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2013年09月21日 (13:57)

知的生命的存在の根源は何か:形而上的原理か形而下的原理か:あるいは、第3の原理か?

テーマ:太陰イデア論:太陰人体学:太陰原理陰陽球

太陰イデア論では、根源を太陰イデアにおいている(仮説)。
 しかし、太陰=肚(気的身体)であり、太陰イデアとは、気ないし根源的気とも考えられる。
 また、太陰を存在とも考えている。
 佐野千遙博士や以下のケッシュ博士は、根源を物質原理で考えている。(両者に共通するのは、磁場であろう。後者はその他に、重力場もあげているが。)
 ところで、話が変わって、私は2004年に「海舌 http://blog.kaisetsu.org/」氏と遭遇して、いわば、突然変異的に不連続的差異論を独創したが、2005年か2006年に形成された、不連続的差異論の発展と考えられたPS理論に2012年春頃まで関わり、提唱したが、その後、それから脱却して、今や、太陰イデア論を提唱している。
 今、この離脱の意味を簡単に見ると、それは、原理の考え方に違いにあると言えよう。
 PS理論は、認識をベースにおいた理論である。それも、知的な、合理的認識を基盤にしているのである。
 しかし、私が不連続的差異論(PS理論の前身)の段階で捉えていた不連続的差異とは、肚のことであり、それは、一般的認識では捉えられないものなのである。
 それは、一般的認識とは不連続、非連続であり、実際のところ、未だに、明確に捉えられていないのである。
 思うに、それを存在ととっても、なんらかの認識性をもっているとは言える。しかし、それは、頭脳的認識とは異なると考えられるのである。
 イデア的認識と言えるかもしれないが、イデアは理念であり、存在とはズレるので、問題を残している。
 不連続的差異論の段階で述べた、知即存在という概念が適用できるようには思えるのである。
 知即存在としての太陰なのである。それは、当然、単純な形而上学的なものではないし、また、形而下的なものでもない。
 いわば、原物質的原理、原生命的原理である。
 とまれ、余裕のあるとき、精緻に検討したい。

追記:グランド・セオリーの構築には、私一人では、無理であるという感じを最近とみに持つ。私は太陰イデア論(仮説)を提唱しているものの、シュタイナー理論、藤原肇理論、佐野千遙理論、等々の考え方にも、開いているのであり、ドグマではない。
 太陰イデア論もいわば暫定的なものであり、理論的進展に応じて、よりよい仮説になるのである。
 より多くの人に、検討してもらいたいと思っている。決定論ではないのである。あくまで、仮説、作業仮説である。


ケッシュ博士インタビュー その④

相対的に、根源のエネルギー<原理エネルギー(プリンシプル. エネルギー)>が、物質や、目に見えない熱や電気や、あるいは又、重力や磁気力に姿を変えたものだと理解すれば、足りるのである。
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2013/09/post_9793.html
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