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2009年02月07日 (15:28)

ヤハウェとルシファー:光と影:超越光・阿弥陀仏東洋経済へ向けて

ヤハウェとルシファー:光と影:超越光・阿弥陀仏東洋経済へ向けて

テーマ:新共同体主義的資本主義:トランス資本主義

eliot-akira氏の記事に「闇の神」テスカポリトカが言及されていて、知的好奇心が刺激された。
http://ameblo.jp/eliot-akira/entry-10203230527.html#cbox
また、副島隆彦氏と佐藤優氏の対談本『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済の罠』にも、「闇の神」としてヤハウェが言及されていたことも想起したのである。
 今は余裕がないので、簡単に所見を言うが、PS理論から見ると、ヤハウェは、Media Pointを基点(起点)とする同一性志向性ないしは同一性エネルギーのことではないだろうか。その点では、「光」である。しかしながら、これが終点の同一性形式においては、反転して、「影」になるのではないだろうか。同一性形式は+1であり、「影」は-1である。どうやら、「闇の神」は-1の可能性がある。
 しかしながら、実相はより複雑であると考えられる。つまり、Media Pointの基点性を考えなくてはならないということである。つまり、-1と言っても、その原点には、Media Pointがあるということである。+1でさえ、裏面にMedia Pointを潜在させているのだから、-1は同様と考えられる。この裏面のMedia Pointが超越神性を形成するのではないだろうか。その考えは整合性がある。同一性±1の裏面とは、同一性を超越したものだからである。
 ということで、ヤハウェはMedia Pointを超越的背景としてもつ同一性志向性=同一性エネルギー(ほぼ、ノエシス)であり、その終点が+1の同一性自己(自我)である。【ヤハウェは、モーゼに「我は在りて、在り余れる神なり(在りて在る神なり)」と民衆に告げるように言った。】
 ここで緻密に規定しよう(批判の換わりに、批定という言葉を造語したい)。
 端的に、ヤハウェは、⇒+1なのか、+1なのか。これは、ある意味で同じことになるが、正確には、前者であり、その帰結が後者なのである。だから、⇒+ 1且つ+1としてのヤハウェというのがもっとも的確な表記となる。否、-1を含める必要があるから、⇒±1且つ±1、これが、ヤハウェ数式である。
 そして、⇒-1と-1が「闇の神」としてのヤハウェであり、端的に、悪魔・魔神である。
 先に、同一性志向性をルシファー(堕天使)と呼んだが、だから、ヤハウェはルシファーを含むのである。それは、「光の神」(金星)である。
 では、「闇の神」とルシファーとアーリマンの関係はどうなるのだろうか。ルシファーは⇒+1であり、アーリマンは+1であり、「闇の神」が⇒-1且つ-1である。
 問題は、ルシファーにしろ、アーリマンにしろ、差異を否定するので、それらが「闇の神」になりうるということである。そう、今の段階では、ルシファーとアーリマンの一種鏡像としての「闇の神」である。
 シュタイナーが述べていたように、ルシファーとアーリマンは人間存在にとって必要(悪)なのである。それが主導化すると否定・害悪的になるのである。
 これまでの検討を整理すると、Media Pointの進展は二重ないしは螺旋的であり、第一1/4回転では、純粋な同一性が形成され、第二1/4回転では、再帰的に、差異共鳴性が回帰するのである。
 この第二回転において、同一性が反動化しうるのである。何故なら、父権主義においては、同一性に傾斜しているからである。
 この第二回転の動きを塞止める同一性主義が「闇の神」と言ってもいいのではないだろうか。それが、⇒-1且つ-1である。つまり、ルシファー&アーリマンの反動的鏡面が「闇の神」と考えられるのである。
 しかし、大事な点は上述したように、Media Pointが超越的に作用していることである。だから、「神」なのである。
 D. H. ロレンスの「闇の神」で言えば、それは、力の衝動となるのである。それは、実は、全体主義/ファシズム志向性である。独裁者的志向性である。
 結局、ユダヤ・キリスト教や父権主義は、全体主義/ファシズム/独裁主義に帰結すると考えられるのである。つまり、「闇の神」の支配なのである。
 まとめると、「光の神」と「闇の神」とは一体なのであり、両者を超越した「超越光の神」が必要なのである。そして、これが、阿弥陀仏、大日如来、アマテラス、等と考えられる。言い換えると、「東方」の「神」ないしは「仏」である。
 結局、光を超えた光、超越光・超光の必然性があるのである。それが、第二1/4回転である。セカンド・ラウンドである。新東洋文明の黎明である。新東洋経済である。阿弥陀仏経済である。
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