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2012年01月09日 (21:07)

スィームルグ文化とシュメール文化:日神教、ミトラ教、マニ教の起源に向けて

スィームルグ文化とシュメール文化:日神教、ミトラ教、マニ教の起源に向けて


テーマ:manichaeism: 哲学

私は先に、ミトラ教に関して、資料1を書いた。
 ミトラの友の東條真人博士によると、イラン文化の全体的背景にスィームルグ文化が提唱されている。
 私は西方ミトラ教において、牡牛が生け贄に殺されているのを見て、それは、シュメール文化のテラコッタ(註:先に円筒印章と述べたのは勘違いであり、訂正する。また、次の牡牛の修飾語は聖なるではなく月のであり、これも訂正する。)の「月の牡牛とライオン鳥」の図像を想起して、ミトラ教の起源にシュメール文化を仮説した。。
 資料2のスィームルグの語源

「スィームルグ †

Sīmurγ, Simurgh, Simurg, Semuru, Sīn bird

地域・文化:イラン、ゾロアスター教
 別名:セーンムルヴ(Sēnmurw, Sēnmurv)、セーノー・ムールーク(Sēnō mūrūk)、セーノー・ムールーウォ(Sēnō mūrūvo)、シーナムルー(Sīnamrū)など。」

を見て、スィームルグはシュメールと似ていると直観した。もし、それが一致するならば、イラン文化、スィームルグ文化とは、端的に、シュメール文化が起源になる。
 シュメール文化は未だに謎の文化・文明である。しかしながら、私の直観では、古代アトランティス文明の最良のものを受け継いだ精神文化である。そう、それも母権化されたアトランンティス文化である。
 後で検討したい。

追記:牡牛が重要なfigureである。これは明らかに女神文化である。占星術の牡牛座と関係する。牡牛の女神文化とアトランティス文明が結合してシュメール文化が生まれたのかもしれない。つまり、母権文化、月の文化と日霊文化が融合して、シュメール文化が生まれたのかもしれない。
 もっとも、私が考える日霊文化とは、基盤が女神文化であり、女神が日を産み出すのである。
 おそらく、この女神(月)の日霊文化とアトランティス文化の高度な霊知的文化が結合したのがシュメール文化かもしれない。
 とまれ、根源は日霊文化である。それは、母権的日霊文化である。凹i⇒凸iの文化である。
 その後、media pointの変化によって、凸i⇒凹iへと精神の動きが変化したと思われる。これは父権的同一性知性の文化への動きである。父権文明、一神教文明、西洋文明への動きである。自我への動きである。同一性=物質的光・視覚への動きである。
 思うに、母権的日霊文化に対して、父権的同一性=物質=自我的文明が台頭してきたということだろう。
 両者の鬩ぎあいが、これまでの文明史と言えようか。そして、西洋文明が支配的となり、母権的日霊文化はほとんど消失するようになった。
 しかしながら、今や、西洋文明は落日となり、ようやく、新母権的日霊文化が新生する進化的エポックになったと考えられる。マニ教的PS理論の誕生がそれを象徴していると言えよう。
 父権=同一性=物質=自我の光から母権=差異=精神=自己(個)の光へと大転換したのである。
 これは、宇宙的相転移と言えよう。すべて超大変容すると言えよう。
 PS理論から言うと、media pointの極性の変化が起きたのだ。これまで、世界、地球は凸i⇒凹iであったが、それが、凹i⇒凸iへとらせん的に回帰したと考えられる。
 新しい母権的日霊の時代である。第三象限の時代である。新しい東洋・アジアの時代である。差異共振がキーワードとなる。
 太陽精神の夜明けである。復活の時代である。
 思うに、インスピレーションが第三象限からmedia pointを介して、大洪水のように送信されてきていると考えられる。そう、宝瓶宮(水瓶座)の時代である。天才の時代である。
 人類新生、大進化の時代が到来したのである。超越光の時代となったのである。
 

資料1:
ミトラ教とシュメール文化とエトルリア文化:日の神キリストの西洋父権化とPS理論的マニ教的日の神
テーマ:manichaeism: 哲学

ミトラの密儀/フランツ・ヴァレリ・マリ キュモン

¥3,262
amazon.co.jp

ミトラ教の古典的名著と翻訳者が呼ぶ本書を拾い読みしているが、ミトラ教についてよく知らなかったので、新鮮な、実に興味深い内容である。
 想起したのは、シュメール美術の円筒印章に描かれた牡牛とライオン鳥の図像である。前者を後者が食べるのであるが、前者は微笑んでいる。これは、明らかに、女神文化である。どうも、ミトラ教はシュメール女神文化と関係すると推測される。
 次に思ったのは、イタリアの先住民のエトルリア文化である。D. H. ロレンスが『エトルリアの地』で、エトルリアの墓地の壁画を分析しているが、そこに宇宙・自然的な陰陽的均衡文化を認めているのである。どうも、直観では、それにはミトラ教が影響していると思われるのである。
 そうすると、シュメール⇒イラン・インド⇒エトルリア⇒西方ミトラ教という図式が見えてくる。
 そして、ローマ帝国において、キリスト教と「覇権」を争ったのであるが、敗れたのである。結局、宇宙母権的要素が否定されて、父権的なキリスト教が勝利したことになる。言い換えると、東洋的要素が否定されて、西洋的父権的キリスト教の覇権が明確になったことである。
 私見では、キリストは母権的なのであるが、「父」がヤハウェなので、母権的要素が抑圧されたキリストの宗教が生まれたことになる。母権的キリストならば、第三象限になるが、父権的キリストだと第二象限に属すると考えられる。
 結局、ミトラ教がキリスト教に敗北したということは、東洋母権的宗教(霊的日輪宗教、大女神宗教)が西洋父権的宗教に取り込まれるように敗北しことを意味する。つまり、キリスト教は東洋的な日の神であるキリストを取り込んでいるのである。父主母従、西主東従になっているのである。
 ここで少しマニ教について触れると、それは、光の神としてのキリストを説いていると考えられる。つまり、ミトラ教の母権的キリストを発展的に継続する形でマニ教が生起したように思われる。しかし、マニ教もキリスト教、その他に滅ぼされたのである。
 その後、西欧において近代合理主義という唯物論が発達するが、そのとき、ルドルフ・シュタイナーのマニ教的霊学、D. H. ロレンスの独特なやや反動性をもった東洋的母権的身体的霊学が生まれたのである。
 結局、東洋母権宇宙的霊的日輪グノーシスを創造する衝動が現代世界にあると考えられる。
 そして、PS理論の創造がある。これは、明らかに、この人類史的精神の流れの帰結と考えられる。これは大マニ教、超マニ教と言うべき理論、グノーシスである。日の国で、日輪教の国でこれが生まれたのはある意味で必然である。東洋と西洋の合流点である日の国でこそ生まれるべくして生まれた理論である。
 今はここで留める。

http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11121426412.html


資料2:
スィームルグ †
Sīmurγ, Simurgh, Simurg, Semuru, Sīn bird

地域・文化:イラン、ゾロアスター教

 別名:セーンムルヴ(Sēnmurw, Sēnmurv)、セーノー・ムールーク(Sēnō mūrūk)、セーノー・ムールーウォ(Sēnō mūrūvo)、シーナムルー(Sīnamrū)など。
 アヴェスターでは、メレゴー・サエーノと呼ばれていた。

 中世ペルシア以降のイラン地域における、全ての鳥の王。長命。サエーナの木に棲んでいて、その木の実は全ての病気を癒やす力がある。しかしその木はダエーワたちによって切り倒され、枯れてしまった。そこで、スィームルグはアルブルス山に棲みついたといわれる。
 パフラヴィー語文献『ブンダヒシュン』などによると、スィームルグはどの鳥よりも巨大な存在であり、最初に創造された。ただ、それはこの世界のためではなく、この世界の鳥の王としてはカルシプト鳥が創造された。『マインヨー・イ・カルド』では、シーナムルー(スィームルグ)はあまりに巨大なため、とまっている樹は大迷惑であるという。この鳥が飛べば千の枝が折れて落ち、梢に止まればまた千の枝が壊れる。種はその大きな体の陰になってしまう。
 その姿は、アヴェスターによれば光輪に包まれている。また、『王書』には、子供を乗せるくらい大きく、人語を話し、英知を持っている、とある。また、全ての言葉も理解する。また、哲学者の様に議論することもあった。ササン朝時代のペルシアでは、犬の上半身に孔雀の下半身を持つ鳥の姿で表された*1 。2本の足はふさふさしているが、足の指は鳥のように3本ある。爪は出し入れできる。翼や尾は、燃え上がる炎のようになっていた。
 スィームルグは、英雄を乗せたり、爪で運んだりし、不思議な羽を渡すことがある。

関連項目 †

中央アジア/セムルグ 、../サエーナ鳥 、イスラーム、アラビア/アンカ 、../チャームローシュ 、西欧/キンナモルグス

キーワード/鳥

参考資料 - 資料/348 :; 資料/126 :


http://www.toroia.info/dict/index.php?%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%2F%E3%82%B9%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%82%B0


資料3:




イラン文化研究



大宇宙の三位一体 نهپروان گل و شمع :کاینات تریلژی

2008年5月に独自サイトに移行・強化しました。

http://www.shamogoloparvaneh.com/



文化・倫理・宗教 ―― نﻴد ،اخلاق ،فرهنگ Culture, Ethics, Religion

http://www.shamogoloparvaneh.com/farhang.html

スィームルグ文化 

ジャムシディ先生の講演 2009.08.08 Sat. 於大阪大学ペルシア語学科 第六回関西イラン研究会

「古代イラン神話の再発見-神話の近代的な解説の一試み- 」(日本語)

 -古代神話が現社会変革に役立つか?



http://www.shamogoloparvaneh.com/adabiyat.html

東條の論文: 下記の論文が掲載されています。

スィームルグ運動

「現代イランの新異教主義と現在のミトラ教 」 (日英)

Neo-Paganism of modern Iran and our Mithraism

歴史

「序論:東アジアにおけるスィームルグ文化とミトラ教」(英文) 2009.01.11 Sun.

An Introduction to the Simorghian Culture and Mithraism in the East Asia

「古代におけるイラン・日本の文化交流の歴史」

Part 1 Part 2-1 Part 2-2  (日英)

「禅とペルシア文化」(英文) 2010.04.19 Mon.

Zen Buddhism and Persian Culture

秘儀

「スィームルグの光の中の十牛図とローマ帝国のミトラの秘儀」(英文) 2009.02.01 Sun.

Ten Bull Pictures and Roman Mysteries of Mithta in the Light of Simorgh

神智学

「神智学:現代におけるスィームルグ文化の復活」(英文) 2009.02.01 Sun.

Theosophy: A Modern Revival of the Simorghian Culture

「明教・密教・東方神智学:その共通する存在論的図式」(英文) 2009.03.23 Mon.

Manichaeism, Esoteric Buddhism and Oriental Theosophy: Their Common Ontological Scheme

ミトラ教の秘教占星学

「ミトラの秘教占星術」(英文) 2009.10.18 Sun.

Mithra’s Esoteric Astrology





イラン文化の起源とアイデンティティー فرهنگ اصيل و هويت ايراني The root of Iranian culture & identities

スィームルグ協会 ――イラン Simorghian Society Ltd.

http://www.jamali.info/index.php

http://www.mahmag.org/philosophy.php

http://www.jamali-online.com/

http://www.farhang-asil-iran.com/

http://www.farhang-asil-iran.com/

    東條の論文も掲載されています。



http://homepage2.nifty.com/Mithra/HP_Mithraism_Links.html


ミトラ教天使七星教会.リンク集

資料4:
The Mother of the Minotaur


In mythology, the serpent or the bull are usually symbolic of the power that fecundates the earth. In the sacrifices of the bull in Mesopotamia, the death of the bull was giving life to the creatures of the earth. A terra-cotta plaque from ancient Sumer places the Moon-Bull at the center of this process, where it appears as the ever-dying, ever-living lunar bull, consumed through all time by the lion-headed solar eagle. The bull has its foot on the earth, and is thus linked directly to the earth. The symbol here seems to represent the plane of juncture of earth and heaven, who appear to be two but are in being one. As we know from ancient Sumerian myth, heaven (An) and the earth (Ki) were in the beginning a single, undivided mountain (Anki), of which the lower part (the earth) was female and the upper (heaven) male. But the two were separated (as Adam into Adam and Eve) by their son Enlil (in the Bible by their “creator” Yahweh), whereupon the world of temporality appeared. The state of the ultimate bull is invisibility, that is to say pitch black (which is the color of the bulls that were used in the Mesopotamian rites).



The enigmatically blissful, impassive expression of the bull on the terra-cotta plaque appears again on the masklike figure of the Indian symbolic form of the Dancing Shiva. Shiva holds a drum in his lifted right hand, the drumbeat of time, the beat of creation, while on the palm of his left is the fire of the knowledge of immortality by which the bondages of time are destroyed. Shiva is the Lord of Beasts; so too is the great Sumerian lord of death and rebirth Dumuzi-Tammuz-Adonis, whose animal is this beatific bull; so too is the Greek God Dionysus, known – like Shiva – as the Cosmic Dancer, who is both the bull torn apart and the lion tearing.



In the mythology of the god-king Pharaoh of Egypt, was called “the bull of his mother”. When dead within the mound of his tomb (the mound symbolic of the goddess), he was identified with Osiris begetting his son, and when alive, sitting on his throne (likewise symbolic of the goddess), he was the son of Osiris – Horus. These two, representing the whole mythic role of the dead yet reembodied King of the Universe, were in substance one. The cosmic cow-goddess Hathor (hat-hor: the house of Horus) stood upon the earth in such a way that her four legs were the pillars of the earth quarters and her belly was the firmament. The god Horus symbolized as a golden falcon, the sun, flying east to west, entered her mouth at the evening to be born again the next dawn. In this sense he was, in his night character, the “bull of his mother”, whereas by day – as a ruler of the world of light – he was a sharp-eyed bird of prey. Moreover, the animal of Osiris (the bull) was incarnate in the sacred Apis bull, which was ceremonially slain every twenty-five years – thus relieving the pharaoh himself of the obligation of a ritual regicide. (Ritual regicide was an integral part of ancient Sumerian and early Egyptian tradition.)



It may well be that the ritual game of the Cretan bull ring served the same function for the young god-kings of Crete. There are a number of representations of Cretan kings, and they always show a youth about twenty; there is none of an old man. So there may have been a regicide at the close of each Venus cycle. However, the prominence of the bull ring in the ritual art of Crete suggests that a ritual substitution may have been introduced at some time. In an old Cretan plaque there is the motive of a man-bull – a Minotaur – attacked by a man-lion. The analogy with the bull and lion-bird of Sumer seems clear. The lion as the animal of the blazing solar heat, slaying the bull as the animal of the moon by whose night dew the vegetation is restored. The matador with his sword, performing the same function as the lion-bird of Sumer, facing the bull in its role of the ever-dying, ever-living god: the lord of the goddess Earth (a role which in the classic Greek mythology was taken by Poseidon).



Cretan mythology has a preponderance of goddesses and female cult officiants, in contrast to the later Greek. The mythology of the Cretan world appears to represent an earlier stage of Bronze Age civilization than the kingly states of both Sumer and the Nile, which also sets them apart from these. It has a milder, gentler form, antecedent to the opening of the course of Eurasian history introduced by the wars and victory monuments of the self-interested kings. The invasions from the north and the east, with the Mycenaean heroic age of Agamemnon, Menelaus, Nestor and Odysseus, introduce the transition from the age of the goddess to the age of the warrior sons of god.

http://www.fredosor.com/the-consort-of-the-bull.html
Fredosor
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2011年11月28日 (13:48)

天皇制と母権制:二つの天皇制:三つの母権的民族とユダヤ民族的父権民族の衝突・対立としての古代日本

テーマ:二つの日本:父権的日本と母権的日本

以下、スロー人氏は、百済文化と天皇制の符合を示唆しているが、その問題をさておき、私が興味があるのは、既述したように、母権と父権の問題である。
 私見では、ツングース系民族は母権的である。だから、その天皇的文化は母権的である。母権的天皇文化である。(とは言え、天皇が女性であるというのではなく、母の子としての天皇であり、男性が天皇になると考えられる。これは母権神話では普通のことである。)
 また、既述したように、日本には三つの母権民族が存すると考えられる。縄文的母権(沖縄、アイヌ)、弥生的母権(中国南部)、そして、ツングース的遊牧民族的母権である。
 それに対して、ある父権的民族が参入(侵入?)して、古代日本が生まれたと考えている。
 飯山一郎氏は父権的民族を中国に存した見ているが、私が知る限り、父権的民族が中国へ到来したのは「史実」である。
 ここから私の推定であるが、この進入した父権的民族が記紀を編纂したのである。三つの母権民族の神話を父権的民族に都合いいように編集したと思われる。
 いわゆる、天孫降臨神話であるが、それは、ツングース系天皇神話をその父権的民族が都合いいように書き替えて、軍事的神話、軍政的神話にしたように思えるのである。
 私は日本民族は古代ギリシア民族に似たように形成されたと考えている。つまり、古代ギリシアはベース・基底に母権的民族があり、それに軍事的な父権的民族が進入して、母権的民族の神話をゼウス中心のギリシア神話に書き替えたと思っているのである。(そう、神話学者のジョゼフ・キャンベルに拠ると、ゼウスには母権的神話、女神的神話の要素が見られるのである。)
 繰り返すが、ツングース系天皇神話は母権的で平和的であったが、進入した父権民族がそれを軍事・軍政的なものにしたということになるのである。(だから、記紀をキャンベル的な差異的に解読する必要があるのである。)
 だから、思うに、記紀の好戦性が後の日本人の思考に影響して、日本人の性格の基底的な平和志向が捩じ曲げられて、虚勢的な好戦性をもったようになったのではないだろうか。
 問題は具体的にこの父権的民族、大陸的父権的民族とは何なのかである。以前は日ユ同祖論を作業仮説して、ユダヤ民族ではないかと提起した。
 それをここでも採用すると、三つの母権民族の混成である古代日本に父権的ユダヤ民族が進入して、古代ギリシアに相似した母権ベースの父権的民族である日本民族が誕生したということになる。
 そのとき、ユダヤ民族はツングース系母権天皇神話を、好戦的な父権的天皇神話に書き替えたと推量されるのである。
 これが、結局、天皇制といわれるものの起源である。言い換えると、二つの天皇制があるのである。母権的天皇制と父権的天皇制である。
 そして、現代の日本人、あるいは、これまでの日本人はこれを区別していない、又は、区別して来なかったと考えられるのである。
 さて、ここで明治維新を考えると、これまで述べてきたように、坂本龍馬らの母権的志向と尊王攘夷の父権的志向があり、後者が前者に勝利して、明治国家を形成したと考えられる。そのとき、当然、記紀の父権的好戦性、父権的天皇制が利用されて、母権的天皇制は否定されたと考えられるのである。
 そして、この父権的好戦的路線が近代日本の基軸になり、日本民族、日本文化を歪めて、世界大戦の大惨禍、そして、今日放射能汚染の亡国的大惨禍を舐め、またTPPによってもたらされると考えられる大惨禍を舐めると考えれるのである。
 もっとも、ユダヤ民族的なものがただ悪いものだけではない。日本人の知性(最近は怪しいが)は、おそらく、ユダヤ民族由来ではないだろうか。しかしながら、あまりに、父権主義に傾斜して、母胎・基盤の母権性を否定してきてしまったのである。(そう、父権的資本主義に傾斜してしまったのであり、新自由主義に毒される前にもっていた母権的資本主義を否定してしまったと言えよう。前者が同一性資本主義、利己的資本主義であり、後者が差異共振資本主義、共同体的資本主義である。)
 今日現代の超悲惨な日本国の様態を見るに、土台の母権文化に螺旋的に回帰する必要があると言えよう。それは、新母権的進化である。これしか、日本の命脈はないと言えよう。
 政治的には、日本母権民族党(日本母民党)、日本なでしこ党を創設することを意味する。
 母権の大地へと回帰する必要があるのである。

参照:

「悲しみの森」木と共存した女系文化だった日本とブータン


『世界的に珍しい森と女系制社会の日本』

ユーラシア大陸では洋の東西の違いが無く基本的に父系制社会なのですが、我が日本国は武士の世の中になった鎌倉時代でも女性にも同等な財産権があったように、世界的に珍しい女系制の残る社会だった。
戦国時代に来日した宣教師は故国とは大きく違う日本の女性の地位の高さに驚いていたのです。
男系社会では例外なく女性に厳格な貞節を要求する。豪華絢爛な結婚式なと婚姻制度も実に大袈裟なのですが女系社会ではそれ程拘らない。
ブータン国王夫妻が新婚旅行で日本を訪問して話題になっていましたが流石に王様は正式な結婚式をあげるが、一般の庶民層では結婚式はあげないで同棲に近い実質婚が主流である。
結婚が厳格だった封建制の男系文化と違い、女系日本の平安時代の妻問婚では矢張り結婚式の風習が無くて『結婚している』と周りが認める一夫多妻の実質婚。日本も昔はブータン状態だったのです。
ブータンでも一夫一婦の単婚が基本なのですが、なんと日本の平安時代的な一夫多妻だけではなくて今でもチベットなとと同じ一妻多夫も認めているのですから、なんとも大らかですね。

http://ameblo.jp/don1110/entry-11091473293.html

donのブログ

***********************

橋下氏が市長に選ばれ、大阪維新の会の松井一郎氏が府知事に選ばれた。日本史に衝撃が走るか?


ちょうど、天孫と自称する人々が天皇の血筋につながっているように。


 その頃を見ると、天孫を誇った種族が朝鮮半島にもいた。それがツングース系の扶余(プヨ)族であり、穢貊(イエメク)族であり、百済の王朝の血筋とされている。その百済が滅ぶのが660年と言われているが、このころ日本では中大兄皇子(後の天智天皇)らが蘇我入鹿を暗殺したのが「大化の改新」であり、それが646年のことだ。


 この天皇制の創生期、古墳などからの出土品には、仏像など多くが、半島から伝わったと思われるものが多い。国宝中の国宝ともいえる逸品、石上神宮(物部氏)の「七支刀」も百済が伝わったものらしい。


http://ameblo.jp/adco/entry-11091550858.html


スロー人ロハス

2011年04月08日 (00:57)

正に我が意を得たりだが:国学の一神教性:本居宣長と平田篤胤

テーマ:歴史と文化:古代日本とアジア母権複合文化

以下、Gun2氏の説明はきわめて興味深い。明治国家体制のイデオロギー基盤は国学にあるというのが持論であるからだ(国学以外には、封建的体質も当然考えるべきであるが、「近代日本」の優越妄想・狂信性の起源は国学的一神教性と見る方が的確である)。横井小楠、勝海舟、坂本龍馬、西郷隆盛らの開国派は母権主義であり、尊王攘夷の父権主義と対立していたのであり、その父権主義の基盤が国学であるのは見やすいことである。
 ただ、本居宣長に一神教性があったということは管見の為、初耳であった。
 私は作業仮説として、日ユ同祖論をとり、失われたイスラエルの十支族(あるいは、そのいくらか)が到来したと見ているが、その一神教性が潜在して、国学に顕在したという可能性もあるのである。
 勿論、母権文化の衰退、頽廃もそこに同時にあることを見るべきと考える。
 しかしながら、正確に言えば、江戸時代後期において、新しい母権主義の目覚めもあったと見なくてはならないだろう。
 つまり、旧い母権主義の衰退と同時に、一神教的父権主義の台頭と新母権主義の目覚めの両面が起ったと見るのが、史実に忠実なのではないだろうか。
 そう、単に父権主義の台頭だけではなく、今、私が唱える新母権主義もそこで始まっていたと見ると、日本史が変わるだろう。
 つまり、明治維新とは、新父権主義と新母権主義の絶対矛盾の衝突があり、前者が後者を駆逐していったのが、日本の「近代化」ということになる。
 そう、二つの「文化」、「民族」が平行しているのであり、父権主義の日本が母権主義の日本を支配しているのである。
 後で、整理したい。

追記:私は先に、母権制のベースに、父権制が「侵入」して、古代ギリシア的な二つの民族・文化の統合が古代日本にも生じたのではないかと述べた。これを仮に、両権制と呼んでおこう。
 その視点から言うと、両権制は、江戸時代中期以降、衰退して、いわば、解体分離し始めて、新たな父権主義、新たな母権主義が別々に勃興したのが、後期江戸時代と見ることができる。
 思うに、本来、両権制が基本であるから、明治維新は、新両権制になるべきであったが、国学且つ封建的父権主義勢力は、西欧近代の影響も受けて、原基の母権主義を駆逐していったのが、近代日本ということになる。
 正に、失われた母権制と両権制があるということになる。
 
***********************

本居宣長の国学

「そこで、遅ればせながら、ぼくは目下、この年になってこれまで遠ざけてきた江戸の国学について初歩のところから学び直している。


 そして、とても驚いたことが一つある。


 本居宣長こそ、江戸の国学の泰斗であると言えると思うが、彼が古事記などを通して解釈し直した天皇は、まさに一神教の神様としての天皇だったという事実である。


 日本は八百万の神々の国であるとこれまで当然のように思っていたが、そうではなく、近現代の日本を作り上げた精神的バックボーンは彼とともに一神教的解釈からスタートしたようなのである。」

http://ameblo.jp/adco/entry-10854337167.html


Gun2



国学(こくがく)は、日本 の江戸時代 中期に勃興した学問 で、蘭学 と並び江戸時代を代表する学問の一つである。和学・皇朝学・古学(古道 学)などの別名がある。


概要 [編集 ]

それまでの「四書五経 」をはじめとする儒教 の古典 や仏典 の研究 を中心とする学問傾向を批判し、日本独自の文化 ・思想 、精神世界を日本の古典や古代 史のなかに見出していこうとする学問である。

国学の方法論 は、国学者が批判の対象とした伊藤仁斎 の古義学 や荻生徂徠 の古文辞学 の方法から大きな影響を受けている。儒教道徳、仏教道徳などが人間らしい感情 を押し殺すことを否定し、人間 のありのままの感情の自然な表現を評価する。

江戸時代に形骸化した中世 歌学 を批判するかたちで現れた。木下勝俊 ・戸田茂睡 らに始まるこうした批判は、下河辺長流 ・契沖 の『万葉集 』研究に引き継がれた。特に後者の実証主義 的な姿勢は古典研究を高い学問水準に高めた事で高く評価されている。続いて伏見稲荷 の神官 であった荷田春満 が神道 や古典から古き日本の姿を追求しようとする「古道論」を唱えた。一部において矛盾 すら含んだ契沖と荷田春満の国学を体系化して学問として完成させたのが賀茂真淵 である。真淵は儒教的な考えを否定して『万葉集』に古い時代の日本人 の精神が含まれていると考えてその研究に生涯を捧げた。

真淵の門人 である本居宣長 は『古事記 』を研究して、古い時代の日本人 は神 と繋がっていたと主張して「もののあはれ 」の文学論を唱える一方で『古事記伝 』を完成させた。この時点で国学は既に大成の域にあった。また、盲目 の学者である塙保己一 は和学講談所 を設立し、国史の講義と史料編纂に従事。「群書類従」は日本の古書を編集・刊行したものである。宣長の古典の考証的研究を継承して、近世考証学派の大家 となった伴信友 も「比古婆衣」を著した。

その後宣長門人の平田篤胤 に至って宣長の持つ「古道論」を新たな神道 である「復古神道 」に発展させた。彼の思想は江戸時代後期の尊皇攘夷 思想 にも影響し、日本固有の文化を求めるため、日本の優越性を主張する国粋主義 や皇国史観 にも影響を与えた。平田篤胤の弟子 である経世家 の佐藤信淵 の著作『垂統秘録 』や『混同秘策 』等にはその傾向がよく現れている。

だが、真淵の門人であった村田春海 らのように契沖以来の実証主義的な古典研究を重視する立場から平田国学に否定的な学派もあり、その内情は複雑であった。実証主義的な国学は明治期 の小中村清矩 らの手によって近代 以降の国文学 の研究や国語学 、民俗学 の基礎 となった。
主な国学者 [編集 ]

* 国学の四大人(うし)
o 荷田春満 - 賀茂真淵 - 本居宣長 - 平田篤胤
* 契沖
o 今井似閑
o 安藤為章
o 海北若沖
* 本居春庭
* 本居大平
* 鈴木朖
* 権田直助
* 敷田年治
* 萩原広道
* 矢野玄道
* 平田鐵胤
* 常世長胤
* 塙保己一
* 富士谷成章
o 富士谷御杖
* 五十嵐篤好
* 拝郷蓮茵
* 千家俊信
* 谷川士清
* 東条義門
* 増田宗太郎
* 石塚龍麿

関連項目 [編集 ]

* 神仏分離
* 復古神道
* 古道
* 和方医学
* 蘭学
* 漢学
* 中国学
* 国語学者
* 国文学者
* 万葉学者

外部リンク [編集 ]

* 国学関連人物データベース[1] (國學院大學デジタルミュージアム)
* (百科事典)「The Kokugaku (Native Studies) School」 - スタンフォード哲学百科事典 にある「国学」についての項目。(英語)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AD%A6


日本人こそは“失われたイスラエル10支族だ”
と主張するユダヤ人言語学者
ヨセフ・アイデルバーグ

http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb412.html


天皇家と失われたイスラエル十支族  秦氏・日本とユダヤ文化
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失われたイスラエル10支族


日本の天皇家は、現存する皇室としては世界最古の歴史を持ち、日本建国から同じ血統をひく一族で、まさに天皇家は日本の歴史そのものといっても過言ではありません。 

日本書紀によれば、神武天皇が帝国を創建したのが紀元前660年ですが、この時代は古代イスラエル王国がソロモン王の死(BC928年)後、北イスラエル王国(10支族)と南ユダ王国(2支族)に分裂し、北イスラエル王国はBC722年にアッシリア帝国に滅ぼされ、10支族はイスラエルの地から連れさられ、以後行方不明(失われたイスラエル10支族)になります。 南ユダ王国はバビロニアに滅ぼされ、2支族はバビロニアに連れさられますが(バビロン捕囚)、ペルシャ帝国がバビロニアを滅ぼし、ユダ王国の2支族は故郷に戻る事が許されました。


イスラエル12支族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/260.html

http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1041.html
Renaissancejapan

本居宣長 - Wikipedia
本居 宣長(もとおり のりなが、1730年6月21日(享保15年5月7日) - 1801年11月5日(
享和 ...
生涯 - 思想 - 人物 - 作品

2011年03月25日 (00:20)

日本民族の問題:「二つの民族」説:母権的民族と父権的民族

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能

先にも触れたが、日本とは二つの民族が混在しているのではないだろうか。
 それは、母権的民族と父権的民族である。しかし、また、私は、日本とは、古代ギリシアと同じように、両者の「結合」によって成立したと思うのである。
 だから、母権的民族と父権的民族の統合としての日本民族である。 
 しかしながら、歴史の進展によって、後者の父権的民族が力をもつようになったのではないだろうか。それは、江戸時代以降である。
 しかし、明治維新は、何度も述べるように、母権的民族の業績であり、その後、父権的民族が牛耳ったのである。
 そして、今の国難は父権的民族の支配の帰結ではないかと思われるのである。
 では、日本の父権的民族とは何かと思うと、それは、日ユ同祖論におけるユダヤ民族の可能性が考えられるのである。
 私は仮定される日本のユダヤ民族を貶める考えはまったくない。返って、それが、日本民族の知性を促進したと思う。
 しかしながら、日本文化において、母権的民族と父権的民族の均衡においてこそ、真の日本的知(差異共振的知)、日本的文化が生まれたのであり、後者が支配的になり、前者を抑圧すると、「狂気」が始まるのではないだろうか。
 その表出が第2次世界大戦であり、今回の東日本大地震の対応(原発路線も含めて)である。
 完全に「一神教」化したとき、狂信・妄想となるのではないだろうか。
 因みに、ユダヤ教は複雑である。ヤハウェとエローヒーム(神の複数形:つまり、神々)の二つの神が旧約聖書に存するのである。

2010年10月14日 (00:01)

「神」とは何か:トランス・モダン神道へ向けて

今は余裕がないので、詳述できないので、一言言うと、私は今夏、実家の地元の田園地帯にある川沿いの神社に、サイクリングの途中、ふと赴き、ここには、「神」が存すると直感した。
 このように感じたのは初めてである。それまで、田んぼが広がる中を流れ、間近の海に注ぐ川の土手道をサイクリングするのは、おそらく、百回(二百回近いと思う)を越えて、毎回本神社の鎮守の森を見ていたし、何度も訪れた。確かに、清々しい場とは感じたが、「神」が存するとは思わなかった。しかし、今夏はここに「神」が、いわば、鎮座していると直感した。
 霊的気と言ってもいいだろう。それは確かに感じられたのである。おそらく、昔の人は霊的気(霊的気配)を感じて、神社を建立したのではないだろうか。あるいは、別の事情であったかもしれない。
 とまれ、木立に包まれた(鎮守の森)、清められた神社にたたずみ、確かに、「神」が存すると感じた。
 昔の人は、いわば、霊的息吹、霊的気配を感じて、尊崇したのだろう。それが、私見では、古神道である。
 それは、抽象、観念的なものではなく、直感的な実在である。そして、これが、日本的「宗教」であると思う。
 一神教の抽象的超越性ではなく、直感的超越性(追記:というか、直感的臨在性)があると言えよう。
 思うに、国家神道はこの民衆レベルの神道をナショナリズム化したのである。そして、狂信的戦争へ突き進み、敗戦。そして、神道が否定された。
 しかし、日本民族の精神の基は神道である。故に、戦後否定されても、危機的状況には、復活すると思われるのである。
 あえて言えば、神、神々が復帰しているのである。それに応える必要がある。神道日本の復活である。

神道
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神道
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神道 - 日本神話 - 神 - 神一覧
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表 ・話 ・編 ・歴

神道(しんとう、かんながらのみち)とは日本 の民俗的な信仰体系であり、日本固有の多神教 の宗教 である。
概要 [編集 ]

政治共同体としての「日本」が意識される遥か以前(かかる意識が国民レベルで醸成されるのは遥か後年の明治維新以降である。また少なくとも北海道や東北地方は天皇を戴く大和政権とは別の政治共同体を形成『つまり別の国』との実態及び意識が遥か後年まで維持されることとなる。)から現在日本領とされる各地においてなされてきたシャーマニズム的呪術が明治維新前までは仏教によって民衆に仏法を分かりやすい形で伝える形式としてかろうじて残された習俗形式であり、明治維新後は国民統合のイデオロギーとして用いるために「宗教」としての外形等が整備されることによって近代化させられた、現在まで残存する宗教 である。近代以前の神道は日本列島 に住む民族 の間の伝統的な民俗信仰 ・自然信仰 を基盤としたものであった。が豪族層による中央や地方の政治体制特に仏教と関連しながら徐々に変容を遂げることとなった。[1] [2] 。

神道には明確な教義や教典がなく[3] [4] 、『古事記 』、『日本書紀 』、『古語拾遺 』、『宣命 』といった「神典 」と称される古典を規範とする。森羅万象 に神 が宿ると考え、天津神・国津神 や祖霊 をまつり、祭祀 を重視する。浄明正直 (浄く明るく正しく直く)を徳目とする[3] 。他宗教と比べて現世 主義的であり、まつられるもの(神)とまつるもの(信奉者)との間の連体意識が強い、などといった特徴がみられる。

一説には、神道とは惟神の道(かんながらのみち)であり、「ただあるがままを生きる。この世には人智を超えた神々の計らいがあり、その中をただ自然に生きることこそ大切」とも言われるが、その根幹にあるものは森羅万象や祖霊、死者への畏敬の念である。古来、日本人は「人道 」に対する「神道」という、人道よりももっと高度な、善悪を超えた、宇宙や地球の法則のようなもの、人類も含めた「物・事の在り方」「道(みち)」をその精神の中心に置き、大事に伝承し、国民全体に普及させる努力を重ねて来ていた。それは、新嘗祭などの日本古来の伝統的な「祭事」にも表れている。

神道と仏教 の違いについては、神道は神話 に登場する神々のように、地縁 ・血縁 などで結ばれた共同体 (部族 や村 など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに個人の安心立命や魂 の救済 、国家鎮護 を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[1] 。

神道は日本国内で約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが、これは神社側の自己申告に基づく数字である。約85000の神社が登録されている。
分類 [編集 ]

神道は、

皇室神道
皇居内の宮中三殿 を中心とする皇室 の神道である[5] 。
神社神道
神社 を中心とし、氏子 ・崇敬者などによる組織によっておこなわれる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である[6] 。
教派神道 (神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験にもとづく宗教。他の神道とは少し性質が異なる。
古神道
「民間神道・民俗神道」や原始神道・縄文神道・古道 (中華文明の原始儒教も同意であるがここでは除く)とも呼ばれ、日本で古くから民間でおこなわれてきたものや、修験などの古神道と習合した密教 や仏教 、あるいは道教 の思想を取り入れた古神道などの信仰行事をいう。また、明治時代以降に古神道だけを取り出し、新たな宗派として設立されたものとしての復古神道 に分類できる。

に分類することができる。

今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指す。

また、何に重きを置くかによって、

* 社人神道 - 儀礼を中心とする
* 学派神道 - 教学を中心とする[5]

に分けられる。

なお、「国家神道 」は、特に近代(明治維新 より第二次世界大戦 終結まで)において国家の支援のもとにおこなわれた神道を指す名称である[7] 。教派神道の「『神道各派』から区別された神ながらの道はとくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は以前からそれを神社と呼ぶのが例[8] 」であり、第二次世界大戦前は、単に「神社」といえば、国家に管理された国家神道のものをさした。現在では政教分離 が進んで「神社」の語義が変化しており、国家神道を単に「神社」と称することはなくなった。但し、この様な国家神道の概念・語を、GHQ による創作・捏造とする説もある。現に、昭和26年にGHQの政策によって宗教法人法 が制定され、それによって殆どの神社は伊勢神宮 を中心とした神社本庁 傘下の宗教法人 の中に分類されてしまった経緯がある[9] 。

また、次のような分類もされる。

* 祭り型神道
o 宮中神道 - 宮中の祭祀
o 神社神道 - 通常の神社の祭祀
o 古神道 - 道祖神 ・田の神 ・山の神 ・竈神 など
o 陰陽道 系 - 土御門神道 ・いざなぎ流 など
* 教え型神道
o 学派神道
+ 復古神道 - 平田篤胤 ら
o 理論神道 - 伊勢神道 ・唯一神道 など
o 神仏習合 系 - 両部神道 ・山王一実神道 など
o 神儒一致系 - 儒家神道 ・理学神道 など
o 教派神道
+ 山岳信仰 系 - 実行教 ・御嶽教 など
+ 霊示系 - 黒住教 ・金光教 ・天理教 (正確には天理教は政府の弾圧を避けるために教派神道となり現在は諸派に分類されている)など
+ 伝統神道系 - 出雲大社教 ・神道修成派 など
+ 新思想系 - 大本 ・生長の家 ・白光真宏会 ・世界真光文明教団 ・崇教真光 ・ス光光波世界神団 ・神道天行居 など

由来と教義 [編集 ]

「神道」という言葉は中国の『易経 』や『晋書 』の中にみえるが[10] 、これらは「神(あや)しき道」という意味である。これは日本の神道観念とは性質が異なるものである。

日本における「神道」という言葉の初見は『日本書紀 』の用明天皇 の条にある「天皇信佛法尊神道」(天皇、仏法を信じ、神道を尊びたまふ)である。このように、外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった[11] [12] 。

中国では、信仰は「鬼道 」、「神道」、「真道 」、「聖道 」の4段階に進化すると考えられ、仏教は一番進んだ「聖道」にたっしていると信じられていた。一番下の段階が「鬼道 」で、『魏志倭人伝 』の中にもこの語が出てくる。次の段階が「神道」」(「神(あや)しき道」)である。すなわち、『易経 』や『晋書 』の中にみえる「神道」(「神(あや)しき道」)という語は、鬼道よりは進んでいるが、まだまだ劣っているという蔑称である。日本における「神道」は中国道教の「真道」「聖道」といった進化に対して保守的であり、「鬼」が蔑称文字とされても「祈祷」の字を代用するなど、他の宗教の原理主義に近い状態を維持していると言える。また国家神道時代においては聖道に近い状態であったとも言える。因みに、「[[祈り]」自体は、本来の日本語の意味では、「意乗り=意を乗せる」という意味である。現象や物事に対して「意乗り」を行う事によって、改善・改良の道筋を開いたり付けたりそこに気を入れたりすることを表す。

日本書紀では、用明天皇即位前紀に「天皇,仏法を信(う)けたまひ,神道を尊びたまふ」とあり,孝徳天皇即位前紀に「(天皇)仏法を尊び、神道を軽(あなず)りたまふ。生国魂社の樹を駒(き)りたまふ類、是なり。人と為(な)り、柔仁(めぐみ)ましまして儒を好みたまふ」とあり、これが日本に於ける「神道」の語の初出である。

解釈は多様であり、仏教や儒教に対して日本独自の宗教を神道とする説、祖先や自然に与えられた環境の保持発展を指して神道とする説、人道に対し天皇が君主として神として歩むべき覇道を指して神道とする説などがある。

明治20年(1887年)代になると、西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始める。明治30年(1897年)代には宗教学が本格的に導入され[13] 、学問上でも「神道」の語が確立した[14] 。

もともと、神道にはイエス・キリスト や釈迦 のようなカリスマ 的創唱者が存在しなかった[3] 。政権による土着の民俗信仰との支配的な祭政一致 がおこなわれた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神在随 事擧不為國」[15] だったからであるともいわれている。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったともいう。しかし、神道のような土着の民俗信仰と宗派宗教 の併存例は世界各地でみられるものであり、日本が特に珍しい例というわけではない。

実際には、仏教公伝 の当初から、廃仏派の物部氏 と崇仏派の蘇我氏 の間で抗争もあった。中世には、伊勢神道 をはじめとして、吉田神道 などの諸派が反本地垂迹説 など複雑な教理の大系をつくりあげてゆく[16] [17] 。近世後期には、平田篤胤 が、キリスト教の最後の審判 の観念の影響を受けた幽明審判思想 や、アメノミナカヌシ を創造神 とする単一神教 的な観念を展開するなど近代に連なる教理の展開を遂げた。近世に大きく発展した儒家神道 はしだいに大衆に支持基盤を得て尊王攘夷 思想を広め、討幕の国民的原理ともなっていった。

近代には神道事務局祭神論争 という熾烈な教理闘争もあったが、結局は、政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識して、大日本帝国憲法 でも信教の自由 を認めせざるを得なかった[18] 。もっとも、それには欧米列強に対して日本が近代国家であることをあきらかにしなければならないという事情もあった。神社神道 では教義を明確に統一できないことに由来する神道の「掴みにくさ」は、同時に、言語に強く依存した外来の諸宗教に完全には吸収同化されない、身体感覚を重視した遠い昔からの所作の現われとして現代日本社会にもなお受け継がれている。この結果、仏教や儒教 、キリスト教などの受容後も、神道的なものが日本人の精神生活に幅広く残った。これらを俯瞰すると、抱擁的側面は出雲が有し、社会制御的側面を伊勢が受け持ったともいえる。
神道における「神」 [編集 ]

神道は多神教 だが、祖霊崇拝 性が強いため、古いものほど尊ばれる。1881年 の神道事務局祭神論争 における明治天皇 の裁決によって伊勢派 が勝利し、天照大神 が最高の神格を得たが、敗北した出雲派 的なものが未だに強く残っていたり、氏神 信仰などの地域性の強いものも多い。

気象、地理地形に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める。いわゆる「八百万の神々 」である。この点はアイヌ の宗教にも共通する。詳細は神道における神 を参照のこと。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神 )。

自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然 の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節して行き、人民生活を見回って、生活する為の知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りた時や何かやって貰った時などには少しお礼をしたり。それが、日本の「神(かみ)」がやっていた仕事の一つである。一説には、「神」は「上(かみ)」に通じ、上の方にいる存在を指すといも言われている。日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった。たまに悪戯をする存在も在ったが、概して日本の「神」は善神で、人々を迫害・束縛したりする邪神は存在していなかった。その後、社会の上層部で活動し、国民や国にとって貢献した人物なども、「神」として神社に祭られたりして来ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93

2010年09月13日 (18:32)

白サギと白鳥:アステカと飛鳥(明日香)

テーマ:日本伝統文化:神話・宗教祭礼・民俗・芸能

エジプト神話のトート神は、白サギである。そして、知恵の神であり、ギリシア神話のヘルメス神が呼応する。
 そして、アステカの神のケツァルコアトル(羽毛の蛇)とは、鳥と蛇の融合したものであり、トート神やヘルメス神に相当する。日本では、猿田彦、道祖神、塞の神等に相当する。
 だから、アステカの原郷がアストラン(白サギの地)であるというのは、日本の鳥(白鳥)伝説との連関を想定することが可能である。
 作業仮説として、なにか、(超)古代の東洋、アジア(アフリカを含めて)に共通した文化、つまり、「普遍的な」多神教文化があったと考えられるのである。後で、整理したい。

追記:当然、環太平洋地域も入れなくてはならない。以上の発想は実は、D.H.ロレンスの『エトルリアの地』で述べられていたことである。ロレンスは、青銅器文化を念頭において、汎地球的多神教文化を想定していたのである。
 一神教文明は物質文明を形成したが、結果、精神文化の喪失をもたらしたのである。トランス・モダンとは、失われた多神教文化・文明を現代的に復興することを意味するだろう。それは、ロレンスが構想していたことである。欧米の科学と喪失された先住民の精神文化を融合させることを構想していたのである。それは、正に、トランス・モダンである。古代と未来が結合するのである。
 だから、先住民文化に感染しているアメリカとアジアが今日、重要なのである。欧米のサイエンスと古代先住民精神文化との融合が今日、未来的な文化・文明的課題である。
 それに対して、現代日本は世界の動きから、取り残されている。オバマ大統領はこのトランス・モダンの大潮流の中にあるのである。ヨーロッパ、東アジアも南アジアも覚醒しつつあるのである。
 日本は大堕落である。滅亡の可能性が高い。

**************************

先住民の物語・アステカの滅亡 >

ほそく
 アステカ族 は中央高原地帯に進出する前は、北の方のアストラン(白サギの地)というところに住んで、原始的な農業と漁猟で生活していた小部族(せいぜい5000人か)であった。ここからアステカ族と呼ばれるのだが、メシカ族と呼ぶほうがもっと適切である。アストランは今もって確認されないが、ナヤリ州のメスカルティタンであろうという説が有力。

 彼らはオポチトリ(左ぎっちょ)のウイチルトンというリーダーに率いられて、2世紀に及ぶ長い遍歴の旅に出る。途中でこのウイチルトンが死に、ウイチロポチトリという神(アステカ族の主神) になったという。もっとも、最初からウイチロポチトリの託宣で出発したのだろうという説もある。
http://www.news.janjan.jp/column/0803/0803190155/1.php


明日香(あすか)と飛鳥(あすか) あすかの由来(ゆらい)

◆鳥 説(とりせつ)
古代(こだい)においては、年号(ねんごう)等(とう)に白雉(はくち)、朱鳥(しゅちょう)、白鳳(はくほう)と用(もち)いられているように、鳥(とり)はしばしば瑞兆(ずいちょう)として尊(とうと)ばれた。
アスカの音(おん)はイスカという鳥(とり)の名前(なまえ)から転(てん)じたとする説(せつ)。
http://www.asukamura.jp/kids/yomoyama/asuka.html



そこには、10人程のアマチアカメラマンがいた。全員60過ぎで 口径10cm以上、長さ60cmぐらいの数百万円

クラスの望遠レンズのカメラを持っていた。狙っているのは、「イスカ」だそうだ。


Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation


人それぞれ、色んな好き者がいます。



     世界の鳥の中で、クチバシが≪交差≫しているのは、イスカだけ。なぜ

交差しているかというと、まつぼっくりの隙間にクチバシを入れ、

     種をねじりとるためです。上のクチバシが、右になるものと左になる

     ものがいます。イスカが,アスカ(飛鳥)の語源という説もあります。

      鳴き声が聞きたい人は、ここ をクリック


          イスカ      
http://man884a.web.fc2.com/kagai102.html

▲■課外授業へようこそ■●


アスカ(飛鳥)の語源について(アルタイ諸語との関わりから)
そこで、わたくしはアルタイ諸語のうちツングース・マンシュー語に、これに関わる一連の語彙があるように思う。それはマンシュー語の‘asxa’(wing 鳥の翼,fin 魚のぴれ)である。(注10)ツングース系では、エベンキー語で‘asaqa’、ネギダリ語で‘asaxiオロチ語‘asi、オロク語‘xasa’、ソロン語で‘asara’、エベン語 asaqan などである。(注11)
なお、関連しては、detxe(feather羽),‘funala’(feather 烏の羽根、一本一毛の羽),また‘esixe’(scale,fishscale 鱗),‘sasq’(鳥の名 ささげ,仁徳天皇の御名はオホサザキノスメラミコト),‘sivaq‐n’(燕 つばくろ)‘um xan banjma’(卵を産む, むす)。 これについては、河内地方における鳳:、羽曳野など多くの地名や白鳥伝説など深い関係を示している。このようにして、われわれにはアスカに「飛ぶ鳥」が当てられたと考えることができる。
http://www4.osk.3web.ne.jp/~nishida5/nisida/dousyu/ronbun/d2_14.htm

2010年09月08日 (19:05)

道祖神、猿田彦、塞の神、賽の河原:Media Pointの神話的表現

猿田彦=道祖神=塞の神=トート神=ヘルメス神=ケツァルコアトル=・・・

ではないだろうか。
 これは、Media Pointを表現していると考えられる。境界の神である。『「塞の神」は「賽の神」とも表現された。サイコロの“賽”だ。』 塞は境界であり、賽も境界ではないだろうか。賽の河原はこの世とあの世の境界の三途の川の河原であるから、そうだと思う。
 思うに、あの世は凹i⇒-1ではないだろうか。

追記:ヘルメス神が商業の神、また、泥棒の神であるのは、Media Point を考えれば、正にぴったし、一致するのである。Kaisetsu氏が説くように、売買とは価値衝突、あるいは、差異衝突なのである。
 強奪も「商売」なのである。欧米の植民地主義はこの観点から見るべきである。
 思うに、「商売」を一般に見下している。これは、生存の根幹である。そう、神とは商売神である。

追記2:因みに、小沢一郎は双子座であり、これは、水星が支配星であり、水星とは、ヘルメス神である。
 

* 奈良の神社話その六 氏子をかけた大博奕の行方──奈良市・猿田彦神社(道祖神) [photo]

 日本の神様は、ときに人間的な一面を見せる。町家が立ち並ぶならまちには、「神様同士で博奕を打った」という実に人間臭い話が伝えられている。  対峙したのは、今御門町の道祖神と薬師堂町の御霊様。軍配は御...
リアルライブ - 2010/9/7 18:11


岐の神
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岐の神(ちまたのかみ)または辻の神(つじのかみ)とは、日本 の民間信仰 において、疫病・災害などをもたらす悪神・悪霊が聚落に入るのを防ぐとされる神 である。

岐(ちまた、巷とも書く)または辻(つじ)とは、道路 が分岐・交叉する場所のことである。このような場所は、人だけでなく神も往来する場所と考えられた。神の中には悪神・悪霊もおり、これらの侵入を防ぐために祀られたのが岐の神である。このことから塞の神(さえのかみ)とも呼ばれる。

神話 の中では、『古事記 』の神産み の段において、黄泉 から帰還したイザナギ が禊 をする際、脱ぎ捨てた褌 から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀 』や『古語拾遺 』ではサルタヒコ と同神としている。また、『古事記伝 』では『延喜式 』「道饗祭祝詞」の八衢比古(やちまたひこ)、八衢比売(やちまたひめ)と同神であるとしている。

『日本書紀』では、泉津平坂(よもつひらさか)で、イザナミ から逃げるイザナギが「これ以上は来るな」と言って投げた杖から岐神(ふなどのかみ)、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとしている。『古事記』でも、上述のイザナギの禊の場面で、最初に投げた杖 から衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)が化生している。

後に、中国から伝来した道路の神である道祖神 と習合した。そこから、道祖神もサルタヒコと同一視されるようになった。また、仏教 の地蔵菩薩 とも同一視された。
関連項目 [編集 ]

* 日本の神の一覧

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%90%E3%81%AE%E7%A5%9E 」より作成
カテゴリ : 日本の神 | 道祖神 | 魔よけ

結界

結界(けっかい、Skt :Siimaabandha)とは、聖 なる領域と俗 なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ること。本来は仏教用語 であるが、古神道や神道 における神社 なども、同様の概念があることから、言葉として用いられているが、大和語としては端境やたんに境ともいう。

・・・・・

神道・古神道 [編集 ]

古神道 である神籬 (ひもろぎ)や磐座 (いわくら)信仰は、神の依り代 であるとともに、その鎮守の森 や森林や山や海や川や岩や木などは、禁足地 である場所も多く、神域 や常世 と現世 の端境を示し、結界としての役割も果たしている。神籬の「籬」は、垣の意味であり、磐座は磐境ともいい境を意味する。この考え方が積極的に用いられ、古来より郊外の集落 の境や辻 などに配置された道祖神 、庚申塔 、祠 などの石仏は、災厄を集落に入れないようにするための、結界の役割をしていたともいわれる。

神道 においても、結界は神社などでも用いられ、たとえば境界線を示すために、神社 ・寺院 などの境内や建築物では意図的に段差を設けたり、扉 や柵 、鳥居 や注連縄 などを用いる。一般の家庭などでも、注連縄飾りや節分の鰯の干物なども結界である。

古神道や神道において、一定範囲の空間に設定されたタブー (禁足)を視覚化したものとも言え、それは聖なる領域(常世)と俗なる領域(現世)という二つの世「界」を「結」びつける役割をも持つ。



塞の神における兄妹相姦についての記号論的考察


概 要

村落のはずれの路傍に祭られている塞の神(道祖神)には、(1)境界守護の神という性格と(2)夫婦和合の神という2つの異質な性格がある。この第二の性格によって、塞の神は、しばしば陽石、陰陽石、さらには男女二体の夫婦の石像によって表される。ところが、その石像の男女はしばしば兄妹婚の夫婦であるとされている。これは何故であろうか。一般にはその由来をイザナギ・イザナミ神話に求めるが、これには賛同しがたいことを示した上で、我が国を含め東南アジアの水田稲作地帯に広がる兄妹婚肯定の空気が、その背景として存在することを指摘し、さらに、我が国古代では異母兄妹婚は通例のことであり、同母兄妹婚も強い禁忌ではなかったことを見てゆく。その上で、「いもせ」という言葉が、(1)兄妹(姉弟)(2)夫婦の2つの意味を持っていることが教えるように、兄妹と夫婦とは、もともとは区分されることのない同一の概念であったが、後に両者の間に区分線が引かれて、それぞれ別の概念とされた時、その境界線上にあるものが兄妹婚であることを見る。他方、塞の神は村落の内と外との境界に置かれるものである。この境界領域の事象ということにおいて両者は一致する。かくて、塞の神が兄妹婚の夫婦とされるのはこのためと考えられることを論ずる。記号論は連続したものを記号によって不連続に区分した時に生ずる境界領域には、神聖さと不吉さが備わるという。村落の境界と兄妹婚は、その属性においても一致することを述べる。
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/other-folk/sainokami.htm

歴史と民俗の森の中で

2009年10月24日 (23:21)

茶臼山古墳の朱は太陽信仰の証し:太陽女神の子(大王おおきみ)の復活・再生信仰:折口信夫の世界

テーマ:折口信夫『死者の書』

赤い石室 水銀朱200キロ - 隠れる部分も彩色【桜井・茶臼山古墳】

2009年10月23日 奈良新聞

推定200キロもの水銀朱が用いられていた竪穴式石室=22日、桜井市外山の桜井茶臼山古墳(代表撮影)


 古墳時代前期(3世紀末~4世紀初め)に造られた大王墓級の大型前方後円墳・桜井茶臼山古墳(桜井市外山、全長200 メートル)の発掘調査で、県立橿原考古学研究所は22日、明らかになった竪穴式石室の全容を発表した。赤く彩られた石室の壁体や天井石には少なくとも約 200キロの水銀朱を使用。石材の見えない部分にまで朱が施され、大王の墓にふさわしい丁寧な造りだったことが分かった。

 昭和24年以来60年ぶりの石室調査。8月に始まり、今月4日には長さ4.89メートルの遺存木棺の運び出し、基底部の構造も判明した

 石室は南北6.75メートル、北端幅1.27メートル、高さ1.71メートル。開口部をすぼめず、壁になる割石を垂直に積み上げているのが特徴。12枚もの巨大な天井石を調達し、運ばせることができた権力者の埋葬をうかがわせる。

 墓壙(ぼこう)底の中央に基台を設け、上面は板石を敷き詰めていた。棺を支える土の層は厚み最大18センチで、通常は粘土が使われることが多いが、赤っぽい特製の土だった。

 石室一面の赤色は化学的分析で硫化水銀と判明。表面積に厚みと比重をかけて算出した推定重量は、多量の水銀朱の出土で知られる大和天神山古墳(天理市)の42キロの約5倍。壁体となる石の一つ一つの全面に朱が塗られるなど極めて丁寧な造りだった。石室以外にはベンガラ (酸化鉄顔料)も使われていた。

 朱の意味について、橿考研の菅谷文則所長は「再生への願いと死者への怖れをもって鎮魂する両方があったのだろう」と話している。

 現地見学会は29~31日の3日間、午前10時~午後3時。JR・近鉄桜井駅から徒歩15分。駐車場はない。雨天中止。問い合わせは橿考研、電話0744(24)1101。
http://www.nara-np.co.jp/20091023102241.html


石室の大量の水銀朱は権力の象徴 桜井茶臼山古墳で確認

10月22日20時13分配信 産経新聞
石室の大量の水銀朱は権力の象徴 桜井茶臼山古墳で確認

 初期大和政権の大王クラスの墓とされる前方後円墳、奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(全長約200メートル、3世紀末-4世紀初め)で、被葬者を納めた竪穴式石室の全面が大量の水銀朱で赤く塗られていることが分かり、県立橿原考古学研究所が22日、発表した。水銀朱の総重量は約200キロと推定され、国内の古墳で確認された量としては最多。

 水銀朱は当時、不老不死の薬ともされており、研究所は「貴重な水銀朱を大量に使って、権力の大きさを示したのでは」としている。

 竪穴式石室は長さ6・75メートル、幅約1・2メートル、高さ約1・6メートルと判明。内部には、木棺(長さ4・9メートル、幅75センチ)の底板がほぼ当時の状態で残っていた。石室の壁は、一辺50~60センチ大の板状の石材数千枚を積み上げて構築。石材のほぼ全面に水銀朱が塗られていた。水銀朱は、大和(奈良県)で多産した辰砂(しんしゃ)という硫化水銀の鉱物を粉状にすりつぶして水に溶かしたのち、石材に塗ったとみられる。

 国内の古墳で使われた水銀朱はこれまで、大和天神山古墳(奈良県天理市)で確認された42キロが最多とされていた。

 桜井茶臼山古墳は昭和24~25年に発掘調査されているが、研究所が石室構造などの解明を目指し再調査していた。

 現地見学会は29~31日の連日午前10時~午後3時に行われる。

 古代の人々はなぜ「赤」にこだわったのか。「死者の魂をよみがえらせる」「権力の象徴だった」-。研究者たちは、王者の眠る神聖な空間にさまざまな思いをはせた。

 桜井茶臼山古墳が築かれた時代に中国で流行した神仙思想についての解説書「抱朴子(ほうぼくし)」(317年成立)には、「丹」(=水銀朱)について「飲めば不老不死の仙人になれる」と記されている。

 森浩一・同志社大名誉教授(考古学)は「純度の高い水銀朱が使われており、不老不死を強く願った被葬者の姿がうかがえる」と指摘。河上邦彦・神戸山手大教授(考古学)も「血の色を思わせる水銀朱によって、死者の再生を願ったのではないか」と推測した。

 一方「抱朴子」には「仙薬(仙人になるための薬)のうち、最上のものは丹砂(=水銀朱)。次は黄金」と記載。和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授(古代史)は「金よりも貴重とされた水銀朱が、200キロも使われていたとは」と驚く。

 和田教授によると、水銀朱の産地候補の一つは奈良県宇陀市付近。この一帯は、昭和後期まで水銀を採掘する鉱山が点在した国内有数の辰砂の産地で、桜井茶臼山古墳やこれまで最多の出土量とされていた大和天神山古墳とも近く、和田教授は「大和政権の成立を考える上で水銀朱は重要な要素になるだろう」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091022-00000602-san-soci

木棺はコウヤマキ製、やはり大王を埋葬 奈良・桜井茶臼山古墳

初期大和政権の大王クラスの前方後円墳で、被葬者の魂を守る「玉垣跡」とみられる柱穴列(はしらあなれつ)が見つかった奈良県 桜井市の桜井茶臼山古墳(全長200メートル、3世紀末~4世紀初め)で、遺体を安置した木棺が、大型古墳で用いられるコウヤマキの木で作られていたことが13日、県立橿原考古学研究所の調査で分かった。昭和24年の調査で「トガの巨木」と鑑定されたがコウヤマキと判明。約60年ぶりに「真実」が突きとめられた。

 同研究所が、木棺を納めた竪穴式石室周辺を発掘したところ、長さ数センチの木の破片100点以上が出土。木棺の一部とみられ、顕微鏡で詳細に観察した結果、細胞の形などからコウヤマキと特定した。

 竪穴式石室は、24年の調査によって、長さ6・8メートル、幅1・3メートル、深さ1・6メートルの規模と判明し、木棺の底板が長さ5・2メートル、幅70センチ分見つかった。当時の分析では、マツ科の針葉樹「トガ」と鑑定されていた。

 古墳の木棺は通常、石室内に流入する土砂などによって腐食して残らないことが多いが、初期大和政権中枢部に築かれた前方後円墳の大和天神山古墳(同県天理市、全長103メートル)や前方後方墳の下池山古墳(同、全長120メートル)などでは木棺が残っており、いずれもコウヤマキ製だった。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/265817/


参照:
『朱色は太陽の色、太陽信仰(神道)を意味し、大王は太陽(女神)の子:大女神信仰:イシスとオシリス』

朱一色、大王の石室が一般公開へ 60年ぶり発掘

 初期大和政権の大王墓とされる奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀前半、全長200メートル)で、全面を朱で彩った石室が約60年ぶりに確認され、県立橿原考古学研究所が22日、公開した。

 貴重な顔料の水銀朱をふんだんに使い、四方の壁は板状に加工した石1千枚以上を整然と積み上げて構築。強大な力を誇った王の威容を示し、初期大和政権の成立を考える第一級の史料。

http://ameblo.jp/renshi/entry-10370807891.html

『大和の朱色 60年ぶり  桜井茶臼山古墳を再発掘』

水銀朱であるが、それは魔よけに使われたという以前に、朱は太陽の色、つまり、太陽神の色であり、大女神を意味したと考えられる。そして大王は大女神の子であり、朱で染めることで、復活を意味していると考えられる。イエスも本来、このパターンであるが、大女神を「父」が簒奪しているのである。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10371254280.html

2009年06月11日 (21:08)

検討問題:同一性的父権制(一神教)と差異的父権制(ゾロアスター教、神道?)

私の頭の中は今、さまざまな神話で渦巻いているが、余裕がないで、詳述できない。簡単にポイントを述べよう。
 私はこれまで、父権制を批判して、母権制を肯定してきたが、ゾロアスター教の、いわば、母権的父権制が考えられるので、これまでの考えを訂正しないといけないと思っている。
 もっとも、これまで、ギリシア神話における母権制と父権制の闘争を述べ、両者の調和をギリシア神話は志向しているということは示唆した。
 私は日本書紀におけるアマテラス(又は日の神)とスサノオの争いに興味がある。これは、実に微妙なのである。私はアマテラスは、ギリシア神話のアテナイ女神と同質のものではないのかふと思ったのである。アテナイ女神とはゼウスの頭から生まれた女神(処女神)である。これは、母権と父権の統合のように思えるのである。
 そうならば、アマテラスとスサノオの戦いとは、新しい父権的母権と旧来の母権との戦いかもしれない。
 思うに、母権制は精神性を失い、物質化したのかもしれない。それに対して、新しい父権的母権が古い母権と戦っているのかもしれない。それは、『ギルガメシュ叙事詩』のイシュタル(大女神)とギルガメシュの闘争に見られることと同質かもしれない。(Kaisetsu氏が以下に提起されていることは実に興味深いのであり、日を改めて検討したいと思う。)
 とまれ、これまで、私は父権主義から物質主義が生まれたと考えてきたが、父権主義からも生まれるが、母権主義から生まれると思われるのである。つまり、⇒+1の+1は、実は、母権的共振性の帰結と見ることができるからである。
 それに対して、父権制は、否定して、-1を生むのである。しかし、これは、確かに、知性ではあるが、陰-iの否定であり、不十分なのである。
 思うに、-iを肯定して、新たに、差異共振性を生まれるのではないだろうか。すると、i*i*i⇒-iとなる。これが、トランス・モダンではないのか。
 今は思いつきを述べるだけであり、ここで留める。

追記:思うに、悪神であるが、これは、物質主義、同一性主義を意味する。これは、基本的には、母権社会では生じない。何故なら、母権社会は、差異共振文化であるからである。しかるに、⇒+1から+1へと転換する時代がくる。これが父権社会である。貨幣経済、国家の発生、自我の発生、文字の形成等があるだろう。
 「わたし」と物質が結びつくのである。差異共振性を否定する同一性主義が発生しているのである。これは、端的に、父権文化によるのである。
 では、絶対的善、善神はどう形成されるだろうか。絶対的善は、やはり、Media Pointと虚軸において発するだろう。言い換えると、超越性である。そして、善神は、+1を否定する-1ということだろう。
 ここでヒンドゥー教を考えると、ヴィシュヌが、絶対的善に当たるだろう。そして、ヴィシュヌの化身が-1ではないだろうか。そして、悪神は当然、+1である。ブラフマンはMedia Pointだろうか。
 また、シヴァ神であるが、それは、ブラフマンから生まれたということで、Media Pointから生まれる差異共振エネルギーではないだろうか。これは、創造であり、また、破壊の力となるだろうか。
 悪神が→ならば、善神は←であろう。そして、これが、シヴァ神ではないか。後で整理したい。


参考:
事記(日本書紀)の「天照大神と建速須佐之男命」の神話は、まさに、ゾロアスター神話だ。
http://blog.kaisetsu.org/?eid=754998
『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu

2007年08月05日 (15:10)

宗教の次元:虚界とMedia Pointのエネルゲイアと現象界:又、エネルゲイアの二重性について

先に、宗教の次元は、虚界であると言ったが、それは、不正確である。旧約聖書やギリシア神話や古事記を見ればすぐわかるように、「神」はエネルゲイア的存在でもある。だから、「神」は、根源的には、虚界の次元にあるが、活動態としてのMedia Pointに存していると言わなくてはならない。
 東方キリスト教会では、神のエネルゲイアのことを特に言うが、それは、以上の面から言えば、適切である。おそらく、すべての宗教において、神の二重性さらには、三重性があるのではないかと思う。二重性は、虚界とMedia Pointであり、三重性はそれに実界を加えたものである。三位一体という考えは、問題があるが、三元性は正しいと思う。
 エジプト神話で言えば、イシス、オシリス、ホルスの三元性であり、古事記では、天照、月読み、スサノオである。(p.s. もう一つ、天之御中主神、高皇産霊神、神産霊神の三重性があるが、これは、少し、解釈が違う。第一の神が虚界であり、第二、第三の神がエネルエイアで、そして、第四に日御子が存するのではないだろうか。だから、ここでも、三元性は保持されているが。)
 キリスト教は、思うに、父/エネルゲイア/子の三元性になるのではないだろうか。聖母マリアや聖霊はエネルゲイアに含まれるだろう。イスラム教は、アッラー/エネルゲイア/預言者であろうか。天使は、当然、エネルゲイアに含まれる。仏教の場合、無(涅槃)/空/色ではないだろうか。
 以上から、宗教や神話は、PS理論の三元性によって、共通普遍のマトリクスを与えられることになるだろう。
 因みに、ニーチェの有名なアポロとディオニュソスの二重性について考えると、これは、ゼウスという虚界における二重性であり、それが、エネルゲイアの次元を発現させるのかもしれない。ということは、虚界の即非二重性とは別に、エネルゲイア=Media Pointの二重性が存するということではないだろうか。これは、極性、太極性ではないだろうか。二重螺旋は、このエネルゲイア=Media Pointのイメージ・ヴィジョンではないだろうか。私は、中国神話の女媧と伏儀の二重螺旋像を想起しているのである。
 では、ここで仮定されたエネルゲイア=Media Pointの二重性・極性はどう理論的に説明できるだろうか。これは、実に簡単に説明できる、ほとんど自明であろう。つまり、虚界における即非的二重性これは、デュナミス=ポテンシャル・エネルギーとしての二重性が、動的に展開したものがエネルゲイア=Media Pointであるから当然、二重性を帯びるということでいいのではないだろうか。
 これは、物理学で言えば、電子の極性、磁気の極性等を意味していると考えていいだろう。
 とまれ、虚界的二重性からエネルゲイアの二重性への変換はとても重要であるので、ここで緻密に検討したい。
 換言すると、i*(-i)⇒+1における⇒において発生すると考えられる極性をどう見るのかということである。端的に言って、ここは、量子の二重性(粒子と波動の相補性)を考えればいいのではないだろうか。つまり、連続性と不連続性の相補性が発現しているのではないだろうか。波動は連続性であり、粒子は不連続性である。
 しかしながら、±の極性が当然考えられるので、一筋縄ではいかない。ここで、作業仮説というか、思考実験して、iが+の微粒子となり、-iが-の微粒子になるとしよう。そして、これらが、連続化して、波動となる。しかしながら、不連続性も残っているので、±の極性をもつ微粒子が生起しているのである。これが、エネルゲイア=Media Pointの二重性の様態ではないだろうか。これは、太極性(対極性、陰陽性)ではないだろうか。
 ならば、二重螺旋の形状はどう説明されるのか。これは、明日野氏が解明したように、オイラーの公理の微分による1/4回転の事象によって説明できるのではないだろうか。微分は連続性を前提としている。これは、虚界の連続性を意味するのではないだろうか。とまれ、1/4回転によって、連続的極性、±1が発生するのではないだろうか。これは、±1の微粒子であり、波動であるということではないだろか。そして、ここには、時間の経過があるのだろうか。時間軸での移動がある。そして、新たな1/4回転が発生して、おそらく、消滅する。そして、新たな1/4回転で、±1の微粒子/波動が発生する。これは、正確ではないが、時間軸の移動があるから、螺旋に似た形状になるのかもしれない。
 ということなので、時間軸をガウス平面に直交させたZ軸としてもいいのかもしれない。
 とまれ、整理すると、虚界における即非性があるが、それは、連続性と不連続性との一致であり、デュナミスの様態である。これが、Media Point化するときに、エネルゲイア化して、連続性と不連続性が力動化する。極性をもった微粒子/波動の二重性・相補性が生起して、時間の経過によって、二重螺旋的形状を発現させるということではないだろうか。
 神話で言えば、エネルゲイアとしてのイシス/オシリスの極性、アポロ/ディオニュソスの極性、天照/月読み(又は、スサノヲ)の極性があるだろう。一神教で言うとどうなのだろう。天/地ないし光/闇の極性だろうか。
 以上から、エネルゲイアの二重性とは、極性であると同時に、連続性と不連続性の二重性であるというさらに二重性であることになる。これを、端的に、即非性と言っていいのかもしれない。つまり、エネルゲイアの即非性ということになる。そうすると、虚界の即非性とどう異なるのかということになる。どうも、訂正して、虚界には、連続性は未発であると言うべきようだ。あくまで、不連続な差異の即非的均衡と見るべきなのかもしれない。
 とまれ、エネルゲイアの二重の二重性についてもう少し考察しよう。思うに、連続化によって、(動的)極性の二重性が発生するだろう。そして、これは、微粒子(不連続性)が波動化することではないだろうか。言い換えると、虚界(ないし元界)においては、微粒子は静的極性をもっている(デュナミス)。しかし、不連続のままである。ここには、波動(連続性)がまだ存していない。
 しかし、なんらかの原因で、静的均衡が破れて、微粒子が連続化・動態化する。ここで、波動(振動)が生起して、エネルゲイア化=時間化すると考えられる。
 とにかく、エネルゲイアの二重の二重性とは、四重性・四元性・四極性と言えるだろう。つまり、

1)+の微粒子の不連続性
2)+の微粒子の連続性(+の波動)
3)-の微粒子の不連続性
4)-の微粒子の連続性(-の波動)

というようになるのではないだろうか。思うに、この四元性が、量子力学の4つの力、文化的には、四大(地水火風)等に関わっているのではないだろうか。つまり、これが自然の根源的四元性を形成しているのではないのか。
 不明瞭ないし不十分な箇所の多々ある論なので、後で再検討したい。
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sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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