--年--月--日 (--:--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011年02月15日 (12:26)

今や日本は二流、三流国である:知的衰退の日本:国学的一神教的父権主義が日本の癌・元凶・諸悪の根源

今や日本は二流、三流国である:知的衰退の日本
日本の衰退は、知的レベルの衰退に拠ると考えられる。ゆとり教育という亡国教育があった。しかし、それに対して、どれだけ、自衛手段をとった個民がいただろうか。
 政府に依存しているのが誤りである。自分で生きる道を切り開く必要がある。だからと言って、社会保障を削減すればいいということでもない。民主主義ならば、国民の生活を守る義務がある。
 思うに、いったい、どこで、日本人はスポイルされてしまったのか。直観では、伝統文化が伝承されていないのである。ここに問題がある。
 三島由紀夫が問題にしたように、戦後文化の問題があるのである。
 これまで何度も述べたように、連合国は、日本文化を否定して、近代合理主義を植え付けたのである。この洗脳が利いている。
 そう、近代合理主義、言い換えると、近代的自我が日本人の精神を狂わせたと考えられる。唯物論、自我中心主義になったのである。
 とまれ、日本文化は基本的には母権文化であるが、それが、江戸・東京を中心とする父権文化に支配されてきたと考えられる。
 言い換えると、東京的自我・悪魔主義が日本文化を歪めているのである。それに対して、日本母権文化は、非力である。沖縄の問題もここにあると言えよう。
 いったい、どこで日本は狂ってしまったのか。私は、現代日本人の自我中心主義が狂っていると思っているが、その発端は何なのか。
 日本母権主義にその狂気をもたらすものがなかったのか。
 問題は超越性であると思う。本来、日本文化には、超越性があった。それが、根絶やしになったと言えよう。思うに、日本的超越性を喪失した根因は、教育者、知識人が近代的合理主義に染まったことにあると思う。それが、素朴な民衆を洗脳したのである。
 しかし、近代合理主義に染まる人間は基本的に個の貧弱な人間である。劣弱な人格である。
 私は、高貴な差異と劣弱な差異を指摘したが、前者は母権タイプであり、後者が父権タイプである。しかるに、後者が前者を排除して、近代日本を狂わせたと思う。悪魔が勝利したのである。そして、今や、日本は、悪魔の政治となったのである。

追記:やはり、国学に問題があると思う。私は本居宣長に対して強い疑念をもっている。
 先に述べたように、古代日本において、アジア的母権多元複合文化が形成されたが、同時に、ユダヤ的父権一神教的文化がもたらされたのではないだろうか。
 両者が交差するのが日本史ではないのか。そして、近世以降、ユダヤ的父権的一神教が伸張したのではないのか。それが、尊王攘夷主義を生んだと思われるのである。そして、それが、明治近代を形成して、日本を破滅させたのではなかったか。
 因みに、先に述べたように、坂本龍馬らに拠る明治維新は日本的母権主義に拠るものと考えられるのである。この日本本来の伝統文化が明治以降、否定されてきたと考えられるのである。
 そう、日本には二つの文化があるのであり、日本父権主義は最低・最悪のものである。自己中心的であり、売国・亡国的なのである。

追記2:日本伝統文化と戦後文化の違いを明晰にする指標は、思考のベースに肚があるか否かである。

追記3:上述の随想の主旨を、今の考えを入れて、整理すると、日本文化は、二重性、二面性の文化である。即ち、アジア的母権複合文化と父権文化(これは、一神教であるかどうかは不明であるとする)である。しかしながら、本来、前者が主であり、後者は従であり、それが、混淆して日本伝統文化を形成した。
 思うに、問題は、やはり、江戸時代である。ここで、国学において、キリスト教が入ってきて、一神教的文化がもたらされたと思われる。平田篤胤の神道は、キリスト教化されたものである。そして、本居宣長に拠る大和心と漢心の区別・差別が生まれた。これは、近世的自我主義である。
 そして、これらの国学から、尊王攘夷の狂信的な排外的なナショナリズムが生まれる。
 だから、本来、母権主父権従のヒエラルキーが、江戸時代において、崩壊して、父権が一神教化して伸張して、少なくとも、母権と父権が相並ぶようになったか、あるいは、父権が母権を凌駕する事態にまでなった。とにかく、日本伝統文化のヒエラルキーが崩壊して、父権が母権に対して、支配力を行使するようになったと仮説する。
 その後、江戸幕府が腐敗して行き、開国主義が広がる。その時、伝統文化の母権主義の覚醒と一神教的父権主義の尊王攘夷主義の二重構造が生じたのであるが、前者が主導して、明治維新を果たすのである。しかしながら、明治政府は、後者、狂信的な排外的ナショナリズムの一神教的父権主義が支配し、前者の覚醒した母権文化を排除していき、アジア、太平洋における侵略戦争をもたらして、 破滅したのである。
 そして、連合国に拠る支配の下に、近代合理主義が金科玉条となり、それ以前の日本伝統文化が排除されたのである。しかし、父権的形式は残存したのであり、それが、戦後の政治等の枠組みを作ったと考えられる。即ち、戦後日本は、日本伝統文化、アジア複合母権文化が徹底的に排除された時代となったと考えられる。
 そうすると、日本伝統文化の衰退は、二重の原因があるということになる。
 一つは、江戸時代から明治時代における父権主義の勃興。
 一つは、戦後における日本母権伝統文化の排除。
 これら二つの根因によって、日本伝統文化は根こそぎにされて、日本人は近代合理主義、唯物論的自我主義に染まってしまい、自己を喪失して、今や、亡国となったのである。
 有り体に言えば、優れた人間、民衆や指導者を含めて、きわめて、少なくなったのである。優れた人物が、残念ながら、日本に生まれなくなったのである。

追記4:果たして、二つの日本文化、即ち、母権文化と父権文化があると言っていいのだろうか。追記3に拠るならば、父権文化は導入されたキリスト教の影響が考えられるので、日本本来のものではないということになろう。
 そう、儒教文化もあるが、それが、母権文化と共存していたと思うので、儒教的一面主義はなかったと思う。
 また、考えるべき問題は、日ユ同祖論である。確かに、古代日本において、ユダヤ人が渡来した可能性はある。そこで、ユダヤ教的一神教をもたらした可能性は考えられるのである。
 しかし、そうではあっても、根源的アジア母権文化とユダヤ教的父権文化が、古代日本においては、「同居」、共存していたのではないだろうか。つまり、天皇が媒介になって両者を共存させていたのではなかったか。つまり、母権ベースに、天皇を中核とした、父権文化の取り込みである。
 これは、考えられうることである。この場合、父権文化は実に、母権的色合いをもつのである。そう、ギリシア神話を考えるといい。ゼウスには、母権的要素が濃厚なのである。やはり、古代日本は、古代ギリシアの母権ベースの父権的習合を対比させた視点で見るといいのではないだろうか。新しい母権文化がそこで生まれたということになる。
 しかしながら、上記で指摘した日本父権文化、キリスト教が導入された国学的父権文化は、その古代的母権ベースの父権的複合とは明らかに異なると考えられる。
 それは、明らかに、アジア的母権複合文化を排除しているからである。だから、やはり、日本父権主義の根因は、そこに見るのが的確だと思う。つまり、二つの文化が日本にあるのではなく、江戸時代において、異質な文化が日本に導入されたと見るべきである。本来、日本文化はアジア母権複合文化であり、一つの文化であるが、それが、江戸時代におけるキリスト教の導入によって、異質な父権主義が混ざり、日本文化のアジア母権的霊統・血統が蝕まれたと考えるべきである。
 そして、その異質な父権主義の勢力が、戦後においては、連合国=米国の支配に迎合・隷属して(売国奴となり)、近代合理主義を国民に洗脳したと考えられる。
 だから、日本の父権主義とは、日本本来のアジア母権複合文化とは異質なキリスト教的父権主義(一神教的父権主義)であり、それが、狂信的な排外的ナショナリズムを形成し、かつ、戦後は米国への従属の下、アジア母権複合文化である日本伝統文化を排除して、近代合理主義に拠って国民を洗脳してきたということになる。
 結局、今日の日本の亡国的状況は、国学的一神教的父権主義に根因があることになる。母権的な天皇文化はこれに利用されて、「天皇制」となったのである。
 ということで、日本父権主義の根因は古代ではなく、江戸時代にあったのである。
 そして、今や、近代合理主義を標榜する国学的一神教的父権主義によって徹底して排除・駆逐・追放された日本伝統文化のアジア母権多元複合文化を大新生させることが日本の復活に必須であることになる。
 己を取り戻すこと、自己回帰すること、これが、亡国日本の新生復活をもたらすと考えられる。コピー的に言うと、リターン・トゥ・ジャパン、リターン・トゥ・エイジャである。Return to Inner Self Japan with Asia!
 
 
参考:
小沢氏「欧州文明は限界に来ている」

産経新聞

2011年2月15日(火)8時0分配信 産経新聞  

-PR-

 民主党の小沢一郎元代表は14日、都内で開かれた自らが主宰する「小沢一郎政治塾」で講演し、今後の国際社会に関し「キリスト教は一神教だ。欧州文明は地球規模の人類のテーマを解決するには向いておらず、限界に来ている」と指摘した。一方で「日本人は他の宗教に非常に寛容だ。悪く言えばいいかげんで融通無碍(むげ)だが、うまく伸ばしていけば21世紀社会のモデルケースになる」と述べた。
http://news.nifty.com/cs/domestic/governmentdetail/sankei-snk20110215126/1.htm
スポンサーサイト

2011年02月14日 (22:01)

米国の世界トランス・モダン(自由共同体民主主義)戦略とエジプト維新

田中宇氏の以下の記事は私が先に書いた考察(エジプト政変とは何か:用意周到な戦略的動き:アジア・アフリカの帝国的民主化:トランス・モダン世界 )の一種の証左になる重要なものと考えられるので、全文転載させていただく。



やがてイスラム主義の国になるエジプト
2011年2月12日  田中 宇

 2月11日夜、エジプトのムバラク大統領が辞任した。ムバラクは辞任の前日、かねてから親しかったイスラエル労働党の国会議員ベンエリエゼル(Ben- Eliezer。元国防相)と電話で20分間話した。その中でムバラクは「米政府は中東の民主化を支持すると言うが、彼らは、自分たちが言っていることの意味を理解していない。中東を民主化すると、米国を敵視するイスラム過激派の国ばかりになってしまうのに、米政府はいつまでもそのことに気づかない」と述べ、米国を非難するとともに、自分が米国から疎んぜられていることを嘆いた。(Mubarak slammed U.S. in phone call with Israeli MK before resignation )

 米政府は1979年のイラン革命で、民衆が蜂起してイラン国王を追放することを「民主化」として支持したが、それは結局、ホメイニ師らイスラム主義勢力がイランの政権をとって親米的なリベラル派や軍幹部を粛清し、今に続く反米的なイスラム主義政権ができることにつながった。また米政府は2005年、ブッシュ政権が推進した「中東民主化」の一環としてパレスチナで民主的な選挙を行わせた。イスラエルやパレスチナ自治政府(PA)は「真に民主的な選挙をやれば、反米イスラム主義のハマスが勝ってしまう」と反対したが、米政府は聞かずにPAに選挙を実施させ、その結果ハマスが大勝した。事後になって、米国やPAは何とかハマスに政権をとらせまいと画策し、西岸の政権交代を阻止したが、ガザをハマスにとられてしまった。(イスラム共和国の表と裏(1)乗っ取られた革命 )(ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」 )

 ムバラクは、これらの例をふまえて「米政府は、中東を本気で民主化するとイスラム過激派の国ばかりになることを、過去の教訓から理解できるはずなのに、理想主義にふけってそれに気づかず、今またエジプトの民主化運動を支援し、自分が大統領職から追い落とされることを容認しようとしている。エジプトの政権転覆を容認したら、政権転覆が他のアラブ諸国に飛び火し、エジプトだけでなく中東全域が反米的なイスラム過激派の国になってしまうのに、米政府はそんなこともわかろうとしない」と米国を非難したのだった。

 ムバラクは2月11日、エジプトの軍部によって大統領職を追われた。3週間におよぶ民衆の反政府運動がムバラクを追い落としたことになっているが、実際には、この50年間エジプトの権力を黒幕的に支えてきた軍部がムバラクを支持する限り、何百万人の群衆が集まろうが、ムバラクは無視して大統領にとどまり、そのうち群衆はあきらめて帰宅する。軍が反政府の国民運動に同調し、ムバラクに辞任を求めた結果、ムバラクは権力を失った。

 それでは、軍はなぜムバラクを追い出したのか。ムバラクの独裁に嫌気がさしたから?。民意を尊重したから?。いずれも違うだろう。独裁をやめて民主化したら、イスラム主義のイスラム同胞団が与党になり、革命後のイランのように、イスラム主義者が世俗的な軍部を潰しにかかるだろうことを、軍は良く知っており、軍幹部はムバラクと一緒にイスラム同胞団を弾圧し、選挙不正を良いことと考えてきた。

 軍部が民衆運動を支持してムバラクを追い出したのは、エジプトの軍隊を育成した「軍部の親玉」である米政府が民衆運動を支持し、エジプト軍に対し、民衆の味方をしろと裏で圧力をかけたからだろう。米オバマ政権は、エジプトの民主化を支持すると繰り返し表明し、そのたびに民衆運動は扇動されて大胆になり、ムバラクが辞めるまで運動をやめないと断言した。軍部はそれに引きずられ、最初はムバラクに政治改革を約束させ、それでも米国に扇動された民衆運動が納得しないので、最後には軍はムバラクを追い出した。ムバラクの追放は米国の差し金なので、ムバラクは米国を非難したのだった。

▼米国の理想主義でアラブ親米諸国政府は存亡の危機に

 イスラエルの議員はムバラクの愚痴の聞き役だったが、単なる聞き役ではなく、米国の頓珍漢な理想主義に迷惑しているのはイスラエルも同じであり、イスラエルもムバラクと同じ気持ちのはずだ。イスラエルのネタニヤフ首相は、エジプト革命について、79年のイラン革命のようにイスラム主義に席巻されていき、最後はイスラム同胞団が権力につくだろうと警告している。サウジアラビアやヨルダン、パレスチナ自治政府の権力者たちも、イスラエルやムバラクと同じ気持ちだろう。サウジ国王は「米政府は(民主化という理想主義にふけって)後のことを全く考えず、ムバラクの追放を支持しようとしている」と再三にわたり、米国の戦略を批判していた。(Back off Hosni Mubarak, Saudi King Abdullah warns Barack Obama )

 サウジ政府は「米国がムバラク政権を見捨てても、サウジが金を出してムバラク政権を助ける」とまで言っていたが、ムバラクの辞任が不可避になってきた2月10日以降、態度を「ムバラク支持」から「中立」に転換し、ムバラク辞任の巻き添えでサウジ王家のイメージが悪化することを避けた。(Riyadh rethinks stance on `popular revolt' )

 サウジやヨルダン、イエメン、クウェートなど、アラブの親米国の政府は、いずれも独裁的な王政か終身的な大統領の政権だ。エジプト革命の映像は、アルジャジーラやアルアラビアといったアラブ全域をカバーする衛星テレビ放送によって即時中継され、アラブ諸国の人々を「自分の国の独裁政権も転覆できるのではないか」という気持ちにさせている。米政府は、エジプトだけでなくアラブ全域の民主化を歓迎しており、アラブ諸国の反政府活動家は、自分たちも頑張れば米国に支持され、独裁政権を転覆できると奮起している。サウジやヨルダンなどの親米アラブ諸国の権力者たちは、米国の理想主義が自分たちを破滅させかねないと苛立ち、ムバラクやネタニヤフと全く同じ気持ちだろう。

 イスラエル政府は少し前まで「ムバラクが辞めたら、イスラム同胞団の政権が不可避となる」という見方をしていたが、米国の「専門家」の間では「エジプトでは今のところ、イスラム同胞団が最も良く組織された野党勢力であるのは事実だが、今後時間をかければリベラル派の野党が育ち、同胞団をしのぐ勢力になる。民主化してもイスラム主義の政権ができる懸念は低い」という見方が強い。「イスラエルは同胞団の脅威を過剰に見積もり、エジプトの民主化を阻害している」と、親イスラエルだったはずの米共和党系のネオコン(ブッシュ政権で中東民主化やイラク侵攻を推進した勢力)がイスラエル批判をしている。(In backing change in Egypt, U.S. neoconservatives split with Israeli allies )

 ネオコンに非難され、ムバラクの辞任も不可避と知ったイスラエル政府は、数日前から「ムバラクが辞めても軍部が政権を握る限り、エジプトがイスラム主義に陥ることはない」という言い方に変えた。しかし実際には、イスラム同胞団についての見立てについて、米国のネオコンは間違っており、従来のイスラエルの方が正しい。米政府は、エジプトで軍部がずっと政権を握ることを許さず、真に民主的な選挙を求めるだろう。そうなるとイスラム同胞団が与党もしくは連立与党の一角を占めることになる。

 イスラム同胞団は、エジプト政府によって政党組織になることを禁じられているが、同胞団員は無所属として議会に立候補できる。05年の総選挙では、投票の前半の段階で、イスラム同胞団系の勢力が改選議席165のうち88議席をとっていた。だがこの事態をみた当局は、同胞団の支持者が多い選挙区に警察を繰り出し、投票に行こうとする有権者を抑止して投票を阻害し、同胞団の当選者の増加を止めた。結局、エジプト議会の全454議席のうち88議席が同胞団となるにとどまったが、それでも同胞団は事実上の野党第一党となった。もし当局が選挙の後半戦で同胞団の支持者を抑止する不正をしていなければ、同胞団の議席は200以上になっていたかもしれない。(Tide turns in favor of Egypt's Muslim Brotherhood )

 ムバラク政権を支持してきた米政府は、長くイスラム同胞団を嫌っていたが、05年の選挙後、在エジプト米大使館がイスラム同胞団の議員らと交流を開始した。ムバラク政権は米政府に対し、イスラム同胞団と接触しないよう求めたが、米側は「野党議員との懇談はどこの国の米国大使館もやっていることで、やめるわけにはいかない」とうそぶいていた。今回のエジプト革命の勃発後、米政府は「エジプトの民主政権には、非世俗系の主要勢力も含まれる必要がある」と表明し、同胞団の政権入りを歓迎している。(U.S. reexamining its relationship with Muslim Brotherhood opposition group )

▼自分を弱く見せているイスラム同胞団

 イスラム同胞団は1928年に結成された、近代の政治的枠組みに沿った世界最初のイスラム政党だ。独立直後のエジプトで設立されたが、アラブ全体をイスラム主義の政治体制で統合して一つの国家(カリフ)にすることを目標に掲げ、すべてのアラブ諸国に支部組織を持っている。同胞団は、世界最大規模のイスラム政党でもある。ガザのハマスは、イスラム同胞団のパレスチナ支部の一派閥である。(Muslim Brotherhood From Wikipedia )

 エジプトを含む全アラブをイスラム主義政権にして統一するという同胞団の目標は、歴代のエジプト政府に警戒され、同胞団は弾圧され続けた。ムバラク政権では、先日副大統領になって権力を握ったオマル・スレイマンが、諜報機関のトップとして同胞団の弾圧と解体に注力した。同胞団は、当局による弾圧の中で組織を維持する戦略を身につけ、暴力を非難し、穏健な言動につとめ、イスラム主義を標榜していることすら強く打ち出さないようにしてきた。

 カイロの市街地にある同胞団の本部には、イスラム主義を象徴するものは何も置かれておらず、エジプトの多くのイスラム教徒の家庭の居間に飾ってある、メッカのカーバ神殿の写真すら掲げられていない。同胞団は、今回のエジプト革命における主要な推進役の一つだったが、彼らはイスラム主義のスローガンや横断幕を全く出さず、リベラル系の運動組織と同様、ムバラクの辞任と民主的な選挙を求めただけだった。エジプトのリベラル派は、同胞団の支持者数をエジプト国民の2-3割と概算しているが、同胞団自身は、非合法政党なので党員数を数えたこともないが400万人(国民の6%)ぐらいだろうと言っている。('We Are On Every Street' What the Future May Hold for Egypt's Muslim Brotherhood )

 エジプトにおける同胞団の支持率が、05年選挙の前半戦が示す「165議席中の88議席」つまり単独与党になれる規模なのか、それとも同胞団自身が言っている「6%」なのか、今は判然としない。だが、今回の革命の中で、同胞団が自分たちの力を意図的に小さく見せようとしていることは確かだ。

 報道によると、タハリル広場の入り口で武器持ち込み規制の検問をしていた同胞団員は、へジャブ(スカーフ)をかぶっていない女性たちが来ると歓迎し、積極的にテレビに映るようにしてくれと女性らに頼んでいた。デモ隊がへジャブ姿ばかりだと、同胞団の影響力が強いのだと世界の視聴者に思われかねないからだった。同胞団は、非常に良く組織され、都会の貧困層が多く住む地域に無償の病院や学校を建てて運営したり、食料支援をするなど地道な努力によって、広範な草の根の支持を得ている。(Muslim Brotherhood looks to gains in Egypt protest )

 エジプトの軍部は、イスラム同胞団の台頭を何とか抑えたいだろう。しかし米政府は「真の民主化」を求め続け、エジプト軍部に対し、同胞団を抑圧するなと求め続けるだろう。軍部が米政府の意に反して同胞団を弾圧したら、米政府はエジプト軍を公式に非難し、軍事援助の打ち切りなどの経済制裁をするだろう。エジプトの混乱が長引き、国民が困窮するほど、同胞団の貧困層に対する支援活動が重要なものとみなされ、同胞団に対する支持が増える。米国からの圧力に屈して、軍部が民主的な選挙を許すと、同胞団が与党または連立与党の重要構成員になる。イスラエルが懸念していた「エジプトの民主化はイスラム主義化になる」という事態が実現する。

 エジプトがイスラム主義化していくと、エジプトとガザを一体化しようとする動きが双方から強まる。エジプトとガザの国境には、幅500メートルのイスラエル領(フィラデルフィア・ルート)が挟まっており、イスラエルがそこからの撤退を拒否すると、エジプトとイスラエルの間が険悪になり、最悪の場合、戦争になる。ガザのハマスとイスラエルが戦争になり、そこにエジプトが巻き込まれる展開もあり得る。こうした紛争と平行して、パレスチナ自治政府やヨルダンの王政がイスラム主義勢力によって転覆させられるかもしれない。エジプト革命を受け、ヨルダンで国王が内閣を改造したが、国民の評判は悪い。(「ガザの壁」の崩壊 )

 米国が「中東民主化」を容認し続けると、ヨルダンとパレスチナがイスラム主義に転換し、イスラエルは戦争になり、政権転覆はサウジアラビアにも波及しかねない。サウジ王政が存続できるとしたら、米国を非難してイスラムの大義を支持することが必要だろう。これはサウジ王家が親米から反米に転向し、イスラム同胞団やイランと仲良くすることを意味する。イスラム勢力が原油価格を決める態勢になって相場が高騰し、1970年代の石油危機のように、イスラエルを支持する国に石油を売らないという宣言が出るかもしれない。

▼イスラム帝国が復活する?

 こうした流れがどこまで進むか予測できないが、サウジアラビアがイスラム主義に傾くと、ペルシャ湾岸諸国やパキスタンやアフガニスタンもイスラム化の傾向が強くなり、アラブ全域がイスラム主義で統合的な動きを示す。イスラム同胞団の目標である「カリフ」に近いものが出現するかもしれない。インドネシアやマレーシアなど東アジアのイスラム諸国も、何らかの政治転換をするかもしれない。

 すでにイスラム的な協調をみせているイランとトルコという2大勢力と合わせ、中東はアラブ、イラン、トルコという3つのイスラム勢力が協調する新体制になりうる。米国の影響力は排除され(米議会で台頭する共和党の茶会派は、すでにイラクとアフガンの占領を無意味とみなし、撤退を求めている)、イスラエルは国家存続できない可能性が高くなる。

 このようにエジプトのムバラク辞任は、世界的に巨大な影響を与える事件である。欧米や日本の多くの人々が「エジプトがリベラルな民主主義に転換して欧米化し、みんなハッピー」と思っているかもしれないが、それは幻想だ。欧米人が嫌うイスラム主義が西アジアを席巻する可能性の方が高い。

 米国のマスコミや右派(ネオコン)は、同胞団は大したことないと分析している。だがそれは、03年のイラク侵攻の前後に、彼らが「米軍がフセイン政権を倒すだけで、イラクはリベラルな民主体制になっていく。イラクがイスラム主義化することはない」と言っていたのと同様の、少し考えればすぐにわかる大間違いである。米国のマスコミや右派の中には(ユダヤ人が多いだけに)中東情勢に詳しい人が多いのに、なんでこんな基本的な大間違いを繰り返すのか。(Fears of a Muslim Brotherhood Takeover are Overblown )

 それを「民主化という理想主義に目がくらんでいるから」と単純化して考える人が多いが、米国の上層部の人々は、非常に現実的な世界支配の体制を何十年と維持しており「中東民主化」の部分だけ過剰な理想主義に走ると考えるのは無理がある。間違いの大きさから考えて、プロならやるはずのない「未必の故意」に相当する。

 私はやはり、以前から分析してきたように「米政界が1970年代からイスラエルに牛耳られてきた事態をふりほどくための、親イスラエルのふりをした反イスラエルの、意図的な大間違い」だろうと思っている。もしくは、世界的な覇権体制として見ると、米国が英イスラエルによって縛られている、ユーラシア包囲網の世界戦略から米国と世界を解放し、米英に敵視されてきた地域の経済成長を誘発する多極化戦略の一環としての、意図的な米国覇権の解体再編策であると考えられる。
http://tanakanews.com/110212egypt.htm

憂国通信M版
2011/02/14 11:01

エジプト革命やはり中国に飛び火 ネット民VS政府当局 熾烈なコメント戦争(第四次世界大戦を読む4)



現在アメリカと中国は水面下で激しい経済戦争・情報戦争を展開している。この戦争はこの二カ国だけに限定されてはおらず、お互いに関係国を引きずり込んでいることにより世界規模で展開されている。このような状況はかつてのアメリカ・ソ連による「冷戦」と酷似している。全世界がブロック化し、多額の軍事費が動き、ブロック境界で現実に戦闘も行われたことを考慮に入れて「冷戦」を「第三次世界大戦」と位置づける学者も存在する。本ブログもその説を採用して、現在のアメリカ・中国間の状況を「第四次世界大戦」と呼ぶことにしている。ただし、こんな名称を付けているのは本ブログくらいしかない。この戦争はブロック境界線上に位置する日本も無関係ではない。普天間問題、尖閣問題などは全部第四次世界大戦の影響によって発生した事件なのである。そして今回のエジプト革命も同様だ。背景は中国のアフリカ進出である。急速にアフリカに対して進出した中国に欧米は危機感を抱いていた。アフリカで存在感高める中国、独裁政権支援や新植民地主義に批判―英メディア



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110213-00000003-rcdc-cn




中国が目を付けたのは独裁政権だ。効率的に裏金が使えるので、落としやすかったのである。中国ほど気前よく奮発できない欧米は苦々しく思っていた。アフリカは元々欧米の縄張りである。中国のやっているのは殴り込み以外の何ものでもない。中国に対抗するためには、自分たちを裏切って中国になびいてしまった独裁政権を崩壊させる必要がある。そこでCIAが利用したのがネット通信である。YouTubeもFacebookもWikiLeaksも事実上背後で操っているのはCIAだ。中国の最大の弱点は「非民主化」である。アメリカだって自民党に相当する二大政党が適当に交代しているだけの事実上独裁国家なのだが、表向きは「民主政権」ということになっている。アメリカの貧富の差も酷いが、中国も酷い。中国国民はアメリカ国民ほど洗脳が進んでいないので、ちょっと工作してやればたちまち大混乱に陥るのである。





http://archive.mag2.com/M0061325/20110214110100000.html



極東ブログ

* エジプト争乱、後半戦について

 では私の推測を言おう。



 今回のエジプト争乱の、4日金曜日以降の後半戦の隠された主題は、「4月6日運動」のような親米的な

活動家が運動のグリップを握ることで、ムスリム同胞団など旧来の反政府活動を相対化させる点にあったのではないだろうか。つまり、後半戦は民主化の運動と

いうより、今後のエジプトのレジームへの水路付けだったのではないか。それを念頭に今回の件のオバマ大統領の声明(参照
・参照
)を読むと興味深いだろう。



 加えて、事態が再度緊迫すれば、集会者に惨事を惹起させることで革命のエネルギーとすることは革命家なら誰でも思いつく常套手段であり、それが実施される寸前でガス抜きされなければなかった。つまり、見事なガス抜きでもあった。



 エジプト軍部の内部は米国との関連があるのは旧知のことであり、「4月6日運動」運動もウィキリークスが暴露したように親米的な民主化運動であるなら、当面のエジプトの動向は、いずれにせよ、イラン革命といった道とは違う方向に向かうだろう。

http://news.livedoor.com/article/detail/5341668/?p=2



ウィキリークスがエジプト「4月6日運動」について暴露した2008年12月30日の公電


極東ブログ



グラミー賞 日本人受賞相次ぐ
2月14日 12時0分 twitterでつぶやく(クリックするとNHKサイトを離れます)

アメリカの音楽界で最も権威のあるグラミー賞の最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞に、人気ロックバンド「B’z」のギタリスト松本孝弘さんとアメリカのギタリストによる共作アルバムが選ばれたのをはじめ、最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞にはピアニストの内田光子さんが選ばれるなど、日本人の受賞が相次ぎました。

B’zの松本さんは、アメリカのギタリスト、ラリー・カールトンさんとの共作アルバム「テイク ユア ピック」で、ポップ部門の楽器演奏で最も優れたアルバムに贈られる、最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞に選ばれました。また、クラシックのピアニスト、内田光子さんは、オーケストラとの共演で最も優れた演奏をした楽器の演奏家を選ぶ、最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞に選ばれました。このほか、最優秀ニューエージアルバム賞には、大阪出身でカリフォルニア州在住の琴奏者、松山夕貴子さんが参加した、ポール・ウィンター・コンソートによるアルバム「ミホ:ジャーニー・トゥ・ザ・マウンテン」が、最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞には、静岡県出身のジャズピアニストで現在はアメリカで活躍する上原ひろみさんが参加したバンド「スタンリー・クラーク・バンド」が、それぞれ選ばれています。ことしのグラミー賞は、さまざまな音楽ジャンルで活躍する4人の日本人が相次いで受賞する受賞ラッシュとなりました。グラミー賞は、1958年に創設されたアメリカで最も権威がある音楽賞で、ポピュラー音楽からクラシックまで幅広い分野を対象にしています。アメリカの音楽関係者で作る団体「全米レコーディング芸術科学アカデミー」が主催し、会員による投票で決まります。授賞の対象は、ロックやジャズ、現代音楽やクラシックなど幅広く、全部で100以上の部門があり、このうち、▽年間最優秀レコード賞、▽年間最優秀アルバム賞、▽年間最優秀楽曲賞、▽最優秀新人賞の4つが「主要4部門」とされています。日本人では、▽1987年にデザイナーの石岡瑛子さんが「最優秀アルバム・パッケージ賞」を受賞したのをはじめ、▽1989年に坂本龍一さんが「最優秀映画音楽アルバム賞」を、▽2001年にシンセサイザー奏者の喜多郎さんが「最優秀ニューエージ・アルバム賞」を受賞しています。▽このほか、2008年に太鼓奏者の中村浩二さんが参加したグループが、「最優秀ニューエージ・アルバム賞」を受賞しています。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110214/k10014036601000.html

2011年02月14日 (14:17)

エジプト政変とは何か:用意周到な戦略的動き:アジア・アフリカの帝国的民主化:トランス・モダン世界

テーマ:トランス・モダン社会/新共同体創造的構築

だんだん今度のエジプト政変(「革命」)の意味が見えてきた。やはり、米国による用意周到な計画に基づくと考えられる。田中宇氏的に言えば、多極化路線の進展である。(追記:オバマ大統領のカイロ宣言も伏線であろう。)
 これは、一言で言えば、世界経済発展の路線である。独裁主義を排して、民主化を進展させるのである。
 私は先に、最近のある米国映画(複数)に独裁者を打倒するテーマがあるのに気づいたが、どうやら、世界民主化路線に沿っていたと考えられる。
 そうなると、北朝鮮、中国はその対象にされるだろう。中国は民主化への対処を求められると言えようが、中国は、民主化したら、分裂するだろう。しかし、米国の狙いはそこだろう。(追記:思うに、米国や日本も対象となろうし、ロシアだってうかうかできないだろう。)
 思うに、これは一体、何をもたらすのだろうか。思うに、これは、米国本来の自由民主主義、自由共同体主義の志向である。理想主義である。
 しかし、これは、間違ってはいない路線と考えられる。
 これは、自由主義*民主的共同体主義を意味するだろう。正に、トランス・モダン自由共同体主義である。

追記:次の田中宇氏の言葉が、私の直観に親和的である。

やがてイスラム主義の国になるエジプト

私はやはり、以前から分析してきたように「米政界が1970年代からイスラエルに牛耳られてきた事態をふりほどくための、親イスラエルのふりをした反イスラエルの、意図的な大間違い」だろうと思っている。もしくは、世界的な覇権体制として見ると、米国が英イスラエルによって縛られている、ユーラシア包囲網の世界戦略から米国と世界を解放し、米英に敵視されてきた地域の経済成長を誘発する多極化戦略の一環としての、意図的な米国覇権の解体再編策であると考えられる。
http://tanakanews.com/110212egypt.htm

イスラエル「安保の要」失う…ムバラク辞任


特集 中東

 【エルサレム=加藤賢治】イスラエルにとって、エジプトのムバラク前大統領失脚は、自国の安全保障の要を失ったに等しい重大事だ。

 パレスチナとの中東和平交渉でも、親米穏健派のムバラク氏はアラブ諸国とイスラエルとの橋渡し役を務めてきただけに、イスラエルは外交戦略の大幅見直しを迫られることになる。

 エジプト軍最高評議会は12日の声明で、国際協定は順守すると述べ、イスラエルとの平和条約を堅持する姿勢を示した。ただ、イスラエルは、軍による暫定統治が終わった後の議会選ではイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」が台頭する可能性が高いと見ており、そうなった場合に平和条約の見直しを求める声が高まることを恐れている。エジプトで見直し機運が高まれば、やはりイスラエルと平和条約を結んでいるヨルダンの世論にも影響しかねない。
(2011年2月13日20時36分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110213-OYT1T00452.htm


tanakanews_com

新しい記事を公開しました。「やがてイスラム主義の国になるエジプト」 http://tanakanews.com/110212egypt.htm 約17時間前 webから

やがてイスラム主義の国になるエジプト
2011年2月12日  田中 宇

 2月11日夜、エジプトのムバラク大統領が辞任した。ムバラクは辞任の前日、かねてから親しかったイスラエル労働党の国会議員ベンエリエゼル(Ben- Eliezer。元国防相)と電話で20分間話した。その中でムバラクは「米政府は中東の民主化を支持すると言うが、彼らは、自分たちが言っていることの意味を理解していない。中東を民主化すると、米国を敵視するイスラム過激派の国ばかりになってしまうのに、米政府はいつまでもそのことに気づかない」と述べ、米国を非難するとともに、自分が米国から疎んぜられていることを嘆いた。(Mubarak slammed U.S. in phone call with Israeli MK before resignation )

 米政府は1979年のイラン革命で、民衆が蜂起してイラン国王を追放することを「民主化」として支持したが、それは結局、ホメイニ師らイスラム主義勢力がイランの政権をとって親米的なリベラル派や軍幹部を粛清し、今に続く反米的なイスラム主義政権ができることにつながった。また米政府は2005年、ブッシュ政権が推進した「中東民主化」の一環としてパレスチナで民主的な選挙を行わせた。イスラエルやパレスチナ自治政府(PA)は「真に民主的な選挙をやれば、反米イスラム主義のハマスが勝ってしまう」と反対したが、米政府は聞かずにPAに選挙を実施させ、その結果ハマスが大勝した。事後になって、米国やPAは何とかハマスに政権をとらせまいと画策し、西岸の政権交代を阻止したが、ガザをハマスにとられてしまった。(イスラム共和国の表と裏(1)乗っ取られた革命 )(ハマスを勝たせたアメリカの「故意の失策」 )

 ムバラクは、これらの例をふまえて「米政府は、中東を本気で民主化するとイスラム過激派の国ばかりになることを、過去の教訓から理解できるはずなのに、理想主義にふけってそれに気づかず、今またエジプトの民主化運動を支援し、自分が大統領職から追い落とされることを容認しようとしている。エジプトの政権転覆を容認したら、政権転覆が他のアラブ諸国に飛び火し、エジプトだけでなく中東全域が反米的なイスラム過激派の国になってしまうのに、米政府はそんなこともわかろうとしない」と米国を非難したのだった。

 ムバラクは2月11日、エジプトの軍部によって大統領職を追われた。3週間におよぶ民衆の反政府運動がムバラクを追い落としたことになっているが、実際には、この50年間エジプトの権力を黒幕的に支えてきた軍部がムバラクを支持する限り、何百万人の群衆が集まろうが、ムバラクは無視して大統領にとどまり、そのうち群衆はあきらめて帰宅する。軍が反政府の国民運動に同調し、ムバラクに辞任を求めた結果、ムバラクは権力を失った。

 それでは、軍はなぜムバラクを追い出したのか。ムバラクの独裁に嫌気がさしたから?。民意を尊重したから?。いずれも違うだろう。独裁をやめて民主化したら、イスラム主義のイスラム同胞団が与党になり、革命後のイランのように、イスラム主義者が世俗的な軍部を潰しにかかるだろうことを、軍は良く知っており、軍幹部はムバラクと一緒にイスラム同胞団を弾圧し、選挙不正を良いことと考えてきた。

 軍部が民衆運動を支持してムバラクを追い出したのは、エジプトの軍隊を育成した「軍部の親玉」である米政府が民衆運動を支持し、エジプト軍に対し、民衆の味方をしろと裏で圧力をかけたからだろう。米オバマ政権は、エジプトの民主化を支持すると繰り返し表明し、そのたびに民衆運動は扇動されて大胆になり、ムバラクが辞めるまで運動をやめないと断言した。軍部はそれに引きずられ、最初はムバラクに政治改革を約束させ、それでも米国に扇動された民衆運動が納得しないので、最後には軍はムバラクを追い出した。ムバラクの追放は米国の差し金なので、ムバラクは米国を非難したのだった。

http://tanakanews.com/110212egypt.htm


慶祝!! エジプト民主化革命
(02/12)

ウクライナやグルジアの「民主化」がCIA主導でなされたのと違い、今回のエジプトの「民主化」の革命は草莽の民衆の真の革命であり、だから決してアメリカの要請、あるいは資金で始まったものではないにもかかわらず、オバマの姿勢は一貫してこの動きを支持するものだったことを見れば、オバマが実は、このようなエジプト国民の側に立っている、ということが理解できるのだ。ムバラクがエジプトにおけるアメリカの利権の保護者であるにもかかわらず、である。

 エジプト国民の願いは、パレスチナの同胞を支援することにあり、イスラエルの蛮行をエジプト国家として糾弾し、そのイスラエルのシオニスト的好戦的武断的姿勢を改善してもらう点にある。そして勿論、パレスチナ国家の「真」の独立を達成させることにある。

 そしてオバマ大統領の狙いも願いもそこにある。

 従って、次にできるエジプトの新政府は、今までのムバラク体制下で進められてきた「親」イスラエル姿勢の抜本的改善を進めるであろう。つまり、パレスチナ人の人権を無視するようなイスラエルの姿勢が改まらなければ、イスラエルとの外交関係を変更する、ということである。
 
 その可能性があることを知って、オバマ大統領は始めから今回のエジプト民衆の動きを支持してきた。そしてそれは、「民主化」という大義名分があるゆえ誰も反対できないのだ。CIA主導でないから、つまりこの民主化運動ではアメリカ(ユダヤ)の傀儡政権が生まれそうにないから支持できない、とは誰も言えないのだ。アメリカやヨーロッパにいるユダヤ人たちも、悔しいけれども文句を言えないのである。
http://rockway.blog.shinobi.jp/Entry/494/
ROCKWAY EXPRESS

2011年02月07日 (14:08)

社会の未来ーシュタイナー1919年の講演録:社会三元的絶対的差異共立・共同体論

テーマ:トランス・モダン社会/新共同体創造的構築

持論の社会有機体三分節化論を展開している。精神領域、経済領域、法領域がそれぞれ独立し、かつ、社会有機体を構成するという社会哲科学である。
 例えば、政治が経済に介入することをシュタイナーは批判している。これは、一つの自由主義であるが、シュタイナーは、経済領域の連合体を提唱している。これは、差異共立・共振体と見ることできよう。つまり、経済差異共立・共振体、又は、経済差異共同体を構築するということになる。
 そして、国家(法領域)が精神領域に介入することを批判する。結局、精神絶対的差異領域、経済共同体絶対的差異領域、法(民主主義)絶対的差異領域の三つの絶対的差異領域が差異共立して形成される社会有機体、社会三元的共立共同体を説いていると考えられる。

追記:シュタイナーの社会有機体三分節論は、人間認識図(Kaisetsu氏)で説明できると思った。即ち、経済圏は第一象限であり、法律圏は第二象限であり、精神圏は第三象限である。そして、第四象限は悪徳であり、当然、排除されるものである。
 とまれ、人間認識図は社会三元共立体概念図となることになる。シュタイナー的にいえば、これまで、この社会三元性を連続化したために混乱、混迷し、混沌を生じさせたということになる。三元的絶対的差異圏(絶対的差異的三元体)を区別しなかったのである。【これは、立体でいうと、四面体(正四面体)になるのではないだろうか。】
 とまれ、社会三元共立体論は、国家の役割を著しく縮減させるだろう。いわゆる、小さな政府となるだろう。そして、自由主義が自由共同体主義となるだろうし、精神が独立して、豊かな文化社会を創造すると考えられる。
 そのとき、Media Pointは要となるだろう。これが、管制塔となり、三元共立体を基礎づけるだろう。

人間認識図

「人間認識図」 by Mr Kaisetsu


Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation

単なる神秘主義者でなく、社会思想家としてのシュタイナー, 2010/1/12

By
E=mc2 (岡山市北区) - レビューをすべて見る
(VINEメンバー)

シュタイナーの著作というと、神秘主義か教育学のいずれかのイメージが強いですが、本書は意外にも経済や社会思想の話が軸になっており、神秘主義的側面は稀薄です。その意味で、シュタイナー門外漢にもとっつきやすく、シュタイナー入門として読むことも可能でしょう。

帯のコピーには、なぜかベーシック・インカム論(労働の有無によらず、最低限の所得を保障する考え方)のルーツであることが強調されていますが、本文はベーシック・インカムの話が中心というわけではありません。むしろ、全体としては当時非常に強力な勢力となっていた社会主義と、そのベースにある「経済的視点によって世界や物事のすべてを斬っていこうとする単純化された思考法」への批判が強く打ち出されています。そもそもシュタイナーは、フィヒテ、ゲーテなどドイツ観念論の影響下から出発しており、当然とはいえ、ルソー、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーなど当時の社会思想に関する造詣が深いことに驚かされます。当時と現在では「社会主義」と「市場原理主義」の違いこそありますが、経済原理が至上の存在となってしまった今日の社会に対する警鐘ともいえる本書です。

第一次世界大戦の敗戦によるドイツ帝国の崩壊や、オーストリア=ハンガリー帝国の消滅、マルクス主義を標榜する勢力によるロシア革命政権の成立… といった当時の社会の大変化を踏まえ、なぜそうした事態を招いてしまったのか?どこに問題の原因があるのか?という問いかけから、シュタイナーは本書の元になった講演を開始します。そして、法=政治、経済、精神、さらに教育は、それぞれ固有の領域を持っており、各々の運営については各領域の専門家に委ねるほかないことをシュタイナーは指摘します。法や精神の領域は、決して経済の原則で動かすことはできないということです。そして最も強調されるのは、単なる知識に還元されない「精神」(Geist、霊)の領域の自立性、重要性です

シュタイナーが推進した人智学運動の背景に、このような当時の社会状況があったこと、またシュタイナーが労働者や企業家に向けて精力的に講演を行っていることを踏まえれば、人智学が個人の「解脱」のみならず、現実的なビジョンに基づく社会変革を目指したものであったことに気づくでしょう。

2011年01月24日 (01:05)

備忘録:母権的天皇文化と父権的「天皇制」の二つの日本

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能

先にスロー人氏の記事に触れたが、今想起したのは、やはり、古代日本において、母権的社会と父権的社会の衝突があったというずいぶん以前に考えたことである。(追記:記紀は、その表現ということになる。)
 先に、母権的父権と言ったが、紛らわしいので、母権にする。結局、思うに、土着的母権とアジア的母権が古代日本で融合したことと、それに父権社会が侵入して、父権的「天皇制」を形成したことの、二点がキーポイントと考えられる。
 つまり、母権文化と父権文化の二重構造が日本社会にはあるということではないだろうか。もちろん、両者が混淆した点もあるが、基本的には、二元的であると思う。
 有り体に言えば、二種類の日本人がいるということである。そして、父権文化の人間が主に、権力をとってきたのが、日本史ではないだろうか。というか、明治近代以降、端的に、そうではないのかということである。これが狂信的「文化」であり、アジアにおける第二次世界大戦を起こしたし、また、今日、民主党に発現しているのではないだろうか。
 思うに、この父権文化という点で、日ユ同祖論は考えられよう。つまり、一神教的父権文化が日本に入り、父権的「天皇制」を形成したということになる。
 後で、丁寧に検討したい。

****************************
尊王思想とは何か:父権的中央集権制が「天皇制」だと思う
テーマ:神道ルネサンス:気と東洋文明 尊王思想からの脱皮
ところで、乙巳の変(645年)は皇極天皇の皇子・中大兄皇子(後の天智天皇)が中臣鎌足(臨終の際に、天智天皇から藤原姓を賜る)と謀って、蘇我入鹿を暗殺して(6月14日)、蘇我一族を権力の座から追い落とし、19日に元号を大化に改め、そして翌年(646年)、大化の改新と呼ばれている中国にならって律令制を敷くという政治改革を行ったと言われる。


 この時をもって、この藤原一族がいわゆる後に天皇制と呼ばれる日本独特の政治システムを基礎づけたと言われる。
http://ameblo.jp/adco/entry-10776888002.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

*****************************


●それで、この「謎の4世紀」論争に波紋を投げかけ続けているのは、東京大学名誉教授の江上波夫氏である。彼は前期の古墳文化と中・後期の古墳文化とが根本的に異質であるということを挙げ、1948年に以下のような仮説を主張したのである。一般に彼の仮説は「騎馬民族征服王朝説」と呼ばれている。

「中・後期古墳文化が王侯貴族的・騎馬民族的文化であり、その広がりが武力による日本征服を暗示している。またその文化の濃厚な分布地域は軍事的要衝に多い。4世紀ごろ、古代日本に大陸の騎馬民族が大挙に侵入して、邪馬台国をはじめとする倭の国々は征服された。この征服王朝こそ大和朝廷である。」


●彼の仮説が翌年の1949年の機関誌『民族学研究』に掲載されるや、日本中に一大センセーションが巻き起こり、当然のこと、学会から総攻撃を受けた。

ある人が「騎馬文化は来たが、騎馬民族は来なかったんではないか」というと、江上氏は「文化は人とともにやってくるものである」と反論した。

もっとも、天皇家のルーツを大陸に求めること自体、戦前では「不敬罪」に値し、まだこの時期は終戦直後のことであり、皇国史観が根強く残っている時期でもあったので、非難ゴーゴーだったのは、当然といえば当然か。

しかし、時間とともに彼の仮説を補強する材料が多々発見されており、現在も根強い人気を誇っている。


●普通、彼の仮説を初めて耳にする人は、古代の日本には、国々を征服するほどの馬はいなかったんではないかと思いがちであるが、群馬県子持村の「白北中道遺跡」などから無数の馬の足跡が発見され、予想を上回る馬がいたことが証明されている。その後も馬具の発見が相次ぎ、数年前に話題になった奈良県の「藤の木古墳」からも北方騎馬民族の文化と共通する馬具が発見されている。

最近では、朝鮮半島南部の「伽耶(かや)諸国」の遺跡から、次々と馬具が発見され、注目を浴びているが、何よりも関係者を驚かしているのは、これらと全く同じものが日本からも出土されているという点であろう。(和歌山県の「馬面冑」など)

この伽耶諸国の発掘は、江上氏の騎馬民族説の“ミッシングリンク”ともいえる場所だっただけに、一度は葬られかけた江上氏の騎馬民族説が、恐ろしく現実味を帯びて浮上してきたといえよう。

http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb202.html



日本史における「謎の4世紀」とは?


「日ユ同祖論」の謎

2010年12月30日 (14:40)

国防軍の創設とトランス・モダン日本:脱父権的世界秩序としての新母権的世界秩序へ向けて

テーマ:沖縄/米軍基地/日米関係/日米安保問題

沖縄米軍基地、また、他の国内の米軍基地の問題、これは当然、一筋縄では解決しない。
 私はこれまで、国防軍創設を提唱している。独立国家として、自国防衛軍をもつのは当然である。また、それは、憲法十七条にも抵触しないと考えている。
 国際関係は微妙であるが、弱肉強食の世界であることは認めなくてはならない。力の世界である。故に、力をもって対抗する必要がある。
 しかしながら、今日の父権的力学的世界を乗り越える新世界秩序を提示する必要がある。米国に、知を依存するのは、愚かである。知を、独創的な知をもたなければ、国家は独立できない。極言すれば、知の奴隷状態があるからこそ、日本は米国に従属しているのである。
 やはり、第二次世界大戦の狂信・狂気による大惨禍が、現代日本のカルマを作っていよう。もっとも、正確に言えば、近代日本のあり方に拠るのであるが。
 知の独立のための、二つ、ないし、三つの障害がある。一つは、駄マスメディアである。これは、悪魔集団である。二つ目は、日本のアカデミズムである。少数者、例外者を除いて、既成の枠組みに安住して、「研究」しているのであり、そこには、差異=他者がないのである。言葉の他者はあっても、実存の他者がないのである。言い換えると、怯懦であることである。独創的な研究は、研究体制の自己権益を否定するので、黙殺、排除されるのである。そう、個のゲマインシャフトではなく、自我のゲゼルシャフトになっているのである。三つ目は、思うに、これが一番の障害かもしれないが、政治・経済的知力の衰退・退化・崩壊である。トランス・モダンの新しい経済学が創造すべきであるが、米国の経済学に従属したままである。 
 私は政治・経済については、素人であるが、これまで、非力ながら、新経済のあり方について考察してきたし、これからも検討する。
 ということで、沖縄米軍基地問題は、日本の知の独立に関係しているのである。新しい世界、新しい母権的世界秩序を創造する意欲・意志をもたなくては、日本滅亡は必定である。
 

[12/30]「差別を甘受せよ」という対沖縄政策(怒) (仙谷由人官房長官発言) New!!

日本国の沖縄政策について、記憶のために、菅直人政権の本音を記録しておきます。そして、これは、菅直人政権に限らず、沖縄を除く多くの日本人の本音でもあります。ここに記録した沖縄の二つの新聞による報道や社説には、反論する余地が全くありません。

この沖縄二紙の意見表明を単に仙谷批判、菅政権批判とだけ受け取るべきではありません。「日本全体が沖縄に負担を甘受させている」といういうべきです。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2195.html
村野瀬玲奈の秘書課広報室

2010年12月22日 (10:55)

現代日本指導層の封建/近代的自我的利己的様態:他者凹iの肯定と日本宗教ルネサンス

現代日本指導層の「精神」は、封建/近代的自我的利己主義であると推測される。
 封建的とは、父権的ということである。PS理論で言えば、凸iが支配的になって、同一性主義であり、それが、物質+1と連続化していると考えられる。そして、他者(「民主主義」における「民」である:「個民」と造語したい)である凹iが、排除されていると考えられる。
 以上のことは既述事項であるが、何故繰り返すようなことを言うのかいうと、今日の日本の敗北主義的状況を打破するには、この半封建/半近代的利己主義様態を否定する必要が前提であると考えるからである。
 一言で言えば、利己主義の打破である。利己主義は、他者凹iが単に観念としてだけで、力として直感されていないことに拠ると考えられる。
 父権主義と母権主義の二元性で言えば、前者が支配的であり、後者が排除されるという歪みがあるのである。
 世界的な状況を見ると、明らかに、新母権主義が勃興しているのであるが、日本は未だに、父権主義支配なのであり、この点で、世界に完全に後れを取って、「退化」しつつあるようだ。
 新母権主義とは、超越的精神性を根源にもつ知的感性主義である。それは、人間認識図では、第三象限的モードである。
 他者凹iを肯定したとき、それは、自我凸iとの共立、さらには、共融モードになるのであり、いわば、超越的神秘的世界が啓けるのである。それは、秘教的世界である。
 私見では、戦前と戦後の断絶(参照:三島由紀夫の「断絃のとき」)は、この世界の喪失にあると考えている。
 連合軍支配の下、戦前的な文化が殲滅されて、近代合理主義、近代民主主義の洗脳が為されたのである。(参考:
【カエサルの物はカエサルに】 朝鮮王朝儀典書と農地改革、そうして現在の農業自由化
http://blog.kaisetsu.org/?eid=812315
『海舌』 the Sea Tongue @ Kaisetsu with Archaic smile )
 言い換えると、東洋的日本文化が否定されて、排除されたのであり、その結果、日本人の精神が民族的精神から見て、いびつなものになったと考えられる。
 思うに、本来、東洋的身体的精神をもつ日本文化は、凹iと凸iとの共立様態に本質があると考えられる。肚の文化とは、凹iの文化である。
 しかるに、これが、否定されたために、凸i中心の父権的様態、利己主義になったと考えられるのである。無私・無我の精神が否定されて、利己主義、自己中心主義が肯定されたのであり、その中心地は東京(悪魔アーリマンの巣窟)である。
 明らかにこれは滅びの道である。何故なら、創造とは、凹iの感性、直感・直観、想像力に拠るからである。個というものも、凹iをベースとして、存するものである。
 社会的に言えば、結局、凹iと資本主義との関係が問題である。一方は神秘主義であり、他方は同一性・物質主義である。
 しかしながら、何度も既述したように、資本主義は、差異共振主義であり、自我と他者との共振によって成立するのであり、他者を否定する父権的同一性・物質主義は、資本主義自体を否定するのである。
 つまり、資本主義は他者との共振において、ある意味で、神秘主義的なのである。(ここで、共融と共振の違いを説明すべきである。神秘主義は、凹iと凸i の共融であり、差異共振は、凸iと凹iとの共振である。両者とも他者凹iをもつことでは共通なのであり、前者は、完全に内界的、不可視的であり、後者は外界的、可視界的である。つまり、内的志向と外的志向の違いがそこにはあり、それは、方向性が逆ということであり、基本要素が共通的と言えよう。)
 結局、現代日本を乗り越えるには、他者性の再発見が必要なのである。意識に他者を、資本主義に他者を再発見したとき、それは、トランス・モダン・シフトとなると言えよう。
 宗教的に言えば、キリスト(あるいは仏陀)の道であるが、それは、脱キリスト教である聖霊の道である。また、日本本来の道である。
 最後に補足すると、戦後に父権主義化があったと言ったが、正確には、封建主義的要素は当然、それ以前からあった。
 これはいったいどこから発しているのか。母権的父権主義の日本文化において、封建的父権主義が成立する根拠は何かが大問題である。
 私は国学の排他的ナショナリズムを批判した。坂本龍馬の開国主義は、東洋精神的自由・民主主義であり、それとはまったく異なるのである。
 国学的排他的ナショナリズム、これが、尊王攘夷の二項対立論を産み出したのであり、それが、明治国家主義の精神的土台と言えよう。そして、それが、狂気の「大東亜戦争」を導いたと考えられるし、戦後、今日もこれが継続していると考えられる。
 端的に言えば、父権的自我・利己主義の成立の根因は何か、である。これは天皇制ではない、天皇制はそれに利用されたのである。
 今考えられるのは、母権と父権の均衡をもつ本来の日本文化が、均衡を喪失して、どちらかに傾斜してしまったという事態である。
 つまり、極性文化から二項対立文化へと日本文化がシフトしたことが考えられるのである。
 それは具体的に何なのか。以前述べたが、やはり、江戸時代の江戸の消費中心主義が、バランスを喪失させたのではないだろうか。いわば、江戸の唯物論化が生じたのである。
 ここに、日本の父権的利己主義文化の根因があるように思えるのである。この父権的利己主義は、二項対立的であり、他者排除的なのである。
 日本本来・古来の母権的父権主義文化のルネサンスが必要である。江戸・東京の超克が必要である。
 神を取り戻すべきである。自然神、不可視の自然神を取り戻すべきである。

追記:日本封建・父権主義の成立は、別の考え方もできよう。即ち、日本本来・古来の母権的父権文化であるが、原基の母権主義的精神の衰退・衰弱が歴史において、とりわけ、江戸時代中後期に生じたように思われるのである。そのために、上層の父権主義が主導化して、母権的精神を排除するようになったと考えられる。
 ならば、根源的母権精神、凹iと超越性との融合を復活することが肝要である。東洋的身体的精神の復活である。


参考:

「神道の考察」 日本の成り立ちの鍵

http://ameblo.jp/hex-6/entry-10741016473.html

HEXのブログ

2010年12月04日 (23:42)

「中国人がやってくる」5:母権主義と唯物論:超越的精神の肯定へ向けて

「中国人がやってくる」5:母権主義と唯物論:超越的精神の肯定へ向けて

テーマ:東アジア共生共創圏(東アジア共同体)
アジアにおける「共産主義」であるが、これは、結局、マルクス主義からわかるように、被抑圧側からの「反動」思想である。
 少なくとも、最初は、不正義に対する正当な反抗がある。しかしながら、この反抗も結局、自我、近代的自我、とりわけ、唯物論的自我に根差しているので、反動になるのである。革命主義が歴史において、例外なく反動となったとは、これが原因と考えられる。
 そう、唯物論的自我、これは、正に、悪魔的自我である。ここには、他者はなく、正当化すべき自我があるだけなのである。
 私見では、中国共産党はこれに染まっている可能性がある。唯物論的自我はイデオロギーであるために、容赦のない苛酷なものとなるのである。スターリン主義とはそのようなものである。
 とは言え、問題は、19世紀のロシアが20世紀のソ連になったのはどうしてなのか、これが実に問題である。
 私が以前から思っているのは、共産主義化する国は母権主義の国である。これは、PS理論の人間認識図で言えば、凹i⇒+1である。第四象限である。
 母権である凹iが、唯物論的に+1に結合してしまうと考えられる。そう、不正義への反感においては、凹iは-1の要素を持っていたが(追記:ここは微妙である。善は凸i⇒-1の第二象限に属する。この点は再考したい)、唯物論的に意識化すると、⇒+1へと転化するのである。これが、魔道である。
 これは、中国だけでなく、ロシア、日本、北朝鮮等にも適用できることである。
 超越的精神性の肯定、これによって唯物論的自我から脱出できるのである。

追記:19世紀のロシアは、すばらしいロシア文学を生んだ。その代表であるトルストイやドストエフスキーの文学は宗教性が強いのである。ロシア文化がもつ宗教性、ロシア正教を、ボルシェビキは否定したのである。唯物論的狂気がロシア文化を破壊したのである。
 結局、資本主義の問題とは、唯物論性、そして、根源は同一性にあると言えよう。
 資本主義に精神性を取り戻すこと、これはどうしたら可能か。私は、資本主義生産は共同的生産であると述べている。資本主義的共同主義という精神性を確認すべきなのである。

追記2:因み、米国はキリスト教的民主主義の国である。

注:以下、下線、赤色文字の強調はrenshiに拠る。

★ 2010年12月03日金曜日 20時更新

・・・・・

 ■ 中国人がやってくる その5

 山東省済南市で医師を開業していた山崎宏さん(102)が亡くなった。山崎さんは旧日本軍の残虐行為を許せずに脱走し、日本敗戦後も現地にとどまって、65年の間、「赤ひげ医」を地で行く良心的な医療を続け、地域の広い尊敬を集めてきた。
 訃報を聞いて、生前の山崎さんの献身的医療に世話になった地元住民が数千人も集まり、冥福を祈った。

 中国マスコミの論調は、残虐行為を恥じた旧日本兵が贖罪の医療奉仕活動を行って死んだというもので、「悪事を働いた日本人だから当然」というニュアンスが多い。
 人間として良心に生きる信念を脱走処刑を覚悟して貫き、敗戦後も加害国日本人として謝罪の意を行動で示し、利他思想を体現した人生を正当に評価する記事はほとんど見られない。
 しかし、山崎さんを直接知る済南市の人たちは、真の畏敬と心からの感謝で悼み送ろうとしている。人々に、こんなに心から敬愛される人は中国の役人には一人もいない。だからジェラシーを感じているのだろう。

 中国には、ウソにまみれた下心で上からお仕着せた低俗な賛辞が溢れているが、人間としての原点に立つ良心の立場で語る声がほとんど聞かれない。そこには、権力によって無理矢理ねじ曲げられた人間性と、国家の重荷に喘ぐ人々の、天を仰ぎ見る苦難のため息だけが聞こえてくるのだ。
 虚偽に満ちた砂上の楼閣である中国で、いったい何を信じたらよいのか分からず彷徨う若者たちは苦悩に苛まれ、次々と精神疾患になってゆく。今や、中国における精神異常者の数は人口の二割、数億人ともいわれるほどだ。
http://datefile.iza.ne.jp/blog/entry/1082888/

 虚構捏造ばかりの、やりきれない社会のなかで生きてゆこうとすれば、人々の心を支えるものが目先の享楽、蓄財、贅沢だけになるのは当然だ。日本だって程度の差こそあれ同じような状況だから、そんな心のメカニズムは容易に理解できるだろう。
 中国人が目先の浅薄な物質的価値観のみに囚われることで、自分たちの、そして子供たちの未来さえ根底から破壊しながら、地獄に向かって切れ落ちた断崖に向かって突進している有様を嗤えるほど日本人は立派ではない。我々だって、彼らほど極端ではないが、同じ地獄に向かっていると知るべきだ。
 目先の安楽のために、子供たちの未来に返済不能の莫大な借金や、放射能廃棄物を押しつけている輩が、どうして偉そうに中国を批判できようか?

 中国人を、これほどまでに追いつめているものは何か? 我々は、はっきりと敵の正体を見極めなければならない。
 少なくとも、今から50年前までは、中国は物質的に貧しくとも、本当に心豊かな理想郷を体現していたはずなのだから。いったい何が、中国と中国人を狂わせたのだ?
 そして、どうしたら中国を心豊かな国にすることができるのか?

 チベット・ウイグル・尖閣問題、それに法輪功に対する極悪非道、人間の所業とは思えぬ悪魔的弾圧などを見せつけられていると、中国政府役人はこの世のモノとも思えぬ極悪人ばかりという印象だが、我々は中国政権と民衆をはっきりと分けて考えるべきだ。
 中国共産党の支配する中国政権は、崩壊を約束された悪臭を放つ腐敗物にすぎない。もはや、それを救済するいかなる手段もありえない。我々は、腐敗食品がやがて形を失って土に還るように、それを眺めるしかないようだ。
 だからといって、中国人民が一緒に消えてゆくわけではない。終末の大混乱のなかで、凄まじい人々が死んでゆくだろう。しかし、必ず生き残る人たちがいて、かなりの人々が日本に押し寄せ、そのまま日本列島の新住民になる事態も避けられないだろう。

 日本人のなかに宮崎政弘のようにネトウヨの背後から「シナ人」という表現で、戦前の傲慢中国人に対する侮蔑感情を洗脳しようとしている輩がいる。ネットには、日本人が優越的で中国人が劣等的であるかのような思い上がりが満ちている。
 確かに、中国政権のあまりにも愚劣な姿勢を見せつけられていると「中国にはバカしかいない」と思いたくもなるが、我々は、日本人だって五十歩百歩の愚劣さに堕ちている現実を知った方がいい。
 というより、地上の人類は、すべて同じ平等な人間であって、ただ環境のなかで洗脳されて暴走を繰り返すのだ。だから器次第で、愚かに見える人たちだって、社会を共に支える仲間になることができることを忘れてはいけない。
 やがて国家崩壊に伴う中国人避難民が日本に押し寄せたとき、宮崎氏やネトウヨ的侮蔑感情では大きな不幸を招くしかない。

 すでに何度も書いてきたが、これほどに腐敗した中国政権と、道徳倫理、利他思想を見失った中国国民は、その必然的帰結として、凄まじい業火に焼かれる運命を免れ得ない。
 具体的には、イケイケドンドン的高揚期には起きなかった巨大事故も、経済停滞とともに一気に吹き出すだろう。

 まず、一番恐ろしい事態は、今年に入ってから、すでに数回も放射能事故を繰り返している上海周辺の原発だ。中国のような露骨な隠蔽体質では、情報公開で批判に晒されることによって成熟することができる改善改良も不可能であり、ハインリッヒの法則どおり、あるいは、それ以上に巨大事故のリスクが爛熟していると考えるべきだ。
 http://www.epochtimes.jp/jp/2010/11/html/d19787.html

 こうした視点で、中国がチェルノブイリ級か、それ以上の大事故を発生させるのは時間の問題と断言してもよい。だが、それは必ず朝鮮半島や日本列島にも大規模な放射能汚染をもたらし、地球全土を取り返しのつかないほど汚染し人類の未来を暗雲に包むにちがいない。

 世界最大の長江三峡ダムもまた、中国名物オカラ工事によって、その崩壊が時間の問題と指摘されている。ダム湖は数百キロにわたって不安定な崩壊山岳に囲まれていて、その満水圧力による地盤崩壊が、すでに数万カ所も発生しているといわれ、やがて超大型の深層崩壊が予想されている。430億トンの貯水に、数億トンクラスの崩壊土石流が流入すれば、貯水は一気に脆弱な堰堤を越えて、ダム本体を破壊するリスクが極めて高いのである。

 その他にも、中国は、その愚かしい隠蔽体質によって、あらゆる危険が隠されたまま、恐ろしい運営が行われている事業者が無数にあり、インド・ポパールで起きたような凄まじい事故も発生することだろう。
 こうした事故によって、住居を失う環境難民が数億人以上出る事態が予想されている。そうなれば、利他思想を失った中国では利権衝突から内乱に至る事態が避けられないと考える必要があるだろう。

東海アマチュア無線  地震予知研究会







「中国人がやってくる」:母権主義と父権主義:これは、日本の覚醒になると思う

テーマ:東アジア共生共創圏(東アジア共同体)

以下、東海アマ氏の主張はよくわかるのである(現象的には首肯できる部分がある)。私もそれなりに中国人を知っているのである。
 中国文化は北方と南方がある。日本文化は南方に共感するのである。美術からそれは言えるのである。
 思うに、中国文化とは本来、母権文化であるが、それが、父権文化に蚕食されていると私は思っている。
 この母権文化を中国人自身がよく理解していないのではないだろうか。
 例えば、儒教も母体は母権主義である。それが、父権的志向性をもっていると私は考えている。
 そして、日本も、この母権文化をベースにした東洋文化を受容してきたのである。
 ただし、日本文化において、先に述べたように、イスラエル民族的な強力な父権文化が参入した可能性があるのである。
 ある意味で、両極端な文化が日本において、衝突したのである。
 しかし、日本は本来的に母権主義であり、それが、内面、精神的な文化・社会を生み出したと考えられる。
 そう、中国文化も本来、日本文化に似ていると思うが、しかしながら、父権文化の圧倒的支配の下、分裂的な様相を帯びたように思われる。
 主観では、中国では、母権文化と父権文化が分裂しているのである。それを共立させる視点は日本にあると思う。ただし、近代日本は、父権主義的になり、本来の母権主義を喪失してしまっている。
 ここで欧米の近代史について触れると、実は、ルネサンスとは、母権主義、東洋主義の覚醒である。しかし、キリスト教的西洋はこれを受け入れられないのである。
 また、飛躍するが、オバマ大統領は本質的に母権主義、東洋主義である。
 つまり、今日、西洋においても、東洋的精神と西洋的精神との葛藤があるということである。
 本題に戻ると、中国人は確かに問題が多いが、本来、中国人は母権的民族である。ここを確認する必要があるのである。
 日本人としては忍耐がいるが、母権主義という点では、日本人と中国人は理解できるのである。
 思うに、ある意味で、中国人の方が日本人より、母権主義的である。日本人は、天孫降臨民族からわかるように、基底の母権主義が父権化されているのである。

追記:近代の父権主義とは、唯物論も含まれる。

追記2:母権と父権を共立させる今日的視点は、正に、PS理論に存する。凹i*凸i⇒+1に存する。又、根源を考えると、
-1⇄凹i*凸i⇒+1となるのではないかと今考え中であるが。

追記3:-1⇄凹i*凹凸i→凸i*凹i⇒+1だろうか。→の意味を明確にする必要がある。



★ 2010年12月01日水曜日 16時半更新

 昨日、M6.9発生直後からとんでもない異常体感が続いたが、今日はやや収まっている。しかし相変わらず2004年スマトラ大震災の前に似た体感が続いている。

 ■ 中国人がやってくる その3

 拾ったカネを届け出たら「大馬鹿者」の大合唱http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101130-00000064-scn-c n

 【街頭での靴修理を商売にしている文和発さん(60歳)はこの3日間ほど、知り合いに会うたびに「大馬鹿だな、お前は」と言われっぱなしだ。拾った8800元(約11万円)を警察に届けたからだ。中国新聞社が報じた。
 文さんはいつも、重慶市の渝北区劉山路で靴修理の商売をしている。26日午後7時ごろ、「そろそろ帰ろうか」と思い休憩していると、歩道の点字ブロック に小さな箱のようなものがあるのを見つけた。日が暮れていたのでよく見えなかったが、なにげなく手に取って近くの店のあかりを使って確かめると、ゴムバン ドで包んだ札束だった。全部が100元札。驚いていると人が集まりはじめた。衆人注視の元で数えてみたら、全部で8800元あった。
 普段ならとっくに家に戻る時間だったが、文さんは「もしかしたら、落とした人が探しにくるかもしれない」と思い、午後9時ごろまで待っていた。「多くの人が知った方が、落とし主に伝わりやすい」と考え、道を通る人に「お金を落とした人はいませんか」と言い続けた。
 文さんに事情を聞くと、「馬鹿か」と言い捨てて去る人もいた。しかし、肝心の落とし主はあらわれなかった。
 帰宅した文さんは、とりあえず札束をたんすの一番下の引き出しに入れた。大金を保管していることで緊張して、食事の味も分からず、よく眠れなかったという。翌朝起きてさっそく、札束を警察に届け出た。「やっと、肩の荷をおろすことができたんだ」という。
 それ以来、知人に会うたびに「お前は大馬鹿だ」と言われっぱなしだという。文さんは、「みんな、力を込めて同じことを言う」、「自分では普通と思っている。馬鹿と言われて、いい気分ではない」とにが笑いする。
 文さんは四川省の出身だ。重慶市に来たのは2005年。妻と一緒の借家住まいで、家賃は月600元。光熱費として200元程度が必要だ。1日の売上げは20-30元で、妻は靴磨きで10元ほど稼ぐ。収入は生活費などとして消え、いくらも残らない。
 8800元は、ほぼ半年分の収入だ。「自分のものにしようとは思いませんでしたか」と聞かれた文さんは「ちっとも思わなかったよ。だって、自分のものじゃないからね」と答えた。】


 中国の99%以上の人が知るはずもない尖閣諸島について、7割以上の人たちが「日本が強奪した中国固有領土」と決めつけ、半数が「武力で奪還せよ!」と主張していると政府系世論調査が示しているらしい。
 どうして、そんな理不尽な理屈がまかり通るのか? 日本人にとって信じがたいことだが、上に挙げたニュースにおける民族的精神性を見れば容易に想像がつきそうだ。

 一言でいえば、中国には強烈なメンツと強欲があるが人間性・道徳性が実に未熟である。それは、あたかもワガママ盛り、五歳の幼児の精神性を見ているようだ。
 筆者の知る中国人の共通点といえば、失敗したとき、まず絶対に自分の間違いを認めないで他人のせいにする。何を置いても自分のメンツを守ろうとすることだ。

 例えば、こんな記事がある。
 http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1129&f=national_1129_196.shtml
 泥棒を働くのは日本が不景気だからと、中国政府当局が正当化の解説をする屁理屈を見て呆れずにすむ人はいないだろう。筆者のところはゴミどころか、中国 人廃物屋が買ってまもない鍬やバールなど大切な工具類を、留守にしているとき木戸を開けて勝手に入り込み持ち去っていった。
 もし捕まえても、彼らは絶対に泥棒を認めず、屁理屈で誤魔化そうとするだろう。

 六歳の少女に強制猥褻を働いた役人を捕まえても、うんざりする屁理屈だ。これが中国人というべきかもしれない。
 http://news.livedoor.com/article/detail/5174977/

 こんな人間的に未熟な人たちが、世界最大の生産力を獲得し、世界中のカネを集め、他人に対する思いやりのカケラもないまま、強欲だけを前面に出して、「地球は全部、自分たちのモノ」といわんばかりに盲進しているわけだ。

 日本人が同じ拾得物を発見したら、まず半数以上が自発的に警察に届けるだろうし、それを大馬鹿者など言おうものなら社会全体に糾弾されることになる。
 こうした歴史的・普遍的に行き渡った道徳・倫理観が、世界的に見ても犯罪の少ない「日本の良き社会」を支えてきたことを我々は良く知っているはずだ。

 近年、金儲け目的で労働者を追いつめる企業経営者たちによって、こうした他人の幸せを第一に考える、昔ながらの日本らしい思いやりの道徳・倫理観が破壊されていることから日本社会が根底から崩壊しはじめていると認識する人が多いはずだ。
 人は容易に変わるものだ。カネの魔力に魅入られ、人間のための道具にすぎないはずのカネで、人間が支配でき、人間よりも高い価値だと勘違いして暴走する人など、我々はいくらでも見てきた。

 中国だって、昔からこんなひどい強欲利己主義民族だったわけではなく、長い間、貧しさのなかで自然と調和して心豊かに生きる精神性が育まれてきた。戦 後、行き場を失って中国に取り残された残留孤児たちを暖かく育ててくれた優しい人々だって中国人だったことを忘れてはいけない。
 だが、中国共産党政権によって、陳腐な一党独裁資本主義が持ち込まれ、ヘイハイズの奴隷労働によって世界中からカネが集まるようになり、人々が強欲に目覚めて一斉に暴走し始めたのである。カネが中国人の精神性を貶め、変えてしまったのだ。
 元々、メンツ至上主義だった儒教風土に強欲が加わり、見るもおぞましい精神風土が成立してしまったといえなくもないが、それは日本人のなかにも、たくさん見てきたことを忘れてはいけない。

 だが、中国では、日本と比較して明らかに倫理観が崩壊している。プロセスにおける道徳・倫理など問題にせず結果として得るものを重視するという短絡的価値観に国ぐるみ支配されている。
 だからといって、道徳性の劣った中国の人々に対し「シナ人」と蔑称を投げつけて事足れるとしているネトウヨの愚か者は、所詮、彼らと同じ精神的レベルに すぎず、いっそ中国に移住すべきだろう。問題は、「なぜ、そうなったのか?」という視点であり、これからどうなるのか? 問題をどう解決するのか? とい う理性的分析と方法論を検討することだ。

 こうした精神性の腐敗、程度の低い倫理観が国中に蔓延した結果、中国では恐ろしい事態が起きている。
 官僚から庶民まで、徹底した利己主義価値観のなかに放り込まれ、目先の金儲けのためには、他人を騙しても、地球を破壊しても、自分たちや子供たちの未来を破壊しても屁とも思わない精神風土が何をもたらしたのか?
 それはそれは恐ろしい結果が生まれたのである。

2010年11月21日 (17:58)

母権的霊的文化と父権的物質文化

先に

「追記:古代ギリシアの場合、プラトン哲学の超越空間が開けたのである。インドの場合は、土着的民族にアーリア民族が侵入して、ブッダの超越空間が開けたと思う。
 ここには、母権と父権の差異共立・共振に拠る第三の主権が生まれたのではないか。
 母権だけだと、感覚界志向となり、父権だけだと抽象・観念界志向となるだろう。」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10710622845.html

と書いたが、下線部は勘違いである。母権的文化は感覚的、イメージ的でありながらも、霊性をもつ文化である。
 そして、父権的文化は、同一性志向が強く、世俗的物質的文化である。
 後で再考したい。

追記:先に、古代ギリシアの父権的民族をアーリア民族と呼んだが、今はその呼称は、ヨーロッパ人には適用されないということなので、訂正したい。
 インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン系をアーリア人と呼ぶということである。『アーリア人』青木健著 講談社選書メチエ

追記2:問題は、一神教の父権文化である。それは、確かに、物質文化に帰結したが、超越性は保持しているのである。だから、一神教の父権文化の超越性とは何か、が問題である。
 しかし、これは、実は、母権的多神教の超越性が下敷きにあると考えられる。つまり、一神教のベースには、母権的霊的文化があると考えられる。

追記3:ヤハウェからわかるように、唯一神は嫉む神である。それは、母権的神を嫉むのだろう。

2010年09月23日 (15:54)

尖閣列島問題について:ロックフェラー路線と「ロックフェラー路線」の大争闘の時代

尖閣列島問題について:ロックフェラー路線と「ロックフェラー路線」の大争闘の時代
テーマ:ゾロアスター教的「光と闇」の戦争闘争時代
炯眼な田中宇氏の以下の解明に拠ると、今回の事件の原因として、

1)対米従属派の巻き返し
2)米国による対中強硬路線の誘導

の二つを提起している。
 しかしながら、前原外相はもともと従米派(1)であり、2を当然盲信するはずであるから、二つ仮説は一つに収斂するのである。
 ということは、棺・戦国左翼政権は、米中の対立下にあり、米国の路線、とりわけ、戦争産業覇権路線に従属していることになる。
 私は先に前原新外相とは不可能な人事と呼んだが、それが、早くも的中してしまった。前原氏はタカ派であり、単純細胞、つまり、2項対立の発想しかできないので、外交には不適格なのである。
 棺桶政権を生んだ結果がとんでもないことになっている。やはり、ロックフェラー路線が影で糸を引いている。
 しかしながら、大阪地検の大不祥事で明らかなように、オバマ「ロックフェラー路線」が日本でも活動し出したようである。今や、世界、日本は、ロックフェラー路線=悪=闇と「ロックフェラー路線」=善=光の大争闘の過程にあると言えよう。
 早晩、棺桶自殺政権は崩壊する。日本国民が覚醒できるかどうかが問題でもある。小沢一郎は「ロックフェラー路線」であり、ポスト棺桶政権を目指しているだろう。

追記:因みに、中国外交が対米的に、批判と同時に互恵的発想ができるのは、他者を差異として捉えているからである。米国外交の場合も、他者を差異として見ている側面がある。もっとも、他者を潜在的な敵と見る方が多いが。
 この点から、はっきりと、前原外相は外交の能力はまったくないことが判明するのであり、日本はin dire straitsにあると言えよう。


参考:
日中対立の再燃
2010年9月17日  田中 宇

 日本の海保は、中国漁船を監視する巡視船を尖閣周辺に配置してきたが、トウ小平以来の日中間の領土紛争棚上げの合意もあり、これまで日本側は尖閣領海で、台湾や香港の船を激しく追尾しても、中国の船を拿捕・逮捕したことはなかった。日本も中国も、民間に「尖閣(釣魚台)を守れ」と主張する政治活動家がいても、政府としては対立を避ける姿勢を互いに採ってきた。その意味で今回、日本の当局が中国の漁船を拿捕し、船長を起訴する方針を固めたことは、日本が政府として中国との対立を決意する、対中国政策の劇的な大転換を意味する画期的な動きである。

 今回、日本政府は「漁船がぶつかってきたのだから逮捕は当然。中国政府の怒りは不当だ」と言い、日本のマスコミの論調も同様だ。そして中国側は、衝突の際に海保と漁船のどちらが悪かったかについて、現場に当事者以外誰もいなかったので何も反論できず、人民日報英語版の報道も、その部分は「日本では、漁船の方からぶつかったと報じられている」としか書いていない。中国政府は、衝突時の経緯について反論できず、日本の主張が通っている。(Arrest brings calamity to trawler captain's family )

 尖閣領海内は日中漁業協定の範囲外だが、外交的に日中間には、尖閣について日中は敵対しないという、トウ小平以来の日中の了解があった。今回、日本側がそれを破棄し、日本の法律を使って中国漁船員を逮捕するという、領有権をめぐる強い主張に踏み切ったので、中国政府は驚き、怒ったと考えられる。

 事件後、中国当局は、尖閣周辺で操業する中国人漁民を保護するため、準軍事部隊である漁業監視船を派遣することにした。史上初めて、日本(海保)と中国(農業省傘下の漁業監視船)の軍事的な部隊が、海上で対峙する状況が生まれる。日中交戦もあり得る事態だ。戦後65年なかった、日本が戦争しうる事態がぐんと近づいた(鬼畜米英の代わりに中国の脅威が喧伝される)。尖閣諸島は、南沙群島や黄海とともに、中国と、米国に支援された周辺国が対峙する、世界的な海上紛争地域(対中包囲網)に格上げされた。(中国軍を怒らせる米国の戦略 )

▼米国が前原をそそのかして好戦策?

 今回の件は日本のマスコミで、中国漁船の不法行為を当然の行為として日本の海保が取り締まり、それを不当にも中国政府が非難していると報じられている。しかし従来の日本当局は、中国漁船を追いかけても、追い詰めて逮捕起訴することはなかった。今回の逮捕起訴劇の重要点は、漁船の行為や中国の反応ではなく、中国が怒ることを知っていて逮捕起訴する日本政府の能動的な政治意志である。なぜ今、日本が中国を怒らせるかが重要だ。

 こう書くと、私のところに「従来の日本政府の対応の方が間違っていた。今回初めて日本政府は、中国側に毅然とした態度をとるという正しい行動をした。従来の日本の姿勢を擁護するかのようなことを書くお前は間違っている」という批判メールが来るだろう。だが私にとって大事なのは「何が正しいか」ではない。何が正しいかは、日本と中国で正反対であり、日本人も中国人もマスコミなどによるナショナリズム扇動に乗せられて怒りを抱き、善悪を語っている。怒りや善悪論は、分析をねじ曲げる邪魔者である。

 話を戻す。なぜ日本政府は中国を怒らせるか。まず考えられることは、政官界や民主党内での対米従属派の巻き返しである。昨秋から今春までの鳩山政権下で、沖縄の人々は米軍基地に強く反対するようになり、米国自身も財政難がひどくなり、国防総省が米国外の軍事駐留に金をかけすぎていると、米議会で共和党がオバマを批判している(軍産複合体は共和党系なのに)。今後、不況の二番底が来て米政府が追加の財政出動をしなければならなくなり、財政赤字が増えるほど、米軍を日韓や欧州から撤退させた方がいいという議論が米国で出てくる。そのような状況になっても、日中が戦争寸前の状態になっていれば、沖縄の米軍は撤退せず、日米同盟に固執する日本の対米従属派は延命できる。(Senator Wants to Cut Overseas Base Construction )

 もう一つの考え方は、逆に、米国が日本を中国との敵対に誘導しているのではないかというものだ。3月末の天安艦沈没事件を機に韓国と組んで北朝鮮との緊張を高め、北の守護者になっている中国を怒らせ、ベトナムに肩入れして南沙群島問題で中越対立を扇動しているのと同様の流れである。米国は、韓国、ベトナム、そして日本をけしかけて、中国包囲網を構築している。

 自衛隊と米軍は今年12月、中国海軍を仮想敵として、中国が台湾を東海岸から侵攻した場合を想定し、台湾の東海岸の沖合に位置する沖縄の尖閣諸島や八重山列島の周辺で、日米軍が中国軍の台湾侵攻を阻止するための日米合同軍事演習を行うことを計画している。似たような日米軍事演習は、すでに8月にも沖縄と九州で行われている。こうした動きと、中国漁船員逮捕起訴を合わせて考えると、米国が日本を誘って中国敵視の方向に動かしていることが感じられる。 (US, Japan to hold exercise to recapture disputed isles )


http://www.tanakanews.com/100917senkaku.htm



*
イメージ
温家宝中国首相、米中関係の改善望む姿勢強調

 訪米中の中国の温家宝首相は22日、ニューヨークでのイベントで、米企業幹部らに対し、米中間の現在の相違は「非常に容易に解決できる」との見解を示した。さらに、両国企業の利益は「表裏一体だ」と表明した。



トランス・ユング心理学
テーマ:Media Point:MP1⇔MP2
ユング心理学は、PS理論で簡単に説明できるし、さらには、それを乗り越えることができる。
 即ち、男性のアニマ(無意識)は、凹iであり、女性のアニムス(無意識)は、凸iである。
 しかしながら、問題は女性の捉え方である。女性を凹iが本体と見ているのである。しかしながら、女性の本体は、凸i*凹iと見るのが適切である。
 現代、女性は男性的意識凸i傾斜に染まっているので、本来の差異バランスを喪失しているのである。故に、女性性が影(シャドウ)になってしまっているのである。
 また、以前述べたが、ユングの説く「自我」と「無意識」の統合としての「個性化」であるが、これは、不可能である。何故なら、「自我」の連続性から脱却していないからである。故に、理論は中途半端で、混合したものであり、混乱させるものである。


オクタビオ・パス(Octavio Paz)
テーマ:詩・俳句・和歌・連歌・連句・連詩
オクタビオ・パス(Octavio Paz)
ある詩が 優れているかどうかは、
それが 変質しない程度に
散文をどのくらい吸収しているか、
その量(りょう)で量(はか)ることができる

またその逆もしかりで、
優れた散文は詩を含んでいなければならない

メキシコの詩人
オクタビオ・パス(Octavio Paz)の言葉より
1990年にノーベル文学賞に輝いた
「奥の細道」をスペイン語に訳したことでも知られいます
(1914-1998)



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%93%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%91%E3%82%B9

このようなことを
書いてます

実際ね君が自負している当たり前の真実とやらは
当然欲望という名で知られ無理に着飾って美しくすること
じゃないゆがめることもない標準化の要なし分らせようもない
鼻をつまみ目耳舌性器脳みそを皆さんに見せてあげて運に任せ
正確に自分の声を聞き自らに語りかけようよ
そうすれば他人もまた嬉しくも救われようあの重荷から
彼ら自らの思い悲しみから始まりが欲望だから終わりは叡智だよ
物事を離れて観念はない

パスはこう言ってる
仏陀の沈黙は知覚ではない
その背後にあるもの
すなわち知恵である
非知
解放されてあること
そして分解されてあること
安らぎは舞踏であり
不動のらせんの中心における苦行僧の孤独は
女神カーリーの寺院に見られる愛し合う男女の抱擁と
一体化する


このような
詩を書いてます


遺跡での感謝の歌

泡立つシシリアの海が(リリベオの麓に銀箔をほどこす)ところに....
ゴンゴラ

王冠で飾った時代の服装を誇示する
大げさでセンセーショナルな叫び声
片寄らず 恵み深い
温泉は空の真ん中へ周期的に噴き上げる
その容姿は一時的な現実の中で見事である

海は海辺をよじ登って
岩場にへばり付き まるで輝く蜘蛛のよう
山の鉛色の傷がきらきらし
一握りの山羊ははたくさんの石になり
太陽は海に金色の卵を産む
一切が神様
壊れた像
日光によってもろくなった円柱
死の世界で息づいている遺跡

http://blog.livedoor.jp/kool_gang/archives/51774416.html

ネバーランド

オクタヴィオ・パス
『弓と竪琴』
1980 国書刊行会・2001 ちくま学芸文庫
Octavia Paz : El Arco Y La Lira 1956~1967
牛島信明 訳

「ポエジーは認識、救済、力、放棄である」、「詩は無数の異質な形式のなかに分散している」、「どんな差異も歴史的変動の結果なのではなく、もっともっと微妙なものの結果なのだ」、「形式と実質は同じものである」。
 世界社会の、放っておけば相克しあい激突しあいかねない多くの異相と矛盾を、みずからの思索と行動と表現のなかに抱えこんで、オクタヴィオ・パスは書き続けた。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0957.html




邦語文献
オクタビオ・パス(1914-98)
現代ラテンアメリカを代表するメキシコの詩人、批評家。90年ノーベル文学賞受賞

http://www.cafe-mexico.com/database/libro/libro_literatura.html


資本主義の力学:2H2+O2⇒2H2O:脱資本主義とは、差異的生産市場主義である
テーマ:森羅万象:諸事万端:天象地象:天候気象
水素と酸素が反応して、水が生じる。
 水素を雇用者、酸素を被雇用者とすれば、両者の共振から、水=生産物を生まれるのである。
 しかしながら、結果の水=生産物は雇用者と市場が支配する。
 しかしながら、結果は生んだのは、左辺であり、ここに生産源があるのである。しかし、資本主義は、結果の+1の競争に突き動かされて、左辺を否定するようになるのである。
 右辺を支配するのは、資本家である。故に、逆転させて、左辺を主導化すればいいのである。資本家への配分を激減することが必要である。

追記:市場は右辺というよりは、左辺として見る方が適切だと思う。後で、さらに検討したい。


ほぼ四年前のブログ記事であるが、余裕があった:オクタビオ・パスの詩を久々に読み、詩への郷愁が起る
テーマ:詩・俳句・和歌・連歌・連句・連詩
Sat, September 30, 2006 22:51:40
俳句&川柳(はてな)
テーマ:詩・俳句・和歌・連歌・連句・連詩

f:id:sophiologist:20060930224916j:image

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:%E6%B0%B4%E9%9D%A2%E6%B3%A2.jpg

目を瞑り

海鳴を聞く

砂の浜

川土手の

風心地よき

鎮守杜

玉の音に

蛙の混じる

窓辺なり

人間 の

イデア は一つか

個のイデア

田舎 なり

大きな蜘蛛の

壁を這い


田舎屋に

足長き蜘蛛

壁を這う

田舎屋に
脚長蜘蛛の
壁を跳ぶ

草深し
長足蜘蛛の
壁走る

プレハブ の

海の家 なく

サーファー見ゆ

少女あり

カラスや千鳥

海景色

海釣りの

孤影の堤防

波砕く

白き鳥

ゆうゆう と翔ぶ

川面かな

土手道を

犬引きつれぬ

女たち

土手道を
犬引き具しぬ
女(め)たちの背


横這いの

蟹どもあらわる

川の道


蟹どもの

横這い隠る

川辺道

直売店

冬瓜まるまる

百五十円

運動に

疲れしからだ

俳句 詠む

愚かなり

勝ち誇る我の

虚栄心

ゴミ浜に

兵どもが

棄て散らし

http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno20.htm#ku

モダン 去り

兵どもの

荒地かな

コスモス や

曼珠沙華咲く

路傍かな

f:id:sophiologist:20061001004058j:image

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Cluster_amaryllis_close-up.jpg

飛び魚の

銀に耀く

水の音

囚人 や

我は忍耐

介護 する

浅ましき

コトバ溢れぬ

巷なり

近代の

理想・理性は

闇なりぬ

金儲け

人をだまして

死人かな

美味し蕎麦

日々精進に

自炊せり

末世なり

ノアの方舟

世は忘れ

末世かな

タマシイ抜けし

ことばかり

哀れなり

愚人悪人

世に溢れ

雨降りて
唱鳴き交わす
蛙ども


http://ameblo.jp/renshi/archive1-200609.html



自我は凸iに再帰する:陶酔的自己としての自我
テーマ:検討問題:思考実験・仮説・エッセイ・メモ
自我は自己陶酔的である。これをどう分析するか。
 これはやはり、凸i⇒+1で説明できよう。同一性スクリーン(精神的フィルター)に自己投影していると考えられる。そのために、同一性自己=自我に自己は一致するのであり、これが自己陶酔である。現代の日本人は大半がこれでである。他者なきナルシシズムの日本人である。



検討課題:差異共立的相互作用の用語をどうするか:共交?、極交?
テーマ:検討問題:思考実験・仮説・エッセイ・メモ
差異共立は静態的である。しかし、差異が共立したまま、相互作用、相互変容するのである。これをどう表記するのか。
 共交という言葉を仮に使用した。共立的変容だから、共変でもいいかもしれない。しかし、共立したまま、相互作用する様態がうまく表現されない。
 ならば、共立浸透にすればどうだろうか。これは、悪くない。ならば、共立変容、共立変換等がありうる。
 これまで、この事象を表記する言葉は弁証法だったのだ。しかし、弁証法はこの場合、不可能である。なぜなら、弁証法とは同一性の力学だからである。そう、差異共振は弁証法的である。
 共交の場合は、相互作用はわかるが、差異性が失せる。だから、差交がいいかもしれない。しかし、これは、連続性が感じられる。ならば、差立交がどうだろうか。あるいは、共立交である。差異共立交である。ならば、共立浸透でいいことになる。
 結局、極性の問題である。ならば、極交はどうだろうか。差異極交である。


プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

Appendix


ブログ内検索
RSSフィード
リンク
このブログをリンクに追加する
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。