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2009年02月22日 (09:16)

同一性主義ないしは二項対立性の優越意識の発生について

この問題も既述済みであるが、まだ不明瞭に思えるので、ここで検討したい。というか、確認である。
 どうして、同一性自己(自我)は自身を他者よりも優越と「見なす」のか。これは先に言及したルネ・ジラールの模倣欲望説に関係する。ライバルとは鏡像である。それは、同一性像(同一性主義像)である。【本来輝かしい像(「光」の像)である。その光輝はいわば後光、アウラ、後背であり、それは、本当はMedia Point の「光」の反映・反照・反射であると考えられる。超越光が通常の光に変容したと考えられる。】
 本来、ライバルとは模範・手本・雛型である。だから、本来、模範である鏡像を差異共鳴像は模すのである。これが、自己投影である。しかし、これは、内的他者の否定であり、外的他者の否定に帰結する。だから、本題の自己優越感の発生とはこの鏡像自己(同一性自己)の形成に拠ると考えられる。
 しかし、何故優越感が発生するのか。なぜ、同一性自己(自我)を優位とし、他者を劣位とするのか。端的に、二項対立原理の発生の意味である。
 根本から考えると、Media Point における差異共振像と同一性志向性の対立があると考えられる。この問題は上述のごとく、既述であるが、精緻・緻密に考えたい。
 Media Point において差異共振像があり、そこでは、自己は他者であり、且つ、他者ではない等の様態が発現している。自己は他者でないというのは、自己は自己であるという同一性を示唆しているし、ここから、同一性志向性が発動・発現すると思われる。
 しかし、逆に言うと、自己は他者であるというのは、差異志向性であると言えよう。だから、Media Point において、同一性志向性と差異志向性が並立していると言えよう。
 初期成長過程において、同一性志向性が主導化すると考えられる(これは、主に男子の成長過程に当てはまるだろう)。それは言い換えると、差異志向性が否定抑圧(否定と反対は違う心的事象である。否定とは、排除的であり、反対とは、維持的である。)されることである。
 ここにおいて、優劣が生じると、以前考えたのである。つまり、言い換えると、その優劣は、いわば、自然の優劣なのである。初期成長過程において、同一性の優位、差異の劣位が自然発生すると考えられるのである。だから、鏡像自己(同一性自己)は自身を他者(差異)よりも優越と思うのである。これは一神教的傾向と言えよう。
 それに対して、差異志向性が優位に、同一性志向性が劣位になるときは、まったく逆転するのであり、他者の方が鏡像自己よりも優越すると思うのであり、これは、多神教的傾向である。(因みに、イエスの教えとは本来、多神教的であったと考えられる。だから、一神教という文脈における多神教の復興の意味を、イエスの教えはもっているが、それが、教父たち等によって、一神教に組み込まれたのである。あるいは、一神教内部における多神教性の復興を言えるかもしれない。そう、一種のポスト・モダンとしてのイエス教が考えられよう。)
 以上から本件の解明は済んだが、最後に、差異志向性について考えてみよう。ポスト・モダンとは、差異志向性の賦活における哲学の動きであったと考えられる。しかしながら、差異志向性は、自己とは他者であるという方向性をもっているので、それは、究極では、自己を他者に吸収させてしまい、自己喪失すると考えられる。神秘主義者が説く宇宙的一体感・融合感とはそのようなものだろう。また、ドゥルーズ哲学もそのような側面をもっている。つまり、差異志向性とは、逆に、差異を連続化させてしまうのである。
 結局、特異性とは、同一性志向性と差異志向性との均衡・極性にあると言えよう。つまり、Media Pointのことである。
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