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2009年03月03日 (13:40)

同一性自己+1⇒同一性主義自己-1:再帰差異共振性の不連続的受容に因る真の自己認識

先に次のように述べたが、再考が必要である。

「+1が差異共振的自己(ほぼ、ユング心理学の自己)であり、-1が同一性自己(自我:やはり、ほぼユング心理学の自我)である。」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10216729017.html

いったい、+1や-1は、「自己」から言うと何だろうか。+1について考えてみよう。これは、PS理論から言うと、端的に、同一性自己(自我:自己同一性)である。「わたし」である。しかしながら、Media Pointの活性化すると、差異共振性が再帰・復帰する。それは、+1に穴を空ける。
 だから、再帰した(+i)*(-i)が差異共振的自己になるだろう。しかしながら、同時に、+1の同一性自己もここには生起している。つまり、ユング心理学という自己と自我との「調和」がここにはある。つまり、PS理論は、ユング心理学の真の実現であろう。トランス・ユング心理学である。
 そうすると、-1は何かとなる。それは、同一性自己の一種であるが、主義になったものと考えられる。つまり、同一性自己主義ないしは同一性主義自己である。自我主義、利我主義、「自己中心主義」であり、近代においては、近代的自我である。
 そうすると、近代主義においては、自己は、同一性自己を形成した後、一種反動的に、同一性主義自己又は同一性自己主義を形成してしまうと考えられるのである。つまり、+1⇒-1に転化してしまうのである。
 これが生じるのは、再帰する差異共振エネルギーを否定したり、あるいは、同一性に連続的に連結化しようとするからである。
 ポスト・モダンとは、確かに、再帰差異共振エネルギイーに駆動されていたが、主にハイデガー存在論による障害のために、きわめて、歪んだ、偏った理論となってしまい、現実世界に対処できなくなってしまったと考えられるのである。何度も言うが、フッサール現象学やベルクソン哲学のトランス・モダンへの画期性が、ハイデガー/デリダとドゥルーズによって、喪失されてしまったのである。
 PS理論によって、再帰差異共振エネルギーが脱同一性化=不連続化されて、真の自己認識が可能になったと考えられるのである。(不連続的差異論のときは、不明晰な差異の脱同一性化=不連続化が生じたのである。)
 そうすると、自己認識方程式(思うに、これは、神人方程式とも言えよう)は、(+i)*(-i)⇔+1と記すのが明晰である。ただし、Media Pointを入れて表記する方がより適切であろう。即ち、(+i)*(-i)⇔Media Point⇔+1 である。言い換えると、Media Point的自己認識方程式である。(一言、ドゥルーズ哲学について言うと、それは、確かに、再帰差異共振エネルギーはあったが、それを、完全に連続化してしまったのである。そのために、金融資本主義と同型になってしまったと考えられる。そう、いわば、ポジに対するネガである。理論的には、再帰差異共振エネルギーを連続化させたために無限となった実軸ゼロ点の構造主義であろう。)
 ここで、本題と離れて、近代文化について考えたい。結局、近代とは、Media Pointの虚軸から実軸へと下降して、同一性自己を形成する方向が主導的であった。それは、ルネサンスやプロテスタンティズムやデカルト哲学に発現していると言えよう。
 しかし、後期近代(19世紀後半以降)において、差異共振エネルギー=超越エネルギーが復帰するようになったと考えられる。即ち、前期近代とは対称的に、Media Pointの実軸から虚軸へと上昇する志向が主導化し始めたのである。そのとき、近代文化が取る方向は、反動的に同一性を強化する方法であり、これが、 (+1)^2=-1であり、実際は帝国主義、植民地主義、そして、金融資本主義になったと考えられる。
 もう一つは、ロマン主義ないしは神秘主義的方向で、それは、差異を強調する方向であり、それは結局、ファシズム・全体主義に帰したのではないだろうか。それも、結局、(-i)^2=-1である。(かなり多くの文学者たちは、この方向を取ったと思う。因みに、D. H. ロレンスが一時唱えた「闇の神」は、(-i)^2⇒-1の「神」ということであろう。これは、ヤハウェと対称的な位置にあると考えられる。そして、晩年のコスモスとは、差異共振的超越性のことであると考えられるのである。)
 そして、今日、現代、差異共振エネルギーが解放されていると考えられるのである。いわば、差異共振精神が時代精神である。これは、キリスト教的に言えば、聖霊であり、これは、逆らえないのである。天の「風水」である。そして、ますます、差異共振エネルギーがMedia Resonance(メディア共鳴)して、発展していくと考えられるのである。ただし、差異批判知性をもつ必要があるのである。
 PS理論は、近代合理主義とロマン主義の対称的二元論の超克であり、正に、トランス・モダン理論である。
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