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2013年12月22日 (09:31)

国民主権と二つの資本主義:国際戦争資本封建主義と平和資本主義と心の民主主義:世界平和資本民主主義

国民主権と二つの資本主義:国際戦争資本封建主義と平和資本主義と心の民主主義:世界平和資本民主主義

テーマ:二つの資本主義:自由共同体と掠奪暴利主義

 資本主義は、私の仮説では、二つ存するのである。戦争資本主義と平和資本主義である。言い換えると、前者は「自己中心」主義的他者破壊資本主義(田中宇氏の一極主義、あるいは、「一神教」的資本主義、父権的資本主義、あるいは、ヤハウェ的資本主義)であり、後者は他者肯定主義的資本主義、共存資本主義(多極主義、「多神教」的資本主義、母権的資本主義)である。
 この二つの資本主義が支配する政治経済体制が今日あるのであり、その下で「民主主義」が存しているのである。
 そして、主権は二つの資本主義に存するのであり、国民には主権は不在である。ただ、政治的には、選挙権(被選挙権もあるが、実際はないに等しい)、その他があるくらいである。
 とは言え、戦争資本主義は反民主主義であり、平和資本主義は民主主義を実現する経済体である。
 そして、本当の民主主義は、国民、というか、個体民の心に存するのである。(あるいは母権的精神に存するのである。)
 そのような状況において、民主主義を政治経済社会文化的に実現するには、国民、個体民は、戦争資本主義の代弁者ではなく、平和資本主義のそれを選択するべきなのである。
 そのときの指標になるのがマスコミなのである。マスコミは日本の場合、戦争資本に支配されているので、その論評とは真逆のものを選択すればいいのである。あるいは、端的に、日本の政治は戦争資本に支配されているので、それとは対立する政治を選択すればいいのである。(ただし、選択の枠がきわめて狭い。)
 簡単にまとめると、資本主義は二種類あり、国際戦争資本組織が日本を支配していて、平和資本組織がそれによって謀略的に破壊されることになる。
 そのような政治経済状況における民主主義の唱える国民主権は虚偽・誤謬である。主権は資本主義、二つの資本主義に存するのであり、とりわけ、謀略的な戦争資本主義に存するのである。
 このような状況において、国民、個体民は謀略的戦争資本の支配する政治権力(主権)ではなく、平和資本主義の勢力を選択し、平和資本主義とともに心の民主主義を実現すべきなのである。
 そう両者ともに母権的精神をもつと考えられる。他者との共存をもつ精神である。平和資本民主主義が政治的に実現すべきものである。


12/21 21:04 神州の泉 /特定秘密保護法はグローバル資本に..

多分、神州の泉だけが初めていうことだが、特定秘密保護法は閉ざされた言語空間の明文化であり、戦後、潜在的に作用していたこの無言の圧力がこの法案の制定によって表舞台に堂々と躍り出たことになる。
それだけに日本人は今、戦後最大の危機に直面していることになる。
これは現代の占領体制そのものである。
ただし、現今の占領様態はマッカーサーGHQとは違っていて、米国コーポラティスム(多国籍企業と米国政府の共同体制)の占領下に入るということになる。
このコーポラティズムは、国家や政体が企業化したまま内政や外交戦略に臨んでいる概念だが、「独りファシズム」主催者の響堂雪乃氏の定義では資本と行政の共謀主義のことである。

つまり、岩月氏が「特定秘密保護法による恐るべき国家改造 特定秘密保護法の正体はアメリカとグローバル企業による遠隔操作法だった!」で断言する、日本国家の改造主体が、実は米国コーポラティズムに他ならないということになる。

http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2013/11/post-426e.html

特定秘密保護法が成立したことで、日本は多国籍企業による平成の占領統治体制に入ったことになる。
奇妙な言い方かも知れないが、68年前にわが国を占領統治したアメリカという国は、一歩先にグローバル企業に占領支配され、国家そのものが企業政体と同化しているのである。
だから、我々が直面する大問題は、厳密には「アメリカvs日本」ではなく、「アメリカ多国籍企業vs日本」なのである。
特定秘密保護法を、国内視点のみの「知る権利」だけに狭隘化した見方がどれほど全体像から逸れているかお分かりのことと思う。
小泉政権以降、マスコミは国民の知る権利を封じていたばかりか、米官業利権複合体のために真実から目をそらす誘導報道に勤しんできた。
http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2013/12/post-1156.html



秘密保護法とNWOの日米欧三極委員会とのつながり (12/15)

自民党という政党は、そもそもが、ニューワールドオーダー推進のためにCIAの手を借りて育成されてきた政党。安倍政権は、与えられたミッションを忠実に実行しているのです。

「日本政府の内部にCIAに飼われている連中がいる」

陰謀めいた秘密の機関。
それらは民間の団体、会議、グループで、アメリカ政府、英国政府の周辺に「まとわりつく」ようにして影響力を行使しています。(日本の場合は財団法人という形式になっています)
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2539.html
カレイドスコープ
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2010年03月13日 (13:48)

「民主主義」イデオロギーと新帝国主義の結合するUSA問題

『「民主主義」イデオロギーと新帝国主義の結合するUSA問題』

テーマ:戦争屋覇権主義:新植民地主義・新帝国 主義

この問題はブッシュ前大統領のときのイラク侵略問題で論考したが、再度、検討したい。
 今は余裕がないので、ざっと予見を書く。結局、米国の民主主義とは、覇権外交のためのイデオロギーの武器であり、また、国内的には、確かに、有効な理念 ではあるが、実際には、貧困者が多く、差別があり、やはり、イデオロギー的虚飾の面が強い。
 結局、おおかた、米国民主主義は、特権的金融資本の新帝国主義のための覇権イデオロギーになっていると見るが妥当だと考えられるのである。
 私は差異共振主義を唱えている。これは、トランス・デモクラシーである。

追記:以前述べたことだが、米国民主主義は対外的には、同一性民主主義になっているということである。米国という同一性を他国に押しつけているのである。
 差異民主主義になる必要があるのである。同一性とは暴力的であるからである。
 同一性の根源とは、ヤハウェであり、また、父権主義である。これは、+1に傾斜した意識なのである。父権的攻撃意識なのである。
 民主主義の深化のためには、東洋思想を基礎とすべきなのである。民主主義のトランス・モダン化である。あるいは、東洋的民主主義である。
人権問題:「北朝鮮は慨嘆すべき状況」=米国務省
朝鮮日報 - ‎2 時間前‎
米国務省は11日、年次報告書『2009 Country Reports on Human Rights Practices』を発表し、北朝鮮の全般的な人権状況について、「依然として慨嘆(がいたん)すべき状況にある」と記した。また同報告書は、北朝鮮の 政権が非合法的な処刑、拷問、強制中絶、乳児殺害などを ...

米国務省の人権報告書「北朝鮮の人権状況は残念でたまらない」
東亜日報 - ‎2 時間前‎
米国務省は、11日発表した09年版の人権報告書で、北朝鮮の人権状況について「残念でたまらない(deplorable)」と表現した。昨年、バラッ ク・オバマ政府発足直後に発表した08年版の報告書では「劣悪(poor)」という表現を使っていた。米国は毎年、世界各国に対する ...


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『リアリズムとは何か:精神的認識と物質的現実』

テーマ:検討問題:思考実験・仮説

物質的現実を的確に洞察するには、唯物論的思考では無理である。何故なら、それは、物質的現実に没入して、自我の考えを挿入して、混濁するからである。
 物質的現実を洞察するには、精神的認識が必要なのである。精神的認識は物質的現実に対して他者なので、物質的現実を冷静に見ることができると考えられる のである。
 そう考えると、私は初めから小泉元首相を見て、ペテン師であると直覚した理由がよくわかると言えよう。

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『法人税減税は消費税増税、国債増発とセットであろう:民主党は前自民党政権化した』


テーマ:鳩山代表と民主党:ポスト・モダン反動 路線

早くも民主党「革命(同一性主義)」の明らさまな反動化である。官僚より才 知の劣る政治家が多く、ただ虚勢を張って官僚叩きを行なったものの、経済の叡知がないために、これまでの自民党路線を踏襲することになったのではないか。
 何度も述べたように、オバマ政権のような差異共振の知恵が欠落しているの である。脱近代(トランス・モダン)の視点がなくては、今日の状況は克服できない。
 裏切られた政権交代。


法人税減税に意欲=「国際標準を考慮」-首相
 鳩山由紀夫首相は12日夕、法人税について「大企業も中小企業も含めて、在り方を国際的な標準 を考慮しながら考えていく」と述べ、引き下げに意欲を示した。首相官邸で記者団に語った。平野博文官房長官も午後の記者会見で「(年末の2011年度税制 改正で)そういう(引き下げの)議論は当然出てくると思う」との見方を示した。
 民主党は衆院選マニフェスト(政権公約)で中小企業の法人税減税 を掲げたが、景気悪化による大幅な税収減で見送った経緯がある。国税と地方税を合わせた実質的な税負担を示す実効税率は、日本は約40%とフランスやドイ ツなどの約30%に比べて高く、経済界からは引き下げを求める声が強い。(2010/03/12-20:22)
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco&k=2010031200865

消費税、社会保障目的税に…首相が検討表明
読売新聞 - ‎3 時間前‎
参院予算委員会は12日、「経済・財政」をテーマに集中審議を行った。 鳩山首相は今後の税制の抜本改革に関し、「政治への信頼が回復した後に、消費税の議論をしっかり行う。それは社会保障を目的にしたものにする」と述べ、消 費税を社会保障目的税とする検討を行う考え ...

法人税は減税 消費税増税なら社会保障目的税に
MSN産経ニュース - ‎2 時間前‎
鳩山由紀夫首相は12日の参院予算委員会で、現行税制について「世界との比較で法人税は高くて消費税が極めて低いのは事実だ。税率を国際的な流れにふさわ しいものにする。法人税は減税の方向に導くのが筋だ」と述べ、法人税率の引き下げに前向きな姿勢を示した。 ...

2008年04月08日 (21:05)

日本の政治の様態:自由主義、民主主義、国家主義、被植民地主義:差異民主自由主義へ向けて

日本の政治の様態:自由主義、民主主義、国家主義、被植民地主義:差異民主自由主義へ向けて

テーマ:自由主義・民主主義・全体主義・独裁主義

以下の大規模店の問題は、日本の政治層の構成を考えるのに役立つ。
 結局、1)財界型政治層、2)官僚主導型政治層、3)アメリカ中心的政治層、4)民主主義的政治層、他があるのだろう。
 1~3は亡国売国層でもある。問題は政官財+米国の複合体になっていることである。
 これらの政治層は、国家集権主義(官僚制)と大資本中心的自由主義と米国中心主義の複合体であるが、これらに共通するのは、端的に、父権的同一性合理主義ないし同一性価値中心主義(ロゴス中心主義)である。
 民主主義は従位であり、イデオロギーとして使用される。例えば、ブッシュのイラク民主化政策である。端的に、今日、政治理念では、自由主義、民主主義、国家主義の三つが主要な構成要素であるが、自由主義と国家主義が癒着していて、自由国家主義とでもいうものになっている。
 日本では、国家主義にアメリカ中心主義が結びついているのだろう。だから、日本では、自由主義、民主主義、国家主義、被植民地主義の四つが存していて、民主主義は従位的な位置に貶められている。(これには、いろいろ問題があるが、ここでは言わない。)
 結局、自由主義・国家主義・被植民地主義の複合体が政治の中心であり、それらは、父権的同一性主義である。近代合理主義と言ってもいいだろう。【ただし、自由主義の場合は、近代自由主義と言うべきである。トランス・モダン自由主義の場合は、差異共振主義になると考えられる。】
 とは言え、正確には、大資本主義的自由主義・国家集権主義・被植民地主義の複合体、いわば、三重苦である。そして、思想的には、父権的同一性中心主義(ロゴス中心主義)である。
 ここには、恐ろしいばかりに、差異がないのである。ほとんど、全体主義に近いと言えよう。その複合体には、マスメディアが入るが、それが実質的に情報コントロールしているのである。
 結局、民主主義は普通選挙や代議制という形式があるだけであり、民主主義を精神的に支える差異価値がほとんど見られないのである。
 結局、支配的な複合体は、同一性中心主義で動いているので、差異価値のことがわからないのである。だから、個民ないしは差民が覚醒して、政治を動かして、自らを救済するしかないだろう。
 差異民主主義ないしは差異自由主義を実現する政治を形成する必要があるだろう。略して、差異民主自由主義である。乃至は、差異共同体自由主義である。
 差民一人一人が政治を動かす気概をもつ必要があるのである。近代主義的同一性中心主義からトランス・モダン差異価値へと転換させることがポイントである。
 
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郊外型大規模店は、地元の利益を吸い上げ、それを中央(東京)
に持って行ってしまう。地元から、商品を仕入れるわけでもない。

2008年4月4日 金曜日
郊外型大規模店は、地元の利益を吸い上げ、
それを中央(東京)に持って行ってしまう

◆地方都市の商店街の衰退は「格差」の象徴 1月11日 高根文隆

 仕事柄、地方都市によく出かけます。そして、ほぼ例外なく、壊滅状態となった駅前の商店街を目撃します。その度に、哀しいような切ないような感覚に襲われます。
 
 私が生まれ育ったのは山口県の中堅都市で、20年ほど前までは、中心部は県内有数の賑わいでした。

 小さい頃、両親の手を握りドキドキしながら歩いた目抜き通りの賑わい、暖かい人情や独特の雰囲気を発散させていた商店街の人たち…。

http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20080404

株式日記と経済展望


検討問題:諸考察:1)「気」とは何か:2)心の病と国家集権主義的似非改革、等々

テーマ:検討問題

1)「エーテル体」ないしは「気」(気エネルギー)とは何か

2)心の病と国家集権主義的「新自由主義」との関係:心の病の蔓延は単に内因だけのことではないと考えられる。外因として、国家集権主義(国家統制主義=官僚制)による「新自由主義的構造改革路線」による反民主主義の実態があると考えられる。

3)太母と太父:陰陽と陽陰:これは先に述べた、まったくの思考実験であるが、父権的一神教とは母権的多神教の反転であり、基本は太母主義であり、結局、今日、太父主義が失われているのではないのか。太父主義は、陽から陰、同一性から差異へと転移する志向性である。
 先に述べたが、聖書において、ヤハウェが太母の反転であり、エローヒームが太父ではないのか。二つの原神があるのはないのか。
 精緻な検討を後で行いたい。

4)ラディカルな差異主義の可能性:私は同一性を包摂する差異(差異共振主義)を唱えているが、同一性を仮象と見る立場からすると、いわば、差異絶対主義が考えられるだろう。プラトン哲学には、この面が見られる。現象への強い懐疑である。
 結局、問題は、同一性とは何か、ということになる。有り体に言えば、果たして、同一性とは幻想ではないのか、という疑問が浮かぶということである。これは、ヒンドゥー教を含めたインド哲学や仏教の考え方に近い。
 そう、端的に言えば、現象はマーヤーであるという問題である。これは、また、「見る」とは何かという問題でもある。また、物質感覚身体の問題でもある。
 情の問題でもある。情はエネルギーの取得の欲望がある。本来的に欠落しているのである。現象化とは、エネルギーの不足の事態であり、エネルギー獲得がいわば生存の意味である。
 このエネルギー獲得の方法が人類の知を発達させたと言えよう。これは、当然、戦争の発展も意味するのである。
 内的なエネルギーの不足とは、根源的なルサンチマンを意味するだろう。とまれ、端的に、同一性とは何か、である。

2008年02月11日 (13:57)

民主主義とは何か:プロト・デモクラシーと差異共振主義:トランス・デモクラシーとMedia Pointへの回帰:新神道的差異共振政

民主主義は、おおまかに言って市民主義である。しかし、市民とは、何かである。自由を求めて、対話する個人が市民であろう。そして、自由とは、第一義的には、封建制からの自由であった。これは、自由主義を意味した。この自由主義が問題である。結局、自由な個人を尊重する思想であるが、個人が自我なのか個(差異)なのか区別がついていないのである。結局、近代とは何かの問題である。
 個人と個とは異なる。明確に区別するために、個を差異、差異人、差異者、差異家と呼んでいいだろう。結局、自由主義は、自我自由主義と差異自由主義とが、混淆しているのである。前者は、金融資本主義になった。しかし、今日、時代の進展から、前者を乗り越えて、後者を価値評価とすべき時代になったと言えよう。自我自由主義とは自我中心主義・利己主義である。
 では、本論に戻ると、民主主義は、自我民主主義と差異民主主義が混淆していると言えよう。自民党は前者である。そして、後者は前者を乗り越えたものである。これは、超越的民主主義である。しかし、民主主義の言葉を使用すべきなのだろうか。一人一人は、平等というよりは、差異である、他者である。他者=差異に対して、差異共振主義が機能するのであり、決して、平等主義ではないだろう。
 例えば、新しい大阪府知事に対して、平等に対応すべきなのか。おそらく、法律的には、平等の扱いを受けるだろう。しかしながら、実質は、知事にふさわしくない人格である。人品卑しいのである。これはどう見たらいいのか。つまり、民主主義には、本来、精神貴族的価値が入っているのである。差異価値が入っているのである。平等原則は、この貴族的価値が前提のことなのである。つまり、差異共振価値が前提で、平等原則が生きるのである。精神貴族的価値が前提で平等原則が生きるのである。
 だから、民主主義を進展させるには、差異化する必要があるのである。差異共振化する必要があるのである。あるいは、超越化が必要なのである。だから、少なくとも、差異共振的民主主義ないしは超越的民主主義という必要があるのだろう。アメリカの詩人ホイットマンの唱えた民主主義とは、そのようなものと考えられる。
 それは、言い換えると、Media Point的民主主義である。そう、私としては、心人主義ないしは心民主義である。後でさらに検討したい。

p.s.  自由であるが、これは、文字から見ると、自(みずから、おのずから)に由るということである。みずから、おのずから、とは、実は深い意味がある。つまり、それは、自己の源泉からということであり、魂や心からということである。正しく言えば、Media Pointからである。とまれ、自己由来が自由である。今日、自我由来を自由と考えているのである。自我と自己は絶対的に異なるのである。自我は頭中心主義であるが、自己は肚に土台があるのである。この点も後で述べたい。

p.p.s. これは、換言すれば、プロト・モダンの問題である。ルネサンスとプロテスタンティズムの問題である。プロト・デモクラシー、原民主主義は、優れたものであった。それは、プロト・モダンとしてのルネサンスやプロテスタンティズムがそうであることと同様である。
 そこには、Media Pointの純粋なエネルギーが作用・作動していたと考えられる。しかるに、精神・意識の構造から、それが、自我同一性へと帰結したのである。近代的自我・近代合理主義へと帰結したのである。これは、デカルト哲学にも見られる事象であろう。つまり、コギト哲学とは、本来、Media Pointから発していたが、それをデカルトは、自我同一性へと限定して言ったのである。特異性としての個から、自我同一性への近代的自我へと展開したのである。
 結局、エネルゲイア(Media Point)はエンテレケイア(自我同一性)に帰結して、前者が忘却されたのである。民主主義も、初期においては、Media Pointのエネルゲイア(差異共振主義)をもっていたが、それが、自我同一性平等主義へと帰結したのである。つまり、起源はMedia Pointなのである。超越的エネルギーなのである。それを、理念化したのが、民主主義である。しかし、その理念化は不十分なのである。民主主義は、乗り越えられて、差異共振主義へと進展すべきである。トランス・デモクラシーである。

3p.s. Kaisetsu氏が新たな王政復古を唱えられているが、これは、実際的には正しいだろう。何故なら、多くの「市民」とは、超越性、差異共振性が理解できないからである。民衆は、一般に、自己と自我の区別がつかないのである。自己や差異共振性を表現する政治体制が必要となるだろう。それが、王政ということなのだろう。精神貴族価値があることを「市民」に提示するには、実際的に、そうするしかないだろう。民衆は一般に目に見えるものしか信じないからである。偶像崇拝者だからである。新多神教を体現する政治があっていけないのか。米国は政教不分離の国である。キリスト教的民主主義の国である。
 新神道国家日本があってもいいわけである、理論的には。新天皇制があってもいいわけである。民衆は救世主を求めるのである。問題は、差異共振的救世主が必要であることである。善悪二元論的な救世主ではないのである。
 この新神道政治とは、形式的には民主制を維持するだろう(神道的民主制)。しかしならが、実質では、差異価値を重視する。つまり、差異価値を基準として、選挙権・被選挙権を付与することになるだろう。つまり、民主制の資格試験を設けることになるのである(神道的差異民主制、乃至は、新神道的差民主義)。とまれ、後でさらに検討したい。

4p.s. 新神道的差異共振政である。

2008年02月10日 (00:35)

この不景気はこれから大不況に悪化する:衆愚民主主義から超越的民天主義へ:地天人主義

今の政府の経済無能はどういうことなのだろうか。端的に言えば、反動化しているということだろう。後ろ向きなのである。利権を維持し、公共投資をしていれば、経済は発展すると思っている(p.s. ではなく、智慧がないから、ただ旧弊墨守しているだけである)のだ。近代主義に逆戻りである。
 トランス・モダン経済とは、質的な発展を重視する経済である。差異を共振化させて創造する経済である。知恵をはたらかせて、社会体と経済体とを共振させる方途を考えなくてはならない。
 自民党と日本人の大半は、太平楽で、知能が麻痺・鈍磨・痴呆化してしまったのだ。
 思うに、民主主義を言うならば、大衆民主主義(衆愚政治)と個民主主義に分けるべきである。私は差異民主主義を以前唱えていたが。トランス・デモクラシーである。現在の民主主義を包摂した精神貴族政治である。すぐれた民の中にある「天」、すなわち、「天人」を指導者とする政治制である。民天主義である。超越的民天主義である。
 すぐれた民にある「天」とは、地天ということである。地天人である。地天人主義である。

この不景気はこれから大不況に悪化する 02月08日10時00分コメント

デイトレーダー「バカで浮気で無責任」 経産省次官の「経済オンチ」
 経済産業省の北畑隆生事務次官が2008年1月25日に行った講演で、インターネットで短期的に株売買を繰り返すデイトレーダーや投資ファンドについて「最も堕落した株主」「バカで浮気で無責任」などと発言し、物議をかもしている。北畑事務次官は2月7日の定例会見で反省の弁を述べ、また経済産業省は8 日、ホームページ上に北畑次官が講演した講演録を掲載し、「次官の真意はこれを読んでもらえればわかります」と取り繕うが、波紋が広がっている。(J- CAST)
[記事全文]


# デイトレーダーは「バカで無責任」経産省次官が失言 - 夕刊フジ
# 「デイトレーダーはバカ」経産省次官の発言 問題は脆弱さへの無知 - 産経新聞

# ジェイコム男「またか」と冷ややか…経産省次官が失言で - ZAKZAK


参照:

 経済産業省の北畑隆生事務次官「デイトレーダーは馬鹿」


この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/warabidani/51736893.html



役人にしては正直な人だ。しかし、職分をわきまえてはいない。本当のことをし


ゃべればいいと言うものではない。


[ 憂国通信 No.610 2008/02/09]


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簡易名目で高額インター 国交省の道路中期計画 約20カ所に3000億円 建設費、最大で50倍

2008年2月9日 朝刊
写真

 国土交通省が策定した道路中期計画で、高速道路の簡易インターチェンジ(IC)整備事業として盛り込んだ五千億円の中に、道路拡幅工事を含む一カ所百数十億円のICが二十-二十五カ所あり、建設費として総額約三千億円を見込んでいることが分かった。簡易ICはサービスエリア(SA)などを利用して一カ所数億-二十億円程度でできるため、国交省は低コストをPRして二〇〇六年度から本格導入した。安価を売りにした事業に、巨額の道路工事費が含まれていたことで、強い批判を受けそうだ。 

 簡易ICはスマートICと呼ばれ、ETC車専用。主としてSAやパーキングエリア(PA)に車の出入り口を設けて一般道と結び、この場合の一カ所あたりの整備費は三億-八億円。国と地元が負担する。〇四年度から実験整備が進められ、〇六年度以降、関越・駒寄(群馬)や東名・富士川(静岡)など全国三十一カ所で導入された。

 国交省は今後十年間の道路中期計画で、全国約二百カ所のスマートIC整備費として五千億円を盛り込んだ。ところが、このうち二十-二十五カ所は、既存SAなどを利用せず、片側一車線の高速道路に建設する高額のICだった。

 この場合、ICの前後三-八キロにわたり安全のための付加車線が必要となり、道路拡幅工事費として総額二千五百億円を見込んでいた。IC施設本体もSA・PA接続方式より高額となり、国費だけで一カ所二十億円前後、全体で五百億円を予定している。平均事業費は一カ所百二十億-百五十億円となり、低コストのICと比べ、最大五十倍となる。

 一方、約二百カ所の新設ICのうち、SAなどを利用したICは約百カ所で事業費は五百億円。残りの七十五-八十カ所は、片側二車線の高速道路でSAなどを利用しないICを想定。この場合、車線拡幅が必要ないため事業費を千五百億円と見込んでいた。

 国交省は昨年十一月に発表した中期計画で、「高速ネットワークの有効活用策」として、料金引き下げとスマートIC整備を合わせて「三兆円以上」としていた。同十二月の政府・与党の見直しで二・五兆円になった。

<スマートIC> 既存ICの間に、国や自治体などが費用を分担して増設する。ETC車専用で低コストが特徴。2004年度から自治体が参加し全国51カ所で仮導入が始まり、整備効果などが認められれば本格運用に移行している。通常のICは高速道路会社が整備する。既存のICは全国に約700カ所あり、整備費は1カ所平均で約40億円。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008020902086285.html

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検討問題:自民党近代主義の終焉へ向けて:日本多神教の覚醒の時となる


何故、日本は主体的な行動がとれないのか。言い換えると、どうして、アメリカに隷属しているのかということである。これは、米軍基地、米日安保条約、日米経済関係が原因であると言われるだろう。
 しかしながら、本当は、日本人に個(特異性)としての視点がないからではないのか。もし、日本人としての個(特異性)の視点があれば、そこから発想が展開するはずである。しかるに、近代主義的視点しかないので、アメリカの言いなりになるのではないのか。近代主義は、個(特異性)を否定・排除・隠蔽する自我主義であり、近代合理性を金科玉条にしてしまうのである。もし、日本人・日本の個(特異性)のエネルギーがあれば、そこから、アメリカや世界に対して、創造的なアイデアが生まれるはずである。後で、より問題点を絞って検討したい。

p.s. 結局、日本、日本人、日本文化とは何か、という問に答えなくてはならなくなるのである。明治維新、戦後と大変化を経験した「近代日本」であるが、日本人とは何か、である。
 結局、多神教という言葉が回帰するのである。一神教によって排撃された多神教であるが、日本人の精神の奥底に眠っているのである。日本人の魂には、多神教が眠っているのである。今や、それを覚醒させるときが来たのである。


参考:
最優良格だった米国債が格下げされたら、国債の売れ行きは一気に
悪化し、国債の元利を払えなくなって、国家的な債務不履行に陥る。

2008年2月9日 土曜日

◆DJ-【米国債市場概況】新発30年債入札不調で、30年債価格は急落 2月8日 ダウ・ジョーンズ

ニューヨーク(ダウ・ジョーンズ)7日の米国債市場では、米国株式市場が反発したことに加え、財務省が実施した新発30年債の入札が不調に終わったことで、米国債相場はおおむね全面安の展開となり、30年債価格が急落した。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/d/20080209
株式日記と経済展望

2007年12月28日 (16:31)

元教頭の少女売春と少女たちの拝金・物質主義:畜生・鬼畜未満の日本人と心的高次元政治

元教頭の少女売春と少女たちの拝金・物質主義:畜生・鬼畜未満の日本人と心的高次元政治

テーマ:滅びゆく日本と新倫理社会へ

「あの店には援助交際を求める少女がたくさん集まっていた……」という元教頭の細田被告の言葉に注意すべきだろう。
 要は、金欲しさで少女売春を行なうのである。しかも、実直にアルバイトをして金を得たくはないのである。細田被告は性的倒錯者であるが、それとは別に、この少女たちの意識・考え方に問題があると言わざるを得ないだろう。敗戦後の日本の拝金主義・物質主義の帰結とは言える。つまり、現代日本が、心を喪失した家庭・社会・教育になっているということである。連合国占領軍に支配され、日本人の心の源泉である神道・仏教・アニミズム等を奪われて、アメリカに洗脳されて(実は、アメリカの策謀によって日本人をコントロールしているのだろう。確かに、陰謀があると思う。)、ひたすら近代合理主義/近代的自我の道を邁進した日本の末路である。
 これは、日本人全体の問題である。外国では、馬鹿にされているのである。このような動物のようになってしまった日本人を復活させる、つまれ、生まれ変わらせるにはどうしたらいいのか。(正しく言えば、動物未満であるが。)
 一言いうなら、唯物論を廃止して、心主物従論をもつべきである。

p.s. 私の考えでは、民主主義も、もう役割を終えて、トランス・デモクラシーの政治へと転換すべきである。同一性形式は認めるが、それを包摂した高次の心的政治制が必要になっていると思うのである。心・知の優れたものが政治を行なうべきなのである。プラトンが『国家』を書いたのも、そこらへんにポイントがあると考えられる。心的高次元政治である。あるいは、父権統合型新太母文化政治である。

p.p.s. 同一性形式と民主主義の関係はどうなのか考察する必要があるだろう。一人一人は、同一性形式をもつが、土台・基盤・根源は差異である。差異は心である。結局、同一性中心主義と民主主義が結びついていたのである。しかし、差異を基盤にすると、もう民主主義は否定されるだろう。何度も述べているように、差異共振主義になるのである。高次元差異共振主義である。心的高次元差異共振制である。

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仕事後に連日通った「出会い喫茶」 少女買春の元教頭

2007年12月28日12時33分

 「あの店には援助交際を求める少女がたくさん集まっていた……」

 札幌市立小学校元教頭の細田孝幸被告(55)は、取り調べに対し、こう話したという。

 あの店――「出会い喫茶」。数年前に現れ、東京や大阪、名古屋といった大都市で静かに広がっている新しい形態の店だ。細田被告の行動も、1年半前、札幌の歓楽街・ススキノに出会い喫茶がオープンしてから拍車がかかったという。

 小学校の仕事を終えたその足で連日通い詰めたというその店を、記者も訪ねてみた。中は、普通の喫茶店とはほど遠い。来店した女性は「18歳以上」と「18歳未満」に分かれた部屋に入り、お菓子やジュース、マンガをただで楽しめるようになっている。一方、男性は入会金5000円、1時間あたり1000円を払う。マジックミラー越しに女性を指名し、交渉次第で一緒に外に出ることができるという仕組みだ。

 髪も染めていない。服装が乱れているわけでもない。待機部屋でスナック菓子をほお張る少女たちは、どこにでもいる「普通の子」だった。

 女子高生(17)は「暇つぶしになるし、外で一緒に食事とかしてあげればお小遣いももらえる。でも『ウリ』はしませんよ」と話した。高校を中退したという少女(15)は「私は援助交際している」「だいたい1回2万円。相手は40歳くらいの人が多いかな」。親がくれる小遣いは月に3000円。「働くのは面倒くさいけど、ここには来たい時だけ来ればいいから楽」なのだという。

 テレクラ、伝言ダイヤル、ツーショットダイヤル……。この手の商法はこれまでも数多くあったが、出会い喫茶は実際に容姿を見ることができる点がアピールしているという。一皮むけば売買春の温床。それでも「自由意思による出会い」をうたっている以上、現在の法令で店を摘発するのは難しいという。

 危うい空間から犯罪も生まれている。

 少女買春は言うに及ばない。今年4月には、出会い喫茶で知り合った女性をホテルに連れ込み金を奪った容疑で、新潟県上越市の男が逮捕された。職業は細田被告と同じく小学校の教諭だった。

http://www.asahi.com/national/update/1228/TKY200712280150.html

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 アダルト雑誌に多くのエロ画像を投稿した業界の有名人。

 札幌市立星置東小学校教頭の職にありながら、「アスピリンスノー」なるペンネームで女性の裸体写真を雑誌に多数投稿、さらには未成年と知りながら6人の少女に現金を渡し、わいせつな行為をした細田孝幸被告(55)。

 細田被告は、今年10月1日に札幌中央署に逮捕され、直後の10日に、札幌市教育委員会から「信用失墜行為」よる懲戒免職処分を受けた。

 児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童買春・児童ポルノ製造)の罪に問われた細田孝幸被告の判決公判が28日午前10時から、札幌地裁(中川綾子裁判官)で開かれた。

 今月14日に札幌地裁で開かれた初公判(中川綾子裁判官)の冒頭陳述で、細田被告が今年5~9月までに、札幌市内のホテル、カラオケ店、自家用車内、自宅で、16~17歳の少女6人に6,000円前後の現金を渡して性交類似行為を行い、うち5人に対しては乳房を露出した性交類似行為の姿態を取らせた写真を撮影・保存したことなどが明らかになった。

 さらに細田被告は初公判で、「雑誌社から高校生と18歳以下はいけないと言われた。自分でも処罰の対象になると思った。18歳以上は(投稿する)モデルの対象で、18歳以下の児童はイチャイチャする対象、性的な興味になると思います」と性的嗜好を吐露した。

 検察官は、「金にモノを言わせ、自身のあり余る性欲を満たす目的で行った卑劣かつハレンチな犯行。被告の規範意識は欠落しており、再犯の恐れも極めて高い」と断罪、懲役3年を求刑した。

 腰縄と手錠をされた細田被告は28日の判決公判に、坊主頭、黒のジャージで入廷。

 中川裁判官は、懲役3年、執行猶予5年、札幌検察庁が保管する裸体画像を保存したSDカード2枚とCD1枚の没収を命じる判決を言い渡し、量刑の理由を述べてこう諭した。

 「小学校教頭という高い倫理性を求められる立場にあったにもかかわらず、発覚しなかったことを良いことに欲望のおもむくまま犯行を繰り返し、酌量の余地はないハレンチ極まりない犯行で、社会的影響も大きい犯罪ではあるが、十数年間にわたって多数の女性のわいせつな写真を雑誌に投稿していたことも罪に問われないとはいえ、道義的に芳しくない。実刑も十分に考えられるが、自業自得とはいえ、事件発覚によって職を失い、妻と離婚することは避けられない状況となり、事件がマスコミに大きく取り上げられたことにより、社会的制裁も受けていると言える。総合的に考慮し、被告人の社会での更生を期待することにした。今回の刑の執行は猶予する。5年の執行猶予期間は一番長いものです。犯罪とは無縁の生活を送ってください」

 公判が終了した直後、細田被告は「ありがとうございました」と小さく呟いた。
http://www.bnn-s.com/news/07/12/071228133530.html

児童買春、エロ画像を投稿、小学校元教頭初公判 懲役3年を求刑
http://www.bnn-s.com/news/07/12/071214141517.html

2007年12月08日 (13:38)

日本の自然・大地・風土・国土が破壊されたのは、日本固有の宗教・神話を奪われたからではないか

日本の自然・大地・風土・国土が破壊されたのは、日本固有の宗教・神話を奪われたからではないか

テーマ:日本再生・東洋ルネサンス計画

今、ふと思ったことである。私がこどもの時、農村地帯に住んでいたが、耕地整理・区画整理で、曲線のある野趣溢れる土地は完全に破壊されたのである。心と共振している自然が破壊されたのである。自然破壊とは、心の破壊である。宮崎駿の怨念を共有する!
 結局、戦後の問題なのだ。連合国軍によって、占領支配され、日本文化が破壊されたのである。三島由紀夫の「狂気」は大正気である。

断絃の時、それは、戦後である!!!

亡国の始まりである。

折口信夫の新神道論は、無視・黙殺されたのだ!!!

また、当然ながら、日本人でありながら、売国・亡国の輩がいたのである。今でもいるのである。亡国売国奴・買弁どもである。
 彼らは一体何なのだ。日本、日本人の裏切り者である。彼らは、確かに悪魔的である。悪である。いったいどこから彼らは来たのか。心の卑劣な・悪らつな者ども。卑しい者ども。卑賎な者ども。賎民ども。
 やはり、岸信介と関係があると思う。私の直感では、以前、述べたことがあるが、地方武士と父権制が根因の一つだと思う。心の歪曲、これは、どこから生まれたのか。
 私は、本居宣長を問題にしている。それとも何か関係がありそうだ。直感では、本居宣長は卑しいのである。大和心、漢意という二元論的発想が卑しいのである。これは、同一性の発想なのである。ここには、差別の思想があるのである。これが、現代日本をも支配しているのである。やはり、父権主義である。これが、日本を狂気にしているのである。日本の父権主義とは、当然、儒教から来ているだろう。どうやら、諸悪の根源に近づいたようだ。

2007年11月29日 (00:26)

三相共振経済:脱資本主義としての差異共振主義経済:試行錯誤

+iは形相・光、-iは質料・闇と作業仮説しよう。+i主導は同一性知性を生む。そして、-i主導は神秘主義を生む。(思うに、これまで、+iと-iを前提にMedia Pointを発生的に考えたが、逆に、最初に、Media Pointがあって、それから、±iの対が発生すると考えることもできるのではないだろうか。というか、三者が同時存在したと考えられるのではないか。三柱の神々。)
 とまれ、+i主導は形相の光を生む。そして、-i主導は質料の闇を生む。神秘主義は、後者の方向であるが、問題は単純ではない。近代においては、-i主導というのは、実は、先に述べたように、Media Pointが内包されていると考えられるのである。三島由紀夫の神秘主義は、Media Pointが内包されていると考えられるのである。彼の無は無だけではないのである。これは、D.H.ロレンスやシャガール他にもあてはまると考えられる。そう、垂直性、超越性が参入しているのである。
 ここで、再び、一体性を問題にしたい。反動としての-i主導は、確かに、同一性ないしは連続性を帯びている。だから、そのとき、一体性と言ったとき、身体・質料の同一性・連続性は入っているのであり、差異としての形相が喪失されているのである。シャガールの絵画における個別的像の輪郭のぼやけや、像の簡略化にそれが見られるだろう。それは、光の喪失であり、闇の侵入である。
 しかしながら、この反動的様態において、Media Pointが内包され、エネルゲイア化しているのである。同一性と差異が共振するのである。シャガールの絵画(たとえば、『おとずれ』:私はすばらしいと思ったが、絵はがき等はなかった。俗受けする絵のものが売られていた。))で、離れた者が、共振するのである。問題は、この共振性を一体性と呼ぶときのことである。反動的一体性があり、共振的一体性があるのではないのか。
 問題は、シャガールの絵画に感じる共振性の意味である。それは即非様態である。女性がベッドに横たわり、そこへ、花束をもった男性が宙に浮かんでやってくる。その女性と男性の間には共振性があるのであり、中間の色彩の多彩なグラデーションがその共振性の媒体となっている。
 思うに、一体性と呼ばない方がいいように思える。差異共振性である。それが適切であると思う。一体性と差異共振性は区別すべきである。
 一体性は、経済の場合、社会主義になるだろうし、政治では、全体主義になるだろう。
 そう、作家の場合、たとえば、宮沢賢治の場合も、銀河との一体性のようなものがあるだろうが、しかしながら、彼の場合も、差異共振性を見る必要があるのである。近代における良質な神秘主義は、そう考えるべきである。つまり、質料・身体的一体性という反動様態があるが、その中に、差異共振性が内包されているのである。いわば、悪魔の中に天使が存しているのである。
 ということで、一体性と差異共振性を区別できたことから、三相共振経済について考察しよう。
 先に、差異における社会主義を提示したのは、否定されなくてはならない。それは訂正である。社会主義は、反動である。
 やはり、差異、他者に対しては、差異共振化する経済でなくてはならないのである。思うに、たとえば、生産者と消費者との差異共振性があるということではないだろうか。偽装食品では、それはありえない。
 それも一面であるが、私は公共性を問題にしたいのである。公共性も差異共振的でなくてはならないだろう。民主主義的な平等ではなく、差異共振的公共性である。平等に道路やダムや建物を造っても負債漬けである。それは、同一性の発想に拠るのである。
 たとえば、ある農村で必要な差異共振的事業は何かと考えるべきであろう。農業を復興させるためには、村と農家との差異共振性がなくてはならないだろう。そのために、銀行やその他は、資金を提供すべきである。つまり、金融機関も差異共振的金融機関になる必要があるのである。
 資本は差異共振性を物質的に支える手段となるだろう。資本は差異共振性が主であるのに対して、従となるだろう。差異共振価値が主だえり、資本が従である。差異共振主資本従である。差異共振を略して、差共とすれば、差共主資本従である。 
 簡単であるが、この差異共振主義経済が、三相共振経済でないだろうか。つまり、同一性としての差異と他者としての差異が共振する経済であり、このとき、資本は、差異共振価値の金融的手段となるのである。とまれ、三相共振経済=差異共振経済=三相差異共振経済である。

2007年11月21日 (22:49)

格差問題:唯物論という悪魔主義と戦後アメリカ奴隷からの解放宣言!

格差問題は、どうも、目隠しされている。
たとえば、ホームレスであるが、かつて新宿駅に段ボールのホームレスのホームがあったが、今はない。これは、排除したからである。ホームレスは見えないところに追いやられているのである。そして、自殺者であるが、これは、明らかに、戦争である。貧富戦争である。
 グルメ、美食番組のテレビ、くだらない記事の新聞、等々、何ぞや。結局、同一性主義に拠るのである。利己主義、自己中心主義に満ちた日本、悪魔に憑かれた日本人、鬼になった日本人。これらは一体何を意味しているのか。
 私は現象は幻象という。視覚は危険であると私は思っている。というか感覚自体が危険である。なぜなら、感覚は同一性知覚に支配されるからである。自我と結びついているからである。
 悪魔のアメリカ主義に洗脳されていることにも拠る。日本の中枢が洗脳されているのである。日本の精神の破壊が行われているのである。
 問題は、格差問題は何を意味しているのか。そう、ある首相が格差があって何がいけないのですか、と言っていた。このような首相を支持したのが、国民であるのだから、自業自得ではある。
 そう、国民が馬鹿であったのが、一番の原因である。近代的自我を形成したのが、誤りである。義務教育とは、成人を教育すべきである。
 私は70年代半ばに日本が変節したと思っている。生きるために魂を悪魔に売ったのである。だから、30年は日本は悪魔化して、何も生まなかったのである。亡国である。結局、唯物論である。唯物論が日本を滅ぼしたのである。これは、アメリカによる精神破壊ウィルスである。戦後の近代合理主義に拠るのである。
 戦後を超克せよ。アメリカ奴隷から脱せよ!

2007年11月13日 (09:49)

近代的自我の狂気について:心の弱者と心の強者:民主主義批判と差異共振的秩序

同一性の志向とは、他者である差異を否定・排除するので、当然、自己中心主義=利己主義である。思うに、この他者=差異の否定・排除とは、否定的感情である。嫌悪というよりは、憎悪である。そして、嫉妬、怨恨(ルサンチマン)が生じる。当然、他者=差異を認識しないので、非合理的である。同一性=言語の知覚はあるのであるが。この同一性=言語の知覚とは何か。それは、正に、ロゴス中心主義ではないだろうか。西洋文明の意識である。(参照:D.H.ロレンスの天才的な洞察のメルヴィルの『白鯨』論)
 問題は、否定・排除された他者=差異である。これは、ある意味で身体と言っていいだろう。同一性の意識は身体を捉えられない。しかしながら、身体との接触は、感情に存するだろう。感情を測深することで、自己認識へと近づくと言えよう。同一性意識は、自我感情に無意識である。つまり、憎悪感情を意識していない。
 感情領域への測深、すなわち、省察や瞑想によって、他者=差異への認識へと近づく。感情領域には、自我感情(憎悪)と共振感情(共感)が存するだろう。
 思うに、省察や瞑想とは、正に、特異性の認識行為であり、単独的行為である。犀の角のように、ただ独り歩め、である。自己知とは、自分以外、誰も教えられない。ただ、方法は教えられるが。
 省察・瞑想の問題点は、それが、身体へと測深しないといけないことである。同一性の頭脳で考えている限り、つまり、自我、近代的自我で考えている限り、不可能であるということである。出口なしである。
 身体的他者・差異を見い出さない限り、自己認識に達しない。しかし、これは、危険な行為ではある。単に身体的他者・差異に達するというよりは、同一性と身体的他者・差異を対話・交信させることが必要なのである。わかりやすく言えば、相互形成が必要なのである。これが、自己涵養である。そして、⇒+1が形成されるのである。
 こんにち、ポスト・モダンの時代にあって、身体的他者・差異が賦活されていると考えられるが、そのエネルギーを同一性=近代的自我は、取り込むことができずに、反発するだけであるが、それが反動的な身体的他者・差異のエネルギー、すなわち、狂気・暴力をもたらすと考えられる。そう、「分裂症」である。同一性=近代的自我のコントロールできないエネルギーに見舞われているのである。
 もともと、同一性=近代的自我には憎悪があるから、憎悪が増幅されると言えよう。言うならば、狂憎である。そして、次第に、狂憎に支配されて、真の狂人になるのである。

p.s. 近代的自我における、言わば、同一性自我感情であるが、同一性自我であることに自惚れるのであるが、これは、同一性のもつ自己満足から来ていると言えよう。同一性を反復することで、同一性自我は、自己満足するのである。そして、同一性自我感情の型ができると思われる。慢心・傲慢の型である。あるいは、独善・独断・自己欺瞞・自己瞞着の型である。思うに、同一性癒着の型とも言えるだろう。つまり、他者・差異に自己投影して(鏡像)、同一性化するのであるから、同一性癒着ないしは同一性自我癒着である。自乗である。i^2⇒-1である。
 ここでは、他者・差異はまったく消えている。自己盲目(無明)である。自己反射宇宙=パラノイアである。即ち、自我と他者・差異が分離・乖離しているのである。だから、同一性狂気である。
 では、他者・差異の賦活が生起するのに、どうして、同一性は自我閉塞してしまうのか。これは、以前さんざん考えた問題である。弱さ、劣弱さが原因ではないか。つまり、他者・差異を認めることは、自我感情にとって苦痛をもたらすことである。自我同一性にとって、他者・差異を認めることは屈辱である。この苦痛を感受したくないので、他者・差異を否定し続けるのだろう。そう、同一性欲望が、他者・差異を否定・排除し続けさせるのである。
 しかしながら、他者・差異は賦活され、発現するのだから、それを否定・排除するのは、非合理、非科学的である。なにか病的なものがある。思うに、恐怖ないしは不安が根因ではないだろうか。同一性自我にとり、他者・差異は恐怖であると考えられる。未知のものであり、一種暗闇のようなものである。
 だから、心が弱い者は、他者・差異を避けるのである。どうもこれで説明がつくようだ。以前、高貴な差異と劣弱な差異を分けたが、それは当たらず言えども遠からずであったろう。
 人の心は、人それぞれである。大きく分けると、弱い心と強い心の持ち主がいるのである。一般に、人間は前者である。だから、同一性中心主義となるのである。しかしながら、少数者の後者がいる。いわば、生まれながらの貴族である。精神的貴族である。彼らは、他者・差異を肯定して、苦悩するのである。そして、遂には、差異共振性へと達するのである。民主主義の一番の問題点は、前者が多数を占め、後者の存在を否定することである。衆愚主義である。ニーチェの批判は正しい。賎民、弱者の支配なのである。しかし、さらに、これは、賎民・弱者にとっても不幸である。愚者は悪人を支配者に選ぶのである。全体主義となるのである。(小泉元首相の政治が正にそうであろう。)ニーチェ/ロレンスの民主主義批判は炯眼である。心の強者が指導者にならなくてはならない。
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  • 以下が、宇宙母船です。
    http://ameblo.jp/neomanichaeism
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