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2009年04月12日 (10:09)

母権文化について:くら、から、「コーラ」、産む・海、womb等:ὥρα "time, hour

バハオーフェンが、母権制について、産む大地性=物質性を説いたことを、私は批判し、母権制は精神的であると言ったが、それは、PS理論から言えば、 Media Point性をもつということと考えられる。つまり、産む能力とは、正に、Media Pointの根源的能力(natura naturans:能産的自然)だからである。造化の力である。そして、それは、kura(蔵・倉・内蔵・鞍:追記:kurasu暮すも関係するのではないか。kurai暗いも関係しよう)、kara(殻)、ana(穴)、hora(洞)、saya(鞘)、fukuro(袋・嚢)等と関係しよう。【プラトンが説くコーラ(受容力や形成力)は、偶然の一致ではなく、同源ではないだろうか。古代ギリシア語、サンスクリット語、等々を調べる必要があるが。】
 端的に言えば、「神の子」が宿る場である。「神の子」とは、「光」である(参照:日御子ひのみこ)。これは、正に、(+i)*(-i)⇒+1の⇒である。精神の場である。
 これを、バハオーフェンは、大地・物質性と勘違いしたのである。⇒はkuraという点では、大地と関係するが、しかし、それは、物質ではなく、精神としての大地である。【追記:ギリシア神話のガイアは、正に、⇒のkuraないしは、コーラであろう。また、ガイアはカオス(亀裂)から生まれるのである。思うに、ガイアとカオスは一如・即非である。】
 地母神という考え方も同様である。それは、結局、父権的宗教(天空神=「父」)の視点から、母権的宗教を見た場合に生じるものであり、いわば、差別的な視点である。当然、二項対立の視点である。
 先に述べたように、自然を物質としたのは、父権的宗教・父権文化である。それは、同一性知性=言語知性を精神としたのであり、そのために、自然が物質化されたのである。
 先に、この点に関して、シャーマニズムが問題であると言った。母権制にも、父権制にもシャーマニズムがあると言った。農耕民族にも、遊牧民族にも、シャーマニズムがある。これをどう見るのか。今の私の知識では、的確に洞察することができないので、想像するしかないが、思うに、狩猟採集民族に、シャーマニズムが本来あったのかもしれない。これが、農耕民族、遊牧民族にもなんらかの形で形象されたのではないだろうか。
 農耕民族は、当然、母権制となり、遊牧民族は父権制傾斜を帯びたと考えられる。この問題は検討課題である。
 とまれ、シャーマニズム(あるいは、アニミズム)は、Media Pointの文化ということで、本来、普遍的と考えられる。宗教の発生因は、シャーマニズムと関係しているのではないだろうか。預言者にしろ、イエスにしろ、シャーマニズム的ではないだろうか。
 また、さらに敷延して見ると、同一性主義とは、いわば、シャーマニズムの延長ではないのだろうか。何故なら、同一性主義とは、⇒+1の終点の+1が独立したものであり、⇒を意識していない点では、憑かれた(憑依した)状態=狂信状態と考えられるからである。(私が「近代的自我は狂気である」というのは、この点からも言えることである。)
 とまれ、以上から見ると、近代文明の問題は、根源のMedia Pointを抑圧・排除・隠蔽しているために、自己自身盲目・狂信の状態になっている点であろう。それは、当然、偽善・欺瞞・独善的な暴力(戦争)を生むのである。父権文明=同一性=物質の「光」の文明は、実は、闇の文明なのである。ニーチェがいみじくも唱えたように、アポロ(父権的光)は、ディオニュソス(Media Point 母権的超越光)から生まれるのであるが、ディオニュソスを排除した、キリスト教文明や父権文明は、ディオニュソスに復讐・逆襲されて、狂気に陥るのである。
 今はここで留める。

追記:西田幾多郎の「場所」も、Media Pointに関係していよう。絶対矛盾的自己同一の概念とは、正に、Media Pointに近いのであるから。思うに、tokoro(所)という言葉も、Media Point的ではないだろうか。
 また、思うに、相対性理論も量子力学も結局は、Media Pointの科学であると言えよう。だから、トランス・モダン・サイエンスであり、トランス・マテリアリズムである。ニュー・プラトニック・サイエンスである。
 因みに、光が重力に影響されるというのは、⇒+1が逆転して、+1⇒ということだろう。
 また、量子論の波動と粒子の相補性(追記:相補性というよりは、即非性と呼ぶ方が的確である。だから、波動と粒子の即非原理ということになる。)であるが、粒子は⇒+1と見るべきであり、それを、+1として見ると、言い換えると、粒子を独立させると、唯物論的になるのである。⇒が波動であろう。だから、波動粒子と見る方が適切であろう。素粒子も同様である。波動素粒子である。また、当然、波動とは、(+i)*(-i)のイデア=対差異のエネルゲイア(エネルギー)化=共鳴化したものである。

追記2:ホロスコープのホロ、カイロス(内的時間)、クロノス(時計時間)、等も関係するのではないだろうか。また、エジプト神話のイシスとオシリスの子のホルス(太陽神)も関係があるように思われる。因みに、エジプト神話では、太陽神ラーは、舟に乗って天空を「航海」するのである。この舟は容れ物であり、やはり、Media Pointを示唆しよう。

追記2の参照:

Horoscope

From Wikipedia, the free encyclopedia

Etymology
The word Latin horoscopus, ultimately from Greek ὡρόσκοπος "nativity, horoscope", literally "observer of the hour [of birth]", from ὥρα "time, hour" and σκόπος "observer, watcher". In Middle English texts from the 11th century, the word appears in the Latin form, and is anglicized to horoscope in Early Modern English . The noun horoscopy for "casting of horoscopes" has been in use since the 17th century (OED ). In Greek, ὡρόσκοπος in the sense of "ascendant " and ὡροσκοπία "observation of the ascendant" is in use since Ptolemy (Tetrabiblos 33, 75).

追記2の参照2:
「太陽の船」
・・・・・

朝起きて、NHKのルーブル美術館のエジプトの本を出して見ると、太陽の舟の舳先に立って前を 見ているのは、イビス神である。イビスとは、エジプトの鳥の名前で、知識・文学・科学・記録の神であり、さらに月神として時の計測を司り、また宇宙の組織 をも司るとされている。日本のトキ(鴇・朱鷺)と良く似ている。
鳥のトキが、時の計測を司り、宇宙の組織をも司るとされているのであれば、日本のトキが時(トキ)と同じ発音である事も無関係ではないだろう。
http://star.ap.teacup.com/170606/132.html

前のメッセージ
追記2の参照2の追記:
エジプト神話では、知恵の神はトート神(ギリシア神話のヘルメス神、日本では道祖神)である。トートの聖獣は、朱鷺である。思うに、イビス神とトート神の関係であるが、イビス神はトート神と一如であろう。また、イビスとエビスは関係するかもしれない。
http://plaza.rakuten.co.jp/20060129/diary/20090114/

追記2の参照2の追記の参照:

ヘルメス・トリスメギストス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘルメス・トリスメギストス(Hermes Trismegistos)は、神秘思想 ・錬金術 の文脈に登場する神人であり、伝説的な錬金術師である。
ギリシャ神話 のヘルメス 神と、エジプト神話のトート 神がヘレニズム 時 代に融合し、さらにそれらの威光を継ぐ人物としての錬金術師ヘルメスが同一視されてヘルメス・トリスメギストスと称されるようになった。意味はそれら3つ のヘルメスを合わせた者という意味で「3倍偉大なヘルメス」と訳される。(三人の賢者(ヘルメス)の伝説(三重の知恵のヘルメス))
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B9

続追記:

カラコルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カラコルム (Qaraqorum) は、モンゴル高原 中央部のモンゴル国 首都ウランバートル から西へ400km、アルハンガイ県 のオルホン河 畔に位置する都市。カラコルムとはテュルク語 ・モンゴル語 で「黒い砂礫」を意味する。ペルシア語 資料では قراقوروم Qarā-qūrūm と表れ、漢語 資料では哈剌和林、略して和林と表記される。また現代モンゴル語 ではハラホリン (Хархорин) と表記される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%A0

続追記2:コーランの語源が興味深い。啓示である。やはり、シャーマニズム的である。そう、言わば、お筆先である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Qur%27an

参考:

絶対矛盾的自己同一

西田幾多郎
     一

 現実の世界とは物と物との相働く世界でなければならない。現実の形は物と物との相互関係と考えられる、相働くことによって出来た結果と考えられる。しか し物が働くということは、物が自己自身を否定することでなければならない、物というものがなくなって行くことでなければならない。物と物とが相働くことに よって一つの世界を形成するということは、逆に物が一つの世界の部分と考えられることでなければならない。例えば、物が空間において相働くということは、 物が空間的ということでなければならない。その極、物理的空間という如きものを考えれば、物力は空間的なるものの変化とも考えられる。しかし物が何 処(どこ)までも全体的一の部分として考えられるということは、働く物というものがなくなることであり、世界が静止的となることであり、現実というものが なくなることである。現実の世界は何処までも多の一でなければならない、個物と個物との相互限定の世界でなければならない。故に私は現実の世界は絶対矛盾 的自己同一というのである。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/1755.html

参考2:(尚、参考2から参考5までは、Wikipediaからの転載である。)

特殊相対性理論
特殊相対性理論(とくしゅそうたいせいりろん、ドイツ語 : Spezielle Relativitätstheorie)は、アルベルト・アインシュタイン が1905年 に発表した物理学 の理論 である。光速度不変の原理 (こうそくどふへんのげんり)「真空中の光の速さは、光源の運動状態に影響されない一定値cである。」と、特殊相対性原理 (とくしゅそうたいせいげんり)「お互いに等速度で運動しているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形で表される。それらの慣性系のなかから、なにか特別なものを選び出すことはできない。」の二つを指導原理 とする理論である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96

参考3:

一般相対性理論
一般相対性理論(いっぱんそうたいせいりろん、独語 :Allgemeine Relativitätstheorie、英語 :general theory of relativity)は、一般相対論(General relativity)ともいい、アルベルト・アインシュタイン が、1905年の特殊相対性理論 に続いて1915年 ~1916年 に発表した物理学 の理論。ニュートン力学 と比較すると、運動の速度が速い場合や、重力 が大きい場合の現象を正しく記述できる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E6%80%A7%E7%90%86%E8%AB%96

参考4:

量子力学
量子力学(りょうしりきがく、独語 :Quantenmechanik、英語 :Quantum mechanics)は、古典力学 で説明しきれない電子 や原子核 などの間の微視的 現象を説明するために開発された物理学 の理論 である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AD%A6

参考5:

素粒子

物理学 において素粒子(そりゅうし)とは、物質 を構成する最小の単位のことである。
最小の単位であるということは、それより小さな存在がないということであり、従って内部構造を持たず空間的な大きさを持たないとされるのだが、超弦理論 においては全ての素粒子は有限な大きさを持つひもの振動状態であるとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90


参照:

コーラ こーら(読書 )
編集

χώρα
プラトン 『ティマイオス 』に出てくる言葉。絶対差異の無限 参照(の場)。
母=器としての準備を整え、あらゆる種類のものを受容するために姿形を持たない。
穀物と不純物を分け、それぞれを異なった場所へと運ぶ篩でもある。

• 作者: ジャックデリダ , Jacques Derrida , 守中高明
• 出版社/メーカー: 未来社
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%B3%A1%BC%A5%E9

参照2:

デリダ『コーラ』

コーラ―プラトンの場 (ポイエーシス叢書)
(2004/04)
ジャック デリダ

商品詳細を見る

プラトン『ティマイオス』における「コーラ」=「場」について論じているよう
「場」とは、「同一性」「二項対立」を逃れ去るものである
フェミニズム、建築とも関わるらしい
よく分からん
西田の「場」の論理とはなんか関係があるの?
「同一時間、同一空間には、二つのものが存在できない」とか

・たぶん、コーラとは「神」「最高存在」のことだろう
・あなたも、「女」であることをやめて「神」になれる。きっと

・『ティマイオス』の宇宙開闢説におけるロゴスの終りたるテロス
・ヘーゲルの論理学とアリストテレスの形而上学
・イデア的、叡智的なものと、感性的なものの間の深淵
・感性的でも叡智的でもない「母」という「場」
・ソフィストは固有の「場」を持たない
・プラトンはアリストテレス的な真面目さに対して、「戯れ」/「真面目なもの」という対立措定の同一の使用を成す
・コーラは、乳母でも母でも女でもなく、カップルを成さず、独自の個物である
・存在の二つの形式に対する、第三のジャンル

守中高明
・コーラは、延長のうちに位置付けることができず、存在者としての限定を欠く
p.103「コーラをめぐる記述を「教育的なメタファー」と見なす伝統を批判しつつ、それが告げている事態を字義通りに読み解くデリダ に よれば、「叡智的なもの」でもなく「感性的なもの」でもない「第三のジャンル」とプラトンが呼ぶものは、存在者の三つ目のジャンルではないし、存在の反対 物=非存在でもない。また、この点が肝心だが、フィクションとして想定され、やがてしかるべき仕方でロゴスへと止揚されるべき神話素なのでもない。それ は、それ自体としてのいかなる実質も欠いた何か、ロゴスの言説によってはただ「~でも~でもない」としか表現され得ないような非‐固有性そのものであり、 したがってそれは、弁証法に対してある特異な関係を持っている」「いわばそれは対立措定の非‐対照的な外部を構成している」
http://literaryspace.blog101.fc2.com/blog-entry-212.html

文芸空間
参照3:

シャーマニズム
シャーマニズム(英 : Shamanism, シャマニズムとも)は、シャーマン (巫 師・祈祷師 )の能力 により成立している宗教 。シャーマンはツングース語 「šaman, シャマン」に由来し、トランス状態 に入って霊 (超自然的存在)と交信する現象を起こすとされる。この現象自体や現象に基づく思想 をシャーマニズムと呼ぶこともある(ミルチャ・エリアーデ など)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0

参照4:


日本の神籬・磐座

 日本では古代祭場のことを昔は神籬(ひもろぎ)と申しました。これは霊天降域、すなわち神が天から降臨される場所という意味で、それは聖なる岩や土地、また御神木でした。なかでも巨石で構築された神籬を、磐座(いわくら)・磐境(いわさか)と呼ぶことがあります。すなわち磐座とは木材による神社建築が始まるはるか以前、縄文草創期以前に古代人が巨石をもって築いた自然(太陽)崇拝の祭場のことで、磐境とは、垣根のように磐座を取り囲んで配置されている添え石です。外国で一般に良く知られているものとしてメンヒル、menhir(立石)やドルメン、dolmenn(机石)やクロムレック、cromlech(半円形の列石)、トリリトン、tririton(2個の立石の上に横長の石を載せたもの)またストーン・サークル(環状列石)が挙げられます。英国のストーン・ヘンジやフランスのカルナック列石またケルト人の残した巨石建造物のなかには同じ流れを継ぐものがあります。山の多い日本では、その多くは天に近い山上に構築されています。ずっと後世になって木材を使って社殿が建てられるようになると、人々は便利にしたがって山麓に下宮を造るようになります。さらに人々の間に便利主義が高まり、自分たちの住んでいる里の近くに里宮を造り、次第に山麓の下宮を忘れ、山頂にある元宮としての磐座をも忘れ果ててしまったのです。しかし、奈良の大神神社のように、両者が密接しているところでは、背後の三輪山の磐座を神社の本殿として祀り、その山麓にある社殿は拝殿のみを置くとしています。
http://www15.ocn.ne.jp/~kodaiisk/iwakura.html
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