背景 [編集 ]

一般的な解説では、金の子牛が誕生した理由にモーセの帰還が遅れたことを挙げるのだが、これは裏返せば、イスラエルの民衆がかねてより認識可能な民族の象徴、すなわち実体のある神を望んでいたことを意味している。エジプト で生まれ育ち、エジプトでの宗教を体験した彼らにとっての神という観念は、モーセが示した実体のない神という新しい観念とは隔絶の間があったに違いない。一説によれば、『出エジプト記』の幕屋 建設に関する指示は、金の子牛の事件の反省から、より実体性のある信仰を民衆に与えざるを得なくなったからだとしている。

雄牛を崇拝する信仰自体は古代世界では決して珍しいものではなく、例えばメンフィス では豊穣の神、聖牛アピス を守護神として奉っていた。サカーラ にある王家の墓では、地下に埋葬された石棺の中から防腐処置を施された約六十頭もの雄牛が発見されている。その各々が生神として扮せられており、傍らには双子の処女が殉葬されていた。こういった風土での信仰が金の子牛のインスピレーションの源泉となったことは容易に察せられよう。

その他 [編集 ]

* 旧約聖書ではイスラエル民族によって金の子牛が鋳造された事例が他にも記録されている。それは統一国家分断後のイスラエル で、ヤロブアム がベテル とダン に設置した二体の金の子牛である。
* 金の子牛という概念は、今日においては単に偶像崇拝を意味しているだけではなく、物質崇拝、拝金主義、唯物論 の比喩としても用いられている。

関連項目 [編集 ]

* 出エジプト記
* モーセ
* アロン
* 古代エジプト

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%AD%90%E7%89%9B " より作成

バアル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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シリア  パルミラ遺跡  バール寺院

バアル (ウガリット語 形 b‘l [ba‘alu])とは、カナン 地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語で「主」を意味する。「バール」「ベール」の表記も。

もともとはハッドゥ (hd [haddu])という名であった。この名は恐らく雷鳴の擬音と考えられる。しかしハッドゥが主神、すなわちバアルと呼ばれ崇められているうちに、その呼称が固有名詞化し、後にはもっぱらバアルと呼ばれるようになった。

本来、カナン人 の高位の神だったが、その信仰は周辺に広まり、旧約聖書 の列王記 下などにもその名がある。また、エジプト神話 にも取り入れられ同じ嵐の神のセト と同一視された。フェニキア やその植民地カルタゴ の最高神モロク をバアル・ハンモンと結びつける説もある。さらにギリシア でもバアル (Βάαλ)の名で崇められた。足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い。
ウガリット神話におけるバアル [編集 ]

ウガリット神話 では最高神イル と全ての神々の母アーシラト またはアスタルト の息子と呼ばれる。またダゴン の子バアル(b‘l bn dgn)とも呼ばれる。勝利の女神アナト の兄にして夫。またアスタルトを妻とする解釈もある。

彫像等では、右手で矛を振りかざし、左手に稲妻を握る戦士の姿で表される。豊穣神として崇められ、竜神ヤム・ナハル や死の神モート の敵対者とされる。 ヤムとの戦いは彼が荒々しい自然界の水を征する利水・治水の神である事を象徴し、モートとの戦いは彼が慈雨によって実りをもたらし、命を養う糧を与える神である事を象徴する。

聖書におけるバアル [編集 ]

旧約聖書の列王記下では、預言者エリヤ がバアルの預言者と争い、神の偉力をもってバアル信者を打ち滅ぼしたことが書かれている。バアルは旧約聖書の著者達から嫌われており、もともと「バアル・ゼブル」(崇高なるバアル)と呼ばれていたのを「バアル・ゼブブ」(蝿のバアル)と呼んで嘲笑した。新約聖書では蝿の姿をした悪魔の王ベルゼブブ となる。

また、人身供犠を求める偶像神として否定的に描かれ、「異教の男神」一般を広く指す普通名詞としてバアルの名が使われる場合もある。

グリモワールにおけるバアル [編集 ]

バアルは旧約聖書に現れる異教の神として悪魔学 でも重視される。ソロモンの小さな鍵 ではバエル(Baël)の名で現れる。ソロモン72柱 の魔神の1柱で、東方を支配する魔王アマイモン 第一の配下にして、66の軍団を率いる序列1番の大いなる王で剣術の達人とされる。

カエル 、猫 、そして王冠 を被った人間の頭をもった蜘蛛 の姿で現れ、しわがれた声で話す。そして自分を呼び出した者に様々な事に関する知恵と、全てを見通す力、必要であれば体を透明に出来る力を与えると言う。

また、一説にはあらゆる秘術の創造主で、本や書物に力を与えるとされている。


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