--年--月--日 (--:--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011年11月14日 (00:44)

一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新共同体創造

一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新共同体創造

テーマ:manichaeism
resurrection
neomanichaeist resurrection

『一つの世界文明、父権的物質文明の終焉:母権的個の螺旋的回帰と新共同体創造』 amba.to/s1J4mi 一連のツイッターへ投稿したものをまとめたものです。思うがまま書いたので、荒削りのままです。とまれ、私のブログの名前を借りると、ヤポネシアの脱黙示録となります。
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

8)これで止めるが、日本人は民族伝統の母権的個の原理に覚醒する必要がある。これこそ、日本が世界に誇るべき大文化である。とまれ、最初に述べたように一つ世界文明、父権的物質文明の終焉を迎えているのである。それは、母権的個の原理の螺旋的回帰であり、新共同体原理でもある。個的新共同体へ。

お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

7)今やグローバル戦争金融資本主義がその危機(おそらく断末魔)から、日本へと標的を定めて大襲来しているのである。それに対して日本政府は某国の出先機関と化して、その侵略の斧の下に、首を差し出し、切断されるのを甘受するだけである。これは、必然の結果である。民族文化を否定した帰結である

お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

6)この没個的無道徳的封建的利己主義の蔓延った日本の帰結が無謀な原発建設と原発爆発であり、無思慮な、封建的隷従的な自民党・民主党政権支配である。米国に隷従する没個的な封建的心性が政治家らを支配して、国民は没個的教育(狂育)や教養主義の崩壊によって、ますます無知蒙昧化していった。
5分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

5)没個的封建的心性があり、かつ戦後の米国近代合理主義が主導的となり、日本人の精神は近代以前かつ唯物論的になった。すなわち、精神的自立がまったくなされずに、封建的唯物主義が支配的なのである。ここには、個に基づく道徳・倫理はなく、無思考の利己主義が跋扈することになったのである。
12分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

4)戦後日本は米国中心主義となり、いわば脱亜入米が起こったと言えよう。それは、米国文明の刷り込み、洗脳である。自己民族伝統文化を否定し、米国文明が支配的になったのである。また、暴虐な戦争を生んだ「戦犯」は米国の戦略によって無罪放免となった。自ら「戦犯」処理できず、背徳人間を残した
15分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

3)日本的個の文化があるが、明治維新において、それを体現する龍馬や西郷らが排除されていってしまい、没個的封建的心性が支配的になり、無責任な、没合理的な大戦へと突き進み、大惨禍をもたらしたのである。それの反省もなく戦後はGHQ支配の下、日本文化破壊の戦後近代が始まった。精神文化否定
22分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

2)日本近代は私見では後期江戸時代の封建的心性を「発展」的に継続し、それが支配層の原理となった。未分化の半自我・半隷従的原理であり、森鴎外『阿部一族』の柄本又七郎の心性に表出していると思う。そこには、西洋近代の基本の個の原理が欠落しているのである。集団的自我の原理が支配した。
25分前 お気に入りに登録 返信 削除
»
resurrection
neomanichaeist resurrection

1)今一つの世界文明が終焉しつつある。それは父権・西洋的世界文明の終焉である。結局、父権的自我が母権的他者・差異・個を暴力的に否定・排除・消滅させる原理・力学がそれにある。グローバル戦争資本主義、超巨大資本的国家資本主義、反人間有機体的原発利権主義等々だ。アーリマン闇魔支配。
スポンサーサイト

2011年04月06日 (23:51)

福島第一原発破局は西洋文明、父権制、物質主義(唯物論)の終焉の烽火だ

テーマ:アイオーン・エポック:母権霊的ルネサンス

父権主義とはそもそも狂気なのである。それは、PS理論の自己認識方程式凸i*凹i⇒凸(+1)に提示されている。
 本来、差異共立(陰陽)であるものが、連続的同一性的転換(精神的フィルターあるいはmedia point transformation)によって、物質化、自我化されるのである。
 この物質化・自我化が父権主義の帰結なのであり、それは、源泉の差異共立(母権)を忘失しているので、錯誤状態に陥っているのである(仏教では無明むみょう)。
 また、単に、錯誤状態だけではなく、凸iに傾斜しているので、他者凹iに対して、意味なく、優越(同時に劣等感)を覚えるのであり、その点で、優越妄想を形成しているのである。
 いったい、凸iの傾斜、自我主義の意味とは何なのか。それは、既述したように、物質世界の形成であり、同時に、『個』の自覚である。
 差異共立が同一性自己=自我(物質的自己)となり、人間は疎外を覚えるのである。
 そう、物質的自己(自我)になることで、本来の差異共立(MP1)が芽生えるのである。
 自我から『個』への覚醒である。そして、この『個』とは、他者にほかならないのである。つまり、『個』において、共同主義が発生するのである。『個』即『他者』である。
 思うに、『個』的共同体であるが、『個』的共一主義と言ってもいいだろう。
 この共一主義とは、D. H. ロレンスの言うコスモス主義である。ここでは、差異共立体としてのコスモスがあるのである。
 それは、人間認識図では、第三象限である。
 今はここで留める。


参照:人間認識図
人間認識図

Japonesian Apocalypse:DAWN OF AEON EPOCH:

2010年08月07日 (14:51)

アイデンティティという利己主義:父権的凸i傾斜的劣等/優越コンプレックス

Media Pointないし、凹iを満たす必要がある、本来。しかしながら、凸iに傾斜しているので、Media Pointや凹iが無意識になるのである。
 先に、凹iはアストラル体ではないかと提起した。それは、感情的身体である。あるいは、内臓的感情身体である。
 凸iは抽象観念を志向するので、凹iを基本的には排除するだろう。そう、凹iは受容的身体とも言えよう。内的他者であり、外的他者を感受するのである。つまり、受け身なのである。だから、外的他者に対して、反感を感じるのである。
 この点を厳密に分析する必要がある。
 思うに、凹iは感受点である。苦楽を感じるポイントである。また、人間は鏡像自我を形成するが、それは、排他的力学をもつ。即ち、自我肯定であり、他者排除的な力学である。利己主義・エゴイズムの原点である。
 個人はこの鏡像自我という利己的な優越志向があるが、外的他者を感受するときは、当然、優位に立とうとするのである。自我優位であり、他者劣位にしようと欲するのである。
 この優越主義は当然、優れた他者に対しては、劣等感を感じるのである。というか、他者一般に対して、裏返しの劣等感をもつと思われるのである。
 ということは、鏡像自我形成の原点において、なにか劣等感があるということではないだろうか。
 そう、それは、人間が幼児・小児としてもつ身体的な非力さ・無力性から来ているのではないだろうか。
 馬の子は生まれるとすぐ立つことができるが、人間の赤子はできない。
 そう、心身的な根源的弱さがあると言えよう。
 この弱点をカバーするのが鏡像自我ではないだろうか。非力さを裏返しにした、認知的優越性をもつものではないだろうか。
 しかし、それですべてであろうか。
 思うに、凸iは凹iに対して、根源的な劣等感をもっているのではないだろうか。何故なら、凸iにとり、凹iはまったくの他者であり、異質なものであり、了解不可能であるからである。絶対的他者であある。
 この原劣等感があるので、凸iは、アイデンティティを形成して、自我を優位・優越に保とうとするのではないだろうか。それはまた、攻撃的志向である。
 そして、凸iの傾斜は父権的なものである。あるいは、一神教的なものである。
 しかしながら、凹iは母権的なもの、多神教的なものだろうか。私は以前から、母権的なもの、多神教的なものとは、凸iと凹iとのバランスのとれたものと考えている。
 とまれ、父権的な傾斜、凸iの傾斜は凹iにコンプレックスを感じるのである。そのために、自我アイデンティティを形成しようとするのである。しかしながら、それは、凹iを隠蔽しているので、本来、不適切な、誤魔化しの、虚偽的なアイデンティティに過ぎない。
 だから、父権的意識が本来の自己認識に達するには、凹iを肯定する必要があるのであるが、それが一般的にはきわめて困難なのである。
 しかしながら、東洋文化は本来、身体的文化であり、凹iを肯定する技術をもった文化なのである。日本文化で言えば、肚の文化である。これは、中国では、道教の丹田の文化であり、インドでは、クンダリニーのための瞑想文化である。仏教では、禅の瞑想文化である。
 ということで、凹iを肯定する身体的文化(教養)があったのである。
 それに対して、西洋文化は凸iに傾斜した文化(デリダのロゴス中心主義)であり、凹iを排除する父権的文化であると言えよう。
 サイードのオリエンタリズムはこれで説明できよう。凸iの文化が凸iに劣った、凹i中心の東洋を指導する必要があるということである。(しかし、東洋文化は凹i中心ではなく、凸iと凹iとの均衡を追究する文化である。)
 ということで、本題のアイデンティティの利己主義性について解明できたと言えよう。つまり、父権的アイデンティティの利己主義性ということである。
 因みに言えば、資本主義は凸iが中心となり、凹iを抑圧して成立した経済である。同一性価値経済である。
 今日、ポスト・リーマンショックとして、新経済が要請されている。それは、凹iを肯定する経済である。それは、差異共立経済である。即ち、自由共同体的経済である。
 ポイントは差異共立主義である。これは、他者との共同性を志向するものである。この点については後で検討したい。

参考:
tokaiama


1. 世界を拓く新しい秩序は自給自足の農業共同体から生まれる。ちょうどアメリカインディアン部族をイメージすればよい。数十名単位の大家族、部族なのだ。人は部族に心を置いて帰属し、個人を超えて部族が一個の独立人格として永続的に生き続ける。その発展型が客家だ。構成員の目的は子供達を育てること 約2時間前 webから
2. 既存の組織、秩序が、経済崩壊によって、すべて崩壊の危機に晒されている。国家、行政、企業、学校、宗教、家族、あらゆる帰属体、組織が崩壊し、人々は真に心を置いて安心できる帰属体を求めて彷徨うのだ。新たな帰属体は農業共同体だろう。そこには、もはや一夫一婦制家族もなく、男女は自由に離合 約2時間前 webから
3. 人が常識と信ずるものは「帰属体」を維持するために必要な倫理、秩序であることに気づく必要がある。心を置いて安心できる帰属体を見いだすことで人は自分のアタマ、足、意志で考え、判断する責務を逃れ、世間体、常識に従って生きていれば、疎外孤立から解放され安心できる。これが宗教団体の秘密 約2時間前 webから
4. ツイッター見てると、価値観、判断基準が帰属意識にあることが鮮明に。自分が帰属すると信ずる社会的ステータスの利害に沿った取捨選択を行う。帰属意識が成立するのは小中学校における力関係、洗脳だ。人は人生の根底に帰属を置いているのだ。家族・学校・会社・多重の帰属が生涯を縛り続ける 約2時間前 webから

2010年03月05日 (23:06)

日本における一神教主義と多神教主義:父権主義と母権主義

テーマ:ニッポン亡国の凶相:売国奴と愚民と狂信者

スロー人氏の大(だい)正論である。
 ルドルフ・シュタイナーは人類は、ヤハウェ型(一神教タイプ)とエローヒーム型(多神教タイプ)に分けられると述べていたと思う。
 西洋文明は両者混淆しているものの、当然、前者が中心である。そして、この断末魔を今日迎え、今や、後者が新たに進展する時代であるとわたしは考えている。日本人を抑圧してきた国学的一神教の発想(民族主義)を廃棄する必要があり、新たに、多神教的発想を進展させる必要があると言えよう。
 思うに、今日の日本人は一神教的酷い発想をもつ人が多数である。これを乗り越えて、日本本来の多神教へと回帰すべきである。

追記:スロー人氏の判断に即せば、武市半平太が一神教的であり、龍馬が多神教的である。

追記2:正確に言うと、国学的民族主義と封建的父権主義と近代合理主義の結合したものが、現代日本の「一神教」である。

************************

人の命を粗末に扱う武市半平太は現代日本にも大勢いる

毎週、NHKの「龍馬伝」を楽しみしているが、先週のストーリーにも感じさせられるものがあった。


 本物はどうだったのか、それは分からないが、今回のドラマでは、後に土佐勤王党を結成する武市半平太に焦点が当てられていた。


 武市は、問題を起こした山本琢磨に切腹を命じる。しかし、龍馬は生きて、自分の人生を見つけろと逃がしてやる。


 武市は大義のために「死ね!」という。


 日本では、こうした事態に追い詰められて、死を迎えることを潔いとする。こんな文化がある。


 ぼくは大切な命をこのように粗末に扱う人間たちが嫌いだ。


 だいたいこういう思想があるから、アメリカとの戦争において大敗を喫したと考えている。


 民主主義のアメリカは逆だ。一人ひとりの命を大切にする。「生き延びよ!」と温かい。


 昨夜、同じNHKで「ゼロ戦」のドキュメンタリーが放送された。


 そのなかでも、第一回の出撃後、すでに現場からの改善点として防備の充実を求める意見が出されているにもかかわらず、結局、日本は貴重なパイロットの命を守ることに努力しなかった。


 ぼくの叔父たちも終戦直後、命からがら大陸から帰国したが、叔父たちは現地でつかっていた人々に優しくしていたおかげで、ずいぶん、助けもらったそうだ。


 反対にあこぎに儲けていたような人は酷い目を見たのだろう。


 ところで、この引揚げにおいても、日本軍は皇軍だからということで、日本人を守るために護衛の任務にはつかなかった。


以上冒頭を転載させていただきました。

スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

2010年02月15日 (18:02)

白人文明の嫉みによる嫌がらせ、暴力・攻撃・支配が問題である

テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明

白人文明、西洋文明は表面は天使の顔であるが、肚の中には、悪魔が潜んでいる。
 民主主義的な押しつけ善意(独善性)があるし、実態は、帝国/植民地主義である。
 白人民主主義をキリスト教的民主主義と見てもいいだろう。問題は、他者に白人民主主義/キリスト教的民主主義を押しつけることである。
 この力学は何か。民主主義的善意の根底には、暴力・支配・攻撃、つまり、悪意があるのである。
 つまり、自分を民主主義的善と同一化したとき、それは、同一性主義であり、差異である他者を否定・排除することになるのである。
 つまり、ここには、白人民主主義の同一性主義の問題があるのである。自己を差異と認識しないといけない。民主主義的善と同一化したとき、自己差異は否定され、同時に、他者の差異も否定されるのである。
 この自己差異/他者差異の否定が端的に暴力・攻撃・支配なのである。善的同一性主義になったとき、差異・他者に対する憎悪が発生するのである。これが、白人・西洋民主主義的精神の内面・基盤にあるものと考えられる。言い換えると、ジキルとハイド的文明ということである。
 ところで、肝心なことを考察するのを忘れていた。この同一性の嫉みは、ユダヤ教に拠るのか、キリスト教に拠るのか。
 ニーチェはキリスト教のルサンチマンを説き、ユダヤ教には肯定的であった。
 愛にしろ、ヤハウェの正義にしろ、それは、同一性に基づくのであり、両者が同一性の嫉み(ルサンチマン)を発生させると考えられる。後で精緻に考えたい。

追記:ここでは、白人文明、西洋文明とは、父権的文明と理解する必要がある。これまで何度も述べたように、西欧文化のベースには母権的文化があり、それこそ、真正な、つまり、差異的な民主主義の母体だと考えている。
 また、アングロ・サクソンと言っても、イギリス文化の基盤には、ケルト文化があるのであり、それは、女神文化なのである。東洋的文化なのである。


「愛しい」モーツァルト弦楽五重奏曲第4番K.516ト短調

テーマ:クラシック CD/DVD/YouTube

この弦楽五重奏の冒頭は、交響曲40番の冒頭よりも、痛切な美しい哀感がある。それにしても、ト短調はモーツァルトの運命の調性なのだろう。これは、正 に、愛しい(かなしい)と形容すべきである。
 また、憂い、憂愁があるとも形容ができよう。しかし、単に情感というよりは、普遍的な精神が一時生 きているこの世の愛しさを歌っているのである。いわば、幽界(幽世かくりよ・霊界)と現し世(顕世うつしよ・この世)との境界でモーツァルトは歌っている のである。それは、正に、ps理論で説くMedia Pointで歌っているのである。天才たちは皆、Media Pointで表現するのである。あの世とこの世の奇蹟的な融合点で歌うのである。

追記:ピアノ協奏曲20番も傑作であり、ニ短調もいい。

参 考:
大辞林 第二版 (三省堂)

かなしい 【悲しい/哀しい/愛しい】

(形)[文]シク かな・し

[一]心が痛んで泣きたくなるような気持ちだ。つらく切ない。《悲・哀》
「母に死なれて―・い」「誠意が通じなくて―・い」

[二](古くは「愛し」と書かれた)

(1)身にしみていとしい。切ないほどにかわいい。《愛》
「何そこの児(こ)のここだ―・しき/万葉 3373」

(2)心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。
「みちのくはいづくはあれど塩釜の浦こぐ舟の綱手―・しも/古今(東歌)」

(3)見事だ。感心するほど立派だ。
「―・しくせられたりとて、見あさみけるとなん/著聞 17」

参考 2:YouTubeのコメントも同じことを告げている。人間の心・精神の全人類的普遍性。


wanzenettl (1年前) 表示 非表示
0
スパムとしてマーク
返信
Mozart_ at his very finest.
Libertein818 (1年前) 表示 非表示
0
スパムとしてマーク
返信
I'd never heard this piece before now, its so moving_ and very sad but beautiful as well. wonderful playing, thanks for uploading.
elias12186 (1年前) 表示 非表示
スパムとしてマーク
返 信
Well the miss out_ on the saddest, best part.
ashraniyyah (10 か月前) 表示 非表示
0
スパムとしてマーク
返信
Of course; with sadness comes joy._
http://ameblo.jp/renshi/entry-10459568809.html


哲学とブログ:悪は誤魔化し・隠蔽と一如である
テーマ:ゾロアスター教とトランス・モダン
優れたブログやHPは、真実、真相、真理を追究・追求しているのであり、それは、端的に、哲学的希求である。
 それに対して、悪を事とする支配・権力側、つまり、悪霊側は、当然、悪であるから知られないように誤魔化しを、虚偽・隠蔽・排除(殺人)をするのであ る。
 これは、明らかに、ゾロアスター教の世界観に即している。善と悪との最終戦争が行われているのが、現代である。それは、トランス・モダン進化を意味す る。
 それに対して、善でも悪でもない、凡庸の徒が大半である。烏合の衆、有象無象、愚衆・愚民である。彼らは、何のために生きているのか。それは、悪人を肥 やすために、欺されて、奴隷のように生かされているということだろう。


地球寒冷化:地球温暖化「神話」は排出権国際的利権屋の共謀ペテン
テーマ:エネルギー問題・国連地球温暖化共謀ペ テン
■ 地球寒冷化の実態

 http://www.epochtimes.jp/jp/2010/02/html/d22054.html

東海アマチュア地震予知研究会

2009年11月02日 (21:13)

父権性と母権性の即非統合について:又は新多一神教:双神教・双権主義:ゾロアスター教の新エポック

テーマ:ゾロアスター教とトランス・モダン

先ず、整理しよう。
 母権的多神教の場合、本来、差異共振性が精神的フィルターによって連続化して、堕落する。つまり、偶像崇拝が起こる。
 それに対して、ヤハウェ的一神教が起こり、その超越性は、連続性を切断する。つまり、超越神と現象界が絶対的に切断されて、分離するのである。
 この事態を作業仮説的に、+i→⇒-1と考える。
 問題は、ヤハウェが「我あり」I amという神であることである。これは、自己存在の神ということである。+i⇒+1が現象的ないしは、物質的自己存在であるなら、+i⇒-1は非現象的自己存在と言えるのではないだろうか。つまり、観念抽象的自己存在ではないだろうか。この問題はおいておこう。
 ここでポイントは、現象的連続性が切断されたことである。しかしながら、思うに、逆に、⇒-1に転化したことで、抽象的同一性に連続化していると思えるのである。
 つまり、ヤハウェ一神教は、絶対的には、切断が起きてはないのである。
 とまれ、-i(他者)を否定・抑圧・排除しているので、-i的反転(逆転)のエネルギーが発動すると考えられる。
 これが、先の考察からは、イエスのエネルギーを意味する。つまり、差異共振の復活・復興・再生を意味する。
 問題は、⇒-1と活性化された(+i)*(-i)⇒+1が衝突することである。つまり、ヤハウェ一神教と新多神教ないしは新母権性が衝突することである。
 そして、この衝突を、繕っているのが、三位一体という観念・ドクマ・イデオロギーと考えられる。つまり、それは、折衷であり、妥協に過ぎない。しかも、キリスト教の場合は、「父」ヤハウェ⇒-1が「子」イエス⇒+1よりも、主導的なのである。
 問題は、トランス・モダンの今日・現代である。イエス的反転が今日、進展したと考えられる。つまり、ヤハウェ一神教性が、新差異共振性(新多神教、新母権性)によって、超克されたと考えられるのである。それは、理論・哲学的には、後期デリダの哲学、不連続的差異論、そして、PS理論が意味するものである。
 言い換えると、絶対的差異、絶対的他者が、精神的フィルターの具象且つ抽象的同一性から独立したということである。つまり、精神的フィルターの束縛・拘束・桎梏から脱却・脱出したということである。
 根源(アルケー)への回帰である。もっとも、ここで、核心的に重要なポイントは、不連続性の認識である。もし、この認識がなければ、知は曖昧なままである。
 いったい、不連続性の認識とはどういう力学性をもつのか。それは、端的に、精神的フィルターからの切断の力学を意味すると言えよう。つまり、無意識的に、意識は、精神的フィルターに絡み取られている。しかし、意識が不連続性を認識すると、精神的フィルターの連続的接続性から離脱するのである。
 つまり、意識による差異的反転(イエス的反転)を不連続化することで、精神的フィルターの連続的接続性を破壊・解体して、差異と意識を分離するのである。
 後者の意識とは、いわゆる、知的自己である。言語的自己である。これを同一性自己と呼んでいいのか、微妙である。この知的意識は、不連続である絶対的差異、差異共振性、即非性を認識しているものであり、いわば、絶対的差異を包摂した知性である。だから、これは、同一性自己と呼ぶのは絶対に不可能である。
 ここにおいて、絶対的差異、超越的差異、差異共振と外界的感覚・知覚・言語的知性(数理知性を含めて)との対話が行われていると考えられる。
 いわば、直感・直観があり、それと外界的感覚・知覚・言語的知性との絶えざる対話・ポリフォニーが行われているのである。それは、虚数的超越性と実数的現象性との対話的生成と換言できる。また、Media Point的対話と言える。つまり、Media Point的四元・五元的対話である。
 では、ここに新しく生まれた精神とは宗教・ジェンダー的には、何なのであろうか。思うに、超越的多神教であり、超越的母権主義である。一神教的多神教であり、父権的母権主義である。あるいは、逆も真である。
 とりあえず、双神教、双権主義とでも呼ぼう。あるいは、共神教であり、共権主義である。ここで、やはり、ゾロアスター教が決定的な意義をもっていると言える。

2009年07月17日 (10:34)

イエス・キリストはアフラ・マズダーの化身であろう:ゾロアスター教の一部としてのキリスト教

イエス・キリストはアフラ・マズダーの化身であろう:ゾロアスター教の一部としてのキリスト教

テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明

イスラム教はイエスを預言者の一人と見ている。神(超越神)が人となることは考えられないからである。
 PS理論から見ても、イエス・キリストは、神ではありえないだろうが、神の化身や権化ならば、考えられよう。ヒンドゥー教では、ヴィシュヌの化身は多くいる。その視点から言えば、イエス・キリストとは、アフラ・マズダーの化身の一人であると言えよう。つまりは、ゾロアスター教の一部としてのキリスト教となる。スプンタ・マンユ(聖なる霊)としてのイエス・キリストということになる。
 では、いったいどうして、イエス・キリストは神(「現人神」)になったのか。それは、西洋における同一性主義の知的コンテキストにおいてではないだろうか。言い換えると、唯物論的コンテキストにおいて、化身が神になったのではないだろうか。後で再考したい。

追記:化身とは、何か。Media Point的体現・現象化ということだろう。同一性化=物質化とは、Media Pointを否定しているのである。


*******************

「妖精」の「存在」について:精神的事象と超越的エネルギー

テーマ:神話学・不思議学・フォークロア:ケルト他

妖精を信じた乙女と大人たち
【 未開の森林 】

以上のeliot-akira氏の最新のブログに、「妖精」の写真を載せているが、「妖精」とは何だろうか。
 日本で言うと、宮崎駿の「もののけ姫」等の世界の「存在」である。
 これは今や明白である。これは、精神的差異共振振動のことであると考えられよう。同一性=物質の世界、即ち、唯物論の世界においては否定される世界の(精神的)事象である。
 端的に言えば、「妖精」は存在するのである。あるいは、「天使」も「存在」するのである。ただし、超越的差異共振的「存在」、超越的「存在」であるから、物質的現象界には「存し」ないのである。Media Pointにおける垂直性において、「存する」のである。
 思うに、「存在」という用語は混乱させるだろう。「存在」は、物質界に当てはまる用語である。その視点から「妖精」は非存在である。言い換えると、エネルギー事象である。
 思うに、芸術家がこの超越的エネルギー事象を同一性=物質的に具象化すると言えよう。
 今日、トランス・モダンの入口の時代にあり、新たな超越的エネルギーの表現が創造されると考えられる。トランス・モダン・ルネサンスを迎えていると言えよう。
 思うに、Media Pointは真正な境界であり、超越性と同一性(仮象)が即非的に並立している。高度の差異共振性は、一般には、同一性=物質現象化しない。霊的存在は物質化はしないのである。この点を明確に抑える必要がある。
 ここで超越的芸術や超越的知性の必要の問題があるのである。一言で言えば、超越界の「表現」の問題である。思うに、ここで、信仰と超越知性(イデア論)の相違が重要である。PS理論は、信仰を否定しないが、信仰を超越知性に転換していると考えられる。つまり、超越的合理性を説いているのである。これがトランス・モダンにおいて、最高度に重要な点である。後で整理したい。

****************

『不思議の国のアリス』の「異世界」:同一性からMedia Pointへ転移の物語

テーマ:メディア・ポイントMedia Point

PS理論は、「コスモス」の理論なので、すべてに適用できるのであるが、例えば、文学研究においても、目覚ましい結果を生むだろう。
 ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』であるが、アリスは日常世界からウサギの穴に落ちて、「異世界」に入る込むのであるが、その「異世界」は、同一性論理の崩壊した世界であり、正に、Media Pointの世界と言えるのではないだろうか。明らかに極性が作用している世界である。伸びたり、縮んだりして、正に、非同一性世界となっているのである。
 思うに、ルイス・キャロルは東洋文化を志向していたと思われる。(彼はケルトの血が入っている。参考:アイルランド 系の血を含む北部イギリス人 である。Wikipedia)『シルヴィーとブルーノ』の第1巻の最後には、Look East.という言葉があるのである。
 とまれ、PS理論が行き詰まっている文学研究をも再生させよう。

******************

検討問題:+iの能動性と同一性化の力学:「ルシファー」と「アーリマン」(アンラ・マンユ)

テーマ:検討問題

同一性的であるとして、シュタイナーの精神科学を批判したが、しかし、シュタイナーは当然ながら、鋭敏な精神的認識をもっていた。
 ここでは、彼の「悪魔(悪神)」論を考えたい。即ち、「ルシファー」と「アーリマン」である。前者は本来、光と関係するものである。堕天使である。そして、後者は物質に関係するものである。だから、闇に関係しよう。
 これまで、ゾロアスター教のアンラ・マンユ(悪神)を同一性=物質の+1と結びつけて考えてきた。しかし、気になっていたのは、「ルシファー」である。それは、PS理論に相応するものがあるのだろうか。
 それは、端的には、+iの能動性ではないだろうか。これが、同一性と結びつくと、近代合理性=唯物論になると考えられる。
 +iの能動性とは、本来は、個の能動性である。これが、デカルト哲学が明示するように、近代的自我の能動性に還元されてしまったのである。本来、コギトとは、+iであるが、それが、同一性+1(悪神アンリ・マンユ)に転化されたのである。
 問題は、どうして、個の能動性が同一性化したのか。それは、視覚が本来、外界に対応しているからであろう。つまり、個の能動性が視覚を介して、外界的同一性と向けられたということになる。これが近代化の秘密である。
 先に述べたように、個の能動性を外界から内界へと方向転換させる必要があるのである。もっとも、外界ヘの志向を否定せよと言うのではない。そうならば、それは、蒙昧主義となる。
 外界へと志向した個の能動性を内界へと転換することで、個の能動性は内的他者に出会い、積極・肯定的に他者との共振が可能になるのである。そして、それは、外的他者との共振へと導くのである。
 先に述べたように、内界・内的身体に高度精神性が存するのである。それが、超越的知性でもある。それは、純粋な光の世界である。超越光の世界でもある。アフラ・マズダーの世界である。大日如来の世界である。

2009年06月20日 (15:10)

西洋の東洋干渉:Let others govern their own countries

テーマ:先住民問題・アフリカ・中南米・中央アジア

まるでアフガニスタンが米国の領土であるかのように、以下の記事はアフガニスタンの建て直しプランを説いている。
 これは、内政干渉ではないのか。余計なおせっかいではないのか。理論的には、サイードの説いたオリエンタリズムということになるだろうが、それにしても、度を越している。この西洋文明の東洋文明に対する僭越な干渉が、混乱・内戦等の根因であると思われる。
 パターナリズムとも言えるが、とまれ、干渉したくてしょうがないのである。これは父権主義、キリスト教的父権主義である。Media Pointが同一性志向性へと転化してしまっているのであり、東洋文明は西洋の同一性に暴力的に一致させられるということなのである。
Obama's War : Starting Over on Development
U.S. Pursues a New Way To Rebuild in Afghanistan
By Rajiv Chandrasekaran
Washington Post Staff Writer
Friday, June 19, 2009



The idea to transform a vacant tract near the Afghan city of Mazar-e Sharif into a sprawling commercial farm, with miles of strawberry fields and thousands of cashmere goats, began with an entreaty from President George W. Bush to the billionaire chairman of Dole Foods at a 2006 Republican Party fundraiser.
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/06/18/AR2009061804135.html?wpisrc=newsletter


羽生名人による将棋のイノベーションと差異共振
テーマ:プラトニック・シナジー理論
以下の青色文字で強調した箇所は、正に、PS理論の差異共振性を意味しよう。「相手が自分と同じ価値観なり、同じビジョンを共有」するという点は一見同一性の視点に見えるかもしれない。この「同じ」というのは、実は、差異肯定のことであると考えられる。即ち、他者の差異を肯定することで、自己の差異との共振が生まれて、創造的になるということである。差異肯定と差異共振、これが、「同じ価値観」、「同じビジョン」ということの意味と考えられる。言い換えると、差異共振的普遍性への志向性である。
##########################
イノベーションはなぜ起きたか(上) [2009年06月18日]

『・・・・・ところで僕は、ずっとひとつの疑問を抱いていました。なぜ羽生さんはある時期から自分の将棋研究の成果を公開し始めたのだろうか、と。1992年から2年半かけて刊行された『羽生の頭脳 』という全10巻の著作があります。彼の20代前半の大仕事です。あるいは、雑誌「将棋世界 」に1997年7月号から3年半にわたって書き継がれた「変わりゆく現代将棋」という連載があります。いずれも「勝つこと」を最優先にするプロ棋士であれば、当然秘匿しておくべき手の内を、惜しげもなくオープンにした著作です。驚きました。その理由について、羽生さんから明確な説明を聞いたことはないのですが、彼の書いたものを読み、彼との親交を深めていく中で確信したことがあります。ひと言で言えば、「将棋は2人で指すものだ」ということです。羽生さんは、将棋とは「他力本願的なところがある」「1人で完成させるのではなく、制約のある中でベストを尽くして他者に委ねる。そういうものだ」という言い方をします。つまり、相手が自分と同じ価値観なり、同じビジョンを共有してくれないことには、いくら1人で「未開の荒野」を切り開いていったとしても、盤上に革命はいつまでも経っても起こりようがありません。盤上がより自由になり、そこに「もっとすごいもの」が現出するためには、対局する相手も自分と同じ志向性を持った仲間(当然勝ち負けを競うライバルですが)である必要がある。そうでなければ、「もっとすごいもの」を実現する機会は失われるばかりである、という心境に至ったのではないかと想像するわけです。つまり、2人で創造するゲーム、2人で真理を追究する将棋においては、仲間の存在を抜きにして「もっとすごいもの」は絶対に1人では作れないと悟ったのではないか。それが「知のオープン化」を実践した彼の内的動機ではなかったか、というのが僕の解釈です。」
イノベーションはなぜ起きたか(下)   [2009年06月19日]
JBpress(日本ビジネスプレス)


これは正論だ:北朝鮮制裁は、同一性主義である:差異共振外交へ:ただし、新防衛体制の設置が必要
テーマ:東アジア:朝鮮半島・中国・台湾・ロシア
蓮池透さん「交渉に軸足を」 北朝鮮制裁問題で講演

 拉致被害者蓮池薫さん(51)の兄の蓮池透さん(54)は18日、都内で講演し、北朝鮮に対する国連や日本独自の制裁措置について「制裁一辺倒で拉致問題が解決するのか疑問。今の閉塞状況に風穴をあけるため、交渉に軸足を移すことが必要だ」などと述べた。

 透さんは「(北朝鮮の)狙いは米国との国交正常化と平和条約締結。(故金日成主席の生誕100年となる)2012年の『強盛大国』建設に向け焦りがあり、国威発揚のため核・ミサイル実験をしている」と分析。

 「軍の強硬派が権力を持つならば、暴発の可能性もあり、制裁を決めた当事者はどこまで腹をくくっているのか」と不測の事態を不安視し「北朝鮮は日本から金を取りたくて仕方がない。金はアメにもムチにもなり、したたかに交渉してほしいが、できる政治家も外交官もいない」と嘆いた。

 さらに「政府の言う拉致、核・ミサイル問題の包括的解決は都合のいい言葉。核が解決すれば拉致も解決すると被害者家族に思わせるのは酷だ」と批判した。
2009/06/18 21:08 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009061801001030.html

2009年06月13日 (17:01)

ユダヤ教又は聖書問題:エローヒームとヤハウェ:母権と父権:ユダヤ教又は聖書は一神教なのか?

以下は簡単に問題を提示するだけである。
 旧約聖書は実は、「二人」の神がいる。既述したように、エローヒーム(神の複数)とヤハウェである。私はこれまで、後者を徹底的に、絶対的に批判した。しかし、それは、ユダヤ教ないしはユダヤ文化を否定しているわけではない。というか、ユダヤ文化の偉大さは否定されようがないのである。
 私見では、キリスト教が、ユダヤ教を歪めて、一神教化させたのである。ユダヤ教は、多神教である。そう、英国の偉大な作家、D. H. ロレンスは、旧約聖書は多神教的であると述べているのである。
 端的に、エローヒームとヤハウェの「二人」が存することがそ小差である。
 今は余裕がないのでここで留める。キリスト教こそ、人類の災厄である。後で精緻に検討したい。

追記:言うのを忘れたが、ニーチェは、旧約聖書を肯定し、新約聖書を否定しているのである。アンチ・キリストのニーチェである。


参照:

(4) 旧約聖書

(1)エロヒーム
 そこで、わたしはこの三つの排他的一神教が共通して崇めている聖典である旧約聖書の創世記第1章~2章を見て頂きたいと思います。
そこに出てくる神名は第一に「エロヒーム」です。これは「エル」(力)の
複数形です。「エル」自体が神名ですが、複数形の「エロヒーム」には
二つの意味があって、一つは「無限の力を持つ唯一の神」という意味で、尊厳の複数形とも言います。今一つは「神々」という意味で、「天界の
人間や、天使や、神の命を受けてこの世で働く人々」もその中に
含まれています。  

 *ユダヤ人がイエス様に「あなたは人間であるのに、
  自分を神としている」と言って非難したとき、イエス様は答えました、
  「あなたがたの律法に、『わたしは言う、あなたがたは神々である』と
  書いてあるではないか。神の言を託された人々が、
  神々といわれているとすれば、(そして聖書の言はすたることが
  あり得ない)父が聖別して、世につかわされた者が、
  『わたしは神の子である』と言ったからとて、
  どうして『あなたは神を汚す者だというのか』と
  反論しておられます(ヨハネ10:33~36)。

 従って、「エロヒーム」という力の複数形には、唯一絶対の神様から
出た天界の人々や、天使たちや、神の命を受けて地上に遣わされて働く人々までふくまれているのであります。これは後でまた取り上げます。
つまり「エロヒーム」 は神様の総称であり、神様と日本語でいうような
普通名詞です。

(2)ヤーウェ
 ヤーウェという神名が旧約聖書の中で初めて出て来るのは、創世記
第二章4節からです。口語訳では、「主なる神」と訳していますが、ヘブライ語では「ヤーウエ・エロヒーム」です。なぜ「ヤーウェ」を「主」と訳したかといえば、《出エジプト記20:7》に「あなたは、あなたの神『ヤーウエ』の名を、みだりに唱えてはならない」と戒められているからです。そこでイスラエル人は、 「ヤーウエ」の名が出て来ると「ヤーウエ」と発音せず、
「アドナイ」と発音することにしました。ヘブライ語で「アドナイ」とは「主」という普通名詞で、一家の主人、部族の長、王様など、すぺて上に立つ人を指して言う呼び名です。これを「ヤーウェ」に当てはめて、「アドナイ」と発音することにしたのです。
 ちなみに「ヤーウェ」のヘブライ文字の下に「アドナイ」の母音を入れて発音すると「エホバ」になります。しかし、ユダヤ人は「エホバ」とは発音せず、「アドナイ」と発音しました。今に至るまでそれは続いていますから、日本語に訳すとき、「アドナイ」とせず、「主」と訳したのです。
  そこで創世記第2章の「主なる神」は「ヤーウェ・エロヒーム」であって「ヤーウェという名の神」という意味であります。この場合「神」は普通名詞で、「ヤーウェ」は固有名詞です。
 次に、「ヤーウェ」の名が神様から啓示されたのは《出エジプト記3:13~15》です。モーセが神様に「イスラエル人からその神様の名は何ですかと聞かれたときに困るから、あなたのお名前を教えて下さい」と願いますと、神様は言われました、「『わたしは有って有るもの」(エイエー・アシェル・エイエー)』である。『わたしは有る(エイエー)』という方が私(モーセ)をあなたがたのところに遣わされました」と言いなさい」と。ところがその後で神様は別のことを言われます、「あなたがたの先祖の神、アブラハムの神イサクの神ヤコブの神である主(ヤーウェ)が、私をあなたがたのところへつかわされました」と。初めは「エイエー」と言われたのに、今度は「ヤーウェ」に変わっています。 しかも、「これは永遠にわたしの名、
これは世々のわたしの呼び名である」と語られました。「エイエー」とは
「わたしは有る」と言う意味で、「ヤーウェ」とは「彼は有る」と言う意味で
す。つまり、「エイエー」は神様がみずから名乗り出たときの御名であり、「ヤーウェ」は人が神様を指して言う御名であります。
  では、ユダヤ人は永遠に「ヤーウェ」と言い続けているのかと言うと、
そうではなく、「アドナイ」といっているのです。それでも神様が怒らない
で、受け入れて下さるのはなぜかというと、「「永遠の名」とは言うものの実は便宜上 与えられた象徴的な呼び名だからです。
  皆さん、ここが大切なところですよ、良く心に刻み付けて下さい。

(3)パーラー
 第3に、神様の名として出て来るのは「パーラー」です。これが出て来るのは、《士師記13:18~19》です。有名なサムソンの父マノアのところにヤーウェの使い(天使)が現れてサムソンの誕生を予告します。その時マノアが「あなたの名は何といいますか?」尋ねると天使は「わたしの名は不思議です」と答えます。「不思議」はヘブライ語で「パーラー」と発音
します。これも象徴的な名で、固有名詞ではありません。この後、神様を「パーラー」(不思議)とよんでいないのは、やはりこれが象徴的な呼び名であったからでしょう。
http://www.christ-ch.or.jp/4_topic/kyukyoku/kyukyoku_4.html

究極の調和を目指して

2009年06月07日 (15:01)

ゾロアスター教:宇宙の真理(トランス・モダン科学)の宗教

Kaisetsu氏が指摘していたゾロアスター教の宿命論(善の勝利)については言及しなかったので、少し思うところを述べたい。
 まったくの直感であるが、ゾロアスター教は、実に、宇宙の真理を捉えているのである。PS理論で言えば、虚軸=超越性のダイナミズムを把握・理解しているのである。つまり、差異共振力学を掴んでいるのである。
 そして、悪神(アンリ・マンユ)は同一性主義の「神」であり、それは、宇宙の真理の力学から必然的に提起できる事象である。だから、善神(アフラ・マズダ)とは、差異共振の「神」であり、これも宇宙の真理(トランス・モダン科学)である。
 また、悪神=同一性主義=物質主義に傾斜した世界となった後、当然、宇宙の真理の力学から、超越性=差異共振性=善神が作用するようになり、この悪神を滅ぼすように働くことになるのである。この善神の作用は、正に、自然(じねん)・自発性・「力の意志」・絶対的自由意思である。
 つまり、ゾロアスター教は、宇宙の真理(トランス・モダン科学)に基づく宗教であるからこそ、宿命論(善の勝利)を説くことができるのである。
 だから、ゾロアスター教こそ、PS理論の「始祖」であると言える。かつて、偉大なゾロアスター教と讚えたが、それは正当である。

ゾロアスター教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
この項目には、一部のコンピュータや一部の閲覧ソフト で表示できない文字が含まれています(詳細 )。
ゾロアスター教
基本教義
ゾロアスター教
神々

アフラ・マズダー
スプンタ・マンユ
ヤザタ 、ミスラ
ズルワーン
アナーヒター
ウルスラグナ
フラワシ
神々(悪神)

ダエーワ
アンラ・マンユ
アジ・ダハーカ
アエーシュマ
サルワ
インドラ
聖典
アヴェスター
文学
シャー・ナーメ
人物

ザラスシュトラ
カルティール
ザッハーク
表 ・話 ・編 ・歴

ゾロアスター教(ゾロアスターきょう、英語:Zoroastrianism、独語:Die Lehre des Zoroaster/Zarathustra、現代ペルシア語:دین زردشت [Dîn-e Zardošt])は、古代バルフ(Balkh、ダリー語 ・ペルシア語 بلخ Balkh )の地に始まる宗教 である。バルフ は現在のアフガニスタン 北部にあり、ゾロアスター教の信徒にとっては、始祖ザラスシュトラ が埋葬された地として神聖視されてきた。

ゾロアスター教は、善 と悪 の二元論 を特徴とするが、善の勝利と優位が確定されている宗教である。一般に「世界最古の一神教 」と言われることもあるが、これは正しくはない。ゾロアスター教の中では、アムシャ・スプンタ など多くの神々が登場する。開祖はザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトゥストラ)である。その根本教典より、アヴェスター の宗教であるともいえ、イラン古代の宗教的伝統の上に立って、ザラスシュトラが合理化したものと考えられる。

光の象徴としての純粋な「火」を尊んだため、拝火教(はいかきょう)とも呼ばれ、また祆教(けんきょう)ともいう。他称としてはさらに、アフラ・マズダー を信仰するところからマズダー教の呼称がある。ただしアケメネス朝の宗教をゾロアスター教ではないとする立場(たとえばエミール・バンヴェニスト )からすると、ゾロアスター教はマズダー教の一種である。パーシ(パールシー)教徒とも呼ばれる。
概説 [編集 ]
聖火台跡(イラン)

イラン高原 北東部に生まれたザラスシュトラ は、インド・イラン語派 の信仰を、善と悪との対立を基盤に置いた壮大な世界観 を有し、また、きわめて倫理 的な性格をもつ宗教 に改革した。

ゾロアスター以前のインド・イラン語派 の信仰でも、すでに「三大アフラ」として叡智の神アフラ・マズダー 、火の神ミスラ 、水の神ヴァルナ が存在していた[1] 。そのため、単にアフラ・マズダー またはミスラ を信仰していることだけでは、ゾロアスター教徒とはならない。異教時代 と呼ばれる過去のイラン人と区別するための判断基準は、ゾロアスター教の信仰告白 であるフラワラーネ にあらわれている。そこでは五つの条件が挙げられている[2] 。

すなわち、①アフラ・マズダーを礼拝すること、②ゾロアスターの信奉者であること、③好戦的で不道徳な神ダエーワ と敵対すること、④アフラ・マズダーが創造した偉大な六つの存在アムシャ・スプンタ を礼拝すること、⑤すべての善をアフラ・マズダーに帰すること、である。

上記の五つに加えてさらに、アフラ・マズダー を、創造主 ととらえたことが、従来のインド・イランの信仰と著しく異なる点である[3] 。

さて、ザラスシュトラは、最初に2つの対立する霊があり、両者が相互の存在に気づいたとき、善の霊(知恵の主アフラ・マズダー )が生命 、真理 、光 などを選び、それに対してもう一方の対立霊(アンラ・マンユ )は死 や虚偽、闇 を選んだと唱えた[4] 。

すなわちゾロアスター教では、宇宙の法たる神(光明神)アフラ・マズダーを主神とし、アフラ・マズダーに従う善神スプンタ・マンユ に代表される善の勢力と、アフラ・マズダーに背く悪神(暗黒神)アンラ・マンユに代表される悪の勢力の2つの原理によって世界 が成立していると説く。このため、火 や光 を崇拝する。

人間はみずからの自由意志 で、善の側か悪の側かに立つことができる。両者の争いの果てに、最終的には善が勝利して、悪を滅ぼし、悪神の勢力は滅ぼされるという宇宙史的運命を主張した。

救済の宇宙史観 [編集 ]

スピターマ の一族に属するザラスシュトラ の思想は、バルフの小君主であったウィシュタースパ王の宮廷 で受容されて発展した[4] 。ザラスシュトラは、アフラ・マズダーの使者であり預言者 としてこの世に登場し、善悪二元論的な争いの世界であるこの宇宙 の真理を解き明かすことを使命としている。

かれによれば、知恵の主アフラ・マズダーは、戦いが避けられないことを悟り、戦いの場とその担い手とするために世界を創造した。その創造は天 、水 、大地 、植物 、動物 、人間 、火 の7段階からなり、それぞれがアフラ・マズダーの7つの倫理的側面により、特別に守護された[4] 。
『神の国 』を著した教父アウグスティヌス

創造された「この世界」を舞台とした二つの勢力の戦いが、歴史 であるという把握は、キリスト教の初期の神学者 であるアウグスティヌス の歴史観 に先行する世界史観とも言える。ザラスシュトラによれば、「この世界」は常に邪悪な勢力の攻撃を受け、ときに悪や破壊に覆われてしまうこともある。

光と闇が争い、この争いが地上の歴史であり、神は真理を教えるため、人間に救済者 ・預言者 を定期的に送り出し、人間に救いを齎すという教えは、後のユダヤ教 の宗教思想に継承されたと一般に言われる。人は善の戦いに加わり、その行いは死に際して裁かれ、義人は天国 へ行き、そうでない者は地獄 へと送られる。世界の終わりにはサオシュヤントと呼ばれる救済者が出現する。彼はザラスシュトラの保存された精子から処女を通して生まれ、世の終わりに救世主として現れる。そこで最後の審判 がなされ、最終的には悪は滅ぼされて、善なる世界が永遠に続く、とされる。

他宗教への影響 [編集 ]

ゾロアスター教の影響力は、学説により大きく変動する。ゾロアスターの生まれた年代をいつに定めるのか、またゾロアスター自身の教えがその後どの程度保持されていったのかにはさまざまな異説があるためである。[5]

影響力が高いとする学説の場合、次のように言われることが多い。ゾロアスター教にみられる預言者・救済者の思想、終末論 や天国と地獄の存在、最後の審判などの思想は、ユダヤ人のバビロン捕囚 時代にユダヤ教 に影響を与えた[6] 。ユダヤ教を母体としたキリスト教 もこれらを継承していると言われる。さらに、大乗仏教 において弥勒 信仰と結びついたり、またマニ教 もゾロアスター教の思想を吸収した[7] 。イスラム教 もまた、ユダヤ教やキリスト教、マニ教と並んでゾロアスター教の影響も受けており、聖クルアーンにもゾロアスター教徒の名が登場する。特に十二イマーム派 にある「隠れイマーム思想(マフディー )」は、サオシュヤント思想に多大な影響を受けている。

ザラスシュトラの幻影 [編集 ]

ザラスシュトラおよび、ゾロアスター教に対し、人々は実像以上に膨れ上がったイメージを持った。たとえばゾロアスター教の神官は、占星術 の大家であると、ギリシャ人は勘違いした。ペルシア帝国の支配地域の一つにバビロニア があり、その地域の占星術師をゾロアスター教の神官と取り違えたというのが実際のところであった。また、ゾロアスター教の神官を指す「マギ 」という言葉は、マジック の語源となった。実際に神官たちが行っていたのは、防衛的な白魔術 にすぎないのだが、人々はそこに魔術や奇術の使い手としてのイメージをこめた。

18世紀後半に、フランス人学者アンクティユ・デュペロンによって古代イラン語文献がヨーロッパに紹介された。つまり、その時点まで、ザラスシュトラの教えは直接検証されることなく、ザラスシュトラのイメージだけが独り歩きしていたことを意味する。19世紀になってやっと、ゾロアスター教の研究が大きく進み、それまで語りつがれてきた「偉大な先覚者ザラスシュトラ」の像は大きく揺らいだ。学者たちは当然そこにプラトン やイエス につながる思想を発見できると期待したわけだが、期待にそうものは発見できなかったためである。[8]

しかし、その後ニーチェ が「ツァラトゥストラかく語りき 」において、自らの思想をザラスシュトラに仮託して語ると、ニーチェ的なザラスシュトラの虚像が出現した。さらにドイツのナチズム がアーリア民族の優位性を演出するために、その地位が高められた。日本でザラスシュトラが紹介されたのは、この時期に重なる。またそれはドイツ経由で紹介されているため、日本ではザラスシュトラに対し現在でも過剰な期待を寄せる傾向がある[9] 。

イメージだけが肥大化したザラスシュトラについては、今でもいたるところで語られている。等身大のザラスシュトラを知ろうとするならば、歴史の反省にたち、次の注意が必要となろう。それはたとえ最新の論文であったとしても、以下のポイントが守られていない場合は、ただ幻影だけを追い求める結果になりかねない。 ①ザラスシュトラ自身の言葉を直接検証する。 ②ゾロアスター教の周辺、またゾロアスター以前のアーリア人の諸宗教の影響を考慮する。 ③アヴェスターの中に存在する時差に注意する。(最古層はザラスシュトラの直言であろうが、後世に付け加えられた内容も経典アヴェスターは含んでいる。また全体としては、聖書やマニ教の経典、仏教の経典よりも後に成立している)。

ザラスシュトラの教えの時代 [編集 ]
ゾロアスター教のシンボル、Faravahar

「ザラスシュトラの教え」とペルシア語で表現されるゾロアスタ-教は、イランの民族的宗教詩である『アヴェスター』の最古層に当たるガーサーが成立した、紀元前15世紀 から紀元前12世紀 頃までに、その原型が作られていたと考えられる。ここより、ザラスシュトラの活動した時代を、紀元前15世紀まで遡らせる考えもある。

他方、『アヴェスター』の「ガーサー」の歴史的な古さは認めるとして、歴史的人物として、古代ペルシアの宗教を改革して、倫理的に高い価値を提示するゾロアスター教として形成したザラスシュトラは、もっと後代の人物であり、アケメネス朝 ペルシア が成立すると同じ頃、あるいは、それより少し先行する時代に登場したとの学説もあり、こちらの方の考え方では、ザラスシュトラ及び彼の教えは、紀元前7世紀 から紀元前6世紀 頃が妥当であるということになる。

ザラスシュトラとその教えの成立年代は、紀元前15世紀から、紀元前6世紀までの幅があり、学問的には正確なところが、依然として不明である。ザラスシュトラの活動についても諸説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%AD%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E6%95%99

プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

Appendix


ブログ内検索
RSSフィード
リンク
このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。