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2010年04月24日 (11:06)

「自己同一性」と日本人の劣化:戦後のGHQ洗脳政策と三島由紀夫の「断絃の時」

以下、愚樵氏が述べる自己同一性をどう見るか。また、スロー人が説く日本人の「劣化」とは何か。
 両者は基本的には通じる問題と考えられる。自己同一性とは、同一性の視点と差異の視点から考えられる。
 前者は当然、+i=+1の同一性である。後者は、Media Pointのもつ「同一性」である。しかしながら、これは、同一性というよりは、「絶対的差異」である。あるいは、普遍性である。自己差異、自己普遍性である。
 日本人の劣化であるが、それは、自己差異、自己普遍性を喪失して、連続的同一性に陥っていることから生じているのである。
 この原因は「東京」にあると思う。東洋・日本文化を捨てた東京にあると思う。言い換えると、戦後のGHQの洗脳政策とそれと妥協した勢力にあるだろう。
 戦後のGHQの占領政策はいわば、日本の文化大革命であったと言えよう。そこで、日本伝統精神文化の根が断たれたのである。三島由紀夫が「文化防衛論」で慨嘆した「断絃の時」とはここにしかない。

追記:+i=+1は、(+i)*(-i)=+1ということでもある。正しい自己認識は(+i)*(-i)⇒+1である。この⇒+1がポイントである。+1 は当然、自己同一性であり、これを差異即非共振性であるMedia Pointと混同するのが精神病理学的な錯誤・倒錯である。
 思うに、Media Pointの「自己」であるが、それは、同一性ではない。それは、生成変化するものであり、絶対的差異即非共振生成性である。昨日の「わたし」は、+1においては、今日の「わたし」と同一であるが、Media Pointにおいては、異なるのである。

***********************

〈私〉を感じる
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愚樵空論


とうとう経済も政治も二流
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スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

連合国軍最高司令官総司令部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


連合国軍最高司令官総司令部が入った第一生命館 (1950年頃撮影)

・・・・・
概要 [編集 ]
マッカーサー 最高司令官(左)を訪問した昭和天皇 (右)、1945年(昭和20年)9 月27日 撮影[3]

連合国軍最高司令官総司令部は、ポツダム宣言の執行のために日本に設置された連合国の機関である。1945年(昭和20年)8月14 日に、連合国軍の1国であるアメリカ太平洋陸軍 総司令官のダグラス・マッカーサー 元帥が連合国軍最高司令官(SCAP)に就任し、同年10月2日、総司令部が東京 に設置された。

1951年(昭和26年)4月11日、マッカーサーがトルーマン アメリカ大統領 に解任された後、マシュー・リッジウェイ 中将(就任直後に大将に昇進)が最高司令官に就いた。翌1952年(昭和27 年)4月28日 、日本国との平和条約 (サンフランシスコ講和条約)の発効とともに、連合国軍最高司令官総司令部は活動を停止した。

連合国軍最高司令官総司令部は、イギリス、アメリカ、中華民国、ソビエト連邦そしてカナダやオーストラリア、ニュージーランドをはじめとするイギリス連邦 諸国など連合国各国の軍隊から、日本を軍事占領すべく派遣された最大43万人を統括した。その中でも多数を占めた、アメリカ陸海軍を中心に構成されたアメリカ占領軍(USOF)と、イギリス軍をはじめとしたイギリス連邦諸国軍を中心に構成されたイギリス連邦占領軍(BCOF)が連合国軍最高司令官の直下に置かれ、実質的な軍事占領を行うこととなった。イギリス連邦占領軍は山口県 、広島県 、島根県 、鳥取県 、岡山県 と四国 4 県の占領を担当、残りの都道府県はアメリカ占領軍が担当することとなった[4] 。

日本の占領方式は、連合国軍最高司令官総司令部の指令を日本政府が実施する間接統治の形式が採られた(ただし、日本政府に外交権はない。またGHQ の要望の全てを日本政府がのんだわけではない。またGHQは天皇ではなく政府に介入することで政策を実行していた)。また信託統治が行われていたのは現在の沖縄である。

具体的には、連合国軍最高司令官総司令部の指示・命令を受けて、日本政府が、日本の政治機構をそのまま利用して占領政策を実施するものである。連合国軍最高司令官総司令部の命令の多くは、1945年(昭和20年)9 月20日 に出された勅令 「「ポツダム宣言」の受諾に伴い発する命令に関する件」(昭和20年勅令第542号)に基づいて出された勅令、いわゆるポツダム命令 (ポツダム勅令。日本国憲法 施行後はポツダム政令 )の形で公布・施行された。

1946 年 (昭和21年)2月には政策決定の最高機関として各国代表による極東委員会 (FEC)が、同年4月には最高司令官の諮問機関として対日理事会 (ACJ)が設置された。しかし、実質は最大の人員を派遣し、また最高司令官を出していたアメリカが最も強い影響力を持ち続けた。

連合国軍最高司令官総司令部は、まず軍隊 を解体し、思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していたあらゆる法令の廃止、内務大臣 の罷免、特別高等警察 の廃止、政治犯 の即時釈放など、いわゆる「自由の指令」を出した。さらに、政治の民主化 、政教分離 などを徹底するため大日本帝国憲法 の改正を指示し、財閥解体 、農地解放 などを指示した。
機構 [編集 ]
接収された第一生命館 。現「DNタワー21」(手前は皇居の外堀。後ろの高層部分は後に増築したもの。旧第一生命館は外観保存の上改築されたが、マッカーサー執務室はそのまま保存されている)

皇居 と東京駅 に挟まれた丸の内 地区一帯のオフィスビルはその多くが駐留する連合国軍によって接収され、このうち総司令部本部は第一生命館 に置かれた。マッカーサー用の机は石坂泰三 のものをそのまま使用した。

皇居 を見下ろす形で堀沿いに建てられた第一生命館に本部を置くことは、連合国軍が天皇 のさらに上に君臨するという政治的意図が込められている(実際にはその立地上、連合国軍による本社ビル接収を免れないことを承知していた第一生命が、総司令部に利用されれば丁寧に使われ、将来の接収解除後にも建物をそのまま利用できるという目論見から、積極的に総司令部として利用して欲しいと差し出したという記録がある)。実は東京大学 (本郷キャンパス)が司令部として接収されかけたが、時の内田祥三 総長 が抵抗してやめさせた(「文藝春秋」より)。

なお、当時の日本政府及び日本の報道機関は連合国軍を「進駐軍(しんちゅうぐん)」と呼ばせられ、占領に対する否定的なイメージの払拭に努めさせられた [5] 。

「連合国軍」とはいっても、その多くの職員は比較的国力へのダメージが少ないアメリカ合衆国軍 人とアメリカ の民間人で構成されていた。連合国軍最高司令官総司令部は、軍事部門である参謀部と専門部局である幕僚部から組織された。

参謀部

1. 参謀第1部 (G1 人事担当)
2. 参謀第2部 (G2 情報担当)プレスコード の実施を担当
3. 参謀第3部 (G3 作戦担当)
4. 参謀第4部 (G4 後方担当)

※特に諜報 ・保安 ・検閲 を任務とする第2部(G2)が大きな発言権をもっていた。占領中に起きた数々の怪事件は、G2とその下にあったいくつもの特務機関 (キャノン機関 など)が関与したとも囁かれている。
幕僚部

1. 民政局 (GS:Government Section 政治行政)
2. 経済科学局 (ESS:Economic & Scientific Section 財閥解体 など)
3. 民間情報教育局 (CIE:Civil Information & Educational Section 教育改革 など)
4. 天然資源局 (NRS:Natural Resources Section 農地改革 など)

※特に民政局(GS)が「非軍事化・民主化」政策の主導権をもっていたが、GSにはルーズベルト 政権下でニューディール政策 に携わっていた者が多数配属されており、日本の機構改造のために活動した。上記は中枢部分で、1946 年 1月段階では11部局、最終的には14部局まで拡大している。また、GSとG2が日本の運営を巡って対立。GSが片山 ・芦田 両内閣を、G2が吉田内閣 を支えており、政権交代や昭和電工事件 の要因にはGSとG2の闘争があったとも言われる。逆コース 以後は国務省の後押しもありG2の力が増した。

政策 [編集 ]

総司令部の最大の目標は、世界の脅威となる日本 の軍事 力を解体することであり、軍国主義 を廃した民主的な国家 を作ることにあった。マッカーサーはこれを『上からの革命 』と称した。また、マッカーサーは後に、「当初は日本を工業国 から農業小国 に転換し、アメリカの市場とするつもりだった」と述べている[要出典 ]。 俳優の小泉博 は大卒後NHKのアナウンサーに応募したきっかけとして、このGHQによる「農業国化方針」で将来に不安を感じたことがあったと述べていて、当時の日本人のよく知るものではあったようである。

民主化や農地改革、財閥解体などは、戦前に北一輝 が発表していた「日本改造法案大綱」との類似点・共通点が多く見られる。当初GHQの主導権を握っていた民政局 により策定・実施が進められた。冷戦 の兆しが現れ始めてからは参謀第2部 に主導権が移り、いわゆるレッドパージ などが行われる。
戦争犯罪人の逮捕 [編集 ]

連合国軍は占領直後から、日本の戦争指導者の検挙に取り掛かかり、東條英機 元首相を含む数十名を逮捕した。彼等はいわゆるA級戦犯として極東国際軍事法廷 (東京裁判)により判決を言い渡され、東條以下 7名を絞首刑による処刑、多数を禁固刑などに処した。平和条約により日本は、裁判自体は受諾しないもののその判決は受諾した。
公職追放 [編集 ]

軍人 ほか、戦時中に軍に協力的であったと認定された政治家 、思想家 など個人20万人がこれを理由に職を解かれて公職追放 され、思想面での統制が行われた。また、戦争犯罪人や大政翼賛会 に関与していたと見なされた者は、政府機関の職に就くことを禁止された。戦中まで戦意高揚映画を製作した東宝 など、映画界にもこれは及んだ。
言論統制 [編集 ]

総司令部が政策として最初に行ったことは検閲 である。1945 年 (昭和 20年)9月に発した「プレスコード 」などによって、軍国主義的なもの、戦前・戦中の日本を肯定するもの、連合国軍の行為を批判するもの、原子爆弾 や無差別空襲 の被害について知らせるものなどについて、ラジオ ・新聞 ・雑誌 他、一般市民発行の本に至るまで厳しく取り締まり[6] 、言論を統制した。プレスコード通達直前には「言論及び新聞の自由に関する覚書」(SCAPIN -16) を発し、言論の自由の制限は最小限度に止める、GHQ及び連合国批判にならずまた世界の平和愛好的なるものは奨励とされたが、これに違反したとして朝日新聞社 は二日間の業務停止命令を受けた。

また、新聞やニュース番組などを通じて日本軍の戦時中の非道を繰り返し報道させ、国民の戦意を全く喪失させると共に、国民の贖罪意識を増幅させる厭戦工作を行った。江藤淳 はこれをウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (「戦争への罪悪感に関するプログラム」)として著書に著している。

日本国民に対しアメリカ文化の浸透を図るべく、ハリウッド 映画の統括配給窓口会社『CMPE (セントラル・モーション・ピクチャー・エクスチェンジ)』を東京に設立した。このCMPEに一時在籍した淀川長治 によれば、「忘れもしないメイヤーという名の支配人は映画より国策に心を砕く、あたかもマッカーサー気取りの中年男だった」そうで、ヨーロッパ映画びいきの記者を試写から締め出したりの傲岸不遜振りに、1952年 (昭和27年)にこの会社が解体された際は映画関係者たちは喝采を挙げたという。

一方で国産映画は、終戦後の焼け野原や進駐軍による支配を示す情景を撮影することが禁じられたため、長い間街頭ロケすらできない状態に置かれた。

子供達の文化媒体であった紙芝居 では、「黄金バット 」の「髑髏怪人」というキャラクターを、「スーパーマン 」のような「たくましい金髪碧眼の白人キャラクター」に一時期変更させている。しかしこれは全く支持されることなく無視された。
非軍事化 [編集 ]

連合国軍による最初の仕事は、日本全国の軍施設に進駐し日本軍の武装解除を進めることであった。使用可能な武器類は全てスクラップにし、その一方で施設としての軍用地はその多くを駐留軍が引き継ぎ、占領政策の礎とした。

物理的な軍事力剥奪の次に進めたのが法的な整備であり、『国民主権』、『基本的人権の尊重』という民主主義 の基本をそなえると共に、『戦争放棄』をうたった憲法 (日本国憲法 )を作成し、日本政府に与えた(日本の戦争放棄は幣原喜重郎 首相も考えていたと、マッカーサーは記録している。また、幣原は自らの著である『幣原喜重郎―外交五十年』のなかで、戦争放棄や軍事力の解体を考えていた事を明らかにしている)。また、天皇 ・皇室 の神聖性の除去、国家神道 の廃止、軍国主義教育の廃止を行い、明治 からの社会思想 を解体した。

その矛先は、映画界にまで及び、戦闘心を煽るとして、見当はずれなチャンバラ 映画の禁止が行われ、嵐寛寿郎 、片岡千恵蔵 ら日本を代表する時代劇スターが時代劇での仕事を失うという珍事をもたらした。
民主化 [編集 ]

民主国家にするための国民の改造として、「婦人参政権」「労働組合 法の制定」「教育 制度改革」「圧政的な法制度の撤廃」「経済 の民主化」の5大改革指令を発し、日本政府に実行させた。労働組合 はすぐに解禁され、男女同権 論に基づく婦人参政権 は直後の衆議院 選挙から実行された。圧政的といわれた治安維持法 と特別高等警察 は廃止され、戦時中にこれら罪状で逮捕・服役していた政治犯を釈放した。

経済界においては、経済民主化のため、三井 ・三菱 ・住友 ・安田 の四大財閥 を解体した(財閥解体 )。さらに、地方自治法 が制定され、都道府県知事 は選挙によって選出されるようにしたことで、中央集権から緩い地方分権へと移行させた。警察 も、それまでの国家警察から、地方自治体 の影響下に置かれた地方警察へ組み替えられた。一方で民主主義に不可欠とされる、言論の自由 は(GHQ自身が検閲 という形で踏みにじっていたため)抑えられていた。
農政 [編集 ]

農地改革 によって大地主 から強制的に土地を買い上げて小作人 に分配した。これは、大地主に経済的に隷属する状況から小作人を解放し、民主主義を根付かせることに寄与した一方、自作農となった農民を保守 化させる結果となり、農村は保守勢力の牙城となった[要出典 ]。また、北海道を除いて大規模農業事業を難しくさせ、農業の国際競争力は戦前と比べても極度に低下し[要出典 ]、以後の食料自給率 低下に拍車をかけ現在に至っている。なお、全ての小作地が農地改革の対象になったわけではなく、実態には地域によりばらつきがあった。
教育改革 [編集 ]

教育方針は連合国側で矯正させ、教育基本法 を制定させて、6・3・3・4の学校制度 を新設し、複線教育と全体主義 の根本とされた教育勅語 は廃止させた。教育使節団が2次に亘って来日し、新制中学校 による義務教育 の延長など、教育 の民主化 に寄与すべく、これらの事業を完成させた(アメリカ教育使節団報告書 )。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E6%9C%80%E9%AB%98%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E5%AE%98%E7%B7%8F%E5%8F%B8%E4%BB%A4%E9%83%A8
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2007年11月27日 (23:06)

三島文学と差異共振性:トランス・モダンへの萌芽

三島由紀夫文学であるが、彼の文学は、基本的には、-i→+iの文学である。そして、その反近代主義、身体・神秘主義には、差異共振性=Media Pointが内包されていたというのが私の考えである。ハイデガーを超えていたのである。大江健三郎は三島を批判するが、それは狭量である。大江自身に本来差異共振性があったが、それが、戦後民主主義や近代合理主義で、弱化されてしまい、枯渇してしまったと思っている。ほとんどの日本人は、三島文学のもっているトランス・モダン性が理解できていないのである。

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昨日は三島由紀夫没後37周年と言う事で、豊島公会堂で開かれた憂国忌に行って来ました。37年も経つと中年以上の人しか三島由紀夫の生前の姿を知らない。私は三島由紀夫の講演会などで生の姿を知っていますが、まさに文化人のスーパースターであり女性ファンも多かった。

私もミーハー的なファンであり小説には読んでもなじめなかったが、政治的なエッセイなどは読みあさった。戦後の日本は文化人と言えばリベラル左翼の代名詞であり、右翼とか民族派というと暴力団的なイメージが付けられてしまっていた。その中で三島由紀夫と石原慎太郎は異彩を放っていたのですが、現在には彼らのような若手の文化人のスーパースターがいない。

70年安保ぐらいまでは大学でも学生運動が盛んでしたが、現在の大学は政治的学生運動はほとんど無いといっていい。それくらい現代の若者はすっかりノンポリ化してしまって政治的講演会があっても若い学生を見かけることはまれだ。それくらい政治思想には無関心であり、戦後マスコミと教育ですっかりノンポリに洗脳されてしまったのだ。

「株式日記」はその名のごとく経済ブログなのですが、最近では政治ブログ化している。三島由紀夫が生きていたらどんなブログを書いただろうか? 自分で言うのもなんですが三島由紀夫の魂が乗り移って書いているのだろうか? 檄文などを読んでもらえば分かるとおり、60年以上たった現在も実質的にアメリカ軍に占領された状態は続いている。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20071126
株式日記と経済展望

2007年08月21日 (18:44)

三島由紀夫の『豊饒の月』の第三巻『暁の寺』の阿頼耶識論:PS理論と三島の阿頼耶識論乃至は唯識論

貪るように、『暁の寺』を読み始め、途中を少し飛ばして、本巻の主人公、本多の阿頼耶識(あらやしき)論ないしは唯識論の箇所を再読した。以前読んだとき、なにか、その阿頼耶識論は、少し間違っているのではないかと感じたが、今読むと、三島が焦燥に狩られて、急いで、阿頼耶識論・唯識論を展開したのではと思えるが、それでも、十分研究すべき内容をもっていると考えられる。
 冒頭から始まる、本多(三島)のタイ、バンコックの大理石寺院(ワット・ペンチャマボピット)やインドのベナレス(今日では、ヴァラナシ、ワーラーナシー等)やアジャンターでの体験の、絢爛な、あるいは、凄絶な描写も見逃せないが、やはり、圧巻は、本多の輪廻転生、阿頼耶識、唯識論に関する論考である。第三巻第一部の十三章から二十章までの箇所である。文庫本で、38ページほどである。
 少し引用しよう。


「・・・一切のものは阿頼耶識によって存し、阿頼耶識があるから一切のものはあるのだ。しかし、もし、阿頼耶識を滅すれば?
 しかし世界は存在しなければならないのだ!
 従って、阿頼耶識は滅びることがない。滝のように、一瞬一瞬の水はことなる水ながら、不断に奔逸しているのである。
 世界を存在せしめるために、かくて阿頼耶識は永遠に流れている。
 世界はどうあっても存在しなければならないからだ!
 しかし、なぜ?
 なぜなら、迷界としての世界が存在することによって、はじめて悟りへの機縁が齎されるからである。
 世界が存在しなければならぬ、ということは、かくて、究極の道徳的要請であったのだ。それが、なぜ世界は存在する必要があるのだ、という問に対する、阿頼耶識の側からの最終の答である。
 ・・・
 最高の道徳的要請によって、阿頼耶識と世界は相互に依為し、世界の存在の必要性に、阿頼耶識も亦(また)、依拠しているのであった。
 しかも現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。
 ここに、唯識論独特の同時更互因果の理が生じる、と本多は辛うじて理解した。」 p. 160~p. 161 (尚、本文で傍点を振ってある箇所は、下線をつけた。)


最後の行に同時更互因果の理とあるが、これは、それ以前の箇所に説明があるので、引用しよう。


「---しかし本多は、唯識論について学べば学ぶほど、阿頼耶識(あらやしき)がいかにして世界を顕現させるかという態様に、興味を抱かずにはいられなかった。なぜなら唯識論は、阿頼耶識による因果は「同時」に、すなわち一刹那(いちせつな)に、しかも更互に起ると説くからである。かりにも因と果を時間的継起によってしか考えられない本多には、この阿頼耶識と染汚法(ぜんまほう)の同時更互因果という観念ほど、難解なものはなかった。しかも、これが唯識および大乗全般と、小乗とを分つところの、根本的な世界解釈の相違をあらわしていることは明らかだった。」 p. 157


 本多(三島)は、同時更互因果の難解さを提示しているが、これは、PS理論から見ると、実に当然というか、簡単なことである。つまり、阿頼耶識と現象との同時生起がここでは問題になっているのであるが、阿頼耶識をMedia Point、現象を同一性発現態と見ればわかりやすいだろう。Media Pointに時間があり、それが、同一性化して、現象を引き起こすのである。だから、Media Pointの発現として現象を捉えることができるのである。だから、それは、同時更互因果である。
 また、最初の引用では、阿頼耶識と世界の二元論が生起しているような気味がある。これは、正しくないだろう。正しくは、両者は一体ないしは一如(いちにょ)である。Media Point=阿頼耶識の、いわば、同一性の顕現した様態が現象界であると考えられるからである。言い換えると、Media Point=阿頼耶識の現象面が、世界なのである。だから、一体、一如なのである。
 もっとも、この関係は微妙である。なぜなら、Media Point=阿頼耶識の同一性の顕在面である現象面ではなく、同一性の潜在面が考えられるからである。だから、潜在面と顕在面で分離するなら、確かに、 Media Point=阿頼耶識と現象界=世界を二つに分けられる。しかしながら、同一性は潜在面と顕在面の両面をもっているのが真実である。
 確かに、近代合理主義的思考においては、この同一性を主客分離させて、同一性の潜在面に主観を、同一性の顕在面に客観を見て、主客二元論を形成しているが、その二元論的思考方法に囚われているなら、本多(三島)に見られる阿頼耶識と世界との二元論が生じるように考えられる。
 ここで、本多(三島)の阿頼耶識論を考えてみると、確かに、鋭敏な思考があるが、上述した理由で、阿頼耶識には十全には達していないように思えるのである。「しかし世界は存在しなければならないのだ!」というような言葉が繰り返されるが、どうも強引な言い方である。なにか、ここには、現象世界になんとかすがろうとしている本多というよりも、作者三島の意志がはたらいているように思える。逆に言えば、現象世界が、三島にとって、希薄なものになってきているのだろう。言い換えると、虚無が三島の精神を犯しているのであり、現象世界の存在を提起することで、それに対抗していると言えよう。
 虚無とは、端的に、死の世界、涅槃、イデア界である。それが、現象世界を無化するのである。その無化への対抗としての現象世界の存在と阿頼耶識の提起なのだと思う。思うに、三島の特異性とは、強烈なイデア界的志向なのだと思う。死・虚無への志向である。これが、同一性をすべて破壊・解体してしまうのだ。ここで、想起するのは、イギリスの女性作家、ヴァージニア・ウルフである。やはり、死への志向性をもっていた作家である。現象世界が希薄なのである。
 「しかし世界は存在しなければならないのだ!」とは、虚無に犯された三島の切望の叫びであろう。思うに、『鏡子の家』の日本画家、夏雄の一茎の水仙の実在を支点にしているのであるが、それは、正しいと思うのである。つまり、一茎の水仙の実在とは、同一性の現象の肯定であるからである。だから、三島は、「確かに、世界は存在する!」と単に言えばよかったと思うのである。一茎の水仙が頼りであったが、やはり、三島にとっては不確かだったのだろう。
 「確かに、世界は存在する!」という現象の同一性の確認ができて、阿頼耶識との関係が明快になると思うのである。そこから、同時更互因果が直覚できると思うのである。
 結局、本多(三島)の阿頼耶識論とは、虚無=死=イデア界の強力な志向力学に対抗して、現象世界が要請されているというバイアスのかかった点を差し引いて言えば、イデア界と現象界の交点であるMedia Point=阿頼耶識は、鋭敏に捉えられていると言えるのではないだろうか。即ち、上の引用の「現在の一刹那だけが実有であり、一刹那の実有を保証する最終の根拠が阿頼耶識であるならば、同時に、世界の一切を顕現させている阿頼耶識は、時間の軸と空間の軸の交わる一点に存在するのである。」という箇所は、阿頼耶識を的確に捉えていると考えられるのである。「時間の軸と空間の軸の交わる一点」というのは、正に、Media Pointのことを指しているだろう。ただ、時間の軸を虚軸にすれば正解になるのである。

2007年08月21日 (00:00)

ハイデガーの『存在と時間』と三島由紀夫文学:三島ルネサンスへ向けて

ハイデガーの『存在と時間』(中公クラシック)を、納得しながら、しかし、冗長な叙述にすこし退屈しながら読んでいたが、ふと、数日前に駅前の本屋で手に取った三島由紀夫の『鏡子の家』の夏雄の富士山麓青木ヶ原樹海での神秘体験の叙述に興味をもったので、購入して、今日読み終えた。そして、今日、未読の『絹と明察』と昔読んだ『豊饒の海』の『暁の寺』を購入して、今、後者を読んでいる。急に、三島文学に夢中になってしまった感じである。
 ハイデガーの『存在と時間』の読書途中であるというのが、なかなか、意味深長である。私が既に述べたように、三島文学は哲学的文学である。そして、ニーチェのアポロとディオニュソスとの視点から三島文学を簡単に考察してみたが、思うに、ハイデガー現象学からも、三島文学は解明できるだろう。もっとも、PS理論から分析できるのである。
 時間や空間の問題が三島文学にあるのであり、輪廻転生もその問題に関係する。それにしても、今回、三島文学が哲学的文学であることを発見したことは、大きな喜びである。そう、いわゆる、日本近代文学の一つ頂点の発見でもある。そして、さらには、トランス・モダン文学の発見でもある。
 漱石は確かに日本近代文学の開拓者であったが、その後、谷崎潤一郎、川端康成等の優れた文学が創造されたが、また、戦後においても、それなりの成果があったが、なにか、現代に関係するような文学がないように思えていたのである。いわば、近代と現代をつなぐミッシングリンクとして三島文学を発見したと思うのである。
 三島は自刃による壮絶な事件のインパクトが強く、その面が中心となってしまっているが、文学自体は、それからいったんは切り離して読むべきである。今日の日本が忘却した思想がそこにはある。仏教/プラトニズムの思想である。三島ルネサンスが来るだろう。

2007年08月18日 (18:58)

三島由紀夫の『鏡子の家』は反モダンとしてのポスト・モダンの解体としてのトランス・モダン小説だろう

ハイデガーの『存在と時間』を読んでいると、洞察力には瞠目するものの、叙述のペースが遅いというか、冗長なので、退屈しないわけではない。
 たまたま、駅前の本屋で手に取った三島由紀夫の長篇小説『鏡子の家』を買って、読み出したが、文体は三島としては弛緩している感じで、緊張感が乏しいが、しかし、内容的には興味深い、魅力的なものである。
 どうやら、三島由紀夫ルネサンスを迎えるのではないだろうか。あの壮絶な自決が今でも深く心に浸透しているが、三島の文学作品自体を正しく批評して評価すべきときになっているのではないだろうか。
 今日、すぐれた文学者は不在であり、文学が衰退していている。村上春樹では、軽量過ぎるだろうし、大江健三郎は、凡庸化している。文学だけではなく、音楽も美術も衰退している。さらには、日本全体が衰退している。
 三島由紀夫文学は、日本文学における、『死霊』の埴谷雄高文学と並んで、稀有な哲学的文学として評価すべきと考えている。私は以前、と言っても、今から十六七年前頃、三島由紀夫のエッセイの文体に、大地の奥底からの響きを聞いた。マグマである。そして、彼の一種の不気味な神秘主義に惹かれた。しかし、『豊饒の海』は、それほど、感動はしなかった。それは、あまりにも人工的な作品に思えた。(昔は、人並みに有名作品、例えば、『仮面の告白』、『金閣寺』、『潮騒』等を読んで感動した。そう、SF的な『美しい星』は、ファンタジックな感動があった。)そして、異様なエッセイである『太陽と鉄』は、難解であった。そして、結局、『文化防衛論』の三島にもっとも強い感銘を受けたものだった。
 しかしながら、当時の私は、三島文学の骨格の哲学に気がつかなかった。ニーチェ哲学を適用することに気がつかなかった。ただ、虚無だけが恐ろしく剥き出しに感じられた。
 しかし、今は、PS理論のパースペクティブがあるので、三島由紀夫文学の哲学性が明瞭に見えてくるのである。先にも触れたが、明らかに、仏教とプラトニズムの哲学である。ないしは、古代ギリシアの思想である。確かに、右翼として三島像があるが、それだけを肥大化すると三島由紀夫文学が見えてこなくなるだろう。
 とまれ、三島由紀夫文学は、今日的な、トランス・モダン哲学を表現ないしは潜在させていたと思えるのである。私の直感では、プラトニズム的仏教ないしは仏教的プラトニズムと呼べるような哲学が三島由紀夫文学には表現されていると思うのである。ただし、イデア論のイデアを同一性的イデアと見るのは、いわば、通俗である。プラトンのイデアは、同一性イデアよりも深いものがある。有名な洞窟の比喩の箇所でわかるように、三層構造である。即ち、洞窟外の太陽と洞窟内の実体と洞窟の壁の映像である。洞窟内の実体が、同一性のイデアであり、洞窟外の太陽がイデアのイデア、ここで私が考えるイデアである。
 直感では、三島の虚無は、D.H.ロレンスの闇に似ている。それは、実際は、イデアの光=超光であると思う。イデアの光=超光は、現象世界からは、不可視であり、虚無や闇に感じられると思うのである。
 今はここで留めたい。

p.s. イデアの《太陽》は、独立しているのだろうか。言い換えると、虚界とMedia Pointとは別々に独立しているのだろうか。思うに、ここで、デリダの痕跡という概念を使用するといいと思う。Media Pointは、イデアの《太陽》の痕跡ではないだろうか。イデアの《太陽》は、実際は、静的なもの、デュナミス的(否、前デュナミスかもしれない)ものである。それは、エネルゲイア以前であるから、実際は、認識不可能である。完全に不可知である。
 Media Pointを媒介にして、イデアの《太陽》が、影のように知覚ないしは認識できるのではないだろうか。常に、Media Pointを介して、認識することになるのである。
 どうも、これは難問である。虚界がイデアの《太陽》ならば、Media Pointは、何であろうか。それは、光なのか。エネルゲイアであることは確かである。思うに、イデアの《太陽》とは虚光であり、Media Pointの《太陽》が超光⇒現象光ではないだろうか。
 後で再検討したい。

2007年08月17日 (19:37)

三島由紀夫の『鏡子の家』は哲学的(トランス・モダン)小説である:アポロとディオニュソス

今から、約半世紀前(昭和34年、1959年発行)の三島由紀夫の、当時批評家からは黙殺され、ある意味で、作家三島を半殺しにした作品であるが、今、半分弱ほど読んだが、文体が今では古くなってはいるものの、哲学的思想が深く表現された作品であると判断した。
 三島の哲学的思想は、よく言われるように、確かに、ニヒリズム(虚無主義)であるが、それでは、大雑把である。三島の哲学的思想は、戦後民主主義即ち、戦後近代主義を無価値として否定する仏教/プラトン的思想であると考えられる。
 『豊饒の海』は、大作であるが、必ずしも三島の代表作とは言えないのではないだろうか。私は、これまで、『文化防衛論』が三島のいちばんの傑作であると思ってきたが、『鏡子の家』を読んでいて、この作品も一つの傑作ではないかと思うようになってきている。少なくとも、代表作にはなると思う。また、日本近代文学における傑作の一つであり、また、さらには、日本/世界トランス・モダン文学の先駆になっているのではないと考えるのである。
 今から見て、あるいは、PS理論から見て、この作品が黙殺されたのはよく理解できる。なぜなら、三島由紀夫は、近代主義をはるかに超えた視点を作品において表現しているからであり、それが戦後近代主義の発展して行く中で、無視されるのは当然であったと考えられるからである。
 先にも少し触れたが、三島の哲学思想を捉える視点の一つは、ニーチェのアポロとディオニュソスの対極的なパースペクティブであると考えられる。この観点でおそらく、明瞭に三島の哲学的文学の骨格が理解されると思われる。
 三島は自身は、アポロ主義ないしは古典主義を標榜しているが、それは、一種のポーズである。三島自身、音楽(ディオニュソス)というものを強く意識している。そして、アポロ(美術、視覚)を超えたものに真の美を見ていると考えられる。このアポロを超えた、超越的な美とは、当然、ディオニュソスと考えられる。つまり、イデアである。
 先にも述べたが、実は、ギリシア悲劇の『オイディプス王』からわかるように、アポロとは視覚を超えたものでもある。アポロ神でもあるのである。そして、これは、ディオニュソスと通じると考えられるのであり、先には、極論単純化して、アポロ=ディオニュソスと述べたが、より精緻に識別できると考えられる。
 ディオニュソスとは、先にも述べたが、エネルゲイア(ダイナミクス)である。エネルギーである。これは、PS理論では、Media Pointである。ギリシア神話で、ディオニュソスの様態が千変万化するが、エネルゲイアであるMedia Pointを考えれば、納得できるのである。
 では、アポロは、端的に、何であろうか。先の等式からは、アポロもエネルゲイア、Media Pointになるだろうが、それは違うと考えられる。端的に言おう。アポロとはイデアである。プラトンのイデアである。善のイデアである。洞窟外の太陽である。つまり、PS理論から言うと、エネルゲイアであるMedia Pointがディオニュソスであり、根源的差異即非であるイデアi*(-i)がアポロである。換言すると、アポロ(イデア界)⇒ディオニュソス(Media Point)⇒アポロ(現象界)という図式になる。アポロが二つの世界に分かれるので、混乱する。しかしながら、同語とするのは意味があるように思う。
 超越的世界と現象世界が同語で表現されるということを、おそらく、古代ギリシア人は意味したはずである。思うに、古代ギリシア人は、現象世界を媒介にして、超越的世界(イデア界)を直観(霊的直観)していたように思えるのである。ここで、『オイディプス王』に出てくる予言者ティレシアスが盲目であり、アポロの神託の内容と同じことに通じていたことを想起しよう。アポロは不可視の世界をも意味しているのである。おそらく、ギリシア神話は、このような予言者や透視者・霊視者によって語られたものだろう。ギリシアの叙事詩の詩人のホメロスは盲目であったことも参考になるだろう。目に見えない世界を見ることができた人間によってギリシア神話が語られたのであろう。そして、古代ギリシアが特異な時期であったのは、その不可視の世界と可視の世界とが重なるような時期であったということだろう。これが、アポロの意味だと思うのである。ということで、アポロ⇒ディオニュソス⇒アポロの図式をそのまま活かしたい。
 三島由紀夫に戻ると、このコンセプトを用いることで、彼の文学がよく理解できるということなのである。三島由紀夫は、正に、古代ギリシア的な作家であったと考えられるのである。『鏡子の家』で言えば、鏡子が正に、ディオニュソス(音楽)を表現するだろう。そして、日本画家の夏雄がアポロを表現するだろう。そして、その他のボクサーの卵の俊吉や俳優の卵の治が、男性の鍛えた筋肉に至高の美を見るというのは、現象に限定されたアポロを意味するだろう。以下、小説(新潮文庫)から傍証したい。

「・・・鏡子は照りつける日ざしもかまわずに島を見ていた。・・・
 島はきらめく海のかなた、潮風のほかに充たすもののない距離を保ちながら、手をのばせば手につかむこともできそうな誘惑的なみせかけの近さを示していた。しかし鏡子は今わが手に、その島の木の梢(こずえ)、草の一ト本(もと)だに握っているのではない。島という存在は現在のものではない。それは未来と過去のどちらかに属しているである。
 定かならぬ細部が一いろのお納戸(なんど)に紛れた島は、記憶のようにも、また希望のようにも見えた。楽しい思い出のようにも、未来にわだかまる不安の姿のようにも見えた。その島と今鏡子たちのいる場所とをつなぐ力は、音楽にもよく似た力で、それは潮風の羽搏(はばた)きのように存在の距離を埋め、距離そのものをきらめいて流動する情緒の連鎖に変えてしまうのであった。こんな音楽の光りかがやく翼に乗って、鏡子は過去でもあり、未来でもあるあの島へ、たちまちにして身を運ぶことができるような気がした。
 ・・・
 鏡子は東京の家にいるときのあの何事にも客観的な自分の代りに、別の、心おきなく恋に酔うことのできる自分がそこに住みならえていそうな気がする。彼女が身に持している固い無秩序とちがって、絹のように柔軟な情念の秩序がそこには備わっていそうに思われる。・・・」 p. 147~p. 148

「自分たち[治やボクシング・ジムの青年たち]の過剰な筋肉と、窓外の社会とそれが何のかかわりのないことが彼らを幸福にしていた。精力は筋肉のつややかな隆起の内に閉じこめられ、何の目的も呼び求めずに自足して、どこまで行っても、費やされる精力は、この個体の、徐々に増してゆく筋肉の中で終った。それは決して叫びにならない歌のようなものだった。
 筋肉で人を威かす。威かすおはおもしろい。しかし筋肉の、やさしい、ものの役に立たない、絹や花のように眺められる性質について、よく知っているの当の彼らだけであった。」 p. 247

「夏雄はこんな議論に子供らしい危険を感じた。第一、芸術作品とは、目に見える美とはちがって、目に見える美をおもてに示しながら、実はそれ自体は目に見えない、単なる時間的耐久性の保障なのである。作品の本質とは、超時間性にほかならないのだ。もし人間の肉体が芸術作品だと仮定しても、時間に蝕(むしば)まれて衰退してゆく傾向を阻止することはできないだろう。そこでもしこの仮定が成立つすれば、最上の条件の時における自殺だけが、それを衰退から救うだろう。何故なら芸術作品も炎上や破壊の運命を蒙(こうむ)ることがあるからであり、美しい筋肉美の青年が、芸術家の仲介なしに彼自身を芸術作品とすることがきたとしても、その肉体における超時間性の保障のためにには、どうしても彼の中に芸術家があらわれて、自己破壊しなくてはならないだろう。」 p. 253

■仏教とプラトニズム

三島由紀夫の哲学思想に関して、本稿では、プラトニズムになっているが、私は仏教とイデア論が同質であることを述べそびれている。
 三島の仏教に関しては、『豊饒の海』が表面的には顕在的だが、私はそこよりも、『鏡子の家』やその他の作品ないしはエッセイに三島の文教性があらわれているのではないかと思う。
 三島の仏教性は、強烈であり、超越的無へと突き抜けていると思う。それは、現世を否定して、超越界へと回帰する志向性をもっていると思う。先にも触れたが、これは、仏陀・釈迦牟尼が述べた、輪廻する世界からの解脱に通じるのではないだろうか。現世利益中心の大衆化した仏教ではない、苛烈な仏教性があると思う。
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