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2009年03月11日 (21:17)

思考実験:同一性自己傾斜の心的力学について:差異共振性に対する同一性自己傾斜の心的様態:優越感と劣等感

Media Point において、主に父権的男子の場合だが、同一性自己傾斜が活性化(エネルゲイア化:エネルギー化)するときの「意識」を知りたいのである。最初は、それは、原差異共振性に劣等感を感じると考えたが、直近では、劣等感と同時に、それ自体がもつ優越感を抱くと考えたのである。この点を明確にする必要がある。
 父権的男子ではない、つまり、母権的な自然な同一性発現があるが、それが、差異共振的同一性現象である。⇒+1である。「もの」の現象であり、同時に、差異共振的同一性自己である。(ここで、同一性自己傾斜における意味での同一性自己と差異共振的同一性自己における同一性自己を峻別する必要がある。前者は、後者を否定し、抑圧する同一性自己である。言い換えると、差異共振性を否定する同一性自己である。これまでは、それを主に、同一性主義と呼んだり、あるいは同一性自己主義と呼んだりした。混乱を避けるために、用語を変える必要があるだろう。そこで、前者を同一性主義自己と呼び、後者はそのままでいいが、単に、同一性自己、あるいは簡略化して、差一自己と呼んだりする。以下、これに従う。)
 結局、問題は、差一自己から同一性主義自己(父権的自己)への転換の心的様相は何か、ということなのである。これまでの考えは、+iのエネルギーが活性化されて、+iが-iを否定し抑圧するということであり、結局、(+i)^2=-1となるというものである。
 だから、ポイントは、+iのエネルギー化(エネルゲイア化)とは何か、ということである。これは、端的に、知性活動、言語認識活動であると思われる。差異共振化によって、同一性自己は、他者を知覚するが、それをまだ名づけていないのである。先の例を使用すれば、眼前に即非的な対象Xがあるが、それはまだ「赤レンガの建物」とは名づけられていないのである。この言語認識によって、同一性自己は進展していくのである。即ち、「赤レンガの建物」とは、もう一つの+iであり、これが、根源の+iと連結して、(+i)^2=-1となるのではないだろうか。思うに、言語認識衝動+iとは、左回り1/4回転をもたらすということではないだろうか。つまり、(+i)*(+i)⇒-1ではないだろうか。つまり、同一性自己+iは、1/4回転して、-1になるということではないだろうか。
 そして、他方、内的他者(内的差異)-iは、同様に、1/4回転して、即ち、(-i)*(+i)⇒+1となるのではないだろうか。そうならば、考え方を一新しないといけなくなるだろう。もっとも、それは、これまで、何度も浮かんできた考えではあるが。
 即ち、Media Point において、エネルギー化によって、虚軸の差異共振性から実軸への同一性自己へと変換が起きる。これが、1/4回転である。そのとき、思うに、同時に、+1と-1とが生起するのではないだろうか。つまり、同一性主義自己と差一的自己である。しかし、このとき、+i傾斜があると、-1に傾斜するのではないだろうか。これが父権原理ではないだろうか。母権原理の場合は、思うに、+1と-1との均衡・調和がとれているということではないだろうか。
 ではそうすると、1/4回転の原動力の力学はどういうものであるのか、考え直す必要がある。それは、端的に、+iを掛けることである。それは、+iの傾斜ではないのか。
 精緻に考えよう。虚軸の差異共振において、既に、+1が発生しているはずではないのか。直感ではそうである。思うに、それは、原同一性自己にとって、右回り1/4回転-iであろう。それは、同時に、内的他者にとっては、左回り1/4回転+iではないだろうか。つまり、Media Point の虚軸ゼロ点において、差異共振的同一性現象が生起しているのではないだろうか。そして、これが、基本的な自然現象ではないだろうか。
 それに対して、人間の場合、実軸ゼロ点化が生起すると考えられる。これが、-1の発現と考えられるのである。そして、これが本来の+i傾斜である。虚軸の差異共振的同一性現象は、+iの傾斜は関係していないものであり、正に、自然(じねん)である。
 それに対して、+i傾斜が父権原理において発生すると考えられる。そして、これが、これまで述べてきた1/4回転である。つまり、虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への不連続的転換するとき、1/4回転が生起しているということになる。正しくは、左周り1/4回転(㊧1/4回転)である。
 この作業仮説が正しいならば、虚軸ゼロ点の差異共振現象(同一性を包摂する)と実軸ゼロ点の同一性主義化とは、まったく位相が異なるのである。言い換えると、位階が異なるのである。前者は、いわば、超越次元をもつ現象であり、後者は超越次元を喪失した現象である。高次元的現象と低次元的現象である。前者を五次元とすれば、五次元現象と四次元現象の違いがそこにあると言えよう。(この位階の相違については、先に図示した。)
 結局、(㊧)1/4回転とは、この虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への不連続的転換(転移)であると言えよう。これが、+i傾斜の意味である。
 以上は力学的説明であるが、心的様態については解明されていない。つまり、優越/劣等コンプレックスの力学について述べられていないのである。1/4回転による虚軸ゼロ点から実軸ゼロ点への不連続的転換において、意識はどうなるのかがポイントである。
 虚軸ゼロ点の差異共振意識は、内的自己が内的他者と共鳴している様態であり、そこにある同一性自己とは、差異他者と即非的に共鳴しているのである。だから、同一性自己意識は、内的他者・差異他者には劣等感を感じていない。双子状態である。
 しかるに、+i傾斜が起こるとどうなるだろうか。(これは正に、父権神話に発現している心的現象と考えられる。端的に言えば、英雄神話である。)これは、端的に、積極的な能動性である。一種肯定的である。同一性主義、同一性主義自己を目指した賦活・活動(
エネルゲイア)である。いわば、同一性エネルゲイアである。(思うに、フッサールのノエシスに当たろう。極限的には、ファウスト衝動である。)
 この同一性自己傾斜は、差異共振現象に劣等感をもつのだろうか。そんなことはありえないだろう。エネルギーに満ちているのだから、自己肯定的である。いわば、誇りかである。それは、差異共振現象(太母・グレートマザー・大女神)を否定するのである。だから、この同一性自己傾斜は正に、英雄的である。思うに、人類の知性の発展にとって、この同一性自己傾斜は決定的であったと言えよう。
しかしながら、それは、破壊的・戦闘的・攻撃的である。これは、例えば、ホメーロスの『イーリアス』のトロイ戦争に表現されていると言えよう。また、貴族主義であり、民衆蔑視的である。また、略奪的で、帝国主義/植民地主義的であり、結局、ジェノサイド・ホロコースト的(これは、「旧約聖書」のヤハウェの「民族浄化」に象徴的に表われていよう)である。
 ということで、本来、+i傾斜・同一性自己傾斜においては、差異共振性=母権原理に対して、劣等感はなく、返って、優越感をもっていたと見ることができるのである。これが、今回の検討の発見である。
 では、先に述べてきた、父権原理が母権原理に対してもつ劣等感をどう説明したらいいだろうか。明らかに以上の知見とは齟齬・矛盾するのである。
 ここで、エネルギー保存則ないしはエネルギー均衡を考えるべきである。+i傾斜とは、いわば、自然の歪みであるが、当然、これは、不自然であるので、バランスをとるために、逆の傾斜、即ち、-i傾斜が生起すると考えられる。これは、これまで述べてきた、再帰エネルギーと同じものと考えられる。
 この-i傾斜が発動したとき、同一性自己(父権的自己)は、おそらく、不安・恐怖等を感じるはずである。同一性自己にとって、それは、いわば、未知である。しかしながら、それは、本当は未知ではないのである。つまり、+i傾斜において、否定・抑圧した差異共振性における内的他者の復帰がそこにあるからである。しかし、同一性自己にとり、-iの出現は、いわば、脅威である。同一性の視点からはまったく理解できない対象であるからである。「まったき他者」である。しかし、同時に、本来、同一性自己に親しい対象である。(ここで、フロイトの不気味なものを想起するといいだろう。)
 とまれ、この時点で、即ち、エネルギー・バランスから-i傾斜に転換した時点で、同一性自己(父権的自己)は、-iに劣等感を感じるようになるはずである。前期においては、優越感であったものが、今や、劣等感に転化すると考えられる。このとき、反動が始まるのである。賦活された-i・内的他者に対して、排撃的になると考えられるのである。それは、当然、外的他者に対する排撃性となるのである。(私が近代的自我は狂気であるというのは、この時点のことである。)
 端的に、なぜ、+iは-iに劣等感を感じるのか。それはもはや、同一性自己の中心性が失われたからである。つまり、今や優位なのは、内的他者-iだから、必然的に、+iは劣等感を覚えるのである。これが、反動的同一性自己現象とでも呼べる事態である。
 ということで、これまで、父権原理が母権原理に対して抱く劣等感コンプレックスとは、実は、反動期においての事態であることが判明したのである。
 最後に、もう少し厳密に考えてみると、いったい、最初の差異共振様態から+i傾斜へと転換するとき、同一性自己において、本当に、優越感のみで、劣等感はないのだろうかという疑問が浮かぶのである。
 原初差異共振様態から1/4回転して、同一性主義へと転換するとき、単に勝利感しかないのであろうか。これまで、差異共振状態とは歓喜であると言ってきた(楽園)。だから、そこから脱却するのは、否定的ではないのか。(聖書では、これを楽園追放と否定的に把握している。)一般に英雄神話では、龍退治・怪物退治である。そこに影はないのか。
 直感では、影があると察せられる。それは、思うに、スサノオの神話に表われていると思われる。母の死に対して、スサノオは幼児の如く、途轍もなく号泣するのである。そう悲哀がそこにはあるのである。だから、同一性自己傾斜とは、優越感と悲哀が同時生起すると考えられる。悲哀は一種劣等感を生むと言えよう。だから、やはり、+i傾斜においても、単に優越感だけではなく、劣等感が生じるはずである。そう、差異共振性=母権原理が影になっているのである。いわば、父権原理・英雄の影である。
 ということから、あらためて、-i傾斜を考えると、それは、正に、同一性自己にとって、影との出会いを意味するだろう。それは、直視できないものである。本来の光(超越光)がそこにはあるからである。つまり、+i傾斜において劣等感を感じていたが、今や劣等感を超えて、恐怖・脅威・怯えを感じるはずである。思うに、反射的にその影を外部へと投影するはずである。シャドーが外敵に変容するのである。そして、これが他者への暴力となって発動するのである。差別がここで起こるのである。
 ということで、結局、所期の目的を超えて、同一性自己主義のもつ暴力性の力学の解明まで進んだのである。確かに、同一性傾斜には、劣等感/優越感コンプレックスが発生するが、それが、差異傾斜への反転するときは、影が強大化して、病理的なルサンチマン的暴力を発動すると考えられる。
 最初の同一性傾斜における暴力とは、基本的には、英雄的暴力であり、そこでの反感・ルサンチマンは単純な反作用である。それに対して、差異傾斜における、同一性自己の暴力とは、病理的なルサンチマン的暴力となると考えられる。前者では、自己能動性・積極性に基づく反発であるから、否定性ではあっても、ポジティブさを保持するが、後者では、他者能動性・積極性に対する反発であるから、反動的な否定性となっているのである。
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