2005年11月20日 (12:24)

夢、想像力、創造力と不連続的差異論:実在感、実在力の基層・原基・基盤は何か

先の検討の中から、夢、想像力、創造力の基盤・根拠が問題になったので、ここで検討したい。 
 先ず、具体的な簡単な疑問から見ていこう。夢を見ているとき、ほぼ夢には実在感がある。夢の世界を疑問なく信じている。(中には、夢と感ずる場合もあるだろうが、ここでは、例外としておく。)この夢の「実在感」から考えたい。現象界の知覚の基盤として、メディア界がある。超越論的知覚である。夢は、この知覚が形成すると考えられる。メディア界は、多様体と考えられる。そして、原時空間であるから、時空を超越するし、また、現象界的連続性を超越する。【フロイトは、夢における性的思考の圧縮や置換を述べていたが、性的と限定する必然性はないと考えられる(フロイト批判)。】この現象界から見たら、奇妙な世界を、見ているときは、そのまま実在と感じている。夢見とは何だろうか。視覚、内的視覚、内的視知覚の問題がある。これは、志向性に還元できると考えられる。つまり、志向性には、視覚、ヴィジョンも入るのであり、とりわけ、視覚が重要だと考えられる。しかし、志向性は根源的には原知覚である。超越論的主観性である。とまれ、視覚優位とは、当然、光と関係する。差異・ゼロ度から発出するメディア界は、ゼロ度を内在している。このゼロ度は、メディア界の強度を発生させるものである。もっとも、強度とは、差異・ゼロ度自体を意味するが。
 ここで、力の問題を考えよう。ゼロ度において、力が発生する。この力は、「知覚」でもある。ここで、用語を規定して明快にしよう。イデア界のおける超越論的主観性を根源知覚ないし原知覚、メディア界におけるそれを中間ないし媒介知覚と呼ぼう。そして、現象界の主観性は現象知覚である。メディア界の力は、中間ないし媒介知覚である。そして、これは、作業仮説として、4つの力に呼応する4つの中間ないし媒介知覚である。感覚・感情・直観・知性の媒介知覚である。もっとも正確に言えば、中間的感覚・感情・直観・知性であり、現象界のそれではない。とまれ、これらが、ゼロ度の4つの力・媒介知覚である。
 では、これらと視覚、視知覚とどうつながるのか。E=mccである。エネルギー・強度において、質量と並んで、光が根源である。強い力と弱い力と重力が質量に関係し、電磁気力が光に関係するだろう。思うに、光の特殊性があるのだろう。ここで、作業仮説的に私の直観を言うと、重力が反光である闇、ダークネスである。つまり、光と重力が対(つい)になっているのではないだろうか。光と闇(重力)が相補性を形成するのではないか。とまれ、言えることは、光と闇が、メディア界において志向性の中核になるのではないかということである。そう、光とシャドウ(重力)の相補性がメディア界の知覚、中間知覚の枢軸ではないか。これを作業仮説とする。ということで、メディア界の志向性
において、視覚、視知覚が優位となるのである。これは、光且つ影である。そして、夢の実在感から言うと、この光/影が実在感の基盤ではないだろうか。即ち、光/重力が基盤ではないかということである。正確に言えば、光/影と質量性が実在感の根拠であろうが、質量性は、夢においては、光/影の背後に隠れているのだろう。(後で、光/重力、光/影(シャドウ)について考察する。)
 では、この実在感とイデア界はどう関係しているのだろうか。睡眠において、イデア界に「知覚」は回帰すると仮説しているが、夢を見ていない睡眠において、「知覚」は、4つの力・中間知覚を超えて、イデア・メディア境界(IM境界)に達して、さらに、イデア界内部に帰還していると思われるのである。つまり、根源知覚、根源的超越論的主観性に達していると考えられるのである。純粋な志向性の世界である。これは、絶対界である。デュナミスである。ここは、前エネルギー世界である。あるいは、ポテンシャル・エネルギーの世界である。これによって、知覚は、原エネルギー体となるのであろう。そして、目覚めとともに、知覚はエネルギーを使用するのである。
 さて、最後に、光/重力、光/影(シャドウ)について考えよう。これは、相補性の関係にあると思う。比喩的というか文学的に言えば、光には、影が伴っているのである。光と闇とは一体である。両者は分離できないのではないだろうか。つまり、光と重力は分離できないのではないだろうか。電磁波と重力との相補性があるのではないだろうか。光が重力で曲がるのは当然だと思う。なぜなら、光と重力は不可分一体だからである。光は重力を伴うのである。知覚で言えば、直観と知性が結びついているのである。そして、これが広義の視覚・ヴィジョンであろう。これが、ニーチェのアポロ的なものに相当しよう。アポロ的ヴィジョンである。そして、これは、影・闇・シャドウが付随している。ディオニュソスである。アポロとディオニュソスは一体であり、いわば、双子である。先に、ディオニュソスを、イデア・メディア境界的な矛盾同一・カオスモス的なものと考えたが、それも考えられるが、狭義においては、こちらの方が適切ではないだろうか。(後で、検討しよう。)アポロとディオニュソス、光と影は一体であると考えると、いろいろ説明がつくことがあるだろう。D.H.ロレンスは黒い太陽と言ったが、それは、ディオニュソスのことだろう。また、暗い神と言ったが、それもディオニュソスだろう。光と闇は双子である。(思うに、天使と悪魔、善と悪も双子だろう、おそらく。プラトンの白い馬と黒い馬も双子だろう。)この闇が光に付随して、身体へとつなぐ。知性が身体と連結するのである。思うに、この闇が想像力・構想力であり、心身を結合しているものではないか。そして、「気」とはこの闇ではないか。つまり、重力である。また、さらに、ダークマターの問題であるが、これも、重力に関係する問題ではないか。光の背面にダークマターがあるのではないか。結局、光重力論が出てくるのではないだろうか。まぁ、作業仮説的想像はここまでとしよう。

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  • Author:sophio・scorpio
  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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