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2009年02月19日 (19:26)

エル・グレコの絵画にある不安:初期近代における精神の位階の喪失

エル・グレコの絵画は、確かに躍動的で、未来派のようである。しかし、そこには黒い不安のようなものが感じられる。これは、正に、初期近代の不安だと思う。Media Pointからの同一性の発動を表現しているのではないのか。そこでは、ハイデガーの存在=無を経過するのである。その不安があるのではないだろうか。
 以下の『受胎告知』であるが、本来、超越的なものが、同一性と同次元に描かれているのである。超越性=精神と同一性=物質は、本来、位階があるが、それをエル・グレコの絵画では喪失しているのである。言い換えると、Media Pointという真の創造の源泉を喪失しているということになる。
 約半世紀後のベラスケスの『女官たち(ラス・メニーナス)』になると、鏡像へと転換しているのである。これは、正に、同一性主義化=近代的自我化と考えられよう。


323px-Anunciacion_Prado(2).jpg

http://es.wikipedia.org/wiki/Archivo:Anunciacion_Prado(2).jpg

エル・グレコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
『ある老人の肖像』(1595–1600年頃)エル・グレコの自画像とされる。

エル・グレコ(El Greco、1541年 - 1614年 4月7日 )は、現ギリシャ 領のクレタ島 出身の画家 。本名はドメニコス・テオトコプーロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος、ラテン文字 転写:Doménikos Theotokópoulos)で、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語 で「ギリシャ人 」を意味する通称である。
概要

当時ヴェネツィア共和国 の支配下にあったクレタ島で初めイコン を学び、のちにイタリア のヴェネツィア 、ローマ に渡ってティツィアーノ に師事し、ヴェネツィア派 絵画を学んだ。1577年 、36歳でスペイン のトレド に渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。

エル・グレコの絵画はマニエリスム 、バロック 様式に分類される。全体的に暗い画面、縦に長く伸びた構図、複雑なポーズを取る人体などが特徴的で、彼の死後は長らく高く評価されなかったが19世紀 に再評価を受け、パブロ・ピカソ やジャクソン・ポロック など20世紀 の芸術家にも影響を与えたという。

1922年 当時フランスに滞在していた児島虎次郎 は、とあるパリの画廊でエル・グレコの受胎告知 という作品が売りに出されていたのを眼にした。この作品の素晴しさを見抜いた児島ではあったが手持ちがなかった為自身の出資者である大原孫三郎 に送金を依頼、大原も送られてきた写真を見て了承し児島は受胎告知 を購入すると日本へ持ち帰った。結果的にこの二人の判断は的中し、現在では受胎告知 が日本にあることは奇跡とまで言われている[1] 。

マドリッド にあるプラド美術館 には、彼の作品が多数展示されている。

[編集 ] 代表作

『オルガス伯の埋葬 』
1586 - 1588 トレド ・サント・トメ教会


『トレド風景』
メトロポリタン美術館


『受胎告知 』
1590-1603年頃 大原美術館 所蔵


『ピウス5世 の肖像』 1600-1910年 個人所蔵

『羊飼いの礼拝』
プラド美術館 蔵

[編集 ] 関連項目

* エル・グレコ (ヴァンゲリス) - ヴァンゲリス のアルバム。

[編集 ] 関連書籍

* 「グレコートレド の秘密」モーリス・バレス  吉川一義 訳(筑摩書房 )

[編集 ] 脚注

1. ^ http://www.ohara.or.jp/200707/jp/1_web/1/exh/003.html

[編集 ] 外部リンク
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、エル・グレコ に関連するマルチメディアがあります。

* エル・グレコの家 スペイン政府観光局オフィシャルサイト (日本語)




"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B3 " より作成
カテゴリ : スペインの画家 | ギリシャの人物 | 16世紀の美術家 | ルネサンス | 1541年生 | 1614年没 | トレド

参照:

513px-Velazquez-Meninas.jpg

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Velazquez-Meninas.jpg


ディエゴ・ベラスケス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索
曖昧さ回避 この項目ではスペイン の画家 について記述しています。スペインのコンキスタドール についてはディエゴ・ベラスケス・デ・クエリャル をご覧ください。
自画像

ディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez, 1599年 6月6日 - 1660年 8月6日 )はバロック 期のスペイン の画家 。

生涯

マネ が「画家の中の画家」と呼んだベラスケスは、スペイン絵画の黄金時代 であった17世紀 を代表する巨匠である。

スペイン南部の都市セビリア に生まれ、11歳頃に当地の有力な画家で義父でもあるフランシスコ・パチェーコに弟子入りした。17世紀のスペイン画壇では、厨房画(ボデゴン)と呼ばれる室内情景や静物を描いた絵画が多く制作されたが、宮廷画家になる前のベラスケスもこの厨房画のジャンルに属する作品を描いていた。『卵を料理する老婆と少年』(1618年 )などがその代表作である。1623年 、国王フェリペ4世 付きの宮廷画家となり、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描いた。

美術愛好家であったフェリペ4世は、ベラスケスを厚遇し、画家のアトリエにもしばしば出入りしていたという。当時、画家という職業には「職人」としての地位しか認められなかったが、フェリペ4世は晩年のベラスケスに宮廷装飾の責任者を命じ、貴族、王の側近としての地位を与えていた。

ベラスケスの作品では、画面に近づいて見ると、素早い筆の運びで荒々しく描かれたタッチにしか見えないものが、少し離れたところから眺めると、写実的な衣服のひだに見える。このような、近代の印象派 にも通じる油彩画の卓越した技法が、マネらの近代の画家がベラスケスを高く評価したゆえんである。

[編集 ] 代表作

[編集 ] 『ブレダの開城』
ブレダの開城 1634-1635 プラド美術館

王の離宮の「諸王国の間」という大ホールを飾るために描かれた戦勝画。1625年 、ネーデルラント 南部の要塞ブレダ におけるスペイン軍の戦勝を記念して制作されたもので、敗れたブレダ守備隊の指揮官ユスティヌス・ファン・ナッサウ(オラニエ公ウィレム1世 の庶子)が、勝者であるスペイン側の総司令官アンブロジオ・スピノラ に城門の鍵を渡そうとする場面が描かれている。

この種の戦勝画では敗軍の将は地面に膝をつき、勝者はそれを馬上から見下ろすという構図が普通であったが、この『ブレダの開城』では、敗軍の将ユスティヌス と勝者スピノラは同じ地面に対等の位置で立っている。温和な表情のスピノラは、まるで長年の友人に対するように敗者ユスティヌスの肩に手を置いている(ちなみに両者は1601年にニューポールトで対戦したこともある)。スピノラの傍らに大きく描かれた馬は、彼が敗者に敬意を表するためにわざわざ馬から下りたことを示している。このような、勝者側の寛大さを二重三重に強調した表現は、敗者に名誉ある撤退を許したスペインの騎士道 精神の勝利を表したものといわれている。

[編集 ] 『教皇インノケンティウス10世』
教皇インノケンティウス10世 1650 ローマ 、ドーリア・パンフィーリ画廊蔵


1649年 、ベラスケスは2度目のイタリア旅行に出かけ、ローマに2年ほど滞在している。この間に描かれた教皇インノケンティウス10世 の肖像は、カトリック の最高位にある聖職者の肖像というよりは、神経質で狡猾そうな一人の老人の肖像のように見える。国王、教皇から道化師まで、どのようなモデルをも冷徹に見つめ、人物の内面まで表現する筆力はベラスケスの特長である。

後にフランシス・ベーコン がこの肖像画をモチーフにした一連の作品を制作したことでも知られている。


[編集 ] 『鏡のヴィーナス 』
鏡の前のヴィーナス(1648-51)ナショナルギャラリー  1650年頃 ロンドン、ナショナルギャラリー 蔵


上記『教皇インノケンティウス10世』と同じ頃に描かれたもので、カトリックの伝統の強い当時のスペインでは珍しい裸婦像である。1914年、婦人参政権論者の女性によって、背中から尻に渡る7箇所がナイフで傷つけられた。現在もかすかに修復の痕が見える。

[編集 ] 『ラス・メニーナス』(女官たち)
女官たち(ラス・メニーナス) 1656 プラド美術館

フェリペ4世 の王女マルガリータ を中心に侍女、当時の宮廷に仕えていた矮人(わいじん)などが描かれ、画面向かって左には巨大なキャンバスの前でまさに制作中のベラスケス自身の姿が誇らしげに描かれている。中心の王女マルガリータを含め、画中の人物は鑑賞者の方へ視線を向けており、何かに気付いて一瞬、動作を止めたようなポーズで描かれている。その「何か」は画面奥の壁に描き表された鏡に暗示されている。この小さな鏡にぼんやりと映るのは国王フェリペ 4世夫妻の姿であり、この絵の鑑賞者の位置に立って画中の人物たちを眺めているのは実は国王その人である。この絵は、国王の夏の執務所の私室に掛けられていたという。画中のベラスケスの黒い衣服の胸には赤い十字の紋章が描かれている。これは、サンティアゴ騎士団 の紋章で、ベラスケスが国王の特段のはからいで同騎士団 への加入を果たし、貴族に列した1659年(死の前年)に描き加えられたものである。

[編集 ] 関連項目
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズ には、ディエゴ・ベラスケス に関連するカテゴリがあります。

* バロック美術
* アラトリステ (スペインの時代小説・作中に登場)



"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%82%B9 " より作成
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