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2009年03月10日 (01:12)

検討問題:女性と男性、Media Pointの二つのゼロ点、経済における-1の問題、自然の生長

1)女性と男性の違い:女性が陰陽ならば、男性は陽陰であろう。構造が正反対であろう。女性が感情的になるのは、陰が主導的だからではないだろうか。この問題はたいへん興味深い。

2)同一性+1傾斜とは、Media Pointの実軸ゼロ点を契機とし、差異-i傾斜とは、Media Pointの虚軸ゼロ点を契機するのではないだろうか。(そう、Media Pointの二つの穴があり、本来、男性は物質に、女性は精神に通じているのである。しかし、今日、女性は倒錯的に男性化していると考えられる。)
 このズレは重大である。男性の場合、虚軸ゼロ点が隠蔽されているのである。女性の場合は、虚軸ゼロ点に通じているだろう。というか、女性の場合は、本来、二つのゼロ点に通じているのではないだろうか。女性の方が調和・均衡的に形成されていると考えられる。

3)男性・父権主義の連続性の原因は、実軸ゼロ点が主導的になっているからではないだろうか。

4)資本主義生産とは、⇒+1であると以前言ったが、つまり、差異共振生産によって生まれた価値が+1であると言った。今日思ったのは、交換価値なしいは貨幣価値とは、-1ではないのかということである。
 商品があるとしよう。それは、対象-iである。それに対して、同一性自己(自我)+i(小売り)が価格をつける。それも、⇒+1である。これが、価格である。たとえば、トマト一個-iが百円+1となる。そして、消費者がそれを貨幣で買う。それも、⇒+1である。
 そして、貨幣が小売りに移る。問題は、この貨幣価値=交換価値である。それは、+1なのか、である。確かに、トマト一個が売れた時点では、+1であろう。しかしながら、貨幣価値は、具体的なトマト一個から分離していき、独立するのである。このとき、+1から-1へと転換するのではないだろうか。つまり、同一性自己価値となるのではないだろうか。これは、抽象価値である。
 そして、金融資本とは、この-1を+1と見なすのではないだろうか。つまり、対象-iを否定した抽象価値としての貨幣資本-1を+1と錯覚するのではないだろうか。
 展開する前に、-1とは何かを明確にすべきである。それは、同一性自己主義ないしは同一性主義である。それは、差異共振性から分離された抽象価値である。それは物質ではないだろう。物質は+1である。
 -1は、ドイツ観念論やマルクスが拘(こだわ)った抽象形式と考えられる。カントの超越論的形式、ヘーゲルの同一性精神、マルクスの抽象的価値・交換価値ではないだろうか。端的に、同一性尺度である。言い換えると、実軸ゼロ点に存する同一性形式(構造)ではないだろうか。シュタイナー的に言えば、アーリマンであろう。そう、ここが最高度に重要なキーポイントの一つである。人間の悪魔性の根因であり、また、物質文明の基盤であると考えられる。平俗に言えば、自己中心主義の基点である。つまり、自我の基点である。二項対立の支点である。
 これは、能動的な同一性自己同一性主義であるが、自己(差異)忘却している同一性主義である。差異という原闇(結局は、差異共振性という超越光)を忘却している同一性の光中心主義である。盲目の同一性自己主義である。ここには、原同一性+iの能動性・エネルギーがあるのであり、それは、同一性を反復すると考えられる。森羅万象を同一性で埋め尽くすのである。つまり、同一性空間化である。数量化である。これが、西洋文明で極まったのである。
 これが自己忘却であり、盲目であるのは、自己が同一性と一体化して、いわば、物質化していることである。そう、本来、認識衝動でありながら、同一性=物質と一致しているのである。認識が存在化しているのである。主観が客観化しているのである。
 本来、主観と客観が分離されなくてはならないのに、ここでは、主観と客観が一致してしまっているのである。言い換えると、連続化・同一化・癒着化である。
 とまれ、重大なのは、この差異の排除・隠蔽された絶対的同一性主義が能動化されていることである。つまり、エネルギーは同一性主義へと展開されるのである。⇒+1のエネルギーが、⇒-1のエネルギーに転換されるのである。
 ここの錯覚・倒錯があるのである。本来、生産・売買は⇒+1であるが、それが、貨幣価値になると、⇒-1へと転換すると考えられる。
 そして、まったく、この同一性主義回路を疑わないのである。何故なら、自己忘却・自己盲目であるからである。(この帰結が、ウォール街的金融資本主義である。)
 -1は、虚構価値である。鏡像・虚像である。これを中心化することは、対象-iの否定であり、+1の同一性=物質=生産物・商品が破壊されることである。
 結局、差異共振価値を取り入れる必要があるのである。思いつきでは、差異共振通貨がありえるのである。たとえば、一万円の差異共振通貨があるとしよう。そのうち、たとえば、10%は、差異共振社会へと還元されるとしたらどうだろうか。結局、富とは、社会総体の富であり、社会的差異共振価値なのである。だから、社会共振体(社会共同体)の創造へと向けられるべきなのである。一個人が莫大な収入を得たとしても、それは、社会的差異共振価値を独占していることになるのである。
 そう、貨幣価値は、差異共振価値に包摂されると見るべきである。だから、貨幣価値を独立化させるのは、錯誤である。それは、常に、差異共振価値において存するものである。それを独立に価値化すると、価値体系が狂うのである。
 差異共振投資へと進展することが必要なのである。

5)自然の生長とは何か。種から生長するとはどういうことなのか。これは、Media Pointの振動情報が、物質化することと言えるだろう。同一性=物質化+1である。そして、再帰エネルギーによって、再び、種に還る。それは、 Media Pointの振動情報のデュナミス化ではないだろうか。そう、エネルゲイアによって、物質化して、再帰エネルゲイアによって、回帰し、デュナミスとなるのではないだろうか。
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