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2012年03月29日 (14:23)

母権と父権における連続的自我の様態:同一性による差異共振支配の克服のための聖霊主義へ向けて

テーマ:manichaeism: 哲学

母権的自我における連続的自我と父権的自我におけるそれとの区別が不分明になっているようなので、検討したい。
 母権的自我とは、原始差異共振と連続的自我の極性的二重性をもつ。
 それに対して、父権的自我は、原始差異共振を否定して、連続的自我中心となっている。ここには、分裂、亀裂がある。
 問題は連続的自我における否定される他者凹iの様態である。
 母権的自我においては、連続的自我において否定される他者凹iは、原始差異共振があるために、言わば、完全には否定されず、肯定的な側面があると考えられる。
 それに対して、父権的自我においては、連続的自我において否定される他者凹iは完全に否定されるのであり、そのために、他者凹iは否定的感情、反感、反動的衝動等になっていると考えられる。
 ヤハウェについての分析で、母権的一神教と考えたが、結局、それを翻した形になり、齟齬の状態に留まっている。
 ヤハウェはやはり、父権的自我の究極性のようなものと見るべきであろう。
 つまり、ヤハウェとは超越的な、絶対的な純粋自我であり、超越的な、絶対的な純粋他者凹iを否定すると考えられるのである。
 故に、後者の否定が前者に付随して、「我は嫉妬深い神なり」という様態になると考えられる。
 とは言え、問題は、その超越性が何処から生まれているかである。
 凸iだけなら、純粋自我であり、そこには超越的絶対性はないだろう。
 先に、凸(+1)⇒凸i*凹iを思考実験的に提起した。
 凸(+1)が真の光であり、「神」であるとすると、これが、超越的絶対性の根源であると考えられる。
 だから、ヤハウェの父権主義は凸(+1)、真の光、「神」から発生していると考えられる。
 ただし、凸iに極大化したものである。そう、ここで陰陽力学の役立つ。つまり、凸i*凹iは陰陽として、変動しているのであり、母権主義のときは、凹iが主で、凸iが従であり、凹iが極大化したときが、完全母権主義と考えられ、また、父権主義はその逆である。
 ということで、ヤハウェは凸iの極大化の様態と考えられるのである。【そうすると、陰陽力学の力の根源は凸(+1)となる。先にも簡単に指摘したが、おそらく、凸(+1)を「父」と考えることができるだろう。】
 以上の視点から現代社会、現代世界の問題が解明できよう。
 日本民族であるが、やはり、これまで既述したように、基本的には二つの民族、母権的民族と父権的民族が併存しているのであり、おそらく、明治維新以前には、両者のある種の、つまり、古代ギリシア的な結合、融合があったが、明治維新後、父権的民族が支配的になり、それが、今日現代まで続いていると考えられる。
 しかし、この父権的民族は狡猾であり、母権的民族の裏に言わば、隠れて、支配しているように思われるのである。例えば、官僚はそのようなものに思われる。民主主義の隠れ蓑に隠れて、日本国民を支配、操縦しているように推測されるのである。
 天皇制は母権的民族文化と見るべきである。それが明治維新で父権的民族に利用されたと見るべきである。(そして、この隠れた狡猾な父権的民族は某国の権力と繋がっていると推測される。)
 先に指摘したように、大半である母権的民族の日本人は新父権化して、自我と個において覚醒すべきである。(このためには、是非、外国語、とりわけ、欧米語を学ぶべきである。)
 次に、中国人であるが、既述したように、やはり、母権的民族と父権的民族の並立があるが、両者が古代ギリシアや明治以前の日本においてあったような結合が稀であったのではないだろうか。もっとも、老子や易、等はそのような結合を感じさせるのであるが。
 思うに、母権的民族のベースに強力な父権的民族(遊牧民族)が侵入して生まれたのが、中国(支那)のように思えるのである。だから、父権的民族が母権的民族を暴力的に支配する形をとったように思えるのである。(私見では、父権的民族としての中国人は、父権的民族のユダヤ人や欧米人と類似するのである。)
 東アジア、ひいてはアジアの問題の核心にはこの力学あると推察される。
 最後に簡単に資本主義の問題に触れると、やはり、ヤハウェ的一神教が根源に存すると考えられる。
 それは、上述した超越的絶対的純粋自我の同一性形式が根源のように思われるのである。
 しかしながら、以前何度も述べたように、資本主義は差異共振主義を内在しているのである。つまり、資本主義とは、内在する固有の差異共振主義(母権主義)と超越的絶対的純粋自我的同一性形式の絶対的矛盾の結合であると考えられるのである。宗教で言えば、ユダヤ教とキリスト教の結合に相応しよう。
 しかしながら、この結合(おそらく、複合ないしは混合と言う方が的確であるかもしれない)において、主であるのは、後者であり、前者は従である。つまり、いわば、「父」が「子」を支配しているのである。
 言い換えると、同一性資本主義と差異共振資本主義の複合が今日の資本主義(同一性/差異共振複合資本主義とでも呼べよう)であるが、前者は後者を支配して、世界的暴力(戦争等)を引き起こしていると考えられる。
 だから、逆転する必要があるのである。それは、言うならば、聖霊資本主義であろう。PS理論的には、media point capitalismである。
 純粋自我と純粋他者を差異共振させる資本主義である。それを実現するための方法等については、後で検討したい。(もっともそれについては多くのことが既述済みであるが。)
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2010年12月25日 (18:26)

弁証法論理と即非(差異共振)論理:ヘーゲル弁証法とPS理論的即非論理:トランス・モダン資本主義へ

テーマ:トランス・モダン社会/新共同体創造的構築

弁証法の欠陥については既述したが、民主党左派論理に関係するので、今一度検討したい。
 いわゆる、正反合の論理であるが、例えば、正をA、反を-Aとする。そして、ヘーゲル弁証法では、反をさらに否定するのである。それは、-(-A)→Aとなる。つまり、単純に見ると、正に戻るのである。
 しかし、ヘーゲルは、反のもつ同一性を説いていたと思う。つまり、物質的形式性である。つまり、正は精神(スピリット)であり、反はその顕現の物質的形式(同一性)である。そして、合は、反を止揚して、それを、正に統合させるのである。つまり、精神Aに物質的形式(同一性)を包摂させるのである。これがジンテーゼである。
 言い換えると、ヘーゲルは、精神に同一性形式を確保したのであり、これが、近代科学の基礎を形成したと言えるだろう。これはこれで意味があるのである。
 しかるに、マルクス・エンゲルスの史的唯物弁証法となると話が異なる。
 正の資本家階級Aに対して、反の労働者階級-Aが存する。そして、この-Aの否定がプロレタリア独裁なのである。これは、ヘーゲル弁証法から見て、おかしいのである。(これを1とする)
 ヘーゲル弁証法から言えば、労働者階級の「物質的形式」を包摂する「資本家階級」の形成が合である。(これを2とする)
 また、そもそも、労働者階級を「物質的形式」と見ることは、端的に、労働者階級を賃金形態としてみることになるだろう。正に、同一性主義であり、労働者の差異が抹殺されている。
 ということで、唯物弁証法は、ヘーゲル弁証法からは外れているし、また、それは、正に、資本主義を意味するのである。
 ということで、ヘーゲル弁証法は、物質的形式=同一性形式の哲学を説いたことで、意義があると言えようが、唯物弁証法は、一つの意味で、ヘーゲル弁証法の混乱であり、別の意味で、ハードな資本主義を意味するのである。
 最後に、1についてもう少し述べると、マルクスは「否定の否定」がプロレタリア独裁と述べたが、それは、論理的にそうならないのである。何故なら、-(-A)=Aであるからである。「否定の否定」は資本家階級肯定である。
 正しくは、労働者の差異ないし他者性を否定-Aとすべきなのである。つまり、PS理論では、凹iである。この凹iを肯定することで、資本家凸iと労働者凹iとは差異共振して、資本主義の他者化が形成されると言えよう。
 差異共振は弁証法ではない。それは、即非の論理である。結局、PS理論から見ると、ヘーゲル弁証法とは、凸i主導の同一性論理を解明したものである。それに対して、唯物弁証法は、錯誤であり、また、ハードな資本主義(思うに、新自由主義は、これに近いように感じる)を意味するのである。
 結局、PS理論に拠る弁証法批判から、資本主義の他者化、つまり、同一性資本主義からの脱却が視点が形成されるのであり、それは、差異共振資本主義(差異資本主義)であり、それは、トランス・モダン資本主義である。共同体的自由資本主義である。

追記:以下の説明から見ると、キルケゴールの質的弁証法とは、絶対的差異、他者の肯定であり、PS理論の即非論理、差異共振論理の先駆であると言えよう。

追記2:ヘーゲル弁証法から見ると、「否定の否定」とは、いわば、対立の統合であるべきであるが、『資本論』の「否定の否定」は、統合ではなく、単に否定である。資本家階級の否定に過ぎないのである。マルクスは、その点では、ヘーゲル弁証法を理解していなかった。
 しかし、反を物質的形式=同一性とすると、『資本論』は、資本主義、同一性資本主義のヘーゲル的弁証法であることになる。もっとも、資本家階級を精神と仮定した上での話であるが。


参考:
弁証法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内 , 検索

弁証法(べんしょうほう、ギリシア語 διαλεκτική、英語 dialectic)とは、哲学 の用語で、現代において普通にいわれるときには、ほとんどがヘーゲル やマルクス の弁証法を意味し、世界 や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則 とされる(ヘーゲルなどにおいては、弁証法は現実の内容そのものの発展のありかたである)。しかし、この言葉を使う哲学者 によって、その内容は多岐にわたっており、弁証法=ヘーゲル・マルクスとして全てを理解しようとするのは誤りである。

・・・・・
ヘーゲルの弁証法 [編集 ]

ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題 (テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の 3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン (aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)の意。

ソクラテスの対話と同じように、ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾 を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。 またヘーゲルは、歴史 とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制 という自己疎外から、自由 と平等な市民 によって構成される合理的な法治国家 という自己統一へと発展する「精神 」が実現していく大きな運動 だと認識した。

参考: Thesis, antithesis, synthesis

「しばしば、ヘーゲル哲学の方法は弁証法であると言われている。そのことは正しい。しかしながら、もしも、ヘーゲルがあらかじめ弁証法という方法を形式的に規定しておいて、これを個々の対象思考に適用するという風に考えるならば、それは由々しき誤解である。ヘーゲルは、おそらく、その全著作の何処を探しても、方法としての弁証法なるものを、具体的思考から切り離して、一般的抽象的に論考したためしはない。彼はただ対象に即して考えるにすぎない。彼が対象に即して、対象の真理を具体的に把握するに適するように、自由に考えながら進んでいった過程が、いわば後から顧みて、弁証法と呼ばるべき連鎖をなしていることが見出されるのに過ぎない。極言すれば、理性的思考がいわゆる正反合の形態を具えているということは、抽象的形式的に基礎づけることは出来ない事柄である。そして、いわゆる弁証法的契機(例えば綜合)の具体性ということも、結局、対象を内包する理性内容の具体性に依存するものに外ならない。それ故に、ヘーゲルの哲学を理解するために、その内容から切り離されたいわゆる弁証法だけをとり出して、これを解釈したり論考したりすることは、むしろ不必要である。」矢崎美盛 著『ヘーゲル精神現象論』

マルクス主義における弁証法 [編集 ]

カール・マルクス とフリードリヒ・エンゲルス は、ヘーゲルの弁証法は、世界は諸事象の複合体ではなく、諸過程の複合体であることを指摘した点を高く評価しているが、ヘーゲルは「頭でっかち」で「逆立ち」しており、彼の考えを「地に足をつけた」ものにしなければならないと主張した。すなわち、ヘーゲルの観念論 による弁証法における観念の優位性を唯物論 による物質の優位性に反転させることで、唯物弁証法 (唯物論的弁証法)またはマルクス主義 的弁証法が考え出された。世界は観念的な神や絶対知に向かって発展していくのではなく、物質に、自然科学に向かって発展していっているのである。この弁証法を歴史の理解に応用したものが、史的唯物論(唯物史観 )であり、この見方は、マルクスやエンゲルス、レーニン 、トロツキー の著作に見て取ることができる。この弁証法は、マルクス主義者の思想の核心的な出発点となるものである。

エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を三つ取り上げた。

1. 「量から質への転化、ないしその逆の転化」
2. 「対立物の相互浸透(統一)」
3. 「否定の否定」

これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1.は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらすということをいっており、エンゲルスは例えば、分子とそれが構成する物体ではそもそもの質が異なることを述べた。2.と3.に関するエンゲルスの記述は少ない。しかし、2.はマルクス主義における実体論でなく関係論と結びつく内容であるといわれる。つまり、対立物は相互に規定しあうことで初めて互いに成り立つという、相互依存的で相関的な関係にあるのであって、決して独自の実体として対立しあっているわけではない、ということである。3.はヘーゲルのアウフヘーベンと同じである。エンゲルスによれば、唯物論的弁証法は自然から弁証法を見出すが、ヘーゲルのそれはちょうど逆で、思考から自然への適用を行おうとする。

また、エンゲルスは、ヘーゲルの弁証法の正当性は、「細胞」「エネルギー転化」「ダーウィンの進化論」の3つの自然科学的発見によって裏付けられたと考えた。

スターリン主義における弁証法的唯物論は、政治的イデオロギーの側面が非常に強かったため、だんだんと教条主義的、また理論的に破綻したものへと変わって行った。ソビエト連邦 の哲学者の中で最も有名な人物は、イバルド・イリエンコフ である。彼は、観念論的偏向から解放されたマルクス主義 的な弁証法の研究を続けた。
キルケゴールにおける弁証法 [編集 ]

キルケゴール はみずからの弁証法を質的弁証法と呼び、ヘーゲルのそれを量的弁証法と呼び区別した。たとえば美的・倫理的・宗教的実存の領域は、質的に本質を異にし、そこにはあれもこれもでなく、あれかこれかの決断による選択、あるいは止揚による総合でなく、挫折による飛躍だけがある。

実存は、成りつつあるものとして無限への無限な運動、また単なる可能でない現実としてつねに時間的であり、その時間における運動は、決断とその反復において、時間における永遠を満たす。矛盾によって各々の実存に対して迫られた決断における真理の生成が、主体性の真理であり、主体的かつ実存 的な思惟者は、いわば実存しつつ問題を解く。

・・・・・

「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95 」より作成

2010年12月08日 (20:49)

「資本の論理」と「帝国の論理」:田中宇氏の仮説:差異共振原理と同一性原理

「資本の論理」と「帝国の論理」:田中宇氏の仮説:差異共振原理と同一性原理
テーマ:脱資本主義:トランス・モダン・エコノミー
ほぼ積ん読状態だった田中宇氏の『世界がドルを棄てた日』の一部を読んだ。(追記:「ドルを棄てた」というのは、レトリカルの表現である。通貨の多極化を主張しているのであるから。)

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Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation




世界がドルを棄てた日 [単行本]
田中宇 (著)
内容(「BOOK」データベースより)
米国投資銀行リーマン・ブラザーズ破綻後、世界は基軸通貨としてのドルを棄てざるを得なくなった。なぜ米国はドルの価値を引き下げるような、財政赤字の急増や金融破綻の黙認を続け、ドルに象徴される自国の覇権を自滅させているのか?金融危機を的中させた著者が、近現代史の隠されたドラマを読み解く。

出版社からのコメント
オバマ政権は、失敗が運命づけられている!
米国投資銀行リーマン・ブラザーズ破綻後、
世界は基軸通貨としてのドルを棄てざるを得なくなった。
なぜ米国はドルの価値を引き下げるような、
財政赤字の急増や金融破綻の黙認を続け、
ドルに象徴される自国の覇権を自滅させているのか?
金融危機を的中させた著者が、いま、金融恐慌の裏で起きている壮大なドラマを読み解く!

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 田中氏の論旨は、メルマガでもわかるように実に明快である。日本人として、これほど、明快に論じる人は希有であろう。この点で、少なくとも、田中氏の独創的意義があろう。
 田中氏の視点の基盤は、「資本の論理」と「帝国の論理」である。前者はユダヤ系資本(ロックフェラーも含めているが)であり、後者は英米帝国主義路線である。
 しかしながら、有り体に言えば、「帝国の論理」もそれなりに、資本の論理である。
 だから、田中氏の論は理論的には、破綻しているのである。しかしながら、田中氏の立論は、本質に通じていると思うのである。
 PS理論から言うと、田中氏の「資本の論理」とは差異共立・共振の論理であり、「帝国の論理」とは、同一性(⇒物質)の論理と見るべきである。換言すると、トランス・モダンの論理とモダンの論理である。
 そう見ると、今日、東アジアでの騒動の意味が明瞭になると考えられるのである。
 結局、トランス・モダンとモダンとの相克なのである。そう、単純にユダヤ金融資本を批判することはできない。それ自体、トランス・モダンとモダンで争闘していると考えられるのである。
 もっとも、より精緻に言えば、「資本の論理」は的確には、差異共立・共振原理を把握はしていない。それは、やはり、一部、「帝国の論理」に囚われていると思われる。
 思うに、自我的資本(西洋原理)と共同的資本(東洋原理)の即非的資本様態が、私が言う個的共同資本主義を意味すると思われる。
 因みに、ネグリとハートの「帝国」とは、田中氏の「資本の論理」に通じよう。しかし、正確には、両者とも差異共立・共振原理に還元される必要があるだろう。

追記:先に示唆したが、差異共振(トランス・モダン)と差異連続的同一性(ポスト・モダン)は絶対的に区別されるべきものである。前者は⇒+1であり、後者は=+1である。例えば、凸iが主導的であると後者になるのである。

追記2:田中宇氏の「明快な」論考の特徴は、多極主義と英米帝国主義との争闘という仮説、とりわけ、隠れ多極主義という仮説に拠る大局的な分析・洞察である。

追記3:《トランス・モダン》VS《モダン》の《モダン》に《ポスト・モダン》を含ませて考えるべきである。


参考:
TOP
◆ 2010/12/06(月) 飯山一郎の心奥にある願い、そして希望。
私を中国びいき・親中派とみるヒトがいる。少しは当たっている。
私のホンネは、中国や韓国に対する憎悪感をムキ出しにするヒトが嫌いなだけだ。
いま、日・中・韓は、悪口を言いあったり、仲違い(なかたがい)しては絶対に駄目だ。
なぜか?
(私が命よりも好きな祖国・)日本(ニッポン)のためにならないからだ。

日本は、敗戦後米国に占領され、以降65年間、米国の属国だった。
米国の支配は、露骨な植民地支配ではなく、実に巧妙な 『ステルス支配 』 だった。
そのため、日本人は強い反抗や抵抗をせず、また、大きな不満も持たなかった。
しかし日本は、そろそろ自立・独立を真剣に考える時期にきている。
そうでないと、欧米に騙され、中国や北朝鮮やロシアと戦争をさせられる事態になる。
アジア人同士の戦争は、欧米にとっては利益になるからだ。
彼等は、昔のようにアジアを分割し、できたら植民地として統治したいのだ。
そうなれば、欧米の未曽有の経済危機は、見事に解決する…。
いま、アジアの国々(特に日中韓)が仲良くすれば、アジアは発展する。
欧米に搾取されて貧しかったアジアの人々の暮らしが、豊かになる。
人間らしい生活ができるようになる。
アジアが発展すれば、沈没しそうな日本の経済も、だんだん良くなる!
元気だった昔の日本(ニッポン)が、復活する! よみがえる。
逆に、戦争になったら、アジアは、また、もとの貧しいアジアに戻ってしまう…。

アジアは、なにも好き好んで貧しくなったわけではない。
アジアは、西欧列強の植民地にされ、搾取され続けてきた。
だから、貧しくなったのだ。
貧すれば鈍する。貧しいから頭も悪くなり、性格も悪くなり、泥棒も増える。
そういうアジアの貧しい人々や国を、軽蔑し、憎悪する…。これは絶対に駄目だ!
いま、アジアは、なにがなんでも! お互い仲良くしないといけない。
悪口言いあって いいことある? 憎しみあって何になる?
相手の欠点には目をつぶり、互いに助けあい、融通しあって、みんなが豊かになる!
本来、アジア人は、心が優しい。働き者だ。手先も器用だ。性格も正直で実直だった。
そういうアジア人が、心を合わせ、力を合わせて、豊かで仕合せなアジアをつくる!
みんな! そーゆーほーこーで ぐぁんばらないか!

たたかう老人! 飯山一郎の ハッタリなしの 口演会場 _

飯山一郎の ちいさな space リトマス試験紙のようなspace ホームページ _

2010年12月05日 (09:04)

アジアのトランス・モダン:母権主義と唯物論:自我の不連続化に拠る母権的精神の超越化

テーマ:トランス・モダン社会/新共同体創造的構築

今は余裕がないので、ざっと書くが、先に、母権主義と唯物論との関係を述べたが、これを精緻に解明する必要がある。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10727100942.html
 アジアは母権主義である。しかし、近代において、アジア(だけではないが)は西欧の帝国主義によって支配された(日本は例外的である)。
 それに対抗するために、唯物論的政治革命が起きたと言えよう。この精神的力学は、先に述べたように、母権主義である。凹i主導的である。
 凹iに拠る不正義への反発であるが、これは、思うに、本来、-1と関係している。しかしながら、近代においては、母権主義国は凹iと凸iとの関係が未分化であったと思われる。
 そのために、凹iに反発は凸iや+1と関係するようになるのであり、それが、唯物論、「マルクス主義」と結んだと考えられるのである。それがイデオロギーとなるのは、凹iのもつ-1(超越界)との関係からと思われる。
 絶対・超越的であるために、未分化の、故に、連続的な凹i*凸iは、不正義への反発の唯物論的大義化において、イデオロギーになったと考えられる。
 西欧ないし米国においては、近代の発展が緩やかだったために、自我凸i(父権主義)は、無我凹i(母権主義)から、比較的に分離するように形成されていき、近代的自我、近代合理主義を形成していったと考えられる。いわば、ある種の不連続化が形成されたのである。それが、欧米の個人主義と呼ばれるもののベースであろう。しかしながら、PS理論から見ると、その不連続性は不十分であり、自我凸iが個を支配していると考えられる。
 ということで、アジア(ロシアを含めて)においては、自我凸iと無我凹iとが未分化・連続的であったために、正義への闘争が、唯物論左派イデオロギーに囚われた大惨劇を結果したと考えられる。
 ここで想起するのは、精神学者ルドルフ・シュタイナーの言である。精神世界の修行には、近代科学的教養や常識・健全な意識が必要があると説いていることである。
 この意味は凹iと凸iとの連続性に支配されない、知性、意識の前提の必要であると考えられる。
 真の知性とは、本来、感情である凹iとの連続性から脱却したものである。(とは言え、凹iのもつ感性は肯定するのである。)
 ということで、シュタイナーも自我的知性の不連続化を説いていたと言えよう。
 結局、アジア・東洋にとって、脱近代として、超越的精神の独立の形成が根本的であることがわかる。
 本来、資本主義も、凹iから切り離された凸iの合理性によって営為されるものである。しかし、日本の国家資本主義(社会主義)を見てわかるように、日本も母権主義の国なので、凹iの癒着があるのである。そのために、自由な自我に拠る、本来的な資本主義、個的資本主義の形成が阻害されているのである。
 そう、自由な自我、不連続な自我とは、ほぼ個と言っていいだろう。ここには、他者である凹iとの共立・共振性である共同体への志向があるのである。
 今はここで留めたい。

2010年11月16日 (13:15)

農産物自由貿易問題:巨大資本自由主義と中小資本自由主義を区別せよ

テーマ:日本民族第一次産業防衛:地域経済共同体

自由貿易というと聞こえはいいが、実際は、グローバル超巨大資本が支配的であるのは言うまでもない。
 つまり、自由貿易はグローバル超巨大資本主義のためにあるのであり、各国民族的農業は壊滅的な打撃を受ける。
 日本において、JAが反発しているが、それは説得力がないし、そもそも言う資格がない。それは、これまでの社会主義農業政策の恩恵を被ってきたからである。JAが日本の農業の阻害・悪化の要因である。
 だから、問題は複雑である。戦後日本は工業化のために、農業の主体的発展を犠牲にして、社会主義化政策を行ってきたのである。つまり、農業市場主義を損なってきたのである。
 だからとは言え、いきなり、自由貿易を肯定するのは、無理である。その備えがないからである。超巨大農業産業に破壊されるだろう。
 ここで、欧米はそれなりに農業国でもあることを考えるべきである。つまり、欧米諸国は民族的農業を保持しているのである。だから、日本においても、当然、民族的農業の創造的保持を行うべきである。
 思うに、これまでの経済の理念ではこれからの時代は立ちゆかない。トランス・モダン民族主義とトランス・モダン共同体主義とトランス・モダン民族共立主義、等をもつ必要がある。
 農業に関して言えば、民族的農業の復興が必要である。そのためには、それを志向する者への支援が必要である。この点では、民族的自由主義農業支援である。
 そして、それは、地域・地方の経済共同体の創設を考慮すべきである。民族的自由主義農業創造が地域・地方経済共同体の創設と結びつくべきである。
 このためには、中小資本への支援も必要である。このためには、中小資本への融資の積極化の法律を形成する必要がある。
 また、以前述べたが、多元的通貨制の必要である。有利子通貨、無利子通貨、マイナス利子通貨があればいいのではないだろうか。もちろん、法定通貨としてである。
 民族自由主義農業的地域経済共同体のためには、無利子通貨やマイナス利子通貨がふさわしいように思う。
 以上、思いつきである。

追記:共同体の創設には、経済以外に、精神次元の共同体という意味がなくてはならない。民族的精神教育の重要性がここにある。

*
【第153回】 仮にTPPが流れても日本の農業は生き残れない?
「自由貿易のバス」に乗り遅れた政治の機能不全ぶり 

[2010年11月16日]
環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加につい賛否が分かれるなか、民主党政権は農業分野を含めた原則関税撤廃を目指す協議開始を決めた。しかし真の問題は、TPPというよりも日本の農業政策そのもの機能不全ぶりだ。

2010年09月24日 (14:23)

スロー人氏のポスト・ポストモダンはトランス・モダンだ:同一性の支配から差異共立共振の発展へ

スロー人氏のポスト・ポストモダンはトランス・モダンだ:同一性の支配から差異共立共振の発展へ

テーマ:トランス・モダン社会/世界への創造的進化

以下、ポストモダンの時代が終わり、グローバルな再工業化の時代がやってきたと述べられている。
 これは、トランス・モダン・キャピタリズムの時代と考えられる。モダン・キャピタリズムは同一性が支配した。ポスト・モダンはその末期を意味した。今や、差異的価値、差異的価値の共振が新たな経済を生み出すのである。
 差異⇒同一性の図式から見ると、モダン/ポスト・モダンは右辺主義であり、それが、左辺を侵害したのである。しかし、トランス・モダンは、左辺へと回帰・再帰・環流して、新たに同一性を形成するのである。しかしながら、主は左辺であり、従は右辺であり、逆転するのである。オバマ政権の「ロックフェラー路線」がそれを推し進めているのである。
 再工業化は、その一端であると考えられる。それだけでなく、トランス・モダン精神が勃興するのである。それは、トランス・モダン・ユニバーサルである。
 そう、個、絶対的差異において、世界は共立・共振生産・創造をするのである。これを「連帯」につなげるのは、守旧的なのである。

補記:正確言えば、新しい超越の時代である。ps理論では、-1の時代である。量子論は虚軸=「電磁波」まで進んだが、それを超えて、超越、高次の世界へと再帰するのである。
 そう、モダンを媒介にして、前近代(先古代、古代、中世)が回帰するのである。これは、超越への復帰である。言い換えると、神への回帰である。


ポスト・ポストモダンの時代

 簡単に言えば、モダン化の時代は工業化の時代。この工業化を終えて、次の経済ステージに上がったのが「ポストモダン」と呼ばれていた。


 もちろん、ポストモダンの代表的な国家はアメリカであった。


 金融とIT技術によって脱工業化の経済を実現したと思われていたわけだ。


 しかし、足元を見れば、G20が力強く歩み出し、とりわけ中国が強烈に台頭してきたように、アメリカの力は相対的に衰え、ドルはかつての不動の地位から引きずりおろされた。


 こうして「ポストモダン」後の時代、つまり「ポスト・ポストモダン」の時代へと時代が移り変わったように思える。


 「ポスト・ポストモダン」の時代は再び工業化の時代に回帰したように思える。


 これまでの工業化は「先進国のみ」というきわめて限定的・地域的な現象だったが、「ポスト・ポストモダン」時代の工業化はグローバルな広がりが見られることが特徴的だ。


 これこそ、本格的な資本主義化の時代が始まったと見るべきなのかもしれない。

http://ameblo.jp/adco/entry-10657570837.html


スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節

オバマ大統領、米国の「世界開発政策」を発表


いまだ解けない金融危機の方程式

世界経済 リーマン・ショックから2年、 新たな経済学の胎動はまだ聞こえない

2010年09月20日 (12:43)

ジジェクの「コミュニズム」と差異共立・共振トランス・コミューナリズム

ジジェクの「コミュニズム」と差異共立・共振トランス・コミューナリズム

テーマ:トランス・モダン社会/世界の創造・構築

以下、述べられているジジェクの「コミュニズム」とは、PS理論の方向である。しかし、PS理論的社会(政治・経済)はコミュニズムではない。私はそれは、差異共立・共振社会であると思っている。これは、いわゆる、共同体もコミュニティも超えた新しい社会だと思っている。個の共立・共振した社会である。それは、MP社会である。
 何度も述べているように、同一性価値=交換価値を差異共立・共振価値へと還元すべきなのである。何故なら、後者が主であり、前者は従であるからだ。資本主義の問題は、従であるべき前者が主になり、また、主であるべき後者が従になっていることである。こんな簡単なことを経済学者が言わないのは、民衆を騙すためであろう。とまれ、実践的には、差異共立・共振価値法を立法化すればいいのである。

追記:差異共立コミューナリズムという言い方が可能であろうか。コミューナリズムという用語であるが、直感では、かなり、妥当するが、それが、共同体主義を意味すると、疑問である。あくまで、個であることが前提だからである。
 しかしながら、個が生きるためには、基本的共有や共同体が必要である。思うに、トランス・コミューナリズムとしての、差異共立・共振社会を考えるべきかもしれない。トランスは、包摂を内包している。

* 「平等」について---ジジェクのコミュニズム(その3・終) (2010/09/13)


とはいえ、一つだけ付言したいのだが、それは四つの条件のなかにある「厳格な平等主義の正義」についてだ。ジジェクは、本書でコミュニズムの「基本定義」は「特定の限定を回避して、単独的普遍性へ、単独性と普遍性との直結へ」向かうことでもあると述べている。この言い回しはキルケゴールに示唆されつつ、キリスト教(あるいは神)を否定することによって普遍性に直結する方向を目指すということでもあるし、近代における神=資本(市場)と教会=国家の弁証法の外に立ち、媒介を破砕することとしてのコミュニズムを目指すということなのかもしれない。この過程で、先の四つの基本条件が位置づけられるともいえそうだ。
http://alt-movements.org/no_more_capitalism/modules/no_more_cap_blog/details.php?bid=87
no more capitalism


新自由主義と左翼主義の一致

テーマ:棺犹吐民死党ロックフェラー植民地売国政権

これは単純な資本的生産力主義で説明できるだろう。
 これは、まったき同一性価値=交換価値主義である。これは、資本主義の癌である。
 棺政権はこの路線になったので、まったく反動的である。今や、凸i⇒+1の物質路線ではなく、本源の差異共立・共振的経済様態への復帰が必要なのである。MP回帰・再帰である。
 このときは、精神的価値が重要となるのである。そう、差異共立・共振は本来、精神的価値である。

追記:新自由主義は凸i⇒+1である。左翼主義は、凸i⇒-1だろうか。しかしながら、凸iの同一性志向性があるので、それは、物質的志向性⇒+1になると思われる。
 ネオコンは本源は左翼である。後で再考したい。

追記2:左翼主義は、第四象限ではないだろうか。体制へのアンチテーゼとは、凹iであろう。体制への反発、反抗、反逆は凹iである。それが、物質主義(唯物論)を志向するのであるから、凹i⇒+1となり、第四象限である。これは、私の直感にも合うのである。

追記3:四大(地水火風)の人間認識図への適用であるが、異なる考え方もできる。

       風凸i
       |
       |
  -1火ーー空ーーー地+1
       |
       |
       水凹i
 

問題は、地と火を入れ替えるべきかどうかである。しかし、物質は地が適切である。後は、風と火を入れ替えるべきかである。しかし、霊は風や空気として、イメージ化されているので、やはり、風は凸iでいいと思う。
 ならば、-1を火とするのはどうか。火とは熱である。また、光である。
 発想を変えて、火と空を入れ替えてはどうだろうか。即ち、-1が空(くう)であり、MPが火である。即ち、

        風凸i
       |
       |
 -1空ーーー火ーーー地+1
       |
       |
       水凹i
 
となる。MPは、エネルギーが発生するので、これでいいだろう。-1を空とするのは、どうなのだろうか。物質界から見れば、超越的未知の世界は空としてもいいのではないだろうか。後で再考したい。

[09/18]「新自由主義という醒めない悪夢」 (「シートン俗物記」から) New!!
村野瀬玲奈の秘書課広報室

2010年06月05日 (13:58)

検討問題:差異資本市場経済有機体試論

検討問題:差異資本市場経済有機体試論

テーマ:検討問題:思考実験・(作業)仮説・備忘録

国家主導を排した資本経済の有機体論が必要ではないだろうか。
 問題は、交換価値なのである。これが、同一性価値として、機能するので、資本有機体が崩壊すると考えられる。
 個的資本の共振経済が合理的であるが、それを交換価値中心主義が破壊するのである。市場経済の問題はここにあるのである。
 以前述べたように、差異市場経済が重要なのであり、同一性市場経済が解体する力学が必要なのである。
 そうすると、やはり、通貨・貨幣体制の問題となるだろうが、これも既述済みである。
 現実的には、国家主導を排除する資本市場経済を形成することである。国家は立法機能を果たすべきである。経済は経済自体に任せるべきである。
 ただし、同一性市場、同一性資本経済、交換価値経済にしないための法的方策は必要であろう。オバマ政権のウォール街への規制はそれを意味する。
 今は抽象的に言うが、差異資本市場有機体の志向が必要である。これは、生体の新陳代謝のようなものである。
 また、差異資本は平等主義である。個に対して、差異資本は融資するからである。
 つまり、差異資本市場民主主義有機体が可能である。国家が経済に参入(侵入)することにより、同一性資本が差異資本経済有機体を破壊するのである。


参照:以下、冒頭を引用転載させていただきます。

菅政権誕生

【菅政権が誕生して、今朝も、各局がきそって新政権の特集している。


 新政権に期待する人、けなす人、いろいろいるが、どの局にあっても国に期待するという根本精神において共通している。


 しかしながら、真実は昨日も書いたように、国に期待することは間違いである。


 もっとも重要なことは町の人々の信頼関係に基づく共同社会の再生なのである。


 政府が規則を作って国民の活動を抑制しなければしないほど、民の活力は回復するのである。


 民の力をさげすむ国に頼るのはもうやめよう。同様に、小泉政権の「民活」などという、政府の身勝手な民の力の利用の仕方も民をバカにした政策だ。


 日本人もそろそろ、そこに意識するべきときだ、と思う。報道機関もマスコミも大本営発表をしたかつての報道機関と同じ体質だから、民がそういうことに気づかないように注意深く情報をながし、民意を誘導している。


 彼らも民の仲間ではない。


 民が信頼できるのは、基本的に民だけだと思う。】


http://ameblo.jp/adco/entry-10554411248.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節




Sat, June 05, 2010 12:37:32
民主党内力学:ロックフェラー路線と「ロックフェラー路線」

テーマ:小沢一郎/民主党と日本の政治

A:民主党内のロックフェラー路線:戦争産業帝国主義
B:民主党内の「ロックフェラー路線」:トランス・モダン主義

仮説として、ハトヤマ前首相は、両者の力の衝突するコマとして使われた(傀儡)。
 国民の支持が低下したので、菅首相に首をすげ替えた。しかしながら、当然、AとBの闘争力学は残っている。
 しかし、問題は、B路線が明確にトランス・モダン主義を意識しているかであるが、かなり怪しい。小沢一郎のように中国路線傾斜をもっているからである。
 とまれ、小沢一郎は、「ロックフェラー路線」の傾向はあるだろう。
 問題は、財政である。国民経済主義と財政削減主義を両立させるトランス・モダン経済を創造できるかである。
 今はここで留める。

追記:現実的に見ると、B路線は可能性と見た方がいいだろう。小沢一郎は理念・理論的というよりは、権勢主義的である。ただ、対米・独立主義的ではあるだろうが、戦略的に、敵の敵の中国に傾斜し過ぎて、危険ではある。
 米国と中国の間の「中道・中庸」路線が必要である。それは、孫子にあるように、敵をよく見ることから、見えてくることだろう。
 

米が声明「大統領は菅新首相と緊密に協調」
 【ワシントン=小川聡】米国家安全保障会議(NSC)のマイク・ハマー報道官は4日午後(日本時間5日未明)、菅新首相誕生を受け、「選出を歓迎する。オバマ大統領は近く話ができることを楽しみにしている」とする声明を発表した。(読売新聞)
[記事全文]

・ 新首相との会談を心待ち オバマ米大統領、近く協議 - 産経新聞(6月5日)

◇日米同盟、普天間が試金石に
・ 普天間移設 菅新首相、日米合意堅持の方針 - 琉球新報(6月5日)
・ 菅首相 米、日米同盟の重要性表明期待 普天間が試金石に - 毎日新聞(6月5日)
・ 菅新首相誕生 過去の菅氏発言 海兵隊国外を主張 - 基地問題に関するこれまでの発言。琉球新報(6月5日)

参考:

*
2010/06/05   時系列で見る「普天間問題」鳩山首相狂気行動の真相 2
*
2010/06/05   時系列で見る「普天間問題」菅首相誕生で小沢構想大成功?
*
2010/06/04   小沢・鳩山W退陣のキーワードは「安保」。日本独立を目指す小沢の野望は潰えたのか?

憂国通信M版

進む「小沢外し」…「組閣本部」は3日から始動
 菅新首相(民主党代表)は内閣・党役員人事で小沢幹事長と距離を置く議員を要職に充てる方針だ。(読売新聞)
[記事全文]


進む「小沢外し」…「組閣本部」は3日から始動

6月5日3時8分配信 読売新聞

 菅新首相(民主党代表)は内閣・党役員人事で小沢幹事長と距離を置く議員を要職に充てる方針だ。

 「脱小沢」の動きに対し、党内では警戒や反発も広がっている。

 4日、国会から民主党本部まで慌ただしく動き回った菅氏は、その日程の合間を縫うように、官房長官への起用が固まった仙谷国家戦略相、党幹事長に内定した枝野行政刷新相との3人での会談を重ねた。

 「完全に3人でやっている。何も入ってこない」

 中堅議員は、人事や党運営の情報が漏れてこないことを恨めしそうに嘆いた。

 菅氏は「人事は白紙」と強調、週明けに先送りしたが、3日夜には東京都内のホテルで仙谷、枝野両氏とひそかに会談、「腹案」を伝えていた。3氏による事実上の「組閣本部」は既に始動していたのだ。

 3氏は1996年に旧民主党が結党された時の「オリジナル民主党」メンバーだ。菅氏は「官房長官、幹事長、国会対策委員長がしっかりしていれば長期政権が狙える」と周囲に語っていて、政権中枢に仙谷氏らを据えることで「民主党らしさ」を取り戻し、内閣支持率回復につなげたい考えのようだ。この「新トロイカ」が主導する新政権の特徴が「脱小沢」になるとの見通しに反論する声は少ない。仙谷、枝野両氏とも、「反小沢」の筆頭格。菅氏は「ポスト鳩山」への意識からか、小沢氏との表だった対立は避けてきたが、新政権の人事では「反小沢」「非小沢」の登用で「小沢外し」に走るとの見方が専らだ。小沢氏が自由党を解党して民主党と合併したのは2003年。この時の代表は菅氏だった。その後、小沢氏が権勢を誇るようになり、「オリジナルメンバー」には、「庇(ひさし) を貸して母屋を取られた」との不満が募った。

 小沢氏は自らの資金管理団体「陸山会」を巡る事件で、近く、検察審査会の2度目の議決を受ける。再び「起訴相当」と判断される場合に備え、「今から小沢氏と一線を画していた方が得策」(菅氏周辺)との判断もあるようだ。「小沢氏の側にも検察審査会の心証を意識して、当面は静かにする動機がある」と見て、今が「脱小沢」の好機だとする分析もある。

 仙谷、枝野両氏は、前原国土交通相が中心の「凌雲会」に所属している。政策や政治理念でも、菅氏とは微妙な距離があるとも指摘されている。ただ、菅氏自身は「自分が首相になったら官房長官は仙谷さん」と、早い段階で決めていたフシがある。菅氏が理想とする官房長官像は「中曽根内閣の後藤田正晴官房長官」。警察官僚出身で、ペルシャ湾への掃海艇派遣を主張した中曽根首相に「閣議でサインしない」と抵抗した姿に、弁護士で、菅氏との激しい議論も辞さない仙谷氏を重ねているのだ。

 一方、枝野氏は政治の幅を広げるためにも「政策より党務をやりたい」と国対や党内調整に意欲を示していたという。幹事長の要職は望外とも言えるが、菅氏は「仙谷―枝野」ラインで、絵に描いた餅と化した「政府・与党一元化」を再構築する狙いもあるようだ。(政治部 円入哲也)

最終更新:6月5日3時8分

読売新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100605-00000111-yom-pol

◇組閣は8日
・ 菅新首相「組閣は8日、党人事は7日」=民主・山岡氏 - ロイター(6月4日)
・ [動画ニュース]菅次期首相、8日に組閣の予定 官房長官に仙谷氏、幹事長に枝野氏の起用内定も突然白紙に - フジテレビ(6月4日)

◇自民党は警戒
・ 脱小沢路線を警戒 自民「敵失頼み」見直し - 産経新聞(6月5日)
・ 自民に強い危機感 古い体質払拭できず、迫られる戦略見直し - 産経新聞(6月5日)




Fri, June 04, 2010 21:19:47
菅内閣はさらに危険である:ロックフェラー路線の肝いりではないか

テーマ:サギ山師売亡国独裁奴隷根性国家癌政権

MSN産経ニュース
【菅首相誕生】米、新首相に「同盟修復」を期待  2010.06.04 19:55
【ワシントン=佐々木類】菅直人新首相について、米政府は、鳩山政権下でぎくしゃくした日米同盟の立て直しに期待を寄せている。ゲーツ国防長官は3日、アジア安全保障会議出席のため、シンガポールに向かう機中で次……続きを読む

官僚に利用されるだろう。日本の亡国が近い。民主党を政権から引きずり落とすことが必要だ。

【菅首相誕生】郵政法案、無条件受け入れ 連立優先で“官”肥大化
MSN産経ニュース - ‎1 時間前‎
菅直人新首相は、国民新党の亀井静香代表との会談で、郵政改革法案の今国会成立を無条件で受け入れた。金融業界からは「民業圧迫」への不満が噴出し、国会で十分な審議が行われていないことに批判も高まっているが、連立維持を優先した。民間から資金を吸い上げ、非効率で ...

2010年05月03日 (22:42)

差異共振市場原理へ:Trans-modern Economy

差異共振市場原理へ:Trans-modern Economy

テーマ:トランス・モダン社会/世界の創造・構築」

市場原理と生活原理―マルクス・ケインズ・ポランニーを超えて (単行本)
根井 康之 (著)

http://www.amazon.co.jp/gp/search?field-keywords=%E6%A0%B9%E4%BA%95%E5%BA%B7%E4%B9%8B&index=blended&tag=mozillajapan-fx-22&sourceid=Mozilla-search&__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&linkCode=qs


既述したことだが、不連続的差異論が生まれる際に、私は、根井康之氏の『東西思想の超克』他の著作に深く影響を受けていた。
 実家に帰って、たまたま本書を取ったが、実に、今日的な視点があると思った。
 20世紀前期において、「市場経済」が崩壊した後、社会主義やケインズ経済が生まれた歴史を踏まえて、根井氏は、フッサール/西田哲学に基づいて、創造的モナド論的経済を説いているのである。
 これは、PS理論のトランス・モダン・エコノミー論と通じると言える。今は、詳論できないが、結局、Media Point的Vector Mode的差異共振経済になると推測できるのである。
 とまれ、根井康之氏は在野の天才的思想家であるが、アカデミズムや主要メディアにまったく無視されていると言えよう。




ブログこそ、トランス・モダン・メディアである

テーマ:Internet media/ICT

ほぼたった二日であるが、ネットと離れた生活をして、いかに、テレビが洗脳・麻酔的メディアであるかわかった。
 ところで、司馬遼太郎の「文学」をどう評価するのか。人物洞察は天才的である。私は島崎藤村の『夜明け前』は、いまだによくわからないが、司馬遼太郎の『竜馬が行く』は明快で、鋭く、感動する。
 私は後で、後者を批評しようと思っているが、直感では、トルストイの『戦争と平和』の思想的叙事詩に似ている。明治維新という日本の近代の叙事詩を描いた大名作であり、西洋の叙事詩の伝統(ホメーロスから始まる)に、優に匹敵するものと思える。
 この後、三島由紀夫の『豊饒の海』が出版されるのである。また、ほぼ同時期に、大江健三郎の『万延元年のフットボール』が発行される。
 
第145号(08/10発行)
狂気の日本

第144号(07/18発行)
日本政治の限界(2006)②

第143号(07/18発行)
日本政治の限界(2006)①




アトランティス文明崩壊とポスト・アトランティス文明

テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明

(c)AFP/Noah's Ark Ministries International (NAMI)

AFPBB News
「ノアの方舟」確率99.9%で発見と探検チーム、トルコ・アララト山頂
2010年04月29 日 18:08
【4月29日 AFP】旧約聖書に登場する「ノアの方舟(はこぶね、Noah's Ark)」を探す中国とトルコの探検家チームが26日、方舟が漂着したといわれるトルコのアララト(Ararat)山の山頂付近で……
≫続きを読む

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現代は、ポスト・アトランティス文明の崩壊期を迎えていると言えるのではないだろうか。

2010年03月18日 (19:47)

「近代」の発端の中国人と近代の末端の日本人:脱近代=トランス・モダン、又は魂の資本主義

スロー人氏は以下、いい点をついている。結局、今の日本は近代末期であり、且つ、脱近代の志向が消失している状況なのである。精神科学的に言えば、魂・精神の喪失状態である。
 私見・管見では、中国の人々は今や、「高度成長」を迎えているのである。しかしながら、問題点は、近代主義の外向性にある。同一性=唯物論である。内的には、魂、つまり、Media Pointから発しているが、「自己」は+1の自我、物質を志向するということである。これは、日本を繰り返しているのである。
 結局、脱近代、トランス・モダンを視野に入れる必要があるのである。そして、日本の復活は一重にこの点にかかっていると言えよう。明治維新並びに戦後を介して、魂=精神を喪失した日本人が再び、魂=精神を見いだして、生まれ変われるかである。
 
************************

本当はチャンスがいっぱいある時代なのだ



中国の若者たちは歯を食いしばってがんばるが、日本の若者たちはカンタンにあきらめるのだとか。


 たしかにそんな感じはします。日本は、豊かになって、わがままになって、がんばれる人が少なくなったように感じられる。


 結局、日本の停滞の背景には、こういう人的な要素も関係しているように感じられるときもある。


 確かに今は働く者にとって、働きやすい環境ではなくなった。夢を追うことすら、まじめに考えられないような時代になった。


 そういう意味では、今の若者たちはとても可哀想だと思う。


 だからこそ、かつての日本のように、若者たちが夢をもって、懸命にがんばれるようにするにはどうすればよいのだろうか、と思う。


 すでにモノづくりの重心は日本からアジアに移転してしまった。


 そんな日本で若者たちが夢を描けるようになるためにはどうすればいいのか。


 若者たちと一緒に大人も自分の責任であると自覚して、改善するように努力するべきなんだと思う。


 しかし、口ばかりの大人が多い。とくにこの不景気下にあっても、生活が保障されているような恵まれた大人には、若者が直面している不安定さに実感が持てない。


 他人ごとだ。


 こういう連中が、自分らの利益ばかりを考えて、世の中を動かしている。

 というか、なにが建設的で前向きな考えなのかが、分からない大人が増えた。


 だから、この国は少しもよくならない。


 だから、この国の若者たちには江戸末期の若者たちの姿に注目してもらいたい。国を変えることができるのは、20~30代なんだという誇りを。


 大人は現状肯定だ。こんな人たちに、この苦しさを改善する意欲などまったく沸かない。


 実は、最初に紹介した方によれば、中国には、気概のある日本の若者が増えてきているという。


 小さくはまとまるのではなく、自分の可能性に賭けてみたいという日本の若者もまだまだいるのだ。


 この腐った日本では芽の出ない人も、世界に羽ばたけば、違った人生を見つけ出すことができるのかもしれないと思う。


 残って未来がない人生か、それとも、海外に出て、夢、可能性に賭けてみるか…。そんな選択がある時代になったのだ。

http://ameblo.jp/adco/entry-10484907670.html
スロー人ロハス-自由と資本主義と礼節
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  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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