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2011年11月30日 (04:36)

「木にだにも御形を移すありがたや 法の御音は谷のひびきか」 円空。

テーマ:新母権的社会:差異共振共同体

「木にだにも御形を移すありがたや 法の御音は谷のひびきか」 円空。

008-01-22 心の闇:現代日本人に感じられる心の暗黒:死せる魂と不気味な闇CommentsAdd Star

心の闇:現代日本人 に感じられる心の暗黒:死せる魂と不気味な闇

テーマ :ニッポン亡国の凶相

現代日本は、暗い。心の闇が広がっている。あるいは、せいぜい灰色の心があるだけである。

 不気味な闇、灰色の心、これは、心の「神」を否定した結果である。戦後 の近代合理主義/民主主義が、心を魂を凍らせているのである。そう、凍って闇になっているのである。心が冷たい石のようになっているのである。

 これは、アメリカ 的近代合理主義から来ている闇である。金の亡者 の心の闇から来ているのである。自らの心の動きを信ぜず、ただ数量化された数字から判断する冷たい闇の心から発しているのである。

 これが、戦後 日本を襲ったのである。冷たい体である。超越光=御神火がないのである。

 火の復活が必要である。超越光の新生 が必要である。そう、光とは火である。火かりである。

火かりを亡くした日本人 の心の闇

深い不気味な心の闇

冷たい灰色の心

冷たい身体

ご神火・超越光をともす必要がある。

おそらく、現代世界 は滅びる必要があるのだろう。

新大 洪水 の時代である。

誰がこんな日本にしたのか

こんな闇の日本にしたのか

それは日本人 に勇気 がないからである

怯懦であるからである

死せる魂の日本人

心の神を否定した日本人

神無国

心の神の音楽 を聴くのを忘れた日本人

心の神の光を見つめるのを忘れた日本人

そう、心の神は、計量・自我 化できない。それは、ただ、あるのである。

心の神はただそれを認めるしかない存在 である。

心の神を迎えること、心の神がマレビトである。

そう、心の神を排除しているから、日本人 は、

権力 を恐れているのである。怯懦なのである。

心の神の否定と奴隷 ・家畜とは一体である。

心の神を恐れているので、権力 を恐れているのである。

心の神の影が権力 なのである。

心の神が復興 力である

端的に、何が、心を冷たくしているのか、闇にしているのか

心の冷暗は何が生んでいるのか

そう、三島の言った断絃の時、

心の音楽 の喪失 があるのである。

心の音楽 とは何か

それは、神仏の音楽 である。

心の御音が聞こえないのである。

「木にだにも 御形を移すありがたや 法の御音は 谷のひびきか」


円空 円 空

http://www.vill.tenkawa.nara.jp/sightsee/tenkikawa/yukari.html


「木にだにも 御形(みかた)を移す ありがたや 法(のり)の御音(みおと)は 谷のひびきか」

http://www.econavi.org/weblogue/special/30.html


http://d.hatena.ne.jp/sophiologist/20080122

PS理論講座
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2010年10月19日 (09:52)

想像力とは何か:想像力はどうやって培われるのか

私はあることがきっかけで、今日の日本社会は想像力が欠落しているのではないかと直感した。
 今は余裕がないので、詳述できないので、一言言うだけだが、想像力とは内的なもの、精神的なもの、心的なもの、魂的なものである。それをどうやって培うことができるのか。
 一つには、優れた音楽に接することである。また、文学(とりわけ古典)や神話に接することである。そして、豊かな自然に接することである。また、本物の美術に接することである。
 一言で言えば、多面的な芸術の体験が欠落していることから、想像力が欠落していると思われる。音楽、文学、美術、これらは、芸術三位一体である。

追記:あわてて、自然を入れるのを忘れた、四位一体である。(追記:自然については、問題がある。自然を認識するには、内的認識力が必要である。それがなければ、いくら、自然があっても、豚に真珠である。思うに、内的能力の開花と同時に、自然が内的になるのである。)

追記2:文部科学省が、想像力教育を行っていないのである。日本人が英語ができないのもそれと関係する。リスニングには、音楽能力が必要であるし、理解には文学的思考が必要である。
 また、英語の構成を理解するには、数学的思考が必要である。
 外国語は他者であり、生半可では身につかないのである。

追記3:後、日本の教育に足りないのは、哲学である。哲学は正に、内的思考を培うものである。これは、芸術の知性と言えるものである。思うに、美学は冗語であろう。

追記4:以上はいかにも文系に偏っていると言われるかもしれない。しかしながら、自然科学も、今や、いわば、内的科学である。量子論は正にそうである。
 医学においても、「気」が注目されているし、ケアの問題もある。
 ロボット作成にしろ、内的能力が問題になっているだろう。
 結局、トランス・モダン・サイエンスとして、内的科学が基礎であり、そこからの新たな構築・体系化が問題なのである。
 近代科学とは、外的科学、唯物論科学に過ぎなかったのである。
 科学が一つになる。

2010年08月05日 (19:38)

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2010年08月03日 (19:45)

モデルの顔とモデル・メイクアップ中の顔:相貌が違う:精神・気が様態を創造する

テーマ:美術・デザイン・ファッション・美容・整形

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Melissa Satta was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.Melissa Satta was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.

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Melissa Satta was photographed by Randall Grant in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.Melissa Satta was photographed by Randall Grant in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.

http://sportsillustrated.cnn.com/2010_swimsuit/painting/melissa-satta/10_melissa-satta_25.html

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Melissa Satta was photographed by Randall Grant in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.Melissa Satta was photographed by Randall Grant in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.

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参照:以下、画像をクリックされたい。

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ファイル:Francisco de Goya y Lucientes 011.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Francisco_de_Goya_y_Lucientes_011.jpg

800px-Francisco_de_Goya_y_Lucientes_009.jpg

ファイル:Francisco de Goya y Lucientes 009.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Francisco_de_Goya_y_Lucientes_009.jpg

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ファイル:Edouard Manet 038.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edouard_Manet_038.jpg

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ファイル:Origin-of-the-World.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Origin-of-the-World.jpg

2010年08月02日 (20:26)

ボディ・ペインティングとは即非アートである

テーマ:ジェンダー/セクシュアリティ/ヌード

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Sarah Brandner was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.Sarah Brandner was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.

Sarah Brandner was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.

http://sportsillustrated.cnn.com/2010_swimsuit/painting/sarah-brandner/10_sarah-brandner_3.html

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Bethany Dempsey was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.Bethany Dempsey was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.

Bethany Dempsey was photographed by Yu Tsai in New York, New York. Bodypaint by Joanne Gair.
http://sportsillustrated.cnn.com/2010_swimsuit/painting/bethany-dempsey/10_bethany-dempsey_11.html

2010 Sports Illustrated Swimsuit Edition

2010年03月27日 (09:54)

自然美(自然造形美)とは精神的数学的美である:西洋美学から東洋美学への転換

これまでのベクトル・モード論の検討から、何故、自然(正確に言うと、人の手を適度に加えた、より自然化された自然)が美しいのか明晰、明快な答えを得たと言えよう。
 黄金比が自然に発露しているのであり、そのために、美的なのである。
 私はずいぶん昔(学生の頃)から西洋美学に疑問を抱いてきた。つまり、芸術の方が自然よりも美的であるという思想である。しかしながら、私は自然美は、凡庸な芸術よりもはるかに美的であると感じてきた。そして、日本美術は、つまり、伝統的日本美術は、自然美から生まれた(自然美と共振して美的創造力が喚起され、制作された)と感じてきたのである。
 ここで想起するのは、オノ・ヨーコ氏の「わたしがいくらがんばっても、青空の青にはかなわない」というような言葉である。まったく同感である。
 ユダヤ・キリスト教的思想を考えれば、芸術が自然よりもすぐれていると判断するのは当然である。(追記:ギリシア・ローマの伝統も考えないといけない。それは、しかしながら、人体が中心であるが、自然的であると言えよう。)
 今は余裕がないので、詳述しないが、ひと言付け加えれば、原生林や雑木林の方が、人工的な木立、例えば、公園で見られるようなシンメトリカルに「秩序」立てられたものより、はるかに日本人の本来の美的感覚には合うのである。もっとも、原生林や雑木林も放っておけば、野放図に蔓延るが、そこに適度な間伐等を行なえば、より美的な森林にはなりうると言えよう。
 とまれ、植物(だけではないが)のもつ黄金比等の美的電磁波が複雑に共振して、無限に美的な印象をもたらすのだと思う(池泉回遊式庭園はそのような美学を感じる)。

追記:私は東京や大都市の大半の機械的、無機質な建物は、近代合理主義、つまり、唯物論に基づくもので、醜悪醜怪なものだと思う。つまり、+1の同一性=物質の論理、アンラ・マンユ(アーリマン=悪神、悪霊、悪魔)の論理に基づくのである。
 それは、自然の造形美をまったくもたない反美的なものである。それは、日本人の伝統的精神的感覚を損なう害悪である。
 アーリマンの東京や大都市の「景観」である。結局、同一性の悪魔、正確に言うと、連続的同一性の悪魔(ルシファー/アーリマン)にとり憑かれたのである。
 この原因は明治維新からの封建的父権的国家主義と戦後の近代合理主義の結合にあると思う。前者がルシファーが強く、後者がアーリマンが強いと言えよう。
 神仏習合の差異共振の精神原理が排除されたのである。これは、基本的には戦後近代合理主義に拠ると考えられる。唯物論教育が支配したからである。
 とまれ、日本が生まれ変わるには、先ず、東洋的身体精神教育が必要である。そして、哲学・科学・芸術教育が必要である。

回遊式庭園
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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桂離宮庭園

回遊式庭園(かいゆうしきていえん)は、日本庭園 の形式のひとつで、園内を回遊して鑑賞する庭園 。園内を回遊する形式の庭園は日本以外にも存在するが、回遊式庭園という語は主に日本庭園のみを指して用いられる。
概要 [編集 ]

回遊式庭園は、江戸時代 に大名 によって造営された大名庭園 において発達した形式であり、日本庭園の集大成とも位置づけられる。

最も一般的な形式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山 、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々には、散策中の休憩所として、また、庭園を眺望する展望所として、茶亭、東屋などが設けられた。
代表的な回遊式庭園 [編集 ]

* 桂離宮 庭園(京都府 京都市 西京区 )
* 京都御所 庭園(京都府京都市上京区 )
* 小石川後楽園 (東京都 文京区 ) - 特別史跡 ・特別名勝
* 浜離宮恩賜庭園 (東京都中央区 ) - 特別史跡・特別名勝
* 一乗谷朝倉氏庭園 (福井県 福井市 ) - 特別史跡・特別名勝
* 偕楽園 (茨城県 水戸市 ) - 史跡 ・名勝
* 兼六園 (石川県 金沢市 ) - 特別名勝
* 後楽園 (岡山県 岡山市 北区 ) - 特別名勝
* 玄宮園 (滋賀県 彦根市 ) - 特別史跡・名勝
* 足立美術館 庭園(島根県 安来市 )
* 栗林公園 (香川県 高松市 ) - 特別名勝

執筆の途中です この「回遊式庭園」は日本の文化 に関する書きかけ項目 です。この項目にさらなる加筆、訂正 などをして下さる協力者を求めています (ポータル 日本 /ウィキプロジェクト 日本文化 )。
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9E%E9%81%8A%E5%BC%8F%E5%BA%AD%E5%9C%92 」より作成
カテゴリ : 日本庭園

2009年05月24日 (22:52)

ウォルター・クレイン:ネプチューンの馬

800px-Walter_Crane_001.jpg

クリックすると拡大します。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Walter_Crane_001.jpg

何の音楽が忘れたが、以上の絵の一部がCDのジャケットになっていた。初めて見る絵であった(追記:ひょっとしたら、見ていたかもしれない)。以下の説明では、リヴァプール出身(ビートルズと同じ)とある。私はケルト系ではないかと思い、調べたのである。今、英語版で調べてみる。おそらく、ケルト系、即ち、アイルランド系かスコットランド系かウェールズ系である。
 残念ながら、英語版には記されていない。とまれ、この絵はギリシア神話に題材をとっているが、波と馬の動きがダイナミックに、かつ、繊細に捉えられている、独創的な絵である。
 ウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツに参加し、また、日本の多色刷り版画(浮世絵?)の影響を受けたということである。確かに、東洋的である。ほとんど知られていないのではないだろうか。

ウォルター・クレイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
ウォルター・クレーン 1886年頃

ウォルター・クレイン(Walter Crane, 1845年 8月15日 - 1915年 3月14日 )は、イギリス の芸術家である。絵画、イラストレーション、児童書、陶磁器タイル、その他多くの装飾芸術を制作し、アーツ・アンド・クラフツ に深く関わった。

前半生と影響 [編集 ]
Princess Belle-Etoile

ウォルター・クレインは細密肖像画家のトーマス・クレインの次男としてリヴァプール に生まれた。早くからラファエル前派 の影響を受けており、ジョン・ラスキン の信望者であった。13歳の時に著名な彫版師ウィリアム・ジェームズ・リントンに弟子入りし、3年間工房で働いた。14歳のときにはテニスン の『シャロットの姫』のカラーページを手がけ師の認可を得ている。この工房で彼は同時代のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ 、ジョン・エヴァレット・ミレー 、ジョン・テニエル や、イタリア・ルネッサンス美術の作品などを彫版し経験を積んだが、より深い影響を受けたのは大英博物館 に収蔵されていたエルギン・マーブル であった。また彼は浮世絵 を研究し、その技法を子供向けのトイ・ブックスに生かし新たな流行を生み出した。
絵画とイラストレーション [編集 ]

1864年から1876年にかけて、クレインは彫版師エドムンド・エヴァンズと組んで3色刷りのトイ・ブックス(童謡やおとぎ話を扱った児童向け絵本)を多数制作し大きな成功を収めた。とくに『カエルの王子さま』(1874年)から始まるシリーズには、画面構成や大胆な平塗りなど、浮世絵の影響が強く現れている。また1876年にはケイト・グリーナウェイ やジョン・テニエル らと共同で挿絵本を制作している。
『カエルの王子さま』1874年

挿絵画家としてのクレインは、画面上で文章と絵・装飾とを調和させることに腐心し、『幼子のオペラ』(1877年)『3つのRの物語』(1886 年)などの作品はその後の児童向け絵本のデザインの基礎となった。このような挿絵本のうち、友人であるジョン・ワイズの『5月1日:妖精の仮面劇』(1881年)ではグラビア印刷の技術が使われ、クレインの手がけた本の中でもひときわ美しい物となっている。またグリムの『家庭のメルヘン』(1882 年)で使用されたガチョウ番の娘の絵は後にウィリアム・モリス がタペストリー に仕上げ、現在はヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に収蔵されている。このほかワイルドの『幸福の王子、その他のお話』(1888年)、ホーソーンの『ワンダーブック』(1892年)、スペンサーの『妖精の女王』(1894年-1896年)など、クレインは数多くの挿絵本を手がけた。

社会主義運動との関わり [編集 ]

1880年代よりクレインはウィリアム・モリス の影響から社会主義運動に関わり、彼とともに社会のすべての階層にデザインを浸透させようとした。この観点から彼は織物 や壁紙 、室内装飾などを手がけることに没頭し、また『ジャスティス』や『コモン・ウィール』などの社会主義者の組織のために長期にわたり漫画を寄稿したほか、美術家同盟(Art Workers Guild)や自身が設立したアーツ・アンド・クラフツ展示協会のために精力的に活動した。

クレインは、「装飾芸術家はできるだけ自然から離れて、自身の経験によって選び抜かれた形態を学ぶべきだ」という考えのもと、レリーフ 、タイル 、ステンドグラス 、陶器 、壁紙 、織物 などで数多くのデザインを手がけた。彼の作品の展示会は1891年にボンド・ストリートで行われたものをはじめ、クレイン自身によってアメリカでも開催され、のちにドイツ 、オーストリア およびスカンジナビア でも催された。また1898年から1899年にかけて刊行されたかれの講義録は以後40年の間読まれ続け、当時の芸術家に多大な影響を及ぼした。ジョージ・フレデリック・ワッツ による有名なクレインの肖像画は1893年にノイエ・ギャラリーで展示されている。

外部リンク [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ウォルター・クレイン に関連するマルチメディアがあります。

* SurLaLune Fairy Tale Pages: Fairy Tale Illustrations of Walter Crane
* Walter Crane: Artist & Socialist - From the Working Class Movement Library Website
* プロジェクト・グーテンベルク における Walter Craneの作品

* この記述には、パブリックドメイン の百科事典『ブリタニカ百科事典第11版 』本文を含む。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3 " より作成
カテゴリ : イギリスの芸術家 | イギリスのイラストレーター | 1845年生 | 1915年没 | ブリタニカ百科事典第11版

2009年03月08日 (21:15)

画家ハンマースホイと差異共振時空間

たまたまテレビを見ていたら、以下の番組をやっていた。ハンマースホイ、私は初めて聞く名前のデンマークの画家である。
 しかし、絵画の画面にひきつけられる。映画監督小栗康平氏の哲学的な解説が的確であった。静謐な時空間、そして、静謐な物たち、思うに、特異性を表現していると思った。あるいは、差異共振性における同一性像である。Media Pointの表現とも言えよう。セザンヌにも似ていると言えよう。物自体である。
 研究員が禅寺や茶室におけるように心が洗われるというようなことを言っていたが、それも的確である。禅に近いのである。瞑想時空間である。同一性志向性が発生する以前の自然現象時空間である。そう、差異共振時空間である。

Vilhelm_Hammershoi_-_Interieur_mit_Rueckenansicht_einer_Frau_-_1903-1904_-_Randers_Kunstmuseum.jpg

2009年3月8日よる放送(アンコール放送)
誰もいない部屋こそ美しい
北欧の画家・ハンマースホイ
出演

小栗康平さん(映画監督)
佐藤直樹さん(国立西洋美術館主任研究員)

http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2009/0308_02/index.html

ヴィルヘルム・ハンマースホイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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「Interior With Young Man Reading」1898年の作品
陽光、あるいは陽光に舞う塵 (1900)
背を向けた若い女性のいる室内 (1903-04)

ヴィルヘルム・ハンマースホイ(Vilhelm Hammershøi,1864年 5月15日 –1916年 2月13日 )は、デンマーク 出身の画家 。空間を意識し、空気を感じさせる細密なタッチで描いた室内画が特に印象的。その多くには背を向けた人物(その多くは彼の愛妻イーダ)が描かれている。
生涯 [編集 ]

ハンマースホイはコペンハーゲン の裕福な家庭に生まれる。8歳の時から絵画を学び始め、コペンハーゲン美術アカデミーで学ぶ。

21歳の時、妹のアナを描いた『若い女性の肖像、画家の妹アンナ・ハンマースホイ』を美術アカデミーに出品するが落選したことで物議を醸し話題となる。

1891年に画家のピーダ・イルステズ の妹イーダと結婚。1898年から1909年までストランゲーゼ30番地のアパートで暮らし、その部屋の室内風景を多く描いた。

1901年 にデンマーク美術アカデミーの総会会員に就任し、翌年には同評議員になる。1911年 、ローマで開かれた国際美術展で第一等を獲得。1910年代に入ってヨーロッパ各国で個展が開かれるようになり、評価が進んだ。

1916年 にコペンハーゲンで喉頭癌 で死去。

作品の特徴 [編集 ]

ハンマースホイの絵画の大部分は風景画でアパートの室内を描いたものが多く、しかも人物や家具など生活感をうかがわせるものがほとんどない。さらに、描かれた人物も顔のタッチがほとんどぼかされているうえ、描かれたとしても後ろ向きか視線を合わせない。このように、ハンマースホイの絵はタイトル以外、モチーフの手がかりをほとんど排除している。また、白と黒を基調としたモノトーンに近い色使いと、フェルメール の影響を受けた静謐なタッチが特徴。

エピソード [編集 ]

* 国際的人気を誇るコメディグループ、モンティ・パイソン のメンバーであるマイケル・ペイリン はハンマースホイ作品の大ファンで、BBC で『Michael Palin and the Enigma of Hammershoi』というドキュメンタリー番組を制作し、ハンマースホイの魅力を放送。ペイリン自身もハンマースホイの作品を所蔵しているらしい。

* イエンス・ロウガセン (2006-2007ANDAM AWARDを受賞)は、ハンマースホイのネオクラシカルな要素にインスパイアされたコレクションを発表した。

代表作 [編集 ]

* 若い女性の肖像、画家の妹アンナ・ハンマースホイ(1885)(ヒアシュプロング美術館 )
* ふたりの人物像(画家とその妻) (1898) (アロス・オーフス美術館 )
* 室内(1893)(イェーテボリ美術館 )
* 陽光に舞う塵埃(1900)(オードラップゴー美術館 )
* 室内、ストランゲーゼ(1901)(ハノーファー、ニーダーゼクセン州博物館 )
* 背を向けた若い女性のいる室内(1903-04)(ラナス美術館 )
* 休息(1905)(オルセー美術館 )
* 陽光習作 (1906) (デーヴィス・コレクション、コペンハーゲン)
* クレスチャンスボー宮殿 の眺め (1907) (コペンハーゲン国立美術館 )
* ピアノを弾くイーダのいる室内 (1910) (国立西洋美術館 )

関連項目 [編集 ]

* 2008年6月24日(火)~9月7日(日)イギリスのRoyal Academy of Arts において、回顧展が開催される。
* 2008年9月30日(火)~12月7日(日)東京・上野の国立西洋美術館 において、アジア初の回顧展が開催される。

同時代のデンマークの作家 [編集 ]

* ピーダ・イルステズ(Peter Ilsted, 1861年-1933年)
* カール・ホルスーウ(Carl Vilhelm Holsoe, 1863年-1935年)

外部リンク [編集 ]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ヴィルヘルム・ハンマースホイ に関連するカテゴリがあります。

* ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情 - 展覧会公式サイト
* Art of Hammershøi Online Resource
* Palin on Hammershøi
* ハンマースホイの墓(コペンハーゲンの"Vestre Kirkegard"(西の墓地)) - Find A Grave

執筆の途中です この「ヴィルヘルム・ハンマースホイ」は美術家 ・芸術家 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 などして下さる協力者を求めています (P:美術 )。
"
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9B%E3%82%A4 " より作成
カテゴリ : デンマークの画家 | 1864年生 | 1916年没

2009年02月26日 (09:06)

『自然界とは何か:差異共振的同一性界か、それとも、差異共振界か?:自然という差異共振鏡面と人間の同一性像の投影(マーヤー):差異共振ミメーシスと差異共振視覚・感覚:シェイクスピアの差異共振ミメーシス性とケルト文化の差異共振精神:年輪や木目と差異共振性の縁としての同一性形状(差異共振的パターン:差異共鳴パターン)』

『自然界とは何か:差異共振的同一性界か、それとも、差異共振界か?:自然という差異共振鏡面と人間の同一性像の投影(マーヤー):差異共振ミメーシスと差異共振視覚・感覚:シェイクスピアの差異共振ミメーシス性とケルト文化の差異共振精神:年輪や木目と差異共振性の縁としての同一性形状(差異共振的パターン:差異共鳴パターン)』


先に以下のように鏡像自己に関する解明を行なったが、自然、自然現象についての解明に少しブレがあるようなので検討したい。
 鏡面は差異共振的同一性面であり、そして、自然が差異共振現象であると述べたのであるが、そうすると、鏡面と自然との関係を明晰にする必要がある。例えば、自然現象は本来、差異共振現象であり、自然に接すると差異共振視覚が喚起されるということを言ったが、そのとき、自然は鏡面なのだろうか。
 問題のポイントは鏡面が差異共振的同一性面であるということにある。では、自然も差異共振的同一性面だろうか。ここは微妙である。
 直感で考えよう。自然に面して、主観には差異共振像が生まれる。これは、Media Point 的視覚(MP的視覚:Media Point Vision:MPV)である。では、このとき、自然は何なのであろうか。自然は差異共振現象であると述べたのであるから、主観(主体)におけるMP的視覚が差異共振現象である自然と共鳴して、差異共振像を生起させると考えることができよう。
 これを分析するなら、主観(主体)が差異共振エネルギー(超越光/光)を放出する自然に臨むとき、それを視覚受容し、MP的視覚が賦活・活性化・「励起」され、差異共振像を結像すると考えられる。このとき自然は鏡面ではないのか。そう、確かに、一種の鏡面であるが、差異共振的鏡面である。(神鏡とは、差異共振的鏡面、Media Point Mirrorと言えよう。)しかし、差異共振的同一性鏡面と言えないのか。差異共振的同一性鏡面とは、端的に、差異共振的鏡面である。だから、結局、自然と鏡面は一致するのである。だから、やはり、問題は、人間主体の志向する同一性像(同一性志向性)である。この人間の主体の同一性像志向性が差異共振像である自然鏡面(差異共振鏡面)に、臨むとき、その同一性像を投影して、自然現象を同一性像(マーヤー)化すると考えられるのである。これで本件の問題が解明された。
 【因みに、『ハムレット』における有名な鏡としての演劇論(ミメーシス論)を簡単に考えてみよう。即ち、演劇とは時代を映す鏡であるという美学である。この場合、ミメーシス/リアリズムは、先に述べた通り、同一性=物質的リアリズムではなく、差異共振的リアリズム(差異共振的ミメーシス)、即ち、即非ミメーシス、Media Point Mimesisと考えるべきである。これは、ゴヤの絵画に似ている。とまれ、この視点で、シェイクスピア演劇の美学も解明されると考えられる。シェイクスピアの洞察眼・心眼は、差異共振的視覚に拠ると考えられるのである。また、創作方法も、差異共振的知覚で、対象に成り切って、表現するので、シェイクスピア個人は消えるのである。シェイクスピアの長年の謎もこれで解明されたと考えられる。ついでに、私が唱える英国文学におけるケルト文化性であるが、ケルト文化性とは、端的に、差異共振的精神性と言えるだろう。私はケルト神話と日本神話(折口信夫の説くもの)とが酷似していると述べているが、それは、差異共振的精神ということで説明できよう。】
 では、発展させて言うと、視覚ないしは感覚とは何なのだろうか。これは、本質的・核心的な問題の一つである。視覚に限定すると、それは、端的に、差異共振的視覚であり、本来、その中に同一性視覚(物質視覚)が包摂されているのであるが、近代/現代において、同一性像の傾斜(西欧近代主義)があるため、同一性像が支配的になり(同一性像主義=唯物論)、差異共振的視覚が抑圧・排除されていると考えられるのである。
 そうすると、今日、一般に言われる視覚ないしは感覚とは、端的に、同一性主義的視覚・感覚、唯物論的視覚・感覚である。だから、それは、錯誤の視覚・感覚である。同一性視覚・感覚である。因みに、よく感性と言われるが、それは、差異共振視覚・感覚を示唆しているが、きわめてあいまい、不明晰である。端的に、差異共振視覚・感覚と言うべきである。
 追加として、自然の差異共振像であるが、例えば、年輪や木目等であるが、それは差異共振像の一つではないだろうか。問題は黄金分割等にも関係するが(そう、デザインの問題にも関係するが)、即ち、年輪や木目とは確かに、同一性=物質をともなっているが、その形状・形態は、差異共振エネルギーの波動の現象化したものではないだろうか。言い換えると、差異共振エネルギーによる、不連続的転移における、差異共振像の痕跡ではないだろうか。


Nussbaum-Maser_Holz.jpg

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Nussbaum-Maser_Holz.JPG

 より的確な考察は別稿にするが、要するに、年輪の輪であるが、それは、差異共振エネルギーが同一性=物質化するとき形成される形状・形態であると考えられ、差異共振的同一性的形態と呼べるが、この形態は単なる同一性=物質の形態ではなく、差異共振エネルギーないしは差異共振像の痕跡ではないのか、ということである。木目も同様ではないのか。
 直感では、それらに差異共振エネルギーを感じるのであるが、それは、その形状(単に形状だけからでなく、その材質からも感じるが)から発しているように思えるのである。そう、黄金分割と同様なことがあると思えるのである。つまり、差異共振エネルギーの同一性の縁である。だから、年輪や木目とは、差異共振性の縁としての同一性形状・形態であり、そのため、差異共振エネルギーを放出しているのではないだろうか。これは敷延して、自然現象の形態に当てはまると考えられる。例えば、渦巻やラセンはそういうものではないだろうか。端的に、差異共振的パターン(差異共鳴パターン)と言えよう。
 これは、音楽で言うと、モーツァルトの音楽である。差異共振エネルギーの縁としてのモーツァルト音楽ではないだろうか。その古典主義という同一性は、差異共振性の縁、差異共振性の同一性の縁と考えられるのではないだろうか。
 長くなったので、稿を改めて検討したい。
 
参照:
《『鏡面と鏡像と視覚:差異共振像と同一性像と視覚主導:脱同一性鏡像化と差異共振視覚の復活』

・ ・・・・

鏡面は差異共振像の反映する差異共振的同一性面(差異的同一性面:以下、共振同一面または共鳴同一面)であり、そこに同一性志向性の不連続的転移に拠る同一性放射光が注がれ、同一性鏡像が生まれるのである。
 ポイントは、本来、差異共振像である鏡面に、差異共振性を否定する同一性像が反照されるということである。この差異共振鏡面に同一性像が反照されるという事象に、人間の謎・秘密の黄金の鍵があると言える。《先にも触れたが、神器の一つである鏡とは、この共振鏡面のことであると考えられる。そして、そこに差異共振像・超越光を見るのが正しいのであるが、同一性自己(自我)の人間には、そこに同一性像しか見い出せないのである。》
 問題は視覚の作用である。同一性志向性の視覚が、共振鏡面に同一性像を反映するのである。即ち、差異共振像に同一性像を投影して、前者に後者を重ねて、連続化して、いわば、覆ってしまうのである。同一性像の覆いである。そして、同一性像は差異共振像を抑圧・排除してしまい、主体は同一性自己(同一性主義)に転ずるのである。鏡面に映した同一性像によって、差異共振像を排除してしまい、鏡像自己を形成して、同一性自己を完成するのである。

・ ・・・・

自然現象とは、本来、差異共振現象であるからである。だから、自然は本来、マーヤーではなくて、Media Point 的現象なのである。マーヤーは人間の同一性鏡像に源泉があり、その投影から形成されるのである。》
http://ameblo.jp/renshi/entry-10214379246.html

2009年02月25日 (14:38)

鏡面と鏡像と視覚:差異共振像と同一性像と視覚主導:脱同一性鏡像化と差異共振視覚の復活

以前、同一性自己(自我)形成における視覚の主導性・中心性について述べたことがあるが、今の時点で確認したい。
 鏡面は差異共振像の反映する差異共振的同一性面(差異的同一性面:以下、共振同一面または共鳴同一面)であり、そこに同一性志向性の不連続的転移に拠る同一性放射光が注がれ、同一性鏡像が生まれるのである。
 ポイントは、本来、差異共振像である鏡面に、差異共振性を否定する同一性像が反照されるということである。この差異共振鏡面に同一性像が反照されるという事象に、人間の謎・秘密の黄金の鍵があると言える。《先にも触れたが、神器の一つである鏡とは、この共振鏡面のことであると考えられる。そして、そこに差異共振像・超越光を見るのが正しいのであるが、同一性自己(自我)の人間には、そこに同一性像しか見い出せないのである。》
 問題は視覚の作用である。同一性志向性の視覚が、共振鏡面に同一性像を反映するのである。即ち、差異共振像に同一性像を投影して、前者に後者を重ねて、連続化して、いわば、覆ってしまうのである。同一性像の覆いである。そして、同一性像は差異共振像を抑圧・排除してしまい、主体は同一性自己(同一性主義)に転ずるのである。鏡面に映した同一性像によって、差異共振像を排除してしまい、鏡像自己を形成して、同一性自己を完成するのである。
 丁寧に言えば、鏡像が模範になるのである。そして、それを同一性志向性が模して、一体化するのである。つまり、本来、同一性志向性と鏡像とはダブル(分身)でありながら、それが、鏡像自己の形成によって一体化するという誤りを犯しているのである。言い換えると、自己と鏡像とは本来、別々であるが、鏡像へと同一性投影することで、鏡像自己が形成されるのである。この鏡像自己が、マーヤーの根源であると言える。(思うに、不思議なのは、ヒンドゥー教やインド哲学や仏教はどうして、現象がマーヤーであると解明できたのか。やはり、天才が創造した宗教・哲学である。)
 ついでの、先に述べたことを繰り返すが、自己と鏡像を分離させるのが、自己認識の原点・出発点である。仏教やフッサール現象学の核心の一つである。
 これで本件の問題が解明されたが、視覚に問題を絞ると、鏡像的現象界(鏡像現象界:略して、鏡象界)を相対化する方法として、脱同一性的美術があるだろう(モダン・アートはそのような志向性をもっていた)。
 鏡像的現象界のコピーではなく、差異共振像を現象界に見いだす美術である。これは、例えば、山岳を描いた場合、「私は山岳であり、且つ、山岳ではない」という即非表現となる。問題はこのとき描かれた山岳の意味である。それは、当然、鏡像的模写ではなく、共鳴的な表現がそこにはあるが、それは、端的に何か。それは、同一性=物質的ではない山岳、精神的な山岳が表現されていることになる。正確に言えば、同一性=物質としての山岳であり、且つ、差異共振性=精神としての山岳、即ち、即非的山岳が描かれていることになる。
 以前、Kaisetsu氏がミメーシスの捉え直しを唱えていたが、この即非表現がミメーシスに当たるだろう。即非ミメーシスと呼んでもいいだろう。あるいは、Media Point ミメーシスである。
 ここで、リアリズム(写実主義)の問題が生じるが、結局、一見、リアリズムであっても、少なくとも、同一性=物質的リアリズムと差異共振的リアリズムの二つがあることになる。両方を、通常、リアリズムで括っているが、それは間違いである。即非リアリズムがあるからである。
 日本美術で言うと、水墨画や琳派の絵画は、即非リアリズムと言うべきであり、単なる写実主義ではないと言えよう。この美学の問題がたいへん興味深いがここで留めよう。
 最後に付け加えると、視覚主導で形成された鏡像自己であるが、その解体・脱同一性主義化と視覚とはどう関係するのだろうか。同一性視覚とは、本来の身体が欠落しているのである。つまり、物質身体はあるが、精神身体が欠落しているのである。言い換えると、表層身体(西洋的身体)はあるが、深層身体(東洋的身体)が欠落しているのである。だから、視覚も精神身体、深層身体を取り戻す必要があるのである。換言すると、差異共振視覚、即非視覚、Media Point Visionを取り戻す必要があるのである。これこそ、真実を見る眼、心眼、魂眼である。当然、すぐれた画家はこれをもっていた。ゴヤのリアリズムは、この差異共振視覚が風刺的リアリズムへと向かったと言えよう。それに対して、ウィリアム・ブレイクの場合は、差異共振視覚が、虚軸ヴィジョンへと向かったのである。ピカソの『ゲルニカ』は、差異共振視覚が、独裁者批判へと向かっているのである。
 では、端的に、差異共振視覚を取り戻す方法とは何か。視覚が主導した同一性像であるから、視覚によって脱同一性像化するのは、重要である。理論的には、再帰として、差異共振視覚が生起すると考えられる。この視覚を肯定する必要があるのである。
 では、どこに、差異共振視覚が発生するのだろうか。私の乏しい経験から考えてみよう。それは、簡単に言えば、自然に、山川草木の自然に接したときに、差異共振視覚が発生するように思う。そう、自然現象とは、本来、差異共振現象であるからである。だから、自然は本来、マーヤーではなくて、Media Point 的現象なのである。マーヤーは人間の同一性鏡像に源泉があり、その投影から形成されるのである。
 私自身にとっての差異共振視覚の決定的経験は何だろうか。思うに、青空である。紺碧の大空である。思えば、子どもの頃、田舎の小屋のトタン屋根に寝そべり、青空を見つめて、青空に溶け入る美的な経験をしたが、それが、私にとっての、最高の差異共振視覚経験であろう。


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水墨画
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松林図屏風(長谷川等伯 、国宝 )

水墨画(すいぼくが)とは、「墨 」一色で表現される絵画 で、墨線だけでなく、墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す。墨絵(すみえ)とも言う。

中国 で唐 代後半に山水画の技法として成立し、宋代には、文人官僚の余技としての、四君子(松竹梅菊)の水墨画が行われた。また、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事人物画が水墨で制作された。明代には花卉、果物、野菜、魚などを描く水墨雑画も描かれた。

日本 には鎌倉時代 に禅 とともに伝わった。日本に伝わった絵画は、『達磨図 』・『瓢鮎図 』などのように禅の思想を表すものであったが、徐々に変化を遂げ、風景を描く山水画 も書かれるようになった。
日本の水墨画
如拙筆 瓢鮎図 京都・退蔵院蔵
雪舟筆 秋冬山水図のうち冬景

墨一色で表現した絵画は、日本では正倉院 宝物の「墨画仏像」のような奈良時代の作例があり、古代から制作されていた。しかし、美術史で「水墨画」という場合には、単に墨一色で描かれた絵画ということではなく、墨色の濃淡、にじみ、かすれ、などを表現の要素とした中国風の描法によるものを指し、日本の作品については、おおむね鎌倉時代以降のものを指すのが通常である。着彩画であっても、水墨画風の描法になり、墨が主、色が従のものは「水墨画」に含むことが多い。

平安時代初期、密教の伝来とともに、仏像、仏具、曼荼羅等の複雑な形態を正しく伝承するために、墨一色で線描された「密教図像」が多数制作された。絵巻物の中にも『枕草紙絵巻』のように彩色を用いず、墨の線のみで描かれたものがある。しかし、これらのような肥痩や濃淡のない均質な墨線で描かれた作品は「白描」(はくびょう)ないし「白画」といい、「水墨画」の範疇には含めないのが普通である。

[編集 ] 初期水墨画

中国における水墨画表現は唐 時代末から、五代 ~宋 時代初め(9世紀末~10世紀)にかけて発達した。中国の水墨画が写実表現の追求から自発的に始まったものであるのに対し、日本の水墨画は中国画の受容から始まったものである。日本における水墨画の受容と制作がいつ頃始まったかは必ずしも明確ではない。すでに12世紀末頃の詫磨派の仏画に水墨画風の筆法が見られるが、本格的な水墨画作品が現れるのは13世紀末頃で、中国での水墨画発祥からは4世紀近くを経ていた。13世紀末から14世紀頃までの日本の水墨画を美術史では「初期水墨画」と呼んでいる。水墨画がこの頃盛んになった要因としては、日本と中国の間で禅僧の往来が盛んになり、宋・元 の新様式の絵画が日本にもたらされたことが挙げられる。13世紀になり、無学祖元 、蘭渓道隆 らの中国禅僧が相次いで来日した。彼らは絵画を含め宋・元の文物や文化を日本へもたらした。鎌倉にある円覚寺 の仏日庵の所蔵品目録である「仏日庵公物目録」(ぶつにちあんくもつもくろく)は、元応2年(1320年)に作成された目録を貞治2年(1363年)頃に改訂したものであるが、これを見ると、当時の円覚寺には多数の中国画が所蔵されていたことがわかる。

日本の初期水墨画は、絵仏師 や禅僧が中心となって制作が始められた。師資相承(師匠から弟子へ仏法を伝える)を重視する禅宗では、師匠の法を嗣いだことを証明するために弟子に与える頂相 (ちんぞう、禅僧の肖像)や禅宗の始祖・達磨 をはじめとする祖師像などの絵画作品の需要があった。この時期に制作された水墨画の画題としては、上述の頂相、祖師像のほか、道釈画(道教および仏教関連の人物画)、四君子 (蘭、竹、菊、梅を指す)などが主なものである。なお、水墨画と禅宗の教義とには直接の関係はなく、水墨画は禅宗様の建築様式などと同様、外来の新しい文化として受容されたものと思われる。鎌倉時代の絵巻物 に表現された画中画を見ると、当時、禅宗以外の寺院の障子絵などにも水墨画が用いられていたことがわかる。

14世紀の代表的な水墨画家としては、可翁 、黙庵 、鉄舟徳済 などが挙げられる。可翁については作品に「可翁」の印が残るのみで伝記は不明だが、元に渡航した禅僧の可翁宗然と同人とする説が有力である。黙庵は元に渡り、同地で没した禅僧である。鉄舟徳済は夢窓疎石 の弟子の禅僧で、やはり元に渡航している。

代表作

* 達磨図(山梨・向嶽寺 蔵、国宝) - 達磨の衣などに彩色があるが、水墨画の筆法で描かれている。絵の上部に蘭渓道隆の賛があることから、蘭渓の没した1278年が制作年代の下限である。
* 蘭渓道隆像(神奈川・建長寺蔵、国宝) - 着彩画であるが、中国画と同様の筆法で描かれている。この時代の頂相の代表作である。絵の上部に文永8年(1271年)の蘭渓自身の賛がある。
* 可翁筆 寒山図(個人蔵、国宝) - 減筆体の人物画。寒山は唐時代、天台山に住んでいたという伝説的な隠者で、水墨画の好画題とされる。

[編集 ] 室町水墨画

室町時代は日本水墨画の全盛期と言ってよいであろう。足利家が禅宗を庇護したこともあり、禅文化や五山文学 が栄え、足利家の寺である京都の相国寺 からは如拙 、周文 、雪舟 をはじめとする画僧を輩出した。また、東福寺 の画僧・明兆 (みんちょう)は、濃彩の仏画から水墨画まで幅広い作品を制作した。8代将軍足利義政 は政治を省みなかったが、文化の振興には力を入れ、唐物と呼ばれる中国舶載の書画、茶道具などを熱心に収集・鑑賞した。当時の日本で珍重されたのは、中国・南宋時代の画家の作品で、夏珪、馬遠、牧谿 (もっけい)、梁楷、玉澗(ぎょくかん)らが特に珍重された。牧谿、梁楷、玉澗などは中国本国よりも日本で評価の高い画家である。なお、室町時代の日本画壇が水墨画一色であったと考えるのは誤りで、この時代には伝統的な大和絵 の屏風も盛んに描かれていたことが、20世紀後半以降の研究で明らかになっている。

14世紀までの日本水墨画が頂相、祖師図、道釈画などの人物画や花鳥画を中心としていたのに対し、15世紀には日本でも本格的な山水画が描かれるようになる。日本の水墨山水画のうち、もっとも初期の作とされるものは、「思堪」という印章のある『平沙落雁図』(個人蔵)である。この作品には中国出身の禅僧・一山一寧 の賛があり、彼の没年である1317年が制作年代の下限となる。画面下部に「思堪」の朱印があり、これが画家名と思われるが、その伝記等は不明である。この『平沙落雁図』にはまだ水墨画の画法をこなしきれていない稚拙な部分があり、遠近感の表現なども十分ではない。それから約1世紀を経た応永年間(15世紀初頭)に、「詩画軸」と称される一連の作品が制作される。

「詩画軸」とは、「詩・書・画一体」の境地を表わしたもので、縦に長い掛軸の画面の下部に水墨画を描き、上部の余白に、画題に関連した漢詩を書いたものである。この種の詩画軸で年代のわかる最古のものとされるのが藤田美術館 蔵の『柴門新月図』(さいもんしんげつず)で、応永12年(1405年)の作である。この図は杜甫 の詩を題材にしたもので、絵の上部には序文に続いて18名の禅僧が詩文を書いており、絵よりも書の占めるスペースが倍以上大きい。15世紀前半に制作された詩画軸の代表作としては他に『渓陰小築図』、『竹斎読書図』、『水色巒光図』(すいしょくらんこうず)などがあり、絵の筆者は『渓陰小築図』が明兆(みんちょう)、『竹斎読書図』、『水色巒光図』が周文との伝えもあるが、確証はない。この時期の詩画軸は、「書斎図」と呼ばれる、山水に囲まれた静かな書斎で過ごす、文人の理想の境地を題材にしたものが多い。

この時代にはようやく画人の名前と個性が明確になってくる。相国寺の画僧・如拙は、『瓢鮎図』(ひょうねんず、京都・退蔵院蔵)をはじめ、若干の作品が知られる。やはり相国寺の画僧であった周文は、幕府の御用絵師としての事績が文献からは知られ、詩画軸、山水屏風などに「伝周文筆」とされる作品が多数残るが、確証のある作例は1点もない。

15世紀の後半には、水墨画家としてのみならず、著名な画家の一人である雪舟(1420 - 1502/1506)が登場する。雪舟は備中国 (岡山県)の出身で、地方武士の血を引くと言われる。上京して相国寺の僧となるが、後に大内氏 を頼って山口に移住。応仁の乱(1467-1477年)の始まりと前後して中国・明に渡航、足掛け3年滞在して帰国した。帰国後は山口、大分など、もっぱら地方を遍歴して制作し、80歳代まで作品を残している。雪舟は明応4年(1495年)、76歳の時、弟子の宗淵に与えた作品『山水図』(通称「破墨山水図」)の自賛に、「自分は絵を学ぶために明に渡航したが、そこには求める師はいなかった」と記し、先輩に当たる如拙や周文の画業をたたえている。この自賛は、日本の画家が自らの画業について語ったものとしては最古のものであり、日本人画家としての自負がうかがえる。雪舟は中国絵画の影響を消化しつつ『天橋立図』のような日本の実景を題材にした独自の水墨画を制作した。また、多くの弟子を育成し、彼らの中には秋月(薩摩出身)、宗淵(鎌倉円覚寺の画僧)など、それぞれの出身地に帰って活躍した者もいた。こうした面でも、雪舟が日本絵画に与えた影響は大きかった。

室町時代には、地方にも多くの画人が現われ、その多くは武家の出身であった。その代表的な存在が、常陸国太田(茨城県常陸太田市)の武家出身の画家・雪村 であった。雪村は後に出家して画僧となり、関東地方と会津地方で80歳代まで制作を続けたが、その作品には武家の出身らしい気迫のこもったものが多い。

この時代には他にも多くの水墨画家がいた。著名な者としては、曾我蛇足、松谿、岳翁蔵丘らがいるが、これらの人物の伝記はあまり明らかでない。足利将軍家に仕えた「同朋衆」(唐物の目利きなど、芸術顧問的な仕事をしていた)の阿弥派一族(能阿弥 、芸阿弥 、相阿弥 )も水墨の作品を残している。

[編集 ] 参考文献

* 「特別展 水墨画」図録、東京国立博物館
* 週刊朝日百科『世界の美術』115号「室町時代の水墨画」、116号「雪舟・雪村と戦国画壇」、朝日新聞社、1980年

[編集 ] 関連項目

* 明兆
* 如拙
* 周文
* 雪舟
* 狩野正信 :狩野派 の祖
* 狩野元信
* 長谷川等伯
* 破墨山水
* 襖
* 東山文化
* おもな中国水墨画一覧

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%A2%A8%E7%94%BB " より作成
カテゴリ : 水墨画 | 絵画技術 | 絵画のジャンル | 禅 | 日本美術史 | 室町時代の文化

琳派
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俵屋宗達 風神雷神図

琳派(りんぱ)とは、俵屋宗達 、尾形光琳 ら江戸時代 に活躍し、同傾向の表現手法を用いる美術家 ・工芸家 らを指す名称である。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B3%E6%B4%BE

Rimpa-SpringLandscape.jpg

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Rimpa-SpringLandscape.jpg

Rimpa school
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Spring Landscape, unknown Rimpa school painter, 18th century, six-screen ink and gold on paper.

Rimpa (琳派, Rimpa or Rinpa? ), is one of the major historical schools of Japanese painting . It was created in 17th century Kyoto by Hon'ami Kōetsu (1558-1637) and Tawaraya Sōtatsu (d. c.1643). Roughly fifty years later, the style was consolidated by brothers Ogata Kōrin and Ogata Kenzan .

The term “Rimpa” itself is an amalgamation of the last syllable from “Kōrin” with the word for (school (派, ha or pa? ), coined in the Meiji period . Previously, the style was referred to variously as the Kōetsu school (光悦派Kōetsu-ha? ), or Kōetsu-Kōrin school (光悦光琳派, Kōetsu-Kōrin-ha? ), or the Sōtatsu-Kōrin school (宗達光琳派, Sōtatsu-Kōrin-ha? ).

http://en.wikipedia.org/wiki/Rimpa_school

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