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2009年07月23日 (20:19)

トランス・プラハ言語学:トランス・モダン言語学へ

以下、toxandoria氏のプラハ言語学への言及があるが、これは、学生の頃を想起させる。ヤン・ムカジョフスキーの異化作用に夢中になったことがあるし、また、ルイス・キャロルやジェイムズ・ジョイスの言語実験的作品を今想起するのである。
 私は異化作用説については、限界があると考えて、ほとんど省みなくなったものの、脳裏のどこかで潜んでいたと思う。
 限界を感じたのは、異化作用説(ブレヒトの演劇論を想起させるが)が皮相なテクニックになってしまう傾向があるからである。単なる言葉遊びになってしまうと感じたからである。
 PS理論から見ると、異化作用とは、不連続的差異・絶対的差異の作用に近いと言えよう。しかしながら、異化作用とは、言語の作用であるために、十全な思想がないと皮相化するのである。つまり、言語とは、基本的に同一性作用をもっているのであり、それに集中すると本来不連続な異化作用が、連続性ないしは連続的同一性に陥ってしまうのである。
 とまれ、異化作用をPS理論的に進展させ包摂するトランス・モダン言語学は考えられるのである。それは、絶対的差異言語学、絶対的差異共振言語学、即非的言語学、Media Point Liguistics等となろう。

*************************

また、市民生活の日常は「会話と口語」で満ち溢れており、それも広い意味で
の「詩的言語」と見なすことが可能だが、この「詩的言語」の役割は日常言語
の世界を絶えず活性化し、その自在性と意外性の性格から規範的文脈を無視す
ることもあるが、実は、そのような場面からこそ「新しい現実世界の発見」と
「現実世界の明視」を可能にする機能が発見されることになる。後の「プラハ
言語学派」は、言語そのものから次第に美学・社会学的な領域へ視点を移し、
より広い意味での「世界の明視」を考察するようになる。


我われが生きる世界を堅固な一つの現実と見なすのは誤りである。例えば、
我われ一般市民が仕事や家庭で喜怒哀楽を感じつつ日常を生きる現実、新聞等
の文字ジャーナリズムが伝える現実、テレビ等の映像メディアが伝える現実、
美術・彫刻・音楽・文学等の芸術作品が伝える現実、Webネットワークが伝え
る現実、法曹界・法律・行政規範等が構成・示唆する現実、各種学会等のアカ
デムズムが構築する現実、政治・経済など何らかの権力が構想する現実・・・
云々ということになる。


ところで、「新聞等の文字ジャーナリズムが伝える現実」と「テレビ等の映像
メディア・ジャーナリズムが伝える現実」を纏めれば「マスコミが作る現実」
ということになるが、この「マスコミが作る現実」と「アカデムズムが構築す
る現実」に共通するのが“客観”、“中立”、“公正”の原則だ。マスコミは
第三の権力と呼ばれることもあるが、その権力たる所以が「言語」(テレビで
は映像と口語)であることは論を待たない。そして、今こそ「プラハ言語学
派」を生んだチェコ・アカデミズムが何故に「言語」を特に重視してきたかを
想起すべきである。


つまり、マスコミないしはアカデミズムが「言語」の自律的役割を放棄して権
力サイドへ魂を売り払うのは完全な自己否定に等しく、そのような事態が導く
現実の恐ろしさは、もしチェコ人がチェコ語を放棄していたならチェコ人と彼
らの文化が間違いなく完全にドイツ化していたであろうことを思えば理解でき
よう。その恐ろしさは、紛れもない一つの歴史的事実の重みとして実感できる
はずだ。このような意味で、「小泉~安倍~福田~麻生」のヤラセ劇場下でマ
スコミとアカデミズムの一部が“御用化”し日本国民を欺き続けてきたのは万
死にも値する罪だと言っても過言ではない。


おそらく、今回の衆議院議員選挙で民主党に追い風が吹いていると言われる背
景の一つには、「グズでKYな麻生首相の逆説的功績」が、図らずも“小泉・竹
中ポルノ劇場の真相をマンガ的に分かりやすく日本国民へ説明してしまった”
という現実がある。つまり、過半の日本国民が、実は“小泉と竹中がウオール
街の強欲なハゲタカの代理人がであった”という現実を漸く理解し始めたとい
うことである。そして、今こそマスコミは、“マスゴミ”の汚名を返上すべく
“客観”、“中立”、“公正”の原則に立ち戻り、一般国民へ正確な情報を伝
えて、彼らが、正しく客観的に「世界の明視」(ビジョンの把握)ができるよ
う貢献すべきである。


これは何も「東国春スケベ騒動」(関連参照、下記★)でマスゴミと共に墓穴
を掘ってしまった自民党だけのことではないが、総選挙の結果を左右すること
になる無党派層の心は、“女心と秋の空”の類であり、彼らのリアリズム(現
実感覚)は“通時(過去-現在‐未来の時間軸)と共時(日常生活の現実、マ
スコミが作る現実、アカデミズムが作る現実、テレビ映像が作る現実など複数
の現実空間を同時的に横に貫く水平面に沿って伸縮する空間)という多次元の
現実空間を揺れ動き、絶えず右往左往するという意味で“交流と緊張の連続”
である。文字と映像言語を道具とするマスコミは、このような「言語機能の性
質」についての理解と、それ故にこそ求められる「日常言語を操る仕事の重要
性と責任」を徹底的に自覚し直すべきである。


★腐れ自民党にたかる“お笑い東国春とマスゴミ(=ねじまき住血吸虫クロ
ニクル)の強欲劇”が意味するアフォリズム、
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20090708


ついでながら、ロマン・ヤコブソンに次ぐ「プラハ言語学派」の大立者である
ヴィレーム・マテジウス(Vilem Mathesius/1883‐1945)は、1911年に行っ
た有名なプラハ大学(英文学)教授就任時の講演『言語現象における潜在性に
ついて』で次のようなことを語っている。なお、このような言語機能の特性に
つての考え方は、後になり(およそ1960年代以降)レヴィ・ストロース(C.
Levi‐Strauss/1908- )の構造主義やロラン・バルト(Roland Barthes/1915
‐1980)のエクリチュール批判などに大きな影響を与えている。


・・・言語現象には一定の揺れがあり、そこに変化の潜在性を認めるべきであ
る。これは、そもそも我われプラハ言語学派が前提としてきた「言語は構造を
なす」というテーゼのアンチ・テーゼであるが・・・[出典:千野栄一著『言
語学のたのしみ』(大修館書店)]

* 2009/07/23 11:21
* 2009/07/23 11:19

ベスのひとりごと
参考:
プラハ学派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

プラハ学派(プラハがくは)はソシュール と関連づけられる構造主義 言語学 の一学派 である。

1926年 10月にヴィレーム・マテジウス が発起人となり発足した。参加した言語学者 は、ボフスラフ・ハヴラーネク 、ヤン・ムカジョフスキー 、B・トルンカ、J・ヴァヘック、M・ヴァインガルトらがいた。このサークルの『論集』に寄稿した学者には、オランダ のデ・グロート、ドイツ の哲学者・心理学者のカール・ビューラー 、ユーゴスラヴィア のA・ベリーチ、イギリス のD・ジョーンズ、フランス のルシアン・テニエール 、エミール・バンヴェニスト 、アンドレ・マルティネ がいた。特筆すべきは、セルゲイ・カルツェフスキー 、ロマン・ヤコブソン 、ニコライ・トルベツコイ と言ったロシア の言語学者がサークル活動に加わったことである。このサークルの活動より音韻論 が生まれた。

代表的な言語学者 [編集 ]

* セルゲイ・カルツェフスキー
* ニコライ・トルベツコイ
* エミール・バンヴェニスト w:Émile Benveniste
* ヴィレーム・マテジウス
* アンドレ・マルティネ
* ヤン・ムカジョフスキー
* ロマン・ヤコブソン w:Roman Jakobson
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