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2009年06月10日 (21:49)

自我と自己:同一性と差異:シュタイナーの「霊」とは同一性的であり、真の精神ではない

先にシュタイナー批判をしたが、どうして、シュタイナーがイエス・キリストを擁護するのかについては、原理的に理由があると考えられる。
 シュタイナーは自我「わたし」を肯定しているのである。言い換えると近代的自我の肯定である。あるいは、近代合理主義の肯定である。
 このために、同一性主義のユダヤ・キリスト教を擁護すると考えられるのである。
 シュタイナーの「精神科学」は確かに、一面、東洋的であるが、反面、近代西洋的なのである。
 しかるに、PS理論は、同一性主義を完全に批判し、否定しているのである。だから、当然、ユダヤ・キリスト教、イエス・キリストを批判することになるのである。
 結局、トランス・モダンとは、近代を乗り越えることであり、自我は乗り越えられることになるのである。
 そこにおいて、即非の論理が決定的な役割をするのである。そして、自我・近代的自我は、他者と共振する自己となるのである。
 では、シュタイナーの説く「霊」はそのまま肯定できるだろうか。
 問題は、自我と物質を別に分けていることである。しかしながら、物質と自我(同一性)とは一致すると考えられるのである。ということで、シュタイナーの自我という「霊」は、物質的なものだと思われるのである。
 以前述べたが、同一性のフレーム(愚樵氏の「知のフレーム」から借りれば)から、精神を理解しているのであるから、シュタイナーの「霊」とは本来の「霊」ではなく、物質化された「霊」、連続化された「霊」、つまり、偽りの「霊」であると考えられる。あるいは、ドゥルーズと同じ、連続的差異としての「霊」である。
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