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2008年01月29日 (17:38)

市場哲学:市場とは何か:トランス・モダン市場経済:差異共振化された市場経済

差異価値と同一性価値との関係を考察しているトランス・モダン経済論が途中であるが、市場についてどう考えるのかという点がまったく触れられていないので、それを考察する必要がある。
 端的に、市場とは何か、である。例えば、私が古楽のいい演奏のCDを買いたいという立場にあり、お店に行って買うことになるとしよう。
 この買いたいという心的欲動は何であろうか。欲望なのか。確かに、いい音楽への渇望がある。それが満たされないとストレスになる。つまり、心に、差異共振エネルギーを音楽の波動で与えて、心を充電する必要があるということなのだろう。
 とまれ、ここには、買い手における欲求・欲動がある。欲望なのだろうか。欲望というと、あまりに生々しい表現である。音楽を欲望すると言うだろうか。欲求であり、心的欲動である。心欲と造語してもいいだろう。
 思うに、いったい欲とは何か。物質的欲から心的ないしは精神的、美的欲まである。音楽の場合、美的欲求でもある。絵画でもそうであろう。映画もそうだろう(もっとも、流行に遅れまいという、世俗的欲もあるだろう)。
 とまれ、個体の欲を満たすために、市場において、欲を満たす商品・品物・物を購入するのである。このとき、売り手に対価を支払うのである。
 そう、この対価において、差異価値と同一性価値の関係が発生しているのである。買い手にとり、ある商品は差異価値である。売り手にとっては、同一性価値の可能性である。ここで、価値の非対称性が生じている。買い手は、差異価値をもつ商品に購入に対して、対価である貨幣を支払う。それは、売り手によって提示された同一性価値である。つまり、市場において、差異価値と同一性価値(貨幣)との関係が相互転換すると言えるだろう。買い手には、差異価値への心的欲動があり、手元には、同一性価値である貨幣がある。それに対して、売り手は、買い手が欲する差異価値があり、それを同一性価値(貨幣)に交換したいと強く望んでいる。
 言い換えると、質(差異)と量(同一性)との交換が市場経済であると言えよう。つまり、それは、哲学的には、不可能な事態なのである。差異と同一性という異質なもの同士を相互転換させているのである。これは、実に不思議、いわば、手品・魔法・魔術である。マルクスが『資本論』で商品の形而上学を驚異をもって言及していたのを想起する。
 ハリー・ポッター等のファンタジーがブームであるが、実際、市場の様態とは、ファンタジーそのものである。現実のファンタジーであるから、凄みがあるのである。(p.s. 思うに、今日のバーチャルな経済とは、超越的エネルギーが同一性へと流出しているために発生していると見ることができないだろうか。超越的エネルギーを回帰、フィードバックさせるべきであろう。後で検討。)
 貨幣が同一性価値を保障しているので、市場社会において、人々は、同一性価値である貨幣を目指して生産することになるのである。そして、貨幣の有効性を利用して金融業が発達するのである。同一性価値が同一性価値を増殖するのである。ここには、差異価値という原点から離脱した行為があると言えよう。
 問題は、欲・心的欲動である。差異価値への心的欲動がある。それを手に入れるには、交換価値である貨幣を獲得して、購入する必要があるのである。貨幣獲得のために、賃金仕事に関わることになるのである。それは、個の差異価値を多かれ少なかれ抑圧して、会社・企業の経済活動のために従事することになる。もっとも、天職に従事する場合があるがそれは、希少である。
 生きるため、それは、個の差異価値を肯定するためであるが、働くことになる。差異価値のために、同一性価値である貨幣を獲得するために働くのである。そう、個において、差異価値と同一性価値は結びつくことになるだろう。この結びつきであるが、それは、何か。
 具体的に考えよう。食事のため、お米を得る必要がある。それは、私の物質的身体を維持するために必要なものである。これは、心的欲求というよりは、物質的欲求である。身体的欲求である。お米を手に入れるためには、その価格に等価の貨幣をもつ必要がある。つまり、私の物質的欲求のために、同一性価値である貨幣が必要なのである。
 では、私の物質的欲求とは何だろうか。それは、同一性価値の欲求なのだろうか。否、そうではないだろう。「私の」という点が重要である。つまり、差異価値なのである。差異価値の欲求を満たすために、同一性価値である貨幣が必要なのである。言い換えると、差異価値の更新のために、同一性価値である貨幣が必要なのである。
 だから、人は、差異価値を維持するために、同一性価値である貨幣を獲得するために働くわけであるが、ここで、差異価値と同一性価値が連結するのがわかるのである。つまり、個としての欲において、差異価値と同一性価値がつながっていると言える。
 では、個としての欲とは何だろうか。ここでは、身体を例として考えると、身体保持・更新の必要性が欲であろう。すると、これは、Media Point(差異共振性)から同一性が形成されるときの力学と同質の問題であることがわかるだろう。
 そう、ここで注意すべきは、同一性の構造形式と同一性という物質との違いである。身体は、Media Pointないしは遺伝子から、その構造形式を保持されるものであるが、物質的身体という同一性=物質自体は、身体の構造形式とは区別されるのである。そして、物質的身体の更新の必要が欲ということだろう。
 そう、作業仮説的に言えば、身体の同一性構造から同一性物質身体が形成されるが、そのときのエネルギーの補充の必要が欲ということだろう。端的に、食欲である。(性欲は次元が少し異なるだろう。)
 結局、身体の差異価値(「わたしの」身体という意味である)は、エネルギーを補充するために、欲を発生させて、充足させるために、同一性価値である貨幣獲得のために働くのである。
 しかしながら、貨幣獲得の目的は、差異価値にあるのであり、同一性価値は、本来、手段・媒介・媒体に過ぎない。
 しかし、自明のように、欲という作用が基盤となり、同一性価値自体に対して、欲が発生すると考えられるのである。本来、差異価値のためのエネルギー補充のために、欲が発生するのであるが、市場経済においては、欲を媒介にして、同一性価値自体への欲が発生すると言えるのである。そして、これは、同一性である自我において、発達すると言えるであろう。これは、当然、所有欲へとつながるのである。我欲である。
 結局、欲を媒介として、同一性価値=貨幣の市場経済が成立すると言える。ということで、ここで倒錯が生まれると言えよう。本来、差異価値を満たすものであった交換が、同一性価値を欲求する方向へと転換するのである。価値の倒錯が発生するのである。これが極端化したのが、たとえば、サブプライムローンである。言い換えると、市場経済は、今日、倒錯経済であると言えるだろう。
 原始市場経済においては、問題はないだろう。差異価値が同一性価値=貨幣を介して、交換されるだけである。資本主義で問題なのは、同一性価値=貨幣が超肥大化していることである。欲の超肥大化、自我の超肥大化である。(私にはここには、前頭葉ではなく、脳の違う局所が作用しているように思えるのである。おそらく動物的な脳である。情動脳である。視床下部が作用しているのではないだろうか。この問題は後で検討したい。)
 とまれ、《欲》が中心点である。これは、哲学的には、連続化・同一性化、すなわち、連続的同一性化と言えるだろう。これは、不連続的差異論が問題にした事象である。
 これは、人間という自然にとっての、一つの自然事象である。アダム・スミスが見えざる手と言ったが、その意識には、自然のヴィジョンがあったのだろう。
 確かに、一つの自然事象であるが、絶対的事象ではない。自然の基盤は、連続的同一性ではなくて、差異共振性、Media Pointであるからである。だから、自然の事象である市場経済であるが、それは、連続的同一性の経済であり、絶対的ではないのである。しかしながら、ここで短絡的に市場経済を否定するということにはならないのは、自明であろう。
 結局、連続的同一性=欲が支配して、市場経済がカオス化されるわけであるが、いったん連続的同一性=欲を切断して、本源の差異共振性=Media Pointに回帰することで、市場は質的に新しいものになると考えられるだろう。即ち、根源の差異価値へ回帰して、差異価値自体を評価する経済が考えられるのである。これは、パラダイム・シフトである。
 《欲》を切断して、差異共振エネルギーへと転換することである。言い換えると、差異共振「欲」のようなものが存することになるだろう。そして、この「欲」を満たす市場経済がありうるのではないだろうか。それは、これまでの市場経済とは質的に異なるだろう。差異共振化された市場経済である。(Kaisetsu氏の「市場化された場における共同体主義」を参照。)そう、モダン/ポスト・モダンにおいては、連続的同一性=欲が支配的であったが、この、いわば、トランス・モダン市場経済においては、差異共振「欲」が作用していて、これまでの同一性欲動を超える、トランス同一性欲動・差異共振欲動が作用しているのである。正確に言えば、同一性欲動を包摂した差異共振欲動が作用しているということである。高次元市場経済とも言える。
 このトランス・モダン・マーケットにおいては、欲動は垂直化ないしは虚軸化しているのであり、そのような欲動に見合う売買がなされることになるのである。では、資本はどうなるのだろうか。これまで主導的であった同一性価値資本ではなくて、差異価値資本、差異共振価値資本が重視されるようになるだろう。だから、これは、差異共振市場経済である。トランス資本主義である。若者であった資本主義が大人である差異共振経済へとトランスフォーム(変換・変容・変態)するのである。情報資本とは、差異価値資本である。また、差異共振共同体を志向する企業も差異共振資本をもっていると言えよう。同一性資本から差異共振資本へ。トランス・キャピタルである。
 そう、政治も差異共振社会へと指導する必要があるのである。それによって、経済が資本主義経済から差異共振経済へと変換するための触媒になると考えられる。 

参考:
第2章 市場経済のしくみについて
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/zin4-2.htm
橋本裕「経済学入門」より

参照:
★ 2008年1月28日 月曜日、17時半更新

未曾有の全世界的経済破綻を目前にして、こうした破綻とグローバリゼーションと呼ばれる金儲け優先思想による人間疎外がなぜ起きるのか? その真実を見極めるべき時期に来ている。
 いったい何が問題だったのか? 筆者は、「金余りが金を滅ぼす」と指摘してきたが、なぜ実体経済に満足できず、人間疎外を省みることなく、さらなる余剰利益を求め続けたのか? その本当の意味を理解しない限り、人間社会は何度でも同じ過ちを繰り返すことになる。

 筆者は、この数年、余談のなかで、これらの金儲け思想の根源に「競争主義」があると指摘してきた。「人を追いつめて競争に勝利する」という発想、競争を人生の目的としてきた世界中の人たちが、今、自らの論理の帰結として破綻に直面している。
 世界を動かす原動力は、国家や軍事バランス、指導者の力量などではない。その正体は人の心にすぎない。「心の法則」こそ、地上における、あらゆる問題の根源にある。
 人々が競争心を抱き、埋没し、人間社会を根源で支える必要な要素すら見失って暴走してゆくプロセスに、心の法則がある。
 人が、どのような心の悩みを抱え、それが現実社会の破綻に結びついていったプロセスを説明しないかぎり、破綻に至った真の原因は理解できず、これから何をなすべきかも決して見えてこない。

 一方で、人の心を弄ぶかのような、一部ユダヤ教徒による壮大な歴史的陰謀が、競争主義社会を演出する上で極めて重大な影響を与えた事実も否めない。
 世界中の王族、金持ち、権力者をフリーメーソンという秘密結社に組織し、33位階の序列差別を与え、他人を出し抜いて自分がエラクなる上昇志向の競争主義こそ、彼らの陰謀の根源にある。彼らの思想は、上流階級社会を作り、特権意識に夢中になった人たちを競争主義に洗脳して、彼らの金融システムの奴隷として飼いならすことであり、「カネを支配するものが世界を真に支配する」という信念に基づいて、世界を経済基盤から彼らに都合のよいように作り変えてきた。
 この巨大な陰謀が、現代社会に至って、「資本集中と人間疎外」という結実になった、と考えても間違いないと思う。だが、それだけで、世界がこれほど悪くなるわけではない。それは、やはり、一人一人の心の奥底に潜む何かが作用していると考えるべきで、それを明らかにすることこそ、問題の本質を見て、解決を導く方法だろうと思う。


★ 2008年1月27日 日曜日、10時半更新
 
余談

 株が値戻し傾向にあるにもかかわらず、世界的経済破綻の趨勢は変わらないと指摘してきた。今、株を買っている人たちは、問題の本質を見ようとせず、自分の破滅的損失を認めたくない心理から、現実を直視できないで、目先の値上がりで何とか安心したい気持ちだけで買っている。こうした投資家心理が、巨大投資家のリスク転嫁に利用されると書いてきた。これは過去の、すべての恐慌破綻に共通するメカニズムであって、これがあるから株のプロは辛うじて身を持ちこたえることができてきた。

 今、回復基調と勘違いした人が多いにもかかわらず、本当はサブプライム問題を端緒として、個人カードローン、自動車ローンなど底なし沼の様相を呈している。加えて、アメリカのローン転嫁を保証してきた最大のシステム、モノライン問題が浮上している。(以下「宇宙の法則研究会」資料から引用)

 モノラインとは、有価証券の発行者から保証料を受け取り、債務不履行(デフォルト)の際に元利払いを肩代わりする保険会社の一種で、保証は金融商品に限定しているため、「単一の事業」を意味するモノラインと呼ばれている。米国のモノライン業界団体は12社、保証額は昨年末時点で合計2兆4000億ドル(約260兆円)にものぼる。さらにこれらのモノライン保険会社は、米国の地方債の約5割、証券化商品の約2割の保証を手掛けている。
 今年の1月17日に米国株が下落したのは、ムーディーズがモノライン会社の格付けを引き下げ方向で見直すとしたことで、この日モノラインのMBIAは31.2%の大幅安、アンバック・フィナンシャル・グループは51.9%の急落となったことが最大の要因である。
 このように金融商品の支払いを保証するモノラインがサブプライムローンの保証急増で破たんすれば、サブプライムと無関係の保険会社にも損失が連鎖的に出ることが予想される。現状としてはほとんどのモノライン保険会社が、軒並み自己資本の100倍という巨額の保証契約を引き受けているため連鎖倒産を免れない。

 これまで経済大国・米国を影から支えていたのはこのモノライン保険会社であったので、保険会社倒産による巨額の損失とともに、その存在が失われれば米国経済の息の根が止められてしまう可能性がある。米国政府はこのモノライン保険会社の救済に動き出しているという情報があるが、金額がたかだか1兆数千億円程度では救済にはならない。金額としては、桁がひとつ違うと言ってもよい。

 さらに、世界経済を混乱させる不安要因がもうひとつある。それは高騰した原油問題だ。原油が1バーレルあたり100ドルまでに跳ね上がったのは、それだけの需要があったわけではなく、世界的な金余り現象により投機筋からの価格吊り上げだった。米国をはじめ世界中が景気後退に入れば、原油はだぶつき、高値に吊り上げた投機筋の経営状態が悪化することになる。

現在、世界中で動いている金融機関のマネーは総額150兆ドルで、日本円にして1京6千兆円(1万6000兆円)もの巨額になる。この金額は実態経済の3.2倍にもあたり、デリバティブによるレバレッジ投資がいかに天文学的なものになっているかを証明するものだ。そのような金融機関のマネーの数パーセントでも焦げ付けば、サブプライムローン問題以上に世界の金融は大きくガタツクことになり、修復不能の状態に陥るのは間違いない。
 予想では今年の夏になると原油価格は、1バーレルあたり70ドル台の実勢価格にもどると思われる。(夏場になると、石油の需要は冬場に比べて大幅に減少)そうなったときに、世界中のヘッジファンド、さらにはヘッジファンドを支えてきた多くの金融機関が次々と破綻する事態は免れないことになる。
 その際に最大に影響を受けるのは、我が日本の金融機関だ。自民党の圧力に屈した日銀がゼロ金利ならびに超低金利を永年続けてきたことで、日本人が持つ金融資産はキャピタル・マネーフライトと呼ばれ海外に貸し出されてきた。その総額は、日本人が持つといわれる金融資産1500兆円の半分の700兆円である。その貸出先には、多くのヘッジファンドが含まれている。間違いなくその700兆円は、二度と日本に戻ってくることはない。ほとんどが焦げ付きとなる。

 そういった事態が起こる直前には、日本の金融金融機関の多くが「預金封鎖」をせざるを得ない状況に陥ると思われる。預金の払い戻しをしようにも、貸出先で焦げ付きキャッシュが金庫から消えてしまうからだ。従って筆者(宇宙の法則研究会)の予測では、現在の「資本主義」が重大な局面を迎えるのは今年、 2008年の夏ということになる。
(以上、引用資料を再構成)
http://www1.odn.ne.jp/~cam22440/yoti01.htm                 

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