2005年11月20日 (23:48)

日本人の想像力・創造力・差異力が枯渇・消滅・死滅した理由について

ロマン派は想像力を強調する。また、大江健三郎もそうだった。想像力をやたらに言うのは、鼻につく。しかし、芸術からこれを除いたら、単に感覚だけになる。先にも触れたが、想像力は唯物論によって衰退し、死滅させられたのではないか。かなり想像力のある中沢新一でさえ、霊的唯物論という奇妙な唯物論を説いている。唯物論とは、主体の外部に、客体である物質が存しているのであり、その真理を、主体が認識するという考えである。この考えを認めると、主体のもつべき想像力は、衰退する。どうも、戦後日本は、唯物論の道を歩み、現在のように、想像力の枯渇した国になってしまったようだ。イギリスの版画家で詩人のウィリアム・ブレイクは、詩的精神である想像力を強く説き、物質主義の近代に対抗した。そう、ディケンズもそのような面があるだろう。二つの文化(理科系と文科系)の問題は、実は、フッサール現象学で、乗り越えられているだろう。西洋人はプラトン主義が大伝統であるが、日本人は、アリストテレスは理解できるが、プラトンが苦手なようである。
 ところで、日本文学で、想像力がもっとも豊かなものは何だろうか。私は、折口信夫の『死者の書』をあげる。ただし、難解である。精読しないと理解できないだろう。緻密で、複雑にできているのである。

p.s. 想像力とは特異性においてあるものでもあろう。つまり、イデア界の力でもある。これは、軽薄ではない。想像力が消滅すれば、軽くなる。知識人に想像力がない。優れた知識人であった柄谷行人氏にも、想像力が欠落している。
 思うに、知識は、想像力を排除するような方向ではたらくようだ。想像力は理念的な力でもあり、また、主体の力でもある。民主主義を健全なものにするには、想像力が不可欠である。想像力的民主主義である。想像力の欠落した多くの日本国民に対して、民主主義は、洗脳する政治家の道具となる。
 とまれ、何故、想像力を排除するのか。どうして、想像力をもった知性を発展させないのか。それは、やはり、近代的合理主義的知性にとって、想像力は、夾雑物に思えるからだろう。これは、デカルトの責任があると思う。想像力はあいまいに見えてしまうのである。しかし、想像力はあいまいではなくて、明快なものである。虚構想像的な力である。スピノザの能動的観念には、想像力が含まれているだろう。

p.p.s. 想像力を排斥・排除した場合、それは、逆襲するだろう。想像力は本質的に人間に内在するものであるから、否定できないのである。だから、排斥・排除されれば、逆襲する。想像力はイデア界の力である。それは、ほぼ、イデア・メディア境界の力となるだろう。カオスモスの力である。これが排斥されたときは、反作用・反動が生じる。それは、どう現象するのか。それは、衝動となる。非合理な衝動、つまり、狂気となるだろう。もっと正確に言うと、志向性、他者への志向性を排除しているので、連続化だけとなり、現象自我へと集中する。自己中心主義、パラノイア、自己愛性人格障害、分裂症等になるだろう。つまり、想像力の排除に対して、反動衝動が起こるのである。現象自我中心性に、他者排除的反動衝動が加わるのである。つまり、憎悪・暴力が現象自我に内在しているのである。想像力的他者を攻撃しないではないだろう。反感、ルサンチマンからである。そう、ニーチェがキリスト教に見たルサンチマンとは、想像力の排除と等価だろう。想像力とは他者への志向性である。一神教は他者を否定するのである。ここから逆に言うと、一神教とは、ユダヤ・キリスト教とは、想像力を排除したものである。イデア界の志向性を排除しようとする連続・同一性の宗教であろう。やはり、イデア・メディア境界において、イデア界を暴力的に閉ざそうとするあり方であろう。それは、連続・同一性の展開のあり方である。そう、おそらく、+エネルギー的あり方と言えるのではないか。−エネルギーを否定するのである。−エネルギーを認めまいとする不合理な暴力性をもつ。そう、これは、無意識となったイデア界の力が衝動化して、現象自我に狂気をもたらすのである。そう、差異・他者を否定しているので、コスモスがカオスとなった衝動が襲うのである。これは、明らかに精神病である。西洋文明、キリスト教文明は精神病となるのである。

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sophio・scorpio

  • Author:sophio・scorpio
  • 2004年(平成16年)9月23日、ブログ上で、ODAウォッチャーズ氏(ブログ『海舌』)と遭遇して、新しい理論、不連続的差異論が誕生しました。まったく思いもよらぬ出来事でしたが、この結果、独創的な理論が生まれたと自負しています。とても簡潔な理論ですが、文系、理系の分化を乗り越えた統一的理論で、多くの分野・領域に適用可能だと考えられます。
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