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2009年04月07日 (00:31)

差異共振現象ないしは即非現象と同一性=物質的仮象の問題:ただ犀の角の如く歩め

後で検討したいが、知覚の根本問題である。例えば、ある現象を見るとき、それを差異共振現象と見るのか、同一性=物質「現象」と見るのかでは、当然ながら、全く異なる。
 同一性=物質「現象」と見ると、それは、単に同一性自己(自我)の利用対象となるだろう。量化されるのである。しかし、差異共振現象と見ると、それは、差異的であり、精神化されるのである。
 今日の日本では、同一性=物質的知覚が支配的になっていよう。これが、社会を荒廃させている内的要因である。これは、ルシファー/アーリマンの知覚である。
 この知覚が差異共振エネルギーを表現するものに対したとき、どうなるだろうか。そう、それは、知覚できないはずであり、さらに、抑圧している差異共振性を刺激するので、反感を覚えるだろう。これが、同一性自己主観のもつ差別性に当然つながるだろう。
 同一性自己主観は、優れたものを排斥するのである。そう、悪貨が良貨を駆逐するのである。同一性自己に溢れた社会は悪質化して、暴力化し、全体主義化すると言えよう。
 差異共振知覚を取り戻さないといけない。思うに、世人に影響するには、芸術の機能が必要である。とりわけ、美術の機能が必要である。
 しかしながら、今日、日本の美術は、差異共振「美」を喪失して、空虚なグロテスクなものとなっているのである。
 また、美術だけでなく、音楽も文学もそうである。いったい具体的にどうしたら、差異共振知覚を人々に形成させることができるのだろうか。
 私見では、日本だけに居ては、その知覚形成はほとんど難しいだろう。
 私見では、イタリアの地方都市等に行くことを勧める。音楽的にも美しいイタリア語の響きを耳に触れることを勧めるし、その透きとおった太陽の輝きを目にすることを勧めたいし、庶民の差異共鳴的な心性に触れるといいだろう。ツアーで行ってはだめである。単独で行くべきである。ただし、周知の通り、大都市は泥棒の巣である。 
 基本的には、《個》・特異性になることである。原始仏典にある、「ただ犀の角の如く歩め」が必要である。
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