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2009年07月26日 (23:13)

PS理論と「わたし」の解体:個とは何か:「空」としての「魂」:トランス・モダン仏教誕生

PS理論から見ると、「わたし」は解体するが、その代わりに、Media Point的基底が残る。それは、いわば、原自己と原他者との極性様態である。「わたし」は、原自己と原他者との極性に還元されるのである。これは、フッサールがノエシス・ノエマと呼んだものに近い。ただし、フッサールは、原自己と「わたし」との区別が明確ではなかったように思われる。
 そう、言い換えると、「わたし」は、量子論的様態に還元されてしまうのである。言い換えると、「空」の様態に還元されるのである。(そして、先の差異共振資本主義の考えに戻ると、資本主義も「空」に還元されると言える。いわば、「空」としての資本となるのである。ここから、差異共振資本主義、トランス・モダン資本主義が生起すると言える。)
 問題は、「空」と個との関係である。「わたし」は還元されて、個となるが、この個は、+iであり、また、「空」であるのではないだろうか。愚樵氏的に言えば、+iが自由であり、「空」が自在となろう。
 今はここで留める。

追記1:「わたし」は仮象となるのである。

追記2:ゾロアスター教を称揚したが、思うに、トランス・モダンは仏教復興ともなるのである。
 上述したことから、Media Pointの「空」が核心であり、原自己+iが個である。そして、同一性である「わたし」は仮象である。すると、正に、現世は「空蝉」である。そして、「空」である「魂」が輪廻する可能性があると思う。これは、いわば、永遠である。
 人間の苦とは、同一性である「わたし」において生じるのである。そして、俗世とは、同一性=「わたし」が実体化した仮象の世界である。
 だから、若くして亡くなった者も、本来、永劫の「空」=「魂」であるのである。
 とまれ、トランス・モダン仏教の誕生である。
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