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2012年05月04日 (05:53)

PS理論とシュタイナー精神学:自我とアストラル体とエーテル体と物質:超越軸と虚軸と実軸の3D世界

以前、本件について比較論を行なったが、PS理論からシュタイナー精神学を言わば、取り込みたい。
 今は直観で述べると、
 
自我=凸i ・・・・・ 純粋悟性、外的感覚、空間、電磁波

アストラル体=凹i ・・・・・ 感情、欲望、内的感覚、時間、(重力波)

エーテル体=凸(+1) ・・・・・ 生命、氣、超光、自然、宇宙

物質=凹(-1) 

以上のようになるが、それらはガウス平面に位置付けられている。
 問題は、超越軸z軸の意義である。それらは、いわば、神霊の領域であり、感覚的には、基本的には感知できない領域である。
 思うに、カント哲学の純粋理性の領域に近いが、端的にはそれを超えている。何故なら、純粋理性とは、純粋悟性と超越性との境界に存すると考えられるからである。超越軸と虚軸の交差するmedia pointに存すると考えられる。
 しかしながら、純粋理性は、その力学を単にパラドックスであるアンチノミーに限定していると考えられるのである。もっとも、この点は先になるが、厳密に検討したいと考えている。
 とまれ、超越軸z軸は神霊領域であり、所謂、霊界というものは、ここに存することになる。他界、異界、あの世、彼岸、天国・地獄、等はそこに存すると言えよう。
 そのように見ると、人間の魂、霊魂soul-spiritであるが、それは、自我である凸iとアストラル体の凹iの共存に基本的には存するだろうが、所謂、生きている間は、実軸x軸(現象界)に存しているが、死んだとき、あるいは、生まれる以前(前世)は、そこから脱して、純粋に虚軸y軸に回帰し、また、さらに、media point化して、超越軸z軸(霊界)に帰還するのではないだろうか。
 虚軸y軸はmedia pointを介して、永劫の情報を保持しているのではないだろうか。個的霊魂の情報のアーカイブのようなものではないだろうか。すると、それは、オカルティストの説くアカシャ年代記akashic records(アカシックレコード - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
)に相当するだろう。
 そして、死後の浄化が超越軸z軸と虚軸y軸とのmedia pointで為されて、霊界への復帰するのではないだろうか。
 以上、思考実験、作業仮説である。
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2011年12月25日 (15:34)

精神振動7分節の順序:二重らせん的上昇的宇宙的進化:精神的色彩・光と物質的色彩・光:霊的日輪存在

画像付きは以下を見られたい。
http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11116806982.html

精神振動7分節の順序:二重らせん的上昇的宇宙的進化:精神的色彩・光と物質的色彩・光:霊的日輪存在

先に(精神振動の7分節化:七元=三元と三元とmedia pointの一元 http://ameblo.jp/neomanichaeism/entry-11115479961.html)精神振動7分節の原理について簡単に仮説したが、次は順序を考えたい。
 作業仮説として、凸i/凹iの三元⇒media pointの一元⇒凹i/凸iの三元の順序をもつとする。
 可視光線(虹の七色)で言えば、最初の三元が赤、橙、黄の順であり、media pointが緑であり、最後の三元が青、藍、紫である。
 そして、この虚軸の7分節は当然、二重らせんを形成すると直観される。だから、螺旋的に赤から紫へと上昇(シュタイナーがゲーテの上昇を指摘したことに注意)するのである。
 そして、これが、「宇宙」進化の順序であると思われる。そうすると、それは必然を意味する。では、自由、個の自由はどこから出てくるのか。それは、この「宇宙」進化から独立していることに、個、個の自由が存すると思われる。
 つまり、個と一般性は異なるということである。つまり、「宇宙」進化とは一般的進化であり、個のそれとは区別されるということである。もっとも、個と一般的環境のある程度の相関性は考えられる。
 ここで注意すべき点を言うと、自然における色彩と物質的に形成される色彩は異なると考えられることである。
 自然における色彩は高振動の精神エネルギーを背後にもつのに対して、物質的色彩低振動の精神エネルギーを背後にもつと思われる。これは、氣と電磁波との違いに類似すると言えよう。つまり、一見似た現象においても、高振動のものと低振動のものがあるということになる。
 わかりやすく言えば、精神的背景のある色彩とそれのない色彩があるということになる。
 この違いの原因は何かと言えば、端的に、日、太陽の光の有無にあると言えよう。
 日光、陽光は、日輪「存在」のもつ超越性を帯びていると思われる。言い換えると、超越光を帯びているということである。
 それに対して、物質的色彩にはそれがないということである。
 つまり、日輪「存在」は第三象限性をもつのに対して、物質的光は第一象限性をもつということになろう。
 そう、端的に言えば、日輪とは精神・霊的存在、つまり、「日の神」、「天照大神」、「アフラ・マズダ」、「キリスト」である。霊的太陽である。D. H. ロレンスが唱えたdark sunがこれに通ずると言えよう。
 このように考えてくると、近代都市物質的生活のもつ、没精神性が浮き彫りにされると言えよう。自然・宇宙環境の乏しい、近代都市は明らかに精神・魂を喪失する環境であり、人間は悪魔・獣的にならざるを得ないのである。
 だから、近代世界は近代的唯物都市から崩壊していくと言えよう。日本はとりわけ東京から崩壊するのである。
 結局、ポスト近代として、自然・宇宙的ポリス(共同体)、多元的なローカルな自然・宇宙的ポリス・ネットワークの時代が考えられてくるのである。
 しかしながら、民族性は創造的に保持されるのであるから、没民族的になることはない。だから、多元的ナショナル・ローカルな自然・宇宙的ポリス・ネットワークのエポックである。
 では国家はどうなるだろうか。これまでの国家は父権主義であった。新時代は母権主義であるから、父権的国家は衰退、消滅するだろう。
 民族的多元的ポリス・ネットワークをコントロールする中枢機能が当然必要になるだろう。それが、新国家であろう。しかし、それは、国家というより、スーパー・ポリスであろう。超共同体である。
 今はここで留める。
  

参考:

虹の七色とスペクトル型



虹の七色

赤 橙 黄 緑 青 藍 紫
に じ の な な い ろ

電磁波は、波長によっておおよそ以下のように呼ばれます。

電磁波の波長
波 長 ~1nm 1nm~380nm 380nm~780nm 780nm~100μm 100μm~
名 称 エックス線 紫外線 可視光線 赤外線 電 波
波長は目安で、決まっているわけではありません。

人間の目に見える光を可視光線と言います。
可視光線域はおよそ380nm~780nmです。

可視光線
波長 (nm) 380~430 430~460 460~500 500~570 570~590 590~610 610~780
色 相 紫 藍 青 緑 黄 橙 赤
波長は目安で、決まっているわけではありません。 1nm = 1ナノメートル = 10-9 m

 太陽の光をプリズムにあてると、きれいな光の帯ができます。これは、1668年にニュートンによって発見され、 スペクトルと名づけました。
 星からの光にも赤から紫までの虹の7色が含まれています。星の色は、表面温度の違いによって決まります。 この原因は、表面から放出される光の波長の分布が温度によって異なるからです。赤い星は、赤い光だけを 出しているのではなく、波長がより長い光を多く出しているので赤く見え、青い星は波長がより短い光を 多く出しているので青く見えます。

スペクトル型
スペクトル型 表面温度 (K) 色 例
O 30000 ~ 50000 青 オリオン座の三ツ星
B 10000 ~ 30000 青 スピカ、レグルス
A 7500 ~ 10000 青白 シリウス、ベガ
F 6000 ~ 7500 白 北極星、プロキオン
G 5300 ~ 6000 黄 太陽、カペラ
K 4000 ~ 5300 橙 アルクトゥールス、アルデバラン
M 3000 ~ 4000 赤 アンタレス、ベテルギウス


 表面温度の単位は、K (ケルビン)です。これは、国際単位系 (SI) の基本単位のひとつで、 絶対温度のことです。摂氏 0度は 273.15K です。

--- 虹の七色とスペクトル型 ---

http://www1.odn.ne.jp/haru/data-other/rainbow.html




クンダリニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内 , 検索
クンダリニーを象徴化した絵
ナーディーとチャクラの位置を表した図
ヒンドゥー教
HinduismSymbolWhite.PNG
基本教義
輪廻 、解脱 、業 、梵我一如
神々
ブラフマー
シヴァ (パールヴァティー )
ヴィシュヌ (クリシュナ )
アスラ 、ヴァルナ 、
ヴィローチャナ 、ヴリトラ
ラーヴァナ 、インドラ
ナーガ 、ナーガラージャ
ジャガンナート
聖典
ヴェーダ
(ウパニシャッド )
プラーナ文献
マハーバーラタ
(バガヴァッド・ギーター )
ラーマーヤナ
六派哲学 の諸経典
法典・律法経
マヌ法典
ヤージュニャヴァルキヤ法典
宗派
ヴィシュヌ派 、シヴァ派
シャクティ派 、スマルタ派
人物
シャンカラ 、グル
修行法
ヨーガ
地域
インド 、ネパール
バングラデシュ
スリランカ 、モーリシャス
バリ島 、マレーシア
社会・生活
カースト 、ヴァルナ 、ジャーティ
不可触民 、サティー 、アーシュラマ
文化・芸術
寺院一覧 、遺跡一覧
表 ・話 ・編 ・歴

クンダリニー(クンダリーニ、Kundalini, कुण्डलिनी, kuṇḍalinī)は、悟り を得るために必要なシャクティ (性力)のこと。クンダリニーの活性化を念頭においたヨーガ は、「クンダリニー・ヨーガ 」と呼ばれる。クンダリニーを象徴化したものとしては、密教の軍荼利明王 がある。

「螺旋 」「コイル 」「巻き毛」「環」などを意味するサンスクリット の kundala(クンダラ)から派生した、「螺旋を有するもの」を意味する kundalin(クンダリヌ)の女性形主格が、Kundalini(クンダリニー)の語源である。

クンダリニーは、普段は尾てい骨付近のムーラーダーラチャクラ に眠っているが、ヨーガ の実践や宗教 の各種修行によって活性化し始め、生涯をかけ各チャクラを開花させグランティ(=結節。ブラフマー 結節、ヴィシュヌ 結節、ルドラ 結節の3種類がある)を破壊し、最終的には頭頂のサハスラーラを押し開け解脱 に至る。今世で解脱できる魂 は極一部といわれている。性欲 を昇華 させたものがクンダリニーとなるため、梵行(性的な事柄を避ける)修行が重要となる。
ナーディーとの関係 [編集 ]

体内(霊体)にあると言われるナーディー (en:Nadi (yoga) ) (気道)の中でも代表的なものは、動的で男性的性質のピンガラー・ナーディー(別名・太陽の回路)、静的で女性的性質のイダー・ナーディー(別名・月の回路)、そして身体の中央を貫いており、調和をもたらすスシュムナー・ナーディーの3つがある。ピンガラー・ナーディーとイダー・ナーディーの調和のとれた活性という条件の下、瞑想 時にスシュムナー・ナーディー内をクンダリニーが上昇した結果訪れるサマーディ に入定することが、サマーディより出定後も安全に高い霊性を維持していくための条件となる。
クンダリニー症候群 [編集 ]

科学的根拠がみあたらないために、人によって考え方がまちまちである。体感異常や心身症のことを自分でクンダリニー症候群だと思い込んでいるだけのケースや、逆にクンダリニー症候群であるにもかかわらず単なる精神病と誤解されるケースもあるようである。

クンダリニーを思い通りに、意図的に上昇させようとするクンダリニー・ヨーガ を激しく修行し実践する場合、その「思い通りに、意図的に」とは真我 ではなく個我にとってのそれであるため、クンダリニーが動的なナーディーであるピンガラー・ナーディーのみを通ってサマーディに入定してしまうことがある。そうなるとサマーディから出定後、クンダリニー症候群(英:Kundalini syndrome 中:走火入魔 )と呼ばれる症状が現れ、程度の深浅こそあれ、自律神経系 のうち交感神経系 の暴走からくる自律神経失調症 を呈し、そこから全身の激しい脈動、心拍数の増加と血圧の上昇、片頭痛 、慢性疲労症候群 、統合失調症 、うつ病 、神経症 などを発症するおそれがあり、最悪のケースでは脳溢血 や自殺 などを招いてしまうという考え方もある。よってイダー・ナーディーを強力に活性化させる技法を知らぬままクンダリニー・ヨーガを行うことは無謀ということができる。

また、クンダリニー・ヨーガを実践するつもりでなくても、急進的な解脱願望を抱いた状態または神 への絶対帰依 を欠いた状態での修行の継続の結果や、さらには人生の困難、交通事故、出産などによるショックなどによっても上記のような現象が起こる場合が稀にあるという説がある。

元々人格障害 (ボーダー、反社会性等)や精神病を潜在的に抱えている患者にクンダリニー覚醒に先立って、元々の病が押し出されるという説もある。カルマ の浄化プロセスとも考えられる。

このため、クンダリニー覚醒を目指す実践者はベジタリアニズム を実践し、刺激物の摂取を避け、過食、不規則な食事、わがままで否定的な態度を避けるべきである。

安全な隠遁生活がなかなか難しい現代社会において、社会生活を営みながら安全にクンダリニー覚醒を得るためにはどうしたらよいかは課題である。
イマジネーションの拡大 [編集 ]

クンダリニー覚醒が一定のレベル以上に達すると、人間に果てしない「イマジネーション」の拡大がもたらされるといわれており、実際その事例を見ることも多い。クンダリニーの覚醒者と自称する人(その多くは覚醒者とはいえないレベルではあるが)は多くいるが、彼らの中の一部に「空想的世界観」を見ることができる。人間が自分を”実際以上”のものである(あるいは実際以上のものでありたい)と思うたびに、イマジネーションの力がそこで働いている。イマジネーションの力は、過去において不可欠であったのであり、さらに人類にとって今後もまだまだ必要な力である。あまりに現実を見てしまうと、世界の進歩が阻害されてしまうのであり、クンダリニーにより神の夢を個々の人間の器に応じて実現させることができるのである。しかし、修行者がイマジネーションの拡大に溺れてしまい、それを自分の力だと思い込み「欲望」のままに行動してしまうならば、「悟り」への道を逸脱することになってしまう。
クンダリニーに関する逸話 [編集 ]

グルジェフ の著作『ベルゼバブの孫への話』の中に神話的な人類創生の話が出てくるが、その中にクンダリニーが人間の尾てい骨のあたりに取り付けられた経緯が語られている。人間が地球上に存在する目的を知られることがないように、安全装置として取り付けたということである。
近年の研究 [編集 ]

臨死体験 (NDE)経験者が最もクンダリニー上昇に近い経験をしているという主張が欧米の研究者を中心になされている。この分野の学術研究をトランスパーソナル心理学 ・精神医学という。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%BC

2011年12月02日 (21:43)

エーテル体と宇宙:光と氣:渦巻き宇宙、螺旋とVector Mode

テーマ:シュタイナー精神学

シュタイナーの精神学は実に興味深いことを述べる。例えば、宇宙とはエーテル体によって形成されると言うのだ。思えば、エーテル体は彼の霊学においては、生命の原理である。すると、宇宙と生命が結びつく。最近、生命体宇宙説があり、シュタイナーの論は先取りしていたことになる。
 PS理論から見ると、今の作業仮説では、エーテル体は凸i(i)、光の原理と結びつく。
 思うに、media pointにおいて光の渦巻き、螺旋が形成されるのではないだろうか。それが、渦巻き星雲を形成したり、地上では蔓植物を形成したりするのではないだろうか。
 そう、光のVector Modeである。
 思うに、光はほとんど氣(エーテル体)と言っていいのではないだろうか。ならば、光=氣=宇宙/生命形成原理(Vector Mode)ということになろう。
 そして、物質原理は当然、media pointの精神的フィルター作用であると言える。差異共振から同一性へと変換されるのである。
 しかしながら、物質は光=氣(エーテル体)のVector Modeの外皮、外殻のように創出されよう。
 言い換えると、物質体が光=氣のVector Modeを覆うように、包装するように形成されて、感覚では光=氣を知覚できなくなると考えられる。
 とまれ、これで物質現象は説明できる。
 では、闇である凹iはどう作動しているのだろうか。これは、シュタイナー霊学ではアストラル体である。それは、情感、身体的欲望等を意味するのである。簡単に言えば、感情体、感性体である。
 シュタイナーが説くように植物ではこれは作用していないだろう。動物や人間に関係するのである。
 では、宇宙形成においてはどうなのだろうか。シュタイナーは星に霊を見ているので、闇凹iが関係していると思う。また、天使等の存在を言うので、宇宙形成には、第三象限が作用しているように思われる。
 思うに、この闇凹i成分がdark matterやdark energyに関係するのではないだろうか。
 問題は闇凹iと物質界がどう関係するのかである。何度も言うように、D. H. ロレンスはdark sun、dark Godや暗い宇宙の薔薇を述べるのであるが、それを考えると、闇凹iはやはり、Vector Modeを形成するのではないだろうか。闇のVector Modeである。
 そう、闇の宇宙である。これが光の宇宙と関係しているのだろう。ここでもシュタイナーの霊学を活用すると、闇が光へと浸透するとき、青色が形成されるという。青空の青である。
 それに対して、光が闇へと浸透すると、赤色が形成されるという。夕日の赤である。
 それを考えると、光と闇の相互干渉があるのである。だから、光の宇宙は闇の宇宙の影響を受けていると言えよう。それがdark matter、dark energyと関係するように思えるのだ。
 また、分数公理を使うと、闇が分母で、光が分子であり、前者が土台で後者を支えるのではないだろうか。
 極論すると、闇が光を産み出しているのではないだろうか。太陽は暗い太陽がベースであり、それは不可視である。
 ロレンスは太陽はわれわれに背中を見せていると言うが、思うに、暗い太陽は闇凹iに位置するのではないだろうか。
 また、闇凹iは第三象限と深く結びついている。故に、高次元的である。超越的である。ロレンスのdark Godは正に、それを示唆しよう。
 また、自然科学であるが、それは、光の科学であり、闇の科学をほとんど無視していると言えよう。だから、ダーク・マターやダーク・エネルギーの問題が出てくると言えよう。
 とまれ、以上は思考実験である。

人間認識図
人間認識図

追記:マニ教の光の種子は、闇凹iに潜んでいるだろう。dark sunに潜むと考えられる。
 
追記2:生死の事象、死生の力学はどう説明できるだろうか。これは光のVector Modeのエネルギー生成消滅で説明がつくだろう。それは、ある決められたエネルギー量をもち、それが消尽すると、死となるのである。
 
追記3:シュタイナーは心臓と太陽を結びつけている。思うに、media pointが心臓=太陽となるのかもしれない。これはこれで新たに考察が必要である。

追記4:四大ないし五大を考えると、凸iが風、凹iが水、凹が火、凸が地を形成するのではないだろうか。また、空は当然、media pointとなる。
 思うに、この四大原理(地水火風原理)は、宇宙生命身体原理ではないだろうか。これは単に物質原理ではなく、精神原理、魂原理と本来見るべきではないだろうか。つまり、地霊、水霊、火霊、風霊となる。
 これは、人間の性質の原理ではないだろうか。これに自己原則が入ると、多様な性格が生まれるだろう。
 
追記5:ミクロコスモス(小宇宙)とマクロコスモス(大宇宙)の照応であるが、これは、光のエーテル体のVector Modeのフラクタルで説明できよう。
 つまり、人間というミクロなフラクタルは大宇宙というマクロなフラクタルと共振しているということになろう。この共振が照応ということになる。そう、共振波動があるだろう。それは、光=エーテル体の波動となるだろう。電磁波はその物質的反映であろう。

2011年05月03日 (10:33)

シュタイナーの精神学とPS理論:人間と自然:陰陽差異と陰陽調和

テーマ:自己認識方程式:凸i*凹i⇒凸(+1

以前、PS理論とシュタイナーの精神学を整合化しようとして苦心して、いちおう解決策を立てたが、ここで再確認した。
 陰陽は「気」であり、凸i*凹iの差異共振エネルギーは「気」である。しかしながら、それは、基本的には自然の説明である。人間の場合、認識を含めることになる。(追記:凸iが陽、凹iが陰である)
 問題は陰陽の質である。思うに、ここには原認識性があると考えられる。つまり、陰陽は自然物質を形成するが、陰陽自体は物質形成原因であるが物質ではなく、原認識体と考えられるのである。陽は陰を志向し、陰は陽を志向する。この志向性が原認識性である。
 だから、自然物質も起源においては原認識をもつということになる。
 では、自然物質の原認識と人間認識の関係をどう説明できるのか。
 当然、陰陽が共通である。では、陰陽がどうやって、自然と人間を形成するのかが問題である。
 根本は自己の形成である。自然には、基本的に人間のような自己はない。
 いったい自己はどうやって形成されるのか。
 自然は陰陽のいわば調和した状態で形成されると考えられるが、人間の場合は、不調和、不均衡、非対称性があると考えられよう。
 この「差異」が人間を自然から区別するものと言えよう。つまり、人間においては、陰と陽とが不調和、不均衡、非対称的であるということである。
 これが自己を形成したのではないだろうか。これまで私は人間は自我凸iに傾斜していると述べてきた。
 この自我傾斜が、陰陽の差異を形成すると考えられる。即ち、陽に傾斜して、陰が弱いのである。
 この点で、陽から陰への志向性(A)と陰から陽への志向性(B)が不均衡となるのである。
直観では、Aがいわゆる知性(頭脳)であり、Bが情感(内臓)であり、両者合わさって精神を形成すると考えられる。
 しかしながら、不均衡なので、精神は揺れ動くのである。不安定である。
 とまれ、この不均衡こそ、自己の発生の原因と推察されるのである。というか、そう作業仮説したい。
 結局、陰陽不均衡のために、差異があり、それが自己原因である。
 即ち、いわば、二重人格が生起するのである。AとBの人格である。
 とまれ、自己とは両者の差異であると考えられる。だから、自己同一性を求めると無理が生じると言えよう。
 以上のように作業仮説して、シュタイナーの霊学との関係を見たい。後者は自我/アストラル体/エーテル体/物質体の四層構成である。
 これを今の陰陽差異論と比較すると、自己は陰陽差異で説明できる。アストラル体は、陰から陽への志向性で説明できるのではないのか。エーテル体は、本来の陰陽調和で説明できる。そして、物質体は当然、凸(+1)で説明できる。
 それをまた作業仮説とすると、結局、シュタイナー霊学は、PS理論によってより整合化されると考えられるのである。分離している四つの体をもち出さなくても、陰陽で説明できるのである。
 では、原理的問題を考えると、どうして、人間の場合、陰陽不均衡が生じたのかという問題がある。
 今はなんらかの突然変異を仮定したい。この問題は検討問題とする。

2011年01月22日 (19:30)

自然界の霊美性とベクトル・モード:レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチの影像とMP Shadow

画像つきは以下で見られたい。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10776192796.html

テーマ:精神的フィルターとVector Mode

Kaisetsu氏のベクトル・モード論によって、黄金比をもつ自然美が解明された。
 思うに、自然には、たとえば、樹木の様態には、美があるのが、そこには、生命の力、生命の渦、生命の影が潜んでいると思う。レオナルド・ダ・ヴィンチの風景のスケッチには、それが捉えられていると思う。また、水墨画も本来、そのようなものであろう。
 思うに、ベクトル・モード的美を産み出す潜在力があると考えられる。それは、当然、Media Pointである。これが、樹木や鳥の形姿等に潜んでいるということになるが、決して不可視ではなく、直感されるものだと思う。ただ、影、陰影的である。やはり、凹iに関わるのだろう。
 光の像とは異なる影の像があるのである。とりあえず、Media Point Shadowと呼ぼう。絵画はこれを描く必要があるだろう。それを入れれば、力のある描像になるのである。言い換えると、「気」を描き入れるのである。
 とまれ、これは、ベクトル・モードを形成する根源の映像的な力である。ゲーテが言った原植物のようなものに通じるかもしれないが、私が言いたいのは、なんらか可視的な影像となっているのであり、その様態の力学とその数式化を考えたいのである。
 思うに、それは、ベクトル・モードそのものかもしれない。何故なら、ベクトル・モードが物質化したものが現象であるからである。
 私には、それは、暗く渦巻いているようなものに感ぜられるのである。だから、ベクトル・モードでいいのかもしれない。(ならば、Vector Mode Shadowである。)
 そうすると、その影像性とはどういうことなのか。陽の光と陰の光の共振した「光」、二重光をもつのではないだろうか。
 あるいは、気と言ってもいいだろう。気の光、気の影像である。それが的確のようである。
 そう、通常の光とは別に、気の光があるのである。それが、自然の現象体に内在しているということではないだろうか。
 気の光、気の影像である。イタリアとは、東洋的であり、ダ・ヴィンチが気の影像を描き込んでも不思議ではないのである。 
 因みに、映画監督のルキノ・ヴィスコンティの映像にも気の影像が色濃く表れていると思う。それは、垂直的なのである。あるいは、心的深さである。

09plants.jpg





Japonesian Trans-Apocalypse:Trans-Modern New Platonic Trans-Creation



Star of Bethlehem and other plants
1505-07
Pen and ink over red chalk on paper, 198 x 160 mm
Royal Library, Windsor

http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/l/leonardo/
上画像をクリックすれば拡大します。
LEONARDO da Vinci
Italian painter (b. 1452, Vinci, d. 1519, Cloux, near Amboise)

* Paintings until 1480
* Paintings in the 1480s
* Paintings in the 1490s
* Late paintings (1501-20)
* Copies and workshop works
* The Battle of Anghiari
* Studies to paintings later executed (page 1)
* Studies to paintings later executed (page 2)
* Studies for the Last Supper
* Head studies
* Various studies
* Anatomical studies
* Studies of nature
* Drawings of engineering themes
* Maps
* Architectural studies
* Sculptures and studies to sculptures

http://www.wga.hu/frames-e.html?/html/l/leonardo/

参照:
レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチ
現在、六本木ヒルズでダ・ヴィンチのレスター手稿が公開されているのは皆さんご存知でしょうが、これは知ってました?

大英図書館所蔵の「レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチ」がネット上で閲覧できます(不思議の国のアリスも)。観てみれば、すぐ分かりますがこれがなかなかスゴイ!! 何がすごいかというと、全体像以外に拡大して部分が見れるのは普通ですが、あの鏡文字が読める。ミラーというボタンがあり、それを押すと反転して表示されるんですよ~。これはちょってとした感動もの。

まあ、反転して文字として分かっても、言葉が分からないから正確には読めないんだけどね(苦笑)。でもでも、鏡文字ってのが実感できます。無料ですし、私のようになかなか行く機会の無い方は、是非お試しあれ! なかなか楽しいですよ~。

以下のURLで”SKETCHES BY LEONARDO”と書かれたところをクリックして下さいね。
http://www.bl.uk/onlinegallery/ttp/ttpbooks.html

そして回線速度を選べばOKです。そういえば、先日HOTWIREDの記事で「インターネットは貧者の娯楽」と書かれていましたが、なんか実感してしまった。昔はステンドグラスが文字の読めない民衆にとっての聖書であり、「貧者の聖書」と呼ばれてましたが、なんか似てません? ふと、思っただけなんですけどね・・・。素直に技術の恩恵と思えばいいのですが。
http://library666.seesaa.net/article/8700989.html
叡智の禁書図書館<情報と書評>

2011年01月18日 (22:21)

輪廻転生とPS理論:同一性的資本主義から霊(差異)的資本主義への転換

テーマ:神話・神秘・民俗・霊性:ケルト、輪廻転生

輪廻転生はPS理論から、科学的に説明・解明できる。実に簡単である。今、ガウス平面を作図できないので、以下の直交座標で想像していただきたい。

bessi7.gif

直交座標系による平面上の点の座標と四つの象限

 
ガウス平面では、当然、y軸が虚数軸となる。
 簡単にするために、古いPS理論の+i, -i, +1, -1を利用する。そして、原点がMedia Pointである。
 精神(魂、霊魂)とは、-1と+iと-iを、言い換えると、-1とMedia Pointをもっている。
 しかし、通常は、+1の物質的知覚によって、精神を認識できないのである。正に、(+i)*(-i)⇒+1である。
 そして、左辺の*は、-1の「霊界」を潜在していると考えられるのである。 
 そこで、これを経済に適用すると、資本主義は、物質と連続化する同一性価値を追求しているのであり、それは、精神を喪失しているのである。というか、体主霊従なのである。
 だから、大資本家は今のままでは、あるいは、国家資本家は、来世では、悲惨である。
 資本主義のもつ共同主義を否定する同一性主義は、悪魔主義なのである。つまり、資本主義は天使と悪魔の同居する経済であり、後者を乗り越える必要があるのである。
 端的に言えば、霊的資本主義へと転換する必要があるのである。


追記:霊界(-1、凹ないしは第三象限)は*というよりは、-i(最新のPS理論では、凹i)に潜在していると言うべきである。

追記2:以下のKaisetsu氏の人間認識図(上図)と生成門氏の「心的エネルギーの流れ」の図(下図)が明確的確であり、明快明晰である。

人間認識図
心的エネルギーの流れ図

2010年11月16日 (13:11)

検討問題:超越的次元と物質的次元:精神軸と気軸と物質

先に以下のように書いたが、少し補足しよう。
 物質が有機体なら、有機体の上位概念=理念(イデア)がMedia Pointに存すると考えられる。タンパク質ならタンパク質の理念が存することになる。
 しかし、この理念が微妙である。何故なら、一方では、差異共立の高次超越領域をもち、他方では、差異共振=同一性⇒+1の物質志向性をもつからである。
 確定しているのは後者であり、前者は揺れ動いているのであろう。
 他者との反応を起こすのは、前者においてであろう。生命体においては、この理念が気であり、知的生命体においては、さらに上位概念の精神性が作用していると考えられる。
 そうすると、やはり、以前示唆したが、三次元を考えたくなる。つまり、精神次元と気次元と物質次元である。即ち、精神次元が気次元に作用し、それが、さらに物質次元に作用するということであり、物質次元には、精神次元と気次元の二つの超越的次元が作用していることになる。
 とまれ、有機体の問題にもどると、差異共立領域ないし差異共立次元に、有機体の主導エネルギー情報が存すると思われる。ここは、また、変容の領域であり、他者との共立を形成すると考えられる。
 例えば、混血とは、この領域における差異共立の変容であると思われる。差異共立情報A=「遺伝子」A=「血」Aと差異共立情報B=「遺伝子」B=「血」 BがMedia Pointの虚軸において、交叉して、新しい差異共立情報C=「遺伝子」C=「血」Cが形成されるということではないだろうか。もっとも、混血でなくても、このことは一般に考えられる。(「遺伝子」であるが、DNAとは物質化された上位概念であろう。だから、「遺伝子」は、本来、精神的情報であると考えられる。)
 とまれ、有機体においては、MP1の理念がMP2において同一性変換されて、物質化過程へと転化すると考えられる。
 ここで、動物と人間の差異について考えると、人間においては、明らかに、MP1の理念に精神・知性・感情が入ることである。
 ここで、仮説であるが、精神軸を考えたい。そこに、自己と他者の共立を考えるのである。
 また、それとは別に、気軸を考えたい。これが、これまでの凸i*凹iである。
 だから、作業仮説的に、精神軸は、Spirit凸i*Spirit凹i、略して、S凸i*S凹iとなり、気軸は、Qi凸i*Qi凹i、略して、Q凸i*Q凹iとなる。
 整理すると、(S凸i*S凹i)#(Q凸i*Q凹i)⇒+1である。ただし、#とは、直交的並立を意味するとする。
 直観では、SとQはまったく異質であり、Qから物質+1が生まれるようには、SからQは生まれないのではないだろうか。ただし、両者はなんらかの関係がある。
 思うに、SはQに働きかけるが、QはSにはたらきかけないのではないだろうか。だから、一方通行、非可逆的である。
 ここでスピノザ哲学を考えると、スピノザはSとQをまったく混同していると思う。精神が身体に作用するのは、当然であるが、身体や気が精神にはたらきかけるかけることはないだろうからである。スピノザの心身平行論は、精神の優位、物質の劣位を把捉していないと言えよう。
 では、植物と有機体についてどう見るかである。植物は気軸に上位概念=理念があると考えられる。生命体とである植物と生命体を構成する有機体は明らかに異なる。
 思うに、気軸の気は生命体の上位概念=理念であり、Media Pointの実軸MP2に発生する同一性が、なんらかの有機体概念ではないだろうか。言い換えると、物質体の概念が同一性であるということではないだろうか。
 とまれ、簡単に整理すると、精神と気と同一性と物質の四つ構成要素が存することになる。
 以上、思考実験である。後でさらに考察を続けたい。
 
**************************
物質と「気」(エーテル体):+1と⇒:物質体を構成するのは超越的エネルギー体であろう
テーマ:精神的フィルターとVector Mode

物質とはPS理論では、+1である。これは、絶対的に明確である。そして、近代科学、唯物論的科学をこれを土台にして、形成されてきた。今日でも、唯物論が土台である。
 しかし、私は、物質が物質体を構築しているのではないと直観する。つまり、物質を構成する上位の指導・主導的エネルギー体があると直観されるのである。
 PS理論では、それは、凸i*凹iと考えるのである。ここに上位の主導的情報エネルギーがあるのであり、これが、物質+1を導くと考えられるのである。
 だから、化学物質の場合、上位の主導的情報エネルギーは凸i*凹iであると考えられるのである。そして、それが、化学物質を包摂しているのではないだろうか。
 だから、例えば、ビタミンというとき、物質のビタミンと食物におけるビタミンは異なると考えられる。即ち、ビタミンCとレモンの中のビタミンCは異なると考えられる。つまり、後者には、凸i*凹iが存すると考えられるのである。高次ビタミンがあると考えられるのである。
 思うに、物質の上位概念は「気」であろう。
http://ameblo.jp/renshi/entry-10708262627.html

2010年06月28日 (21:51)

ヴィジョンとは何か:2:差異共立・即非のスピリットとはマイナス1=霊的大地の「波動」である

本題は興趣があるので、さらに随想風に述べたい。
 例えば、山や山麓を眺めていて、一如差異共立(即非)感覚を感じるとしよう。「わたし」と「山」ないしは「山麓」とは一如である。
 この一如感覚において、「山」ないしは「山麓」にスピリットがあると言えないことはない。これは、D. H. ロレンス風に言えば、地霊spirit of placeである。(因みに、私は、奈良県桜井市の三輪山のふもとの山の辺の道に、地霊を感じる。身体に浸透する「気」がある。)
 とまれ、このスピリットは、大地、身体と関係している。では、この大地、身体とは何か。物質的大地、物質的身体のことだろうか。つまり、プラス1だろうか。
 プラス1はプラス1であり、それには、スピリットや気はないのではないだろうか。
 プラス1の物質とは端的に死せるものであり、いわば、墓場である。
 ならば、三輪山の麓とは何か。その気やスピリットとは何か。
 結局、現象とは何か、ということになろう。
 直感で言えば、「天」と「地」の共立(即非)と共振があり、共振は三輪山の麓を形成している物質作用であり、共立即非は、スピリット、気を形成しているのである。
 後者において、ダーク・マターが関係していると言えよう。それが、三輪山の麓の不可視の大地、ダーク・アースDark Earthではないのか。つまり、マイナス1の不可視の大地である。
 これまで、マイナス1と差異共立・一如性の連携性、相互性については述べた。マイナス1から差異共立への転移は、再帰・回帰性をもち、つまり、反転性をもつと述べた。
 だから、差異共立・即非には、マイナス1の要素・エレメントが浸透していると見られる。端的に言えば、マイナス1=ダーク・マターと一如としての差異共立・即非様態である。
 故に、差異共立・即非のスピリット・気(霊気)とは、ダーク・マター=霊的大地のそれと言うことができよう。
 結局、三輪山の麓は単に、物質的大地だけでなく、マイナス1のダーク・マターの霊的大地でもあるということである。
 つまり、自然界はダーク・マター=霊的大地=霊的身体=Spiritual Beingに貫かれた、浸透された現象界であるということになる。
 このように見ると、一神教の錯誤が明確になる。それは、神から霊的大地、霊的自然である「母」(折口信夫の「妣が国」)を否定していることである。それは、凸iに傾斜して、差異共立を否定して、差異共振性に傾いていることである。それは、自然の逸脱である。
 シュタイナーの説くルシファーは、おそらく、父権的一神教に作用しているのである。それは、悪魔的宗教なのである。
 鈴木大拙や折口信夫やD. H. ロレンスの霊的大地の霊性こそ、本道・正道・正統である。

2010年03月21日 (10:54)

シュタイナーの霊=精神の問題点:Media Point的即非的精神/物質性

テーマ:新霊性:聖霊、気、地霊、性霊

シュタイナーの霊学(精神科学)の問題点は、霊=精神が物質=身体を完全に超越し、前者が後者を「支配」ないしは規定しているが、その接合の関係が不明瞭な点である。わかることは、前者の「現象」が後者なのである。
 ということは、霊=精神は物質=身体性(現象性)を帯びるということである。しかしながら、シュタイナーは後者を否定的に見て、前者中心へと志向するのである。
 ここには明らかに齟齬があるのである。すなわち、物質=身体的現象への志向がありながら、根源の霊=精神を中心化して、物質=身体的現象を否定的にみるという齟齬である。
 思うに、シュタイナーの霊学を積極的に捉えるならば、霊=精神の涵養による、物質=身体の霊=精神的変容である。(つまり、霊=精神が物質=身体を超越して、後者を否定的に見るシュタイナー精神科学の半面は批判され、もう半面の霊=精神⇒物質=身体という霊=精神的現象性という視点は評価されるということになるだろう。)
 ならば、「霊=精神」的「物質=身体」性の創造・形成が考えられるだろう。思うに、これは、アートである。トランス・モダン・アートとしての現象界である。
 とまれ、両者の関係はPS理論のMedia Pointにおける即非性ないしは精神的フィルター性で的確に説明できるのである。

追記:霊や精神は、性霊、性神、性精、性魂、性心にするともっとも的確かもしれない。

2007年10月13日 (22:49)

思考実験:エーテル体とアストラル体と自己(「自我」):i*(-i)⇒i・(-i)⇒+1

シュタイナーの霊学におけるエーテル体とアストラル体とは、PS理論からどう説明できるか。
 まず最初に、Media Pointから連続性=同一性が発現する。その型=構造が発生する。それが基となり、連続性=同一性の物質が発現するだろう。思うに、連続性=同一性の型=構造がエーテル体ではないだろうか。遺伝子とは、この型=構造の物質的発現ではないだろうか。
 i*(-i)⇒i・(-i)⇒+1とするならば、i・(-i)が型=構造=エーテル体ではないだろうか。そして、⇒+1になるときに、エネルギーが放出されるのだろう。そして、電磁気が検出されるのではないだろうか。とりあえず、そう作業仮説しておこう。
 では、アストラル体はどう説明できるだろうか。それは、感情である。それは、*や・ではないだろうか。Media Pointにおけるアストラル体は、*であり、連続性=同一性=自我形式においては、・ではないだろうか。つまり、相互関係エネルゲイアがアストラル体ではないだろうか。
 さらに自我というのは、i*(-i)とi・(-i)ではないだろうか。前者は、原自我ないしは原自己であり、後者は自我形式(連続的自我)ではないだろうか。どうも自我と自己という用語が混乱的である。シュタイナーの用語に即するのでそうなるのだ。
 混乱を避けるために、自我ではなくて、自己にしよう。だから、原自己はi*(-i)である。そして、i・(-i)は自己である。そして、i^2や(-i)^2は自我としよう。シュタイナーの言う自我とは自己である。
 では、物質とはどうなるのだろうか。物質は単純に、±1でいいのではないだろうか。i*(-i)⇒+1の右辺の+1とは、物質的身体において、自己認識するということを意味していると考えられるだろう。Media Pointにおいては、超越的自己であるi*(-i)を直感するのではないだろうか。
 いちおう、今、ここで留めたい。

p.s. i・(-i)の型=構造=エーテル体であるが、これは、端的に、Media Pointの実軸、つまり、実軸の原点・ゼロ度ではないだろうか。構造主義のゼロであり、また、ポスト構造主義の「差異」[ドゥルーズ、デリダ]と言えるだろう。そう、ハイデガーの本来的存在も、これだと考えられるだろう。そして、これは実は、ヘーゲルの理性に相当しよう。ポスト・モダンとは近代主義の帰結と考えられよう。因みに、フッサール現象学は、このゼロ度を超越したのである。それが、フッサールの超越論的主観性の意味だと考えられる。
 さて、以上を物理学と対応させると、アストラル体(*や・)とエーテル体[i・(-i)]であるが、それは、おおまかに言えば、量子になるだろう。ただし、現在の物理学は超越性(イデア)を認めていないから、量子はイデアか物質か曖昧である。Media Pointにおけるエネルゲイアを考えればいいと思う。つまり、Media Pointにおいては、イデアと物質の即非相である。これが、量子の実体である。ここで、とりあえず、造語して、Media Pointのエネルゲイア、即ち、イデアと物質の即非相を、メデルギーMedergyと呼びたい。だから、アストラル体やエーテル体はメデルギーである。量子もメデルギーである。
 そして、メデルギーの大元には、i*(-i)=原自己があるのだから、物質の根源は原自己=霊であると言えるだろう。シュタイナーが物質の本体として霊を唱えるのは正しいだろう。後で再考したい。
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