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2009年02月12日 (19:36)

父権・一神教と母権・多神教:無回転(母権)⇒1/4回転(父権)⇒新1/4回転(新母権)

父権的志向性とは、Media Pointから発する同一性志向性と確実に考えることができるが、母権的志向性をどう捉えたらいいのだろうか。
 これまで、前者は同一性傾斜があり、後者はそれがなく、自己回帰・再帰エネルギー(差異共振エネルギー)が積極的に作用すると考えてきた。
 私が直観的に思ったのは、母権的志向性には、同一性志向性から再帰志向性への往還志向性ではない違う回路があるのではないかということである。
 同一性志向性とは他者(差異)否定の回路であり、影-1を内包しているのであるが、どうも、母権的志向性には、それがないのではないのかという発想である。
 ならば、どうなのか。これは、以前考えた、差異的同一性、ないしは、同一性を包摂した差異共振性の発想と関係するかもしれない。
 それは、いわば、Media Pointに留まる発想である。つまり、1/4回転を行わない発想である。
 これは微妙な点であるが、考えると、Media Pointにおいて、差異共振が発生する。それは、思うに、原同一性ないしは原物質性をもっているのではないだろうか。数式では、⇒+1である。何故なら、同一性=物質自体は、+1であるからである。
 この視点を仮説にすれば、父権的志向性とは+1で、母権的志向性とは⇒+1で表記できる。言い換えると、前者はMedia Pointと同一性=物質との間に壁ができるのに対して、後者はMedia Pointと同一性=物質との間に、「通路」があるということになる。
 宗教で考えるとわかりやすいだろう。一神教は、Media Pointと同一性=物質を絶対的に分離して、前者を超越神とするのである。しかしながら、それはおおまかである。精緻に言えば、超越神とは、Media Pointの実軸面である。あるいは、超越神とは、Media Pointに生じた、同一性の痕跡である。この問題は暫定的においておこう。
 多神教は、Media Pointと同一性=物質との通路があるために、超越性ないしは超越エネルギーは物質・自然と結びついた神々となると考えられる。だから、言い換えると、差異と同一性との未分化ないしは混淆様態と言えるだろう。これは、東洋文明の原点である。
 さて、一神教に戻ろう。端的に、超越神とは何か、である。これは、ハイデガー/デリダ哲学やフロイト/ラカン精神分析の「批判」(批定)で明らかになった根拠と同質だと直観される。つまり、超越エネルギーが、同一性=物質へと傾斜するときの原点としてのMedia Pointの様相が、超越神になるのではないのかということである。
 つまり、同一性=物質傾斜が起るとき、Media Pointは、1/4回転して捩れるのである。その捩れたMedia Pointが超越神ではないだろうか。
 そう、それは、まるで、無のようである。そして、無から、光や宇宙や自然が生まれるのである。
 P. R. サーカー(サルカール)のマイクロヴァイタ論に関係して、Media Pointの虚軸面と実軸面の区別を暫定的に行ったが、それをここでも採用するとわかりやすいだろう。即ち、超越神とはMedia Pointの実軸面なのである。しかし、それは、やはり、超越したものと考えられるので、超越神になりうるのである。
 だから、やはり、Media Pointの1/4回転の様相が超越神であるということになるだろう。そして、それを、知的に洞察すると、ハイデガー/デリダ哲学、フロイト/ラカン精神分析になると考えられるのである。
 ラカンの現実界であるが、それは、意外にドゥルーズの連続的差異に似ているのではないだろうか。つまり、ラカンは「無意識」の「彼岸」にあるものとして、現実界を考えているだろう。しかし、「無意識」は、Media Pointの実軸面であり、Media Point自体ではないのである。だから、その「彼岸」というとき、同一性を超えた無限を考えていると思えるのである。しかし、Media Pointは無限ではなく、高次元、超次元である。つまり、ラカンの現実界とは、ドゥルーズの連続的差異と同様に、無限としてのゼロ度・ゼロ点となると思われるのである。
 精緻というより、直感で言おう。端的に言えば、ラカンの現実界とは、単にMedia Pointの実軸面を超越したもの(「彼岸」)として捉えられていて、虚軸性や高次元・超次元性までには達していないと考えられるのである。確かに、その点では、ハイデガー/デリダやフロイトを超えているだろう。しかしながら、不可知的な超越的領域に留まっていると考えられるのである。【ドゥルーズはいわば、現実界に連続性(連続的差異)を見て、それを同一性=物質と繋げたと言えよう。】
 さて、以上、後半は不明瞭な箇所があるが、それは、後で再検討することにして、本題をまとめると、父権的志向性(一神教的志向性)とは、Media Pointの実軸面を基底とする同一性=物質志向性であり、母権的志向性とは、以上では、作業仮説として、⇒+1としたが、つまりは、自己回帰・再帰エネルギーの志向性への傾斜をもつものと思われる。
 簡潔に言えば、父権的志向性とは、同一性=物質志向性傾斜であり、母権的志向性とは、差異共鳴志向性への傾斜をもつということである。ただし、前者においては、「超越性」(超越神)と同一性が絶対的に分離する二元論・二項対立を生起するということである。言い換えると、Media Point の実軸面の支配があるのである。
 今ひらめいたことであるが、父権的志向性は、端的に、虚軸から実軸への1/4回転を意味し、母権的志向性とは、無回転の差異共鳴様態ではないだろうか。では、無回転の差異共鳴様態とはどういうものであろうか。
 考えれば、無回転の差異共鳴様態については、以前、同一性を内包した差異という視点で、既に考察したことがあるのである。PS理論は、いわば、差異と同一性との即非理論であるが、それは、同一性を内包した差異理論には限定されないのである。
 いったい同一性を内包した差異、つまり、同一性を内包した差異共鳴性とは何だろうか。いったい、それは、無回転様態で説明できるのだろうか。言い換えると、無回転で、同一性が発生するのだろうか。
 今のひらめきでは、それは可能である。思うに、自然とは、無回転の差異共鳴様態をもつのではないだろうか。では、それは何か。
 確かに、Media Pointにおいて、太極的な共鳴が発生するだろう。そこでは、同一性は未だ、差異共鳴性に内包されているだろう。同一性は相対的である。
 つまり、未分化同一性が存するということになる。これが、無回転の差異共鳴様態ではないだろうか。端的に、太極陰陽様態である。
 しかるに、1/4回転が生起すると、差異共鳴様態は否定されて、二元論、二項対立が発生する。これが、父権主義、一神教的思想である。
 ということで、無回転の差異共鳴態が考えられたのであり、まとめれば、父権的志向性=一神教的志向性は、1/4回転同一性志向性であり、母権的志向性=多神教的志向性は無回転差異共鳴志向性であるということになった。これは、思想的には、二元論(二項対立)と陰陽論(極性論)となって発現していると考えられる。
 そして、トランス・モダンとは、新たな1/4回転に拠る、新母権的志向性=新多神教的志向性=新差異共鳴志向性の発動と考えられるのである。
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