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2009年02月27日 (16:06)

鏡面と鏡像の関係:内的他者と同一性自己と鏡像との否定的連続関係

鏡像自己に関する問題の検討を何回か行なってきたが、まだ、同一性自己にとってのライバルの力学が十分に解明されていないので、ここで、検討したい。
 これまでの考察から、初期差異共振状態から同一性志向性をもつ不連続的転移へと移行する際、内的他者を否定して、同一性志向性が差異共振的鏡面に自己投影して、鏡像を形成し、それに同一性志向性が一致して鏡像自己=同一性自己が形成され、また、鏡面の位置に出現する外的他者によって、同一性自己において、反感・憎悪・ルサンチマンが発生するというように考えられる。
 この鏡面の位置の外的他者がライバルになるのであるが、ルネ・ジラールの模倣欲望論に見られるように、同一性自己(自我)は、ライバルに一種癒着し、引きつけられていると考えられることを参考にして、ライバルの力学的意味を検討したいのである。
 ここで、内的他者の否定の力学の意味を考えるべきである。それは、いわば、内的鏡面への同一性の投影ではないだろうか。思うに、内的投影とは、内的鏡面への自己像の貼り付けであり、覆い(ヴェイル)であり、同時に、抑圧であり、否定であると考えられるのである。この内的投影は他者(差異・差異共振性)への同一性像の貼り付けであり、この貼り付けは当然、接着であると考えられるのである。癒着である。理論的に言えば、連続化、同一性的連続化である。だから、同一性自己にとって、否定すべき内的他者とは、癒着し、連続化していることになり、いわば、一体化していると言えよう。
 つまり、同一性自己にとって、他者は否定対象であるが、同時に、接着・癒着・連続化する対象であり、いわば、なくてはならないもの、不可分のものである。否定する対象でありながら、同時に、必須の対象なのである。
 もう少し丁寧に説明する必要がある。思うに、内的他者とは単に否定されるべき対象だけではなく、根源的は言わば魅了されている対象ではないだろうか。それは、初期差異共振状態(「双子のエデンの園」)の歓喜・至福状態から考えられよう。即ち、内的他者は否定すべき対象であると同時に、魅了される対象であり、アンビヴァレント(両価感情)な「存在」であると考えられる。この両価感情的存在へ同一性は自己投影し、抑圧的に一体化するのである。
 さて、この内的投影が外的投影に転化され、外的他者であるライバルに対する同一性自己の両価感情的態度が生起すると考えられよう。即ち、外的他者=ライバルに対して、同一性自己は引きつけられながら、否定・攻撃するのである。端的に言えば、外的他者=ライバルに自己投影して、癒着(連続化)して、それを否定・抑圧・排除・攻撃するのである。
 思うに、この視点に立てば、西洋のオリエンタリズムが判明に説明されるだろう。一方では、帝国主義的に、非西洋文明を攻撃し支配するが、他方、それに積極的に援助を行なうという西洋文明の両面的態度がそれで理解されるだろう。端的に、西洋文明のもつ同一性主義、同一性像投影主義のもつ両面的力学がそこにあると考えられる。
 文学で言うと、アメリカ文学のメルヴィルの『白鯨』のエイハブ船長が白鯨に魅せられつつ、復讐するためにそれを追跡する態度にそれが見られよう。白鯨とは正に、外的他者=ライバルであるが、本来は、内的他者=差異共振的他者である。(この点については、D. H.ロレンスの『古典アメリカ文学研究』を参照されたい。)
 まとめると、内的他者(=差異共振的他者)が差異共振的鏡面に投影され反照されたものが外的他者=ライバルであるが、その鏡像に同一性志向性を投影して、否定・抑圧・排除・差別・隠蔽的に、接着・癒着・重ね合わせた・連続化した鏡像が同一性自己(自我)であると考えられる。だから、同一性自己とは、内的他者(⇒外的他者)を否定すると同時に、それに依存した倒錯した主観(主体)であり、外的他者への反感とは、同一性自己自身の内的他者への反感を反転させたものと考えられる。つまり、内的他者への否定の反転が外的他者への反感・憎悪・ルサンチマンを生んでいるのである。言い換えると、内的暴力が外的暴力に転化しているのである。これは、父権的暴力ないしは西洋文明的暴力と言える。
 思うに、内的他者への暴力とは、本質的に、自己自身への暴力であり、自己破壊をしているのである。(もっとも、外的他者への破壊行為であることは言うまでもないが。)この自己破壊の側面を分析してみると、創造・生命・生産的である差異共振(精神)エネルギーを阻害し、そのため、積極的なエネルギーが枯渇するのである。道教的に言えば、「元気」を否定しているので、病気、とりわけ、精神的病気(心魂病:造語)になると考えられるのである。つまり、根源的な差異共振エネルギーを摂取することができないために、同一性自己は、エネルギーの補給を失い、「バッテリー」があがってしまうのである。また、それだけでなく、差異(差異共振性)と同一性とで分裂するので、正しい判断ができなくなり、妄想的になると考えられる。何故なら、真理とは、本来、差異と同一性との均衡に存すると考えられるからである(差異と同一性の均衡知性が、理性と言えよう)。何度も既述したが、今日、うつ病の蔓延は、政治・経済・社会的原因もあるが、内因的には、同一性自己(近代的自我・近代合理主義)に因ると考えられる。それは、他者喪失病、差異共振性喪失病である。今や、あらゆる意味で、近代を超えてトランス・モダンへと転換する必要があるのである。
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