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2009年02月09日 (20:33)

同一性主義とMedia Pointの関係について:MPの絶対矛盾と調和共鳴:PS理論と精神身体

これまで、何度も検討したが、まだ、すっきりしないので、再考したい。
 Media Point(以下、MP)が意識・心の原点である。ここから、同一性自己意識が発生するのである。基点(起点)がMPであることをしっかり押さえておこう。
 このように考えれば、第二1/4回転の事象の空間性がよく把握できるだろう。即ち、端的に、MPにおいて、差異共鳴志向性(これまでは差異共鳴エネルギーと言ったが、「現象」的には、差異共鳴志向性という方が正確である。)
 つまり、第二1/4回転によって、MPは二重化されるということになる。つまり、「点」において、同一性と差異とが、いわば、同居することになるのであり、当然、これは、「絶対矛盾」的である。二律背反的である。これが、人間存在の根源的な矛盾である。端的に、差異は他者志向的であり、同一性は自我志向的である。精神志向性と物質志向性の矛盾があるのである。
 同一点における「絶対矛盾」・二律背反、これは、先に述べた言葉を使用すれば、拠り所のなさということになる。アイデンティティ(同一性自己)には、ひび、亀裂が入っているのである。
 しかしながら、同一性傾斜があると、端的に、差異を否定・抑圧・排除・隠蔽すると考えられる。即ち、MPにおいて、そうするのである。
 そうすると、同一性自己は否定的力動をもつことになる。それは、二項対立である。
 問題は被抑圧の差異が賦活されることである。同一性自己意識は、差異を否定する力動をもつが、それに対して、差異エネルギーが反動化するのである。
 そう、第二1/4回転においては、差異エネルギーが同一性エネルギーより優位にあり、同一性自己意識の抑圧は、差異エネルギーに対して十分強いものではなくなると考えられるのである。
 つまり、差異エネルギーの反動・反作用が同一性自己意識の障壁に衝突すると考えられるのである。この衝突エネルギーが、衝動となると考えられるのである。
 同一性自己意識の差異否定力動は、差異エネルギーの反動衝動に突き上げられると考えられる。否定と反動衝動との衝突的な暴発が起ると考えられるのである。いわば、絶対矛盾的暴発である。
 これが、同一性主義狂気の発現であると考えられる。換言すると、近代的自我・近代合理主義の狂気発動である。
 次に、MPの差異(以下、MP差異)を受容するときのメカニズムを考えたい。
 MP差異とは、本来、差異共鳴性である。それは自己と他者との共鳴を意味する。しかしながら、同一性自己意識にとり、それは自己否定的に感じられる。
 これが困難なのは、同一性と差異との間の優劣・主従関係が発生するからである。つまり、同一性に傾斜したり、差異に傾斜したりするからである。(一般に父権主義は同一性に傾斜しているので、差異を否定するために、MP差異を受容できないことが多いのである。)
 ここで少し迂回して考えたい。それは、先に言及したドゥルーズ哲学のことである。それは、差異へ傾斜していると言える。これがいったい何を意味するのだろうか。
 これは、MPにおいて、MPの同一性(以下、MP同一性)を逆に否定して、MP差異を肯定するというものであろう。すると、これは、反動であり、一種の倒錯である。MPとは差異と同一性の絶対矛盾があって、MPなのであり、どちらかを否定すると反動や倒錯となるのである。
 同一性とはいわば、言語知性の方向であり、これが否定されると当然、反言語知性、感情、感性が中心化される。これが、先に述べたロマン主義性ないしは神秘主義性である。
 結局、ドゥルーズ哲学は反知性哲学となり、ロマン主義哲学、神秘主義哲学となったと言える。
 さて、ここで本論に戻ろう。結局、MP差異を真正に受容するにはどうしたらいいのか。それは、MP同一性を保持しつつ、MP差異を肯定するという、いわば、離れ業をすることになるのである。
 そして、このときに、精神身体が契機となると考えられるのである。東洋思想が身体論であるのは、深い意味があるのである。
 MP同一性(言語知性)を保持しつつ、MP差異を受容するには、精神身体にはたらきかける必要があるのである。(禅やヨガや気功の瞑想はそのようなものである。)
 この点を精緻に考察してみよう。端的に言って、本来、MPは精神身体である。それが、第一1/4回転によって、先ず、同一性へと志向する。このとき、本来の精神身体としてのMPが忘却されて、いわば、心身二元論的になるのである。心と身体が分離するような様態になるのである。
 しかし、第二1/4回転によってMP差異が賦活されて、元の精神身体への回帰活動が始まるのである。つまり、端的に言えば、精神身体が賦活されるのである。だから、MP差異を受容するには、精神身体へと回帰する必要があるのである。ここで、ヨガのチャクラや道教の丹田や日本の肚が重要になるのである。それらが、端的に、精神身体の中枢である。
 ということで、MP差異の受容とは、MP同一性を保持しつつ、精神身体への回帰、精神身体の回復であるということになるのである。
 それにより、MP差異が肯定されて、且つ、MP同一性が保持されるのである。しかしながら、近代においては、MP同一性が強化されているので、MP差異とMP同一性の調和を取るのは容易ではない。同一性主義があるので、MP差異は純粋ではなく、連続化されていると考えられるのである。だから、ここで、 PS理論的に、MP差異とMP同一性の不連続的切断が必要なのである。これで、MP差異は純粋に受容されるようになると考えられるのである。
 これで、同一性主義問題とその乗り越えとしてのMP回帰が明確になったと考えられる。
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