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2009年02月24日 (17:19)

同一性自己意識の優越意識の発生について:Media Point の不連続的転移における虚軸と実軸の位階の交替と復位

本件に関する先の考察は、原同一性+iがいわば無意識の裡におぼえる差異・他者への不安の苦から、差異・他者を否定して、同一性自己形成して、差異・他者に優越感をおぼえるということであったが、まだ、十分・十全な分析にはなっていないので、さらに考察を続ける。
 直感で考えてみよう。心の無意識領域は、同一性自己意識にとっては、不可解である。暗みの中で何かが蠢いている感じであり、それは、ある意味でとりとめなく感じられるものである。そして、同一性自己意識は、その暈のような暗みに対して、どう対処していいか、端的にわからないのである。そう、不安、動揺、恐怖、拠り所の無さ、不安定さ、不確定感、苦悩、焦り、等々の、ネガティブな感情がどんよりと滞留している。(この無意識領域は、ハイデガーの説く存在の領域に近いだろう。)
 この心の闇の領域に対して、同一性自己意識(正確には、同一性意識であろう)は、自己の同一性を確立するために、否定の態度を取ると考えられるのである。抑圧・排除・隠蔽の態度である。
 結局、心の無意識・闇の領域に接して、同一性自己意識(正確には、+iの原同一性自己意識)の覚えるネガティブな感情意識は、当然、劣弱な意識である。しかし、これは、劣等感であろうか。原同一性自己意識を圧している心の無意識に対して確かに引け目を感じるだろう。臆する気持ちをもつだろう。しかし、それは劣等感だろうか。一種劣等感とは言えよう。
 では、いったい何故、心の無意識領域において、原同一性自己意識+iは、否定的な感情意識をもつのだろうか。それは、原同一性自己意識+iにとって、原差異・他者意識-iとの関係が否定的であるからだろう。端的に、今問題になっている領域はMedia Point における超越性から同一性への転換点である。ここで精緻に考察しよう。
 +iと-iがMedia Point で「接する」のであるが、それは、即非的接触である。接すると同時に、接していずに、分離しているのである。(この問題は十分な検討は長くなるので、ここで留める。)この即非接触領域を作業仮説しよう。それは、即非接触点ないしは即非接触領域、あるいは、即非接触線・面である。
 Media Point において、初期状態には、差異共振性がある。これを初期差異共振状態(原始差異共振状態)と呼ぼう。(初期太極状態とも呼べる。)しかしながら、ここでは、同一性は十全に展開されていないのである。原同一性+iと原差異-iとが、いわば、未分化に共振・共鳴しているのである。
 そして、次に、原同一性が自身を展開する段階がやってくるのである。そのときの最初の状態が上述したものになるだろう。これは、Kaisetsu氏の指摘した異なる二つのゼロ点が参考になる。すなわち、原始差異共振状態とは、虚軸のゼロ点における状態であると考えられる。それに対して、上述の状態は、虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点へと転移するときの様態であると考えられる。ここで、最高度に留意すべきは、この転移段階は連続的ではなく、不連続的であることである。即ち、上述の状態は、虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への不連続的転移の状態であるということである。これは、同一性への不連続的転移の状態とも言える。上記で心の無意識・闇と呼んだものは、この不連続的転移におけるMedia Point において、発生した摩擦・雑音・歪み等であると言えるだろう。つまり、同一性を展開するときに生じる初期差異共振性の否定が心の無意識・闇であると考えられるということである。そして、さらなる同一性の展開は、この摩擦等を否定・抑圧・排除していく形をとると考えられる。それは、即非接触領域の隠蔽に帰結すると考えられる。端的に言えば、Media Point の抑圧・排除・隠蔽であり、究極的には、同一性自己意識=同一性主義(近代的自我・近代合理主義)の完成である。少し整理すると、同一性への展開とは、Media Point における、いわば、不連続的同一性転移に拠ると言える。
 ここで本題にもどろう。なぜ、同一性意識は差異に対する劣等感から優越感へと変容するのか。思うに、本来、虚軸ゼロ点は実軸ゼロ点よりも優位にあるから、実軸ゼロ点に根拠をもつ同一性意識は劣位にあるが、虚軸ゼロ点⇒実軸ゼロ点への不連続的転移においては、その位階が逆転して、意識においては、虚軸ゼロ点よりも実軸ゼロ点の方が優位にあると感じられる(錯覚?)からではないだろうか。
 この問題は微妙である。先にも述べたが、エネルギーの往還を考えるべきである。不連続的転移は、ある必然的なエネルギーの流れに基づくと考えられる。同一性形成のエネルギー(プラス・エネルギー)が発生すると、それは、Media Point の原初状態を否定する形になるのである。同一性意識において、劣位から優位へと転換するのは正道である。だから、優越感とは、それだけに限定すれば、正しい感情である。それが、誇りや栄誉等に関係するだろう。
 だから、問題は、エネルギーの流れが回帰・帰還・再帰するときである。それは、いわば、マイナス・エネルギーであろう。それは、高度な差異共振性への螺旋的回帰である。虚軸ゼロ点への回帰である。このとき、もはや、同一性自己意識の優越感は反動・阻害的になるのである。傲慢慢心尊大なのである。正確に言えば、エネルギーの流れが反転して、回帰的になると、同一性自己意識にとっては、そのマイナス・エネルギーの作用は、解体的になるのである。そのために、同一性自己意識(同一性主義)は、反動的に抑圧・排除するのである。この反動的抑圧が暴力・暴圧的であり、狂気・錯乱的なのである。正道的な優越感は今や、盲目・盲信的な優越感、自己満足的な虚栄の優越感、不合理な暴力的な優越感に変化しているのである。そう、邪道な優越感である。
 
参照:
《他者とは差異である。同一性+iにとって、差異・他者-iは認識できない不安による苦をもたらすものである。この、いわば、不安苦に対して、同一性は同一性自己意識を形成することで、差異・他者に対して、優越感をおぼえるということではないか。
 ということは、+iは無意識領域では、漠然と差異・他者-iを感じ、不安苦をおぼえるのであり、それを否定するように同一性自己意識を形成して、優越感をもつようになるということではないのか。
 先の優越感発生の説明は、同一性志向性が(超越的同一性の)鏡像へと投影する際に、差異共振性を否定することから優越感を生まれるというものであった。しかし、上述では、(内的、ないしは外的な)差異・他者への不安苦に対する否定から優越感が発生するというものである。
 先の説明は、いわば、構造的であり、内的葛藤がないものである。後の説明は、原理に内的葛藤を見ているのであり、「人格」的である。そう、個的である。同一性+i(正確に言えば、原同一性+iである)は差異-i(Media Point を含めていい)を認識できないために、不安苦を感じるのであり、それを解消するために、差異-iを否定して、差異に対して優越性を感じるのである。言い換えると、差異に対する勝ち誇った、おごりの感情を感じるのである。》
http://protophilosophy.noblog.net/blog/q/10731204.html

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