2008年06月28日 (17:06)

新万教帰一とイデア・エネルギー(コズミック・エネルギー)のMedia Point位相

今日は余裕がないので、論考できないが、結局、宗教とは、イデア・エネルギーのMedia Pointにおける位相を表現しているのではないかと思えるのである。神とは還元すれば、イデア・エネルギー(コズミック・エネルギー)である。それが、 Media Pointの諸位相によって、多様な表現(mode)になると考えられる。この多様な表現modeが諸宗教ないしは諸神話と考えられるのである。
 結局、プラトニック・シナジー理論から、新たな万教帰一が考えられるのである。Media Pointの位相の違いによって、人類は言わば、流血惨事を起していると言えよう。Media Pointのmodeの諸相に気づけば、イデア・エネルギーで統一できると考えられるのである。一神教も多神教も一である。

2008年01月23日 (18:46)

エーテル体とアストラル体:差異共振エネルギーと原身体エネルギー:「キリスト」は天照大神だ

ここでも直感で言おう。自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺が差異共振性であり、それが、根源である。それは、イデアであり、原心と原身体とが一如である。+iが原心=原知であり、-iが原身体である。知が生じるとき、既に、身体も生じている。そして、そこには、感覚も感情もある。おそらく、感覚・感情と一体化していいだろう。
 思うに、知エネルギーがあり、また、身体エネルギーがある。それぞれ、+iと-iである。そして、それらが共振して感覚・感情エネルギーが発生している。美の感情とは、そこに存していると考えられる。そう、真善美の感情がそこに存しているだろう。倫理・道徳の感情でもある。
 人智学のシュタイナーは、人間を1.自己(ichが自我と訳されているが、自己が正しいと思う)/2.アストラル体/3.エーテル体/4.物質身体の四層に分けている。プラトニック・シナジー理論から見ると、自己認識方程式(+i)*(-i)⇒+1の左辺に自己/アストラル体/エーテル体が存しているように思えるのである。すなわち、上に述べた、原知エネルギーが自己、感覚・感情エネルギーがアストラル体、原身体エネルギーがエーテル体ではないだろうか。
 だから、アストラル体とは、本来、原知エネルギーと原身体エネルギーとの差異共振エネルギーであるように考えられる。そして、Media Pointから同一性へと展開するときに、差異共振エネルギーが束縛されて、自我感情・利己主義的感情が生起すると考えられる。【だから、感情とは、脱同一性主義化すれば、差異共振エネルギーへと還元されるのである。それは、共感(造語すれば、共情、共心:p.s. 仁という字は、人偏に二人である。明敏である。)である。】
 以上で、ざっとであるが、人智学のシュタイナーの唱えるアストラル体とエーテル体を解明したことにする。
 最後に、先の問題である「エーテル界におけるキリストが見える」とは何を意味するのかという問を再度検討しよう。
 エーテル体は原身体エネルギーであることがわかった。-iのエネルギーである。だから、エーテル界とは、原身体エネルギーの宇宙である。言い換えると、原生命エネルギーの宇宙、正に、「気」の宇宙である。だから、「気」の宇宙においてキリストが見えるということになる。そして、キリストとは、超越光のことである。太陽系では、超越太陽のことである。だから、「気」の宇宙において、超越太陽が見えるということになる。
 私見では、超越太陽ないしは超越光を見るのは簡単だと思う。澄んだ青空を満たす陽光にそれが存しているのを感じればいいのである。光に神々しさを感じればいいのである。それが超越光だと思う。また、若い頃、夏の海岸で見る紺碧の空の太陽の輝きに、眩みを感じたが、その眩みが超越光の存在を示唆していると思う。
 考えてみれば、超越光とは、(+i)*(-i)であり、そこには、「気」のエネルギーを含んでいるのである。だから、「気」の宇宙において見えるというのは当然であると思う。
 しかしながら、以上の考察からわかるのは、超越光が見えるのは、「気」の宇宙に限定されるということではなくて、Media Pointを開いたときに、見えるものであり、Media Pointを開くとは、身体に存する心を開くことである。同一性の知は一つの支点であり、そこから不連続に、身体の心を開くことである。この身体の心を開くということが、シュタイナーのいうエーテル体と関係するのかもしれない。思うに、身体の心とは、-iであろう。原身体である。確かに、そこにおいて、 Media Pointは開けると言えよう。だから、言い直すと、「エーテル界において、キリストが見える」というシュタイナーの予言は、原身体-iを、同一性の知である不連続化させ、かつ、原知+iと共振させたときに発現・顕現・現前するMedia Pointを媒介にした差異共振エネルギーである超越光が視覚されるということになるだろう。
 これで解明は済んだが、後、問題なのは、Media Pointと超越光(超越エネルギー)の関係である。原身体-iを同一性から不連続化させて、+iの原知と共振化させるときに、 Media Pointが発現・顕現・現前すると言ったが、このとき、Media Pointと超越光(超越エネルギー)との関係はどうなのか、ということである。
 これは、実に微妙、霊妙な問題である。+iと-iを共振させたとき、超越エネルギーが流入すると言っていいだろう。それは、超越性の現前である。では、 Media Pointはどこに存しているのか。それは、超越性が現前する内的身体でいいのではないだろうか。身体の内部にMedia Pointは存するのである。
 (付録的に、考察しよう。私は道教を考えている。丹田を考えている。三つの丹田がある。上丹田、中丹田、下丹田がある。どうも、中丹田が、Media Pointのように思える。そして、上丹田が+iであり、下丹田が-iである。これは、思いつきである。)
 最後に、簡単にまとめると、シュタイナーの予言内容とは、きわめて、東洋文化的であるということになる。「気」の宇宙において、キリストが見えるとは、結局、東洋身体論的な精神エネルギーの活性化であると考えられるのである。プラトニック・シナジー理論で言えば、Media Pointの形成とそれによる超越エネルギーの流入である。
 端的に、シュタイナーのキリストとは、超越光、超越太陽、天照大御神である。

2007年08月23日 (17:30)

精神電磁波の時代the Spiritual Electromagnetic Wave Age

Spirit(精神)とは何だろうか。今日、ふと、70年代初期のことを思った。思うに、70年代前半と後半では、精神において、まったく違うのではないかと思ったりする。【どういうわけか、今日は、ダイアナ・ロスの「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」(1973年)の冒頭のスローな叙情的な歌唱が頭の中で聞こえるのである。頭が暑さでおかしくなったのか。寝不足状態で朝早く起きたことが一因かもしれない。】
 70年代前半は、ロマン主義的精神が、世界に漂っていたのではないだろうか。そして、後半になって、即物的合理主義精神へと大転換したのではないだろうか。先に、歌謡曲に関連させて、日本社会の分水嶺を見たのではあるが。
 私が言いたいのは、精神とは、「気」のようなもので、個体を超越して、空間に広がるものではないだろうかということである。しかし、これは、精神を量子ないしは電磁波と考えれば、簡単に証明できることである。もっとも、電磁波は、虚次元(イデア界)をもっているのであるが。(p.s. 相対性理論発見以前、物理学では、「エーテル」を発見しようとしていたが、「エーテル」は存在しなかった。結局、Media Pointがいわば、媒介空間と言えようか。)
 そうならば、70年代初期において、ロマン主義的精神電磁波が世界を満たしていたということになるだろう。つまり、イデア界に精神が触れていたことになる。これは、日本だけでなく、世界的に、グローバルにそうだったのではないだろうか。というのは、当時の洋楽のポップスには、精神性が感じられるからである。
 今日、堕落した音楽は、精神電磁波(the Spiritual Electromagnetic Wave)を失っているということになるだろう。単なる物質的音波になっているということだろう。
 思うに、人類史において、精神電磁波が強く作用するときが、繰り返されてきたと思えるのである。そのときは、人類の創造期であろう。文化史的に、ロマン主義の時代とは、そのような世界時代であったろう。単に、西欧だけでなく、グローバルにそうだったのではないか。ヤスパースのいう枢軸時代というのも、突出したそのような時代だったのではないだろうか。(参考:枢軸時代
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/crisis/k2.htm )だから、ロマン主義というよりは、精神電磁波の時代と言うべきではないだろうか。それは、また、聖霊の時代と言ってもいいのだろう。
 唯物論ないしは近代合理主義は霊性=精神電磁波を否定して、物質中心主義を説いたが、そのような時代が「ロマン主義」の後、形成されたといえよう。日本では、上記したように、70年代後半以降である。ここで、現代日本の迷妄が起ったのである。バブル、バブル崩壊、失われた世代、等々。
 思うに、新たな精神電磁波の時代が来るのだろうが、それは、いったい、原因は何なのだろうか。社会・世界の動きによって生起するのだろうか。それとも、宇宙的原因によって起るのだろうか。
 Media Pointが本来、森羅万象に存在しているのだから、もともと、宇宙は、精神電磁波に満たされている。【前ソクラテス期の哲学者(タレスだと思うが)は、大気は神々に満たされていると言った。神々とは、精神電磁波であろう。】感受性の鋭敏な人は、物質的合理主義が支配する世界でも、神々を感知することができて、苦しむと言えよう。
 だから、もともと宇宙に満ちている精神電磁波と世界が、特別に共鳴・共振するときがあるのだろう。そのときが、精神的創造の時代なのだろう。しかしながら、宇宙(コスモス)にもサイクルがあって、精神電磁波が強く作用するときとそうでないときがあるようにも思えるのである。イデア界のサイクルがあると思うのである。
 とまれ、精神電磁波という概念を用いると、多くの謎めいたことが解明されるように思う。中国の「気」やインドのプラーナ等が説明できるだろう。アニミズム、シャーマニズム、汎神論、多神教が説明できるだろう。また、占星術や占いも説明できるだろう。オカルティズムも合理化されるだろう。当然、宗教も説明できる。一神教は、精神電磁波を同一性中心主義(唯一神)的に捉えたものだろう。換言すると、Media Pointを同一性として捉えているのである。つまり、同一性=自我的に捉えているのである。(だから、一神教の矛盾があると言えよう。なぜなら、Media Pointは、差異であり、特異性であり、固有時間であるから、本来、多元・多神教的だからである。)
 さらに、精神電磁波には、極性があるだろう。そう、既述したように、四元的である。連続性と不連続性、そして、プラスとマイナスの極性である。四元的精神電磁波である。思うに、聖書に出てくる四つの動物とは、これに関係するのではないか。あるいは、占星術の四つの基本的星座。牡牛、獅子、鷲(蠍座を指す)、人(水瓶座を指す)。そして、これが、多くの詩人や作家が捉えたコスモスを形成しているのではないだろうか。つまり、精神電磁波=コスモスである。ユング心理学や神話が捉える始原の様態のウロボロスとは、精神電磁波を連続的統一化して表象しているのではないか。本当は、差異即非様相である。
 時間の不可逆性を考えると、精神電磁波=コスモスは螺旋形状を考えていいように思えるのである。つまり、ガウス平面に直交する時間軸を考えていいのではないだろうか。そう、それは、また、太極でもあるだろう。易経に通じるだろう。
 とまれ、鈴木俊輔氏の考えを借りれば、森羅万象、量子の振動の相違によって形成されるということになる。
(参照:

http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Etechnoqt/ikiiki.htm )

つまり、精神電磁波の振動数の違いによって、森羅万象という様態が発生することになる。

 結局、Media Pointを開いて、メディア共鳴をすることで、宇宙・コスモスと共振するようになり、創造的活動に入ると言えよう。天才とは、先天的に、Media Pointが開化していて、精神電磁波から、創造するのだろう。

 思うに、現代は、21世紀は、グローバルに、Media Pointを開口して、精神電磁波=コスモスと交信する時代になるのだろう。繰り返すが、占星術では、水瓶座(宝瓶宮)の時代である。PS理論では、メディア共鳴の時代である。
 ポスト・モダンとは、本来、この精神電磁波という差異から発していたのだが、近代主義・近代的自我の連続性を切断できずに、中途半端に留まったといえよう。ポスト・モダンを超えて、トランス・モダンへと地球世界は進展していくだろう。
 グローバリゼーション経済は、トランス・モダン経済へと進展しなくてはならない。それは、簡単に言えば、自由主義経済において、差異共振的様態をもたらすことである。自由主義経済が差異共振性をもつことで、マイナスの部分がプラスへと転化するのである。一言で呼べば、自由差異共振主義経済である。脱資本主義・ポスト資本主義である。これについては、後で検討したい。
プロフィール

sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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