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2009年03月17日 (14:50)

検討問題:+iと-1について:同一性自己志向性と同一性自己意識

これまで、同一性自己意識と呼んだものがあいまいなので、明確にしたい。端的に、+iなのか、-1なのか。
 +iは同一性自己志向性と言うべきではないのか。そして、-1とは、同一性自己主義と言うべきではないのか。
 ここでも直感で考えていこう(自己認識実験である)。端的に、同一性自己意識とは何か。それは、「わたし」の意識である。自我の意識である。それは自己の一面である。それは、差異共振性の一面ないしは表層・表面である。
 では、この同一性自己意識を数化するとどうなるだろうか、これが問題である。初めには、-1とし、後で、-iとした。ここは、実に複雑で微妙な点である。
 私が今想起しているのは、新たな差異共振化された後の同一性自己意識であり、最初に形成される同一性自己意識ではないからである。
 否、さらに細かく分ける必要がある。即ち、最初期の差異共振主義内部における同一性自己意識である。しかし、これは、正しくは、即非意識であり、まだ、同一性自己は形成されていない。原同一性自己意識(1)はある。
 次に、+i傾斜で同一性自己意識が形成される。これは、言語同一性的自己意識(2)であり、自我である。
 そして、新たな差異共振性を形成した後での、差異共振的同一性自己意識(3)がある。
 大きく分けて、この三種類の同一性自己意識がある。(1)は⇒+1であり、(2)-1であり、(3)は+1⇒(+i)*(-i)と考えられる。
 (2)の-1というのがポイントである。+1は同一性=物質であるから、それは、同一性自己意識ではない。
 少し煩雑になっているが、本題に戻ると、(3)における新差異共振的同一性自己意識とは、(+i)^2と(+i)*(-i)が共立している様態ではない だろうか。そして、その同一性自己意識を取り出せば、(+i)^2であり、-1ではないだろう。何故なら、上記から-1とは(2)であるからである。つま り、(3)の同一性自己意識とは、自己が言語同一性自己意識であることを意識している自己なのである。換言すると、言語同一性自己意識-1を相対化しているということである。
 丁寧に考えよう。言語同一性自己意識は-1である。それから、+iを下降させて、差異・他者-iと遭遇させるのであるが、この+iの下降はなんらかの同一性自己意識の下降を意味しよう。これは端的に何であるのか。
 思うに、結局、言語同一性自己意識には、二つの+iがあるのではないだろうか。そうだろうか。初期差異共振性における同一性自己とは、差異共振性に内包されていたもので、いまだ、自立・独立していない(母権原理)。だから、原同一性自己と呼べる。だから、同一性自己ないしは原同一性自己は+1であり、それは、差異共振性(+i)*(-i)に包摂されているのである。
だから、言語同一性自己とは、+iの傾斜が加わったものである。二つの+iがある
わけではないのである。だから、明確にすれば、強い+iである。強+iと表記しよう。これが言語同一性自己意識を形成するエネルギーである。
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